第7話 「魔王ファミリー」
ピレーヌ山脈。
それは、迷宮都市ローレンの北方に位置している。
棲んでいる魔物が強く、群れる種が多いため、冒険者もあまり近づこうとしない区域だ。
その奥地の切り立った崖には、ひとつの洞穴が造られている。
宙を飛べる手段がなければ、確認すらできない場所。
そこへ、翼を広げる下位悪魔とその背に乗った少年が入っていく。
「――まったく、災難だったよ」
「……キリサキか」
悪魔の背から降りた霧崎翔は、大仰に息を吐いて肩を竦めた。
その呟きに答えたのは可愛らしい顔立ちをした小柄な少女だ。
その幼い外見とは裏腹に、何百年という月日を生きた『不死』の怪物。
『三大魔王』リーファだった。
「うん。……しかし、相変わらず陰気臭いところだね」
この洞穴は仄かに火が灯ってはいるが、やはり全体的に薄暗い。
そんな空間でも、やはりリーファは存在感を持って君臨していた。
豪奢な椅子に腰を下ろし、両脇には中位悪魔を控えさせている。
彼ら二人は、魔王に気安く話しかける翔に対して厳しい視線を向けていた。
そんなリーファ達を前に、翔は微塵も臆することなく歩み寄る。
特に気分を害するでもなく、リーファは不思議そうに小首を傾げた。
「それで?」
「報告だ。災厄の島には、確かに龍魔王が封印されていたよ」
「そうと分かってたのなら……どうして解かなかった?」
スッとリーファの目が細まる。尋常ならざる殺気が翔を射竦めた。
魔王は些事には頓着しない。しかし、命令が関わっていては話は別だった。
だが、翔に動じる気配はない。
リーファを納得させる言葉だけを、端的に告げる。
「精霊王フィア」
「……なるほど。龍魔王の封印は奴が護っていたか」
「封印の維持をしていたのも彼女だったね。そのおかげであっさりと気づかれた。これでも忍者だし、隠密行動には自信があったのに」
「……レベルオーバーが相手では、貴様でも手に負えまい。私が直接出向こう」
リーファが言うと、傍に控えていた中位悪魔が注意を促す。
「よろしいのですか? 竜騎士隊が目をつけてますが……」
「む。……まぁ拠点なら、また見つければ良い。何なら災厄の島でいいだろう。重要なことは、悪魔残党の集結と龍魔王の封印を解くことだ――まずはそうしなければ、『魔神』ゲルマ様を呼び起こす条件が整わない」
リーファは真剣な様子だが、翔はいまいちよく分かっていないので首をひねる。
「うーん。そもそもさ、『魔神』復活の条件って言っても『三大魔王』のうち一人は百年前の戦争で確実に死んでるんだから叶わなくないか?」
「そのための新魔王だろう。復活条件は多少の拡大解釈が可能だ。少し前に魔大陸で魔王の名乗りを上げた――ルドラだったか? 勇者降臨の影響もあって、人間共の眼はしばらく奴に向く。タイミングからして、おそらく私の復活程度の情報は掴んでる。まぁ心配する程ではないさ」
「ふぅん」
自分で聞いておきながら、あまり興味がなさそうな翔である。
そこへ、
「うーす」
物凄くやる気が無さそうな声が響いた。洞穴の更に奥から、ボサボサの黒髪に冴えない顔立ちをした青年が現れる。
彼は眠たそうな目をこすりながら、
「あん? 霧崎か。帰ってたのか」
「草薙さん、まだ居たのか。死ねば良いのに」
「ひどくない!?」
翔は爽やかに笑って返答するが、草薙という青年は愕然と声を上げる。
翔は無視して、違う話題を提示した。
「……そういえば、君が注目してるハズレ術師にあったよ」
「へぇ?」
草薙の眠たげな瞳が興味に彩られた。
「災厄の島のついでに、アクアーリアでバーン・ストライクを殺した奴を探ろうとしたんだけどね、それが彼だった」
「はー。殺したのか?」
「いいや。逃げるので手一杯さ」
翔はそう言って肩を竦める。
草薙は暫く無言だった。直後に、ニタリとした笑みを浮かべる。
「……忍者の末裔である霧崎を退ける、ねぇ。やっぱ普通じゃねぇよ」
「……そもそも、何で彼に注目してるんだい?」
「――いや、ちょっとな」
草薙はいったん言葉を切って、立つのが面倒くさくなったのか地べたに座り込んだ。
どこまで面倒くさがりなのか。
翔が呆れながら続きを促すが、下を向く草薙に反応はない。
「?」
怪訝そうに顔を覗き込もうとすると、がーがーと寝息が聴こえた。
翔の頬がぴくぴくとひきつる。
「説明の途中で寝るかな普通……?」
草薙はついに、座った状態から、仰向けに倒れて眠り出した。
話を黙って聴いていたリーファが、イラッとした様子で言う。
「……こんなところで寝るな。鬱陶しい」
