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ハズレ奇術師の英雄譚  作者: 雨宮和希
第二章 呪われし運命に救いの手を
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第33話 「破滅へ誘う怪物」

 ――百年と少し前まで時は遡る。

 龍魔王ウォルフ・バーゼルトは、その頃は一介の兵士に過ぎなかった。大した力もなかった彼は、同胞の悪魔達から忌み嫌われていた。

 龍族と悪魔族の混血だから。

 ただ、それだけの理由だった。

 当然のことながら、若輩だったウォルフは自身の境遇を呪った。

 ――そんな差別は理不尽だ。

 ――絶対に見返してやる、と。

 彼が折れなかった理由は、そのような偏見に囚われず、自身を支えてくれる数少ない友人がいたからだろう。

 丁度、そんなときだった。

 平兵士だったウォルフが、当時は一人のみだった魔王――『不死』を司るリーファ・ラルートから直々に呼び出しを受けたのは。


「――魔神ゲルマ様がお前を呼んでいる。『祭壇の間』についてこい」


 ひどい緊張を覚えながら魔王城の『玉座の間』に参上したウォルフに、長い銀髪をいじりながら魔王は端的に告げた。

 そのとき、ウォルフは心臓が飛び出るかのような思いだった。

 悪魔の頂点である魔王に呼び出されたかと思えば、もはや象徴的な存在である魔神が呼んでいるというのだ。

 信じられなくて当然だろう。

 しかし、リーファはウォルフの心情などまるで意に介した様子もなく、勝手に『玉座の間』の奥へと歩いていく。

 ウォルフは慌ててついていった。


「あ、あの……ゲルマ様は別世界に住んでいるんじゃ……?」


 恐る恐る気になることを尋ねると、リーファは一瞬怪訝そうに眉をひそめたが、直後に得心したように首肯した。


「む? ……ああ。そういえば、幹部クラスにしか開示していないんだったか。確かにゲルマ様は別世界に住む神様だが、『祭壇の間』にて魔力を捧げれば、そのお声を聴くことが可能なんだ」

「そ、そうなのですか……」

「気をつけろよ。今回は直々の呼び出しだから仕方がないが――本来は、お前ごときがこの場所を訪れることはないんだからな」


 ゆらり、と。

 魔王の威厳を示すかのような濃密な威圧が立ち昇った。脳裏に幾重もの殺戮のビジョンが唐突に浮かび上がる。突如として放たれたそれに、ウォルフは恐怖のあまり声を出すこともできなかった。


 ――不死魔王リーファ・ラルートが魔神ゲルマを崇拝しているというのは、魔王軍では有名な話だ。


「入れ。私はここで待っている」


 リーファは荘厳な雰囲気を醸し出す両開きの扉の前で立ち止まると、近くの壁に背を預けた。

 顎をくいっと傾けて、扉の方へウォルフを誘導する。

 呆然としていたウォルフは慌てて頷く。ごくりと息を呑みながら、その扉をゆっくりと開いた。

 その先に広がっていたのは黒に染まった空間だった。絶望の二文字をそのまま体現したかのような、一筋の希望も存在し得ない闇――ウォルフは『祭壇の間』の暗闇にそんな印象を抱いた。

 ウォルフは怖気づきながら、内部に足を踏み入れた。すると、扉が勝手に閉まり、重厚な音を響かせる。

 それにウォルフが驚きの声を上げる。

 その直前の出来事だった。


 ――世界が、憎いか?


 声が、聴こえた。


 ――貴様を蔑視する者共を、見返したいのであろう?


