表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ハズレ奇術師の英雄譚  作者: 雨宮和希
第二章 呪われし運命に救いの手を
64/176

第35話 「これは信念の証明だ」

 地震にも似た激しい揺れが、真っ白に塗り潰された『精神世界』を断続的に襲っていた。


「……始まるようだな」 


 貴族服の乱れを整えながら、龍魔王ウォルフ・バーゼルトは呟いた。

 すべてを諦めたかのような一言。

 どうやら、救いの手は間に合わなかったようだった。いっそ残酷なまでに世界は何の変容も見せていない。


「この揺れは何なの?」


 諦観の念を浮かべていたウォルフに向けて、リリスが焦ったように尋ねる。

 年齢にそぐわない心の強さがあるかと思えば、今度は歳相応の不安を顕にして胸の前で両手を包み込む。

 ウォルフは不思議な少女だと思い、僅かに苦笑を浮かべた。

 同時に、こんな少女を己の呪いが殺してしまうことに、久方ぶりの罪悪感を覚えた。

 人を殺さずに済み、己の理性を保っていられる時間はもうお終いのようだ。

 その感覚に慣れてしまっていることが、少しだけ哀しいと思う。

 

「……後一分もせずに、魔王復活の儀式が完成する。どうやら、間に合わなかったようだな。これで現実に戻れば、また『悪の烙印』が機能する。世界を恐怖に陥れる災厄の魔王の再臨だ。そして、その代償として君は命を失う」


 ゆっくりと、ウォルフは自らを納得させるように語る。

 それは、自らの運命を受け入れるための儀式だ。

 もう抗えないのだ。

 自分はともかく、眼前の少女を殺したくないと願ってはいても。


「あなたは……」


 そんなウォルフの背後に己の姿を幻視したのか、リリスはタイムリミットが迫っていることも忘れて激昂した。

 

「……あなたは、それでいいの!? 本当は人間を殺したくなんかないって、自分で言ってたじゃない!!」


 その叫びを受けて、ウォルフは目を瞠り、苦笑を浮かべた。

 自分のことを本気で考えてくれている者なんて、あの英雄以来かもしれない。

 リリスとは少しの間しか会話をしていない。それでも、何かしら感じ入るものがあれば嬉しいと思う。


「仕方がない。救世主は現れなかった。やはり、私に関わる者は不幸な運命に見舞われるようだ。……済まなかったな」

「…………どうしてよ」


 リリスは真っ直ぐにウォルフの瞳を見た。純真な眼光に体を貫かれる。


「どうしてあなたは、この結末をそんな簡単に受け入れられるのよ!?」

「…………そう、だな」

 

