第13話 「赤鬼」
ギラン・ヴァレオスは苦渋の表情を浮かべていた。
彼が率いる二十人もの戦士団の精鋭は、いまだ一人の女を相手に傷一つ与えられていない。
「ルナール……っ!!」
その名を呼ぶと、豊満な肉体美を持つ狐獣人の女は薄く笑みを浮かべる。
ギラン達の攻撃に対処しているのは、階段に腰掛けて足を組む彼女の背後から飛び出している、長大な九本の尾。
禍々しさすら感じ取れるそれを、ギラン達は見たことすらない。
「力を隠してたな……!」
ギランの印象では、ルナールは普通の狐獣人だった。旅好きで、あまり皆に顔を出さない変人ではあったけれど、それでも里が困窮しているときには交易手段を見つけ出し、誰かが困っているときには率先して手を貸していた。だから、同じ里の仲間であると信じていた。
だというのに。
今こうしてルナールは、獣王を利用して何らかの計画を立てている堕天使達に味方している。
目の前にあるその事実を、許容することにひどく時間がかかった。
しかし。
ギランの立場としては許すわけにはいかない。
そういう決意を込めてギランは視線を送ったが、ルナールは僅かに動揺して、何故か自身の『九本の尾』に目をやると、
「……?」
「うちとしては、別に隠すつもりはなかったんやけどね。……でも、怖かったから」
「……?」
消え入りそうな声音だった。
ギランはルナールの口調に違和感を覚えて眉をひそめる。
彼女が持つ九本の尾はそれぞれが異様に長く、動きも鋭い。まるで手足のように自在に使役している。
戦士団の面々は尾に阻まれ、近づくことすらできずにいた。
(……強いな。『紛争地帯』を旅できるぐらいだ。そこそこの実力があるのは知っていたが……まさか戦士団の精鋭揃いですら圧倒できるとは)
思考を回しながらギランは剣を振るが、ルナールの小麦色の尾は、剣の軌道に合わせるように柔軟に曲がっていなしていく。魔力による防御の壁もあり、なかなか斬り裂くことができない。
加えて剣を振り抜いて隙だらけの態勢のところに、尾がぐるりと回転してカウンターを放つのだ。まるで軌道が予測できない。本能的に反応したギランは辛うじて左腕で受けるが、思い切り後方に飛ばされた。
腕にビリビリと鈍痛が響く。
ちらりと周囲に目をやれば、士道やミレーユも奮戦していた。
部外者である彼らが主戦力になっていることは、悔しさと申し訳なさが入り交じるような気持ちだが、それでも自分らの無力は受け入れなければならない。受け入れて、その上でなお前へ進むしかないのだ。
だから、獣王ガレスを助けるためなら、ギランは彼らをいくらでも頼る。後でどれだけ頭を下げることになっても。
今は彼らを信じるしかないのだ。
「散開しろ! 包囲して隙を窺え!」
戦士達に指示を出しつつ、ギランはかつての仲間に刃を向ける。
◇
神谷士道と葉山集。二人の戦いは明らかに士道が優勢だった。
その要因としてはまずレベル差。
士道の方が明らかに身体能力が高く、ステータスで上回っている。
次に魔力量。
魔術師である集は士道の攻撃に対して常に魔法で対処しなければならないが、剣を主体として戦う士道は固有スキルや魔道具を節約していて、あまり魔力を消費していない。
このまま時間が経てば、いずれ集の魔力切れによって戦闘が終わるだろう。士道は危なげなく立ち回り、固有スキルを発動せずとも集と渡り合えているのだ。
確かに集の火魔法は一流だが、それでも数々の怪物との戦いによって研鑽されてきた士道には届かない。
互いに実力があるが故に、その実力差は如実に現れた。
しかし。
「――っ!」
「フン……」
その表情は真逆だった。
厳しい表情をしているのが士道で、平然としているのが集である。
その理由は、
「焦りすぎだ」
断言。
集に近づけば近づくほど魔法の密度が厚くなる。士道は対処しきれずに後方に飛び退った。ズザザと足を滑らせながら、士道は再び剣を構えて突撃していく。
士道が焦っている理由は単純だ。
この戦場では複数の戦闘が勃発しているが、宙に佇む堕天使カイザーが動いた場合、対応できる人員がリリスしかいない。魔王の力を掴み損ねている彼女では不安が残るわけだ。
下手を打てば獣王の身柄を奪われてしまう。
(とはいえ……こいつを突破できなくては意味がない、か)
士道は方針を転換した。
敵の目的を探りつつ、集の突破口を探す。そのために会話を振る必要があるが、集の目的はおそらく時間稼ぎなのだから、魔力を消費せずに済むことには確実に応じてくるはずである。
