第14話 「獣神創造計画」
――ようやくここまできた、と。
カイザー・エッフェンベルグは笑みをこぼしていた。その胸中は久方ぶりの高揚感で満ち溢れている。
天使であることに誇りを持っていた彼が"堕天"した理由は単純である。
百年前の魔王軍との戦いにおいて、数十人もの天使を率いていながら、龍魔王を相手に無様な敗北を喫したからだ。
龍魔王ウォルフ・バーゼルトはあまりにも強かった。その巨体と禍々しい外見は災厄を体現したかのようで、振るう力は山河を砕く。
カイザーはそんな世界が生み出した突然変異の化物を相手に、女神様の為と必死に体を奮い立たせて懸命に戦った。
だから、その結末に納得がいかなかったのだ。
天使長イリアスが向けた侮蔑の視線が気に食わない。無様を嘲笑する誰かの視線が憎たらしかった。
"堕天"は、一般には女神への忠誠を失った者の翼が黒く染まってしまうことだと云われているが、実際にはそんなものではない。失敗者への罰であり、女神がその手で翼の性質を変更するのだ。
必死の説得も虚しくカイザーは堕天使となって『天界』から追い出されてしまい、しかし地上では人間に怖れられて居場所はなかった。
何処へ行っても向けられる侮蔑の眼差しは、それまで天使として民に尊敬を受けていたカイザーに耐えられるようなものではない。
――どうしても、天使に戻りたかった。
その為なら何でもやった。カイザーは天使の一部隊の長を務めるほどの実力を持っている。悪魔を無償で倒したり、教会で馬鹿にされながらも女神に必死で祈ったり、禁忌とされる魔道書などにも手を伸ばし、百年間ずっと方法を探し続けても見つかることはなく、元に戻ることはできなかった。
だからカイザーは覚悟を決めたのだ。
『天界』に乗り込み、女神と直接交渉するしか手段はないのだと。
そして『天界』に入る方法は二つある。一つは女神の許可を得て遠隔で開いてもらうこと。
もう一つは、"神力"によって門をこじ開けることだ。
"神力"は"魔力"とは異なり、文字通り神が操る世界を改変する力である。神力によって刻まれた術式は魔法よりも遥かに強く、希少性が高い。神族を除けば、ほんの少し天使や勇者に宿っている程度に過ぎないものだ。
カイザーは後者の方法を実行するしかない。
交渉を成立させるだけの戦力を手に入れた上で。
その為の術式は、ライン王国で足掛かりを手に入れた。
王都ラインハルトの中央に君臨する城に忍び込み、召喚されたばかりの勇者ジンを叩き潰す形で。
――勇者光臨陣。
それは、勇者として光臨した五人に、通常の転移者とは異なる力を与えている。端的に言えば、"神力"を付与しているのだ。僅かながらも神に近づき、それが勇者たる神聖さの証となっている。
カイザーが狙いを定めたその魔法陣は見事に当たりだった。
勇者光臨陣を基にして"神格化"の術式の研究を開始する。
渡りに船というように、転移者である葉山集と影山玲の二人が興味を示し、研究に協力した。
女神との交渉後には迷宮攻略に協力させる契約を交わして、超級冒険者のアイザックとも手を結んだ。何かを企んでいるようだが、所詮は戦うしか脳のない冒険者である。後でどうにでもなる、
集や影山から聴く異世界の技術なども参考にしながら、"神格化"の術式を造り上げるために黙々と改良を続けた。だが、ついには神に至るほどの神聖さを付与する術式を造ることはできなかった。
せいぜい勇者よりも少し神力が強い程度だ。これでは神には至れず、『天界』の門を開くことができない。
そう思って、絶望した。
しかし。
「獣王の存在を利用できるじゃないのか? もともと神の領域に近づくような固有スキルを持っていたはずだ」
集の意見が天啓だった。
彼の『鑑定』を借り、そのスキルの詳細を調べた結果、"神格化"の術式を調整して上手く波長を合わせれば、理論上は女神すら越える神力が手に入る。
カイザー本人が神に近づくわけではないので当初の目的とは少し外れたが、この術式に洗脳効果を含めることにより獣王の制御さえ可能にすれば、女神への交渉材料になることに変わりはない。
洗脳を施す作業の途中、獣人屈指の実力を持つルナール・リーフィアに勘付かれて襲撃を受けたが、
「この里がまとめて消えるのと、獣王一人が私たちの支配下に入る。どちらがいいかぐらいは分かりますよね?」
