第13話 「蠢く悪魔」
士道とレーナ。
そして、彼らに相対するゴリグマ。
彼我の距離は10メートル。周囲には木を代表とする障害物が多数。
その中で、まず動いたのはレーナだった。魔力を流して身体強化と武装強化を行使すると、爆発的な速度でゴリグマへと肉薄する。
ゴリグマは接近するレーナに向けて足元の岩を荒々しく投げつけるが、"双爪の猫"は獣人特有の反射神経を存分に活かし、そのすべてを躱しきった。
「ふっ!」
短い呼気と共に足を踏み込んだレーナが鉤爪を振るう。
魔力により研ぎ澄まされたその爪はあまりにもあっさりとゴリグマの剛毛を切り裂いた。
だが、浅い。
ゴリグマの強みは剛毛と筋肉の二段の鎧があることだ。
レーナの鉤爪では一息に貫くことはできない。
反撃に出たゴリグマがその拳を振り下ろすが、レーナは余裕を持って飛び下がり回避した。
行場を失った拳が地面に直撃し轟音と共に岩が爆散する。
速度はあまりないが、凄まじい威力の一撃だった。
しかし、その程度で脅えるような軟弱な鍛え方はしていない。
士道の口元が弧を描いた。
「――俺を忘れるなよ?」
攻撃の直後で隙ができたゴリグマに肉薄する。
鋭い踏込みの直後、斜めから袈裟斬りが放たれた。
ゴリグマが驚きながらも鬱陶しそうに右腕で振り払う。
振り払った。
そのはずだった。
しかし。
ゴリグマの右腕は、くるくると宙を舞っていた。
愕然とした様子で目を瞠ったゴリグマに「――隙だらけだぞ」と士道が連続して斬撃を放つ。
二撃目で左腕が斬り飛ばされた。
悲鳴を上げながらゴリグマが後退する。
しかし、士道は逃さない。猛禽のように襲いかかる。
戦闘は一瞬にして決着が迫っていた。
♢
レーナは士道がものの数秒でゴリグマの両腕を切断したことに驚いていた。
士道のレベルは動きから見て、高く見積もっても40前後だろう。
レーナのレベルは66。
種族差を考慮すればステータス的にもかなりの差があるはずだ。
だが、レーナはゴリグマの腕を一瞬で切断することなどできはしない。
どうしてレベル40前後の者に劣るのか。ならば士道はもっとレベルが高いのではないかという予測が成り立つが、普段の士道の動きはレーナの域には達してない。
二年以上も冒険者として戦いに身を投じてきたのだ。
そのくらいは直感で分かる。
よって、残る選択肢は、
「…………特別、斬撃が鋭いってことですか?」
レーナは納得しきれずに首を捻っているが、その推理は的を射ていた。
士道は常人よりも魔力量が多い。その上『精霊王の加護』の効果によって魔力の扱いが精緻になり、魔力制御にも長けている。
つまり普通の人よりも、より濃密かつより鋭い魔力で武装強化が行えるのだ。
その結果がレベル66のレーナをして愕然とさせるほどの強さなのである。
士道は玄海やグランドといった超一流格の強者としか戦ったことがないのであまり自覚はないが。
彼は端的に強かった。
細かい理屈を抜きにその事実を理解したレーナは思考を放棄して、戦闘に参入する。
「わたしだって!」
士道が淡々とゴリグマを追い詰めるだけの戦場に、レーナが更なる追加攻撃を加えた。
その10秒後。
ゴリグマの首が飛び、あっさりと依頼は完了する。
ひとまず依頼の達成に安堵する二人。
しかし。
多くの苦難が、帰り道を塞いでいた。
♢
「…………わたしもう、うんざりですよ」
「俺もだ」
街中を歩く士道とレーナは、物凄くどんよりとした雰囲気を醸し出していた。
街を歩けば誰もが振り向くような容姿を持つ二人は、しかしそれと相反するような空気感を放っているので非常に注目を集めている。
「なんであんな魔物が多いんですか……。いくら魔物が活発化してるって言っても限度がありますよ」
二人は疲れ切っていた。
その理由は、帰り道で何十体もの魔物に遭遇したからである。
行き道でも普段よりは多いと感じてはいたが、日没してからは比較にならないほどの数であった。
