第3話 「二代目獣王」
獣人族の里。その長の屋敷を訪れた士道は、客間にて二代目の『獣王』ガレス・ランズウィックと邂逅していた。
その身に纏う強者の覇気は、士道をして戦慄を隠せない程のものだ。
(近接戦闘特化のレベルオーバーか……)
獣王を『鑑定』した士道は、そのステータスを見て舌を巻いていた。
獣人族の特性でもある高い身体能力――その究極の形。加えて、スキル群には固有スキルの『神獣化』など有用なものが揃っている。
腕や脚に歴戦の傷跡が刻まれているのを鑑みると、やはりステータス以外の部分――戦闘の経験や技術などにも長けているのだろう。
冷静に観察する士道と同様に、ガレスの瞳が興味深そうに細まる。
二人の視線が交錯する。
僅かに、殺気が入り混じった。
「……」
士道が泰然とした様子でガレスを見据え続けていると、やがて彼の口元が愉しげに弧を描いた。
「テメェらは?」
「……ただの冒険者ですよ。第三級のシドー・カミヤ。こいつらは仲間だ」
「ほぉ。冒険者がこんな里にいったいなんの用事なんだ?」
手で促され、ソファに座った士道達が事情を説明する。
主に伝えなければならないのは、手持ちの食糧が少ないので補給をしたいことである。
ややこしくなるのでピレーヌ山脈での事件のことは省いたが、海で魔物にでも襲われて遭難したのだろうと勝手に解釈してくれた。
「なるほどな」
髭の生えた顎に手をやり、納得したように頷く獣王ガレス。
彼は「そういえば」と、何気ない調子で士道に尋ねた。
「『向こう』はいま切迫してるらしいな。サタン王国が再興されて新魔王が名乗りを上げたとか聞いたが?」
「ああ……。百年前の戦争の再来とか言われてますね」
士道がリリスの救出に奔走している最中、人間族の四大国に魔王の一角からの宣戦布告があった。
そのすぐ後に、ライン王国の迷宮都市が、不死魔王率いる悪魔族の残党に襲われたという発表も、国家間の緊張に拍車をかけているそうだ。
実際には迷宮都市そのものは襲われていないのだが、勇者ジンが撒き散らした被害の説明に使われたのだろう。
(戦争、か……)
世界情勢には疎い士道だったが、最近はその辺りに詳しいミレーユを通じて、それなりの情報は入手するようになっていた。
士道はピレーヌ山脈での戦いを経て、他の転移者との情報量の差を痛感したのだ。
榊原迅。霧崎翔。草薙竜吾。
彼らは女神や天使の動向、三大魔王の再来、そして、鍵を握っていそうな百年前の戦争――さまざまなことを知り、その上で自身の行動を選択していた。
一方で士道は情報収集を怠っていたつもりはないが、無意識のうちに優先順位が低くなっていたというのも確かだ。
「この前もライン王国で復活した不死魔王が騒動を起こしたんだってな。王国の勇者が追っ払ったらしいが……そういや、テメェらそっちから来たんだろ? 何か知らねぇのか?」
「いや……まぁ」
――当事者です。
と答えると面倒臭くなりそうなので盛大にスルー。リリスとミレーユ、なぜかレーナまでもがジト目で見ている気がするが、士道は全力で素知らぬ顔を維持した。
対面のソファに座るガレスは頭の上で手を組むと、
「しかし、復活した不死魔王ってのは百年前の戦争で旧サタン王国を率いていた張本人だぜ。俺も子供の頃、親父に連れられて何度かぶつかったことがあるが、あれには勝てねぇよ」
気楽に語るガレスだが、士道はやけに共感した様子で首肯していた。
ミレーユにも匹敵する桁違いの魔法能力に加えて、『不死』の固有スキルなどまともに相手にして勝てるとは思えない。
(冷静に考えると、よくあんな怪物を相手にできたもんだな……)
一度目の邂逅では竜騎士アルバートが追い払ってくれた。
二度目は、リリスが己を触媒とする術式を逆手にとって龍魔王ウォルフの固有能力を乗っ取るという奇跡が起こらなければ、士道はリーファの力を前になす術なく倒れていただろう。
「やっぱ勇者ってのは凄ぇよな。あの怪物を追い払ぇんだからよ」
