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大好き!  作者: 七海 華
13/19

第十三話  今日という日。

 試験は二日間に渡って行われた。


 お守りのおかげで私は緊張することもなく、試験に臨むことができた。


 何より優希君に教えてもらったという事実が、勇気を与えてくれた。


 算数はやっぱり難しかった。


 けど鉛筆が止まるたびに、優希君の教える声が聞こえるような気がして、何とか全て埋めることができた。


 だからといって合格できるかといえば微妙。


 私ができたくらいなんだから、他の皆だってできたに違いない。


 試験が終わり、プレッシャーから開放された同級生達が、嬉々とした表情で帰路を急ぐ姿を見て、私は暗い気持ちになった。


 正直、私には手放しで喜ぶ余裕なんてない。


 結果発表は三日後。


 その間、こんな暗い気持ちで過ごさなければならないのかと思うと、無意識のうちに深いため息が零れた。




「大丈夫だよ、舞子」




 私の気持ちを察したかのような力強い言葉に、落ちていた視線をゆっくりと上げた。


 包みこむような眼差しで、優しく微笑む優希君と目が合う。




「あれだけ頑張ったんだ。絶対に合格する」




「でも……」




「大丈夫だ」




 優希君は多くは語らない。


 けど偽りのないまっすぐな眼差しに、心がふわりと軽くなるのを感じた。




「大丈夫……かな」




「大丈夫だ」




 満面の笑みで大きく頷く姿に、心の中のモヤモヤは完全に吹き飛んだ。


 好きな人の言葉は、どうしてこうも胸に響くのだろう。


 これが他の人の言葉だったら、絶対に信じない。


 でも優希君が言うと、本当に大丈夫な気がしてくるから不思議だ。




「ありがとう」




 先程までとはまるで違う晴れやかな気持ちで、明るく感謝の言葉を口にすることができた。


 そんな私に優希君は今まで以上に、優しく温かな微笑みを向けてくれた。











 かなり前から試験の最終日にランチを一緒にすると約束していた。


 誕生日プレゼントを買いに行った日から、丁度一月。


 毎日勉強に追われて、デートどころではなかった。


 だから私は、今日という日を楽しみに頑張ってきた。


 場所はもう決めてある。


 ママとショッピングに行った時、よく立ち寄るパスタのお店。


 種類が豊富で安いのに美味しくて、私の一押しだ。


 いつも優希君の後ろばかり歩いているけど、今日は案内役の私が前。


 試験終了直後の暗い気持ちは、どこにいってしまったのかと自分でも不思議なくらい、気分は高揚し足取りは軽かった。


 これも優希君の「大丈夫」のおかげかな。


 平日の昼間ということもあり、人通りは少なかった。


 それでもウィンドウを飾るディスプレイはかなり賑やか。


 やけに赤い色が目につく。


 クリスマスでもないのに、なぜ?


 思わず疑問符が浮かぶ私の鼻に、甘い香りが漂ってきた。


 この香りはチョコレート。


 匂いに誘われるまま視線を動かす。


 味の良いことで評判のチョコレート店。


 私も時々、ママのお遣いで利用する。


 小学生のお小遣いでは、ちょっと厳しい高級店だ。


 いつもは二、三人のお客さんが、ゆったりと店内を歩いているのに、今日はなんだかやけに人の数が多い。


 それに心なしか、殺気立っているように感じられる。


 何かイベントでもやっているのかな。


 ぼんやりと中を眺めていた私は、掲げられたボードの流暢な綴りを一つずつ読んだ。


 V、a、l、e、n、t……バレンタインデー!?


 あまりの衝撃に声さえ出なかった。


 頭の中で「バレンタインデー」の文字が連打される。


 私、全然忘れてた!


 恋人達の最大級のイベントを忘れるなんて信じられない!


 どうしよう!?


