第9話 「実力試験」
冒険者ギルド裏手の訓練場。
普段は下級冒険者が自己鍛錬をしていたり、ギルドナイトによる初心者指導が行われている場所である。
そこには今、試験用の結界魔法が張られている。
中央では二人の男が相対していた。
泰然自若とした様子で佇むのはグランド・アイブリンガー。
第一級冒険者たる彼に相対しているのは、黒い髪に端正な顔立ちをしていて、鋭い瞳が特徴的な長身の少年。
鼠色のローブを纏っていて、剣を下段に構えている。
その少年――神谷士道を観察するグランドは、感嘆したようにひとつ頷いた。
剣の構えは知らない流派だが隙はない。
グランドの威圧に耐え、冷静でいられる精神力もある。
この時点で、それなりにやれることは窺える。
グランドはひとまず様子見をするつもりで士道の動きを待った。
そう、グランドは油断していたのだ。
突如。
士道が驚いたように左を向いた。
釣られるように左を向くと、士道が大地を蹴ってグランドに肉薄して来る。
グランドは騙されたことに気づき、目を瞠った。
「ほう! 大した演技力だ!」
単純な手だが、数多の戦闘を経ているグランドを騙し切るのはそうそうできることではない。
そして、その隙に突進する思い切りの良さも評価できる。
「だがまぁ、いかんせん速度が足りん!」
グランドは研ぎ澄まされた動きで剣を抜きさると、士道が下段から振り上げた刀を受け流した。
士道が顔を歪めて舌打ちをする。
グランドは大きな隙ができた士道の体に蹴りを食らわせようと身体をひねる。
しかし。
「なっ!?」
士道は蹴りを避けようとするどころか、そこからなお一歩前に踏み込んだ。
グランドは驚きながら、振るわれた剣を回避する。
後方に飛び退いたせいで、グランドの蹴りも士道に届かなかった。
一歩間違えれば敗北していた、危険の高い大振り。
素人の蛮勇か。
それとも。
「…………」
ニィ、と。
グランドの口元が三日月型に引き裂かれた。
士道はグランドの足が地面に着く前に追い打ちする。
高速で剣が幾重にも振るわれた。
グランドは地面を踏めない不利を背負いながらも、そのすべてを捌き切り、着地と同時に士道を急襲する。
だが、士道は予測していた。
横っ飛びで剣を躱される。
しかし、グランドの突きの速さに焦ったのか、士道は態勢を崩した。
士道の顔を歪む。
そこを狙い撃つために、グランドは再度肉薄した。
だが。
士道は態勢を崩してなどいない。
それは、ただの演技だ。
士道の口元が吊り上がり、上段から剣が振り下ろされる。
"飛翔閃"が炸裂した。
士道が放った、飛ぶ斬撃。全力の魔力が込められたその魔力波を、グランドは驚愕しながらも体を振って回避する。
"飛翔閃"は訓練場に張られた結界に亀裂を入れ、ようやくそのエネルギーを失った。
(結界に……亀裂を入れた!?)
