Epilogue 「新たな大陸」
「……なるほどね」
霧崎翔は口元の血を拭いながら、納得したように頷いた。
その腕には、糸が切れたかのように動けないリーファが抱えられている。
皮肉にも、その立ち姿は先刻の士道に酷似していた。
翔は感情を読めない瞳をしたまま、淡々と言葉を紡ぐ。
「……君が一旦退いたのは、援軍と合流するためだったわけだ」
崩壊した大地に佇む翔が視線を向ける先には、朝焼けの広がる大空があった。
そして。
「ワシ達からすれば、龍魔王の復活さえ阻止できれば何でも良かった。加えて、どうやら不死魔王は動けないご様子。せっかくの戦力だ。このまま撤退するのは惜しいとは思わんかね?」
天空から榊原迅の声が降り注ぐ。
勇者が乗っているのは、ライン王国が誇る隷属した竜種だった。数体ものドラゴンは知性を持つ眼差しを翔に向けながら、強大な威光を放っている。
その数、総勢五体。
近くを警備していた竜騎士隊の一部が、この場に急行してきたようだった。
だが、翔が注意を向けていたのは彼らではなく、ましてや勇者でもない。
その真横。
他の竜種とは一線を画した神々しさを漂わせる純白の竜――その背中に乗って手綱を引く青年だった。
「よう、不死魔王。何ヶ月ぶりだ?」
王国最強の竜騎士。
アルバート・レンフィールド。
「……」
翔が状況を観察している中、リーファはその質問に答えなかった。動けないとはいえ意識は保っているのだが、鬱陶しげに眉をひそめたのみだった。
翔は周囲に視線を向ける。たったの数秒、会話をしている最中にすでに囲まれていた。
『四強』の一角、その主力なだけはある。流石の手際だった。
状況は厳しい。
こちら側のまともな戦力は、正面からの戦闘は不得手とする翔ただ一人なのに対して、敵はライン王国が誇る竜騎士隊が五騎。
その中には、レベルオーバーのアルバートと勇者の榊原迅が混ざっている。
だというのに。
霧崎翔は、薄く笑みを浮かべていた。
「……そんな悠長に話をしていて、大丈夫なのかな」
「ふむ?」
「余裕のつもりだったら、それはきっと致命的なミスだよ。君らは僕を追い詰めたと思ってる。確かに普通ならそう思ってもおかしくないけど、でも、決定的に違うんだよ」
霧崎翔がこれまで自ら戦闘を繰り広げていた理由は、『祭壇』を守るためにそうせざるを得なかったからだ。
その誓約が失われた今、翔にはこれ以上戦う理由がまるでない。
要するに、それは『逃げ』が許されることを意味している。
つまり。
たとえ、『追う』側が世界最強クラスの部隊だったとしても。
ここから先は、翔の領域だった。
「――現代まで生き残った忍を、甘く見ないことだね」
懐から、煙玉が落とされる。
隠密と暗殺。そして撤退に特化した忍者の、命懸けの逃亡戦が始まる。
◆◆◆
「……遅かったか」
小さな呟きを漏らしたのは、頭上に光輪を乗せて背中から白い翼を生やした、天使族の青年だった。
ウォルフ復活の危機を察知したイリアスの命令により、慌てて『天界』から降りてきたのだが、どうやら徒労に終わったようだった。
「んー、そうでもないよ。ベルス」
「ミリ?」
ベルスと呼ばれた青年はそう言われて、再度ピレーヌ山脈"だった"荒れ地を上空から見下ろすが、やはり人影は見当たらなかった。
疑問符を浮かべて隣にいるミリという天使に目をやる。彼女は眠たげに瞳をこすりながら、
「北を見なよ。水平線上に船がある」
「それが? 船ぐらい何処だって見かけるだろう」
「……ここはユーレンザラード大陸の北端だよ? その先にはひたすらに海だし、東にある大陸も亜人の領域で、人族の船は避ける。要するに、普通の船はあんなところにいないんだよ」
「……なるほど。つまり、この状況から脱出した者だという確率が高いのか」
「魔王がいるのかは知らないけど、少なくとも結果を知る手がかりにはなるんじゃない?」
ベルスは首肯すると、白い翼を羽ばたかせてその船に向かおうとした。
何にせよ、まずは情報を集めなくてはならない。そんなことを考えていたベルスの耳に、何処からか声が届いた。
「そうはさせない」
飛行を開始したベルスは、突如として現れた不可視の結界に弾かれた。
衝撃が体を襲う。
「ベルス!?」
声を上げたミリを手で制しながら、ベルスは襲撃者の正体を看破する。
そんな精巧無比な結界術を操る者など、ベルスの知る限り一人しかいない。
「この結界……。スイメル・カートレットだな。どういうつもりだ? 天使族への恩義はどうした」
眼下の荒れ地を見据えながら告げると、瓦礫の中からスイメルが姿を現す。
「……さて、な。私にも分からない」
相当激しい戦闘だったらしく全身に傷を負っているスイメルは、遠い目をしながら呟いた。
