第12話 「二人の超級冒険者」
ポタリ、と。
紅い雫が滴り落ちる。
「……き、さま」
「甘く見ないでほしいですね」
突如として、レーナの背後に現れた襲撃者。だが、彼が持っていたはずの大振りのナイフは、レーナの体術によって刃を返すように捻られて、彼自身の腹に突き刺さっていた。
レーナが追撃を加えようと鉤爪を振るうが、襲撃者たる中年の男は再び、先ほどのように完全に姿を消し去った。
おそらくは固有スキル。士道の『瞬間移動』に近いものだろうか。
(いや、これは――)
答えを出す前に、レーナの数メートル後ろに突然気配が出現した。
足音とも呼べないほどに僅かな揺れが、レーナの鋭敏極まりない五感を反応させる。
後方を見向きもせずに横に飛び、投げられたナイフを回避。同時にレーナの推測が確信に至った。
(間違いありません。転移してるのではなく、姿を消してる。ただ透明になるだけではなく、気配も含めて。だとするなら、この男のスキルは……『霊体化』といったところですか)
躱されても二度目は驚かずに厳しい顔つきでこちらを観察する、幽霊のように存在感が希薄な中年の襲撃者。
その腹部からは少しずつ血が流れ出しているが、筋力で無理やりせき止めているようだった。
「……ふむ」
「姿を消せる程度で、わたしの知覚を騙せるとは思わないことです」
思い返せば、カイザーや葉山集が突然魔法陣の上に現出したことも、この男のスキルが関係しているのだろう。
『転移魔法陣』はもう機能していないのだから、別の要因が必要なはずだ。
(ただ……)
レーナが攻撃に移ろうと僅かに膝を屈めると、その殺気を感じ取ったのか、男は再び空間と同化して姿を消す。
(こうして消えている間は、気配すら感じ取れません。わたしの知覚があれば致命傷を受けることはなくても、決め手がないのが問題ですね)
戦闘は、膠着状態に入った。
◇
「――隙だらけだぞ。奇術師」
肌が粟立つような感覚。
士道は反射的にレーナの方を振り向いてしまった自分に舌打ちしながらも、『瞬間移動』を行使した。
すでに大友との戦いで磨り減っていた魔力がさらに削られ、前方に"火炎弾"を放つ集の後方に出現する。
咄嗟だったので転移先のイメージが甘かったらしい。予想していた集の背後よりも、数メートル離れた位置に転移している。
鋭く息を吐き、思考を切り替える。
意識的に冷静さを取り戻した。
士道は"風槍"を使い、数本の真空の刃で集を襲わせる。
対する集は振り向くことすらしなかった。
ぐるん!! と、集の前方に放たれたはずの"火炎弾"が、見えない壁に当たったかのように後方へと方向を転換する。
あまりにも無理やりな軌道。それは魔術師の技量を示している。
ゴォッ!! という凄まじい音と共に、"火炎弾"は"風槍"と相殺して魔力を吹き散らした。
荒れ狂う風と熱波で白いローブをたなびかせる集は、悠然とした態度で士道の方に振り向く。
「……フン、『瞬間移動』か。相変わらず厄介なものだ」
「……大友に、俺のスキルを教えたのはお前だな」
「それがどうした。恨むつもりなら筋違いだぞ」
「別に。ただの確認だよ。……というか、そもそも奴はどうしたんだ。あの男みたいに不意打ちでもさせるつもりか?」
奇襲を仕掛けようとしてレーナに逆手に取られ、逆にナイフを刺された中年の男。姿を消している彼と戦っているレーナの方を見ながら、士道はそう尋ねる。
集は鼻を鳴らすと、そちらの方向を振り向かずに言った。
「……影山さん。まだ行けますかね?」
「ふむ」
虚空から声が聴こえ、人型が実体化していく。
影山と呼ばれた男は頷いただけだったが、それだけで彼らの意思疎通は完了したようである。
影山の姿がすぅっと景色に溶け込み、あまりにも自然に消えていく。