結界魔法を張っていたのは、第二級冒険者のミーシャというエルフ族の女である。
魔法を得意なエルフ族の中でも、結界を極めることで第二級にまで成り上がった女だ。
その結界を破るのに、どれだけの威力が必要なのか。
士道の魔力量は常人よりも遥かに多い。
そのことを理解したグランドは、士道の才能に戦慄した。
冷や汗を垂らしながら向き直ると、少年は双眸に鋭利な眼光を宿し、冷静にグランドを窺っている。
"飛翔閃"を避けられたことに対する驚きもない。
まるで、その程度は想定済みだとでも言うように。
グランドの口元がつり上がり、凄絶な笑みを刻んだ。
同時に、ギアが一段上がる。
「ふ、はははは!! 面白い! いいぞ少年! 実にいい!」
ドン!! と、爆発的な速度で士道の眼前に迫ったグランドは剣の峰を腹に叩きつけた。
だが、直前で反応される。剣で防御し、受けきれないと悟った士道は跳躍しながら何とか捌き切った。
凄まじいまでの戦いのセンス。
剣術は才能はあるが、まだまだ荒削りだ。
おそらく、剣を握ってから一年も経ってないだろう。
筋力や敏捷性からして、せいぜいレベル30強だと推測できる。
体さばきは並ではないが、まだまだ成長の余地があった。
これだけでも十分有望な若者だ。
しかし、最もグランドが注目したのは士道の『フェイク』だった。
士道が時折、思い出したように混ぜる視線誘導や踏み込むふり、態勢を崩した演技。その演技力に、グランドは見事に引っかかっていた。
士道の天職は奇術師。
ゆえに、嘘と演技には天性の才がある。
グランドは直感でそれを悟っていた。
相対する士道は、挑発するようにグランドを手招きする。
「……どうした? 考え込んじまって。来いよ、第一級」
この煽りも、彼の戦術のうちなのだろうか。
いつまでも士道のペースに乗せられ続けるのも気に食わない。
グランドは趣向を変えることにした。
「フン。ならば、これはどうだ! "水弾"!」
グランドは得意の水魔法を行使した。
士道が対応に困ったのか、舌打ちをしながら後方に飛び退く。
その避け方にはやけにぎこちなさが目立ち、グランドは眉をひそめた。
「魔法への対応だけ、やけに雑だな少年! まさか、慣れてないのか?」
「俺の師匠は魔法が使えないもんでね!」
「ほう! ならば、俺がお前に魔法の使い方というものを教えてやろう――"水龍"!」
グランドが叫び、魔力を込めて術式を展開する。
難なく形成された魔法陣から水流が津波のように士道に迫った。
グランドは典型的な魔法剣士だ。
水属性魔法の適性を持ち、剣を主体としながら魔法を補助に回す。
冒険者にはありふれた戦い方だった。
別にグランドは特別な力を持っているから、第一級になれたわけではない。
ただ当たり前の技術が、当たり前のように研鑽されただけの話。
水属性魔法"水龍"は、その名の通り水で構成された龍であった。
それは高速で士道を囲み、渦を巻いて鎌首をもたげる。
その龍に気を取られている隙に、グランドは別の魔法を展開し、士道に向けて駆け出した。
グランドは基本に忠実。
戦術は単純で、魔法を次々と放ちその場に縫いとどめた相手に肉薄して斬り殺す。
(まさか、新人相手に魔法を使うことになるとはな……)
だが、士道の力量は理解した。
そろそろ決着をつける。
士道は次々と魔法を放つグランドに舌を巻いていた。
魔法は思っていた以上に厄介な代物だ。それに加えて、剣技でもグランドが上回っているのだから、不用意には近づけない。
士道は簡単な防御魔法すら使えないので、魔法への対抗策などないに等しい。
ふと『瞬間移動』で水流から抜け出したい衝動に駆られるが、こんな場で固有スキルを見せたくはない。
「くそっ……!」
士道は体を振って水流を躱しながら、悪態をつく。
水流の数がどんどん増えていき、士道は訓練場を覆う結界の隅に追い込まれていく。
攻撃に転じる隙がない。
一か八か、と士道が覚悟を決めたその時だった。
グランドが、水流の裏から出現する。