 何故だろう。

 抗うことに疲れたのかもしれない。

 ウォルフは何もない空を仰いだ。

 あるいは、もう感情など殺され尽くしたのだろうか。

 瞳には、諦観が浮かぶのみだった。


「……あと三十秒だ。それで、再び世界は変わる」

「……いま分かったよ。似ているところも確かにあったけど、私はあなたは根本的な部分が異なってる」


 ゆらり、と。

 リリスが身に纏う雰囲気を変えた。


「私はまだ、諦めない」







 ◆◆◆







 残り時間は二十秒。

 『鑑定』が映し出す時間は刻一刻と針を進めていた。

 神谷士道は漆黒の魔導服をたなびかせながら、上空から高速で『祭壇』へと落下していく。


「……あのクサナギを唆したのは、貴様だろう。あのときは見逃したが、これ以上、生かしてはおけんな」


 不死魔王リーファ・ラルートが黒い翼を羽ばたかせて凄まじい速度で接近しながら、士道の眼前に立ち塞がる。

 魔王と称されるレベルオーバー。

 かつてはグランドやダリウスが蹂躙される光景を脇で見ていることしかできなかった、それ程の相手。

 王国最強の竜騎士ですら持て余したような怪物が、士道に対して殺意を宿している。その事実に、ぞくり、と肌寒い感覚を覚えた。士道本来の怯えの感情が僅かに顔を覗かせる。

 だが、恐怖は足を止める理由にはならなかった。覚悟の二文字を胸に抱きつつ、鞘から剣を抜いて殺意を迸らせた。

 奇術師として、敵を欺くために。


「……丁度いい。俺も、セドリックを殺されてグランドの右腕をやられた借りは返そうと思ってたところだ」


 言葉と共に、烈火の如く炯々とした眼光をたたきつける。濃密な戦意を獣のように剥き出しにした。

 士道は呟きと同時に『瞬間移動』を行使する。転移先は当然、奇襲を狙えるリーファの背後――ではない。

 士道は身構えるリーファをあっさりと無視した。

 そうして、『祭壇』まで続けざまに固有スキルを行使し、転移した。

 当然だが、この時間がない状況で、魔王なんて怪物とまともに戦うつもりなどあるはずがない。

 先ほどの言葉と殺気は引っ掛かれば儲けもの程度のフェイクだったが、どうやら成功したようだった。

 士道は冷めた目でリーファを眺める。


「……悪いが、お前みたいな化物の相手をしてる暇はないんだ」


 ――残り十秒。


 『祭壇』は結界が破壊されてなお、荘厳な雰囲気を漂わせるものだった。造形が整えられた石で組み立てられていて、表面には不可解な呪文が描かれている。そして、その下方には枯れきった老人のような遺体があり、上方には苦しそうな表情のリリスが眠っていた。

 それを確認した士道は岩の上に飛び乗ると、魔力を込めて呪文を紡ぎ始める。

 それは、すなわち古代魔法を行使した証だった。

 時間がない。

 士道は脳裏に焦燥を過ぎらせながらも、何とか詠唱を完了させる。


 ――残り三秒。


「――術式解放!」


 士道は華奢な体つきをしたリリスを抱え上げると、その体に組み上げた術式を流し込んだ。

 残り一秒のタイミングで、辛うじて士道の術式がリーファの古代魔法を停止させた。同時に、士道の術式の影響を受けてリリスの体が僅かに発光していく。


「頼むぞ……!」

 

 この術式でリリスを救えるのかどうか。それは、士道にも分からない。

 士道が放った"呪縛解放"は、あくまで本人の『意志』に決定を委ねる術式だ。

 リリスが持つ意志が弱ければ、きっとリーファの古代魔法は再び作動する。

 だが、士道はリリスを信じていた。

 彼女とは長い付き合いではないが、それでも――決して、呪われた運命に負けるような少女ではない。

 だから、助けようと思ったのだ。


「……」


 とはいえ、この術式を作成したきっかけは完全な偶然によるものだった。

 『鑑定』から情報を手繰っていき、リリスの『因子』に関する詳細から龍魔王ウォルフが残した"呪縛解放"に関する手掛かりを発見したのだが、士道はその事実に大きな違和感を覚えていた。

 何故なら、ウォルフがこの先も生き長らえようとしていたのなら、自身が再度消滅する可能性がある"呪縛解放"の手掛かりを残している意味が分からない。

 ウォルフの行動に辻褄が合わない。

 まさかとは思うが、精神が不安定だったのだろうか。

 ウォルフが『悪の烙印』を背負わされ、矛盾した心を抱えていたことなど、士道は知る由もなかった。

 徐々に、リリスの身体が纏う光が強まっていく。士道の腕の中で、リリスは苦しげにもがいた。

 しかし、未だ目覚める気配はない。


「くそ……やっぱり甘かったか!?」


 草薙の補助を受けたとはいえ、三日程度しか魔法を学んでいない士道には大雑把な術式しか作れなかった。

 だからこの"呪縛解放"は、あくまでリリスに生きるきっかけを与えたに過ぎないのかもしれない。


「――舐めた真似をしてくれたな人間」

 

 不死魔王リーファが沸々と煮え滾らせた怒りを込めて言葉を放つ。士道はその迫力に思わず身構えた。

 『祭壇』を破壊しないためか、遠距離から魔法を撃つ気配がないことだけが窮地の中で唯一の救いだった。


 士道はリリスをしっかりと抱えながら『瞬間移動』でリーファからさらに距離を取っていく。

 だが、いつまでも固有スキルを行使できるわけではない。

 魔力には限りがある上、『瞬間移動』は並の魔法とは比較にならないほど莫大な魔力を消費する。

 『魔力炉の腕輪』を使えばまだ魔力は持つだろうが、逃げてばかりでは結末は変わらない。

 せめて、逃げたときに追って来られないぐらいには追い込みたい。


(――今度は本当に、いつかの借りを返してやろうか)

