第一話 夢みたい。
左斜め前を歩く下校中の矢神優希君の顔を、私はじっと見つめた。
優希君はちょっぴり背は低いけど、スポーツ万能で勉強が出来て、無口でクールな美少年。
話す時、まっすぐに向けられる黒目がちの大きな二重の瞳はとっても綺麗で、見つめられると胸がドキドキしてしまう。
少し癖のある黒髪は、ストレートで重たいだけの私の髪から見たら羨ましいほど軽くてフワフワ。
休み時間はいつも難しそうな本を読んでいる。
騒いでばかりの他の男の子達と比べたら、全然大人。
だからといって嫌味な感じはせず、女の子は勿論、男の子からの支持率も高く、生徒会長までこなしてしまう。
そんな優希君に、私はずっとずっと片思いだった。
同じクラスになって二年。
なるべく傍にいられるよう、何かを決める前の晩は、一生懸命お祈りをした。
登下校の班編成に、クラスの席替え。
修学旅行や遠足での班分け。
球技大会に運動会。
必死の願いが届いたのか、私の傍にはいつも優希君がいた。
でも、それももうすぐ終わり。
中学は黎明学園中等部へは内部進学せず、ママの通った藤宮学園を受験することになっていた。
合格すれば大好きな優希君とは、お別れ。
だから最後に一つ、思い出がほしかった。
私と優希君だけしか知らない、小さな思い出。
新しい中学に行って悲しくなった時、思い出しただけで笑顔が零れるような、そんな思い出がほしかった。
一生懸命考えた結果、優希君の誕生日にプレゼントを買うことを口実に、ショッピングに誘うことを思いついた。
だが、なかなか言い出すことができず、あっという間に一月が過ぎ、とうとう前日になってしまった。
次の十字路で、優希君は左に曲がってしまう。
「じゃあな、舞子」
「優希君!」
焦りのあまり自分でもびっくりするほど大きな声が出た。
でも呼ばれた優希君の方が、もっと驚いたに違いない。
目を瞬かせ、頭一つ違う私を呆然と見上げていた。
「あっ、あの、今一番欲しい物ってなにかな」
「一番欲しい物?」
途中を全部省略してしまった私の言葉に、優希君は眉間に皺を寄せた。
まずい。
ただでさえクラスの皆から、頭が悪いと言われているのに。
「ほっ、ほら。明日、一月十四日は優希君の誕生日でしょう。何かプレゼントしたいなと思って」
頬が熱くなるのを感じながら、私は必死に言葉を口にした。
この日のために、繰り返し台詞の練習をした。
少しでも可愛く見えるよう、鏡の前で笑顔の練習もした。
あんなに頑張ったのに、結局、何の役にも立たなかった。
あたふたする姿があまりに不自然だったのだろう。
優希君は無言のまま私を見つめていた。
「えっと、それでね。明日は丁度、土曜日でしょう。一緒に買いに行けたらいいな、なんて思ったりして」
言葉にしてみて、自分がどれだけ無謀なことを言っているのかに気付いた。
優希君は超の付く人気者。
それに比べて私は背ばかり高くて、なんのとりえもないのんびり屋。
頭だって黎明に入れたのは奇跡と言われるくらい良くないし、小学生なのに大人びた顔付きで全然可愛くない。
そんな私の誘いを受けてくれるなんて図々しいこと、どうして思ったんだろう。
今更ながら気付いた思いに、恥ずかしさと後悔から視線を落とした。
両頬が真夏の太陽の光を浴びたように熱かった。
「いいよ」
「えっ?」
あっさりとした返答に、小さな驚きの声と共に顔を上げた。
目の前に優しく微笑む優希君の姿があった。
「本当に!?」
「うん」
「じゃあ明日、駅前に十時でいい!?」
「うん」
「ちゃんと欲しい物、考えてきてね!」
「わかった」
「約束だよ!」
跳ね上がる心臓にスキップしたくなるのを抑えて、ゆっくりと歩き出す。
大きく手を振りながら後ろ向きで歩く私に、優希君は笑顔で小さく手を振って応えてくれた。
夢みたい。
夢みたい。
夢みたい。
嬉しさに顔が緩んだ。
フワフワとした感覚に足取りも軽く、まるで重力なんて存在しないかのようだった。
角を曲がる一歩手前で再び振り返る。
変わらぬ笑みで手を振り続ける優希君の姿に、胸がじんわりと温かくなった。