 何処からかは分からない。だが、この声の正体が魔神であることは、本能的に理解した。否。理解させられた。

 ウォルフは極度の緊張により、自分が何を喋っているのかすら分からない。


 ――龍と悪魔の子よ。貴様はあのような雑魚共を一蹴できる素質を秘めている。見返したいと願うのならば、我に導きに従うことだ。


 ウォルフが何となく覚えていることは、きっと私は悪魔の囁きに負けたのだろうな、という諦念だけだった。


 ――そうか。

 ――ならば、力をくれてやる。





 ◆◆◆





 こうして、ウォルフは魔神の導きに従った結果、莫大な力を宿す"龍化"に覚醒した。その代償として『悪の烙印』という呪いを刻まれたのだ。


「確かに、ゲルマの言う通り悪魔達を見返すことはできただろう。次の戦で四天王にまで昇進したのだからな」


 だが、新しく手に入れたその力は強すぎた。ウォルフは蔑視されることがなくなった代わりに、怖れと恐怖を向けられることになった。

 だが、ウォルフは別にこのことに対しての不満は持たなかった。

 友人達が素直に祝ってくれたからだ。

 だから、それだけなら良かった。

 しかし。


「この力は、烙印は、振るえば振るうほど、私の理性を奪ってしまう」


 その次の戦では、ウォルフは完全に正気を失った。気づけば、数少なかった友人達は他ならぬ己の手によって物言わぬ骸と化していた。

 戦いには勝った。しかし、それは悪魔側の勝利ではなく、ウォルフ一人のみの勝利だった。

 慟哭した。憎しみを抱いた。だが、呪われた身はひたすらに戦いを求めて世界を蹂躙し続けた。

 不死魔王リーファは、その頃のウォルフしか知らない。だから魔神再臨の為の同胞であると考え、ウォルフを復活させようとしているのだろう。

 ウォルフが本当は、ゲルマを憎んでいることなど露ほども知らずに。


「……滑稽なものだな」


 暇潰しがてら昔話を語り終えたウォルフは、ゆっくりと煙草を吸う。

 しばらく静かだったリリスが唐突に奇声を発したので、そちらに目をやった。

 銀髪のハーフエルフは、頭を押さえながら「ううー!」と唸っている。

 ウォルフはその行動の意味を測りかねて疑問を浮かべた。


「……何をしている?」

「あなた、さっき言ってたでしょ。ここは精神世界だから、強く願えば何でもできるみたいなこと。だから、ここから脱出できるように願ってるの。邪魔しないでね!」


 その言葉を受けて、しばらくウォルフは鳩に豆鉄砲を打たれたような表情をしていたが、数秒後には肩を揺らして笑みを零していた。


「ククッ……。そうか。やはり君は諦めないのだな」


 リリスの返答はなかった。端から見ると滑稽極まりないが、彼女は真剣に取り組んでいる。理不尽な運命に負けず、これから先も生きていくために。


 ――死なせたくない。


 ウォルフは純粋にそう思った。

 当時は『悪の烙印』によって暴走していたとはいえ、自らが生き延びるために仕組んだ『因子』の術式だ。その概要は把握している。

 だから、手段がないわけではない。

 だが、ウォルフの肉体は今も抜け殻のままで、全く動かすことができない。

 その手段は、今も現実世界を生きている人間が気づかなければ実行不可能だ。


 一度発見さえすれば、手段自体は複雑な仕組みではない。

 だから。

 後は祈るだけだ。

 この銀髪のハーフエルフの少女を、たとえ魔王に立ち向かおうとも救い出してくれるような――英雄の存在を。


「信じているよ。私が救われなかったとしても。きっとこの世界には、まだ救いがあるのだと」

 





 ◆◆◆





 霧崎翔は素早く辺りの更地に目を走らせると、周囲に悟られないように小さな嘆息を零した。

 前方数十メートル先には、榊原迅とスイメル・カートレットの二人が佇んでいる。策を練っているのか、小さな声で会話をしているようだ。


「……」


 あの勇者がどういう手を使ったのかはいまだ分からないが、空中戦に長けるという悪魔の利点が潰されたのは事実だ。

 対するこちらの陣営は、霧崎翔とリーファに加えて、咄嗟に結界に呼び込んだ中位悪魔が三体のみだ。

 雑兵の下位悪魔達は助ける余裕がなかったので、峡谷の崩落に巻き込まれて奈落の底に落ちていった。

 その選択には、迅に瞬殺される下位よりは、まだ戦えるだろう中位の悪魔を生き残らせるべきだという戦術的な判断が含まれている。

 要するに下位悪魔達を「弱いから切り捨てた」という見方もできるのだが、翔はまるで気にした様子がなかった。

 そんなことは心底どうでもいい。

 翔にとって問題なのは、窮地と呼べるこの状況をどうやって切り抜けるのか。

 前方の二人だけではない。

 後方にはミレーユ・マーシャルが潜んでいることも、忍者である翔は容易に気づいていた。

 高速で思考を回転させて簡単な作戦を組み上げると、翔は『祭壇』を囲うように展開されている結界に目をやる。それを守るように立っている中位悪魔達に命令を下した。

 

