第3話 「力への渇望」
戦場では、怒号が鳴り続いている。
第二級冒険者エレノア・レッドフィールドは、優勢な事実を認識しながらも、厳しい表情を保ち続けていた。
「……こいつらにまともな知能はない。上手く誘き寄せて各個撃破しな!」
周囲で戦線を維持している冒険者達に、簡潔な指示を出す。
そのとき。
『呪印』の黒い瘴気を纏った剣士が、虚ろな瞳のままエレノアに襲いかかってきた。
エレノアは舌打ちしながら曲剣を抜き、流れるような手捌きで追い詰めていく。命の危機が迫っているというのに、剣士の表情に変化は見られなかった。
やっぱりか、とエレノアは思う。
瘴気を纏った海賊達は、だんだんと意識が希薄になってきている。
初めは下卑た笑みを浮かべていた彼らは、もはや自失に近い状態だった。
やはり、彼らが纏っている黒い瘴気は、強力な分だけの犠牲を伴う力なのだろう。
だが意思が無くなったとしても、脅威が消えた訳ではない。
むしろ獣のように本能に身を委ねている分、強くなった側面すらあった。
「鬱陶しいっ……!」
エレノアは海賊の首を斬り飛ばしながら、苦々しげに呟く。
淡々と海賊を潰しているガウスが、いったん前線から下がって尋ねてきた。
「……いったい何なのだこいつらは? この瘴気、この前の悪魔に近いものを感じるのは気のせいだろうか」
「……多分、そうじゃないだろうね。右舷の船の戦いを見てみな」
「シドーと……悪魔!?」
「よく見ると分かるけど、あの悪魔の正体はゴルホだよ。……黒い翼が生えているだけ、と言っていいのかねえ」
「人間が、無理やり悪魔にされているだと……!? まさか、目の前にいるこいつらの瘴気はそれの前兆なのか」
「分からない。ただ……さっき灰色のローブを着た男が、悪魔化させた海賊に乗って逃げていった。シドーでも逃したあたり、かなりのやり手だろう」
「元凶はそいつか」
「……いずれにせよ、まずは現状をどうにかしなければ話にならない。気を引き締め直しな」
エレノアが言うと、ガウスは嘆息しながら再び前線に戻っていった。
いくら『呪印』で強化されているとはいえ、元は戦闘技術のないスラムの住人だ。
そんな連中に、冒険者の精鋭が簡単に負けるわけがない。
その証拠に、戦場の趨勢は明らかに決定づけられていた。
「……もう少しか」
すでに二隻は制圧済みだ。
残りはこの船と、士道とゴルホが戦っている船のみである。
そんなことを考えていると、鉤爪を血に染めたレーナが船内から戻ってくる。
「エレノアさん。船内も制圧完了しました。適当に縛りつけてます」
「レーナか、ご苦労だね。……なら、残るはあの一隻か」
エレノアは宙を見上げた。
脇腹を刺されたのか、魔導服を血に染めながら戦い続ける"幻影"の奇術師と、『呪印』で大幅に強化され、黒い瘴気を身に纏った下位悪魔。
その二人が凄まじい戦いを繰り広げていた。 宙に浮かんでいる彼らに、空を飛べないエレノア達は加勢することができない。
戦いがあまりにも速すぎて、魔術師を使った援護も不可能だと思われる。
士道は悪魔との戦いのときより、更に研ぎ澄まされた動きをしていた。
エレノアはその成長速度に対して畏怖にも似た感情を抱く。
ちらりとレーナを見ると、彼女は不安そうに顔を歪めていた。
レーナは、士道に命の危機を救われた少女だ。
彼女が士道のことをにくからず思っていることは知っている。
エレノアは苦笑しながら、レーナの頭にポンと手を置いた。
「エレノアさん……?」
「安心しな。シドーは負けないさ。何せ、上位悪魔すら倒しちまった奴だしね。……好きなら信じてみな」
「べ、別に好きとか、そういうんじゃないっていうかですね……」
急にもじもじと弁明を始めるレーナは、ふさふさの尻尾が忙しなく揺れ動いていることに気づいていないようだ。
エレノアは彼女の肩を叩く。
「まぁ、まだ後処理が残ってる。彼が戻ってきたときに応急手当てをしてあげられるようにしなきゃね」
「は……はい!」
エレノア達は捕縛した海賊達をひとつの船に集め、負傷者の治療を指示する。