「……あの術式、"神格化"か。詳細がよく分からんが……」
「……フン。魔法陣を『鑑定』したのか。女神様が構築した『システム』の範囲外だからな。名前ぐらいしか分からんだろう」
「で、それと獣王に何の関係がある?」
「……そうだな。なに、簡単な話だ」
集が士道の考えを見抜き、その上で時間稼ぎのために返答しようとしたが、その前に頭上から横槍が入る。黒い翼をはためかせる堕天使カイザーは、自慢げな笑みを浮かべながら流暢に語り始めた。
「私は、女神様に認めさせたいのですよ。私の存在を。力を。忠誠を。……そのためにさまざまな手段を講じてきましたが、どれも"堕天"から回帰することはできなかった」
(……なるほど。天使に戻ることが目的か)
天使が神聖で敬うべき存在であるとされているのに対して、堕天使は悪魔と同列に語られる悪の象徴である。
元に戻りたいという願望も理解できるものだ。
士道が視線で続きを促すと、カイザーは機嫌良さそうな調子で、
「だから、こうなっては多少強引にでも、女神様に我々を認めさせるしかない。……獣王はその交渉材料ですよ」
興奮しているのか、カイザーの声は大きい。この戦場にいるほとんどの者に聴こえているだろう。
「獣王が持つ『神獣化』の固有スキルは、"神力"を身に纏うことにより、己の肉体を神の領域に近づけるものです。その状態でさらに、私が何十年と探し続けたこの"神格化"の術式を重ねれば、神にまで辿り着き――あるいは女神様にすら倒すことが可能になる。……もちろんそんなことはしませんが、これだけの力があれば、交渉には十分でしょう?」
「……それは、反逆じゃないのか?」
「近いかもしれませんね。しかし、最早これしか手段がない。多少強引でも、なに、女神さまならきっと分かってくれます」
「……」
「……ようやくだ。ようやく私は天使に戻れる」
隠し切れない笑みがカイザーの口元を歪めている。
彼は士道を横目に、
「さて、ハズレ術師でしたか? 貴方がたのおかげで過剰だったはずの戦力がギリギリになってしまったらしい。私が直接獣王の確保をするしかありませんか」
そう言って、黒い翼を羽撃かせる。
士道は舌打ちする。意図していないところでカイザーを動かしてしまった。こうなっては集を一瞬で排除して奴を止めるしかない。
「リリス! 気をつけろ!」
士道は仲間に警告を叫ぶ。
リリスは緊張した面持ちだが、馬車を守るように立ち、戦う意志を見せつけている。
しかし、その手が震えていることを士道は見逃さなかった。助太刀したいところだが、集が許すはずもない。
「フン。さて、第二ラウンドだ」
魔術師が杖を向ける。いくつもの火の玉が周囲に出現した。その瞳には油断も隙もない。士道の方が強いことを率直に認め、攻撃を防ぐために魔力を惜しみなく使う構えだ。
おそらくこちらの考えは読まれているのだろう。
相手の狙い通りだとしても、士道は短期決戦を狙うしかない。
その為に本気を出す。
「……行くぞ」
◇
「――掴んだぜ」
アイザックの言葉の不穏な響きに、ミレーユは眉をひそめる。
「何をです?」
「テメェの魔力の"色"を」
「へぇ――」
ミレーユの理解は迅速だった。"色"というのは比喩である。要するに、周囲に散布されているミレーユの魔力と、もとから空気中に佇んでいる魔力の区別がつけられるようになったのだろう。
"支配領域"は周囲に魔力を薄く広げることにより、その範囲内を漂う、どの魔力を起点にしても術式を構築できるという超高等技術の魔法である。もはや彼女の固有術式と呼んで差し支えない。
要するに、アイザックの上下左右どこからでも魔法を撃てる。
アイザックが『金剛』を使用し続けた理由は、これを躱すことが不可能だったからだ。
しかし直後に戦況が一変する。
言葉の通り、アイザックはミレーユの魔法発動の予兆を視認して、その魔法を回避するようになった。
一瞬にして数十の魔法が起動しても、アイザックは巨体に似合わぬ素早い動作で次々と切り抜けていく。体の使い方をよく理解している動きだった。そうして、アイザックは愉しそうに笑う。
『金剛』を使うまでもないと言うように。
「……テメェの代名詞。"支配領域"は何度も見てきたからな。判別も容易だぜ」
アイザックは牙を剥き出しにして笑う。
対するミレーユは目を細めた。
