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ハズレ奇術師の英雄譚  作者: 雨宮和希
第二章 呪われし運命に救いの手を
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第32話 「悪の烙印」

 ユーレンザラード大陸の最北端に位置するピレーヌ山脈は、峻険な山々が連なり、そのほぼ全域が岩の多い荒れ地となっている。登山が困難な割に旨味も少ないので、わざわざ苦労して訪れる理由もない場所だ。

 そんな辺鄙な山脈の最奥には、真っ二つに断裂された岩山が存在する。

 足場一つない絶壁である崖。その中腹にある洞穴は現在、悪魔残党を率いる不死魔王勢力が仮の拠点としていた。

 翼を持つ悪魔族や龍族でもない限り、辿り着くことすら不可能だと思われるその場所では、今まさに膨大な魔力が渦を巻き、術式の構築がなされていた。


「……始めるぞ」


 『不死』の代名詞たる魔王の少女はゆっくりと息を吐き、静謐な声音で呟いた。

 透き通るような銀髪を肩まで垂らしていて、可愛らしい顔立ちと夜闇に光る紅い瞳を持つリーファ・ラルートの眼前には、復活の儀式の品が揃っていた。

 自身がウォルフ復活のために古代の呪文を書き連ねた『祭壇』。

 ミイラのように干からびているウォルフの抜け殻。

 そして――気絶しているハーフエルフの少女、リリス・カートレットである。


「……災厄を司る純粋なる悪の体現者よ。不死を司る我、魔王として新たなる災いを――」


 最終確認を終えると、リーファの小さな口から詠唱が開始される。凛とした清冽な声音が朗々と響いた。

 徐々に、構築した術式へと魔力を送り始める。

 この術式は『因子』を持つリリスを生贄にして、抜け殻であるウォルフを完全な『魔王』として復活させることを目的としている。

 扱うのは古代魔法。

 何故なら、現代の魔法では百年前を生きていたウォルフが、封印間際に残した『因子』を利用できないのだ。

 古代魔法は現代魔法と比べて術式に無駄と装飾が多いが、それだけ個性的かつ分岐が多いというのが通説である。

 リーファは独自の魔法解釈によって術式の無駄を削ったが、それでも"復活の儀"には三十分という魔力供給時間を必要になった。

 その間に誰も攻めて来ないという予測は、流石に楽観が過ぎるだろう。

 つまり、その三十分間。

 リーファ達はこの『祭壇』を守らなくてはならない。


「むぅ……」


 詠唱を終えたリーファは『祭壇』から離れて一息ついた。術式は一段落。

 後は勝手に体内から自動的に魔力が供給されるので、時間の経過を待つのみだ。

 ただし制限がある。遠距離では魔力供給が滞るので、リーファはあまり『祭壇』から離れることはできない。

 その上、魔力供給によってガリガリと魔力は削られ、精霊王フィアによる手傷によって万全な状態ではない。

 最大戦力の草薙は行方不明で、この場にいるのはあまり戦力にならない下位から中位の悪魔のみだ。

 リーファはそんな状態だというのに、そこまで危機感を覚えていなかった。


「……」

 

