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大好き!  作者: 七海 華
15/19

第十五話  満開の桜に降る雪。

 無事合格し、後は卒業式を待つばかりとなった私の頭の中は、春休みをいかに優希君と楽しく過ごすかでいっぱいだった。


 今まで勉強ばかりだった週末も、これで思い切り遊べる。


 とはいってもしょせんは小学生。


 貰えるお小遣いなんて少しだし、必然的に、お互いの家に遊びに行くことになる。


 そのことに不満があるわけではない。


 優希君と一緒にいられるのなら、公園だろうが図書館だろうが、どこだってかまわない。


 問題は、相も変わらず参考書を広げ勉強をしている、ということだ。


 優希君曰く「中学に入って舞子が苦労しないため」だそうだ。


 優希君の言い分はわかる。


「入試はあくまでも通過点であり、ゴールじゃない」その通り。


 最も過ぎて、反論の余地なんてない。


 でも入試が終わったのにデートのたびに勉強なんて、悲しすぎる。


 まあ試験前に比べれば、格段時間は短くなったものの、それでもやっぱり悲しい。


 入試が終わって一月近くが経つ。


 いつまでこの状態が続くんだろう。


 もしかして一生!?


 頭の良い優希君とお付き合いするということは、こういうことなのだろうか。


 寂しい思いに胸は痛み、気持ちがどんどん沈んでいった。


 無意識のうちにため息の数が多くなる。


 そんな中、突然「今度の土曜日、電車で出かけよう」と告げられ、私は驚きに持っていたシャープペンを落としてしまった。


 コロコロと転がったシャープペンが、優希君の指先で止まる。


 ほんのりと頬を染め、ちょっと怒ったような表情で俯く優希君の姿が可愛かった。


 もちろん私は場所を聞くことなく、二つ返事でOKした。


 二人で電車に乗って出かけるのは初めて。


 考えてみたら、デートらしいデートはプレゼントを買いに行った、あの時一度だけだ。


 二月近くの間、額が触れ合うほどの距離で勉強を教えてもらっていたというのに、いざ並んで座ると妙に意識してしまう。


 電車の振動と心音が重なり、自然と頬が熱くなった。




「勉強だけど」




「はい?」




 突然話しかけられ、素っ頓狂な声が出てしまった。


 その声に驚いたのだろう。


 優希君の肩が跳ねたのが、はっきりとわかった。




「あっ……ごっ……ごめんなさい」




「いや、ちょっとびっくりしただけだから」




「ごめんね。ぼんやりしていたものだから」




 驚く優希君に身振り手振りを加え、あたふたと言葉を発した。




「それより、勉強がどうかして」




「うん。もう大丈夫だと思うから」




 言葉の意味がすぐには理解できず、目を瞬かせる私を、優希君の瞳がまっすぐに見た。




「中学に行っても、困ることないと思う」




「……大丈夫かな」




「うん。今まで無理させて悪かったな。一緒にいても楽しくなかったろう」




「そんなことないよ!」




 と言いつつも、完全に否定しきれない自分に胸がツキリと痛んだ。




「優希君の方こそ大変だったでしょう」




 全てを見透かすような真摯な眼差しに焦りを覚え、慌てて言葉をつなぐ。


 一緒にいられることは楽しかった。


 それは嘘じゃない。


 ただ勉強ばかりでちょっぴり寂しかったのも事実。


 だから優希君の言葉は正直痛かった。




「大変だと思ったらやらないよ」




 そんな私の心中を知ってか知らずか、優希君は薫るように柔らかく笑った。


 その姿に、優希君との勉強を憂鬱だと思った自分が恥ずかしくなった。


 誰だって勉強が楽しいはずなどない。


 ましてや自分のためではなく、人に教えるための勉強だ。


 何の得にもならないのに、貴重な時間を費やしてくれたのだ。


 感謝するのが当然であって、憂鬱に思うなんて失礼極まりない。




「……ごめんなさい」




 ようやく気付いた自分の愚かさに、自然と謝罪の言葉が落ちた。


 情けなさと恥ずかしさに、涙が零れそうになった。


 堪えようと膝に置いた手をギュッと握り締める。


 不意にうなだれる私の頭を、優希君の手が撫でた。


 驚く私に、信じられないくらい優しい眼差しの優希君が微笑みかける。




「春休みは、楽しい思い出たくさんつくろうな」




 聡明な優希君のことだ。


 謝罪の言葉の意味は、言わなくてもわかっただろう。


 それなのに、何事もなかったかのように接してくれる優しさが胸に沁みた。




「ありがとう、優希君」




 溢れる感謝の気持ちを、一体どうやったら全て伝えることができるのだろうか。


 おそらくどれほどの言葉を重ねても、伝えきることなど不可能だろう。


 それくらい優希君の思いは優しく、その眼差しは慈愛に満ちていた。











 薄緑色のビンの中でジュースを飲む少年。


 ハートを手にしたテディイ・ベア。


 寄り添うカップル。


 その周りをキラキラと銀色の雪が舞う。




「きれーい」




 壁一面に所狭しと並べられたスノードームを前に、私は感嘆の声をもらした。




「東京に、こんな素敵な所があるなんて知らなかった」




「俺もネットで検索してて、偶然見つけたんだ」