ガレスが感嘆したように言う。
ライン王国はピレーヌ山脈で巻き起こった事件のすべてを、自国の勇者の手柄としている。
大々的に発表されても面倒だと考えている士道としては、特に文句はない。榊原迅もその辺りは気にしない男だろう。
リリスは悪意ある事実の書き換えをして報道したライン王国首脳部に何度も憤慨しているが、国なんてそんなものである。
(ただ、気になるのは……)
リリスが龍魔王の固有能力を手に入れたことによって、榊原迅や霧崎翔がどう動くのかである。
翔に何の思惑があるのかはいまだ不明。迅は、一応龍魔王という脅威は消え去ったのだから、これ以上リリスのことでは動かないのではないかと推測できる。確証はないが。
「ん? どうかしたかよ?」
「あ、いや。何でもないです」
閑話休題。
士道は脇道に逸れた思考を戻して、ガレスにもう一度視線を向ける。
(……しかし、この人のステータスなら魔王を追い払うぐらいはできそうだがな。まあ戦争当時は子供だったって理由もあるのか)
適当に推測する士道の横では、リリスが僅かに唇を尖らせていた。
小声で呟く。
「……凄いのはシドーだし。あんなハゲ勇者なんかじゃないもん」
士道はハゲにサングラスにアロハシャツに短パンという個性の塊だったあの男を思い出して微苦笑を浮かべつつ、思考を巡らせる。
(しかし……百年前の戦争を経験した張本人か。丁度いい情報源だ。できる限り情報を引き出したいところだな)
士道はそう考えて、ガレスの振ってきた世間話を続けようとした。
「"力の勇者"ジンのことですか。一度会ったことがありますが、やっぱり強そうでしたね」
「ほう……。テメェでも強いと言うか。やっぱり相当だな」
当然、嘘ではない。
人間族の『四強』の一角たるライン王国に光臨せし"力の勇者"榊原迅。大柄な肉体を持つ大剣使い。特徴は圧倒的な膂力。剣技そのものはまだ荒削りだが、彼は強い。
今の士道では勝つのは厳しい。
非常に厄介な『分身』を加えると、かなり戦いにくい相手であり、命懸けの戦いでなお笑みを浮かべられる胆力も持ち併せている。
「まぁ、はい。……他の四人の勇者はまだ見たことないですが、全員があのクラスの強者だとしたら、確かに魔王相手でも何とかなるんじゃないかと」
そもそも、あの戦場には士道が単独で倒せるような者はほとんどいなかった。
決して士道が弱いわけではなく、全員がレベルオーバーに匹敵するほど桁違いの実力を持っていた。
それだけの話。
「あぁ。でも確か勇者が光臨したときの『光の柱』の発生位置からの推測によると、勇者の一人は迷宮『奈落』に吸い込まれちまったんだっつーんじゃねえか。まあ相当運が悪いっつーかなんつーか……」
『白い空間』に集められし、士道を含めた百人の日本人。彼らが異世界に転移するとほぼ同時刻に、世界各地に天から巨大な『光の柱』が降り注ぎ、五人の勇者が光臨したと聞く。
光はそれぞれ、人間族の四大国と魔界の最奥にある迷宮に収束した。
(まぁ十中八九『白い空間』にいた転移者だろう。イリアスもそんな説明をしていた気がする。勇者として選ばれる基準が少し気になるが……)
単純に強さだろうか。それとも魔王を積極的に討伐しようとする精神性の持ち主か。そのどちらにも榊原迅は当てはまっている。
まあ判断材料が迅だけでは、どのみち答えは出ないだろうが。
(それにしても『魔界』にある世界最難関の迷宮がスタート地点ってのはまた……運が悪いにも程があるな)
士道は名前も知らない不運な勇者に同情を覚えた。
空中スタートの士道も大分危なかったが、着陸した無人島の魔物はそれほど強いわけではなかった。並の冒険者なら十分に対処できるレベルだろう。
だが、それでも士道は殺されかけた。窮地を救ってくれた古賀玄海がいなければ、確実に死んでいただろう。
戦いを知らない人間など所詮はその程度である。
おそらくは転移直後に何人かは死んでいるだろう。
