第5話 気高き血(前編)
DISPELLERS(仮)
05.第5話 気高き血(前編)
朝から気が重い。
昨日、曄をあれ程危険な目に遭わせてしまったのは、他ならぬ自分のせいだ。
自分が何も深く考えずに軽々しく澪菜の誘いに乗ってしまった、その結果なのだ。
自分が甘かったせいで、曄を命の危機に曝してしまった。
どう詫びればいいのか。
どう償えば、曄は許してくれるのだろうか。
明月は、足りない頭で必死に考え、悩みながら学校へ行った。
(頭丸めろって言われたらどーしよー・・・(汗))
そして、何故かそんな時に限って、教室の前の廊下でばったり曄と出会してしまうものだ。
(うわ、やべ・・、なんでだよ、今までいっぺんも朝から出た事ねーのに・・・)
ところが、曄は明月の顔を見るなり突然プッと吹き出したかと思うと、腹を抱えて大声で笑い出した。
「あっははははは!」
ド肝を抜かれた。
(な、なんだ!? 曄ちゃんが壊れた?)
あの、殆ど笑った事のない、仏頂面のツンデレ女王のような曄が、人目も憚らずに爆笑している。
最終ステージでラスボスを倒そうと前へ進んでいたら落とし穴に落ち、気付いたら一面のスタート地点に戻っていた、
みたいな意表を突くバグ紛いの衝撃的攻撃だ。
一体、何が起こったというのだろう・・・。
驚いたのは明月だけではない。
その場に居合わせた他の生徒全員が、皆立ち止まって同じ感想を持って曄に見入っていた。
まるで真夏の雪でも見るように。
それ程までに、彼女の笑う姿というのは物珍しかったのだ。
曄は、笑いながら明月の元へ近付き、腕を伸ばして彼の頭をペンペン叩いた。
「あははは・・、なんなのこの頭、おっかしぃー!」
明月は、自分の髪が寝癖で逆立っている事にやっと気が付いた。
(うわ、なんてこった・・・(汗))
バグはこっちの方だった。
「はぁ〜、可笑しくって、涙出てきちゃった・・」
「笑いながら泣くな!(汗)」
「朝から面白いもの見せてもらったわ、ありがと(笑)」
「うるせー!(汗) いつもとそんなに変わんねーよ」
「それもそうね、無頓着だもんね。
でも、今までで一番カッコ良かったよ、アキ。 じゃネ」
曄は、手で目尻の涙を拭いながら自分の教室へ入って行った。
(頼むから、その呼び方は止めてくれ・・・、って言ったら怒るかな(汗))
朝からこっ恥ずかしい思いをした明月だったが、曄の表情が明るかったのはなによりの朗報だった。
昨日の事を気に病む様子も、根に持つ様子もない。
寝癖が役に立つ事もある。
寝癖恐るべし。
そこへ、教室からその様子を覗いていた衣枝が声をかけてきた。
「おい、八百屋!、お前何時からあの子と仲良くなってんだよ!」
「八百屋って言うな」
「なんかすげー親しげじゃねーの、ん? まさかつき合ってるとかって言うんじゃねーだろな」
「勝手に言ってろ、そんなんじゃねーよ」
「まあ、その寝癖じゃぁなぁ、あの子じゃなくてもウケるって。
でも、まんざらでもねぇだろ。 可愛いもんな、あの子。 俺もあんな可愛い顔初めて見たわ」
確かに、曄が公衆の前で笑うところを一度も見た事がないし、明月の前でもあんなに爆笑した事はない。
明月でさえ、初めて見たのだ。
衣枝に冷やかされたせいで、照れくさく、そわそわして妙に浮ついた気分にさせられてしまった。
なんか、やけに周囲の視線が気になって、肩身が狭く感じてしまうのは自意識過剰か。
いつもの教室が、別の学校に来たように感じる。
そのせいなのかどうか、明月は、曄が教室に入り際に言った言葉の真意に気が付いていなかった。
それは、一聴すると彼の寝癖を小馬鹿にしてからかったようにも聞こえるが、実は昨晩の事を言っていたのだ。
危険を顧みずに曄を救い、澪菜の誘いに毅然とノーを突きつけた明月に対する感謝の気持ちが込められていたのだが、
明月にそんな洞察力があるはずもない。
そしてそれは、曄の澪菜に対する完全な勝利宣言であった・・・のかも知れない。
☆
その澪菜はというと・・・。
同じ日の午後、授業を終えた澪菜は、いつものように定芳の運転する車に乗って自宅へ帰った。
自宅といってもそれは、18ホールのゴルフコースがすっぽり収まってしまうのではと見紛う程の広大な庭を擁した、
アメリカのホワイトハウスを彷彿とさせる白亜の豪邸である。
その玄関前には数人の澪菜専属のメイド達が列をなして、彼女の帰宅を出迎えるのも毎日の恒例となっている。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
「ただいま」
車のドアを開け、カバンを受け取ったメイドの1人が、澪菜に言葉をかけた。
「お嬢様、朝絵様がお部屋の方でお待ちです」
「お、お姉様が・・・?(汗)」 ビクッ
姉の名を聞いて、途端に悪寒が走って身震いする澪菜。
朝絵が澪菜の帰りを待って出頭を促す時は、必ず良からぬ事があった時、説教される時に決まっているからだ。
自分の最近の行動を思い返し、姉に叱られるような事はしていないかと記憶を辿る。