 焦れば焦るほど考えはまとまらなくなり、最後には真っ白になった。




「どうした、舞子」




 血の気が引くのを感じながら、放心したままの眼差しを優希君へと向ける。




「顔色悪いぞ」




 心配げに尋ねる姿に胸がズキリと痛んだ。


 バレンタインデーを忘れるなんて、女の子として最低だ。


 優希君に心配してもらう価値なんてない。


 申し訳ない気持ちと恥ずかしい気持ちで、涙が零れそうになった。




「大丈夫か、舞子」




 どんなに情けない顔をしているのかは、優希君の困惑する姿を見れば一目瞭然だ。


 けど心配してくれればくれるほど胸が切なくなり、いたたまれない気持ちになった。




「舞子?」




「ごめん、優希君! 舞子、用事を思い出したから帰るね!」




 返答を待たずに踵を返す。




「舞子!」




 一緒にいるのが辛くて、優希君の心配げな眼差しが切なくて、声を振り切るようにして駆け出した。


 どうして忘れてたんだろう。


 大切な大切なバレンタインなのに!


 ばかばか。


 舞子のばか!


 悔やんでも悔やみきれない思いに、視界が涙でにじんだ。











 玄関に入ると同時に、大粒の涙が溢れ出した。


 優希君の前から逃げたところで、後悔も罪の意識も消えることはなかった。


 それどころか胸の痛みは増すばかりで、堪えきれずその場に泣き崩れた。




「どうしたの、舞子!?」




 号泣する私に、ママがスリッパのまま駆け寄ってきた。




「どうしよう……ママ」




 零れ落ちる涙に、うまく言葉を口にすることができなかった。




「舞子……舞子……」




「大丈夫よ、舞子」




 柔らかな匂いと共に、優しい腕がふわりと私の身体を抱いた。


 宥めるように背中を掌が叩く。




「大丈夫」




 大丈夫というママの声に、優希君の声が重なり、新たな涙が頬を伝った。




「大丈夫じゃ……ないの……舞子……今日……バレンタインだって……忘れてて……どうしよう……優希君に……嫌われちゃう」




 チョコを渡すとか渡さないとかじゃない。


 嫌われることが怖かったのだ。


 口に出してみて、初めて自分の本当の気持ちに気付いた。




「どうしよう」




 やっと仲良くなれたのに。


 傍にいることを許されたのに。




「舞子」




 温かな掌に両頬を包み込まれ、そっと顔を上げさせられた。


 涙で霞む視界に、深く澄んだ眼差しのママの姿があった。




「大丈夫よ、舞子」




「でも――」




「舞子は受験勉強に必死で、バレンタインのことを忘れていたのでしょう? そんな一生懸命な舞子を、優希君が嫌いになると思う?」




「でも……優希君は……」




 舞子のために、お守りを買ってきてくれた。


 それだけじゃない。


 この一ヶ月間、舞子のことをなによりも優先させてくれた。


 それなのに、私は――。




「なにも優希君に……返せてない」




 勉強をたくさん教えてもらった。


 お守りを買ってきてくれた。


 学校以外のほとんどの時間を、舞子のために使ってくれた。


 それなのに、私はなに一つ返せていない。


 自分のことに精一杯で、なに一つ返そうとしなかったことが悲しくて、膝の上に置いた手を強く握り締めた。




「ちゃんと返しているじゃない」




 言葉の意味がわからず、涙で濡れた目を瞬かせる。


 そんな私に、ママは大きく微笑んでくれた。




「優希君は、舞子と同じ中学に行くことを望んだ。それに応えようとして、舞子は頑張った」




「それは、舞子の成績が悪かったせいで……」




「でも、優希君は嬉しかったはずよ」




 思いも寄らぬ一言に、私は目を見開いた。




「自分のために好きな人が頑張ってくれる。こんなに嬉しいことはないわ」




「本当……に?」




「勿論よ。だって舞子は、自分のために優希君が頑張って勉強を教えてくれたこと、嬉しかったでしょう」




「うん」




「だったら優希君も同じはずよ」




 そう言ってママは柔らかく笑った。


 花のような笑みに、波立った心が穏やかになってゆく。




「ありがとう、ママ」




