第12話 「双爪の猫」
ひんやりとした風が、雑踏の中を駆け抜けていく。
服の中に冷気が入りこむ感覚に士道は眉をひそめ、漆黒の外套を羽織り直した。
ライン王国の位置するユーレンザラード大陸北部は、一年を通して少し肌寒い程度の気温に安定しており、比較的過ごしやすい気候である。
そんな地域に住む人々の明るい喧騒が飛び交う大通りで、士道は露店で買い食いしながらのんびりと歩いていた。
その手には串焼きが握られている。
「得な買い物したな」
焼いた肉を串に刺しただけの簡素な品だが、塩味が絶妙に肉の旨味を生かしている。
この美味さで銅貨三枚という安さだ。
また買おう、と士道は露店の位置を記憶しながら冒険者ギルドへと足を進める。
この街――アクアーリアは人口が多く雑多な街並みだが、その中でも冒険者ギルドは一際大きい。
裏手には訓練場があり、酒場も併設されている二階建ての無骨な建物。
そこに、士道は足を踏み入れた。
昼時なので冒険者の数は少ない。多くの者は依頼に出ているのだ。
士道を見た者たちがひそひそと話し出す。中にはあからさまに睨みつける者もいたが、士道は一瞥すらしなかった。
士道は依頼掲示版で適当な依頼を探す。
半日で済む簡単な依頼がベストだ。
「……どうすっかな」
魔物の討伐。商隊の護衛。街中の雑用。迷宮の調査。賞金首の捕縛。
依頼内容は多岐に渡る。
士道は第八級冒険者なので、第十級から第七級までの依頼しか受けることはできない。
その中で比較的難易度が高そうな依頼に目を走らせた。
『ゴブリンの討伐』は簡単すぎるので無視。
『オークの討伐』も上に同じ。
『クレス商会の護衛』は2日かかるので却下。
『マードック男爵邸建築手伝い』は雑用なので論外。
「…………うわぁ、どれも微妙」
士道は顔をしかめ、ため息をついた。
肩を落とす彼に小柄な少女が声をかける。
「どうしたんですか?」
声に振り向いた士道は、驚きに目を瞠った。
可愛らしい顔立ちにくりくりとした瞳。茶色い髪の上には猫耳がぴょこんと生えていて、ふさふさとした尻尾が左右に揺れている。猫の獣人だった。
ミニスカートタイプの魔導服に身を包んだその少女は、士道に向けて柔らかく微笑んだ。
「例の新人さん、ですよね? 昨日冒険者になったっていう」
「その通りだ。よく知ってるな」
「何せあの第一級のグランドさんが認めたって話ですからね。噂になってますよ」
「やっぱそれだけ第一級って肩書きは凄いのかね」
「冒険者のエリート中のエリートですからね。格が違いますよ。この街にもたった二人しかいませんし」
「だよなぁ。最近強い奴としか会ってないから感覚が麻痺してる気がする……あ、んで君は?」
「わたしはレーナ・ミューアヘッド。第三級冒険者です」
「第三級……。なんの冗談だ?」
士道は小柄なレーナを訝しそうに見て、首を傾げた。
年齢はおそらく、中学生程度である。この少女が熟練と呼ばれる第三級に達しているとは思えないのだ。
レーナは頬を膨らませると、
「あ! 信じてませんね!」
「そりゃお前。熟練だとか言われる第三級をチビっ子が名乗るのは無理があるだろう」
「わたしこれでも強いんですよ!」
「"これでも"という自覚はあるのか」
士道はレーナに対応しながらも、周囲に何人かいる冒険者のひそひそ話に聞き耳を立てていた。
「おい……"双爪の猫"が新人に声かけてんぞ」
「ああ、新人ってゴルホふっ飛ばしたってやつか」
「レーナ様に手を出しおって……断固として許せぬ所業である。親衛隊の名にかけて討ち滅ぼす」
「いやいや、落ち着けって。レーナから話しかけたんだぞ」
「ぬぬぬ…………」
頭おかしいのが一人混じっていたが、レーナの立ち位置をだいたい理解した。
レーナは"双爪の猫"の異名を持つ第三級冒険者で、なぜか親衛隊があるようだ。
「むー……。まあ、それはいいです。それより、まだあなたの名前を聞いてませんよ?」
頬を膨らませていたレーナが、今度は小首を傾げる。猫耳がぴょこんと揺れた。
随分と表情がころころ変わるものである。士道は親衛隊とやらが創設される理由を、少しだけ理解した気がした。
「俺はシドー・カミヤ。第八級だ」
「変わった名前ですね。出身が遠いんです?」
「山奥の田舎から出てきたのさ。だから常識には疎いかもしれんが気にするな」
「なるほどです。ではシドーさん。わたしと一緒に依頼を受けませんか?」
レーナが士道に話しかけた目的はそのことである。