 優希君が連れてきてくれたのは、大好きなスノードームが展示された、小さな美術館だった。


 掌にすっぽり収まってしまうような小さな物から、トロフィーのような大きな物。


 スノードームとは丸い物、という認識をもっていた私には驚きの連続だった。


 夢のような空間の中、私は時間が経つのも忘れ、作り上げられた一つ一つの世界を丹念に見て回った。




「ごめんなさい、優希君」




 一階にあるお土産物売り場に併設されたカフェで、私は対面して座る優希君に思い切り頭を下げた。




「なにが?」




「退屈だったでしょう」




 千差万別のスノードームは、いくら眺めていても飽きることはなく、気付くと一時間以上が過ぎていた。




「楽しかったよ」




「嘘!」




 スノードームに興味のない優希君が、楽しいはずなんてない。




「ほんと、ほんと。一つ一つの作品ごとに、違う表情を見せる舞子を見てるのは、凄く楽しかった」




 悠然と微笑む優希君の姿に、頬がカッと熱くなった。


 つまり優希君は、スノードームではなく、鑑賞する私を見て楽しんでいたというわけだ。


 それって結構っていうか、かなり恥ずかしい。


 火照りを鎮めようと両頬に手を当てる私の前に、苺のショートケーキと紅茶が置かれた。


 優希君にはなぜかケーキセットの他に、美術館の名前の入った手提げ袋が渡された。




「なに?」




「んっ? 秘密」




 秘密って優希君。


 目の前でそんなに大胆に受け取ってたら秘密にならないし、さすがに気になるんですけど。




「……お母さんにお土産……とか?」




「まあ、そんなところ」




 でも、スノードーム選んでるところなんて見なかったし、ケーキにしては小さい。


 なんだろう。


 とっても気になる。


 けど、あまりしつこく聞くのも失礼だしな。


 とりあえず見なかったことにしよう。


 紙袋から視線をそらし、生クリームの上にのった真っ赤な苺を口に含む。


 春だというのに苺は少し酸味があって、軽く眉をひそめた。











 自分がこんなにも心が狭いなんて思ってもみなかった。


 案外、独占欲が強いということも。


 恋をして初めて知った。


 優希君が他の女の子にプレゼントを買うなんて、絶対にありえない。


 わかっていながらも、お母さんへと断言しなかった優希君の姿に、この三日、美術館で見た紙袋が頭からはなれなかった。


 私って、こんなにも嫉妬深い性格だったんだ。


 知らなかったよ、本当に。




「どうしたんだ、舞子」




 下校途中、前を歩く優希君が足を止め振り返った。




「なっ、なにが?」




 悶々と浅ましいことを考えていた私は、急に声をかけられ、焦って声が上擦った。




「ここのところ元気がない」




「そっ、そんなことないよ」




 慌てて笑顔で言葉を否定する。


 だが、どこかぎこちないものがあったのだろう。


 無言のまま自分を見据える優希君の眼差しに耐え切れず、視線を落とした。


 あの紙袋の中身はなに?


 誰に渡したの?


 本当にお母さん?


 自分ではどうにもならない醜い感情が渦となって、頭の中をぐるぐると回りだす。


 私ってなんて嫌な性格なんだろう。


 優希君の言葉が信じられないなんて。




「風邪でもひいたのか」




 押し黙ってしまった私の前髪を、優希君の掌がそっと払い額に触れた。


 冷たい手の感触が、波立つ心を静めてくれるようで心地よかった。


 ちらりと視線を上げる。


 心配そうな眼差しで自分を見る優希君の姿に、胸がツキリと痛んだ。


 私の胸の中を優希君は知らない。


 こんなに暗くてドロドロした私の気持ちを知ったら、どう思うだろう。


 呆れるかな。


 嫌われるかな。




「熱はないみたいだけど、大丈夫か」




 更に心配そうな眼差しになる優希君の姿に、私は小さく頷いた。


 私なんて優希君に心配してもらう価値なんてない。


 溢れ出そうになる涙を、私は唇を噛み締め必死に堪えた。




「またこの次な」




 今日は優希君の家に招待されていた。


 夏に公開された映画のDVDを観る約束だったのに。




「……ごめんなさい」




 本当は優希君といたかった。


 でも今の状態では一緒にいても、優希君に心配をかけるだけだ。


 それに私自身も辛い。


 好きな人と一緒にいることが辛いなんて、考えたこともなかった。




「いいよ。体調が悪いんじゃしかたがない」




 小さな笑みと共に掌がゆっくりとはなれてゆく。


 その距離が、優希君と私の心の距離のように感じられて切なかった。


 このままはなれてしまうのが怖い。


 思い切って聞いた方がいいのかも。


 でも聞いて嫌われるのも怖い。


 どうしたらいいんだろう。




「じゃあこれは、今渡そう」




 考えすぎて軽い浮遊感に襲われた私の目の前に、桜色の紙袋が差し出された。




「念のために持ってきてよかったよ」




 笑顔で受け取るよう促される。


 わけのわからぬまま手にした紙袋は、ズシリと重かった。




「なあに?」




「なにって、ホワイトデー」




 あっさりと告げられた言葉に、私は目を見開いた。


 今日ってホワイトデーだったの!?