 その理由に、視線が向けられた。

 リーファは暗がりに佇む霧崎翔の横顔を眺める。普段は口数の多い翔は、この場に戻ってきてからずっと無言だった。

 目を僅かに細めて、洞穴の入り口から外を眺めている。敵の襲来を警戒している様子だった。

 リーファがその立ち姿をぼうっと眺めていると、視線を感じたらしい翔は、薄く笑みを浮かべて取り繕った。

 リーファは首を振って、頬が熱くなるのを振り払う。

 翔は人間で、リーファは悪魔だ。だから、それはいけないのだ。

 何がいけないのかすら分かっていないまま、リーファは辛うじて自分を納得させる。

 封印期間を除いても百年と少し生きてきたが、こんな感情は初めてだった。


「どうしたのかな、リーファ?」

「……ん、いや。キリサキの様子が、その、少しおかしいと感じただけだ」

「そうかな。気のせいだと思うよ。それより、"復活の儀"の終了は予定通り三十分後でいいのかな?」

「ああ、変わりない。このまま時間が過ぎてくれればいいんだが」


 リーファの楽観的な推測に、翔は厳しい表情で答えた。その目は蛇のように崖の上を睨んでいる。


「…………それは、少し厳しいかな。リーファ、洞穴にいる悪魔を全員集めて。何人いた?」

「中位悪魔が三人。下位悪魔が十二人だな。所詮は残党の掻き集めだ。大した戦力にはならないだろう」

「……いやいや、塵も積もれば山となるのさ。それらに、僕の『呪印』に従う冒険者が十五人。……うん、十分だ。悪魔達はこの拠点の上空に展開しよう。空中戦なら悪魔の独壇場だからね。やっぱりここの立地はかなり有利だよ」

「分かった。すぐに集める。崖の上で待機している、キリサキの『呪印』で暴走状態になった冒険者はどうする? 奴らは空は飛べないだろう」

「彼らは下位悪魔化させて空中戦可能にしておくよ。どうせ死ぬだろうけど、今回の目的は時間稼ぎだしね」

「魔力の無駄じゃないのか?」

「そもそも、僕は天職的に考えても、時間稼ぎという行動が致命的に向いてない。加えて、リーファは『祭壇』付近から動けない。そうなると、自在に動かせる手駒が幾らかいないと話にならないのさ」


 そうこうしている間に悪魔達が集結した。翔は手を叩いて彼らの注目を集めると、話の内容を簡潔に纏めて命令を告げる。人間である翔にはあまり好意を持たない悪魔達だが、しかしリーファの前であるため迅速に動いた。


「……ふむ。クサナギはまだなのか」

「通信魔道具にも連絡つかない。多分また戦闘中に壊したんだろうね。もう予備はないっていうのに。とはいえ、状況を理解してるんならそろそろ来るんじゃないかな? バカじゃない限りね」

「奴はバカだと思うが?」

「うん。まあ……ね?」


 リーファが小首を傾げると、翔はわざとらしく目を逸らした。

 冗談めかして肩を竦めた彼の瞳は、何かに気づいたのか、直後に冷酷な色を帯びる。


「……来た、な。さて、草薙さんか、勇者側か、それともミレーユ・マーシャルか……加えて、士道の可能性もあるか」


 鬼が出るか。蛇が出るか。

 翔は下位悪魔化させた冒険者のうち一体の背中に飛び乗ると、その翼によって拠点の外へ飛び出した。

 忍者である自分には慣れない戦いになるが、魔王軍は基本的に人材不足なので仕方ないと割り切るしかないだろう。


(残り……二十五分といったところか)





 ◆◆◆




  

「ふむ……気づかれたな」


 榊原迅の最後の分身体は、言いながら肩越しに大剣を握った。

 底の見えない、奈落へと続く崖。渓谷というより峡谷だろうか。

 その途中に造られた洞穴の上空に、悪魔達は展開している。

 迅は佇んでいるのは峡谷の頂上だ。洞穴の位置は、山頂から見るとかなり下方だが、空を飛べない迅が下手に飛び込んだところで、集中攻撃を受けて奈落の底に落ちるだけだ。


「……」


 迅は、先ほど合流してからやけに静かなスイメル・カートレットに視線を向けた。その硬い表情から感情を読み取ることはできない。スイメルは迅の視線に気づくと、言葉少なに答えた。


「私の結界を足場に使えばいい」

「ふむ。どのみち草薙が戻る前に襲撃した方がまだマシ、か」


 迅は禿げ上がった頭部を撫でながら少し考え込んだが、直後に顔を上げて大剣を引き抜いた。


「行くぞ。まずは『祭壇』をぶち壊す。それ以外は全部後回しだ」





 ◆◆◆





 真っ白な空間だった。そこは他の色が不自然に排除され、上下左右の概念すら見当たらない。

 そんな空間に、さらりとした銀髪を流す目鼻立ちの整ったハーフエルフ――リリス・カートレットは佇んでいた。


「……ここは?」

 