 

 士道は戦う覚悟を固めた。

 たとえ、相手がかつて世界を恐怖に陥れた魔王だとしても。

 その腕に抱えた少女を護る為に。

 

「――そっちこそ、この奇術師を舐めるなよ、魔王風情が」


 士道はリリスの寝顔を一目見て、思ったよりも小さな体をしているんだなとか、そんなことを思った。



     



 ◆◆◆







 覚悟を固めた士道はリーファ・ラルートと対峙する。だが、一瞬の均衡は即座に崩れ去る。

 初手を仕掛けたのはリーファだった。

 魔法の兆候を感じ取って身構える士道に対して、リーファは複雑怪奇な術式を一瞬で編み上げる。


(読み切れない……!)


 士道は展開された魔法陣からリーファの術式の概要を読み取ろうと目を凝らしたが、仮にも理系で数学を得意としていた士道ですらリーファの演算速度は追い切れなかった。

 リーファが口元で、魔法発動の文言を呟く。士道に術式内容を悟られないように、小さな発声だった。

 しかし、リーファは、以前はそんな気遣いなどしていなかった。


 つまり、本気ということだ。

 

 巨大な魔法陣が光り輝き、十を越えた炎の龍が士道に向けて突撃する。窮地に陥ったときには『瞬間移動』を考慮に入れながら、士道はリリスを抱えながら、玄海から受け継いだ体捌きで炎の猛攻を潜り抜けていく。

 だが、炎竜共の攻撃を躱し切った先でリーファはすでに次の魔法を組み上げることに成功していた。

 途轍もない質量を凝縮された水の弾丸が放たれる。炎の竜と比べて格段に速い。体制を崩しかけている士道は目を剥いて愕然と立ち尽くした。口元から呻き声が漏れる。

 打つ手はない。

 リーファは、そう考えただろうか。


「……そんなわけないだろうが」


 士道は『反射鏡』を取り出して、リーファの魔法をそのまま跳ね返した。莫大な質量を持つ水魔法が反転する。

 リーファが驚愕の声を上げたのを聴き取りながら、士道は『風の靴』に魔力を込めて空に飛び上がる。

 上空からリーファの反応を俯瞰すると、咄嗟に展開した結界が水魔法を防いでいるようだった。リーファは己が放った水魔法への対処に追われており、士道とリリスが上空に飛び上がったことに気づいた様子はない。

 士道は右腕の脇にリリスを抱え直すと、右腕だけで腰から『天魔刀』を引き抜く。そして、魔導刻印から『伸縮自在』を発動しながら剣を振り下ろした。

 片腕だけとは思えない速度で鋭く剣閃が唸りを上げながら、剣が伸長していく。リーファに届くほどの長さを確保すると、士道は『重量自在』を使いながら咆哮した。手に持つ刀の重量が恐ろしいほどに増加する。同時に重力の影響により速度が上がった。

 代償のように右腕がミシミシと悲鳴を上げている。士道は腕の"身体強化"を最大に引き上げながら、隙だらけのリーファに『天魔刀』を叩きつけた。

 直前で反応したリーファは咄嗟に上方にも結界を展開する。だが、士道の剣筋に『天魔刀』の特性が最大限に発揮されたこの攻撃は、そんな簡易な結界で抑えられるようなものではない。

 爆音が炸裂した。

 『天魔刀』は結界を突き破って、そのままの勢いで大地を破壊する。

 舞い上がった砂煙が周囲を埋め尽くした。だが、士道はこの程度でリーファが倒れるとは考えていない。

 少女の姿をしたあの魔王を殺すことは精神的に厳しいものがあるが、だからといって逃しておく道理もない。

 よって士道は、確実に殺すためにさらなる手札を切った。


「魔力炉、起動――」


 一言。士道の右腕に嵌められた『魔力炉の腕輪』に魔力が込められる。魔道具の性質通りに、士道の魔力が大幅に増幅していく。周囲の空間が歪んだかのように錯覚するほどの魔力量だった。