完全に意表を突かれた形だった。
構えも取れない士道に、グランドは剣を捨てて拳を握り締める。
「これで終わりだ! 楽しかったぞ少年!」
鈍い音が炸裂し、決着はついた。
士道の意識は闇に閉ざされた。
「知らない天井だ……」
水面に浮上するように意識が覚醒した。
士道が見ている景色は孤島の拠点であるいつもの岩場ではなく、木造の家屋の天井だった。
ベッドに寝かされていた士道はむくりと起き上がる。
すると、脇で椅子に座りながら書物に目を通していた人物が振り返った。
白髪に好々爺然とした顔、老いてなお筋骨隆々な肉体を持つ男――古賀玄海である。
士道の剣の師匠にして、同じ異世界転移者だ。
「ふむ。起きたか士道」
「……爺さんですか。見てたんですか?」
「途中からじゃがな。何やら騒ぎかあると思って見にいった」
「あの後どうなったんです? というかここは?」
「試験は合格だと言っていたぞ。ここは訓練場の端にある簡素な救護室だそうじゃ」
「……そうですか。どのくらい寝てました?」
「三時間といったところじゃな。もう夜じゃよ……ほれ」
玄海が放った長方形の紙片を二本の指ではさみ取る。
思いの外、硬く頑丈な物質だった。
「これは?」
「ギルドカードじゃよ。渡してくれと頼まれたのでな」
「すみません。世話をかけます」
玄海に感謝して、士道はギルドカードに記載されている文字を読んだ。
――――――――――――――
冒険者ギルド 第八級
名前 シドー・カミヤ
性別 男
年齢 17歳
種族 人族
依頼受注記録
998/10/27 魔物討伐依頼受注用実力試験 合格
汝が冒険者ギルドに所属する冒険者であることを証明する。
――――――――――――――――
(身分証明と依頼実績の記録も兼ねてるわけね……他はステータスプレートと似たようなもんか)
適当に呟きバッグにしまう。
試験合格の前に記載されている数字の羅列は、998年10月27日と読むのだろう。
士道もその程度は何となく分かった。
「儂もある」
そう言って玄海はギルドカードを取り出す。士道が眠っている間に、試験を受けていたようである。
「だからそんな恰好なんですか? なんというか、それっぽい」
今の玄海はこの世界でごく一般的な服装の上に、簡素な革の鎧を身に着けている。床には槍が置かれていた。
「他の武器は?」
「宿においてきたのじゃ」
「ああ、俺も宿を見つけなきゃですね……よっと」
士道はベッドから起き上がったが、特に痛みを感じる箇所はない。
グランドが怪我をさせないように殴ったのである。
外出の準備をしていると、救護室に2人の人物が入ってきた。
「うぃーす。期待の新人さん」
「気がついたようだな」
槍使いのお調子者であるカイと、実直そうな顔つきをしたガウスである。
士道は顔をしかめて、
「期待の新人って何だよ」
「何言ってんだ。この街にゃ2人しかいない第一級とあれだけ渡り合ったんだぜ? グランドさんだって上機嫌にお前のこと褒めてたぞ」
「渡り合ったって言えるほど、まともな戦いになってなかったぞ。あからさまに手を抜いてた」
「そりゃーしょうがないさ。技術、経験の差はともかく何より身体能力の差がデカい」
士道のレベルは34。対するグランドのレベルは91である。
『鑑定』が使える士道とは違ってグランドのレベルを正確に把握しているわけではないだろうが、そういった実力差は長年の勘で何となく分かるようだ。
「強かっただろう。我らのクランのリーダーは」
ガウスが少し自慢げに告げる。
士道は少し驚きながら、
「お前らの所属してるクラン……『野を駆ける獣』だったか?」
「うむ。そのリーダーがグランドさんだ。この街ではかなり規模が大きい」
「へぇ……。そりゃあんなクソ強い怪物がトップ張ってりゃなぁ」
士道が呆れたように言うが、カイは玄海に目をやり、
「……ゲンカイだったよな? あんただって相当な実力者だと思うぜ」
「いや何の、儂などまだまだよ。世には強者というのはたくさんおる」
