第三話 一番欲しい物。
待ち合わせ場所には三十分以上も早く着いてしまった。
優希君と学校以外で会うのは初めて。
だから私は目一杯のお洒落をした。
校則でいつもは三つ編みにしている長い髪を解き、念入りにブローした。
空色のジーンズに真っ白なモヘアセーターは、ママからのクリスマス・プレゼント。
今日の日のために大切にタンスの中にしまっておいた。
ゆっくりと空を見上げる。
透明な青さに、優希君が欲しい物を考えてみた。
私だったら断然洋服。
だけど男の子だからないか。
でも優希君はお洒落だしありかな。
一緒に洋服を選ぶのとかって、なんだか恋人同士みたいでいいな。
恋人という言葉に胸がズキリと痛んだ。
優希君と恋人同士になるなんてありえない。
春になったら別々の中学に通うのだ。
一緒にいたって恋人同士になれる確率なんてないのに、離れ離れになったら絶対に無理。
いくら算数の苦手な私にだって、それくらいのことは考えなくてもわかる。
どうしようもない現実に、じんわりと涙がにじんだ。
「舞子」
呼びかけに我に返り顔を上げた。
目の前に濃紺のダッフルコートのポケットに両手を入れた優希君の姿があった。
「どうしたんだ」
今にも泣き出しそうな顔をしていたのだろう。
俯く私を心配げな眼差しがのぞきこむ。
「なんでもないよ。それより、優希君こそどうしたの。随分早いじゃない」
「それはこっちの台詞。ずいぶん待ったんだろう。顔、赤いぞ」
「やだ、本当!?」
慌てて両頬に手を当てた。
頬が真っ赤なんて恥ずかしすぎる。
「本当、本当。なんかリンゴみたいで、すっごく可愛い」
そう言って優希君は笑った。
可愛いって優希君。
そんな凄い台詞、サラリと言ってくれちゃって。
もうこのまま死んでもいい!
いやいや、死んでなどいる場合ではない。
今日は最初にして最後のデート(と思っているのは私だけだろうが)なのだ。
なにがなんでも生き抜いて、楽しい思い出を作らねば。
更に赤みが増したであろう頬の熱を感じながら、心の中でガッツ・ポーズを決め気合を入れた。
「ところで優希君、欲しい物、決まった?」
今日はうまく笑えたと思う。
だが優希君の反応はいまひとつだった。
「一番欲しい物ってさ、多分、人から与えられる物じゃないと思う」
「えっ?」
ほんの少しの間をおいてポツリと呟かれた言葉に、考えるより先に驚きの声がもれた。
「一番欲しい物って、頑張って頑張って、自分の力で手に入れる物なんだと思う」
言葉の意味が理解できなくて、ただただ優希君を見つめた。
頭の中で優希君の言葉を繰り返す。
自分の力で手に入れる。
人から与えられる物じゃない。
そんなふうに考えたこと一度もなかった。
欲しい物は買ってもらうものだとばかり思っていた。
だから優希君の考え方には凄くびっくりした。
けど優希君らしいと思った。
同時に自分がとても子供っぽく思えた。
吹き付ける北風のせいで冷たいはずの頬が、燃えるように熱かった。
「そっ、そっか。そうだよね。さすが優希君、大人だね。舞子ばかだから全然気付かなかったよ。本当に欲しい物は人から与えられる物じゃないよね」
「おまえさあ、中学は藤宮行くんだよな」
恥ずかしさから声のトーンが高くなり、ハイテンションで喋る私に、優希君の落ち着いた声が重なった。
「あっ、うん。ママが中学から短大まで藤宮だったの。凄く素敵な学校だから舞子にもどうかって」
「それ、やめてほしいって言ったら、おまえ、やめてくれる」
やめてほしいって、一体どうゆう意味だろう。
言葉の意味がさっぱりわからず、浮かぶ疑問符に目をパチパチさせるだけの私から、優希君はツイと視線をそらした。
両頬が夕日のように真っ赤だ。
「このまま一緒に、黎明学園の中等部に進学したいって言ったら、おまえ聞いてくれる」
怒ったような表情で告げられた言葉に、私は目を見開いた。
それってもしかしたら、私と同じ中学に行きたいって……こと?
いいや、もしかしたらなんかじゃない。
確かに優希君は、私と一緒に行きたいって言ってくれた。
なぞってみて始めて理解した言葉の意味に、涙が溢れそうになった。
「うん」
全開の笑みで大きく頷く私に、優希君は満足そうに微笑むと左手を差し出した。
驚きと戸惑いに、どうしたらいいのかわからずにいる私の右手を、優希君は静かに取った。
初めて繋いだ手は思っていたよりもずっと大きく、揺れ動く心をしっかりと包みこんでくれた。
伝わる温もりに、今まで経験したことのない幸せな気持ちになる。
「行こう」
「うん」
引かれるままにゆっくりと歩き出す。
今日は優希君の誕生日。
それなのに、私の方がとても素敵なプレゼントをもらってしまった。
それは、決して目に見える物ではない。
けれど、いつまでも大切にしたいと心から思った。