第16話 「裏切りの少女」
ルナール・リーフィアの"九本の尾"は生まれつきのものだった。
狐の獣人でも当然、尾は一本しか持たないのが普通だが、稀に複数の尾を持って生まれてくる子供がいる。そのなかでも"九"の尾を持つ者は特に不吉とされていて、忌避されるような伝承があった。
ルナールが生まれるまではその伝承は信用されず、そんな特異な尾を持つ者は存在していないだろうと言われていたなか、唐突に現れた突然変異種である。
「この子は……何なの……?」
「不気味だなぁ……」
ライン王国の田舎で生まれた彼女は、四歳まで愛情を感じ取れないままに育てられたが、結局は両親に気味悪がられ、森に捨てられた。
「……どうして……!? お父さん!! お母さん!! なんで、こんなとこ、おうちにかえりたい、かえりたいよ……!!」
後には、どうしようもない恐怖だけが残った。
ルナールは幼かったとはいえ当時から長大な九本の尾を操ることにより、少しばかりの戦闘能力があった。
魔物を退け、果実や魚を食べることで何とか食いつなぐ日々。
人間たちの街を見つけ、ようやく希望を見つけたと思ったが、九本の尾を恐れられて街に入ることすらできなかった。
希望は簡単に閉ざされる。
最後に残るのは、いつも絶望だけだった。
自分は生きていてはいけないのだと。端的にその事実を認め、もはや哀しみすらも感じることができないままにルナールは、地獄のような日々に終止符を打とうとした。
そのとき。
「よぉ、嬢ちゃん。どうした? 随分と暗い顔してんじゃねえか」
ガレス・ランズウィックに声をかけられたのだ。
彼は当時、まだ獣王を引き継いでおらず、見聞を広めるために世界中を放浪している途中だったらしい。
そのときのルナールは、誰かに話しかけられたことが数年越しのことで、うろ覚えの言語なんて既にあまり話せなくなっていた。
何一つ質問に答えることはできなかったというのにガレスは豪快に笑いながら、痩せ細ったルナールを肩に抱えて街に連れていき、治療と食事を与えてくれた。
普段は門番に追い返されて入れないのに、どうして街に入ることができたのか。
ルナールが疑問に思っていると、
「幻術。まやかしだな。それでお前の尻尾を一本に見せかけてるわけだ。とはいえ俺が使ってるわけじゃねえが」
「俺だよ」
ひらひらと手を振ったのは、ガレスの旅の仲間であるボサボサの黒い髪に冴えない顔、眠たげな瞳をした少年だった。
練達の剣士であると同時に、扱いの難しい無属性魔法を得意としているらしい。
怠そうな彼を横目に、ガレスは真剣な表情で告げる。
「厳しい話だが、お前が普通に生活するために、まずこいつが使う幻術を修得してほしい。獣人族は基本的に魔法が苦手って話だが、まあ無属性魔法に才能はあんま関係ねえ。要は努力次第だ。とはいえ、お前が人の住む街で暮らすことを望むなら、の話だが」
「……や、やります」
ルナールは自然と言葉を紡いだ。即座に返答できたことに、ルナール本人が最も驚く。ガレスも僅かに目を瞠ったが、直後に豪快な笑みを見せて背中を叩いた。
久しぶりの人の温もりと、言葉を交わすことの嬉しさと、これまでの地獄のような生活に一筋の光が見えたことに、気づけばルナールは涙を流していた。
「辛かったんだな」
ガレスの巨木のような腕が、おそるおそるルナールの華奢な体を抱きしめる。
それだけでも、ルナールはもう十分救われたというのに。
「もう、我慢しなくてもいいぞ」
世間では幸福と呼ばれる感情を、ルナールは持て余した。生まれて初めての感情に振り回され、ルナールはただひたすらに泣き続けた。
ルナールは後で知ったことだが、当時のガレスは『大森林』にある小さな里を拡張するために、各地を回り、獣人族を集めていたらしい。
その過程で、ルナールのような孤児も拾われていたのだ。どちらにせよ、ルナールにとってガレスが命の恩人であることに変わりはない。
血の滲むような努力の末に、尾の数を騙せる幻術を修得し、ルナールは獣人族の里に入る。
あまり人とコミュニケーションを交わしたことのないルナールには少しばかり馴染むことが難しかったけれど。