「ティグ、君は後方に潜んでいるミレーユを狙うんだ。『鑑定』する限り、魔法はほとんど使えないはずだ。だからといって油断はしないように。それと、シリアとダグネスは僕と一緒にあの勇者の迎撃だ」


 翔は迅の横に並び立つスイメルを一瞥して、鬱陶しそうに告げる。


「ただ、スイメルの結界術は厄介だ。僕らじゃ多分手に負えない。だからリーファ、君にスイメルの相手を頼む。君は魔力供給の関係でここから動けないとはいえ、相手も遠距離型だからね。魔法の打ち合いにさえ持ち込めば、リーファの力なら十分抑えられる」

「む。分かった」

「それで、残り時間は何分かな?」

「十五分と少しだな。魔力供給だけに集中すればもう少し短縮できるかもしれないが……」

「いや、それは下策だよ。ただでさえ追い詰められてるんだからね。……やっぱり少し厳しいな」


 時間制限については『鑑定』を使える以上、勇者側も気づいているだろう。

 その証拠に、スイメルと何やら会話をしていた迅は、ひび割れた大剣を肩にかけながら告げる。


「話は終わったのか? なら、行くぞ」


 その言葉と同時の出来事だった。

 迅の大剣――リーファの水魔法によってひび割れていたそれが、急速に修復されていく。だが、周囲に魔法陣は見当たらないのでスキルによる効果だろう。

 翔は痛烈に舌打ちした。どうやら迅の固有スキル『分身』は、身に着けている装備も複製できるようだ。

 『分身』が全員同じ鎧と大剣を装備していたことから予測はしていたが、迅が得意とする大剣を潰したという、せっかくのアドバンテージが消えてしまった。 僅かに顔をしかめた翔を見て、迅は愉快そうに肩を揺らすと凄絶な笑みを刻んで突撃を敢行した。

 同時に、リーファが片手間に練り上げた"土槍"が何本も飛ぶ。だが、当然のようにスイメルの結界がそれを防御した。


「む……」


 あっさりと防がれたことに不快感を持ったのか、リーファはスイメルに殺気を叩きつける。

 スイメルの厳格な表情はそれでも揺らぐことはなかった。それどころか、魔王に対抗するように濃密な戦意が立ち昇らせていく。

 共に、レベルオーバー。

 世界を震撼させる怪物同士が、その牙を剥いた。


「シリア、右から回り込んで。僕は左から行く。ダグネス、君は勇者に対応するんだ」


 その間に、猛烈な勢いで接近した勇者が大剣を振り下ろす。その攻撃に、翔が引き連れる中位悪魔のうちの一体――ダグネスが対応した。

 大柄な肉体を持つパワー型の戦士で悪魔の中ではそれなりの力量を持っているダグネスだが、手に持つ戦斧で大剣を受けた瞬間、"力の勇者"が持つ莫大な膂力に対して為す術なく吹き飛ばされていく。翔はそれを見て悪態をついた。


「ええい、どうして転移者ってのはどいつもこいつも……!」

「それはワシのセリフだ。そもそも、貴様のような子供がどうして魔王に手を貸している。騙されているのか?」

「面倒だし、そういうことにしといていいよ、ハゲの爺さん」

「ワシはハゲではないし、爺さんという歳でもないわ……! この坊主、少しお灸をすえてやろうか」


 そんな緩いやり取りをしながらも翔の動きには微塵の揺らぎもなかった。手裏剣を牽制に飛ばし、シリアに的確な指示を与えながら、迅の行動パターンを把握するために思考を回し続ける。