しかし、そこは期待の新人と第三級。怪我を負うようなことはなかったが、魔力は士道をして底をつきかけていた。
「お前は普段から依頼を受けてるんだろ? あれはいつからなんだ?」
「魔物の活発化自体は2週間前ぐらいからですかね。ただ、いくらなんでも今日の数は異常です。しかも、日没から急に数が増えるなんて前列がない」
「……ギルドで、なんか言われてるかもしれんな」
「まったく……最近は物騒ですね。一ヶ月前ぐらいにも謎の光の柱とかありましたし」
「光の柱? 何だそれ?」
「あれ、知らないんですか? 一月ほど前に世界各地に5本の光の柱が君臨したんですよ。位置はバラバラですが、この辺りにもライン王国王都近くに展開されてました。被害はまったくなくて、魔導学者が原因究明中らしいんですけど……なんか怖いですよね」
「一月ほど前、ね」
「はい。あ、話が逸れましたね。急ぎましょう。魔物があそこまで増えてると、下手すれば街が被害に遭う可能性すらありえます」
レーナが幾分か硬い表情で言う。
士道たちは急いで冒険者ギルドへと向かった。
♢
冒険者ギルドのアクアーリア支部は世界に数多ある支部の中でも大きな方であり、この街に滞在している冒険者をすべて収納することすら可能だ。
その大きさゆえに、普段は併設されている酒場でも容易に空席を見つけることが可能だが、今日に限ってそれは叶わぬようだった。
この街に滞在している冒険者のほぼすべてがこのギルド内に集まっている。
しかし、それでいて普段のような喧騒は微塵も見られなかった。
皆一様に重苦しい雰囲気を保っている。
何故か。
それは大量発生した魔物への対策会議ということで、急遽集結したからである。
士道とレーナがギルド嬢に情報を提供したとき、すでに同様の報告が相次いでいたようで、ギルド支部長が重い腰を上げたようだ。
二人が報告してから数時間でこれだけの数の冒険者が集まった。
事態は困窮を極めているようだ。
士道は会議が行われる中央に近いテーブルに腰を落ち着ける。レーナもその横に座った。
「――さて」
口を開いたのは、召集をかけたギルド支部長だった。
セドリック・アークライト。
二年ほど前に冒険者ギルド本部より派遣され、支部長に就任した若き俊英である。
金髪を撫でつけ正装を身に纏った彼は一見、冒険者とは関わりのない貴族のように見える。
それはあながち間違いでもない。
しかしその実態は、貴族にまで成り上がった一流冒険者であった。
現場に出ていない今はグランド達よりも劣るだろうが、当時は麒麟児と呼ばれた第一級。
優れていた頭脳と貴族になった実績から、支部長に推薦されたのである。
彼は泰然とした様子で語る。
「先ほど、騎士団――第三騎士隊からも報告を受けた」
「奴らは何と言っていた?」
問いかけたのは、筋骨隆々とした肉体を持つ大男。
第一級冒険者のグランドだった。
彼はいつになく厳しい面持ちである。
「"この件は冒険者ギルドに一任する"……だ。相応の報酬は払うらしいが」
「呆れましたね」
やれやれと首を振るのはダリウス・マクドネル。
こちらも底の知れない第一級冒険者だ。
温厚そうな瞳が今は細められ、眼光には侮蔑の色が浮かんでいる。
「こういうとき真っ先に人々を守るべき騎士団が冒険者ギルドにすべてを委ねるとは」
「まあ仕方のない部分もある」
ダリウスは当然の批判を放つがセドリックは嘆息しながら、
「もともとこの街の騎士団は小規模だ。サザルーフ伯爵は外交関係は非常に有能だが、軍事関連にはまるで力を入れる気がない。そして訓練もまともにしていない騎士共がこんな事態に対応できるとも思えない」
「……それは、あんたにも問題があるんじゃないんかい? セドリック」
苦々しい面持ちでセドリックを責めたのは、腰に短い曲剣を携えた赤髪の女戦士だった。