あまり顔を出さない変人と呼ばれ、どこを間違えて覚えたのか妙に訛りの入った口調に、苦笑いをされることも多かったけれど。
それでも、暖かい里だと思った。
朝、誰かに会ったとき。
当たり前のように交わす挨拶だけで、ルナールは救われるような想いだった。
だが。
それから十年ほど経過して、ルナールは異変に気づいた。
「……誰? うちらの里に、何の用?」
「ほう。なかなか妙な狐がいるようですね」
堕天使カイザーと彼が率いる強者達に脅され、ルナールは見動きが取れなくなる。
彼に付き従っているかのように見えた葉山集を通じて、その裏で天使族が動いていることを知った。
この世界を統べる女神が主導する実験が、あの里を標的にしていると判明し、ルナールは絶望で目の前が闇に染まった。途方に暮れて、ただ暗闇を彷徨い続けた。
己が酷い目に遭うだけなら構わない。そんなものはいくらでも許容してきた。この幸せを奪われたところで、これまでに与えられた幸せを思えば、心から笑って死ねると思う。
――それでも。
仲間達が傷つけられることだけは許せなかった。
獣王ガレスが先代から引き継いだこの小さな里を、ルナールは心から愛していたから。
広場で騒ぎ立てる子供たちの喧騒も。大通りの露天の客引きも。鍛錬に勤しむ戦士団の掛け声も。黙々と畑を耕す農家の立ち姿も。
そのすべてを、失いたくなかった。
たとえこの身を犠牲にしようとも。
だから。
だからこそ、ルナール・リーフィアは。
――護りたいと、そう願ったのだ。
♢
ルナール・リーフィアが何かに押さえつけられたかのように、強制的に地面に叩き伏せられた。ギランのもとに辿り着いていた士道は驚いたように目を瞠りながらも、戦士団の安否の確認を優先する。
「大丈夫か!?」
ギランは辛うじて意識はあるようだった。ルナールは九尾による打撃攻撃が主体だったようで、痣は多いが、出血はない。命に関わるような傷はひとつも発見できなかった。
周りを見渡せば、誰もが打撃によって倒されているだけで、死んでいる者は一人もいない。
「……殺すつもりがなかったのか?」
怪訝そうに呟くと、反応する声があった。
「そう……だ」
ギランのものだ。
彼は体が痛むのか顔を顰めながらも、何とか話を続ける。
士道にしか聴こえないほどに、小さな声だ。
「あ、の……女は……やっぱり裏切ってなんか、いなかった……」
「……」
「無理を、承知で、頼め……ないか? ……シドー。あいつ、きっと、死ぬつもり、だ。お前……が、あいつを――」
ギランは震える手を士道に向けて伸ばす。
言葉は最後まで続かず、ギランの意識が沈んでいく。
だが、士道は糸が切れたように落ちるギランの腕を掴むと、囁くような声で一言告げる。
それを聴いて、安心したようにギランは目を閉じた。
――その言葉の先は必要なかった。
最後の一人が倒されるまで、獣王と彼が治める里の為に戦い続けた男達が、それでも力及ばずに士道に託したのは、己を倒した少女を助けてほしいという、思わず苦笑してしまうような願いである。
だが、叶えるべき価値があった。
士道は数十メートル先に悠然と佇む天使長イリアスに鋭い視線を向けると、苛烈な口調で告げる。
「……何をするつもりだ?」
「簡単な実験だ」
士道の疑問に対してイリアスは平坦な調子で、
「この『獣神』の本来の価値は戦闘力ではない」
イリアスが獣王に何かを命令すると、虎の怪物が唸り声を上げる。
その声に呼応するように、ルナールの肉体が強制的に引きずり上げられた。
まるで人形のような強引な立ち方だった。
それでいてルナールは意識は保っているようで、その表情は苦痛に歪められている。
「要は、神の威光を以って獣人族を完全に支配下におくこと。……どうやら成功のようだな。"九尾"であるルナールをこれだけ操れるのならば、他の獣人など問題にならないだろう」
「やはり魔法に弱い獣人族を用いたのは正解でしたか」
「人族ならこう簡単にはいかない。レベルオーバーである獣王ですら影山程度の洗脳に屈するのだ。今のところ、この種族でなければ駄目だな。そもそも獣王の固有スキルがなくては、現在の技術では神格化が成功しない」
「とはいえ成果としては十分ですか」