 対する迅は分析されていることに気づいていたのか、リスク覚悟で一気呵成に攻め込むべく大剣に力を込めた。

 マズい、と翔は思った。

 まだ、この勇者が持つ膂力への対抗策が練れていない。迅に慎重さがなくなれば、いとも簡単に突破されるかもしれないのだ。

 翔は暗殺や影での動きには長けているが、決して直接戦闘に強いわけではないのだ。甘く見積もって中の上といったところだろう。

 そんな翔の戦術と迅の膂力は、はっきり言って最悪の相性だった。


「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッ!!」

 

 気炎万条、勇者が吼える。同時に大地を砕くような踏み込みと共に大剣が振り下ろされた。シリアは咄嗟に槍を掲げてガードしようしたようだが、強引に両断されて脳天を叩き割られる。断末魔の悲鳴すらなく血飛沫が舞い踊った。

 翔はその隙に迅の真後ろに潜り込む。

 クナイを構えて首筋に突き立てようとしたが、直後に危機感を覚えて飛び退った。迅の大剣が体を一周するように振り回される。風が金切り声を上げた。反応が一歩遅れていれば、翔は間違いなく死んでいただろう。


「――次はお前だ」


 ギロリ、と迅の眼光が翔を捉える。だが、不本意ながら翔は窮地には慣れている。よって表情すら変えずに冷徹に思考を回していたが、いくら考えても撤退以外の策がなかった。

 しかし、いくらリーファとはいえ迅とスイメルの二人を同時に相手をして――勝つことは可能だろうが――結界を守りきれるとは思えない。

 故に、翔は存在しない選択肢に迷った。その結果、致命的な隙が生まれる。


「見誤ったな、坊主」


 迅の大剣が横なぎに振るわれた。舌打ちした翔に命を刈り取る刃が迫る。

 だが。

 

「おいテメェ、俺の可愛い後輩に何してくれてんだよ」


 草薙竜吾の声が響き渡ると同時、莫大な質量を持つ"岩弾"が炸裂した。

 爆音と共に辺りの大地が吹き飛んだ。そのついでのように、迅が大剣ごと消し飛ばされる。迅の最後の分身体は淡い光となって消えていった。


「はぁ…………」

 

 流石の翔もその場にへたり込みながら、安堵の息を吐いた。

 今のは流石に肝を冷やした。


「クサナギさん、遅いよ。いったい何してたの? バカなの?」

「おい、あんなカッコいい助け方されといて、出てくる言葉はそれなのかよ」

「そもそもクサナギさんが早く戻ってきてさえいれば、僕が命張ることもなかったからね」


 その瞬間。

 草薙の表情に陰りが見えたことを、観察力に長ける翔は見逃さなかった。


「…………そうだな」


 だが、誤魔化すような微笑を浮かべて、草薙は静かに首肯する。

 翔がその瞳の奥に潜む違和感を見通そうと僅かに眼光を鋭くするが、それを遮るかのような声が響いた。


「――また、面倒な奴が出てきたな」


 その声の主は、先ほど消し飛ばされたはずの王国の勇者――榊原迅だった。


「面倒なのはお前だよ……」


 頑丈そうな鎧に大剣を背負った迅は重量を感じさせない軽妙な動きで、森林の方から翔達のもとへ接近してくる。

 「また分身か」と翔は嘆息しながら身構えたが、「いや」とその言葉を草薙が否定した。

 

「こいつは『本体』だよ。これまで相手にしてきた奴らとは、覇気が違う」


 転移者相手に『鑑定』は使えない。だというのに、草薙はその百戦錬磨の戦闘経験を持って迅の力量を見抜いていた。

 

「加えて言えば魔力量的に考えて、奴に『分身』をこれ以上作るのは無理だろうしな……多分」


 草薙は面倒臭そうに補足した。

 迅は岩を蹴り抜いて駆けながら、当然とばかりに首肯した。


「当たり前だ。お前相手に分身など派遣しても意味がないだろう。それはすでに実証済みだ。なあ、百年前の英雄様?」

「へぇ。おいおいまさかテメェ、本体なら俺に勝てるとでも思ってんのか?」

「試してみる価値はあるだろう?」

「――その自惚れを、矯正してやるよ」


 二人の言葉はそこで途切れた。

 かつての英雄と、今を生きる勇者の戦いが幕を開ける。

 爆音が、響いた。


 