"赤い女豹"と呼称されるその女はエレノア・レッドフィールド。
豊満な胸と引き締まっていてしなやかな肉体を併せ持ち、野性的な魔導服を着ている第二級冒険者だ。
竹を割ったような清々しい性格をしているエレノアは、ギルド支部長相手でも臆することなく詰問した。
対するセドリックは落ち着き払った口調のまま、謝罪の言葉を放つ。
「……そうだな。確かに騎士団の仕事を絞りとった私にも問題がある。依頼を増やしてこの街のギルドを大きくするためだったのだが、今回は裏目に出た。済まない」
しかし誰一人としてセドリックを責める者はいなかった。
セドリックの手腕によって依頼が増えていたことに喜んでいたのは、何より彼らだからである。
感謝こそすれ、責めることなど何もない。エレノアが苦々しげなのはその理由からだった。
「セドリック、お前は貴族だろう? お得意の話術でどうにかならんのか? 流石に報告にあった数を我々だけで相手をするのは無理がある。そもそも冒険者は集団戦には向いておらん」
「すでに試した。だが……騎士団が戦力に加わったところで、むしろ足手まといになるだけだ。街の警備すらまともにできていない。伯爵にもそう説明されたよ。自分の責任だというのに、全くあの人も面の皮が厚いものだ」
セドリックは大仰に息を吐く。
これまでの話を黙って聴いていた士道だったが、疑問点があったので仕方なく口を開いた。
「少しばかり持っている情報に齟齬があるようだが……魔物が街を襲撃するのは確定事項なのか? 騎士団の協力なくては倒せないってことは具体的な数を理解してるんだな?」
その質問にセドリックが驚いたように目を瞠った。
正確には内容に驚いたのではなく質問者に驚いたのだ。
会議を囲んでいた冒険者達の視線が士道に向けられる。
この場ではこれまで第二級冒険者以下の者は一切口を開いていなかった。
ランクの低い者に発言権はない、という暗黙の掟があったのである。
参入できても第三級がせいぜいといったところか。
その掟をさらりと破った士道に向けられる周囲の視線は少しばかり刺々しいものだったが、当の本人はどこ吹く風である。
臆するどころか、肩を竦めている。
「そうだな。済まない、情報を知っている我々だけで話を進めていた。君らにも話すべきだろう。……ところで、見たことがない顔だが、君は?」
「シドー・カミヤ。第八級だ」
周囲から「例の新人か……」「グランドさん公認の天才とかいう奴だろ?」などのひそひそ話が聴こえる。
それを聴き取ったようであるセドリックが笑い、
「ああ、君が噂のシドーくんね。君の意見は最もだ。では、まず情報の共有から始めようか」
冒険者たちの会議が、本当の意味で始まるのはこれからだった。
♢
一方。
その頃。
「あー、くっそまだ回復しやがらねぇ」
冷たい風が吹き荒れる。
アクアーリアの北東にある森林を越えたその先。
火山の麓には荒野が広がっていた。
普段は生物が少ないその場所では、数多の魔物が忙しなく動き回っている。
「あのジジィ。次はぶっ殺してやる」
その中で唯一言語を使っているのは、褐色の肌に赤い瞳をした人型の生物だった。
悪魔。
『知能を持った魔物』とも呼ばれる、魔物の上位存在。
かつて世界を破滅に追い込んだ魔神側の存在だった。
魔神が封印されてから水面下に潜んでいたが、ここに来て急に活動を再開している。
「ほら、さっさと動けや」
悪魔は苛立たしげに魔物達に命令する。魔物は知能がなくとも本能的に上下関係を理解しているのか、指示に従って動いていた。
悪魔はギョロリ、と辺りを見回す。
何体もの竜種。バジリスクやサイクロプスなどの上級魔物。それにゴブリンを代表とする雑兵はだいたい揃った。
ここまで一晩。
迅速極まりない動きだった。
突如として動き出したその悪魔の目的は。
「――さて海上都市だか何だか知らねぇが、『水天の輪』は返してもらうぜ」