「……ただ、妹はようやく運命から解放されたのだ。ここで、貴様らのような『私の同類』に無粋な邪魔はして欲しくない」
ベルスには、当然ながらその言葉の意味が理解できなかった。
「……それはつまり、離反すると受け取っていいんだな?」
「私個人のだな。あの里は関係ない」
「いったい、どういうつもりだ?」
「言っただろう――私では、救えなかった。この呪いはどうしようもないと思って諦めて、彼女を追い詰めることしかできなかった」
「……?」
「でも、そうじゃなかった。あの男はそれを証明してみせた。……私には、もう彼女の前に立つ資格はない」
それでも、と。
懺悔のような言葉を、淡々とスイメルは紡いでいく。
「彼女と、彼女を救った『英雄』の邪魔をすると言うのなら、私は貴様をこの先に進ませることはできない」
断固たる意志を秘めた言葉だった。
ベルスはあの厳格な性格をしたスイメルが、簡単に裏切るとは思っていない。
きっと、それに足るだけの理由が存在しているのだろう。
だから、ベルスは深くは尋ねなかった。そんな行為に意味はないから。
スイメルは、理屈ではないモノのために立ち上がっているのだ。
「……そう、か」
ベルスは、何となく後方に控えるミリを一瞥した。彼女は柔らかい微笑を浮かべる。それを見てベルスは目に覚悟の光を灯らせると、背中から槍を引き抜いてスイメルへと一息に突撃した。
天使長イリアス直属の配下と、エルフ族最強の結界師が衝突する。
◆◆◆
草薙竜吾はその戦いを眺めていた。
「……覚悟すんのが、遅えんだよ。不器用なヤツだな」
「……?」
その言葉に、中位悪魔のララがこてりと首を傾げる。薄桃色のふわりとした髪の毛がたなびいた。
草薙は、悪魔にのみ通じる信号で呼び寄せたララに、治癒魔法をかけられている最中だった。
天使族が現れたときは仕方なく立ち上がろうとしたが、スイメルが戦ってくれているので素直に回復に務めている。
スイメルの時間稼ぎのおかげで傷をすべて治癒した草薙は、ララから渡された新品の剣を受け取り、軽く振って感触を確かめる。
「……ありがとな、ララ」
草薙は礼を告げる。ララには草薙がリーファ達を裏切ったことを説明してある。彼女はそれを聞いた上で、草薙に治癒魔法を使ってくれているのだ。
「……聞いての通り、俺はもう奴らとは一緒にいられねぇ。でもお前は違う。あのリーファが直々に集めた魔王軍の一人だ」
「……」
「今、霧崎の奴が竜騎士隊に追われてるが、逃げに関してはあいつの右に出る奴はいねぇ。多分、何とかなるだろう。それで、ユーレンザラード大陸に悪魔の居場所はもうねぇ。奴らは中央大陸の『転移魔法陣』に向かうはずだ。その近くで信号を上げれば、おそらく合流できる。無理だったら、そのまま『転移魔法陣』を使って、魔大陸の新魔王ルシアのもとに向かうんだ。分かったか?」
「クサナギさんはどうするんですか?」
「俺は、天使共を追い払う」
「そうじゃなくて、これから先の、もっと大きな話ですよ」
ララは唇を尖らせながら言った。
草薙は少し意外そうにしながら、
「あぁ……そう、だな。探してるモノもある。多分、世界を旅をすることになんだろうな」
「探してるモノ、ですか?」
「ああ。きっと、見つけんのは難しいとと思う」
「……それなら、私も一緒についていってあげます」
その言葉を受けて、草薙は驚いて目を瞠った。
ララは柔らかい微笑を浮かべると、
「……ララ?」
「だってクサナギさん、私がいないとすぐ血まみれになるじゃないですか。心配で放っておけませんし」
「……今回はたまたま怪物が集まっただけだ。俺は、結構強えんだぜ?」
「でも、これからもそんな戦場に足を踏み入れるつもりなんでしょう?」
「……」
ララの瞳にすべてを見透かされているような気がして、草薙はそっぽを向いた。くすり、と笑う声が耳に届く。
「だから、私が一緒にいてあげます。どんな傷を負っても、私が何とかしてあげます」
「……いいのか? リーファ達のもとにいた方がよっぽと安全だぞ。あいつらはお前を重宝してる」
「もう、鈍い人ですね」
ララはずいっと草薙に近づくと、間近で不満げな顔を見せた。
一瞬、ララの少し大人びた雰囲気の綺麗な顔立ちに見惚れる。
彼女の頬は、少し赤くなっていた。
「ちょ、お前、近い――」
「――私は、他の人じゃなくて、クサナギさんと一緒にいたいんですよ。……これで、伝わりましたか?」
「あ、あぁ」
「……女の子に、ここまで言わせちゃ駄目なんですからね。反省してください」
「お、おぉ」
草薙は頷くことしかできなかった。
英雄だの何だの言われていても、草薙は戦うことしかできない。
