第3話 「誰かにとっての英雄に」
世界を照らしている太陽は鳴りを潜め、神谷士道が着陸した孤島もその例に漏れず、薄暗くなっていた。
清冽な川のせせらぎが心地良く意識を浮上させる。
士道は藁の上から起き上がり、周囲を見渡す。確か白髪の老人に助けられたはずだ。彼の姿が見えない。まだ夕刻なことを鑑みると、寝てしまっていたのは数時間程度だろう。
(……魚の焼ける匂い?)
ひょいと士道が三方を囲まれている岩場から出ると、近くの川辺で白髪の老人が焚き火をしていた。串のように削られた三本の木に川魚が突き刺さり、鮮やかに色づいている。
白髪の老人は士道に気づき、手招きした。
「丁度いい。そろそろ起こそうと思っていた頃合いじゃ。そこに座れ」
士道は頷き、手頃な岩に腰掛けた。
老人は魚の様子を見ながら、
「そういえば名前を言っていなかったな。儂は古賀玄海じゃ。気安く爺さんとでも呼ぶといい」
「俺は神谷士道です。……爺さんに助けてもらった恩は忘れません」
古賀玄海は転移者だ。
上空に転移して孤島に落下した士道とは異なり、気づいたらこの森林の内部にいたらしい。
真摯に頭を下げる士道に、玄海は困ったように苦笑した。
「そう気にする必要はない。というか、もっと早く介入することもできたのじゃがな。お主がまともに戦えていたから、つい様子を見てしまったわい」
「……そうなんですか」
オークとの戦闘中とはいえ、士道は玄海が接近していたことにまるで気づかなかった。というか、玄海はいったい何者なのだろうか。筋骨隆々な肉体に、柔道のような道着を纏っていることから、武術か何かの心得があるのだろうとは予測できるが、それでもオークを一撃で倒すなんて流石におかしくないだろうか。
玄海は串をいじって魚の向きを調節しながら、渋い声音で言う。
「お主は凄いな。常人なら恐怖に怯えて、何もできないまま殺されるのが関の山じゃ」
「……爺さんがいなければ死んでいたんだから、似たようなものです」
「そんなことはない。こんな世界で生きていくためには、最も重要な才覚を持っている」
話している間に、魚が焼けたようである。
程良く焦げ目がついていて、香ばしい香りが食欲をそそった。
「うむ。そろそろ食えるぞ。ほれ、遠慮するな」
士道は魚を貰い、道中で収集していた果物や野草を提供した。
玄海はナイフや調味料などを持っていたので、それで野草を捌き、鉄板の上で炒めながら適当に味付けする。
なぜそんな物を持っているのか。本当にこの老人には謎が多い。ともあれ士道は玄海の手際に感嘆しながら、焼き魚に齧りついた。
「美味い……」
適度に焦げた皮がパリパリと小気味良い音を鳴らし、脂の乗った肉はふわりと舌の上で踊り、ゆっくりと溶けて消えていく。
一口食べるともう止まらなかった。冷静に考えると、士道はもう半日ほど何も食べていない。
育ち盛りの高校生には耐えられない苦痛だった。
「うむ。いい食べっぷりじゃ。やはり若者というのはそうでなくてはならん」
うんうんと頷いている玄海を横目に、腹が膨れた士道はそっと息を吐いていた。
「……こんな状況でも、飯は美味いんだな」
もう怖い思いをするのは嫌だ。元の世界に帰りたい。いつも通りの退屈な日々を過ごしたい。家族や友達に会いたい。そんな思いを抑えつけて、神谷士道は生きる為に魔物を殺した。そうすることしか道は許されていなかった。
「……士道?」
「いや、何でも、ない……」
士道は昔から弱音を吐かない人間だった。いつも泰然としている皆のリーダー的な存在だった。士道も頼られることは好きだった。だからいつだって頼られる存在であろうと努力していた。なまじスペックが高かったのが原因かもしれない。いつだって笑顔を浮かべたまま、周囲の皆を助けながら、士道は生きてきた。
気がつけば、弱音の吐き方を忘れていた。
誰に頼ればいいのか、分からなくなっていた。