 リリスは違和感だらけのこの空間に眉をひそめた。そもそも、自分はどうしてこんな場所にいるのだろうか。

 確か、リリスはブルースと共に森の中を逃げていた途中、眼鏡をかけた少年に襲撃されたはずだ。そして、その後の記憶はなくなっている。


「そうだな。我々の精神を形にした場所だ……とでも言っておこうか」


 その声は突如としてリリスの背後に現れた。驚いて咄嗟に振り向くと、そこには知性ある顔立ちに白髪がちらほらと散見される、体には高級そうな貴族服を纏った壮年の男が立っていた。


「あなたは、誰なの?」

「ウォルフ・バーゼルト。いや、そうだな……"災厄の龍魔王"と名乗れば、君らの世代にも伝わるだろうか」

「なっ……!?」


 リリスは絶句した。

 龍魔王ウォルフ。

 その名は、世界を震撼させた『三大魔王』において、最も凶悪な世界の破壊者と云われている。

 『三大魔王』。

 ただ魔神の復活だけを願っていた不死魔王、リーファ・ラルート。

 悪魔による人間の支配を実現させようとした霊魔王、マルフィス・ジーク。

 そして。

 悪の体現者。その身は龍族と魔族のハーフであり、ただの一度も軍を率いることはなく、ただひたすらに"龍化"した暴虐の化身の姿で世界を蹂躙したとされる龍魔王、ウォルフ・バーゼルト。


「あなたは……そんな姿をしてるんだね。災厄とか呼ばれてるのに、なんか普通の貴族みたい」


 リリスは不思議と冷静だった。

 今まさに魔王と対峙しているとはいえ、ここが精神世界だとするウォルフの言葉に妙な納得を覚えたからだろう。

 

「そうか。そうだろうな。私は人間の前に姿を現すときは、いつも"龍化"状態のときだった。人間と言葉を交わしたことは……そうだな。あの男がいたが、まあ十回を越すことはないだろう」


 ウォルフは言いながら、服のポケットから煙草を取り出す。軽く指を鳴らすと、その先に脆弱な火が灯った。

 リリスはその何気ない仕草に目を瞠り、思わず尋ねる。


「魔力も込めてないのに、どうやって火をつけたの?」

「ふむ。ここは精神世界だと言っただろう? この程度の事象なら、強く願えば簡単に手に入るのだよ」


 ウォルフは何かを懐かしむように遠くを見つめながら、煙草の煙を肺いっぱいに吸入した。


「変わった……葉巻だね」

「昔、ある男に一本だけ貰ったんだ。百年という時が経過しても……この味だけは忘れられなくてな。そういえば、あいつは異世界の代物だと言っていたよ」

「……その人は異世界人だったの?」

「そうだ。非常に変わった男だったよ。いつ見ても髪ボサボサで、やる気のなさそうな眠たげな瞳をした冴えない少年だった。…………何より、奴は人族だというのに、破壊の化身と呼ばれていた私に幾度となく対話を試みたのだ。酔狂な男だろう」


 リリスが読んだ歴史の教本には、百年前の戦争の中核たる龍魔王ウォルフは、言葉を使うほどの知能を持たないと書かれていた。

 ただひたすらに、単体で人間の村や街を蹂躙するだけの暴虐の化身。

 そんな彼と何度も接触した人間といえば、記録上は一人しかいない。

 ウォルフと何度も衝突し、災厄の島での最終決戦でついに封印したのは――。


「……英雄、クサナギ」

「ふむ。あの男、今は英雄と呼ばれているのか。似合わないな」


 ウォルフは微苦笑を浮かべる。

 

「……悪竜殺しの英傑か。いや、封印だったか? いずれにせよ、それもまた宿業だろう。かつて悪の烙印を刻まれた者としては……な」


 リリスは要領を得ないウォルフの言葉に首を傾げたが、それ以上説明するつもりはないようだった。

 リリスとしても、それで構わない。百年前の話は興味深いが、それよりも説明してもらいたい事項が山ほどある。

 リリスの物言いたげな眼差しを受けて、ウォルフはちらりと視線を向けると、優しげに微笑んだ。


「そうだな……。では、現状の説明から始めようか。君はあまり自身を囲う状況について知らないようだからな」






 ◆◆◆





 寒風吹き荒ぶ峡谷に、大剣を振りかぶった勇者の咆哮が響き渡る。


「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっ!!」


 そして、爆音。振り抜かれた大剣は谷の側面を破壊し、生じた岩の破片が崩落した。重力に導かれて、奈落へと加速しながら落ちていく。

 それはそのまま、宙に展開している悪魔達へ向かう凶器と化した。

 同時に、迅もそれらの岩に紛れ込みながら落下していく。

 