 そして。

 

 士道は、その魔力のほぼすべてを注ぎ込んで、己が誇る最強の固有スキル『雷撃』を発動する。

 天から地へと、稲妻が落ちた。

 まるで、神の怒りを示すかのように。






 だが。






「――これで満足か?」


 砂煙が吹き飛ぶ。

 その中から、無傷の魔王が現れた。




 



 ◆◆◆






「神谷……!」


 草薙竜吾は、魔王に圧倒される士道を見て苦渋の表情を浮かべた。

 士道はリリスを抱えているので近距離での戦闘は避けようとしているが、不死魔王リーファはその思考を読んでさらに肉薄していく。対する士道は先ほどの凄まじい威力を誇る稲妻で魔力を使い果たしたのか、その動きは鈍い。

 掩護しなければ段々と追い詰められて殺されるだろう。草薙はそこまで一瞬で思考を巡らせると、眼前の勇者と忍者に目を向けた。

 だが、動き出そうとした足の先に、牽制するように刃物が突き刺さる。

 

「行かせないよ」


 一言。

 霧崎翔は冷徹な視線で草薙を見据えていた。否。正確には、その動きの機微を見極めている。

 加えて、迅も大剣を構えながら、草薙に向けて肉薄していた。

 この勇者は、"魔王復活の儀"の発動を士道が阻止したことを『鑑定』で確認してから、最も狙いやすい草薙に狙いを定めているようだった。何せ、草薙は得意の剣を失くしている。その戦闘力は大幅に低下していた。

 迅としても、魔王リーファに任せていれば士道という脅威も失われるのだから、草薙をそちらに行かせる理由がないのだろう。

 つまり、迅と翔の利害はこの局面においてのみ一致している。

 身構える草薙の前で意志疎通を測るように視線を交わした二人は、左右から抉るような角度で疾走する。


「くそっ!!」


 剣を持たない草薙では二人の攻撃に対処するのは厳しい。牽制に"風槍"を放ちながら、高速で思考を回転させていく。

 "霊歩"の古代魔法で転移するか――否、それでは間に合わない。

 だが仮にも転移者同士、速度では大した差はない。ここまで距離を詰められた以上逃げるのは無理だ。

 絶体絶命の窮地。

 しかし。


「……追い詰めたつもりか?」

「戯言だな。貴様の手札は見抜いた。切り抜ける術はない」


 ニヤリと笑う迅に対して、翔はあくまでも無言だった。

 

「ところで」


 草薙は適当な調子で呟く。


「テメェ――まだ俺が固有スキルを使ってねえことに気づいてねえのか?」


 直後。

 草薙の固有スキルが行使される。

 魔力が、暴走した。

 





 ◆◆◆







 リリス・カートレットは静謐な雰囲気を湛えたまま、ゆっくりと目を閉じた。


 ――この世界に生まれ落ちたときには、すでに殺されるべき存在だった。

 禁忌とされた混血の種で、両親を失ってから、味方は一人もいなかった。


 誰にも、必要とされなかった。

 

 それどころか、生きているだけで世界に危機を齎す可能性を持っていて、その呪いを振り払うためには「死」以外の結末が残されていない。


 理不尽な運命だった。


 だから、絶望という名の真っ暗な闇の底で、希望も見えない空に向かって手を伸ばしてきた。

 一度はその一筋の光明を捉えて、闇の底から救い上げようとしてくれた心優しい先生がいた。


 ――私は、あなたの先生ですから。


 だけど、その人はリリスを助けようとしてボロボロに打ちのめされている。


 そこまでして、救う価値があるのか。


 ――ただ救われるのを待っているだけの、今の自分には。

 