 やだ、変なこと考えてたから全然忘れてたよ。


 もしかしてそれで今日、優希君、私を家に呼ぼうとしてくれてたの?


 どうしよう。




「舞子?」




 名前を呼ばれ我に返る。




「大丈夫か」




「うん。大丈夫」




 大丈夫だけど……大丈夫だけど……全然大丈夫じゃない。




「家まで送るよ」




 よほど酷い顔をしていたのだろう。


 優希君はそっと私の手を取ると、ゆっくりと歩きだした。


 一体なにがどうなってしまったのか、全くわからなくなってしまった私は、引かれる腕のままに、ただ呆然と前を歩く優希君の背中を見つめていた。











 家に戻るとすぐに手渡された紙袋を開けた。


 中から美術館の名の入った包装紙に包まれた、十㎝四方の小箱が現れた。


 これってあの時、お土産だって言ってた物じゃ……はやる気持ちで包みを開け、小箱の蓋を取る。


 中から現れたのは、銀の雪の舞う中、満開の桜を手をつなぎ、見上げる男の子と女の子の入ったスノードームだった。


 緑色の土台には、銀色のプレートに流れるようなスペルで、一つの単語が刻まれていた。


 その意味を理解した瞬間、私はスノードーム片手に部屋を飛び出した。











 足の遅い私が、ほんの数分全力疾走しただけで、すぐに優希君に追いついた。


 心なしか後ろ姿が寂しそうに見えた。


 しっかり者の優希君のこと。


 きっとホワイトデーのプランを、色々考えていてくれたに違いない。


 その思いを私は踏みにじったのだ。


 申し訳ない気持ちと情けない気持ちが入り混じり、全力疾走した息苦しさに拍車がかかる。




「優希君!」




 なにをどう伝えればいいのか考えは全然まとまっていなかった。


 ただ遠ざかる後ろ姿が切なくて、胸が痛くて、気付くと私は優希君の名を思い切り呼んでいた。


 振り返った優希君は驚きに目を見開くと、なんの迷いもなく私の元へと駆け寄ってきた。




「どうしたんだ、舞子!」




 肩で荒い息を吐く私の二の腕を、優希君の手がしっかりとつかむ。




「これ……」




 驚きと困惑の入り混じった眼差しの優希君に、両掌で包み込んだスノードームを差し出す。




「これって……私と優希君だよね!?」




 スノードームの中の女の子は髪が長くて、男の子よりちょっぴり背が高かった。




「そう。注文すると、オリジナルのスノードームを作ってくれるんだ」




 私の手から優希君の手へと、スノードームが移ってゆく。




「メールでイラスト送って、口頭で伝えただけだから、どんなふうになるか心配してたんだけど、結構いい感じにできてるな」




 満足げにスノードームを見つめる優希君の姿に、それまで堪えていた涙が両目から一気に溢れ出した。




「まっ、舞子?」




「ごめんなさい、優希君!」




 戸惑う優希君に私は深々と頭を下げた。




「私……ずっと考えてたの。美術館で受け取った包みは、誰に渡すんだろうって。もしかしたら……別の……」




 女の子になんて恥ずかしくて言えなかった。


 だって、優希君はこんなにも私のことを思っていてくれたのだ。


 その優希君を疑うなんて、なんて愚かで浅はかだったんだろう。


 こんなんじゃ、優希君に嫌われてもしかたがない。




「本当に、ごめんなさい」




 絶望と後悔に立っていることができず、その場に座り込み号泣した。


 頭上から深く長いため息が聞こえてきた。


 やっぱり呆れてる。


 もうだめかもしれない。


 どうしよう。


 混乱し崩れそうになった身体を、膝を折った優希君が優しく抱きとめてくれた。




「それでこのところ元気がなかったのか」




「ごっ、ごめんなさい」




 それ以外の言葉がみつからなくて、私は泣きじゃくりながら、ひたすら同じ言葉を繰り返した。




「ばかだな、舞子は」




 優希君の手が震える背中を優しく撫で下ろす。




「俺は舞子が思っている以上に、舞子のこと、考えてるんだぜ」




 そうだ。


 優希君は、いつだって舞子のことを一番に考えていてくれた。


 そんなこと考えなくたってわかることなのに。




「ごっ……ごめんなさい」




「俺も中途半端な言い方したからな。不安にさせて悪かった」




「そんなことない。舞子が……舞子が……」




「スペルの意味、わかるか」




 優しく尋ねる優希君の声に、私は大きく頷いた。




「そうゆうことだから、なにも心配するな、舞子」




 耳元で囁かれた包みこむような柔らかな声音に、私はただ涙を流し頷くことしかできなかった。




 刻まれたスペルは「TOGETHER」




 スノードームの中の二人のように、満開の桜を今年も来年も再来年も、ずっとずっと「一緒に」見られたらいいと、心から思った。



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