配下の天使と淡々と語り合うイリアス。葉山集はその実験を興味なさそうに眺め、影山玲は壁に背を預けて腕を組んでいた。
アイザックは胡座をかいて座り込み、面倒臭そうに状況の推移を見据えている。騙されたと知ったなら即座に殴り掛かりそうな男だが、どういう心境なのだろうか。
ミレーユ、レーナ、リリス、ウルフェンはいつの間にか士道の周囲に集まり、個々それぞれが臨戦態勢に入っていた。
士道はそれらを眺めつつ、イリアスに訊ねる。
「実験だと言ったな。なら、この結果を何に利用するつもりなんだ?」
そして士道は歩き出し、ルナールのもとへ近づいていく。
イリアスは一度頷いて話を進めた。
「現状、我々には戦力が足りない。獣人族を丸ごと支配下におく術があるなら、それなりに有益だ。使い捨ての駒としては丁度良い」
「ふざけてんのか?」
「いいや。そもそも、お前らのような転移者の大半がまともに魔王を倒すつもりがないのが、この事態の原因なんだがな。……いったい女神様は何を考えているのやら」
イリアスはこめかみを抑えて嘆息しながら、
「どうだ。今からでも我々の味方につかないか? 神谷士道。かつてはお前を嘲笑ったこともあったが、今のお前は奇術師という天職を確かに使いこなしているし、有用性がある力だ。悪いようにはしない」
先ほどから妙に懇切丁寧な説明をしてくれると思っていたら、それが目的のようである。
とはいえイリアスも本当に士道が味方になるとはあまり考えていないらしい。ついでのように訊ねたのがその証左だ。
「断る。俺は、俺の為に生きる」
「……だろうな」
士道が断固たる口調で答えると、イリアスは呆れたように呟く。
そうしている間に、士道はルナールのもとに辿り着いた。
獣王により直立を強いられているルナールはその態勢を苦痛を感じているようで、耐えるような呻き声が時折響く。
『獣神』の威光に直接当てられているからだろうか。
「……あんたに、頼みが……あるんや」
掠れるほどの小声でルナールが喋った。
出来る限り感づかれないようにしているのだろう。
彼女はイリアスを睨みながら、
「一瞬だけでいい。あいつの気を、逸らして」
士道の返答は迅速だった。
「――"暗闇"」
突如。迷宮の大広間が漆黒の闇に包まれた。
光を封じる闇魔法の行使。
天井の穴から陽光が降り注いでいたものの、もともとは薄暗い迷宮の一角だ。それほどの魔力を使わずとも空間を闇に落とすのは容易い。
突然の出来事に皆が意表を突かれたことを、恐ろしく高い観察力によって確認する。
士道がルナールの頼みに応じた理由は簡単だ。
士道はギランを信用していた。彼が獣王と里を護ろうとするその意思を尊敬していた。
そんな男が一度は裏切られたはずなのに、それでも彼女を"頼んだ"と言うのだ。何か士道が把握していない事情があるのだろうと考えるのが自然だったから――そういう理由もある。
だが、士道は先ほどまで敵だった少女に即座に協力した最大の理由はひどく単純なものだった。
痛切に歪み、それでも戦う意志を抱く誇り高き彼女の瞳を見て。
自らが動けない状態で、なお一矢報いようとするその姿勢を見て。
助けてやりたいと、そう思ったからである。
たとえどれだけ困難であろうと、己が信念を貫く為に。
「――"光天"」
それから一秒も経過することなく、天使の一人が光魔法を使用。黒一色だった視界は瞬く間に眩い光に染められていく。
これに備えて片目を閉じていた士道は、開く瞳を切り替えた。
光量の大幅な変化に小技で対応していると、たった一秒の間にルナールが獣王に接近して、その背中に取り付いていた。
♢
「動けるだと……?」
『獣神』たるガレスが纏っている神の威光。"神格化"の術式――その本来の効果である"神威による人の支配"である。
これだけの神力があるなら、魔法に弱い獣人族はまとめて手中に収められるという計算がされていた。
それは間違っていなかったはずであり、ルナールは完璧にその支配下に置かれていた。
これは人間の構造的な問題であり、精神力でどうこうできるようなものではない。
影山から伝えられる『鑑定』の数値にも異常は出ていなかった。
(いったいどうなっている……?)
