第28話 「勇者は英雄ではない」
人と獣。
冒険者と魔物。
幻影の奇術師と迷宮の守護者。
神谷士道と白狼王ウルフェン。
一人と一体は互いに殺気を放出して睨み合っていた。その瞳に油断はない。互いの僅かな動作を冷静に見据え、その度に微妙に構えを切り替えていく。
『魔眼』が炯々と輝く。『血壊』が白い毛並みを紅く染めさせる。
極寒のごとく凍りついたかのような空間の中で、最初に動いたのは士道だった。右足に体重をかけて、左に移動と見せかけて右側に飛ぶ。同時に『魔眼』による幻影術を展開。幻影には左側に回り込ませる。士道と視線を合わせていたウルフェンは見事に引っかかった。
ほくそ笑みながら、隙だらけのウルフェンの身体に『雷撃』を叩き込む。目にも止まらぬ速度で紫電が迸った。耳を劈くような鋭い破壊音。
士道は鼓膜に響く轟音に僅かに顔をしかめながら、次の手に移っている。
何故なら、士道にとって最大威力の攻撃である『雷撃』を以ってしても、ウルフェンはまだ倒れないと半ば確信していたからだ。
放たれた『雷撃』はウルフェンの体を容赦なく貫いた。紅蓮の狼は嘶きを上げる。直後に、飢えた猛獣のような眼光が士道を射抜いた。
まだ、倒れない。
(……焦るな。冷静に、少しずつ態勢を崩して、確実な隙を作り出せ)
士道はそう己に言い聞かせながら、投げナイフを牽制に放った。畳み掛けるように"雷鳴斬"を飛ばす。今までよりは威力を抑えた攻撃。残存魔力量を考慮した結果だった。ついで士道は最小限の魔力で魔法陣を展開。"闇矢"を数十本作り出して、投げナイフの間隙を縫うように飛ばした。
弾幕を張る。しかし、敏捷性に長ける上に『血壊』によって強化されたウルフェンならば、容易とは言わないまでも、避けることは可能だろう。
だから。
士道は、ありったけの魔力を練り上げて"暗闇"を発動する。
闇属性の初級魔法。それは、ただ周囲を暗くするだけの効力だ。それを全力で行使して辺りを真っ暗に染めただけ。
だが。
今まさに迫りくる弾幕を目で見て避けようとしていたウルフェンには、絶大な効果を発揮した。
暗闇の中で狼の悲鳴が上がる。士道の『魔眼』はその光量の落差に即座に順応した。
対して、身体を幾重にも血に染めたウルフェンは士道の姿を捉えられていない。士道は霞むような勢いで肉薄しながら、音を立てないように剣を抜いた。
――銀閃が暗闇に弧を描く。
『白狼王』ウルフェンの首がくるくると宙を舞い、淡い光となって消えた。
◆◆◆
――"支配領域"。
その魔法は、草薙竜吾を以って瞠目させる程に完成された術式だった。
そもそも草薙でなければ、その正体を看破することすら難しい領域だろう。
「くそったれが……っ!!」
苛立たしげに吐き捨てながら、草薙は縦横無尽に駆け抜ける魔法の群れに対処していく。身に纏っている魔導服はすでにボロボロになっていた。避け切れなかった氷の刃が薄く頬を裂く。じくじくとした痛みを無視して、草薙は打開策を練り上げていく。
(……考えろ。まず、この術式の起点は何だ。どうやってこれだけの威力を生み出してんだ? これだけ強力な術式なら必ずどっかに弱点がある。見逃すな、俺なら看破できる……!)
草薙は迅速に目を走らせる。まずは術式の正体を知ることが肝要だった。
草薙を追い詰めている"支配領域"。
この術式の厄介な点は『何処からでも魔法陣を展開できる』というただ1つのみだった。そして、それだけの要素が凶悪極まりない。
魔法とは基本的に術者を起点として魔法陣が展開され、発動するものだ。
だが、ミレーユの"支配領域"はその前提をまるっきり無視している。
ミレーユは草薙から遠く離れた位置にいるというのに、展開される魔法陣は草薙のすぐ近くなのである。
ミレーユの位置とは無関係に、草薙の真後ろで発動することも多い。
回避が間に合わないのも当然だ。むしろ、かすり傷程度で済ませている草薙の反応速度を称えるべきだろう。
「無茶苦茶な術式を……っ!」
草薙の周囲の空間にはミレーユの魔力が薄っすらと漂っている。
これが術式の基点なのか。
だが、ただの漂流した魔力がどうやって魔法陣を展開させているのか。
思考を巡らせている間にも、草薙の周囲では次々と魔法陣が展開されていく。発動前に数個は斬り崩すが、それだけで収まる数ではない。光り輝く魔法陣が炎を生み出して竜の形をなす。数十にも展開されたそれは噛みつかんばかりに草薙へと肉薄した。
そろそろ体力も限界。魔力にもそう余裕はない。
よって、草薙は賭けに出た。
襲いかかる火竜を無視して、体内の魔力をそのまま全方位へと放散させる。
それに殺傷性はまるでない。つまり貴重な魔力を無駄遣いしただけだ。
