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ハズレ奇術師の英雄譚  作者: 雨宮和希
第五章 悲劇に咲く一輪の花よ
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第10話 「絶望を支配する者」

 鷹山祐介は、倒れ伏して藻掻いている霧崎翔を冷徹な視線で眺めつつ、斬りつけるように言葉を投げかけた。


「……まあ単純な話、アンタと同じ手ッスよ」


 ――毒である。翔が武器に塗っていたそれを、鷹山の場合は空気に混ぜて流していた。

 文字通り、毒ガスである。

 ここは地下研究所への入り口。それも稀代の天才――松山鬼一の本拠だ。これぐらいの仕掛けはあって当然。

 だからと言って対処できる類のものではない。そもそも、あの松山が対処できる罠を用意するはずがない。


「……それ、じゃ、君たちは…………」


 翔は十分に毒が回っているようで、呂律が回っていない。体が麻痺しているのだ。もう数分もすれば死ぬ。このために、奴隷たちは時間稼ぎをしていたのだ。

 ――とはいえ、呆気ないものだった。


「オレたちには効かないッス。抗体があるんでね」

 

 そもそも異世界人の肉体は頑強だ。レベルが上昇している鷹山たちだって、地球時代とは大幅に違う。だから得体の知れない毒物が効果を発揮するのは、せいぜい一度が限界であり、それもレベルオーバーに上がるような猛者が相手では、毒など効かないのが普通だった。

 その点において翔の武器に塗られていた毒は、奴隷を何人か衰弱させ、中には死んでいる者もいることから、非常に優秀なものだろうと分かる。

 だが松山が生成した毒は、その程度では留まらない。

 既存のものを遥かに越えている劇薬だ。


「……痛くないのか?」


 鷹山は眉をひそめて告げる。

 今頃、翔の体内では激痛が巡っているはずだ。

 人間が耐えられる痛みではない。翔が表情を変えていないことが信じられないほどに。

 仮に耐えられたとしても、死は確定しているのに。

 翔は――いまだに薄く笑っていた。


「……さ、すが。『異界……同盟』と、言うだけ、ある」


 ゆっくりと、辿々しく、翔は告げる。

 鷹山は余裕が消えない翔の態度に嫌気が差す。

 そして不穏な空気も感じ取った。

 その感覚に逆らわないまま、配下に告げる。


「もういい。苦しんでもらう予定だったが――殺せ」

「分かりました、ご主人さま」


 主人の意を汲んだエルが、腰からレイピアを引き抜く。

 這い蹲る翔の頭蓋に狙いを定め、呼気を整えた。


「……皆の恨みを、受け取れッ!!」


 エルが吼える。レイピアの突きが、おそろしい勢いで空気を貫いていく。

 翔の命が奪われる。一人の忍術師の頭蓋が陥没する。

 その直前に、翔は流暢に呟いた。


「――本当に、こんなところで使うつもりはなかったんだ」


 鷹山が愕然と目を剥く。

 刹那。

 圧倒的な魔力の波動が、世界を脅かした。








  

 ♢








 大要塞デュアルガ。

 戦禍の爪痕が残る一角で、新魔王ルシアは大の字に倒れていた。周囲では何体かの悪魔が心配そうに見ている。だが、近寄るなとルシアが命じたので、治癒術師も向かわせられず、遠方から見守っているだけだ。