「……」


 先生はリリスのために傷ついている。

 士道はリリスのために戦っている。

 ブルースも、リリスのために命を懸けてくれた。

 そのことが、嬉しかった。

 だけど。

 たとえ、その結果、誰かがボロボロになりがらリリスを救ってくれたとして。

 ――そんな結末を許せるのか。

 大切な人達の犠牲を必要として。

 ただ救われただけの自分を、許すつもりはあるのか。


「……こんな運命に、負けたくない」


 『精神世界』は強い願いが周囲に影響を及ぼす。リリスの想いを汲み取った世界は、『何もない』白で塗りつぶされた空間を希望の光に変えていく。

 ウォルフの瞳に驚愕が映し出される。どれだけの想いがあれば、空間そのものを変えるほどの効果が与えられるのか。

 リリスはそれを知らない。

 だが、まだだ。

 それだけでは、終わらない。


「――なっ。違う。これは、空間が崩れ始めている……? 古代魔法は完成したはずだというのに、どうして――」

「――変わるんだ……!」


 士道が土壇場で流し込んだ術式が、古代魔法を強引に停止させて『精神世界』に流し込まれる。

 そのとき、リリスの脳裏に浮かんだのは敵に立ち塞がる士道の後ろ姿だった。

 こんなものはまやかしだ。

 そう理解していながら、覚悟を決めたリリスは立ち位置を変えて、士道の真横に並び立つ。

 そして、リリスは想いの丈を込めた叫びを上げた。


「――私はもう『救い』なんて待ち焦がれない!! 私が、皆を救えるような私になってみせる!!」


 




 


 ◆◆◆







「は、はは……」


 ウォルフは崩壊していく『精神世界』を眺めながら、心の底から安堵したような笑みを見せていた。

 リリスが世界から歩んでいく。

 それは、つまりウォルフが外界に顕現できなくなったことと同義だ。

 ウォルフは、魔神ゲルマが残した『悪の烙印』からようやく解放されたのだ。


 ――もう、いいのだ。


 ――もう、私は、人を殺さなくてもいいのだ。


 こんな風に笑ったのは、一体いつ以来なのだろうか。

 地面に大の字で転がり、世界の崩壊と同時に薄れゆく意識を自覚しながら、なおウォルフは幸せそうに笑っていた。


「――私は、救われたぞ! どうせ見ているのだろう、気分はどうだ。魔神ゲルマ……! お前の呪いは外れた。……私は理解したよ。ようやく確信を持てた。――この世界は、お前の望み通りなんかにはならないのだと!!」


 ウォルフは立ち上がり、何処ともしれぬ光の空に向けて、万感の想いを込めた咆哮を上げる。

 そうして、前へと歩むリリスの傍に駆け寄ると、彼女が『世界』を越えるための一歩を進もうとしているのが見えた。

 ウォルフはその背中に近づく。


「――さあ、行け。もう君が臆するものは何もない。君は運命に負けなかった。確かに、最後の最後できっかけを与えてくれた誰かはいただろう。だが、それを活かせたのは君だからだ。他の誰かでは成し得ない」

「……うん。ねぇ、ウォルフ。それじゃあ、あなたはもしかして……」

「気にするな」


 心配そうな視線を向けるリリスに向けて、ウォルフは笑顔を浮かべて横に首を振った。


「これが、私の望みだからな。それに、いくら呪われていたとはいえ、何千人もの人を殺してきたのだ。言い訳は効かない。いまさら、のうのうと生きるわけにはいかない」

「……」

「そんな顔をするな。私は君に感謝しているんだよ。君のおかげで私は救われた。ゲルマに一矢報いることができたし、諦めなかった君の覚悟を見届けることができた」

 

 ウォルフは言いながらポン、とリリスの背中を押してやる。

 世界を越えるために。

 この歪な精神世界を破壊して、少女が生きる現実世界へと戻るために。


「さあ、君の望みを叶えてこい。護りたい人がいるのだろう?」

「……うん。私を助けようとしてくれた、大切な人たち」


 リリスは微笑を浮かべて呟き、そして一歩を踏み出した。


「ありがとう。あなたのおかげで、私は前へ進むことができる」


 その言葉を受けて、ウォルフは意識が完全に消え去るまで、少女の背中を見届けていた。






 

 



 

 ◆◆◆








 神谷士道は荒い息を吐いていた。

 『雷撃』にほとんどの魔力を注ぎ込んだせいで魔力切れ寸前だというのに、"身体強化"を最大効力で行使しているからだ。

 そこまでやっても士道の体はすでに満身創痍となっていた。体はどこもかしこも傷で塗れていて、立っていることすら不思議な様相を見せている。

 

「……まだ倒れない、か。そこまでするほど、その少女に思い入れでもあるのか?」


 リーファが怪訝そうに呟く。だが、攻撃が止まったわけではない。士道は腕に収まるリリスを抱え直し、必死にリーファの次の動きを予測しながら、紙一重で攻撃を躱し続ける。


(…………どうする)


 士道の脳裏を焦燥が駆け抜ける。

 このままでは、いずれ追い詰められて殺される。

 そうなれば、リリスは救えない。

 できる限りの手は打った。

 だが、己の最大の攻撃で、魔王に何の手傷も負わせられなかった。

 それだけの計算違いが、この状況を作り出している。


(……どうする!?)