 ◆◆◆

 




 ミレーユ・マーシャルは、霧崎翔にティグと呼ばれていた中位悪魔との戦闘を続けていた。


「"灯火"」


 ミレーユほどの技術を持つ魔術師ならば、初級魔法程度ならほぼ魔力を消費せずに使うことが可能だ。

 よって、ミレーユは残存する微細な魔力で初級魔法を行使しながら、ティグに接近戦を挑んでいた。

 ミレーユは魔術師ではあるが、体術にもそれなりの心得がある。冒険者とは、魔法の腕だけでやっていけるものではないのだ。

 "灯火"を宿した手でティグの腕を掴むと、じゅわりと肌が焦げる音が響く。

 ティグはぎょっとして目を剥いた。

 ミレーユはその隙を逃さずに脇腹に膝蹴りを叩き込むと、態勢を崩して地面に叩きつける。羽交い締めにしてティグの動きを奪った。同時に耳元で"睡魔"と囁くと、しばらく暴れていたティグは次第にその動きを鈍らせ、やがて意識を失った。


「ふぅ……」


 ミレーユは断続的に響き渡る爆音に顔をしかめながら、リリスを覆う結界に目を向ける。その近くでは魔王リーファとエルフ族の戦士長スイメルが戦っており、その少し横では草薙と勇者ジンが衝突していた。

 今なら魔力が僅かしかないミレーユでも、隙を突いてリリスを救い出すことができるかもしれない。ミレーユの胸中に、一筋の光明が生まれた。

 しかし。

 そんな希望を奪い去るように、結界の前に立ち塞がる影があった。


「ごめんね。ここは通せないよ」

 

 それは、薄く笑みを浮かべていて蛇のような印象を受ける眼鏡の男だった。

 霧崎翔という名の小柄な少年。

 随分と消耗している様子だが、それはミレーユも同様だ。だから、せめて精神だけでも勝てるように強く保って、翔をキッと睨みつけた。


「……無理矢理にでも、私はそこを通るのですよ」

「何のために?」

「リリスちゃんを助けるために」

「無理だよ。今の君じゃ、仮に僕を倒したところで結界を突破することすらできないだろうね」

「そんなもの、やってみなければ分からないのです……!」

「分かるさ」


 翔は強く断言した。ミレーユは知る由もないが、それは常に飄々としている翔には珍しい口調だった。

 だが直後に、翔は薄い笑みを取り戻して肩をすくめる。


「――僕はそうやって『誰かのために』とのたまいながら無謀に挑み、命を散らす愚か者を何度も見てきたよ」


 その瞳に感情は窺えない。あるいは、とうに感情など存在していないのか。

 だが、それはミレーユの知ったことではなかった。

 対する翔は淡々と告げる。


「結局は変わらないのさ。地球も、この異世界も――希望なんて何処にもない」

「それでも」


 ミレーユは一歩足を踏み込んだ。

 ボロボロの体に鞭を打って、戦意を示すように、強く、もう一歩。


「私は諦めないのです。――リリスちゃんは、私の、大切な、塾生ですから」

「……反吐が出る」


 翔はどこか哀しげに首を振ると、意識を切り替えるようにクナイを構えた。

 

「僕の知り合いはみんな、そんな綺麗事を言いながら死んでいったよ」

 

 その言葉の真意を察する余裕は、ミレーユにはなかった。だから、この男を打倒するためだけに思考を回し始める。

 手札は付け焼き刃のような体術と僅かに残る魔力のみ。

 ――確かに、この男の言う通りだ。

 ミレーユは自嘲的に笑う。

 それでも、と。

 ミレーユは『先生』だから。

 生徒の未来を、求めた。





 ◆◆◆






「――待っていろ」


 森林内には疾走する白銀の狼がいた。

 その背中に乗る背の高い少年は、静かな戦意を秘めた呟きを漏らす。

 策は練った。

 準備はした。

 救う手立ては整った。

 理不尽に囚われた少女を呪われた運命から解放する。

 覚悟ならとうに決まっていた。


「俺が、必ず救い出してやる」


 ――笑顔を取り戻すために。

 神谷士道は、硬く拳を握りしめた。

 


 


 

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