「なら……躱してみるのですよ」
その言葉の直後、ミレーユはアイザックの右側に術式を起動する。
その予兆を見たアイザックは回避行動に移ろうとするが、
「チッ……フェイクか!?」
魔法は発動しなかった。ミレーユは立て続けに手を動かし、アイザックの周囲を埋め尽くすかのように、数百もの魔法を起動する。そう思わせた。
これだけの魔法を惜しみなく使用すれば、いくらミレーユとはいえ魔力はすぐになくなってしまうだろう。つまり、起動した魔法の大半は偽物である。
だが、アイザックには両者を判別する術はない。よって躱せないと判断したのか『金剛』が使用される。
鋼のように硬くなったアイザックの体に向け、予兆を見せた全体のうち二割ほどの本物の魔法が炸裂していく。
どれもが精密で高威力な術式。それでも当然のようにアイザックは無傷である。とはいえ、彼が編み出した対抗策は叩き伏せた。
ミレーユが冷静に思考を回転させていると、アイザックがパキパキと首を鳴らしながら、
「腕が鈍ってねえようでなによりだぜ」
「あなたこそ……『魔界』でボコボコにされてから、不貞腐れたと聴いていたのですが」
「間違いでもねえな。確かに金が良い依頼ばっかり受けてたのは否定しねえ。つーか、それに関係してるからな」
「……?」
「『魔界』の最奥にある世界最悪の大迷宮『奈落』。その入り口までは辿り着いたんだがな。……ありゃ、別格だ。『魔界』なんてもんじゃねえ。何もかもが桁違いだ。逃げ帰ったって評判も別に嘘ってわけじゃあねえ。潜るには、相応の面子がいるってんだよ」
「へえ。貴方が迷宮を前にして潜らないなんて、初めて聴いたのです」
「それほどってことだ。お前も超級だろう。オレの言ってる意味が理解できるはずだ」
アイザックは真剣な声音だった。長年の付き合いだが、彼は嘘をつくような人間ではない。
「……堕天使に協力している理由はそれに関係しているのです? アレは女神への忠誠がどうとか言っていましたが」
「さぁな。奴の目的なんか興味がねえよ。どうでもいい。オレは"神格化"させた獣王の力を見て、手駒になると思ったら力ずくにでも連れていく。そのためにここにいるだけだ」
カイザーはこの考え方を知っていて、この男を引き連れているのだろうか。だとすると中々に大きい器である。
冒険者の本懐。迷宮の攻略にしか興味がなく、常に強引。何もかもが力ずくで周囲の意見には興味を持たず、やりたいことだけをやり、弱者には目もくれず強者を捩じ伏せ、そして利用して踏み潰す。
それこそが"赤鬼"のアイザック。
「……なるほど、貴方らしいのです」
その堂々たる、あるいは開き直った立ち姿を見て、かつて共に戦った伝説の四人組パーティの一人は小さく笑った。
「ハッ。どうやらカイザーの野郎が動き出したみてえだな。あのハーフエルフ、テメェの生徒だろ? 心配じゃねえのか?」
「……そうですね」
ミレーユは逡巡してリリスの方をちらりと見やり、そして決断した。
「あなたに提案があります」
「……ほう?」
「マティアはいないけれど……かつての超級のパーティを復活させましょう。『奈落』の攻略には私が協力するのです」
「……へえ。だが、テメェだけじゃ足りねえぞ」
アイザックはひどく怜悧な顔をして目を細めた。
ミレーユとアイザックはかつて一緒のパーティにいた。たった四人の小さな集まりだったが、誰もが強く、数々の迷宮を踏破してきた。
そして、史上初の"超級"冒険者という立ち位置を手に入れた。
「私がエリックを説得するのです。だから獣王は諦めて、手を貸してください」
「……悪いな。そいつはできない相談だよ。俺はもうお前らとは組めねえよ。マティアが死んだときに、お前らは別の道を行ったはずだろう」
だが、超級は現在、世界にたった三人しかいない。
つまりは同じく超級になったはずの一人が、迷宮の奥地で物言わぬ骸と化しているのだ。
「……どうして!?」
「テメェはもう塾の先生で、エリックの野郎は人々の導き手だ。オレとはもう違ぇんだよ。決定的に。だからオレはオレの手駒を集めて勝手にやる。分かるか? 欲しいのはパーティじゃねえんだよ。…………その条件に合致にした者の一人が、神格化した獣王ってわけだ」
「相変わらず身勝手な男なのです……!」
「ああ、まさにその通りだ。テメェの道の邪魔になろうが、オレの邪魔はさせねえぞ」
会話はそこで途切れた。
二人の怪物は再び正面から衝突する。