第十八話 ずっと。
ラッキーなことに、私は一番仲の良い、香苗ちゃんともクラスが一緒になった。
登下校は優希君とだけど、お弁当は香苗ちゃんと食べることになっている。
友達同士の付き合いも大切だから、というのが優希君の意見だ。
その配慮のお陰で、香苗ちゃんから、付き合いが悪くなったと言われたことはない。
ありがたい話だ。
「おっ、早速スカウトに来てるわよ」
箸を止め、促す早苗ちゃんの視線に振り返る。
戸口の上の枠に、頭がつきそうなくらいの長身の男の子が、教室前方のドアに立っていた。
「サッカー部の人でしょう?」
「うん。小杉先輩。サッカー部の部長さん」
「あら、よく知ってるわね」
「うん」
優希君は小学校の時、地元のサッカークラブに所属していた。
背は低いけれど俊足で頭脳明晰なミッドフィルダーとして、区内ばかりでなく、都内でもちょっとした有名人だった。
「部長自ら勧誘にくるなんて、さすがだわね」
「うん」
話したことはないけど、当然、優希君はサッカー部に入部するだろう。
少しでも長く一緒にいたい私は、マネージャーとして入部することを密かに決めていた。
運動音痴だけど、マネージャーなら大丈夫だよね。
「ありがとうございます。でも俺、サッカー部には入部しまんせんので」
きっぱりとした断りの声に、小さな驚きの声と共に、手にしたお箸がポロリと落ちた。
呆然とした面持ちで目を瞬かせる部長以上に、私の驚きの方が大きかったに違いない。
「舞子は部活、どうするんだ?」
「えっと……」
いつもと同じ帰り道。
普通に尋ねる優希君に、私は言葉を詰まらせた。
優希君のいないサッカー部に入る意味なんて勿論ない。
「まだ決めてない」
「そっか」
「優希君は、どうしてサッカーやらないの?」
「話してなかったっけ?」
「うん」
「俺、在学中に司法試験受かりたいんだ。だから、勉強に力入れようと思って」
「司法試験……」
中学に入学したばかりなのに、そんな先のことを考えているなんて、優希君は凄いな。
私なんて同じ部活に入りたいとか、ゴールデン・ウィークは何処に行こうかとか、そんなことばかり考えていた。
「優希君は偉いな。ちゃんと将来のこと考えていて」
「偉くないよ。それに、舞子だってなりたいものあるだろう」
私のなりたいものは、お嫁さん。
優希君から比べたら、凄く子供っぽい。
何だか恥ずかしくなってきたよ。
「お嫁さんだって、立派な夢だよ」
まるで心の中を読んだかのような言葉に、私は目を見開き、足を止めてしまった。
「夢だったろう、お嫁さん」
「うっ、うん」
「舞子らしくていい」
「そっ、そうかな」
「うん」
綺麗な笑顔で断言され、頬が赤らむのを感じた。
優希君に言われると、不安定な心の揺れが止まるから、本当に不思議。
「じゃあ、優希君は帰宅部?」
火照った頬を冷ますように、慌てて言葉を口にした。
「ううん。書道部に入ろうかと思って」
「書道部?」
「うん。いくらパソコンの時代とはいえ、やっぱり字は綺麗な方がいいだろう」
「優希君、今だって十分上手じゃない」
都が開催した書初め展で優希君が都知事賞を貰い、全校生徒の前で表彰されたのは記憶に新しい。
「書道部、ほぼ決まり?」
「見学してみて、雰囲気がよければ」
「だったら――」
「私も一緒にっていうのは、なしだからな」
続けようとした言葉を先に言われ、ピシャリと否定されてしまった。
「どう……して?」
激しい動揺に、それだけ口にするのが精一杯だった。
「三年間もあるんだぞ。自分の好きなことをした方がいいだろう。それに、興味がなければ続かない」
「そうかもしれないけど……」
優希君の言うことは正しい。
でも好きな人と同じ部活なら、それだけで楽しいと思うのは、いけないことなのかな。
返事をしながらも、今日ばかりは、優希君の正論に納得がいかなかった。
「舞子の希望する部活が決まったら、見学は一緒に行こう」
「……うん」
嬉しいはずの優希君の誘いも今日は素直に喜べず、どこか寂しい思いに視線を落とした。
ホームルーム終了と同時に、前に座る優希君が振り返った。
「部活、考えてきたか?」
「うん。とりあえず、美術部か家庭部に入ろうと思って」
「美術部か。いいじゃん。舞子、都展で特別賞もらったもんな」
「うん」
絵を描くのは大好きで、時間があると描いている。
昨年の夏、担任の先生の勧めで、都の展覧会に絵を出した。
それが特別賞を取り、区役所に呼ばれ、区長さん自ら賞状を渡された。
あんなに緊張したのは、生まれて始めての経験だった。
同時に、自分が誇らしく思えたのも。
「でも、家庭部っていうのも、舞子らしくていいよな。舞子、料理上手だし」
「そっ、そうかな?」
全開の笑みで褒められて、頬が熱くなる。
「優希君は美術部と家庭部、どっちがいいと思う?」
「どっちでも」
そんな、さらりと即答しなくても。
少しは考えてくれても、いいのでは?
「書道部の活動日は、火曜日と金曜日。美術部の活動日も同じ。家庭部は金曜日。どっちを選んでも、部活の後、一緒に帰れるからな」
「えっ?」
思いも寄らぬ言葉に、私は目を見開いた。
「あっ、でも家庭部選んだら、火曜日は一緒に帰れないのか」
「……もしかして優希君、私が、美術部か家庭部に入ると……思ってた?」
「うん」
「……それで書道部……選んだとか?」
優希君が私と一緒に帰ることを、部活を選ぶ基準に入れているなんて考えてもみなかった。
心臓がトクトクと早まる。
「写真部と迷ったんだけど、活動日が月曜日と木曜日なんだ。どうせなら一緒に帰れる方がいいだろうと思って」
当然のように答える優希君に、両頬が熱くなる。
これってかなり嬉しいかも。
まずい。
勝手に頬の筋肉が緩んできた。
「あっ、勿論、字が上手くなりたいっていうのが、一番の理由だからな」
にやける私の姿に、頬を赤らめ、慌てて言葉を紡ぐ優希君の姿が可愛かった。
普段のクールな優希君からは想像出来ない姿に、悪戯心が頭をもたげる。
「もし私が他の部を希望したら、どうするつもりだったの?」
「そんなことあるはずがない」
きっぱりと断言する優希君に、思わず吹き出した。
「すごい自信!」
「当たり前だろう。舞子のことは、何だって分かってるんだから」
胸を張るように答える姿に、私は笑いだした。
優希君、私がサッカー部希望だったってこと、全然知らないんだろうな。
「何笑ってるんだよ」
「なんでもない」
「本当は舞子、俺が何にも分かってないと思ってるんだろう」
「そんなこと思ってないよ」
「俺には分かってるんだからな。本当は舞子、サッカー部に入部しようと思ってたこと」
一瞬耳を疑った。
「どうして知ってるの!?」
私、サッカー部に入りたいなんて、全然、一言も、これっぽっちも言ってないよ!
身を乗り出した私のおでこを、優希君は、人差し指で軽く突いた。
「言っただろう。舞子のことは、何だって分かってるって」
そう言って優希君は、茶目っ気たっぷりの笑みを浮かべた。
そっか。
優希君、舞子のこと、ずっと見てていてくれたんだ。
それは、きっとこれからも変わらないだろうな。
ずっと、ずっとね。