「って、リーファ!? ちょっとタンマ――」
リーファが草薙に手を向ける。
魔法の発動を感じ取り、慌てたように翔が回避に移るが時すでに遅し。
ドン!! と不可視の衝撃が草薙を吹き飛ばし、その余波を受けて翔も吹き飛んだ。
「うおおおおお!?」
このままでは崖に落ちる。
慌てたように鉤縄を投げ、岩場にひっかけて踏みとどまった。
その横をびゅんと草薙が飛んでいく。
「―って、何じゃコリャァァァあぁぁああああああああ!?」
彼はようやく目を覚ましたのか、無様な叫び声を上げている。
しかし洞穴から放り出されているので、すでにどうしようもない。
翔はニカッと笑いサムズアップ。
「――まぁ、結果オーライだよね」
「んなわきゃねえだろ!? つーかリーファぁ!? テメェだな! むしろテメェしかいないだろ! この恨みは絶対晴らす!」
「……うるさい」
おーぼーえーてーろー。
古い悪役みたいな声を響かせて草薙は崖下に落ちていった。
底は暗くて見えないが、草薙があの程度で死ぬわけがない。
むしろ崖の方が心配まである。
「――って、分かってるんだろうけど、アレはともかく僕が落ちたら普通に死ぬからね? そこちゃんと理解しといてね?」
「……うるさい。あの男があんな場所で寝るのが悪いんだ」
「それに僕を巻き込まんでくれ」
「……『女神の使徒』なんて、皆同じだろう」
「それはひどい!? アレと人間を一緒にしないでくれ!」
「……ふん。私の機嫌はそう簡単には治らん」
そう言ってリーファはそっぽを向いた。傍の中位悪魔達は狼狽えるが、翔は苦笑して彼女に近づく。
正面にしゃがみ込み、リーファのさらさらで柔らかい髪をやさしく撫でた。
彼女はそれだけで、上機嫌に微笑む。
「……ん。それでよろしい。私は魔王だからな。偉いんだぞ」
「はいはい、魔王様。……そろそろいいかい?」
「駄目だ。あと一分はしないと配下とは認めないぞ」
「えー……。じゃあ、配下辞めちゃおうかな」
「……む。それも駄目だ。お前がいないと寂しい」
リーファは悲しそうに目を伏せる。
――何この可愛い生き物。
中位悪魔のギラつく視線を平然と無視した翔は、ほんわかしながら彼女を肩に載せた。
端的に言えば、肩車をした。
「ひゃぁ!?」と間の抜けた声が洞穴に響く。
翔が苦笑して歩き出すと、驚きから回復したリーファは歌を口ずさみ始めた。
「んーんー~悪魔は殺戮するためにある~♪ ……む。人の上に座るのは気分がいいな」
「……ていうか、何そのセンスの欠片もない歌」
「せ、センスないだと。本当か!?」
ガーン! という効果音が響いたように魔王は頭を抱えた。
ちょっと涙声である。
「ば、馬鹿な。百年前、側近の者達は皆褒めてくれたのに…」
「それ完全に担がれてるね」
「うう……。世界は残酷だ」
「その原因の半分ぐらいは君だけどね」
「む、確かに」
「え、そこ納得する?」
「お、おい」と悪魔達は慌てるが、肩車されて嬉しそうに笑うリーファを見ると、手を出せなくなったようだった。
翔は苦笑する。
関わって数週間は経っているが、とてもじゃないが数百年も生きている魔王だとは思えない。
そんなとき、ゾンビが現れる。
「……ふ、ふふ。俺は、俺は帰ってきたーーっ!!」
うがーっ!! といった調子で這い上がってきたのは草薙だった。
まだ突き落とされてから数分も経っていないのに、自力で登ってきたらしい。
相変わらず化物すぎると思いながら、翔は面倒くさそうに呟く。
「……死ねば良かったのに」
「何で!? ていうか流石にひでえよ! 居眠りしたぐらいで死にかけるって何だ!?」
流石の草薙も崖から突き落とされれば、目が覚めたようだった。
「なぜ異世界来てまでブラック企業に努めにゃならんのだ……」と頭を抱えているが、そもそも自分の行動が原因である。
死ねば良いのに。
「いや、どうせ草薙さん殺しても死なないからね。むしろそれだけが取り柄っていうか」
「ゴギブリのような奴だからな」
「ひでぇ言われようだな!?」
「む。褒めてるのだぞ?」
「へ? マジ?……いやぁ、それ程でもないっていうかー」
唐突にギャルっぽい口調でくねくねした草薙に、イラッとしたリーファが無慈悲な通告を出す。
「もう一度頭を冷やせゴギブリ」
「――って、ちょっと待てぇぇええええ!?」
「僕は関係ねえぇぇ!? うっおおおおおおおおおおおおお!?」
そういえば結局、草薙の意味深な言葉の説明を受けてないとか考えながら、衝撃魔法を受けた異世界人の二人が崖から真っ逆さまに落ちていく。
魔王城(仮)は今日も平和だった。