士道の後に実力試験を受けた玄海は、グランドと互角の戦いを繰り広げ、これ以上は危険と判断されて中止になったのである。観客は呆然としていたようだ。
ガウスたちはパワーとスピードではレベルが高いグランドが明らかに勝っていたのに、そのすべてを研ぎ澄まされた技術で切り返した玄海に対して、感嘆しているようだ。
流石だなと呟く士道は、実際は自分の方が期待度が高いという事実に気づいていなかった。
玄海はもう老人だ。元は傭兵などの戦闘従事者をしていた者だと思われているが、士道はまだ若く、センスだけで第四級に並ぶかという実力に達している。
伸び率を考えると、士道の方が期待されているのは当然の話だった。
「なぁ、酒場に行こうぜ。期待の新人の歓迎会だ。大量に魔石売ってたらしいし、金ならあるんだろ?」
「まぁな。まともな料理がようやく食えるのか」
士道たちは救護室から出て、訓練場を横切る。裏口から冒険者ギルドに入ると昼間とは異なり、がやがやとした喧騒で賑わっていた。
酒場に多くの冒険者がたまっている。
士道たちは端の方に座ろうとしたが、中央のテーブルの横に座っていたグランドが手招きしていたので、仕方なくそちらに向かった。
「おう! 新人さん期待してるぜ!」
「おい聞いたぜ爺さん! グランドさんと引き分けたんだってな!」
「ゴルホぶっ飛ばしたってマジかよ! 良い気味だ、ひゃははは!!」
名も知らぬ冒険者たちが上機嫌に声をかけてくるので、士道たちは苦笑しながら適当に返事を返し、グランドの近くのイスに座った。
グランドは酒を呑みながら、
「はっはっは! シドー、何か頼め! 先輩たる俺が奢ってやろう!」
「いや、いいさ。金ならある。気にしないでくれ」
「む、そうか!? そうだな! どちらでもいい!」
士道は適当に目に入った料理を注文する。玄海たちは酒も頼んでいるようだ。
ガウスが士道に尋ねる。
「酒は呑まないのか?」
「あまり呑んだことがない。嫌いってわけじゃないが」
「じゃあ1杯ぐらい呑んでおけよ。ここのビールは美味いぞ」
「…………じゃあ、そうしとくか」
士道はいまさら日本の法律など気にする必要はないだろうと思い直し、酒も注文する。
しばらく会話していると料理が出てきた。士道が注文したのは、看板料理だという暴れ牛のステーキである。
鉄板の上でジュージューと音を鳴らすステーキから、芳ばしい香りが漂ってくる。
「美味そうだな」
ステーキにナイフを入れると、肉汁がじゅわっと溢れ出した。
我慢しきれずに、ライスと一緒にステーキをかきこむ。
絶妙な焼加減で焼かれた上質な肉だった。
口の中で肉がふわりと溶ける。
地球で食べていたものよりも、よほど美味だった。
気がつけば食べ終わってしまい、ビールで喉を潤しながら別の料理を頼む。
「いい食べっぷりだ! 食わなきゃ強くはなれん!」
うんうんと頷くグランドに苦笑するガウスたち。途中から合流した残りのガウスパーティ4人など『野を駆ける獣』の構成員も交え、雑談しながら料理を食べ進めていく。
久しぶりの人里の料理に士道は心から感動していた。玄海も同様である。
そこで唐突に、がやがやと賑わっていた酒場の空気が静まった。
疑問に思い、皆の見ている方向を見やると、そこには両開きの扉から冒険者が入ってきたところだった。
「戻ってきたのか……」
「ってことは、アンデットドラゴンを倒したんだよな……?」
周りのひそひそ話を聴き、情報を集めていた士道にカイが耳打ちする。
「ありゃこの街に、グランドさんの他にもう一人いる第一級冒険者――ダリウス・マクドネルだ。一昨日から自分のパーティを率いて死竜殺しっつー大仕事に出てたからな。無事に戻ってきてくれてみんな安心してんだ」
「へぇ…………なっ」
士道はそのダリウスのパーティで最後尾を歩いていた男を見て、目を瞠った。
黒髪黒目に東洋人風の顔立ち。
間違いない。
(異世界転移者…………)
彼はこちらを少し驚いたように見ると――口元を吊り上げて嘲笑った。