(リーダーは……奴、か。転移者だな)


 広い視野を持つ迅は一目で看破する。全体を指揮しているのは、爽やかな顔立ちに眼鏡をかけている小柄な少年だ。迅は知る由もないが、霧崎翔という忍者の少年である。

 彼の表情から感情は窺えない。

 戦闘時の緊張や高揚などの様子も見られなかった。元々は平和な現代に住んでいた日本人だというのに、間違いなく戦い慣れしている。


(どいつもこいつも……普通の日本人は殺し合いなんかできないだろう)


 自分のことを完全に棚に上げて、迅は悪態をついた。直後に、叫ぶ。


「スイメル!」


 刹那。迅の真下に結界が展開された。防御効果はあからさまに省略され、迅から見て斜めに、壁のように一枚だけ生み出されたそれは足場として機能する。

 迅はその結界を蹴って谷の側面に着地すると、岩を破砕させるほどの爆発的な速度で悪魔に向かって突進した。

 

「なっ……!?」

「遅い」


 一刀両断。勢いに乗った大剣は下位悪魔の一体を容赦なく二つに断ち切った。

 その勢いのまま、逆側の谷の壁面に足をつける。

 直後に、先ほど迅が崩落させた岩の群れが悪魔達を急襲した。崩落に巻き込まれない位置を計算していた迅は、悠々と眺めながら大剣を構える。

 岩を避けることに集中して隙を見せた悪魔を、殺す用意をする。

 しかし。


「――慌てないで、数は少ないから。落ち着いて対処するんだ」


 その声は決して大きな声ではない。だが、不思議と明瞭に響き渡った。

 言葉に呼応するように、悪魔達は連携を取って岩を躱していく。今までと比べて、どこか機械的な仕草だった。

 迅は妙な違和感を覚えたが、直後にその正体を看破する。


「こいつら……まさか、"一つ目狐"の冒険者か!?」

「ご明察だ。もっとも、今はただの下位悪魔なんだけどね」


 割り込む声は、飛翔する下位悪魔の背に乗った転移者――霧崎翔のものだ。

 驚愕する迅に向けて湾曲した形状の刃物が旋回し、弧を描いて肉薄した。

 迅は悪魔共を仕留める機会を封殺されたことに舌打ちしながら、飛び上がってそれらを躱す。すると、今まで足をつけていた壁面にカカカッ!! と飛び道具が突き刺さった。


(手裏剣……?)


 迅の脳裏に疑問が浮かぶが、拘泥している暇はない。翔が手を振ると、岩の崩落から逃れた悪魔達の視線が宙を舞う迅に向けられた。


「それは失策だよ。君は空中では見動きが取れないだろう」

「――そう思うか?」

 

 迅は凄絶に笑う。その足元に、ミリ単位の差異すらなく、スイメルの結界が展開された。悠然と着地。


「貴様らの敵がワシだけだと思うな」


 直後。

 轟!! と、迅は凄まじい速度で翔に向かって肉薄する。まずは指揮官から潰すという極めて合理的な思考による行動だった。対する翔は土台にしている下位悪魔に命令して後退しながら、ちらりと洞穴へと視線を向けた。

 迅は一瞬視線の誘導かと思ったが、嫌な予感に駆られて洞穴の方を振り向く。

 その行動は正解だった。

 莫大な質量を伴った水魔法が、暗い洞穴の奥から迅へと殺到する。

 

「ごっ……!?」


 咄嗟に大剣で防御する。

 だが、そもそも莫大な魔力を使用したその魔法は、受けた時点で敗北が確定したようなものだった。

 迅は谷の壁面に叩きつけられ、半ば埋め込まれたような状態になった。それでもなお、水の爆撃は留まるところを知らない。途轍もない質量を前に、大剣が耐えきれずにビキビキとひび割れていく。

 これほどの魔法を放った者など、その正体は決まっている。


(これが、不死魔王、リーファか……!)


