第23話 「古代魔法」
士道と別れたリリス・カートレットは、憤慨しながら帰り道を歩いていた。
思い浮かぶのは、先刻の意地悪そうな士道の笑みである。良い人だと思ったこともあったが、どうやら一時の気の迷いだったらしい。士道は性格が悪い。これは間違いない。
「……フン、知らない」
適当に呟きながら、角を曲がって路地裏に入る。宿への近道だが、少女が通るには危険な場所だ。
とはいえ、リリスは魔法に長けた第三級冒険者である。そこらのゴロツキ程度なら簡単に対処できる自負があった。
「――"結界"」
要するに。
彼女を待ち伏せしていた面々がゴロツキどころではなかったことは、運が悪かったとしか言いようがない。
「……え?」
微かな囁き声と魔力の気配を感じ取る。動揺も束の間、リリスは意識を切り替えた。その瞬間、何処からか発動した魔法がリリスの周囲を囲い込む。
リリスの逃げ場を塞ぐように、見えない壁が形成された。
先ほど聴こえた呟きから魔法を推測すると、これは無属性魔法に位置する結界術に分類される術式だろう。
難易度の高い魔法の高速展開。それまでリリスに気づかれない潜伏能力。おそらく、この襲撃者はかなりのやり手だ。
本能が警鐘を鳴らす。リリスは即座に結界の突破を図った。
いったい何の目的かは知らないが、結界を使った以上は友好的な相手ではないだろう。ひとまず結界を破る。敵の正体を探るのはその後でいい。
そう結論づけたリリスは脳内で術式を構築。その図面を描くように魔法陣を宙空に展開させた。練り込まれた魔力が術式を稼働させ、放たれるのはリリスが最も得意とする水属性魔法。
「――"水槍"!」
鋭い声に呼応するように水流が生み出される。それは一箇所に集中すると、一本の槍を形作った。濃密な魔力がその鋭利な槍を洗練させていく。
魔力の気配や培った経験から、この結界はそれなりの硬度を誇ると予想していた。よって、リリスは術式構築に多少時間をかけてでも、威力を優先して丹念に魔力を込めたのだ。
自らの魔法の最高威力まで引き上げると、それを惜しむことなく放出する。
"水槍"がリリスを囲んだ結界に向けて発射された。衝突と同時、魔力同士が干渉して爆発音を響かせた。
完璧な手応え。結界に、真っ向から叩き込んだ。
――しかし。
「……嘘」
呆然とした声が漏れる。
"水槍"がその効力を放出し尽くして霧散しても、堂々と君臨する結界には何一つ傷を与えることはできなかった。
圧倒的な威容。徹底的なまでに洗練された結界術。
それには、なぜか見覚えがあった。
いったい、何処でこの術式を見かけたのか。
リリスが混乱しながら記憶を手繰っていると、カツカツと後方から足音が響いた。おそらく、この結界を展開した人物だろう。
背後を取られたことに身を竦ませながらもリリスは咄嗟に振り向き、そして凍りついた。
眼前に佇んでいたのは、長めの銀髪に精悍な顔立ちをした褐色の青年。
感情を覆い尽くすような無表情をしたエルフ族だった。種族の誇りたるその耳は、鋭く長く尖っている。
リリスは目を瞠った。
驚きのあまり、しばらく声を出すことができなかった。
何故なら。
リリスは、そのエルフの青年を知っている。
「…………お兄、ちゃん?」
震えるような声音だった。
背格好はそれなりに変わっている。だが、間違えるはずがなかった。
リリスの義兄――スイメル・カートレット。両親を失ったハーフエルフであるリリスを受け入れてくれた、暖かい家族の一人である。
同年代の子達に虐められていたりすると、必ず助けて来てくれる。
昔のリリスにとっては、ヒーローのような存在だった。
もう二度と会えないと思っていた。
里がリリスの処分を決定して追放されたとき、何よりも辛かったのは兄に会えないことだった。
目尻から、一筋の涙が滑り落ちる。
「……リリス」
対するスイメルの口調は、ひどく冷然としていた。まるで胸の裡に潜む感情を押さえつけているかのような強張った声音で――告げる。
「……済まない」
端的な一言だった。
リリスがその意味を測りかねた瞬間、スイメルの手から魔法陣が展開される。
その術式は火属性魔法。明らかに攻撃目的の殺傷性が高い術式。
その対象は、どう考えても一人しか見当たらなかった。
リリスは信じられないような瞳でスイメルを見つめる。いつしか、涙は止まらなくなっていた。
「……あたしを、殺すの?」
「……」
「……意味わかんない。……追放しただけじゃ、駄目だったってこと? そんなの……あたしにはどうしようもないじゃん……」
