第22話 「己の矜持の為に」
「ねぇ、ご飯食べようよ」
夜の帳が下りてから数時間。月が煌々と辺りを照らす街は、昼間とは一風変わった賑わいを見せていた。
迷宮に潜っていた冒険者達が街へ繰り出し、フラフラと酒場や娼館で稼いだ金を落としていく。
「もう七時か。確かに腹減ったな」
魔法塾の外へ出た士道とリリスは、宿への帰り道となる東区の大通りを歩いていた。
リリスはフードを被って顔を隠しながら、キョロキョロと飯屋を探している。
がやがやとした喧騒が響く中、「むむー……何処だったっけ」と唸っていたリリスは暫くすると目を輝かせて、ひとつの建物を指差した。
はにかむような笑みを浮かべて、士道の手を引っ張る。
「あ! あったあった。あそこのパスタ美味しいのよねー。ほら、速くしなさいよ!」
「はいはい」
士道は苦笑して頷く。
リリスに対して少々甘くなっている気はするが、あえて意識から除外した。
士道は基本的に冷静でいることを心掛けているが、元々は普通の高校生だ。理性的に判断しようとしても、感情が優先的に動いてしまう。
士道は顔を上げて、リリスが指差した建物を一瞥する。
「……へぇ、雰囲気あるな」
街中の喧騒とは切り離された、独特の空気感がある店だった。
瀟洒で高級そうな建造物の中に足を踏み入れると、執事服を着た老齢の店員から案内を受ける。
「でしょ。最近のお気に入りなのよ」
「ちょっと高いんじゃないのか?」
「そうでもないのよ。東区に貴族はいないからね。だから、ちょっと高級志向の上級冒険者なんかに人気があるところなんだ」
「ふぅん」
「客には極力干渉しないところでね。あたしみたいにフード被ってる怪しい客でも大丈夫なのよ」
士道は相槌を打ちながら、周囲を軽く見回した。
ざっと『鑑定』すると、なるほど確かに、この場にいる冒険者はレベルも高く、強者の雰囲気が色濃い猛者が多かった。
そうではない一般の客は、大手の商人やその家族がほとんどで、貴族は一人も見当たらない。
周囲を観察しながらリリスと雑談していると、やがてテーブルに美味そうな料理が置かれた。
塩味の海鮮パスタである。料理から立ち上る湯気から、食欲をそそる芳醇な香りが漂ってくる。
想像以上の一品に士道は唾を飲み込み、フォークとスプーンを使って食べ始めた。
舌の上で新鮮な食材たちが踊る。士道は噛み締めるようにゆっくり味わった。
「んー! 美味しいなー」
リリスが目元を緩ませて笑う。先ほどの悲しげな微笑とは違い、心から楽しそうな笑みだった。
士道は食事を進めながら、素っ気なく告げる。
「お前にはそれが似合うよ」
「んー? どういうことよ?」
リリスは小首を傾げ、上目遣いで士道を見る。それを見て、士道は微笑した。
「……何でもないさ。当ててみろよ」
「え、ヒント少なすぎでしょ。分かるわけないわよ」
リリスはジト目で不平を言う。実に表情豊かな奴である。フード越しでも何を考えているか、分かるほどだ。
やがて食事を終えると、士道は満足げに息を吐いた。
「……ふー、満足した」
「あたしも。またここに来るためにも、迷宮でお金稼がなくちゃね」
「そうか。……この場ぐらい、俺が払うさ。あいにくと金ならありあまってる」
「え、でも……」
「いいから。気になるんだったら出世払いにしとけ」
適当に嘯きながら店員に銀貨を払って、再び夜の街に繰り出す。
しかし、流石に夜も更けてきたせいか、大通りを歩く人々は段々と数が減っていた。
近隣の娼館から響く嬌声に、リリスは顔を紅潮させる。
「意外とウブな奴だな」
「な、何よ。別にあんなの全然気にしてないから!」
そう言いながら、声が響く度にチラチラと視線を向けている。
そんなに気になるのだろうか。
士道も男だから多少気にはなるが、あそこまで露骨な反応は見せない。
「そういうお年頃なのか」
自分のことは棚に上げながら、士道は面白そうにリリスを眺める。
からかわれていると理解したリリスは「うーっ」と猫みたいに唸り、
「……あ、あたしの宿こっちだから、もう帰るわよ! じゃーね!」
ぴゅー、という効果音が鳴りそうな勢いで帰ってしまった。