 迅は唇を噛み締める。敗北を悟る。

 その直前の出来事だった。


「――まだだ」


 スイメルの結界が割り込む。あれほどの魔法攻撃に対して、三重に展開されたそれは二枚を破壊されたが、最後の一枚は何とか耐え忍んだ。

 同時に、その結界を足場にしてスイメルが着地する。迅の眼前には、背の高いエルフ族の後ろ姿があった。


「助かった……が、なぜ降りてきた? 結界師のお前は上でワシを掩護していた方が戦いやすいだろう」 

「無茶を言ってくれるな。あれだけの魔法を遮る結界など、遠隔では作れない」

 

 スイメルは厳格な表情のまま、ちらりと迅の方を一瞥してそう言った。


「……」


 迅の正面には悪魔の住処たる洞穴。

 その入り口には、不死魔王リーファがその姿を現していた。

 おそらく、あの奥ではすでに儀式が進行しているのだろう。

 もはや一刻の猶予もない。

 リーファの近くの宙空では、翔が残存悪魔を率いて飛翔している。

 魔王側の守護は万全だった。

 だからこそ。


「やれ……"力の勇者"の真髄を見せろ」


 迅は凄絶な笑みを刻んだ。翔が言葉の意味を測りかねたのか、眉をひそめる。

 その瞬間。


 天地を揺るがす轟音が炸裂した。


「何っ……!?」


 突如とした揺れに不死魔王リーファは態勢を崩した。奈落に落ちかけた彼女を翔がさらっと救い上げる。

 その一連の動作を眺めた迅が上方を仰ぐと、莫大な質量の岩が群れをなして谷へ崩落してきた。

 それどころではない。

 谷そのものが原形を留めていない。先ほどの衝撃により、洞穴の近くにまで亀裂が入っていた。

 崩れるのも時間の問題だ。

 それらを眺める迅に対して、翔はあくまでも冷静に洞穴内に撤退しながら、


「ねぇ勇者、何をしたんだい?」

「――答えると思うか?」


 迅は不敵な笑みを浮かべながら、スイメルの展開する結界に足を乗せた。

 スイメルはそれを一瞥すると、結界の範囲を伸ばして四方を囲む。さらに術式を整備して、万全な守護を固めた。


「さて……吉と出るか、凶と出るか」


 迅は谷が崩れていく光景を眺めながら、愉快そうに呟いた。

 先刻の谷をまるごと崩落させるほどの衝撃は、この場にいる迅の最後の分身体――彼の『本体』の行動であった。

 この場にいる分身より遥かに高い力を持つ本体は、谷の上から、地面へと全力で大剣を振り下ろした。

 それだけで、山が倒壊した。

 分身ではない本来の勇者とは、それだけの力を持つ存在だった。


「しかし……とんでもない策だな」


 スイメルが呆れたように呟く。

 この行動の目的は、谷を上から全力でぶっ叩いて洞穴がある場所まで平らな地面にしてしまおう――という、言ってしまえば、ただの力業である。

 それにリリスを巻き込んで殺せるのなら、それで良し。

 たとえ殺せずとも、地面が平らになりさえすれば、不利な空中戦を挑まずに済むということだ。

 流石に谷を叩き壊すという災害レベルの攻撃だ。それにより本体はかなりの魔力を消費してしまったが、それに値する効果は十分に出ているだろう。

 何故なら。


「ほう」


 土煙が晴れると、そこにはスイメルと似たような結界が窺えた。魔王リーファが展開したものだろう。

 その中には霧崎翔と何人かの悪魔が佇んでいる。大部分の悪魔は崩落に巻き込まれたようだった。

 中央の古代魔法の祭壇には、リリスが横たわっている。

 迅は即座に『鑑定』をかける。

 やはり、儀式は進行中のようだ。


「――タイムリミットは残り二十分だ」

「間違いないのか?」

「うむ。『鑑定』を使った」


 平らにした地面は、元々谷だった位置は変わらずに深い断裂があるが、リーファ達のいる元々洞穴だった場所は、決して平地とは言えない岩がボコボコとしている大地だったが、一応歩くことはできるようになっていた。