たとえ、突然何も知らない世界に放り出されても。天空の遥か彼方で命の危機に襲われても。絶海の孤島で生きることになって、心細さで胸が締め付けられようとも。襲い来る魔物に何度も殺されそうになり、心が折れそうになっても。
――神谷士道はいつだって立ち上がってきた。
「あれ……俺、どうして……?」
己の心が、どれほど悲鳴を上げているのかを知らずに。
「……安心せい。その涙は、お主がちゃんと生きることに執着を持っている証じゃ」
玄海は、ゆっくりと言い聞かせるような調子で語る。その瞳にはどこまでも深い海のような包容力を感じさせる。
「生きたいという気持ちが、お主を戦わせていたんじゃ。それは決して誰にも否定できるものではない。儂はな……その気持ちは、他の何よりも大切なものだと思っている。……己の命に頓着せぬ者に、決して何かを為すことはできないんじゃ」
穏やかな声音だった。それは懐かしい感覚。かつて士道が頼ることのできた、たったひとりの人間。偉大な父親の後ろ姿が瞼の裏に蘇る。
古賀玄海の言葉には、歳相応の重みがあった。
「儂の武術の流派ではな、まずこういう教えがあるんじゃよ」
誰かを救いたいと願うのなら、まずは己自身を救ってみせろ。
玄海は好々爺然とした笑みを浮かべ、そう語る。
「儂がお主を助けたのはな、儂自身にまだ生きたいという想いがあったからじゃ。……だから、お主の気持ちを理解できた。その理解が、助けたいという想いを生み出したんじゃよ」
なぜか視界がぼやけていて、揺れる焚き火の先にある玄海の横顔が見えなかった。こんな経験は久し振りだった。士道は基本的には何でもできたから、誰かに諭されることなんて、子供の時以来だった。
こういう人間に、なりたい。
ただ死にたくないと、助かるあてもなく願っているだけの士道を、救ってくれたように。
それは本人にとっては大したことではないのかもしれない。何かのついでだったり、片手間だったりするかもしれない。それでも、救われる側の人間の想いは何も変わらない。
こんな残酷な異世界にだって必ず救いはあるのだと、今まさに理不尽な運命に晒されている誰かに教えたい。それはもしかすると、士道にだけ起きた奇跡なのかもしれない。
ならば、この手で救いたいと思った。そういう想いがあった。
たとえ今はそこらの魔物に苦戦するような、ちっぽけな存在だったとしても、理不尽に晒される誰かにとっての英雄になるのだと。
眼前に佇む、古賀玄海のように。
「…………ありが、とう……」
――誰かを救えるような人間になりたい。
残酷な異世界に放り出されたハズレ術師の少年が、未来へそういう願いを込める。
これは、英雄譚。
とある少年が紡ぐ、小さな願いの物語。
♢
暫くすると、玄海が立ち上がった。
士道は顔を赤くして、ポリポリと顔を掻いている。
「しかし、こんな所で焚き火なんかやってたら目立つんじゃ?」
「この周辺の魔物は事前にあらかた狩り終えた。大した問題はない」
あっさりと言う玄海に士道は頬を引きつらせる。その困惑した視線に気づいたのか、玄海は苦笑しながら言う。
「儂はとある片田舎で小さな道場の主をやっていてな。久々に鍛え直そうと山に篭っていたら、この始末じゃよ。強い生き物がたくさんいるのは喜ばしいが、これでは弟子に技を伝えることができん」
「どんな状況ですか……」
士道は呆れたように呟いた。
山に篭ってサバイバル生活していたとは流石に予想できない。
「まあ道場に関しては息子が上手くやってくれてるし、そこまで心配してはいないんじゃが」
「なら、爺さんは今後どうするつもりなんです?」
「そうじゃな。また道場でもやって、儂が受け継いだ技術を未来ある若者たちに伝えようと思っておる。そのためにはまず、名を上げる必要があるだろうな」
玄海は空に輝く星を見ながら、そう答えた。
士道もつられて夜空を見上げる。
満天の星空だった。
地上に光がないせいか、一つ一つの輝きが地球よりも遥かに増している。穏やかで、優しい光だった。
いろいろなことがあったけれど。