 少しだけ一人になりたい気分だったのだ。

 ルシアの肉体は満身創痍だが、戦いそのものに負けたわけではない。

 確かにこの都市の奪取には成功した。現在は魔王軍が占領している――とはいえ、都市の住民のほとんどはアルスフォードや帝国の方へ避難していたのだが。


「ホッホッ。これは、魔王様、無事ですかの?」

「……グライブか」


 ルシアはむくりと起き上がる。

 遠方より、白髭を長く垂らした老悪魔が姿を見せた。

 近づくなという厳命を無視し、飄々と近寄ってくる。


「帝国の勇者はどうした?」

「逃げられてしまいまして。あれは非常に幻術が上手いですなぁ。下手すると勇者内で最も厄介かもしれない」

「……そうか。お前でも逃がすレベルか」


 ルシアは疲れたように嘆息する。最近は魔王自ら出撃して、何とか辛勝するパターンが多すぎる。

 休息を取る暇もなかった。


「……五人の勇者か。やはり厳しいな。その上、迷宮に落ちたとかいう一人はいまだに行方が分からない。死んでいてくれれば助かるんだが……」

「それでも、やると決めたのでしょう?」

「……そうだ。勇者がいては、種族間平和が成り立たない」


 ルシアは空を見上げながら、言う。

 勇者は人と悪魔を区切る。希望の象徴。悪を潰してくれる正義の剣。そういう風にできている。

 ――そうなるように女神が創ったのだ。

 だから、たとえ尊敬できるような人間だったとしても、ルシアは勇者を殺さなければならない。それができなければ、夢見た未来などやって来ない。


「……キリサキから情報を受け取った。侵入ルートから、勇者会議の推定開催場所まで記されている。ヤツに動かされているようで少々気に食わないが……」

「ここは乗るしかないですな。真っ向から魔導都市に攻撃を仕掛けても、流石に落とせないでしょう。斥候からの情報ではあそこには今、何人もの転移者がいる」

「そうだな。魔王城も今回の攻撃で、かなりの打撃を受けた……限界は近い」


 魔王城は地面に降りていた。

 忙しなく悪魔が動き回り、兵器の修繕を急いでいる。だが、勇者会議は明日だ。そこを襲撃し、勇者を一網打尽にする作戦には間に合わないだろう。

 ミラ王国のときと同様に、精鋭だけで侵入。

 奇襲し、切り札を投入する。

 勝負をここに賭ける。ルシアは覚悟を決めていた。

 警戒するべきは当然、その場に集結している四人の勇者。そして裏で魔導都市を牛耳っている『異界同盟』だ。


「……邪魔をするのは、転移者ばかりだ」


 ルシアは悔しさを込めて、唇を噛んだ。

 これも女神の思惑通りだろうか。適当に異世界に放り出した転移者が、結果的に魔王軍の邪魔をしている。魔王側としては、これほど強くなる人間が多いとは思っていなかった。転移者を甘く見ていたのだ。せいぜい勇者として神器を持たされた面子程度しか警戒していなかった。

 だが、実際はどうだ。

 ルシアは一ノ瀬拓真という勇者でもない転移者と交戦し、この傷だらけの有り様である。


(……だが、まだ『切り札』はある。機会はあるんだ)


 ルシアは深く息を吐き、魔王城へと戻っていく。

 夕暮れの陽に照らされ、影が伸びていた。




    


 ♢







 魔導都市アルスフォード。

 城門の上に座り込み、一ノ瀬拓真は欠伸をしていた。

 眼前では山間に夕陽が沈もうとしている。

 

「……撤退しなくても何とかなったんじゃねえの?」

「そりゃお前らはな」


 壁に背を預けて腕を組んでいる男が返答する。

 アイザック・クラインだ。


「だが、共和国軍の損耗は限界だった。あれ以上いたらお前や勇者なんかでも囲まれ、逃げ場がなくなったところで魔王城からの集中砲火に晒されてお終いだぜ」

「はー。よくわからねェけどよ」

 

 拓真の傷はこうしている今も修復している。

 『闘気』の効果だ。

 治癒術師いらずの男である。


「明日が勇者会議だっけか。また仕掛けてくんのか?」

「そりゃあな。妙に勇者にご執心のようだし。戦力的に厳しいんじゃねえかって気もするが」

「……そォかよ」

  