彼女は寝坊して今から受けられる依頼を探していたところ、受注可能である第三級付近の依頼は、めぼしいものはすべて受けられた後であり、残っているのは二人以上いないと厳しい内容のものばかりだった。
そこにやってきたのが、破格の実力を持つという新人――士道である。
レーナは士道とならば、依頼を受けられると思ったのだ。
そんな理由を聞き士道は得心する。
「でも俺は第八級だぞ?」
「パーティを組むときは、最もランクが高い人を基準に依頼が受けられるんですよ。つまり、わたしと組めばシドーさんは第三級の依頼が受けられるんです!」
「へえ、それは良い。ちょうど困ってたところだ」
レーナが本当に戦えるのか少し心配したが、"双爪の猫"という異名まで持っているのだ。
一応『鑑定』を行使したがレベル66という高さだったので、士道は意外感を覚える。獣人らしく身体能力が高く、接近戦を得意としたステータスだ。
「これとかどうですか? 『ゴリグマの討伐』です。近くの森なんですけど、一人ではちょっと不安だったんですよ」
「ゴリグマとかいうのは強いのか?」
「知能は低いし動きもそんな速くないんですが、パワーが尋常じゃないです。防御も硬いから油断はできない相手ですね」
「俺でも倒せると思うか?」
「多分、問題ありませんよ。わたしでもかなりのミスでもない限り窮地にはなりませんし。ただ、わたしは攻撃力に不安があるので時間がかかるんですよね」
「だから俺か。ま、いいだろう。……しかしお前、本当に戦えるんだな?」
レベルやステータスは確認済みではあるが、この可愛らしい獣人が戦うところはどうにもイメージし難かった。
レーナはジト目で口を尖らせ、
「あ! まだ疑ってるんですね!?」
「あ、この依頼受けるから。よろしく頼む」
叫ぶレーナをなぜかスルー。
勝手に依頼をカウンターで受注して地図を受け取り、すたすたと外に出ていく士道。
もちろんレーナは置き去りである。
つくづく、マイペースな男であった。
♢
ライン王国サザルーフ伯爵領。俗に海上都市と呼称されるアクアーリアは、主に島の南側に展開されている。
島の北側から東側にかけては大きな火山があり、それに沿うように森林が広がっていた。
士道とレーナの二人は、その森林に繋がるだだっ広い草原を歩いていた。
この辺りは見晴らしが良いので、特に魔物の襲撃に怯える心配もない。
ふわり、と風が士道の髪を揺らす。
「ねぇ、シドーさんはどうして冒険者になったんですか?」
レーナが背の高い士道を上目遣いで眺めながら尋ねた。
士道は少々悩むように頭をかくと、
「金を手っ取り早く稼ぐには、これが一番早いだろうってだけだな。大した理由はないさ」
「いえ、わたしも似たような理由ですから。でも、シドーさんはまだ冒険者になったばかりなのに、グランドさんが直々に認めるぐらい強いじゃないですか。…………やっぱり、強くなるために努力したんですか?」
そう尋ねるレーナの瞳はどこか儚げで、壊れてしまいそうな雰囲気があった。
士道はどう答えようか迷った。確かにこの一月、玄海との鍛錬において血の滲むような思いで努力を重ねてきた。
この世界では強くなければ生きていけない。
そんな確信があったからだ。
しかし日本に居た頃は平和を当たり前のように受け入れていて、強くなろうとしたことなどない。
果たしてこれは、努力したと言えるのだろうか。
「…………分からない」
「そう、ですか。わたしも同じですよ」
その言葉を聞いて、前を向いていた士道はレーナの方に視線を向けた。
彼女は花を眺めていた。
何もない草原に咲く一輪の花は、どこか彼女の横顔に似ているように感じる。
「レーナが冒険者になった理由は?」
「……家、というか住んでいる地域にあんまりお金がなくて、冒険者として有名になって、家族に少しでも楽をさせてあげたかったんです」
「……過去形ね。今は違うのか?」
「これまで、頑張ってきたつもりだったんですけどね。どうやっても第三級止まりで、なんだか自分がよく分からなくなってきました」
強くなるために努力したか、と士道に尋ねた理由はこれだろう。
頑張っているのに実力が伴わず、自信が持てなくなってきているのだ。
出会った当初から少し無理をしているようにも思えた。
「いや、凄いな。レーナは」
「え?」
「家族の為なんだろう。……そういう考え方は、好きだ」
まだ会ってから一時間も経っていないが、士道はレーナという人間を気に入っていた。
まだ士道より年下だというのに第三級に昇るほど強くなり、家族のために努力を重ねているのだ。