その一言で抵抗はできなくなった。なまじ里で最も強いからこそ、カイザー達との実力差が分かってしまうのだろう。
束になってかかっても、殺されるだけだと。
ルナールはギラン達を殺させないために、いまやこうして計画に協力している。戦士団の生死などに興味はないので、ルナールの戦力を味方につけられるなら見逃すことに吝かではなかった。
カイザーが集めた四人は世界でも屈指の実力者たちだ。
だが、たまたま計画実行のタイミングが神谷士道のパーティが訪れたときと重なってしまった。
そのおかげで戦力的にはギリギリになってしまったが、しかし影山の『霊体化』を利用してガレスに洗脳術式を前もって仕込み、万全を期していたおかげで獣王は確保できるだろうと判断した。
そして時は現在に回帰する。
フォーマットが似ていた『樹海迷宮』の転移魔法陣を利用して完成させた強化魔法陣――"神格化"。
その造形美を眺めて口元を歪めながら、カイザーは獣王が眠る馬車の前に降り立った。
「……こんにちは。一応お尋ねしますが、獣王を素直に引き渡してくれるなら、危害は加えませんが、どうします?」
「ふざけないで……!」
眼前に佇むのは煌めくような銀髪を束ねてサイドテールにしているハーフエルフの少女。可愛らしい顔立ちに華奢な体つきは、とても戦闘に長ける者だとは思えない。
とはいえ、ピレーヌ山脈の一件は独自に情報を掴んでいる。
龍魔王の器をそのまま剥ぎ取ったのが、この少女だったはずだ。
「……龍魔王への敗北は私の力不足ゆえ。恨みはありませんが、これもまた女神様の導きか」
もとより、カイザーが"堕天"した理由は龍魔王に敗北したことにある。そのことを恨むつもりはないが、殺すべき場面ではある。獣人族でないのなら、ルナールの怒りも買わないだろう。
リリス本人の詳細は不明だが、並の人間に魔王の力など使いこなせるはずがない。戦闘において最も重要なのは力の強大さではなく、その振るい方である。
たとえリリスがどれだけの力を手にしていようが、それに振り回されるのでは意味がない。
堕天使として数多の戦争を潜り抜けてきたカイザーは、そんな少女に倒されるほどの軟弱者ではなかった。
対するリリスは苛ついたように、
「どいつもこいつも、魔王がどうこうって……。あたしにはリリスって名前があるのよ」
「ほう。今のあなたに、魔王の力を手にしたハーフエルフ――それ以上の価値があると思うのですか?」
「……当たり前でしょ」
「……何?」
「あたしはあたし。リリス・カートレット。禁忌の存在でもなく、魔王の力を持つ者でもない。そうだということをシドーが教えてくれたし、そう在るように生きていく」
その瞳には力強い光がある。カイザーとの力量差を何となくは自覚しているだろうに、退くつもりはないようだった。
「……戯れ言ですね」
カイザーは背に抱えていた槍を取り出した。
三本に分かれた刃と長めの木製の柄。フォークにも似ている形状。ギラリと光る穂先は、その鋭さを端的に示していた。
天使族は槍を得意としている者が多い。
カイザーもその例に漏れず、常に槍を武器に戦い抜いてきた。
「……さあ、行きますよ」
「舐めないでっ……!」
リリスの右手に莫大な魔力が収束し、その直後に極光が放たれる。
龍魔王が得意としていた『魔光線』。
懐かしさすら覚える眩さだった。
翼を羽撃かせたカイザーが悠々と躱すと、彼の後方にある迷宮の壁に炸裂して爆音が発生する。
リリスが歯噛みするのを横目に、カイザーは戦力分析を進めていた。
(……この程度か)
確かに威力は凄まじい。頑強な堕天使の肉体を持つカイザーでさえ直撃すれば、ひとたまりもないだろう。
しかし翼を使って変幻自在に回避行動を取るカイザーを、あの程度の命中精度で捉えられるはずがない。
「まだよ!」
リリスが叫ぶ。
次々と『魔光線』が放たれるが、掌から直線状に放たれるそれの軌道はひどく分かりやすい。
カイザーは危なげなくそれらを回避すると、極光の間隙を縫うようにリリスに肉薄した。
地面を踏み鳴らして着地。衝撃で浮かび上がった砂が辺りに舞う。
カイザーは驚愕の眼差しを向けてくるリリスを嘲笑うように、腰だめから突きを放った。