 拓真は一度黙ると、口元に凄惨な笑みを刻んだ。

 くぐもったように声を漏らす。


「クハハ……面白そうな悪魔とはだいたい戦ったからなァ。もういいや。満足した」

「なんだよ? 何する気だテメェ?」

「――勇者を潰す。そっちの方が面白そうだ」

「魔王側の味方をするってのか? まあお前が戦いてぇだけなのは知ってるけどよ。流石にそれに関しちゃ俺は見てるだけだぞ。各国で指名手配なんぞされたら困るし」

「あァ。俺だって別に悪魔の味方ってわけじゃねェ。面白そうなヤツは――全員、敵だ」


 日が沈み、夜が訪れる。

 一人の戦闘狂の心変わりと共に。







 ♢








「――本当に、こんなところで使うつもりはなかったんだ」


 霧崎翔はゆっくりと立ち上がった。

 その身は莫大な魔力に満ち溢れている。

 眼前では鷹山祐介は動揺したように一歩退いた。そんな彼を護るように、三人の奴隷が武器を構える。

 実のところ、それだけではない。

 鷹山は撤退させたつもりだろうが――その奴隷兵たちは遠方より様子を窺っていたり、天井に張り付いていたり、水路の中で息を潜めていたり、誰にも退く様子はなかった。

 たとえ主人の命に逆らってでも、主人が大切だから。心配だから。何か起こったら護りたいから。

 そんな意志が、愛情がその瞳には見て取れる。

 鷹山が護るべきもの。変えたくて変えた瞳。世界のすべてと引き換えにしても、一緒にいたかった者たち。

 分かっていた。

 彼らを見ているだけで、そんなことは理解できた。


『……ご、しゅ、じんさま……』


 殺した奴隷兵の最後の呟きが耳に残る。何度も。何度も再生される。翔を苛むように。苦しめるように。消えてくれない。きっと、一生消えることはないのだろう。

 これは翔が犯した罪の証なのだから。

 翔は彼らの愛を土足で踏み躙っているのだから。


『――愛して、い、ます…………』


 胸が痛い。心が苦しい。吐き気がする。ぐるぐると視界が回り、酩酊したようにふらつきたくなる。

 毒の影響は――最早、欠片もない。すべて解消していた。

 それでも圧し潰されそうだった。


「……何をしたんスか? それは、人間に耐えられる毒じゃないはずだ」

「……うん。人間には耐えられないだろうね」


 翔は背中から――黒い翼を展開する。

 視界が徐々に紅へ染まっていく。

 鷹山の驚愕の表情が見えた。だが遅い。もはや翔が負けることはない。勝利は約束されている。


「……だから僕は、人間を辞めたんだ」


 『呪印』――上位悪魔化。

 それを自分に対して使用したというだけの話。


「……戻れなくなると分かっているんスか?」

「戻る気なんかないよ。そして、生きるつもりもない」


 ただでさえレベルオーバーの怪物。

 それが上位悪魔のスペックを加え、莫大な魔力を以て君臨した。翔は飄々と笑う。内心がどれだけ苦しくても、哀しい顔をする資格などないと思っているから。

 奴隷長のエルが剣を構え、冷や汗を掻きながら言った。


「下がってください。必ず、倒しますから」


 奴隷兵たちには、未だ戦意は残っていた。ここを引いてしまえば、いずれ松山の手先にでも殺されるのだろう。あれはそういう男だ。その性質を考慮した上で、おそらく鷹山は思慮している。ここを引いて、松山と殺し合うか。またはここで翔を打倒する可能性に賭けるか。

 

「……やるしかないッスね」

「……どうして、そこまで? この先にいるらしい松山に情でもあるのかな?」

「奴の手法だと、救われた世界には選ばれた人間しか向かうことができない……! オレは皆を、助けたいんだよ!」


 翔は得心した。松山の言う世界を救う方法はどうやら人々を平等に救い上げるものではないらしい。確かにあの男の性格を考えると、当然かもしれなかった。

 

「舐めるなよ……忍術師!」


 鷹山が叫びを上げ、懐からナイフを取り出す。どうやら自分でも戦う意志があるらしい。その気概を察したように、各所に潜んでいた奴隷兵たちが姿を現した。


「みんな……逃げろって言ったのに」

「ご主人さまをおいて、逃げられるわけない」

「私たちはあなたを守ることが仕事なんですから」


 奴隷少女たちは口々にそう言って、笑う。

 美しい絆だった。少し歪なものだとしても、翔にはとても真似ができない尊い光景だった。

 そして翔を囲みつつ、それぞれ武器を構える。 

 その瞳に絶望は見えない。

 おそらく上位悪魔のスペックを宿した翔なら、勝算はあると考えているのだろう。

 確かに先ほどの戦闘でも翔が優勢だったが、鷹山の指揮能力を以てすれば、追い詰めることは難しくない。

 それに、鷹山には『強奪』と『貸借』の固有スキルがある。それを使って別の固有スキルなども用意しているはずだ。つまり戦術は幾らでもある。勝機はあるのだ。

 そう。

 翔が、今のままだったのなら。


「……そろそろ馴染んだかな」


 『呪印』展開。対象は自分。

 上位悪魔化済。更なる進化を選択。

 ――魔王化へ移行。

 肉体改造を開始。呪いの体内侵食率――100%へ。


「なら、『上』に進めよう」


 直後。

 新たな魔王が君臨する。

 ――世界を、絶望が覆った。

 

 

ハズレ術師の英雄譚、書籍化決定いたしました!

いつも応援ありがとうございます!

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