ポロポロと涙が零れ落ちる。
どういう判断でそうなったのかは分からない。だが、それでも、エルフ族は禁忌とされているハーフエルフを根絶しようとしていることは分かる。
その刺客として放たれたのが義理の兄だというのは、何の皮肉なのだろうか。
「……ッ!!」
スイメルは耐えきれないといった様子で表情を歪めた。火魔法を使おうとする右腕が、震えたまま停止している。
それを見かねたのか、物陰からエルフの女が姿を現した。
この分だと、スイメルの張った結界の中には何人もエルフ族がいるのだろう。
リリスを、確実に殺す為に。
女はスイメルの肩に手をやると、同時にエルフ族特有の自然な動作で魔法を準備した。
「……私がやるよ。やっぱり、貴方には酷でしょう」
「……マリー」
マリーと呼ばれた女の目には、心優しく仲間を気遣う色がある。
しかしその視線は、リリスに向いた途端に"モノ"を見る目に変わっていた。
ひっ、と喉の奥から恐怖するような声が迫り上がり、零れた。
昔から、この目が一番嫌いだった。
「いやいや待てよ。ここは俺がやるぜ」
奥から聴こえたもう一つの声。
また、仲間のエルフ族が寄ってきたのだろう。リリスはそう思った。
もう何もする気が起きない。絶望の淵で、諦観の面持ちで状況を眺めていた。
スイメルはその声に何気なく応答しようとして――
――顔を、凍りつかせた。
「誰、だ?」
呆気に取られたようなスイメルの声。
リリスには理解が及ばなかった。
スイメルが張った結界の中に、どうして彼自身が誰何するような人物が紛れ込んでいるのか。
その男はエルフ族だ。そうにしか見えない。そして、少数民族のエルフが仲間の顔を知らないはずがないだろう。リリスも過去に、里で見たことがあるような気がする。
いったい何が起きているのか。
「……」
スイメルは動揺から立ち直ったのか、距離を取って男に警戒の眼差しを向ける。
それに対して、マリーはいまだ混乱してスイメルと新たに現れた男を見比べていた。
マリーは狼狽しながら、スイメルに問いかける。
「ね、ねぇスイメル。どうしたの? この人はリーフじゃない? 私たちの仲間でしょう?」
「……」
スイメルは沈黙する。ただ、男の一挙一動に注目していた。
「……へぇ」
対して、エルフ族のはずである男が放った声は、スイメルへの興味を示すものだった。直後に、足を動かす。
その行動の意味を悟ったスイメルが、マリーに向けて苛烈な声音で命令する。
「マリー! 今すぐそいつから離れろ!!」
「……え?」
しかし。
言葉は、届かない。
どすっ、と。
マリーの腹部にはいつの間にか紅に染められた剣が突き刺さっていた。
その後方で顔色一つ変えないのは、エルフ族の姿をした男。
リリスには、見ることすら叶わないほどの剣速だった。
気がついたらその現象が起きていた。
「マリー!?」
スイメルの絶叫が響き渡る。
そもそも、どうしてエルフ族の男が仲間であるマリーを突き刺したのか。
リリスはそれを疑問視した。
否。
そもそも。
この男は、エルフ族などではない。
「……え?」
幻術にでもかかっていたのか。
分からない。リリスにはまるで理解が及ばない。
ただ一つだけ言えるのは、この男は、ただの、人族だ。
それこそ、先ほどまでエルフ族に見えていたのが不思議なくらいに、特徴のない冴えない青年だった。
彼は肩をすくめてスイメルに言う。
「すげえな。俺の幻術を見破るなんて、いくら魔法に長けたエルフ族っつったってそうできることじゃねぇ」
「……何者だ?」
スイメルが苦渋に顔を歪めながら、青年に問いかける。青年はマリーを地面に放り捨てながら、
「名乗るほどの名前じゃねえよ。ただの、ちょっとした、百年前の英雄さ」
その言葉の直後の出来事だった。
目にも止まらぬ速度で剣が振るわれ、鋭い銀光が鞘走った。
スイメルは咄嗟に結界を展開する。異常なまでの衝撃音が炸裂。
だが、青年の斬撃は結界に亀裂を入れるも、破壊することは叶わなかった。
その堅固な結界を見て、青年は感嘆するように口笛を吹く。
「やるな。流石、イリアスが手駒にするだけはある。……まあ、いいか。俺の目的はテメェじゃねえし」
場を支配する、強者の立ち振る舞い。
それがハッタリだと気づいた者は、果たしていただろうか。
夜の暗さのせいでリリスには見えなかったが、そのときの青年はひどく青褪めた表情をしていた。
もっと目を凝らせば、脇腹に巻かれた包帯から血が滲み出ていたことも分かるだろう。