「……ひとまず成功のようだな」

「うむ。ワシも峡谷を叩いて潰そうと思ったことはあまりなかったが、やればできるものだな」

「何でもいい。ひとまず向こう側に飛び移るぞ。これ以上結界を展開していると、魔力が湯水のように減っていく」


 迅達は一息にリーファ達がいる側の地面へと跳躍した。その様子を見て、再度展開する悪魔達を見ながら、スイメルが小声で尋ねる。


「それで、『本体』はどうしたんだ?」

「遠方で様子を見てる。勇者は簡単に消費していい駒ではないからな」

「……そうだな。それが良いだろう」


 迅はスイメルの返答を聞きながら、何か妙なものを見つけた気がして、魔王側のさらに後ろを見ようと目を細めた。

 そこを歩いていたのは。


(……ミレーユ・マーシャルか。ほう、この局面でどう動くつもりだ?)





 ◆◆◆





「――要するに、今のあたしはその『祭壇』とやらに閉じ込められてて、あなたに力を取り戻させる儀式が進行してる最中だってこと?」


 リリスは混乱しているのか、頭をうりうりとしながら呟いた。


「そういうことになるな」


 対するウォルフは虚空を眺めながら、落ち着き払った様子で首肯する。


「そっ……か。じゃあ、あなたが魔王の力を取り戻したら、あたしはどうなるの?」

「そうだな。きっと、もう二度と目を覚ますことはないだろう」

「……」


 落ち着き払ったウォルフの声を聞き取り、リリスはそっと目を伏せた。


「……何も、言わないのだな」

  

 ウォルフが意外そうに告げると、リリスはその言葉こそが不服だったのか、


「勘違いしないでね」


 一変して、強気な語調で告げる。


「あたしは往生際が悪いから。まだ、生きることを諦めてない。これは、ミレーユ先生にもらった命だから。絶対に、無駄にはしない。そう決めた」

「……ふむ。仮に儀式が失敗して君が逃げられたとしても、君が宿している運命は何ら変わりないぞ? 君が魔王の『因子』を持つ限り、永遠に狙われ続ける」

「――だとしても」


 リリスは即答した。

 その瞳に陰りは見えない。


「あたしは、決めたから。エルフの里から追い出されたあの夜に――たとえ、どんな辛いことがあっても、決して生きることを諦めはしないって」

「そう、か……」


 その覇気に気圧されたように、龍魔王ウォルフは苦笑いを浮かべる。

 そして威厳も何もない小さな声音で、ポツリと寂しげに呟いた。


「……君は、強いのだな」

「何それ、嫌味なの? あたしにもっと力があれば、先生やブルースがあんなになるまで戦う必要はなかったっていうのに。今だって、敵に囚われてる」

「違う。力の話のではない。心の話だ。そもそも、前提として――」


 ウォルフは力なく首を振りながら、


「――私は争いが嫌いだ。戦争なんて決してやりたくはなかった。しかし、私はたまたま素養があったというだけで魔神ゲルマに悪の烙印を背負わされ、強く呪われた。……その結果が、災厄の二つ名で呼ばれた世界を蹂躙する大魔王、ウォルフ・バーゼルトだ」

「それは、どういう……」


 争いが嫌いだった。

 それが、どうして、伝説では誰よりも戦を好んでいたとされているのか。

 

(呪い……か。きっと、戦うことを強いられたのよね)


 リリスには不思議とウォルフの心境が分かった。

 理不尽にも呪われた運命に翻弄され、必死で生き足掻いてきたリリスだからこそ、その魔王に共感を抱けたのだ。

 本能が、察している。

 

「……あなたとあたしは似ている」

「そうだな。だから、分かる。私にもっと――君のような心の強さがあれば、生きることを諦めずに呪いを解く方法に辿り着いたかもしれないな。そうすればクサナギに頼ることもなく、あれほどの人間を殺すことはなかった……だが、まあ、今更だな」


 ウォルフは遠い目をして呟く。


「――どのみち、儀式を行っているのはリーファだ。万が一にも失敗することはない。そうなれば、私は『悪』に取り憑かれて再び世界を蹂躙することになり、お前はそのまま死ぬだろう」


 ウォルフの瞳には諦観だけが窺えた。

 焦燥を浮かべるリリスを嘲笑うように――誰も救われぬその未来は、刻一刻と迫っていた。

 






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