ましてや地獄の入り口とも呼ばれる迷宮『奈落』に落ちてしまっては、ただの日本人が生きていられるはずもない。
リリスの隣に腰掛けているミレーユは苦い顔をしている。
話を聞くと、『奈落』に挑んだ友人の超級冒険者が、魔界の凶悪な魔物に押し退けられて戻ってきたのだという。
「超級冒険者、ミレーユと同じくらいのレベルでも逃げ帰るような場所か……」
士道は顔を引き攣らせた。
ガレスは異郷の人間との会話を楽しんでいるのか、饒舌に語る。
「まあ、とはいえ四人も勇者がいるなら十分か。百年前は一人しかいなかったからなぁ。人間側の唯一の希望だったもんよ」
百年前の世界規模の戦争――通称『魔王戦役』では、光臨した一人の勇者に対して、三人もの魔王がいた。
当時の戦況はほとんど悪魔側に圧倒されていたという。
それでも初代勇者は、呪いの集合体のような霊魔王マルフィスを討伐。不死魔王は殺せなかったとはいえ魔道具への封印に成功し、奮闘していたようだ。
余談だが、初代勇者は龍魔王ウォルフだけは倒せず、彼はクサナギという別の英雄に倒された。
そんな過去に対して、現在は光臨した勇者は五人だが、相対する魔王は二人しかいない。復活した不死魔王リーファと、数年前に新たに魔王と認められた新魔王ルシア。本来なら龍魔王が復活する予定だったのだろうが、その予定は士道によって狂わされている。
それに加えて、ただでさえ悪魔側は百年前の全面衝突によってかなり数が減っているが、かつての戦争を教訓にして『個の強さ』を理解した人族の各国首脳部は、頭数を少し犠牲にしながらも、悪魔に張り合える精鋭を造り上げているのである。
「なら、仮に第二次魔王戦役が起こったとしても、特に心配はいらないと?」
「そうは言ってねえが、でも百年前とは状況が違うからなぁ。ヴァリス帝国、ライン王国、レーノ共和国、ミラ王国――今の鍛え上げられた人間族の『四強』を相手にして、悪魔側が勝てるとは思わねぇ。特に帝国の『序列持ち』は上位悪魔にすら匹敵すると云われているしなぁ……ま、戦争なんか起きねえのが一番なんだがよ」
そう言って、ガレスはため息をつく。
新生サタン王国を造り上げた新魔王ルシアが人間族の四大国に宣戦布告をした以上、それはありえない未来だと分かっているのだろう。
これから段々と世界は緊迫する。
民衆はそれを察知して怖れている。
かつての魔王の猛威を思い出して。
「テメェは冒険者だったな。戦争が始まったら、どうするつもりなんだ? 正直テメェほどの強さがあれば、軍でも何でもかなり出世できるだろ」
「……俺ですか」
これから世界が戦火に包まれる。
魔王率いる悪魔達の侵略に、勇者と人間連合が迎え撃つ――そんな光景。そこには、おそらく女神が転移者を呼び出した真意が隠されているのだろう。
他の転移者達も、己の目的の為に動き出しているに違いない。
そんな状況に陥ったとして、神谷士道はどう動くべきか。
いや、どう動きたいのか。
「……たとえ世界がどうなろうと、俺の為すことは変わりません。今まで生きてきた通りに、自分の意志を貫くだけだ」
小さくとも、自然と部屋中に響く重みのある言葉だった。
住んでいた世界など関係なく、士道はこれまでもそういう生き方をしてきた。だから、これからも揺らがない。
護りたいモノを護り、助けたいモノを助け、やりたいことをやって生きていけるように。
レーナは優しい顔をしていた。
リリスは少し唇を尖らせていた。
ミレーユは僅かに笑った。
そして、ガレスは僅かに目を細めた。
「……なるほど、な」
「シドーさんは変わりませんねー」
そんな、和やかな雰囲気の客間で、
「ゴ、ゴホッ! ……やべぇ、ちょぃと体調がマズくなってきたな」
ガレスが突然、咳き込み始める。
最近、体調を崩しているらしい。先ほどまでは楽しそうに話をしていたが、もしかして痩せ我慢だろうか。
(レベルオーバーになるほど体が頑丈な人が風邪……?)
