ファーストコンタクト
「ごめん優。また女の子に呼ばれちゃって」
かすかに残る肌寒さが新たな季節を感じさせる、初春の昼休み。購買で買ったパンを食べつくし、机に突っ伏していた浅野優のもとに一人の青年がやってきた。
名は八島健といい、優の小学生のころからの親友だ。
スポーツよし、勉強よし、おまけに誰が見ても憧れるような顔立ちと、神に祝福されながら生まれてきたような完璧人間。優は、重い顔を上げ、完全無欠の好青年を見つめる。
「また、告られたのか。これで何度目だ?」
「23度目。二年生になってからはこれが4度目だよ」
「よく覚えてんな。そんなこと」
「覚えていないのは失礼だからね」
笑いながら健は、優の隣の机の椅子を引っ張り出し、優の横に並べ、座る。
健は、もう何度も女の子に告白されているのに、付き合ったことはない。気づけばいつも、優の隣で笑っているのだ。
一時はこのことが女子の間で問題視されていた。『八島君はもしかしたらあっち系の人間なのかも』と。それは程なくして優が周りの女子に弁解し、事なきを得たが、十年来の付き合いである優にも、健の本心はわからなかった。
東京の中学を卒業し、東京湾の中央にそびえ立つこのスクールアイランドに一緒にやって来てからも、二人の関係は変わっていない。
意外なほど心が弱い優にとって、健は人生の支えとも言えるような存在になっていた。
「っつーかさ、お前一体誰に告られたの?」
「3組の中川さんだよ。ほら、1年の時クラス一緒だった」
「あー、あいつか……って言うかおいっ! お前これで1年の時の同じクラスの女子、全員に告られたんじゃ……?」
さっきまでの眠気はぶっ飛び、優はぐいっと顔を健に近づける。
なんて奴だ。
ハーレムもいいところじゃねーか。優は、大きなため息をつき、落ち着きを取り戻す。
どんなにモテる奴でも、せいぜい十人。と言う優の概念が1年の二学期前半で打ち砕かれたのは言うまでもないが、流石の優も、クラスの女子全員に告白されたのが自分の旧友というこの事実には、驚きを隠せないでいた。
「ち、違うよ優。全員じゃないよ」
「誰か他に、お前の手籠めにされてない奴いるか?」
「やだなぁ、手籠めなんて言い方しないでよ。それに……いるじゃないか、あそこに」
健は、窓際最後列の、ぼんやりと外を眺めている女子を指さす。
優の目に映ったその女子は、少し茶が混じった髪をした、優の価値観、いや、学年中の価値観として、健と同等の女子だった。
優としては『健の女版』と言う表現が一番しっくりきた。
「ああ、一護ありさか。あいつはまぁ、仕方ねーだろ」
優が納得したようにつぶやいたのには、いくつか理由がある。
一護ありさ。
1年の時から同じクラスだが、彼女のことはあまり分かっていない。ただ二つばかし知っていることがあった。
健と同様、その美貌で男達にモテまくっていて、告られるたびに『NO』の一言で突き返すこと。そして、誰と話すこともなく、ただぼんやりと頬杖をつき、外を眺めているということ。
優にとって、その存在はテレビの第一線を走り続けているトップスターのようなものだ。
あまりに遠すぎる存在。
別に他の男子同様、特別気になるという事もなかったが、やはりその美貌には惹かれるものがあった。
「ま、そんなことより、あれやってくれよ。あのマジック」
「いいよ」
優はポケットから、百円均一のお店で買ったプラスチック製のトランプを取り出し、健に手渡す。健はトランプを十五枚ほど取り出し、手際よくシャッフルしていき、組み終わったトランプの束を俺に差し出す。
「はい、じゃあ、一番上のトランプをめくってその数字を覚えてね」
「ああ」
言われた通りトランプをめくる。数字は―――5だ。
「覚えた? 覚えたら僕に見えないようにしてね。それから、束の上にトランプを戻して、そのトランプの数だけ上から下にトランプを移動させて」
数字は5だから5回トランプを移動させるのか―――。
優は、トランプを五回だけ上から下に移動させる。
「出来たぜ。……で、どうすんだ?」
「貸して」
健は優からトランプの束を受け取り、左手から右手に移動させていく。
その行動を不思議に思った優は、健に尋ねた。
「何でそんなことするんだ?」
「マジックをより複雑にするためさ」
健は微笑みながらそう答えた。その笑みに、同じ男と言う事を忘れてドキッとしてしまう。
男の俺でも、ドキッとしちまう位だ。女子なんか悩殺だろうな。と、優は一人納得する。
それからまた、健は優にトランプの束を渡す。
「もう一回、さっきの数字の数だけ同じことをやってみて」
