第12話 「怪物と勇者」
どんよりとした曇り空の下で、冴えない顔立ちの青年がのんびりと葉巻を吸っていた。
「……くあー」
怠そうな声と共に紫煙が吐き出される。
その声の正体は、ピレーヌ山脈の中腹で岩に腰掛けている草薙竜吾。
彼は有害な物質がたっぷりと含まれた紫煙を吸い込み、ゆっくりと吐き出していた。
魔王の下っ端というブラック企業に務める彼にとっては、珍しい休息であり至福の時間である。
企業のボスであるリーファは同僚の霧崎翔と共に仕事に向かっているので、久しぶりに取れた休暇なのだった。
面倒くさがりの草薙は、ただぼーっとしながら煙草を吸うのが大好きである。
「だってのに……何なんだテメェは?」
故に、その時間を邪魔されることにはひどい嫌悪感を覚える性格だった。
草薙は嘆息しながら立ち上がる。
虚空に向けて、怠そうに詰問した。
ここには彼の他に誰もいないはずだというのに。
しかし、直後。
何もない場所から声が顕現する。
まるで声に付随するかのように、純白の翼を生やした天使がいつの間にかその場に現出していた。
天使長イリアス。『白い空間』で転移者達を促した張本人だ。
彼は厳格な表情を崩さぬまま呟く。
「魔王は留守のようだな」
「それが分かってんなら何しに来たんだよ? まったく面倒くせえ」
「……だからこそ、お前という存在を確かめに来たのだ」
やはり勘付かれたのか。
草薙は何とか舌打ちを堪える。
「何の話だ?」
適当に嘯くと、イリアスは確信を持ってた表情で告げた。
「『女神の使徒』として呼び出した者が、まさか……かつてこの世界に召喚された英傑だったとはな」
草薙は何も答えない。
ただ、その立ち姿と纏う風格が答えを端的に示していた。
「流石だ。ここまで天使を完璧に欺くとは」
「……よく気づいたな。偽装魔法は完璧だったんだが」
「あの場所は俺が創造した空間だと言ったはずだ。その場では誤魔化せても、違和感は必ず残る」
「……そもそも、わざわざテメェらが俺を再び呼び出したのが悪い。俺はせっかく元の世界に戻ったんだ。こんなことがなければ、もうテメェらに関わるつもりはなかった」
煙草の煙をゆらゆらと揺らし、心底面倒臭そうに草薙は語る。
「……ならば、聞こうか。百年前の戦争にその名を轟かせた英傑"紅蓮の王"よ。なぜ貴様は再び面倒事を背負い込み、あろうことか悪魔側についている?」
「………………はぁ? そんなもん簡単なことじゃねえか」
本気で分からないのか、と草薙は肩を竦める。
イリアスは怪訝そうに眉をひそめ、
「……悪魔側につく理由が何処にある? 奴らの目的は結局"悪"そのものだ。かつて世界を救う為に奔走した貴様が――」
「――テメェらが、気にくわねえからに決まってんだろ」
イリアスはまるで、理解できないものを見たかのように眉をひそめた。
草薙は煙草を放り捨てると、腰の剣を一息に引き抜いた。
洗練されたその仕草に、イリアスは気圧されたように構えを取りながら、
「本気で言っているのか? ……そんな理由で、かつて護った世界を壊そうというのか?」
「護ったなんて大層なことはしちゃいないし、だいたいテメェらはやり方が苛立たしい。百歩譲って俺はいい。だが、日本で平和に幸せに暮らしていた者達を無理やり呼び出して、この世界に放り出すだと? ……ふざけてんじゃねえぞ」
草薙に怒りの感情が発露する。
怠そうな瞳に、明確な殺意が宿った。
「俺や霧崎なんかは例外中の例外だ。普通の日本人はたとえどんなに強力な固有スキルを持っていたって、まともに戦えるわけがない。戦いなんか見たことないような世界からやってきたんだ。ほとんど死ねと言ってるのと同じだろう」
「……さて、女神様はどうお考えなのだろうか」
「奴に会ったら言っとけ。テメェの考え方は歪んでるってな」
「……」
「……世界の命運だの救済だの、確かに聞こえはいいだろう。だが、テメェらの掌で踊らされるのはもううんざりだ」
「これが、世界を良い方向に進ませるために必要なことだとしてもか?」
「当たり前だ」
切り捨てる。
草薙はこれが最後だと言うように、魔力を練り込み始めた。
「そもそも、テメェらは悪魔の目的を履き違えてる」
「何だと?」
「それを説明する気はないし、もう分かっただろう。俺はテメェらの側につくつもりはない」
「……そうか。それで、どうする? 貴様はかつての力の大半を失っているはずだ。敵対宣言をした貴様を、俺が逃すとでも思ったか?」
「御託はいいから、さっさと来いよ」
純白の翼を大きく広げて威嚇するイリアスに、草薙は人さし指をくいっと曲げて挑発した。
勝てるかどうかは関係がない。
気に入らないからぶっ飛ばす。
かつて人々の為に戦い続けた英傑は、己のためだけに再度立ち上がる。
イリアスは苦渋に顔を歪めて、こう言った。
「……後悔するなよ」
「テメェがな」