「からかい過ぎたか」
士道は苦笑しながら、自身が泊まっている宿へと足を向ける――その直前。
ギラリとした双眸が肩越しに後方を射抜いた。
「……何の用だ?」
「ほう。気づいてたか」
感嘆したように呟く声。物陰から姿を現したのは、ハゲたサングラスの大男。
榊原迅。
士道は感情の見えない瞳で彼を一瞥し、ゆったりとした仕草で剣を抜いた。
迅は驚いたように静止を促す。
「おいおい急にどうした? こんな街中で剣を抜かん方がいい」
「誤魔化せると思ってるのか?」
「何?」
「さっきから俺とリリスを監視してたのはお前だろう。だから聞いてるんだろ。何の用だ? と」
より鋭い眼光で睨みつけるが、迅は大して気にせずに肩を竦めた。
「……感覚も鋭い。いやはや、ワシの陣営に欲しいぐらいだ。どうだ、何度か一緒に迷宮に潜った縁もある。ワシにつかんか?」
「まずは俺の質問に答えろ。俺がお前のことを信じられる理由を出せ」
苛烈なまでに鋭く低い声だった。
士道は、迅の明るく面白い人格は素直に好ましいと思っている。
だが、士道達を尾行した正当な理由を提示できなければ、迅を信用することはできない。
ただでさえ異世界転移者は同族殺しを推奨されている環境に置かれているのだ。不審な行動をした奴を警戒するのは、至極当然のことだった。
場合によっては、たとえ同郷であろうとも殺す。その覚悟を決めておかないと命取りになる。
この残酷な異世界では、殺さずに済まそうなどといった甘い考えは通用しない。士道はそれを十分に学んでいた。
対する迅は困ったように腕を組む。
面倒臭そうに息を吐きながら、近くの壁に寄りかかった。
「……ふむ。話せば味方についてくれる可能性もあるか。といっても、どこから話すべきか……」
「……俺が、お前は嘘をついたと判断した時点で話は終了だ」
「分かった分かった。そうだな……まず、ワシがお前を尾行していた理由はな、別にお前が目的ではない」
その言葉に士道は眉根を寄せた。
同時に、不吉な予感が脳内に湧き上がって渦を巻く。
「……それなら、リリスか? 確かに禁忌とされている存在かもしれない。だが、異世界人の勇者であるお前がアイツを気にかける理由がどこにある?」
「士道、もちろんあのハーフエルフにも『鑑定』は使っているのだろう? 多少は察しがついている筈だ」
やはりか。
苦々しげに顔を歪めた士道は、吐き捨てるように呟く。
「…………固有スキル、『因子』」
「そうだ」
迅はニヤリと笑う。
ハーフエルフの少女リリス・カートレットが所持している固有スキルのことだ。それは『鑑定』によると、魔王の魔力だと説明されていた。
それが、いったいどんな意味を持っているのか。
士道には分からない。だが、魔王という単語が関わっている以上、勇者たる迅が介入することは予想していた。
思考を回転させる士道に、迅は淡々と説明する。
「あのハーフエルフは、魔王の魔力の因子をそのまま受け継いでる。龍魔王ウォルフはランダムに選んだという話だったが……まさか素体に選ばれたのが禁忌の混血だとはな。中々に壮絶な運命だ」
「……それで?」
「ワシらも決してやりたくはない。だが……殺すしかない。あのまま放っておけば、いずれ魔神側に持ち去られて災厄の龍魔王ウォルフが復活するだろう。それだけは避けたい顛末だ」
士道はその言葉を聞いて訝しげに眉をひそめた。説明を鵜呑みにするには少々の矛盾がある。
「……本当に? ただ殺したいだけなら、迷宮でリリスと遭遇したとき、あいつを助けなければいいだけの話だったはずだ。そうすれば勝手に死んでいた」
「……元々、この計画の主導はエルフ族だ。ワシらはその補助に過ぎん。単純な話だ。その頃はまだ、リリスを殺す許可が下りていなかったのだ」
迅がつまらなそうに言った直後。
ズズン……! という地響きが迷宮都市に轟いた。
士道は戦闘音を察知して警戒する。対する迅は軽そうに口笛を吹いた。
「話をすれば何とやら、だ。エルフ族の奴らとリリス・カートレットの交戦が始まったようだ」
「……何だと?」