「ありがとうございます。ちょっと元気出ました」
レーナは笑顔を浮かべた。ぴょこり、と猫耳が揺れる。
士道はそれに興味を持った。
「な、触ってもいいか?」
「え? いいですけど」
さらさらの髪と一緒に猫耳を撫でる。レーナは気持ち良さそうに目を細めた。
「にゃあ……」
「あ、にゃあって言った」
「い、言ってません!」
「いいじゃないか別に。可愛いぞ」
「…………油断するとつい出ちゃうんですよ」
レーナは頬を紅潮させながら、口を尖らせた。
猫耳と尻尾が嬉しそうに振られている。士道は異世界に来て始めて、女の子を可愛いと感じた。
♢
「そろそろだな」
士道が地図を見ながら呟く。
報告にあったゴリグマの住処はすぐ近くにある洞穴のはずである。
「あ、あれですね。……どうします? 中に入ります?」
「ふむ。洞穴の中までが広いとは限らないしな。できれば中から引っ張り出したいところだが」
レーナが指差した方向には確かに報告通りの洞穴があった。
ゴリグマを中から引っ張り出すのが理想的だが、そもそも中にいるのかどうから定かではない。
士道はレーナに向き直ると、
「レーナ。お前の戦い方を知りたい。多少なりとも連携できてないと足を引っ張るだけだしな」
「はい、わたしの武器はこれです」
レーナはそう言って魔力袋から鉤爪を取り出した。それも2つだ。
両手に鉤爪を装着する。
それを見た士道は納得したように、
「なるほど……"双爪の猫"の由来はその二対の鉤爪か」
「なんで知ってるんですか……。まあ、とにかくわたしは超接近戦型の前衛です。魔法は何も使えません」
「俺も魔法は使えん。俺のスタイルは一応、…………剣士かな? 俺は剣士なのか?」
「いやわたしに聞かれても。なんで戦闘スタイルが自分で分かってないんですか」
ジト目のレーナを華麗にスルーした士道は顎に手を当てて考える。
「ってことは二人とも前衛か」
「ゴリグマは特殊能力のないパワータイプの魔物です。攻撃型の魔術師がいれば心強かったんですが、別に前衛二人でも相性悪くはないです」
「よし。じゃあやるか。レーナ、ちょっと下がってろ」
「何をするつもりです……か!?」
レーナの言葉が終わる直前。
おもむろに剣を抜いた士道が、虚空に向けて上段から振り下ろした。
魔力波が鋒から放出される。
"飛翔閃"と名付けられた飛ぶ斬撃が、何の躊躇もなく洞穴に直撃した。
轟音が響き渡り、洞穴の岩が崩落していく。
「い、今の技は……!?」
レーナが口をぽかんと開けている。
士道は適当な調子で、
「ん? ただの『飛ぶ斬撃』だよ。俺は"飛翔閃"って呼んでるがな。まあ驚くようなもんじゃない」
「いやいやいや、普通驚きますから! 魔導技なんて並の剣士ができるような技じゃないですよ! ましてやあなた第八級じゃないですか!?」
「魔導技?」
「って知らないんですか。魔法と武芸の合わせ技のことですよ。まあその技の場合、魔力をそのまま放射してるので魔法ではないかもしれませんが」
「これ、そんな凄いのか?」
「当たり前じゃないですか!」
「え、そうなのか。グランドさんがあんまり驚いてなかったから皆できるもんかと思ってた」
「グランドさんを基準に考えちゃダメですよ……。あの方は泣く子も黙る第一級冒険者ですからね。超一流ですよ。そんな方と比較することがすでにおかしいんですよ!」
「まあ落ち着け。……ほら、怒り狂った間抜けがお出ましだぞ」
うがー! と尻尾の毛を逆立てるレーナを横目に、士道の口元が弧を描く。
彼の視線の先では、崩落した岩を跳ね飛ばしてゴリグマが姿を現した。
どうやら睡眠の邪魔をしてしまったようである。
憤怒の形相で士道たちを睨む怪物は、莫大な量の筋肉を鎧のように纏い、それをさらに剛毛が覆っている。
(ゴリグマ……ゴリラにクマを足したのか。そのまんまだな)
「報告通り1体だけですね。このまま行きましょう」
士道は剣を中段に構え、レーナは陸上のクラウチングスタートのような姿勢を取った。鉤爪が地面をザリザリと削る。
レーナの雰囲気が変化する。
ほんわかとした猫だったものから、飢えた虎のような鋭い殺気が放出された。
対するゴリグマが威嚇するように咆哮を上げる。
だが。
士道とレーナの二人は、臆することなく一歩踏み込んだ。
口元に浮かぶのは凄絶な笑み。
「足を引っ張るなよ」
「いくら期待されてるとはいえ、新人には負けてたまるもんですかー!」
その言葉の直後。
二人の人間と一体の魔物が衝突した。