誰もいない静かな山の中腹で。
世界を震撼させる怪物と怪物の死闘が幕を開ける。
「何だ……!? 地震か?」
ズシン……!! と、迷宮内に重い地響きが鳴り響いた。
三層の通路を歩いていた士道は、その揺れを警戒して足を止める。
剣を抜いて周囲を見渡すが、特に何かが発動した様子はなかった。
断続的な地響きが続くが、警戒していた罠の類いではないようである。
(地震か……。この世界では初めてだな)
迷宮が崩れたらどうするのかと肝を冷やす士道だったが、冷静に考えればあれほどに硬い迷宮の壁が壊れるわけがなかった。
安堵しながら、先へと歩を進める。
一層の攻略を目標としていたのだが、容易に突破できてしまったので、いつの間にか三層まで辿り着いているのだ。
迷宮を名乗るくせにほとんど一本道で正直拍子抜けしていたが、三層に来て急に道が増えている。
(……そろそろ迷宮らしくなってきたな)
いくつかに分かたれた通路を、気の赴くままに適当に進んでいく。
何回か行き止まりに突き当たる。
しかし、同じ失敗は繰り返さない。
士道は脳内で正確にマッピングを続けていた。
魔物の出現率はかなり高いが、所詮はまだ三層だ。
士道の相手になるような魔物は現れず、いずれも瞬殺で終わっていた。
そんな風に油断をしていたとき、歩いていた士道の足元が急に光り出す。
「へぇ。これが罠か」
どうやら古代の転移魔法陣のようだ。
発動スピードが遅いので避けることはできるが、あえて受けることにした。
罠が具体的にどういうものなのか、ということも知っておきたい。
「うおっ……っ!」
転移魔法に巻き込まれ、士道の視界は一瞬で別の場所に変化する。
そこは何の変哲もない小部屋だった。
士道は周囲をゆったりと見回して、感嘆したように呟く。
「なるほど。モンスターハウスか」
直後。
小部屋に敷き詰められたリザードマンの群れが、一斉に咆哮を上げて士道に襲いかかった。
およそ百体を越える数。
なるほど、確かに普通の冒険者では死を覚悟するかもしれない。
だが、リザードマン達にとっての不幸は、目の前に立ち尽くすこの男が、明らかに普通の範疇には収まっていないことだった。
士道の口元が左右に引き裂かれる。
鋭く波紋を浮き上がらせた名刀から、放たれた魔力波が音もなくリザードマン達を切り裂いていく。
その攻撃力に二の足を踏んだリザードマン達に、士道は容赦なく肉薄した。
蹂躙が始まる。
(敵一体を見るな。周囲全体を注視しろ。動きを先読みして、的確に位置を変えていけ)
士道は己に指示を出しながら、淡々とリザードマンの数を削っていく。
中々に骨が折れる作業だった。
『雷撃』を発動すれば一瞬で終わるかもしれない。
しかし固有スキル頼りの戦い方をしていては、いざそれが通用しない敵が立ち塞がったとき、打つ手段がなくなる。
それは避けたい展開だった。
士道は冷静さを保つために呼吸を調整しながら、剣を握る手に力を込める。
残りは60体。
すべて倒しきってみせる。
気合を入れ直したそのとき、小部屋の入り口から大柄な男が駆け込んできた。
「大丈夫か坊主! 助太刀するぞ!」
「ぬえっ!?」
野太いその声に、気圧されたように一歩退く。
否。正確には、その姿を見て呆気にとられたのだ。
「何だ……こいつ」
身の丈ほどの大剣を振り回す大男は、豪快にリザードマンの群れを吹き飛ばしていく。
これだけのリザードマンを相手に苦戦する様子がない。
かなりの実力者だろうが、士道が驚いているのはその点ではなかった。
三十代程度に見えるその男は、サングラスをかけ、アロハシャツを着て、短パンを履くという非常にファンキーな格好をしていた。
そして何より、
「ハゲ……?」
「誰がハゲじゃああああああああああああああああああああああああ!?」
小声だったのだが、どうやら禁句だったようだ。
助太刀に来たはずの男は、士道に睨むような視線を向ける。
士道を巻き込みかねない勢いで、大剣による衝撃波が放たれた。
士道は慌てて"飛翔閃"で相殺する。
轟!! と、爆音が炸裂した。
男は目を瞠る。
「何!? いや、その髪にその目。まさかお主……」
男が眉をひそめたとき、ドタドタとした足音と共に鎧を着た者達が部屋に飛び込んで来る。
「勇者様! 独断専行は謹んでくださいと入ったではありませんか!」
「うん? そんなこともあったか」
「……やっぱりか」
士道は予想が当たって嘆息した。
間違いない。目の前に立つこの男は異世界転移者。それも――
「ライン王国の勇者、か」
「よく知ってるな小僧。同郷だと分かったから、一度目の暴言ぐらいは見逃してやる。だが、次はないぞ?」
ファンキーな格好の勇者は、ガンを飛ばしながら脅してくる。
何処のヤンキーだ。
士道はそう思いながらも、こんなところで無意味に嫌われても仕方がないので、「分かった分かった」と素直に首肯した。




