Mission:004
うわお。色々あってもう前に投稿してからこんなに時間たってたとは……。まあ、理由は単純明快。
ニコ動で、りぶさんの『背景、夏に溺れる』を毎日聞いてたからです。
記憶が、かすれていく。薄れていく。
何時間経ったことだろうか。
俺は、ずっと布団に横になって宿舎、いや、寮というべきなのだろうこの建物の俺の部屋の窓から、すがすがしいほどに澄んだ夜の星空を見上げていた。
何を考えていたわけではない。いや、考えていない、と思っているフリをしているだけなのだろう。今日の昼の雛乃の顔が忘れられなくて、余計な詮索をしてしまう。
『何でも……何でも、ない、よ……』
これまで俺は、こんな感情を抱いたことはなかった。彼女が目の端に涙を浮かべていたからではない。かといって、儚い笑顔をしていたわけでもない。それでも、俺には思えてしまうのである。
ヒナちゃんを、笑顔に、してやりたい、と。
なんだか塞ぎ込んで叫びたい衝動に駆られたが、どうにか堪えて力任せに部屋に完備されているシャワー室の扉を思い切り開けた。
思った以上に大きな音が立ったが、特に気に留めない。
手早く脱衣して、シャワーのノブを捻る。
頭の上に迫り出しているシャワーヘッドから、俺を宥めるようにぬるま湯が流れてきた。
不意に、すっ、と瞼を閉じる。重かった瞼は、案外簡単に閉じてくれた。ぬるま湯は、顔面にある液体のほとんどを洗い流していく。
ゆっくりと、肩を上下させて、精神を統一する。軍での厳しい演習に耐えるために自ら考案したリラックス方法だ。こうしていると、何をするより気分が楽になる。
2分くらいが経っただろうところで、これまたゆっくりと瞼を開く。湯気で霞んだ鏡は、まるで今の自分の心模様のようだ、と詩人のようなことを考える。それくらいの余裕ができた証拠だ。
自分の顔さえうっすらとしか見えない鏡を、撫でるように濡れた手で拭く。
ようやく見えた自分の顔に、俺は戸惑いを隠しきれなかった。
涙を、流していたのである。
過去の記憶を遡ってみても、泣いた記憶は俺の中にひとつとて残っていない。
たった一人の戦場で涙を流しているほど俺は高貴な身分じゃないし、誰かが死んだって特に思うことはなく、自分が死なないようにせねば、とより鍛錬を辛いものに変更していった。まあ、そのせいで軍の中でまともに喋られる相手と言ったら、あのツンデレ少佐くらいのものだろう。
ふと、体をまんべんなく伝っていくぬるま湯に、自分を重ねてみる。そうしたら、何故だか納得できるような気がしていた。
そして、俺は一つだけ心に誓った。
必ず、彼女を救う、と。
もう、彼女を悲しませない、と。
翌朝。
「あ、おはよう、影森くん」
「「「おはよう」」」
教室に入ると、ある一人の女子がこちらに挨拶してきたのを皮切りに、一斉に挨拶が飛んできた。
あの女子は、湯南真子と言ったか。
「お、おはよう」
さすがに俺もこんな事態は想像だにしていなかったので、つい生返事になってしまう。
すると、俺のそんな様子に気づいたのか、一人の男子がこちらに歩み寄ってきた。
「影森くん」
「うん?ああ、委員長か。俺に何か用?」
「あんた、昨日の夜ちゃんと寝たか?眼の下に隈ができてるぞ」
「ああ、そうなんだ。昨日はどうも寝付けなくてな」
昨日は結局、あの後コーヒーを飲んでしまった上に考え事をしていた、という最悪なダブルパンチで、ほとんど眠れなかった。ただ単にコーヒーを飲んだ俺が馬鹿だった、というだけの話ではあるのだが。
「ちゃんと夜は寝たほうがいいぞ?魔戦士には休息は不可欠だからな」
「ご忠告痛み入ります」
それは俺のほうが何千倍も知ってるよ、と心の中で呟きながら、自分の席へと向かう。
途中でちら、と雛乃の席のほうを見た。いつもと相変わらず、他人には興味無さそうに文庫本を読みふけっている。蓋を開けてみればあんなに可愛いというのに。男子ども、もったいないことしてるぞ。ま、教えてやんないけどね。
俺ってば腹黒!とか思ったところで、自分の席に到達した。
荷物を机の下に入れて、忍び足で彼女の元へ向かう。
彼女の真後ろに来ても全く気付く気配がなかったので、俺ってそんなに魅力ないですか、とひとつため息をついて、声をかけた。
「ヒナちゃん、おはよう」
「……。……。……ッ!そ、その呼び方やめてって言ったじゃない!」
予想以上の反応が返ってきたので、もうちょっといじってみようと思う腹黒な俺。
「えー、そうだっけなあ?むしろ大歓迎って感じだったと思うけどー?」
「……ち、違うわよ!違うわよね!?」
「いや、俺に聞かれても……」
予想外の反応が返ってきたので、反応に困る通常版の俺。
「ね、ねえ、否定してよ!お願いだから!」
「……う、う~ん、どうだったかな……?」
何故こんなに気にするのだろうか、と思いつつ、周りの状況の変化に気付く。
皆が皆、黙り込んでいたのである。
「……?」
それを不審に思う俺。
そんな俺を不審に思うクラスメート。
一瞬の静寂が、小さな教室を包み込む。
ただ、静寂がそう長らく包み込むはずはなく、だんだんと空気が融和されていく。
『ねえ、見た?今の』『ああ、見た見た。すごかったな』『だって、あの花崎さんが、だよ?』『あいつ、何者だ……?』『神じゃないか?』『というか、俺は女神を見た気がする……』
「あ、あの……」
「「「はいっ!何でしょう?」」」
「……」
俺、神じゃねえよ。どうせなら悪魔ってもんだよ。つか実際軍で悪魔って呼ばれてたしな……。最初に呼んだのはあのツンデレ少佐なんだけどな……。
それはともかく、気になったのはひそひそで話されていたことだ。彼女はクラスで浮いている、ということなのだろうか。
あれやこれやと思案していると、ざわめきを打ち破るように教室の扉が開かれた。
「はいみなさん、座って下さいね。HR始めますよ」
開けたのは案の定担任の高宮先生だった。
「「「はーい」」」
その事実を認識して、皆自分の席に座った。
「昨日の今日で突然なんだけど、また転入生が来たので紹介しまーす」
クラスは当然、一斉に盛り上がる。
『誰かな。またイケメンだったりして~』『いやいや、今度は女の子でしょ。バランスが取れなくなるもん』『女の子だったら可愛いといいな』
皆一様に自分の希望を口にする。俺はと言えば、面倒だな、と机に頬杖をつく。
俺がふう、とため息をついたのとほぼ同時に、扉は開かれた。
空気が、凍りつく。
まるで、人形のような顔立ち。サラサラに伸びる、黒髪。
大和撫子、というのに相応しいその容貌には、見覚えがあった。
「……織下、渚……」
2年半前に死んだと云われた、俺の、相棒だった。