第10話 「それぞれの想いを抱えて」
「ねぇ。あなたー! えへへ、"あなた"って呼んでみることにしたんだ! どう? 妻っぽいでしょ!」
「……そうだな」
「反応が雑! やり直し!」
「どうしろと言うんだ」
彼には最愛の妻がいた。
茶色のショートカットにくりくりとした大きな瞳。笑顔が良く似合う顔立ちだった。
普段は明るい性格で、しかし本当は脆く儚い。
怖がりで、どこか不安定で。
何か不安なことがあると、すぐに泣き出してしまう。
「大丈夫か?」
「……なんで、ここまで来たの? 誰にも居場所、教えてなかったのに」
「お前の夫だからな」
小さい頃から勉強は苦手で、今でも子供のように野菜を嫌い、料理はあまり上手ではない。
「ひゃー! なんか焦がしちゃったぽい!? あなたー! どうにかして!」
「この状況からどうにかしろと言うのか!?」
「そこはほら、自衛官流のサバイバル技術的な何かで」
「なぜ家のなかでサバイバルをしなければならんのだ」
「てへっ」
「……」
「ご、ごめんなさい……」
決して完璧な人間ではない。
むしろ欠点の方が多く思い浮かぶ、そんな女性だった。
「ねーあなた! 見てみて、今日のご飯はオムライスだよ!」
「……しばらくは私が食事を作ると言わなかったか?」
「いーから! ほら、召し上がれ!」
「まったく……」
「えへへー」
「……」
「美味しいでしょ? 美味しくなったでしょ? さあ、二択問題よ!」
「……指に、怪我をしているな。絆創膏を取ってくる」
「あ、あれぇ!?」
それでも、彼女はそこで立ち止まろうとはしなかった。常に苦手なことを克服しようと、努力を続ける人だった。
彼は、彼女のそんなところに憧れた。
「ねーあなた。この子の名前。もう決めたの?」
「ふむ。健吾とかどうだ?」
「なん……だと……。あなたのくせに回答のセンスが普通……」
「お前は何を期待していた? 今すぐ話すのなら私は怒らない」
「知ってるよわたし! そういうこと言う人はだいたい普通に怒るんだって!」
結婚して三年目に、ついに念願の子供が生まれた。名前は健吾。贔屓目もあるだろうが、妻によく似ている、可愛らしい赤ん坊だった。
「健吾くーん。この人がお父さんだよー。堅苦しい顔してるでしょ? きみはこんな人にならなくても大丈夫だからねー?」
「おい待て。こんな人とは何だ」
「……何かいつも堅くて、真っ直ぐで、不器用で、なのに考えてることがわかりづらい人」
「おい」
「だけど、どうしようもなく優しくて、こんなわたしを愛してくれた、世界で一番大切な人。そんな人は、あなた一人で充分だからね」
たった、三人の家庭。
彼は自衛官で、家に帰れる回数はあまり多くはなかったけれど。
「健吾くんは、また別の誰かを愛せるような人間になりなさい」
それでも。
どうしようもなく幸せだった。
それはちっぽけな幸せだったのかもしれない。他者なら見れば、鼻で笑われるようなものだったのかもしれない。
だけど。
彼にとっては、それがすべてだった。
絶対に失いたくないと、願ったものだった。
◇
「大友さん?」
過去に思いを馳せていた大友慎也は、葉山集の訝しげな問いによって現在に意識を戻した。
「……済まない。少し、考えごとをしていたのでな」
「別に構わないですが、そろそろ僕は彼らのもとに戻らなくてはなりません」
「ああ。頼むぞ」
「……大友さん。貴方は……」
どこか哀しそうな目をする集は、何かを言おうとして数度口を開きかけるが、結局は言葉を発しなかった。
「……何だ?」
「……いえ、何でもないです。それじゃあ、また後で」
ぺこりと頭を下げると、集は魔術師らしくゆったりとした歩調で、森の奥へと消えていった。
「……何を心配しているのだ」
大友は嘆息すると、彼もまた目的地に向けて歩き始めた。
腰のホルスターには拳銃とナイフを収め、小銃は肩から紐でかけられている。見た目は完全に現代の武器だが、実際のところは大友の固有スキル『魔銃創造』で作り出したものだ。スキルの所有者である大友にしか武器は操れないが、それでも恵まれた方のスキルだろう。
大友はズキリと痛む脇腹に簡単な応急処置を施しながら、表情すら歪めずに足を進めていく。
この傷をつけた男の姿が、ふと脳裏に浮かんだ。
「ハズレ術師、か」
多彩なスキルに魔道具。それなりの剣技に未熟な魔法。戦闘のセンスはあるが経験が足りていない。とはいえ元が普通の高校生だったことを考えれば、明らかに異常だ。命の取り合いにおいて、あれだけの冷静さを保てる者はそういない。