リリスのレベルは低く、しかも遠距離を得意としている魔術師だ。残像すら見えるほどのカイザーの突きに対応できるはずがない。
そう思っていた。そして実際にそうだった。
だがリリスの命は終わらない。
「――なっ」
何故ならば、カイザーの目の前に。
突如として奇術師が出現したからだ。
「よう」
『瞬間移動』で割り込んできた士道が剣を薙ぐ。鋭い剣閃は甲高い金属音を響かせてカイザーの槍を弾いた。
カイザーは不意を打たれて驚きながらも咄嗟に後方に飛び退く。
その瞬間。
「――"火炎地獄"」
集が放った灼熱の火炎が士道の周囲を焦土に変えた。
カイザーが後ろに下がった直後の出来事である。
そう、士道がリリスのピンチに駆けつけると分かっているのなら、予測を立てることもまた容易なのだ。
集は士道が目の前から消えた瞬間、リリスのもとに火魔法の術式を構築していたのだろう。
「おっと」
カイザーが後方に飛んだのはそれも計算に含めていたからだが、予想よりも威力が大きい。危うく巻き込まれそうになった。
対する士道は咄嗟にリリスを優しく投げ飛ばし、自身は『瞬間移動』を行使して危険域から離脱している。
「……あの固有スキル、予想以上に厄介ですね」
カイザーは苦々しげに呟く。
アクアーリアで上位悪魔を討伐し、ピレーヌ山脈の戦いで生き残っただけの実力はあるようだ。
しかし。
「動き的にはせいぜいレベル90程度……控えめに見積もっても、すでに残存魔力は三割を切っているはず」
それを考えれば、そこまでの脅威とはならないだろう。
そもそもカイザーにとっての勝利条件はあの奇術師を倒すことではない。馬車より獣王を回収し、迅速に魔法陣に適用することだ。
そこまで思考を巡らせたカイザーは士道を再度集に任せ、いまだにめらめらと漂う炎を掻い潜り、馬車の幌を開いた。
その中に展開されている高度な結界を槍で突き破る。
張られている結界は外界との遮断を重要視した構造だったらしく、衝撃には弱い。ガシャ、とガラスが割れるような音が響いた。
馬車のなかには苦しそうに呻く獣王ガレスが横たわっている。
この病気のような症状は、これまで『霊体化』した影山が背後で密かにかけ続けていた簡易な洗脳術式の副作用である。
すでに命令には従うようになっている。それは昨日の夜に確認済みだ。よって素早く回収する。
ちなみに影山が洗脳を含めた多少の無属性魔法が使えるのは、自身の固有スキルとの相性が良いと考え、転移直後から鍛えていたからである。
「……お、前……っ!!」
「ほう。まだ意識があるのですか」
カイザーは感嘆して息を吐いた。ガレスは汗を大量にかき、苦渋に表情を歪めながらも、意志のある眼光でカイザーを睨みつけている。
流石は虎獣人のレベルオーバー。獣人族の長である。とはいえ、身体までは動かないようだ。先ほどから何度も足掻こうとしているが、それすらままならない始末である。
「獣人は魔法に弱い。これは単なる事実です。特に、これは生粋の獣人――獣に近い者ほど、その傾向が強くなる」
「だ、が……そんな簡単に、こん、な……複雑な、術式に引っかか、るのかよ……?」
「一ヶ月」
「……?」
「あなたに、洗脳術式をかけ続けた日数ですよ」
「なっ!?」
ガレスは目を瞠って絶句した。だが、直後に昨夜の襲撃者の一人である影山玲の固有スキルについて思い出したのだろう、目には納得の感情を宿らせていた。
「まあ本来なら、会話をできる状態にすらならない完全催眠状態まで持っていくつもりでしたがね。あのハズレ術師のおかげで、計画を早めざるを得なかった」
「……計画、だと……?」
「『獣神創造計画』。私はそう呼んでいます。感謝しなさい。あなたは我らの礎となり、力だけとはいえ神の領域に昇れるのです」
「俺を……神にして、操る……。なるほどな、そういう、ことかよ」
「……お話は終いです。ハヤマの時間稼ぎもそろそろ限界が近いらしい」
カイザーは戦況を監察しながら、ガレスの体を引き上げる。
乱雑に肩に担ぎ、そのまま翼を羽ばたかせる。
「待てっ……!!」
士道が焦ったように声を上げるが、やはり集に阻まれ、動くことができない。残存魔力量を考えて残り数回しか使えないだろう『瞬間移動』の行使にも慎重になっている。
「お父さん!!」
だが、そこで別の人物が動いた。