この星空を見ただけで、少し救われたような気分になる。
士道は素直に、そう思った。
♢
翌日。
昨日たっぷりと睡眠を取っていたので早々に目を覚ました士道は、何かの準備をしている玄海の姿を見た。石の刃がついた槍をその手に持っている。おそらく昨日のオークから奪ったものだろう。
「何処へ?」
「なーに。朝食がいるじゃろう。少し狩りをしてくる」
「……俺も行きます」
魔物と戦うのは確かに怖い。だけど、誰かを助けられる人間になると決めた。そういう強さが欲しいと思う。
玄海は窘めようとしたらしいが、真剣な様子の士道に気圧されたように難しい顔をした。
「……そうじゃな。お主はこの森の東の方で適当に果物や野草なんかを集めてくれ。『鑑定』を使えば種類は分かるじゃろう? 向こうの方はお主でも油断しなければ対処できるだろうゴブリンぐらいしか見ていない。……ただ、あくまで今のところの話じゃ。強そうな相手に遭遇したらすぐ逃げろ。それか、声を上げれば儂が気づくかもしれん。ゴブリンにしても、囲まれるのには気をつけろ。分かったな?」
「はい」
「間違っても川の向こう……西の方の密林や北の遺跡には近づくな。強力な魔物がうろついておる」
玄海は士道のだいたいの実力を見抜いているらしい。ゴブリン程度なら何とかなるだろう。士道は素直に頷いた。
「腕時計を持っているな? 一時間でここに集合じゃ。場所はよく記憶しておけ」
「了解です」
玄海は森の奥へと消えていく。手に持つ槍が随分と様になっていた。
士道は玄海とは逆方向の森の中を歩いていく。
『鑑定』を使って食べられる果物や野草を確保。野兎や鹿などの野生動物も見かけたが、士道には捌き方や適切な殺し方が分からない。それに、魔物のように自分を殺しに来る相手ならともかく、ただそこに暮らしているだけの相手を狩るのは、精神的にキツいものがあった。
(魔物がうろついてるのに……普通に動物も暮らしてるんだな)
そんなことを考えていると前方に複数の足音。鳴き声も聞こえる。魔物。これはゴブリンだ。士道は咄嗟に木の影に隠れる。
「…………二体か」
人間の半分程度の大きさをした、醜悪な顔つきの魔物。見ているだけで嫌な気分になる。これから殺そうと考えているからだろうか。喉の奥から込み上げる吐き気が収まらなかった。
ゴブリンは変な鳴き声を上げながら、士道の横を通り過ぎていく。
(やれる……!)
士道は現状では玄海の足手まといでしかない。
魔物を倒せば、その魔素が己の肉体を強化してくれる。戦いの心得がなくとも、ある程度は戦えるようになるはずだ。
とはいえ無理をしては意味がない。
せっかく救ってもらった命を無駄にするような真似はしない。
士道は玄海に渡された小振りのナイフが鞘に収められ、ポケットに入っていることを確認しながら、硬く拳を握り締める。
いつまでも固有スキルに頼りきった戦い方では、すぐに魔力切れを起こしてしまう。レベルの上昇に応じて魔力量も上がるようだが、それは肉体の強化具合に比べると微々たるものだった。
魔力による身体強化は、魔力を肉体に纏わせるだけなので消費が少ない。それだけでも十分以上にゴブリンと渡り合えることは昨日の戦闘で確認済みである。
士道は深呼吸すると魔力を体に流し、纏わせて身体強化を実行。勢い良く地面を蹴ってゴブリンに接近した。
肉薄している敵の顔に驚愕の表情が貼りつく。士道は相手の反応を待たない。そんな余裕はない。
魔物の片割れを、迫った勢いのまま飛び蹴りで吹き飛ばす。
運動エネルギーを放出し、ふわりと宙に浮いたところで強引に身体を独楽のように回転させ、後ろ回し蹴りでもう一体のゴブリンを叩いた。
べキリ、と鈍い音が炸裂する。気絶したのか、動く様子はない。
先ほど吹き飛ばした一体目のゴブリンがよろよろと歩いているところに接近すると、ナイフを抜き、一息に喉を突き刺した。
「……よし」
そして、地面に倒れている二体目のゴブリンにもナイフを突き刺す。殺された魔物が淡い光となって消えていく。