 ママはいつだって、私の欲しい言葉を与えてくれる。


 元気をくれる。


 抱えきれないほどの愛情を示してくれる。


 大好きな大好きなママ。




「さあ、いつまでもそんな所に座ってないで。早くしましょう」




「えっ?」




 先に立ち上がったママが、戸惑う私の腕を引いた。




「チョコレートブラウニーなら、舞子も作ったことあるでしょう。甘さも控えめだし、優希君、きっと喜ぶと思うわ」




「うん!」




 ウィンクするママの姿に、言葉の意味を理解した私は、大きく頷き急いで立ち上がった。











 感謝の気持ちをこめたカードを沿え、手提げを片手に家を飛び出したのは、三時を少し回った頃だった。


 ランチの約束をドタキャンして、優希君怒ってないかな。


 不安がないわけではない。


 でも考えていてもしかたがない。


 とにかく会って、きちんと謝らないと。


 はやる気持ちに勢い良く鉄製の門扉を開けた瞬間、驚く声が聞こえた。


 歩道を歩く人に当たってしまったのだろうか。




「ごめんなさい!」




 謝罪の言葉と共に慌てて外に飛び出す。


 そこで私が目にしたものは、携帯電話を耳に当て、呆然と見上げる優希君の姿だった。




「どうしたの、優希君。こんな所で!」




「いや……えっと……舞子、突然帰っちゃったから、具合でも悪くなったのかと思って、心配で携帯に電話したんだけど、全然出ないし」




 そういえば携帯、マナーモードにしたままだっけ。




「どうしても気になって、家まで来たんだけど。もしかしたら、舞子の気に障るようなこと言ったのかもしれないと思ったら、インターホン押せなくて、それで……」




 小さくなる声と共に、徐々に視線が落ちてゆく。


 握り締めた拳が微かに震えていた。


 ああ、そうか。


 優希君も不安なんだ。


 こんなにかっこよくて、勉強ができて、スポーツでもなんでも上手にこなせるのに。


 それでも、不安になるんだ。


 私が優希君に嫌われないか不安なように。




「ごめんなさい。心配かけて」




「いいや、俺の方こそ、勝手に押しかけてごめん。どこか行く用事があるんだろう。俺、帰るから」




「あっ、待って!」




 顔を真っ赤にして、慌てて立ち去ろうとする優希君の右腕をとっさにつかんだ。


 驚きの表情で振り返った優希君に、チョコレートブラウニー入りの手提げを差し出す。




「これ、バレンタイン」




「えっ?」




「ごめんなさい、優希君」




 目を瞬かせる優希君に、私は深々と頭を下げた。




「舞子、今日がバレンタインだって忘れていて。ランチに行く途中で気付いたの」




「それで慌てて帰ったのか」




「うん。優希君には、いっぱいいっぱい迷惑かけたのに、バレンタイ忘れるなんて、本当にごめんなさい!」




「よかったのに」




 深いため息の後、ゆっくりと紡ぎ出された言葉に顔を上げた。


 困惑した表情の優希君と目が合う。




「それだけ舞子が受験勉強に必死だったってことだろう。逆に朝会ってすぐにチョコレート渡された方がショックだよ」




 そう言って笑う優希君の姿に、張り詰めていた心と身体が、スッと軽くなるのを感じた。


 ママの言うとおり。


 優希君は全てをわかっていてくれた。




「ありがとう、優希君」




「俺の方こそ、ありがとう。これ、手作りなんだろう」




 ラッピングでわかったのだろう。


 手提げの中をのぞきこみながら、嬉しそうに優希君は言った。




「うん。チョコレートブラウニー。おいしく焼けたと思うんだけど」




「くるみ入ってる?」




「あっ、うん」




「やった。くるみ入りのやつ、好きなんだ。ありがとう、舞子」




「私の方こそ」




 突然帰った私を怒ることなく心配してくれて。


 バレンタインを忘れた私を許してくれて。


 なにより今日という特別な日を一緒にいてくれて。




「ありがとう」




 今日という日を、私は一生忘れないだろうと思った。


 同時に、今この瞬間のこの気持ちを、いつまでも忘れず大切にしたいと思った。




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