普通なら、そう思うだろう。
だが。
音もなく空間が切り替わった。ミレーユの魔力が支配していた領域を、草薙の魔力が侵食していく。
その途端、迫りくる炎の竜の勢いが弱まった。あからさまに動きが鈍る。
草薙は口元に弧を描いた。
炎魔法を舞うように回避しながら、突破するための思考を巡らせ続ける。
突破口は見えた。
だが、そう上手くいくものではない。
一時的に場の支配権は奪ったが、それはミレーユの虚を突いただけのこと。真っ向から場の支配権を争えば、消費しているとはいえ魔力量の多いミレーユが勝つのは自明の理だった。
草薙の魔力量はそう多くはない。
その強さの所以は多様な剣技と魔法であり、それを生み出す経験と技術だ。 決してステータスに恵まれているわけではない。その上、今の魔力放散によって著しく魔力を減らされていた。
だが、魔法を次々と発動しているミレーユの方が魔力切れは速いはずだ。
長期戦は有利。だが、草薙はミレーユに勝つことを目的としているわけではない。あくまで戦闘はリリスを迅速に連れ去るための手段なのだ。
詰まるところ、この膠着状態は望むところではない。さっさと決着をつけたいのである。
ならば、覚悟を決めるしかないのか。
"支配領域"の突破口は見えたが、今まで通りやっていれば確実に長引く。
新しい起点が必要だった。
「仕方……ねぇか!」
気炎万条、草薙が吼える。
二度目の異世界にてあたらしくその身に宿した力が真価を見せる。
すなわち、固有スキルが解放される。
その。
直前の出来事だった。
明らかに異質な威圧感に襲われる。
発生源は後方だった。だが、ミレーユの魔法陣が展開している気配はない。
即座に振り向いても、草原が広がっているだけで他には何もなかった。
ならば、この嫌な感じは何なのだ。
そう疑問に思った刹那、草薙は不可視の衝撃によって吹き飛ばされた。
「ごっ……!?」
喀血する。痛みよりも先に疑問が浮かんだ。今の攻撃は、何だ。まるで身体全体を見えない壁に打ちつけたかのような痛覚が迸る。背筋に電流が走った。
「――介入するなら、この辺りか」
「ふむ。ワシならもっとギリギリまで待っても良かったがね」
草薙は痛みを堪えながら前を向く。
遠方より姿を現したのは、先ほど手玉に取ったエルフ族の青年スイメルとライン王国の"勇者"迅だった。
草薙は舌打ちする。やはり、ミレーユとの戦いに時間をかけ過ぎたのだ。
とはいえ、彼らの言から察するにもっと以前から戦況を観察されていた可能性すらある。すなわち、手の内が読まれているかもしれない。
「後一歩遅ければ、確実に決着がついていただろう。このタイミングが最良だ」
「別に文句はない。目論見通りにいったんだからな」
草薙が立ち上がったときには、すでに結界に囲まれていた。スイメルが発動したものだろう。
先ほどの攻撃は何一つ感じ取れなかったが、結界は見抜くことができた。
「……」
直感的に草薙は理解する。あの不可視の攻撃を放ったのはスイメルだろうと。
スイメルの結界術は明らかに群を抜いている。下手に触れれば、どんな効果が発動するか分からない。
草薙は迅速に術式の解明に入った。
だが、多少の時間のロスは避けられない。ちらりと周囲を確認すれば、ミレーユ・マーシャルは五人の勇者の分身体に囲まれていた。
地力ではミレーユの方が上回っているはずだが、ミレーユは典型的な遠距離を得意とする魔術師だ。
接近戦型のパワーファイターである迅の分身体に囲まれているだけならまだしも、あれだけ距離を詰められてしまえば、もはや彼女になす術はない。
"支配領域"の発動による消耗で息も上がっていた。
それでも魔法発動を狙って隙を窺っているようだが、予備動作を見せる度に四人のエルフ族の弓から矢が飛んだ。
最悪な戦況だ。完全に勇者側に出し抜かれてしまった。
その上、勇者の付き人だと思われる騎士まで姿を現す。
「さて、迅速にだ。そこの男はスイメルの結界でさえすぐに突破してくるだろう。さっさとリリスの首を刎ねろ。それだけで解決なんだ」
「……っ!」
迅の冷徹な眼差しを捉えた瞬間、リリスは即座に逃げの一手を打った。
ありったけの魔力で肉体を強化すると、森林の奥へと飛び込んでいく。
「アルドック、追え。手はずは分かっているだろう」
「了解です」
数人の騎士が冷淡に答えながら、リリスを追い駆けていく。
草薙の脳内を焦燥が駆け巡る。
だが、事態を好転させるためには焦りは不要だ。深く息を吐いて、心を落ち着けながら術式の解明を続ける。
しかし、作業は難航していた。
(……く、そ!? 何だこの結界は……精密すぎて粗が見つからない!?)