後には鈍い光を放つ魔石だけが残った。
ひどく気分が悪い。この感覚には慣れるしかないのか。死に際のゴブリンの悲壮な顔つきが脳裏を過ぎる。
魔物にだって、生存本能はあるのだ。
士道と同じように、"生きたい"と、"死にたくない"と、そういう想いがはずなのだ。詳しいことは分からないけれど、もしかすると帰るべき場所や、護りたいものだってあったのかもしれない。
そのすべてを士道は奪った。己の生きる糧とする為に。そんな命の重みを受け止めて、この先も生きていくべきなのだ。
(……移動、するか)
ゴブリン二体なら殺せる。
ステータスプレートを見やると、士道のレベルが上昇していた。
ゴブリンでは吸収できる魔素は大して多くない。それほど肉体が補強されている感覚はなかった。
だが、焦って強い魔物に遭遇して殺されては意味がない。
その後も、適当に採集しながらゴブリンを狩っていく。
暫く経つと、士道は奇妙な道を見つけた。
獣道とは違う、草を刈られて少し整備されたような道。
士道は疑問に思い、その道を辿っていった。
二分ほど経過すると、遠方に木を削って造られた防壁を確認した。近くの木の上に登り、木の葉で身を隠しながら、防壁の中を覗く。
(なるほど……ゴブリンの集落か)
そういえば魔物は魔石を核としている魔力生命体のはずだが、どうやって個体数を増やしているのだろうか。謎が多い。集落が築けている点を鑑みると、やはりある程度の知性はあるのだろう。
何にせよ、現状では手を出せる場所ではない。
士道はひっそりと、岩場にある拠点に戻っていった。
♢
一方、孤島の西側。
得体の知れない虫が喚く密林には、一人の老人が完璧に気配を消して隠れ潜んでいた。その目的は狩り。日々の食糧の調達の為だ。
槍を構えて何かを待ち続けていた古賀玄海は刹那、沈黙を切り裂くような勢いで突きを放つ。その鋒は虚空を突き進み、羽ばたく鳥の腹部を正確に貫く。まさに神業だった。
悲鳴を上げて落下した鳥を素早く回収して血抜きをすると、次の獲物を狙いに森林を駆ける。
『鑑定』を駆使するまでもなく長年の感覚で獲物を選ぶ。
玄海は一応、ハンターとしての免許も獲得しているのだ。
ふと、士道はどうしているのだろうかと頭に浮かんだ。
あの少年は経験不足な感は否めないが、基本的には冷静で思慮深い。
オークの件で学んでいるだろうし、勝てない相手に挑むような真似はしないだろう。
戦いに関して、最も重要な才覚もある。
卓越した運動神経とか、センスがあるとか、そういう問題ではなく、恐怖を乗り越えて立ち上がることができるかどうか。
それができる士道は強い人間だ。
ゴブリン程度に負けるような実力ではない。
(しかし……)
士道は普通の高校生だ。間違っても戦闘従事者ではない。
だというのに、命のやり取りで冷静さを失っていない。恐怖に怯みはしても、屈することはない。
死ぬ間際まで、生きる為に足掻こうとしていた。
そういう人間に、玄海は死んでほしくなかった。
「……戻ったら、教えてやることにするかの」
玄海の扱う武術の技を。確か天職は奇術師だったはずだが、それでも基本的な立ち回りを教えることは役に立つだろう。
この残酷な異世界で、生きていけるだけの力は与えてやりたい。
老いたこの身に、未来ある若者を見捨てることなんてできない。
そんなことを考えていた玄海はふと、足を止めた。魔物の気配。ゆったりとした動作で玄海が槍を構えると、巨躯の怪物が地響きを立てながら接近してくる。
木を無造作に圧し折りながら、全長五メートルを上回る異様な亀は玄海を睨みつける。頭部には硬そうな角が君臨していた。
人間に突破口がある相手だとは思えない。だが、玄海は屈さない。
玄海の力は、その研ぎ澄まされた武術の心得は、決してこの程度の怪物に通用しないものではないのだから。
不敵な笑みを浮かべ、指をくいっと曲げて挑発する。
角を生やした大亀が、地の底に響くような唸り声を上げる。