透明化する類いの固有スキルだろう。
影山という名前の通り、彼は転移者だろう。
大友に続いて、まだ厄介な敵がいるようである。
大友の行方は分からないが、警戒しておくに越したことはない。
彼の武器である小銃は、むしろ遠距離から狙い撃つことの方が本領であるように見える。
姿を消した影山と猫耳を動かして耳を澄ますレーナが再度戦闘態勢に入ったのを横目に、士道は尋ねる。
「しかし転移者が三人も揃って、堕天使に協力している理由は何だ?」
「知りたいか?」
集はそう言って、宙に浮かぶカイザーの方角をちらりと見た。
この距離なら会話は聴こえない。それを確認したかったのか。
「あれだけ女神を崇拝していたお前が、女神への忠誠を失くしたって云われてる堕天使に協力する理由が思い浮かばないんでな。まさか、当初の目的も捨てたのか?」
「……なら、逆に貴様が獣人どもに協力している理由は何だ?」
言葉を交わす間にも、じりじりと互いの姿勢が入れ替わる。
「別に大それたことじゃない。友達の父親が倒れたから、手を貸しているだけだ。見過ごす理由はないしな」
「……フン。変わらない奴だ」
集はほんの僅かに笑った。口元の微細な変化は、ひょっとすると本人も気づいていないかもしれない。
「……なら、お前は変わったんじゃないのか、葉山。実を言うと、俺はお前は嫌いじゃなかった」
「ほう? 好かれるようなことをした覚えはないけどな」
「女神に恩を返すって、その一つの目的の為に邁進していたから」
「……」
「……玄海さんの死を受けて、その先でお前が何を考えたのかは知らない。けどな、力を振るう目的も忘れるほど変わってしまったのなら、俺はお前を過大評価してたみたいだよ」
士道は古賀玄海を尊敬していた。
その玄海が、己の命を懸けて集を救い出したのだ。
この先の未来を、若い者たちに託したのである。
その期待を台無しにしたくはない。
だが、それでも士道が進む道の前に立ち塞がるのなら、容赦をするつもりはなかった。
「……いや、僕は、何も変わっていないな。それが良いことなのか、悪いことなのかは、僕には分からない。……だけど、決して変われない。僕は、本当の意味での『女神の使徒』であり、そしてそう在り続ける」
「……」
「……今でも僕の命に、あの人が命を張るほどの価値があるとは思えないけどな」
集は自嘲気味に首を振り、肩をすくめる。
だが杖を握るその手は、硬く握り締められていた。
「……それでも、あの人は僕と貴様に未来を託した。なら、その責はこの背中に背負って生きていかなければならない。……僕なりのやり方で、新たな未来を紡ぐために」
つまりは女神の配下として働き、戦争を引き起こそうとする魔王軍を討ち滅ぼし、平和な世界を手に入れる、と。
「……そうか。良い覚悟だ」
士道は僅かに目を細めた。
その身から、重い威圧が放たれる。
「だがな、その"僕なりのやり方"ってヤツが、堕天使に協力して罪のない獣王を利用することだって言うのなら……」
士道は強く、硬く、剣を握り締めた。
眼前の敵に覚悟を見せつけるように。
「俺が、お前を斬る」
◇
ミレーユ・マーシャルは風の魔法を精密に操作して、風圧により自身の体を後退させながら、並列作業で水を生み出し、ナイフ状にそれらを凍らせながら射出していく。
僅か一瞬の出来事。恐ろしいほどの魔法技術。
さらりとこなしているが、これを同等レベルでこなせる魔術師は、せいぜい不死魔王リーファ程度しか存在しない。
「甘えよ!!」
だが、眼前に君臨するのはそんな研ぎ澄まされた技術を持つミレーユと同格の超級冒険者。伝説の領域に足を踏み込んだ赤髪の鬼である。
固有スキル『金剛』。
突貫してきたアイザックが立ち止まると、その肉体が鋼のようにビキビキと固まっていく。その色が銀色に染まり、光沢が浮かび上がった。
