第十一話 父です。
母親が挨拶に伺うとニッコリ笑った時、絶対何かあると思った。
まさか、あんなことを言い出すとは思わなかった。
まあ、一人っ子の舞子を、お嫁にだしてもかまわないと分かったのだから、いいか。
「それにしても、驚いたね」
スリッパを勧める舞子の顔は、まだ赤い。
「本当に、ごめん」
「ううん、いいの! 嬉しかったから」
嬉しかったのか。
ならいい。
「それより、今日、お父さんは?」
「パパ? パパならまだ寝てるけど」
「起きたら教えてくれるよう、お母さんに言っておいてくれないか」
「どうして?」
「どうしてって、ちゃんと挨拶しないとだめだろう」
「いいよ、そんなの。優希君が来ること、パパ知ってるし。それに、ママには挨拶してあるんだし」
「だめだ」
つい強めになってしまった口調に、舞子が驚いたように目を瞬かせた。
決まりが悪くなり、視線を逸らす。
「ちゃんと挨拶も出来ないと思われたら、舞子だって嫌だろう」
「そんなこと思ったりしないよ」
「それは、舞子の意見。とにかく、お父さんが起きたら、知らせてくれるよう、話しておいてくれ」
「その必要はないよ」
突然、響いた男の人の声に驚き顔を上げた。
応接間のドアに寄りかかるようにして立つ男性と目が合った。
瞬間、にっこりと微笑まれた。
整った顔立ちに、見上げるほどの長身。
もしかしなくても……。
「舞子の父です」
「はっ、はじめまして」
咄嗟に頭を下げた。
「矢神優希と言います。お邪魔してます」
昨夜、舞子のお父さんにあったら、きちんと挨拶をしようと練習したりした。
だが、あまりに突然の対面に、台詞は完全に吹き飛び、心臓の鳴り響く音が脳内を駆け巡った。
「丁寧な御挨拶、どうもありがとう」
穏やかな声音に導かれ、ゆっくりと顔を上げる。
柔らかく笑む姿は、驚くほど舞子に似ていた。
見惚れるようにして見つめていた俺の頭を、大きな手が二度、軽く叩いた。
「小さいね」
父親の台詞に、頬がカッと熱くなる。
「パパ!?」
「いくつ?」
「……147です」
「舞子より10cm以上低いのか」
「パパ!」
「でも、澄んだいい目をしている。とても利発そうだ」
「……ありがとうございます」
「舞子、合格すると思う?」
「大丈夫です」
「絶対に?」
「絶対に」
「この世に絶対なんてないんだよ」
子供相手とは思えない、真剣な眼差しで告げられた正論に、喉の奥がグッと鳴った。
確かに、絶対なんてありえない。
そんなことは、分かっている。
だけど――。
「確かに絶対なんてありません。俺だって落ちるかもしれない。でも舞子のことだけは、譲りたくないんです」
他のことだったら絶対なんて言葉、使わない。
でも舞子に関することだけは、絶対でありたかった。
絶対、合格する。
絶対、裏切らない。
絶対、大切にする。
拳をギュッと握りしめ、奥歯を噛みしめる。
見上げる視線は、きっときつくなっていることだろう。
だが視線はそらさない。
舞子のことだけは、譲れない。
絶対に。
突然、見上げた眼差しが和らいだ。
大きな掌が、優しく頭を撫でる。
「いい子だね、君は。舞子にはもったいないくらいだ」
慈しむような眼差しで突然褒められて、自分でも頬が赤らんだのが、はっきりと分かった。
「もったいなくなんか……ないです」
「舞子のこと、頼んだよ」
「はい」
心を込めて思い切り頷く。
満足そうな笑みが、目の前いっぱいに広がった。
やっぱり舞子に似ている。
「じゃあ、勉強、頑張ってね」
「はい」
綺麗な笑顔を残し、優しく暖かな手が、ゆっくりと離れていった。
踵が返る。
「背、伸びるといいね」
「絶対に伸びます!」
笑い声と共に応接間へと姿を消す後ろ姿に、俺は思い切り叫んでいた。