弓を放り投げて、背負っていた槍を構える。
古くより伝わる古賀流の武術を存分に駆使する為に。
「かかってこい」
一対一。
共に自らの勝利を疑わない二体の怪物が衝突した。
♢
岩場にある拠点に戻ってきた士道は、適当に薪を集め、玄海のリュックサックに入っていたマッチを使って火を起こす。
薪を上手く交差させて作った台の上に鉄板を乗せ、採取した野草を調理し始めた。
どう調理すれば美味いのかは感覚である。一応、中学の頃から一通りの料理はできるのだ。
(…………遅いな)
確か一時間で戻るとか言っていたはずだ。何かあったのだろうか。いくら玄海とはいえ、ここは異世界だ。どんな状況に陥ろうとも違和感はない。だが、危機に晒されていたとしても、士道が動いたところで足手まといにしかならないだろう。
そんなことを考えている今も、周囲への警戒は怠っていない。
それ故に、士道は周りを囲む草木の揺れ方に違和感を覚えた瞬間、椅子代わりの岩から立ち上がって戦闘態勢を取る。
魔物か、それとも玄海か。
「……何だ、爺さんですか」
「うむ。警戒はしとったようじゃの」
玄海が愉快そうに笑いながら収穫を掲げている。
その道着は破れている箇所があり、土で汚れていた。
「それはどうしたんです?」
「デカい魔物と戦っての。久々に血湧き肉踊る戦いじゃったわい」
玄海はそう言って笑う。
この老人が土を被るとは相当の敵だったのだろうと、士道も深くは尋ねなかった。
玄海も鳥や兎の調理を始める。妙に手際が良い。疑問に思って尋ねると、狩猟免許すら持っているらしい。とんでもない人である。
食事の用意ができたところで、士道は「いただきます」と呟し、食べ始めた。肉の旨味が口の中で広がる。
塩を振っただけのシンプルな味付けだが、絶妙な塩加減が肉の旨味を引き立てていた。
玄海は食事をしながら、士道に言う。
「そういやお主は、儂から武術を習うつもりはないかね?」
「武術……?」
「五百年の歴史を誇る古賀流武術。体術、剣術、刀術、槍術、弓術と幅広いが……この孤島から脱出するまでの間だけでも良い。儂がお主を鍛えてやりたいのじゃ。今のままでは、一人にするのは不安じゃしの」
「……いいんですか? その、弟子になるってことですよね?」
「うむ。儂がやりたいだけじゃ。気にせんでいい」
「……苦労をかけるけど、よろしく頼みます」
士道は即断で頭を下げた。
今の自分が戦い方を身につけるのは必須だと考えていたからだ。
いつまでも素人のまま身体能力だけが上がっても、きっと勝てない相手はたくさんいるだろう。
士道のその様子に玄海は少し驚き、
「なるほど、状況は理解しているようじゃな。まあ、この世界でやっていけるぐらいには鍛えてやろう。……じゃが、儂の指導は厳しいぞ?」
鋭い視線で玄海が尋ねるが、士道は不敵に微笑み、
「望むところですよ」
士道はそれなりに強豪の運動部に所属していた。昔から、厳しい練習に手を抜いたことはあまりない。
「ほう。なら心配はいらないの」
玄海は一度顎に手を置き、黙考する。
「……ひとまず、儂と模擬戦をしようか。オークと戦っていたときに、お主のだいたいの力は察しているが……一応な」
「分かりました」
食後の休憩を取ると、士道たちは拠点から少し離れた広場に行く。
足場が良く、そこそこに開けた場所だ。
十メートルほど離れて向かい合い、玄海が拳を構える。
「何を使ってもいい」と言われたので、士道は一応ナイフを持ってはいるが、基本は無手で挑むつもりだった。
下手に武器を使っても弱くなるだけだろう。
そもそも人に向けられる気がしない。
「さあ。いつでも来い」
「…………」
玄海が地の底から響くような声で告げ、士道は低く構えた。
互いの視線が交錯する。
数々のフェイクが重なる。
だが、士道は下手には動かない。
空気が凍りついた。膠着状態が続く。
始まりに合図はなかった。
ただ、士道は躊躇いなく玄海へと肉薄した。