第4話 「夜に」
異世界の紅い月が、煌々と夜空を照らしている。
窓からそのさまを眺めていた士道は夜空から視線を切ると、寝相が悪いリリスの毛布をかけ直した。
借り受けた空き部屋を軽く掃除して埃を払った士道達は、夜も深まってきたので一眠りしようとしている。
寝室はそれなりに広く、四隅にベッドが四個設置されている。あまり傷んでいないところを見るに、もともと来客用の空き家なのだろう。
士道は何となく窓側を選び、ベッドに身を横たえていた。
「……眠れないのですか?」
子供のように透き通る声をかけてきたのは、成り行きで旅の仲間になったミレーユ・マーシャルである。少し驚いたように振り向くと、こちら側に身を向け、瞼をうっすらと開いている。
旅の仲間の片割れであるリリス・カートレットは、船旅の疲れが出たのか、すやすやと眠っていた。
士道は何だかんだで旅慣れてきたのでそこまで疲れてはいない。ミレーユは超級の冒険者なので、言わずもがなである。
「いや、いろいろと考え事をな」
「これから先のことなのです?」
「まぁ、それもあるが……とはいえ、俺たちの実力なら食うのに困るってことはないだろうさ」
「まあ、それはそうなのです」
士道が気楽そうに言うと、僅かな沈黙を挟み、ミレーユが真剣な様子で問いかけてきた。
「あの、それとは関係ないのですが、聞きたいことが……」
「何だ?」
「シドーちゃんは、転移者なのですよね?」
「……!」
士道は目を見開いてミレーユの方を見る。そんな士道の様子を見たミレーユは一度息を吐くと、
「やっぱりですか……。となると、不死魔王に味方していた眼鏡の少年も?」
「そうだ。けど、どうして分かった?」
「あの勇者が言っていたのですよ。それに、私の情報網にはいろいろと引っ掛かっていますし」
――この世界にやってきたのは俺たちだけじゃない。異世界から呼び出された百人が『女神の使徒』としてこの地に降り立っている。
「その特徴は、例外もいるようですが、基本的には黒い髪と黒い目だそうです」
「なるほど……その情報は一般には流れているのか?」
「いえ、民衆は知らないのです。おそらく勇者のいる国の首脳陣とか、わたしのような顔が広い超級冒険者でもないと知ることはできないかと……」
「ふむ……人間族の四大国の首脳陣が、この情報を公開しない理由は何だ?」
「うーん……降臨せし勇者の権威というか神聖さを高めたいとかです? それに、下手に公開しても転移者が動きにくくなるだけですし」
士道は考えつつ、頷く。
あのハゲたサングラス勇者に神聖さがあるのかといえば疑問ではあるが。
ともあれ、お偉いさん方が転移者の存在を知っているのなら、そろそろ確保のために動き出していても不自然ではない。
転移者は強大な存在だ。味方につけておけば頼りになる。
ましてや、これから悪魔と戦争をしようというのだ。戦力はいくらあっても足りないだろう。
「……あの」
ミレーユが小声で尋ねてくる。寝ているリリスに気を遣っているのだろう。
「シドーちゃんは『女神の使徒』なのですよね? だけど昼間は自分の好きなように生きると言っていました。なら、どうして女神に呼び出されたのです?」
「……それは、俺もよく分かってない」
士道は異世界に転移したときのことを簡潔にミレーユに話した。
「なるほど。つまり、転移者の人達も何も分かってないってことなのですね」
「とはいえ勇者あたりは情報量に差がありそうな気はするな。……霧崎翔の奴も、いったい何をするつもりなのか全く分からない」
「悪魔に味方していた少年ですか。元の世界で知り合いだったとか?」
「いや、そういうわけじゃないんだが……まあちょっとな」
そうなのですか、と言ったミレーユは眠たげにあくびをしながら、
「ふぁぁ……。ところで、シドーちゃんの行動方針は昼間聞いて分かってますが、具体的にどこに向かうつもりなのです?」
「この近くの迷宮の奥に転移魔法陣があると、ガレスさんが言っていただろう。どうやら魔導船は使わなくてすみそうだ。そこから『紛争地帯』を通ってミラ王国に渡ろう」
「ミラ、王国ですか……」
「あそこは温泉がたくさんあるって言うからな。興味がある。どのみち四大国は全部巡ってみるつもりだしな」
「……」
「ミレーユ?」
「……」
「寝てる……。お前は子供か」
士道はため息をつきながら、ミレーユに毛布をかけ直す。
そうして、自身も深い微睡みのなかに落ちていった。
◇
レーナ・ランズウィックは士道達が借りている家の外で、その壁に寄りかかっていた。
「……異世界から呼び出された、かぁ」
彼らが眠っている寝室からはそれほど近いわけではない。だが、獣人が生来持っている優れた五感が、彼らの会話を聴き取ることを可能にしていた。
こんな盗み聞きのような真似をするつもりはなかったのだが。
その手に枕を抱えている時点で、レーナが何を考えていたのかは想像がつくだろう。
何だか重要そうなことを聞いてしまったような気はするが、それでも士道は士道である。異世界から呼び出された者だと知っても、レーナに態度を変える理由は特になかった。
明日、こっそり聴いてしまったことを謝ることを決意しつつ、レーナは家に戻ろうとする。
「……?」
その瞬間。
レーナは、何かしらの気配を感じて咄嗟に振り向いた。
だが、後方に人影はなく、開けた道が広がっているだけだ。
隠れるような場所もない。
「神経質なんですかね……」
レーナは憂鬱そうに呟いた。
◇
レーナが去ってから数分後。
小さく、鼻を鳴らす音が聴こえた。
葉山集が発したものだ。
彼とその傍らに立つ、幽霊のように存在感が希薄な男は唐突に虚空から姿を表す。
「……フン。流石、獣王の娘だ。良い勘をしている」
「いいのか? 警戒されるなどのリスクを含めてもやはりアレは始末しておいた方が動きやすいという結論だったはずだが」
「こんな場所で戦い始めたら流石に神谷士道にバレる。そうなったら面倒なんだ。こっちは二人だけだしな」
葉山集は鬱陶しそうに言いながら、
「何にせよ、明日で第二段階だ。どういうやり方でもいい。獣王と士道は接触させるな」
「『鑑定』か……私が言えた義理ではないが、転移者は本当に厄介だな。予定というものを簡単に狂わせていく」
「……だからと言って、そう簡単に潰せるような存在じゃない。ましてや例のハズレ術師だ。上位悪魔の討伐者だぞ」
集がうんざりとした様子でそう告げると、傍らに立つ男はきょとんとした調子で、
「……そういえば知り合いだったか?」
「大した関わりはない。せいぜい……」
集の脳裏に、古賀玄海の死に様が過ぎった。あれ程までに愚かだった集を命懸けで助け出した老人。
正直に言って、彼は助けるべき者を間違えたと思う。
集はくだらない人間だ。女神様への恩返しに盲目になり、周りも見えなくなる程度の存在に過ぎない。
それでも、集は彼の死を無駄にしたくはなかった。
「……」
死してなお、力強かったあの瞳が集を見つめてくる。
「……せいぜい、どうした?」
「……いや、何でもない。行こう。時間に余裕があるわけではないんだ」
二人の影はひっそりと姿を消す。
静かに、事態は動き始めていた。




