SANZUリバー 消失ショート9
数え役満ってすごいんですか?
三途の川は実際見てみると、たいへんな川幅がある。なんとなく小川を想像していた僕はそれを初めて見たとき、大変驚いたものである。天気のいい日に向こう岸がぼんやりと見えるくらい広い。ベーリング海峡の最狭部くらいは絶対あると思う。
そのため、あちら側に渡る用の船も、まるで豪華客船かフェリーのように大きい。
そこで僕は今、三途の川の番人をやっている。ここは毎日が平和だ。
もちろん僕が今、三途の川の番人をやっているのはそれなりの理由がある。
まず僕は若い頃に夭折した事がきっかけになる。これが重要である。
死後の世界では、親より先に死ぬとその親不孝ぶりから三途の川で永遠に石を積まないといけないらしい。そしてそれはある意味での常識らしい。僕は死ぬときそれをげんなりした。すごく辛いだろうなとは思った。しかし、とにかく覚悟した。まあとにかく。
しかし、なぜ僕は死んだのか?
簡単だ。高校時代のいじめがつらくて僕は死んだ。自殺したのだ。それだけだ。死ぬ際に、僕をいじめてストレスを解消していた奴らにほんの少しだけ、いたずらを仕掛けた。ICレコーダーで音声を録音したり、切実な内容の手紙を新聞社に送ったり、隠しカメラで現場を撮影したり、原稿用紙(400字詰め)にその内容をストーリー仕立てに面白おかしく書いたりした。たしか二百枚くらいになったと思う。
更に、僕は死ぬとき僕は飛び込み自殺を選択したのだが、僕を轢き潰したトラックの運転手がどうやら居眠り運転をしていたあげく、荷物の積載量のオーバー、それに入国の禁止されている物を運搬していたらしかった。業務上過失致死、その他もろもろ。おかげで親には保険金が下りた。母が、一生パートに行かなくもいいくらいの金額が下りた。
僕の死後、手紙が元で大変タイムリーなニュースになり、音声や映像のおかげで、大変なトピックスになった。その結果、いじめグループの三人の中の二人が自殺して、地の獄に落ちた。残った奴も既に確定したらしい。そして残った原稿用紙は本になり、また親に印税とかそういった類のお金が入った。
僕の自殺は事故扱いになったし、そしてその件でもまた、大変なニュースになった。
まあ結果として僕は、麻雀でいうなら数え役満という事になったのだろう。
「恩赦」という言葉がその世界でもあったおかげで、僕は五年間の現場教育(石積み経験)の後に三途の川の門番に収まった。まあ、そういうことだ。何が結果に影響するかわからないものだ。僕はたまたま運が良かったのだと思う。もしくは悪かったかのどちらかだ。
乗客を船に乗せ、船の出発を見送るのが、僕の今の主な仕事になっている。他にも乗客の整理とか、客室の案内とか、定期船なので、船が来るまでに待合室で客の相手をしたりしなくてはいけない。結構に忙しい仕事だと僕は思う。
第一ここは毎日天気がよくて、曇り空が好きな僕としてはたまに憂鬱になる。しかし、仕事である以上は僕もその役目をしっかりこなすべきだと思っている。まあ、義務として。 生前に学校に死ぬまで毎日通っていた癖が、今も残っているのかもしれない。
その日は、丁度すべての乗客が船に乗ることができた。僕はほっとして自分の部屋でお気に入りの藤椅子に座り、窓から川面を眺めつつ、コーヒーを飲んでいた。
きらきら輝く川面はまるで、人々の思う世界の理想を表しているようだった。
しばらくぼんやりと川面を眺めていると、突然大きな爆発音が響いた。見ると沢山の人々を乗せた客船が川の中間くらいで煙を上げていた。それは今まさに沈んでいくところであった。
またかと僕は思った。天の国という所がもう既にいっぱいなのは、僕も前から知っていた。でもそれを知らせるのは僕の仕事ではないのだ。
ここは本当に毎日が平和だ。
中学校の頃、男子のあいだで「SANZUリバー」という。名称が流行りまして、そんで書いてみたのです。