レーナは時折、心配そうに空を見ながらも精力的に作業に取り組んでいた。
(見える)
士道は端的にそう思った。
ステータスが底上げされているゴルホの素早い動きを正確に目で捉え、動きを先読みし続ける。
『魔眼』を使うまでもなかった。
ゴルホが放つすべての攻撃を、最小限の動作のみで躱していく。
それに苛立ったのか、ゴルホは怒り狂ったように怒号を上げ、更なる速度を叩き出した。
轟と風が渦を巻く中、士道は冷静にゴルホの動きを見据えた。
集中力が研ぎ澄まされた感覚。もはや刺されたことによる激痛は、士道の意識から追い出されていた。
ゴルホの一挙一動に目を凝らす。
(もっとよく見ろ。俺が奴なら次はどう動く? 取り得る選択肢はいくつだ。隙はどこにできる? ――考えろ、考えろ)
霧崎翔に出し抜かれたことによって、士道は強さに対する渇望を更に色濃くしていた。
今のままでは駄目なのだ。もっと強くならねばと、魂が慟哭を響かせる。
――玄海が殺されたときの光景が、脳裏を明晰に過ぎった。
あのとき、大切な誰かを失う痛みは充分すぎる程に知った。
あんな経験は一度でたくさんだ。
もう二度と、守りたい命が零れ落ちるようなことを起こさせやしない。
絶対に。
「グオォォオオオオオオオォォァァアアアアァァァッッ!!」
ゴルホの連撃を躱し続け、更なる上空に君臨した士道に対して、獣のような雄叫びが響き渡る。
見る者を恐怖させる黒い瘴気が、凄まじい勢いで周囲に拡散された。
だが、士道は一歩たりとも引かない。
その瞳には、厳然たる覚悟の光が燃え盛っていた。
「――悪いな。お前を相手に手こずっている暇はないんだ」
言葉を紡くと同時、士道の右腕に眩い輝きを放つ『雷撃』が纏われる。
莫大な魔力を変換したその異様は、レベルの上昇を確かに感じさせた。
そして『風の靴』に魔力を流し、凄まじい勢いでゴルホに突進する。
対するゴルホも、大口を開けて翼を羽ばたかせ、士道に向けて肉薄した。
鋭く雷光が瞬き、二人の影が交差する。
――結論は、明白だった。
「――で、また大怪我して戻ってきたわけかい」
「……返す言葉もない」
呆れたように言う治癒術師の婆さんに、ベッドに寝転がる士道は憮然とした顔でそう答えた。
士道が今いる場所は、アクアーリアの街角にある治癒院である。
悪魔との戦いの後も、今と同じようにこの婆さんに治療をしてもらっていた。
ようやく退院したと思ったら、数日経たずに怪我して戻ってきたのだ。
呆れるのも当然のことである。
嘆息した婆さんは、治癒魔法を使って士道の脇腹を治していく。
白く優しい光が患部を包み込んだ。
士道は痛みに顔をしかめる。
「……どいつもこいつも、この魔導服を簡単に貫きやがる。これ高かったんだがね」
「そんな優秀な防具を毎回ボロボロにして帰ってくるんだ。どれだけの猛者と戦っているのか知らないが、命がいくつあっても足りないんじゃないかねぇ。アンタはまだ若いんだ。焦ることはない」
「………………ご、ご」
「どうしたんだい?」
「…………あ、あの、お婆さん」
治療をボーッと見ていたレーナが、慌てた様子で婆さんに声をかけた。
「何だい?」
レーナの視線の先では、消毒用の水魔法に口を塞がれ続けた士道が溺れている。今にも死にそうだった。
「……おっと見てなかった。てへっ♡」
「ちょっ、シドーさん!? 生きてますか!?」
きゃびっと笑う気持ち悪い婆さんを素通りしたレーナが、ぐったりとした士道を慌てたように揺さぶる。
婆さんは白々しく口笛を吹きながら、外へ逃げようとしていた。
そんな慌ただしい治癒院の二階から、憔悴した様子の一人の青年が下りてきた。
婆さんはその男の顔を見て驚く。
「……アンタ、まだ動けるような状態ではないよ?」
「ちょっと用があるだけですよ。ご心配なさらずに」
「?」
青年は首を傾げる婆さんを横目に、意識を回復させた士道に問いかけた。
「……こんにちは。早速ですが、僕を呼んだ理由を聞いても?」
――第一級冒険者ダリウス・マクドネルは、そう言って微笑を浮かべた。