『霊体化』する影山玲に対して、鋭敏な五感を利用して対抗していたレーナ・ランズウィックが張り裂けそうな叫びを上げて、カイザーに向けて駆け出していく。
「愚かなものです」
カイザーはその行いに嘲笑した。敵に背を向けるのは愚者の行い。それが影山ともなれば尚更だ。レーナが影山に対抗できていた理由は、ひとえに鋭敏な五感を保つ集中力があってこそである。
それを切らしてしまえば、あまりにも簡単に均衡は崩れる。
カイザーのそんな予測は、予想外の者によって裏切られる。
「そこだ!!」
リリスの『魔光線』が飛ぶ。
士道によって遠くに投げ出されていたリリスはその位置から動かないまま、レーナのすぐ背後に向けて砲撃を放った。
見えてはいないはずだが、予測していたのか。
影山は直撃しかけて慌てたらしく、光線を掠めた程度の位置に姿を現す。服が破けているが傷はなかった。
存外あのハーフエルフも読みに長けるようだが、もはや関係ない。
その一瞬の攻防の間に、ガレスを担いだカイザーは魔法陣の上に辿り着いているからだ。
「我々の勝ちです。ハズレ術師よ」
――魔法陣が輝きを放った。
♢
ギラン・ヴァレオスは天を仰いでいた。
九本の尾を解放したルナールに対して、戦士団は無力。皆が倒れ伏し、いまだに立っているのは長であるギランただ一人である。
「……ルナール」
しかし。
そこには、悲劇がなかった。
「もう、分かったんだよ。お前に、俺たちが殺せないことぐらい」
戦士団の面々は、皆辛そうに呻き声を上げているが、誰一人として死んでいる者はいない。
これだけ実力差が開いているのに、そんな偶然があるわけがない。
何より。
最も辛そうにしているのが、攻撃を加えているルナール本人なのだから。
彼女は必死に平静を保ち、余裕の笑みを見せようとする。
最早、その立ち姿が哀れだった。
「……うちが、そんなことあるわけ……」
「あるだろ。……別に、否定することじゃねえ。単にお前が、同じ里の仲間を、殺したくねえって、そう思ってるだけなんだからよ」
刃を通じて、彼女の気持ちはよく伝わってきた。あまりにも優しい打撃が、傷つけたくないという意志を如実に物語っていた。
最も辛い思いをしているのがルナールだということがよく分かった。
ならば、ルナールが感情を押し殺してまで、堕天使に協力している理由は何なのか。
「……教えろ!!」
そう叫びながら、大地を蹴ってルナールの懐に飛び込む。当然、九本の尾がギランを弾き出すように振るわれたが、ダメージを無視してさらに踏み込んだ。殺すつもりがないと分かっているのなら、避ける必要性も感じない。
精神力さえあれば、立っていられるということなのだから。
「お、おおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
激痛が脳内を支配する。だが退かない。退くわけにはいかない。
里を、その仲間を、愛していながら裏切るしかなかった馬鹿野郎を拘束するために。
そして。
彼女をその道に縛り付けるクソったれな理由を粉砕するために。
あと一歩。
痣だらけの手をルナールに伸ばし、ギランは説得力を試みたが、
「……ごめんな、うちにはまだやるべきことがある」
ゴッ!! という鈍い音が炸裂し、ギランは地面に叩きつけられた。
(足が……動かねぇ……っ!!)
ギランは己の無力に怒りを覚える。目の前でこんなに辛そうにしているこの少女を、救ってやることすらできない。
伸ばした手が地に落ちる。なぜ落ちる。どうして戦えない。
どうしてお前は――
「……ル、ナール……」
彼女はそっとギランの頬を撫でた。
「……うちね、この里が好きやから。どうしても、この里を護りたいから。まだ、倒れるわけにはいかない」
――傷つけて、ごめんなぁ。
悲哀の瞳をしたルナールが消え入りそうな声音で、言葉を放った。
直後。
苛烈なまでの輝きが大部屋を埋め尽くす。
「……魔法陣。起動したなぁ」
"神格化"の術式が起動する。その上で洗脳効果を受けた獣王が固有スキル『神獣化』を行使。二種類の能力が作用して、ガレス・ランズウィックは莫大な神力を付与され、神の領域へと近づいていく。
金色に輝く光の奔流が、とぐろ状に渦を巻いて鎌首をもたげた。
――『獣神創造計画』がついに終了段階に移行する。




