閑話 「獣人族の里」
中央大陸から見て北の方角には、厳しい環境と棲み着く魔物が屈強なことで有名なノーランド大陸が位置している。
その地において、山脈によって分かたれた西側は基本的に標高が高く、吹雪が止まない極寒の地だ。そこには龍族と呼ばれる少数種族が村を形成している。
あまりにも厳しい環境は人族やドワーフなどが住むことを不可能にしているため、その地には厳しい環境に強いと云われる龍族以外の種族は暮らしていない。
それに対して、東側は『大森林』だ。
聳え立つ木々が風の侵入を防ぐ、ノーランド大陸にしては比較的暖かい森の中央付近に、獣人族の住む里がある。
獣人族は人族と友好的な関係を築いているが、このような種族単体で形成された里も辺境には点在していた。
「魔物だ。懲りずに里を襲いに来たぞ」
うんざりしたように、虎人の大男――ギラン・ヴァレオスは呟いた。
しかし、この里は『大森林』の最中に位置している。
獣人族は、里の周囲を魔物を寄せ付けない『聖地』に変えられるエルフ族のような力は持ち併せていない。
当然のように、ノーランド大陸の屈強と呼ばれる魔物達も近くに棲み着いており、時折里を襲ってくる。
「今回は何だ?」
「ライオスの群れだな。獣王様が病に伏せてる今では随分とキツいが、やるしかないだろう。戦士連中を呼んでこい」
「分かった」
首肯したのは、猫耳を震わせて索敵をしている小柄な少年だ。
彼らは、里を襲う魔物から女子供の住む里を守っている練達の戦士達だった。
「いえ、わたしがやりますよ」
厳しい表情で言葉を交わす彼らのもとに、凛とした鈴のような声が響いた。
ギランは驚きながら振り向く。後方にはいつの間にか、澄ました顔をした獣人の少女が現れていた。
「レーナ……」
「いや、いくらお前でもライオスがあれだけいると厳しいんじゃないか? 確か推奨討伐レベル50越えだったぞ」
「まあ、そうかもしれませんが、やっぱり私にやらせてくださいよ。無理だったら増援頼みます」
少女はそう言って、はにかむように笑みを浮かべた。
明るい茶髪を肩に届かないほどで切り揃えた髪型に、ふわりとした猫耳が乗せられている。比較的大きな目鼻立ちは可愛らしさを強調し、可憐さを際立たせていた。
だが、そんな印象とはかけ離れて、この少女は強い。
レーナ・ランズウィック。
かつて、この里から飛び出して、そして唐突に帰還した獣人族の少女。
この里の長である獣王の娘である。
「だから、まあ見ててください。わたしは、もっと強くならなくちゃいけないから」
三年間の時を経て第三級冒険者になっていたレーナは、その時点でも十分に強くなっていたというのに、更なる強さを求めて父親の獣王に師事した。
それ以来、レーナは貪欲に戦い続けている。
この里は、昔は厳しい環境故に困窮していた。だからレーナは家族や里に仕送りをする為に冒険者となっていた。
そのように責任感が強く訓練を惜しまない少女ではあったが、流石にこれ程ではなかったようにギランは思う。
その理由が数ヶ月前に命を救ってくれた士道に恩を返すためであり、彼についていくための実力をつける為だとは、ギランは知る由もなかった。
「……分かった。ただし、危険だと思ったらすぐに割って入るからな」
「それで構いません」
レーナの瞳の奥に火が灯る。両手に備えた鉤爪がギラリと光を放った。
獣王と呼ばれる強大な父の手によって地獄のような鍛錬をされ、とうに第一級冒険者に等しい力を手に入れているレーナは静かに殺気を仄めかせた。
「……」
言葉はない。
強力な魔物であるライオスの群れに向けて、たった一人の少女が突撃した。
◆◆◆
鉤爪に滴る血を振り払ったレーナは適当に魔石を回収すると、里への帰り道を歩んでいた。
「ライオスの魔石が大量にあります。どうしましょう?」
「いつも通り、転移魔法陣で繋がってる紛争地帯に売り飛ばせよ。この前、魔石不足で困ってたからな。存分にふっかけろ」
「分かりました。……それにしても、三年前と比べて随分便利になったもんですねー」
「ま、転移魔法陣のおかげで貿易ができるようになってから、うちの里が食糧不足なんかで困ることはなくなったしな。いちいち危険を冒して人里まで遠出させる必要もなくなった」
一年前、『大森林』の奥地に『樹海迷宮』という迷宮が発見された。
全十層で魔物は強力な割に大した旨味もないと思われていたが、奥地に転移魔法陣を見つけてから、この里の経済状況は変わった。
その魔法陣は、ユーレンザラード大陸南部の紛争地帯に繋がっていたのだ。