イリアスは怪訝そうに眉をひそめながらも判断は迅速だった。
獣王に視線を向けて指示を下すことで、虎の怪物の肉体を動かそうとする。
だが直後に、イリアスは皮肉げに笑みを浮かべた。
「……なるほど。幻術か――」
獣王に取り付いたルナールは、体に予め仕掛けておいたある術式を解除していた。
今の獣王の核を成している"神格化"の魔法陣には、ルナールによる幻術が仕込まれ、その記述を改竄されていたのだ。
本来は九本の尾を隠すためであり、英雄クサナギのもとで必死に鍛錬した常時発動型のその術式は、葉山集や影山玲すらも騙しきっていた。
あまりにも精巧なまやかしは、本物と何も変わらない。
改竄されていた内容は、洗脳された獣王ガレスの指揮権の優先順位。
それを幻術によって今まで通りに見せかけていたのだ。
つまり、今。
ルナール・リーフィアは。
神の領域に踏み込んだ怪物――『獣神』ガレスを操れる。
「ふむ。灯台下暗しとはこのことか」
カイザーを騙そうとしている自分たちが、同じ術中に嵌まるとも思っていなかったのだろう。
影山はこんなときでも冷静に頷いている。
集は『どうするんだ』とでも言いたげにイリアスに視線を送っていた。
その間にも、ルナールは動く。
「ごめんなぁ、ガレスさん。少しだけ、うちの指示に従って……!」
ルナールは訛りのある優しげな口調で獣王の毛並みを撫でると、イリアスを睨みつけて臨戦態勢に入った。
九本の尾が空気を震わせ、存在感を見せつけるように大きく展開される。獣王も戦闘態勢に入り、姿勢を低く保つ。
「……」
凄い女だ、とイリアスは思った。
"九尾"という特質を持つとはいえ、ルナールの戦闘力はその辺の冒険者より多少強い程度に過ぎない。だがその上で、イリアスは端的に彼女を評価した。
天使族すら騙し抜くその面の皮。己よりも圧倒的に強い者が何人もいる土壇場で、すべてを思惑通りにやってのけるその胆力。
その強靭な精神の根底にあるのは、彼女が尊敬するガレスと、彼が統べるあの里を護りたいという想いの強さだ。
イリアスがその純粋で剥き出しの意志に感心していると、ルナールはこれまでの鬱憤のすべてを叩きつけるかのように全力で命令を叫ぶ。
「お願いや……! あの天使を追い払って……!!」
獣王が莫大な声量で雄叫びを上げ、その牙を閃かせた。
洗脳状態ではあるが、その瞳には心なしか怒りのようなものが宿っているかのように見える。
天使達はどよめき、悲鳴を上げる者もいた。
ここにいるのは戦闘要員ではなく、多くは研究者側の天使だ。直接戦闘はあまり得意ではない者が多い。だというのに現状の獣王は、女神には届かないとはいえ確かに神の領域に達しているのだ。
そんな怪物に狙われているとなれば、動揺するのも当然だろう。
いくら戦闘に長ける天使族とはいえ理屈の上では相手にもならない。
「……」
獣王は一直線にイリアスに向けて駆けてくる。
まずは頭を殺すべきだと考えたのか。
冷静な判断。弄した策も、演技も、実行に踏み切るタイミングも、すべてが完璧といって差し支えない。イリアスは本当にルナールを認めていた。
だから。
その上で。
イリアス・ライトロードは、完成されたその策を真っ向から叩き潰す。
イリアスが行ったことは極めて単純。柄の方を向けた刃のない槍を構え、ただ魔力を込めて前に突き出す。
たった、それだけ。
『突き』という名の、動作だけなら誰にでも可能なものを、誰一人として視認することができないほどに凄まじい速度で閃かせただけ。
