最近思ったこと 虐待と子連れ様
楽しくなかったはなし
わたしはこう思う
児童虐待のニュースを耳にする度に思う。世の中には子を切望しながらも不妊に悩む夫婦なぞいくらでもいるというのに、何故わざわざ事件を起こすような親元にばかり生まれてくるのか、と。「ばかり」と言うと語弊はあるが、目立ってそう見えるということは確かだと思う。そして、そうして命を落とすことを不憫に思っている。
道を歩いていても感じる。子供が暴れようが喚こうが無関心な親、他人に迷惑をかけていても責任を感じない親。俗に言う「子連れ様」や「妊婦さま」と揶揄される人々。こういった類の人間がまた増えるのかと思うと、ぞっとするのである。
先日、近くのスーパーに出かけた。小さな店で、カゴを持ってすれ違う時にお互い気を遣わないといけないほど、通路も狭い。土曜日の午前中などの酷く混み合う時間帯は、すれ違う事すら憚るほど混雑する。
そんな店内を大きなベビーカーで当たり前のように歩き回り、さも当然そうに他人に道を開けさせる若い母親がいた。わたしが支払いを済ませたとき、彼女も丁度レジにいた。そして、その向かいのレジには老婆がいた。買った物を荷造りする台はその先にある。けれど、ベビーカーが通路を塞いで通れない。仕方がないので「すいません。通りたいのですが。」と、声をかけた。だが、彼女達はちらりとわたしを見るだけで、どちらも動こうともしなかった。
確かに狭かったが、だからこそ通れない。少しの譲る努力どころか、どちらも自分は動かなくてもいいと勘違いしていたようだった。とはいえ、わたしもカゴは重いし、後ろの人だってそのうち来る。台も混んでおり、順番待ちをしているので並ばなければならない。
仕方がないので、誰にもぶつからないように、何とかして通ったが、それが母親の気に障ったらしい。わたしが台の順番待ちの列に並んで待っていると、その場所にはスペースがあったのにも関わらず、わざわざ「通りたいんですけど。」と言ってから通り過ぎて行った。フンっ、と言いながら。わたしはこんな親の元に生まれなくてよかったと、その後ろ姿を見ながら思った。
わたしなら、そんなに混雑する時間帯に、わざわざベビーカーを押してまでそこには行かない。仕方のないこともあるだろうとは思うが、だからといって何でも許される訳ではない。
子育てをしていれば、多少なりとも他人に迷惑がかかるのは当然で、たまたま居合わせた人も含む周りの人間もある程度受容する必要はあるだろう。ベビーカーを否定する気もない。しかし、そこに胡座をかく親のなんと多いことか、ということである。
恐らく、「普通」の観念が違うのであろう。大抵のことはこれで流すことが出来る。けれど、これらのことは嘆かわしい事の一つだと思っている。