「……」
彼は確実に来るはずだ。
あの瞳には揺らがない意志が宿っていた。そんな未来ある少年を、大友は殺さなければならない。それがひどく哀しい。斬りつけられたかのように心が痛む。目的を果たした後ならば、たとえ地獄に落とされても構わない。そのような正義を踏み躙ってでも、大友は目的の為に外道の道を歩むと決めたのだ。
絶対に、元の世界に帰る為に。
「……」
ギチリ、と強く拳が握り締められた。
戦闘態勢は万全。後は計画通りに進めるだけだ。
◇
士道達一行は、ガレスとその護衛をする戦士団のもとへ急いで戻ってきていた。
集が放った大規模な炎を気にしていたのか、戦士団の長たるギランが厳しい表情で問いかけてくる。
「何があったんだ?」
「……かなりの手練に襲われた。どうも組織的な動きだ。発言から推察するに狙いは獣王、もしくは里かもしれない」
葉山集が動いているということは、その裏には女神の思惑がある可能性を考慮するべきだ。転移者二人が組んでいる時点で確率は高い。
だが神の危険性などを話したところで信用はされないだろう。
ミレーユから聞いた話によると、転移者という存在を把握している者の数も非常に少ない。ここでギランにそのことを告げても、必要以上の混乱を招くだけである。
よって士道は重要なことだけを端的に伝えたのだ。
「何だと……やっぱり、あれだけの炎。お前らが苦戦するほどか」
「いったん里に引き返すか?」
「いや。里には戦士団の大部分を残してあるし、このまま進もう。獣王様の容態が心配だからな」
「……ふむ」
士道は頷いた。彼らが何を目的として動いているのかは不明だが、じっとしていればどうにかなるものでもないだろう。そもそも、あのように暗躍する者がいたのだから、獣王の昏睡状態は本当に自然に発生したものなのかすら怪しい。
「何を企んでいる……」
集はこの里から手を引けと警告していたが、士道にそのつもりはなかった。
まだ一宿一飯の恩を返していない。それに加えて、あれほど居心地が良かった獣人族の里が危機に陥るかもしれないというのに見過ごしたくはないのだ。
突然命を狙ってきた大友にも、挨拶をしてやらなければならない。
そう考えている間に、一行は目的地に到着していた。
先頭に立っていたギランが振り向いて皆の顔を見回す。そうして、堅く緊張感を与える声で指示を出した。
「ここが例の迷宮だ。そこまで狭くはないが、きちんと隊列を組め。魔物だけではなく、襲撃者にも警戒するんだ。今まで何度も通っているとはいえ、油断は許されない。いいな? 焦るなよ。慎重に進むぞ」
通称『樹海迷宮』。
里の北方に位置するダンジョン。
道は基本的に広く、馬車で通行することも可能。
最深部は地下二十階。
そして、別ルートで向かうことのできる大部屋には、
「『転移魔法陣』か……」
◇
「あ、あの……」
新魔王ルシアが君臨する『玉座の間』から無事に退室した霧崎翔は、着込んでいるローブの裾を掴まれ、振り向いた。
疲れを誤魔化すように笑顔を浮かべると、日本人の小さな少女――吉野楓が不思議そうに翔を見上げている。
「ありが、とう……?」
「別に感謝されることじゃないよ」
自分でも感謝している理由はよく分かっていないらしく、少し首を傾げている。翔はそんな楓に苦笑しながら、
「……それより、これから重要性の高い作戦がある。君のスキルが、その鍵となるんだ……できるね?」
「……が、がんばります」
楓は拳を握ってやる気を見せる。
同郷の翔に対しては、既にかなり心を開いていた。だから、翔に頼まれたことならと、気合が入ったのだろう。
これから向かうのは、人と人が殺し合う戦場だというのに。
「……」
翔は子供が嫌いだ。
制御されているはずの感情が、どうしても乱されてしまうから。
「……士道なら、どうしたんだろうね」
ポツリ、と。
消え入りそうな声音で呟く。
リリスを助け出したように。
己の実力を知りながら、それでも魔王に喧嘩を売り、この国のすべてを敵に回し、楓を救い出すのだろうか。
「……どうしたの、ですか?」
「……いや、少し意味のない仮定をしていただけさ」
◇
奇術師と忍術師。
お互いに、似た者どうしだと無意識のうちに感じながら、それでも彼らは決定的に別の道を行く。
貫くべき信念の為に。
叶えたい願いの為に。