 士道に『瞬間移動』するほどの魔力は残されていない。どうにか打開策を練り出そうと思考を巡らせるが、その暇は与えないとばかりにリーファの腕が突き出される。

 姿が霞んで見えるほどのリーファの速度に士道は舌打ちをひとつ。躱そうとするが反応が間に合わない。せめて腕に抱えるリリスだけでも庇うために、咄嗟に背中を向けた。

 激痛が体内を走り抜ける。

 思考に、空白が生じた。 

 士道は爆音と共に吹き飛ばされ、大地にクレーターを作り出した。冗談抜きに心臓が一瞬止まる。


「がはっ!? ごほっ! ご、が、あああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?」


 絶叫が炸裂した。士道が激痛を抑えつけるようにのたうち回る。

 士道は抱えていたリリスが離れていることに気づいた。数メートル先に転がっている。士道が庇ったので直接地面に叩きつけられてはいないはずだが、大丈夫なのだろうか。


「ちく、しょう……」


 『魔眼』を使える魔力があれば近距離戦ではまだ対応できたのだが、『雷撃』に魔力を注ぎ込んだ今となっては後の祭りである。


「"嵐旋風"――」


 リーファが悪魔の翼を振るって急速に地面に下降しながら、風と水の複合属性の超級魔法の文言を唱えた。

 リーファの右腕に嵐が竜巻のように巻きつけられ、鋭いドリルのように先鋭化されていく。

 魔王は隕石のように落下しながら、士道の右胸に向けて"嵐旋風"を槍のように突き出した。嵐が凝縮されたそれをまともに受ければ、士道の命はない。

 凝縮して効果範囲を狭めた理由は、リリスを殺すことを避けるためだろう。


「――終わりだな、奇術師」

「お、おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!?」


 士道は動く度に悲鳴を上げる身体を強引にぐるりと回して立ち上がると、魔法袋から『反射鏡』を取り出す。

 これで、一旦は窮地を凌げる。

 そう思っていた。

 しかし。


(割れている!? さっきの魔法でか!? くそっ、このままじゃ――)


 ――死の足音が迫る。

 

 走馬灯のように士道の脳裏に幾つもの思いが走り抜ける。

 命を失うことは確かに嫌だ。

 だけど。 

 それ以上に、士道は口に出した言葉を成し遂げられなかったことを悔やんでいる自分を自覚する。

 リリスを救うと決めたのだ。

 確かにこの行いは、ただの自己満足かもしれない。

 それでも、これは己の信念の証明だ。

 この残酷な異世界で、揺らがずに自分を貫くための覚悟だ。

 それを。

 その想いを。

 

(――こんなところで失って、たまるかよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!)

 

 ドン!! と、大地を踏み締める。

 もう魔力はない。奇術師としての手札も、何一つない。あるのは、ちっぽけな高校生の身体だけ。

 それでも。

 だからこそ。

 戦うことに武器なんていらない。

 命を懸けられる理由があれば十分だ。

  

 魔王が強大な魔法を撃ち放つ。

 同時に、士道は全霊を込めて、ちっぽけな右拳を繰り出す。


 結果など、一目瞭然だった。

 

 ただの少年の拳は魔王には届かない。





 だが。

 魔王の"嵐旋風"も、少年に辿り着いてはいなかった。


「…………え?」


 つまり。

 士道の真後ろから放たれた極光が、魔王を"嵐旋風"ごとぶっ飛ばした。

 


「……ありがとう、シドー」


 呆然と立ち尽くす士道に、凛として清冽な声がかけられる。


「――今度は、あたしがアンタを護る番だから」



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