「いくらミレーユ・マーシャルの塾生とはいえ……所詮は第三級だ。すぐに決着はつくだろう。肝心なのはミレーユだ。塾生の為だけに動くコイツばかりは対処し難い。その点、お前が協力してくれれば、ワシらはかなり楽になる」
「……」
「それで、どうする神谷士道。ワシらに協力するか? ……別に、この件には手を出さないと確約するだけでも構わん。お前にデメリットはないはずだ。しかもこのワシに貸しを作れる。一国の勇者に、だ」
「……確かに、な」
筋は通っている。その通りだ。
どういう経緯があるのかは知らないが、リリスは『鑑定』で確認した通り、龍魔王の『因子』を受け継いでいる。 このまま生かしておけば百年前の"災厄の龍"が再び復活する可能性が高い。
だから、殺す。
リリスはエルフ族の間では禁忌とされているハーフエルフで、里からも追放されている身分だ。
殺しても、何一つとして問題はない。
「……」
世界の平和を考えれば、簡単に納得できる理屈だろう。
女神側と魔神側の争いには大した興味がない士道だって、いたずらに世界を危機に晒したいわけではない。
その上、人々の希望たる勇者に貸しを作れるならば、もしものとき国に融通を効かせることも可能だろう。
そこまで考えて、士道は首肯した。
「……そう、だな」
「決まったか?」
「ああ」
何の気なしに、夜空を仰ぐ。
そのとき、士道の脳裏を過ぎったのは――今にも壊れそうな笑みを浮かべた、一人の女の子の姿だった。
生まれついて禁忌となり、蔑まれ続ける理不尽な運命に負けない。周囲より才能が劣っていても、必死に努力して魔法を習得して冒険者となり、日々を懸命に生きている小さなハーフエルフの少女。
士道は彼女の笑顔を思い浮かべて、口元に凄絶な笑みを刻んだ。
「――これが、俺の答えだ」
空気を切り裂く音が響き、銀閃が唸りを上げた。
"飛翔閃"が風を切って迅に突貫する。
まさか攻撃されるとは思っていなかったのだろう。迅は慌てたように大剣を振り下ろして攻撃を相殺する。
「……正気か?」
サングラスの奥の双眸が細まる。
その身に纏う強者の覇気が噴出し、顕在化する。
「……この選択は、お前にメリットがないことぐらい、分かってるはずだろう」
「知ったことか」
士道は吐き捨てるように呟いた。
元より、世界の命運やら平和などといった大層な目的の為に戦っているわけではない。
士道はあくまで、己の矜持と信念に従っているまでだ。
迅は訝しげに尋ねる。
「あのハーフエルフの為か? 随分と仲良くなっていたようだが、会ってから三日も経過していないだろう。命を懸けるほどの価値がどこにあるのだ?」
「別にリリスの為じゃない。俺は、あくまで俺の為にしか戦わない」
士道は低い声音で端的に答えた。
「その俺の矜持が、心の奥底で叫んでるんだよ」
認めない。
呪われた運命によって周囲から過酷な仕打ちを受け続け、それでも日々を懸命に生きてきた少女がそんな末路を迎えることなど、士道は絶対に認めない。
魔王の『因子』など興味はない。
決めたからには救ってみせる。
仮に士道の行動によって"災厄の龍"が復活したならば、それは自分で責任を取ってみせよう。
もう、リリスにあんな哀しそうな笑みをさせたくはなかった。
まるで、自身の境遇すべてに諦めがついているかのような、残酷な顔をさせたくはなかった。
食事のときに浮かべたような、綻ぶような笑顔をもう一度咲かせたいと思ったから――士道は決断する。
戦う、と。
「……矜持だと? 酒の為とはいえ、ワシには世界の平和を守るという大義名分がある。それを否定することに、いったいどんな誇りがあるのだ」
「案外話の分からないおっさんだな」
士道は軽口を叩きながら、剣をゆらりと構える。前へと足を踏み出した。
「簡単だろう。平和の為だろうが何だろうが、そんなものの為にたった一人の少女を犠牲にする。それはきっと、俺の矜持に反することだ」
「……戯言を!」
その言葉の直後の出来事だった。
"幻影"と呼ばれた奇術師と王国の希望たる勇者は、漆黒の闇に包まれた夜の街の中央にて、躊躇なく激突した。
――破壊の嵐が吹き荒れる。