そのまま膝に手をついた状態でミレーユの氷の刃を待ち受ける。
ギャリリリリッッッ!! という耳をつんざくような音を鳴らしながら、氷のナイフか弾かれていく。
ミレーユの攻撃が止むと、アイザックは元の色に戻る。
その肉体には傷一つなかった。
「はは!! テメェも転移者に手を貸してんのか!? どういう事情かは知らねえが、またパーティなんて組むとはな!」
「……そういう貴方は、金さえあれば仕事を選ばないようになったっていう噂は本当みたいなのですね……!」
ミレーユは歯軋りした。アイザックは同じ超級冒険者。その実力は嫌というほど知っている。
士道と今戦っている魔術師も、天に君臨する堕天使も、共に一線級の覇気を放ってはいるが、明らかにこの男だけは格が違った。
「ハッハァ!!」
アイザックは牙を剥き出しにして笑みを刻むと、爆発的な速度でミレーユに肉薄する。彼が構えている武器は金属製の大槌だ。己の肉体ほどの巨大さを誇る武器を軽々と扱う筋力には、戦慄すら覚える。
ただでさえ種族として圧倒的な身体能力を誇る鬼族。その特性に加えて、あの男は尋常ではない量の筋力トレーニングを欠かした日はなかった。きっと、今もそれは変わらない。
ミレーユは脳内で切れる手札をいくつかピックアップ。そして即座に切り札の行使を決断した。逡巡している暇はない。
「"支配領域"」
己の切り札を解放する。
莫大な魔力が周囲に散開した。
ついでのように同時発動された幾重もの障壁がアイザックの動きを阻んだ。握力だけで破壊されるが、一瞬動きを止めるだけで狙いをつけるには十分である。
「"乱射岩砲弾"」
ゴガガガッッ!! と凄まじい音が連続する。ミレーユはその音だけで『金剛』が発動していることを悟る。
長い付き合いだ。その程度は楽に読み取れる。
あのスキルの発動はそれなりに魔力を消耗するが、ミレーユの"支配領域"ほどではない。
故にガス欠で倒れるとするなら、ミレーユが先となる。
(これが前提。だとすると、私に切り札を出させた今、真っ直ぐに仕掛けてくる理由はないのです。それなら――)
ミレーユは迅速に思考を回していく。互いに凄まじい経験を重ねた超級冒険者。手札は無数にあり、その大半は知っている。
ならば、次はどう動くのか。
その動作にはいったいどういう意味が込められているのか。
その行動を汲み取った上でどう利用するのか。
このレベルの戦いは数手先の読み合いだ。
一手でも読み違え、対策を怠った方から敗北する。
魔法の連続発動を主軸として多彩な戦術を組み立てるミレーユに対して、アイザックは『金剛』一本のタイミングを正確に見極め、魔法と魔法の隙間に潜り込んで大槌の一撃を加えようとする。
めまぐるしく攻防が何度も入れ替わる。徐々に劣勢になっていくのはミレーユの方だった。
そもそもアイザックが頼みとする固有スキル『金剛』に、ミレーユの術式群はひどく相性が悪い。かつて仲間だった頃も、模擬戦でまともに勝利したことはなかった。
それでもアイザックの相手を望んだ理由は簡単である。単純に、あの仲間たちのなかで勝利の可能性が一番高いのもまた自分だからだ。
(必要なのは火力。『金剛』を突破できるだけの。リリスちゃんを呼べればいいのですが……馬車の守りをなくしてしまえば、カイザーに獣王が狙われる。シドーちゃんを襲った銃使いも行方が気になるところ……)
やはり、己の術式群で叩き潰すしかないのか。
こうしている今も間髪入れずに魔法を放ち続けているが、アイザックは躱し、弾き飛ばし、『金剛』で受け取めていなしていく。
そして当然。
敵の突破口を考えているのは、ミレーユだけではない。
「――掴んだぜ」
アイザックの口元が歪んだ。