めき、と。
鈍い音が一瞬響いたかと思えば、その直後に凄まじい爆音が遅れて炸裂した。
ビキビキビキビキ!! と、イリアスの槍から一直線状に迷宮の地面にも亀裂が入っていく。ただの風圧。それだけでこの結果だった。
イリアスのあまりに圧倒的な突きに何の対応もできず、ぼろ雑巾のように飛ばされた獣王は、そのままの勢いで容赦なく迷宮の壁に叩きつけられ、鈍い轟音と共にそれを崩落させた。
驚くことは何もない。
少量とはいえ天使にだって神力は宿っているのだ。
こんな迷宮など容易に潰せる。
「……そん、な」
ルナールが呆然とした様子で座り込む。
最後の希望が絶たれたという表情だった。
遥か遠方まで飛ばされた獣王は、うつ伏せに崩れ落ちたままピクリとも動かない。
刃のない柄の方を向けたから死んでいないはずである。その程度の調整ができる程度にはイリアスにも余裕があった。
あれだけの恐ろしい攻撃を見せておきながら、イリアスはやはり淡々とした様子で、告げる。
「……私は、天使の長だぞ?」
一歩。
踏み込む。
おそらくはこの場において誰よりも力を認めたルナールを、その手に握り締める槍で始末するために。
「たかが神の入り口に立った者ごときが、誰よりも女神様の為に力を溜め、その寵愛を授かった私を倒せるとでも思ったのか?」
天使長。
女神の眷属である天使族の長。戦闘に長けると云われる天使族のなかで、最も強く誇り高いと認められた者。
その位置に至るまでイリアスはただひたすら槍を振るい続けた。
数千数万数十万数百万数千万と。
そこに倒れ伏すカイザー程度とは比較にならないほどに。
この身はただ、女神様の理想に殉じる道具であると。
徹底的なまでに洗練された技術は、ただ莫大な力を宿しただけの怪物に敗れるようなことは決してない。
"天使長"の称号は――そんなに生易しいものではない。
「――終わりだ、ルナール・リーフィア。大した目論見だったが、お前に我々の計画は崩せない」
もはや顔を上げる気力すらないルナールに向けて、イリアスは無慈悲に槍を構えた。
この少女は危険なのだ。いくら能力があるとはいえ、一度裏切った者を生かしておくつもりはない。
人を殺す為に異常なまでに磨き抜かれた刃が、全く無駄のない軌道に乗せられて放たれようとする。
ギラリ、と鋭い金属の光沢が輝いた。
「……ごめん。みんな――」
少女の瞳から、一筋の涙が零れ落ちる。
「――うち、みんなのこと……助けられなかった」
ルナール・リーフィアの命が奪われる。
皆を助けようという一心で、恐怖を覚えるほどの実力差の相手を欺き続けたその少女が。
尊敬している人の尊厳を取り戻したいと、ひたすらに足掻き続けたその少女が。
死の直前にあって、まだ他人のために涙を流せるその少女が。
今、力及ばすに命の火を消されようとしている。
――ある男にとっては、それだけで十分だった。
♢
気づけば、ルナールの視界には大きな背中があり、その男が纏う黒い魔導服がたなびいていた。
「…………え?」
「やはり、出てきたか」
ルナールは死んでいなかった。
何故なら、突如としてルナールの眼前に出現したその男が、イリアスの槍を剣の腹で寸分違わず受け止めていたから。
「……お前の努力は、俺が引き継ぐ」
微塵の迷いも感じさせない声で、黒を纏った奇術師――神谷士道は宣言した。
「下がってろ。お前が護りたかったモノは、俺が必ず救い出してやる」
それこそが己の信念だと、言外に語るように。