エルフ族は繊細な魔力コントロールが得意とされているが、いくら何でもこの術式は異常だった。
草薙が一度スイメルの結界をすり抜けてエルフ族を殺したから、ことさら精密にしているのだろうか。
草薙は歯軋りをした。スイメル・カートレットを侮っていたつもりはない。
だが、先ほど出し抜いたことから、知らぬ間に慢心していたのかもしれない。
こうしている間にもリリスの死は着々と近づいている。猶予は一刻もない。
こうなれば多少のリスクを無視してでも、強引に突破するしかない。
つまりは現代にはない転移系の術式。
草薙は残り少ない魔力を振り絞って古代魔法の詠唱を開始する。
「王の盟約に従い、我が――」
「――それを待っていた」
直後。
天地を揺るがすような轟音と共に結界が爆発的に炎上した。
◆◆◆
「……勇者様」
「何だ? "支配者"ミレーユ・マーシャル殿よ」
「……あなたは今、何をしているのか理解しているのですか?」
尋ねる声は怒りで震えていた。
迅はそんなミレーユをひどく冷めた瞳で見つめながら、油断だけはせずに周囲を囲み続ける。近距離を五人の分身体が囲み、遠距離から四人のエルフ族が弓を構えている。万全の態勢だった。
隙を見せた瞬間に始末するつもりだったが、中々に難航している。
流石は超級といったところか。
「理解しているとも。世界にとっての危険分子を始末しようとしているだけだ」
「……リリスは、普通の女の子なのですよ。危険分子? ふざけないでください。そんなものは先天的に体に埋め込まれていただけなのです」
「だとしても、存在しているだけで世界が危険に晒されるのは事実だろう。現に今、魔王側から狙われた。アレが奪われれば、魔王ウォルフが復活すると分かっているのか?」
「だから、殺すのですか? 彼女には何の罪もないのに? ハーフエルフで排斥さているから、殺しても周囲に影響がないから?」
「その通りだ」
ひどく冷たい声音だった。その瞳には揺るがぬ意志が宿っている。ミレーユが愕然とした目で迅を見上げた。
「ワシの仕事は、世界の敵を討ち滅ぼすこと――牽いては、世界の平和を守ることだ。そこに、個人の事情は斟酌されない。されてはならない。そのために最も効率が良いのは、ウォルフ復活阻止のためにリリスを殺すことだ」
「……効率?」
ぴくり、と。
ミレーユの空気が明らかに変化した。
「あなたはその効率とやらのために、一人の人間を見殺しにするのですか?」
貫くような眼光を、しかし迅は真っ向から受け止める。
「……もう一度言った方が良いのか? その通りだ、と。ワシのやり方は最も多くの人間を救う。そこに正義がなくとも、たとえ悪逆非道のやり口であろうと、ワシは決して変わらぬ」
多数のために少数を犠牲にする。
勇者とは常にその選択が迫られる職業だった。
迅はまだ召喚されて日が浅い。
だが、それでも何人もの人々を見殺しにして、それよりもっと多くの人々の笑顔を手に入れてきた。
悩んだこともある。あっさりと人を見殺しにした嫌悪感で、死にたくなるようなこともある。勇者とはすべてを救えるヒーローのような存在ではなかったのかと、慟哭したこともある。
しかし。
だから。
勇者は揺らぐことなく、前を見据え続ける。そこに理想はなくとも、正義はなくとも、最小限の犠牲で最も多くの人々を救うために。
「……どうして」
嗚咽混じりに言葉の雫が落ちる。
それは慟哭に変わった。
「どうして!! あなたは、勇者なのでしょう!? この世の理不尽のすべてを救って、都合の良い理想郷を作り出すのが勇者じゃないんですか!?」
「……」
「答えるのですよ!! あなたは、幼い少女を犠牲にしたその口で、人々の希望を名乗れるつもりなのですか!?」
「……ワシには、無理だ」
迅は力なく首を振った。
多数の側も少数の側も救ってみせることなど、不可能だ。そんなものはお伽話の中のヒーローだけができることであって、現実では必ず犠牲が必要な場面はある。そうでなくてはならない。
――過去に一度だけ。
そう、一度だけ、すべてを救ってみせようと命懸けで挑戦したことがあった。
その結果。
救おうとしたすべての人間は死骸となって朽ち果て、無残な敗北の傷だけが残った。
今にも死に絶えようとする人々が、勇者への怨嗟の声を漏らし続ける。
思い出そうとするまでもなく、その記憶は迅の隣に在り続けていた。
その上、竜騎士アルバートが窮地に駆けつけてくれなければ、迅は何一つ果たせないまま無様に息絶えていただろう。
――だから、迅は最も効率の良い選択を選び続ける。たとえどんなに犠牲が多かったとしても、それが最良の未来なのだと信じているから。
「お前に一つだけ教えておく――勇者は、英雄ではない」
「……」
「すべてを救うなど、不可能だ」
「……そうですか。失望したのですよ"人々の希望"」
ミレーユは強固な意志を以って断言した。同時に滾るような闘志を顕にする。
魔力が爆発的に高まった。身の毛もよだつような殺気が互いに無造作に叩きつけられる。
「私は、あなたを勇者とは認めない」
轟!! と"支配領域"が展開される。
直後に、五人の迅が殺到した。