女は少し苦手だし、料理もできなければ家事も全然できない。ただ寝るのが趣味なだけのグータラだ。何がどうしてこうなったのか、割と本気で謎だった。
呆然としていると、草薙はララに背中をはたかれる。
「うおっ!?」
「ほら、ボーっとしない。天使を追い払うんでしょう? 私はここで待ってますから」
ララはそう言って微笑を浮かべた。
草薙はスイメルと天使が戦っている空をもう一度見上げると、
「――分かった。待っててくれ」
新たな剣を手に入れ、体を回復させた元英雄が、再び戦場へと乱入した。
◆◆◆
数日後。
ライン王国はピレーヌ山脈崩壊の報と共に、竜騎士隊と勇者ジンの活躍により龍魔王ウォルフ・バーゼルトの復活を阻止したと公表した。
首謀者である不死魔王リーファ・ラルートは、海を渡って中央大陸に逃れたと推測されている。
不死魔王の封印を解かせてしまった責任を追求されていたライン王国は、この一件によって名誉を回復。同時に、竜騎士隊への畏怖と尊敬を更に強める結果となった。
そして魔王が逃げ込んだとされるヴァリス帝国では厳戒態勢が敷かれている。『序列持ち』が何人も駆り出されていることから、その態勢には帝国の本気が窺える。
一方、魔大陸では新しく名乗りを上げた新魔王ルシアが数千もの悪魔を束ね上げて、ついに人類侵略の声明を上げた。事態を重く見たレーノ共和国政府に向けて、魔王を退けた実績の手に入れたライン王国は援軍を送るという提案をしたようだ。
我々、商業ギルドとしても、否応無しに高まる戦争への緊張感は無視できない状況であり――
「フン、まったく面の皮が厚いことだ」
ブルース・マグナンティは、僅かに眉をひそめて呟いた。
その目は、配達魔術師の使い魔から届けられた、商業ギルド発行の新聞に向けられている。
実際には士道や草薙など様々な人間の暗躍があったというのに、それらはすべて闇に葬られて、勇者と竜騎士隊の手柄にされている。
(まあ、国なんてそんなものか)
ブルースは森で目を覚ました後、遠方からピレーヌ山脈での戦況を眺めていた。自分程度の力では足手まといになると思い知ったからだった。
(リリス達が無事なことは確認できているし、ひとまずは安心だ。とはいえ、直近の問題がある)
それは、魔法塾のことだ。
リリスはともかく、講師であるミレーユが消えてしまっては塾が成り立たなくなってしまう。ここのところはブルースが講師の真似事をすることで何とかなっているが、ブルースだって人に教えられるほど熟達しているわけではない。
そんなことを考えながら、ボロい塾の扉を開けると、そこには優しげな微笑を浮かべた青年が立っていた。
彼は薄く笑みを浮かべて、丁寧な口調で言った。
「――ダリウス・マクドネルと言います。一応、元第一級冒険者です。しばらく、ミレーユ先生の代わりを務めることになりました」
◆◆◆
「……あれか」
船のマストに登った神谷士道は、遠くを眺めながらポツリと呟いた。
その視線の先に映っているのは、人族の手が届いていないノーランド大陸。
東側を獣人族、西側を龍族が支配している、環境の厳しい大地だった。
「見えたのですかー?」
下からミレーユが声を飛ばしてくる。
士道はそれに頷きながら、
「とはいえ、まだ距離あるぞ。食糧は持つのか?」
「まあ数日分でしたら。魔導船は普通の帆船の何倍も早いですし、何とかなるんじゃないのです?」
「どうせなら、ユーレンザラード大陸の南端か、中央大陸の方に行くまで食糧は持ってほしかったんだけどな。そこまでは明らかに持ちそうにない」
「まあシドー、仕方ないでしょ。あんな慌立たしく出発したんだし、食べ物なんて積んでる場合じゃなかった」
「それは分かってるが、しかしノーランド大陸で本当に補給できるのか? 人族との交流がない時点で致命的な気がするが」
「そ、その辺は行ってみなきゃ分からないのですよ! 気楽にいきましょう!」
焦ったように言うミレーユに苦笑しながら、士道は再び、段々と迫る新たな大陸に目を向けた。
「……ま、それもそれで面白そうだな」
最近はいろいろなことに足を突っ込みすぎて忘れていたが、そもそも士道はこの異世界を楽しんで過ごすことを目標にしているのである。
旅は、望むところだった。
◆◆◆
『計画は順調だ。このまま進めるぞ』
『ここまで何もないとむしろ不安になってくるな。驚くほどに潤滑だ』
『いや待て。「ゆらぎ」が生じた。どうやら、侵入者のようだ』
『噂をすれば、ということやねぇ。この閉ざされた土地に何の用かは知らへんけども』
『フン……「獣人族」に接触されても面倒だな。この違和感に気づかれるわけにはいかないだろう』
『ならば、早急にお帰り願いましょう』
『何処へだよ……「天使」サマ?』
『決まっていますよ。墓場へ……ってね』