「わたしが潜るんですよね?」
「すまんな。『樹海迷宮』は潜れる奴があまりいなくてな。獣王様が倒れてる今はお前頼りになってしまってる」
「気にしないでください。獣王……父が倒れているということは、鍛えてもらっている私も暇ということですしね」
『樹海迷宮』は全十層という構造的には比較的簡単なダンジョンだが、湧く魔物の強さゆえにその難易度は跳ね上がっている。
この里でもレーナを含めた数人しか潜ることはできない場所だった。
「他に何か持っていく物はあります?」
「いや、魔石だけでいいだろ。どうせそれしか売れん」
里の主たる交易品は、レーナの手元にある純度の高い魔石だった。
この森に棲み着く魔物達は強い。つまり、良質の魔石が取れる。対して、ユーレンザラード大陸の魔物は弱いことで有名であり、魔道具に使えるような良質の魔石が採取できることはない。
ここで利益を得て、代わりに食材や香辛料などを購入する。
それに加えて、里の近隣で狩りや農作も行うのだ。獣人族の里はそのようにして成り立っていた。
たった三代にしてこのシステムを築いたのが、獣王と呼ばれる里の長である。
だが彼は今、病に伏せていた。
「どうしたんだろうな、獣王様。風邪なんて珍しい」
「……本当に、風邪なんでしょうか」
「? どういうことだ?」
「……いえ、何でもないです。さて、じゃあわたしは行ってきます!」
レーナは元気に駆け出すと、振り返ってギランに手を振った。ギランはその強引な様子に僅かに眉をしかめたが、気のせいか、と苦笑した。
「……」
何となしに振り返ると、いつも通り、何の変哲もなく、のどかで、平和な里が広がっていた。
「……気のせい、か」
ギランは確かめるように、もう一度呟いた。
その目に映った奇妙な違和感を、押し潰すかのように。
◆◆◆
大海原には小さな魔導船が浮かんでいた。そのマストに背を預けているのは黒の魔導服を着流す背の高い少年だ。
神谷士道は、端正な顔立ちに浮かぶ鋭い瞳を遠方に向けている。その傍らには白銀の狼が寄り添うように佇んでいた。
「……そろそろ、か」
ピレーヌ山脈での騒動から二週間。
目的を達成してその場から船で逃げ出した士道達は、北方の閉ざされた大地――ノーランド大陸に向かっていた。
士道の呟きに首肯するように、ウルフェンが嘶きを上げる。
ふと視線を戻すと、船の甲板の中央では二人の少女が魔力操作の練習をしていた。勘違いしそうになるが、指導している方が童顔に幼児体型のミレーユ・マーシャルだ。どう見てもロリな見た目とは裏腹に、二十代の女性である。
対して、教わっている銀髪のハーフエルフの少女はリリス・カートレット。
歳相応の可愛らしい顔立ちをしているが、今はその顔を難しそうにして、首を捻っている。
「……やっぱり、分かんない」
リリスの掌の上ではハーフエルフの彼女には不釣り合いなほどに凶暴な魔力が唸りをあげていた。龍魔王ウォルフが残した『力』である。
リリスは、ウォルフから託された『魔王の力』をいまだ使いこなせずにいた。
「むぅ。あの時は上手くいったのに」
「まぐれというか、極限の集中力が為した奇跡だったのかもですよ。でも、段々魔力制御も上手くなってますし、多分もうちょっとなのです」
「……分かった。もうちょっと一人でやってみる」
二人の訓練が終わったことを見届けると、士道はミレーユに声をかけた。
「終わったか? それなら、次は俺と魔法の修行の時間だろう?」
「はいですよ! シドーちゃんは覚えるのが速いですから、追いつかれそうで心配なのです」
「魔法だけで成り上がった超級冒険者が何言ってるんだ。多少使えるようになったとはいえ、俺なんてまだ7、8種類の魔法しか使えないぞ」
「二週間でそんなに覚えられる時点でおかしいのですよ……」
ミレーユは不満を言いながら、それでも丁寧に次の魔法を士道に教え始めた。
もともと士道は魔法塾の生徒なのだ。教師として半端な教えをすることは、プライドが許さないのだろう。
「それじゃ、まずは習得した魔法の確認から始めましょうか」
「了解」
力強く返答して、士道は獰猛に笑う。
そうして、目の前の訓練に全力を注いだ。焦燥を湧き上がらせながら、強靭な意思でそれを戒める。
――予感が、あった。
最後に見た霧崎翔の瞳が端的に物語っていた。そう遠くない未来に、再び激突するだろう、と。
加えて、士道はピレーヌ山脈の戦いで、己を越える強者の実力を見た。 だから、もっと強くなりたい。
もしものとき、己の信念を貫く為に。
――大切な人達を、護れるように。