マジックが終わりに近づいてきていることは、マジックの知識に事欠ける優にも分かった。
健は、別にマジックが得意と言うわけではない。ただ、優が落ち込んでいた時、悲しんでいた時、立ち直らせてくれたのはこの旧友のマジックだった。
優は、言われた通りに先ほどの動作を繰り返す。
これから何が起こるかは分からない。健はいつも、優にマジックの結末を教えてはくれなかった。
だが、優にとってそれはそれでよかった。例えるなら、初めからオチがわかっている漫画よりも、結末を想像して読む漫画の方がよっぽど楽しいのと同じ。
人から結論を与えられることを嫌った優の性格を知った上での、健の気づかいだった。
もちろん、優がそのことを知るはずもないが。
「さて、終わったかい?」
「ああ、終わったぜ」
優は健にトランプの束を差し出す。
「ありがとう優。今からこのトランプに僕が魔法をかけるよ」
健はそう言うと、左手の人指し指を立て、「ちちんぷいぷい」と言いながら右手に持ったトランプを指さす。
―――大した奴だ。と優は思う。
この八島健と言う男は、口に出すのも恥ずかしいようなことを平気でやってのける。クールじゃないのだ。だが、そこに親しみやすさを感じているのは優だけではなかった。
今のこの光景を、遠目ながらも、クラスのほとんどの女子は眺めていただろう。普通ならクスッと笑いの一つも起こるものだが、女子は皆うっとりとした表情を変えないでいた。
「優。君が見たトランプは―――これかい?」
健は、裏返しになっている束をひょいと立てて、一番下のトランプを優に見せる。
現れた数字は―――5。先ほど優が見たトランプと全く同じだった。
「うおっ。スゲ……何でわかったんだ?」
「マジックだからね」
「どうやったの? 今の!」
「「……え?」」
バンッと両手で優の机を叩いた音が教室中に響き渡る。
今の声は、優、健のどちらの声でもない。
透き通った女子の声だ。
優と健が声の主を知るべく、顔を上げるとそこには。
自然な茶の髪に、特徴的ないちご型の髪留め。
優が『健の女版』と称する、一葉高校一の美少女―――一護ありさ。
ありさは、好奇心旺盛な子供のような目で、優と健の方をマジマジと見ている。
学校一の美少女が、自分を見つめているという恥ずかしさからか、優は思わず視線を机におろしてしまう。
優は、女子に対してあまり免疫がない。相手から話しかけてこないと対応できないようなシャイボーイなのだ。そんな優はともかく、女子の扱いに関してはすでに玄人の域に達している旧友は、ありさに対し、優しそうな笑みを浮かべてからこう言う。
「タネを探すことも、マジックの楽しみの一つだよ。一護さん」
さすが健だ。なんでいつもこんなに完璧な返答ができるんだ?
旧友の女子の扱い方に、優は思わず感心してしまう。
健は、キザな奴じゃない。飾らないのだ、決して。
そんな健の事を僻む男子も、少なからず存在するが、小学校からずっと健を見てきた優は、健のそんな所が友達として好きだった。
変わらない。小学校のころからずっと。自分の名にも、『優』と言う漢字が含まれているが、彼は、生まれた時から目に見えない優しさを兼ね備えていた。
―――あの頃もそうだったな。
思い出深いのは小学校4年生の時だ。
優が上級生にひどいいじめを受けていた時、真っ先に突っ込んで行くわけではなかったが、上級生を必死に説得しようとした。そして、それでも尚、優に対するいじめをやめようとはしなかったバカな上級生に対して、健は飛び掛かり、ぼろぼろになりながらも、優を救って見せた。
「ふんっ、教えてくれたっていいじゃない。ケチ」
ぷーっと子供のようにほおを膨らませてから、急に冷めたような目をして、ありさはそう言い放つ。
そしてまた、すたすたと席に戻り、頬杖を突いて、外を眺めだす。
「子供みたいな奴だな。好奇心旺盛に迫ってきたり、急に冷めたり」
「ま、人それぞれってことだよ」
いつもなら、旧友をケチ呼ばわりしようものなら、怒って殴りかかりかねない優だったが、一護ありさに対しては、不思議とそんな気持ちにならなかった。
それは、ありさの言葉一つ一つがどれも、素直で悪を知らない子供のようなものだったからなのかもしれない。
ぼんやりと外を眺めているありさを見ながら、優はそんなことを思った。
そしてこれが、今後の優の人生を大きく左右する女性、一護ありさとの、ほんの些細なファーストコンタクトだった。
今回初めての投稿になります。
読みづらい点があるかもしれませんが、読んでいただけると幸いです。