今の言葉は、ただの強がりだ。
青年にも余裕などまったくない。
冷徹な表情をしていたスイメルはそのことを見破ったのか、その眼光を烈火の如く引き締まらせた。
「……目的は、リリスか? どうやらだいぶ消耗しているらしい。その状態で俺達から逃れられるとでも?」
「俺達、だと?」
笑う。
青年は口元を引き裂く。その言動が、滑稽で仕方がないと言うように。
「おいおい、テメェの仲間なんかとっくの昔に始末済みだ。皆、そこの裏側で寝てる。そもそも、俺が何の為に幻術で紛れ込んだと思ってんだ」
「…………な、に?」
スイメルは愕然とした表情になる。
青年は、荒い息を誤魔化すように嘆息した。
その直後。何の前触れもなくリリスの眼前まで接近すると、ひょいと持ち上げて彼女を脇に抱えた。
スイメルはその挙動に目を剥いたが、下手には動かず、結界の術式を強化する。ここからは逃さないという意志を伝えるように。
「……なるほど。頑丈な結界だよ。それだけの術を身につけてるくせに、やってることは集団で女の子を追い詰めてるだけってのが気に食わねぇがな」
しかし、対する青年は寸分足りとも動揺しなかった。スイメルはその青年の様子を訝しみ、尋ねる。
「……これで、お前は俺を倒さない限りは脱出できないんだぞ。いくら強いとはいえ、そんな怪我を負っているお前が俺を倒すことはできない」
「へぇ、どうしてそう思う? 実際にテメェのお仲間のエルフ族5人はそこで地を舐めてるんだぜ」
「それは、幻術のせいだ。仲間に化けていたお前は、仲間の不意をついただけだ。そんな状態で、まともに戦えはしないだろう」
「…………」
「もうお前のハッタリには騙されん。見たところ、魔王の仲間といったところか。何が英雄だ。俺を、舐めるな」
一層薄暗い路地裏の闇に、目が慣れ始めたリリスは、青年の頬を滑り落ちる冷や汗を捉えた。
「……そう、だな。今はもう、英雄なんかじゃねえ」
青年に抱きかかえられているリリスの位置からは、彼の満身創痍の肉体が良く覗える。
脇腹からは血が滲み出し、よく見ると左腕もズタボロだった。何より、触れている身体が尋常ではなく熱い。発熱しているのではないだろうか。
とはいえ、リリスにできることは何もない。この青年も得体が知れないが、命の危機から助けてくれた以上、少なくとも殺すつもりはないのだろう。
ひとまずは身を任せるしかない。
そういう打算が回るよりも前に、兄に殺されかけたという事実がリリスの心身を打ち砕いていた。動く気力が湧かずに、ただ状況を見守っている。
「……仕方ねぇか」
青年は乱雑な口調でポツリと呟く。霞むような声は、スイメルには届かないようだった。
疑問の目を向けるスイメルを無視して、青年は魔力を込めて『詠唱』を開始する。
「……王の盟約に従い、我が名――草薙竜吾の名を以って命ずる」
「……なっ!?」
スイメルは驚きの声を上げた。
詠唱という無駄の多い手順はとうの昔に廃れ、現代の魔法において使われることは一切ないはずだからだ。
その手順をわざわざ使うことが意味するのは、現代の魔法陣では表しきれない術式であるということ。
つまり。
「古代魔法……だと!? 馬鹿な、"失われた遺産"をどうやって――」
「――霊脈よ、我を導き給え」
直後、草薙と名乗った青年の身体に灰色の魔力の奔流が纏わりついた。
轟、と唸りを上げる濃密な魔力の気配。それに瞠目したスイメルは動くことができない。あるいは、古代魔法に見惚れているのか。
そうだとすれば、リリスもスイメルと同じ気持ちだった。
古代魔法は百年前の戦争で継承者が完全に断絶して、今や行使できる者は一人もいなかったはずである。
世界最先端と云われるレーノ共和国の魔導都市アルスフォードに住む魔導学者達ですら、古代魔法に関しては完全にお手上げだという。
そんなものを容易に行使する目の前の青年はいったい何なのか。
リリスは直感的に理解する。これは、現代の魔法では不可能な転移系の術式だということを。
その行使に、莫大な魔力が消費されていることを。
「……させるものか」
意気込むスイメルを魔法で上手くいなしながら、草薙という青年は迅速に術式を組み上げていく。
「――飛天式三番、"霊歩"」
その呟きと同時。
魔力の奔流が竜巻となり、草薙とリリスを完全に覆った。
リリスの視界が白に染まる。急激な変化に思わず瞼を閉じた。
「あ――」
――そして、目を開けたときには、なぜか見晴らしの良い草原に佇んでいた。