「すまねえな」
「……てか、お父さん寝ていなくて大丈夫なの? 無理して平気なふりするのやめてって、いつも言ってるでしょ」
士道は一瞬違和感を覚えたが、別にありえないことではないと思い直す。特にガレスはもう百歳を越えているのだ。獣人族の寿命が人族より長いとはいえ、エルフ族ほどではないのだ。もう老人だろう。
レーナが憤り、寝室に戻るらしいガレスに肩を貸す。
珍しく敬語口調ではないレーナに士道は新鮮味を感じたが、父親に対してならば当然のことだろう。
「そうか……獣王の娘だったよな」
「はい!」
なぜか元気よく返事をするレーナを見て士道は苦笑すると、
「ほら、いいから父親についててやれ」
「はーい」
レーナは笑顔を浮かべて頷く。
獣王は体調の悪そうな青い顔のままだが、謎の迫力を醸し出す眼光を士道に差し向けた。
「……ほう、レーナ。もしかしてお前がいつも言ってた、窮地を助けてくれた男ってのはまさかこいつか」
「い、いつもは言ってないでしょ!」
レーナが顔を紅くして反論するが、ガレスは一顧だにしない。顔色が悪いながらも、獰猛な笑みを浮かべて士道を射抜いた。
「"不死魔王復活戦"の最前線で戦い抜いて、精鋭の上位悪魔を倒した野郎か。何だ、やっぱ俺の目に狂いはなかったみてぇだな」
「……俺だけの結果じゃありませんよ」
士道の脳裏を、葉山集をバーン・ストライクから助け出した古賀玄海の死に様が過ぎった。
グランドは隻腕になり、セドリックは死んだ。すべては不死魔王リーファが生じさせた被害だ。士道は僅かに苦い顔になる。
すべてを護ることはできないと知っている。
それでも、護りたいという願いがあった。
士道が思わず拳を握り締めると、その隣ではリリスとミレーユがきょとんとした顔をしている。
「……え? あれシドーだったの?」
「……そういえば"幻影"の異名を取る第三級冒険者とは聞いていたような……」
そんな士道一行を見て、ガレスは低く笑うと、
「ま、娘を頼んだぜ」
「お、お父さん!?」
ニヤニヤとした笑みを向けるガレス。レーナは顔を赤くして翻弄されている。
その後ろでは、リリスとミレーユがこそこそと囁きあっていた。
「……そういえば、どうでもいいけど珍しい。シドーが敬語使ってるよ。気でも触れたのかな?」
「私も年長者なのにタメ口……。何なのですかこの差は……理不尽なのですよ……!」
(いやだってお前、子供にしか見えない)
士道は内心で反論するが、無論口には出さない。余計話がこじれることが目に見えているからだ。
「おい小僧」
「……?」
「……泣かせたら承知しねぇからな」
底冷えのする声音だった。思わず背筋を伸ばして首肯する士道である。
え、えへへ、と微笑むレーナは、立ち上がったガレスに肩を貸し、別の部屋へと向かっていった。
「……ふん!」
士道がその後ろ姿を眺めていると、リリスが不満げに顔を逸らした。士道は苦笑しつつ、これからについての思考を巡らす。
結局、百年前についての話はあまり聴くことができなかった。
まあ、しばらくは里に滞在するのだ。
また面会することもあるだろう。
「んじゃ、戻るか。そろそろ夜だな」
「宿は借りられるか?」
「空き家がある。軽く掃除させとくから、そこに滞在してくれる」
士道はギランと適当に話しながら、窓の外を見やる。照明がまるてつけられていないこの里からは、幾つもの星が煌々と瞬いているように見えた。
冷え冷えとした夜気が肌に鋭く染み入る。北方の大陸だけあって、それなりに冷えるようだ。士道は魔導服の上に外套を羽織る。
食料調達のために立ち寄った里だったが、思いのほか長く滞在できるようだ。いろいろと準備もある。だが、その前に久しぶりに羽を伸ばさせてもらおう。
そう、士道は思った。
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