澪菜は、悪さをして職員室に呼び出された悪ガキの心境で、ドキドキしながら部屋のドアをノックした。 コンコン
「どうぞ」
「失礼致します・・・。
ただいま、戻りましたわ、お姉様・・・」
朝絵の部屋は、18畳程もあろうかという広さにも拘わらず、広いテラスを望む大口窓の前に執務用の机とソファーが
設置してあるだけの簡素なもので、とても現役女子大生の部屋とは思えない。
名より実を重んじる朝絵の性格がよく反映されていると言うべきか。
もっとも、朝絵はこの部屋以外に、勉強用の書斎と衣装部屋、バス、トイレ付きの寝室等を持っているのだが・・。
執務机にデンと構える朝絵は、澪菜をも軽く凌いでしまう程に秀麗にして妖麗、落ち着いていて悠然、それでいて更に
男勝りの勇侠とした剛胆さも兼ね備えた、まさに才色兼備の見本のような美女である。
しかもその声は流麗かつ淑やかで、高慢な誰かさんとは大違い。
「あら、制服のままじゃないの。 着替えてからでもよろしくてよ」
「い、いえ・・、このままで結構ですわ、お姉様」
「あらそう、ではそちらにお掛けなさい」
澪菜は、待たされる事を極度に嫌う朝絵の性格を熟知しているため、これ以上心証を悪くしないよう彼女なりに精一杯
配慮してみせた。
それ程までに、澪菜は朝絵を敬愛し尊敬すると同時に畏怖している。
「お姉様、今日はお仕事ではなかったんですの?」
「私の本業は学生よ。 始終妖怪退治ばかりやってられないの」
「そ、そうですの・・・(汗)」
朝絵は普段、白泰山会に寄せられるお祓いや妖怪退治の依頼に関する合議や、自分や組のメンバーとの修練などの為、
両親共々総本山の方に詰めていて、大学へもそこから通っている。
自宅へ帰るのは週に一度あるかないか程度で、両親は更に年間でも数える程しか帰らない。
逆に、澪菜は白泰山流の陰陽師としてはまだ駆け出しで、正式に組も組織していない為、毎週一度総本山へ顔を出し、
修行の成果を試されるくらいのものでしかない。
そのため自宅では、澪菜は奔放な性格そのままに、我が物顔でしたい放題、優雅なお嬢様ライフを謳歌していた。
「澪菜、どうして私が貴女を呼んだか、おわかり?」
「・・・定芳ですのね、お姉様にまで余計な事を」
「いいえ、違います。
定芳さんは貴女の執事として、貴女の行動を逐一お父様に報告する責を負っているのです。
彼の報告書を勝手に読んだのは私です」
「では、わたくしに何を・・・」
「昨晩のお仕事の事よ」
「それでしたら、事後処理は全て定芳にお任せしておりますわ。 定芳にお伺いになれば・・」
「私が聞きたいのは、定芳さんが直接見ていない現場で何があったかです。
報告書だけでは、貴女がどうやって祓ったかまでは分かりませんもの。
それに、貴女の結婚相手の実力もね」
「そ、それは・・・(汗)」
「話しなさい、全て」
澪菜は決して朝絵に逆らえない、何故なら、朝絵が決してそれを許さないから。
その朝絵が、わざわざ自宅へ来て澪菜を問い詰めたのは、定芳の提出した報告書に不審な点を発見したからだった。
実は、澪菜と明月の結婚の話は、桐屋敷家の内部でも何も決まっていない事だったのだ。
決まってないも何も、そんな話は一度たりとも出た事がない。
恐らく、両親でさえ知らないはずだ。
全くもって澪菜の自作自演であり、彼女自身も、始めはただ明月をからかうだけのつもりだったのかも知れない。
ただし、父親の推薦した明月という男を、将来の夫として嘱望されているものと勘違いし、並々ならぬ期待と興味を
持っていたのは事実だ。
澪菜は、しどろもどろしながら、昨晩のスポーツジム内での出来事を話した。
かなり自分に都合のいいように脚色して解説したつもりだったのに、どういう訳か朝絵には全て見透かされていた。
「なるほど・・・、大体は分かりました。
要するに、貴女はお仕事の最中に、その八百神君を誘惑しようとしていたという事なのね」
「誘惑ではありませんわお姉様、愛の確認ですわ(汗)」
「お黙りなさい。
それは、折角お仕事を手伝って下さったお2人対する、歴然とした背信行為です。
あまりに礼を失しています。
恩を仇で返すようなものです。
まったく、恥ずかしく思わないの? そんな卑劣な事をして」
「ひ、卑劣だなんて、わたくし、そんなお下品な事はしてませんわ(汗)」
「お仕事中は集中しなさいと、前に何度も言ったわよね。
それを貴女が疎かにした結果、その曄さんて子を命の危険に曝したのよ。 その意味が分かって?」
「あれは、わたくしのせいではありませんわ、曄がダメダメだからですわ」
「貴女の段取りが杜撰だったなによりの証拠です。 その責任は貴女が負わねばなりません」
「では、お姉様は、わたくしにどうしろと仰いますの?」
「すぐに、お2人に謝罪なさい」
「謝罪? どうして、わたくしが頭を下げなければいけないんですの?」
「自分の胸に聞いてごらんなさいな」
「この胸は・・・、明月のものですわ(照)」
朝絵は、ハァと溜息をついて頭を抱えた。
「いいこと、聞きなさい澪菜。 貴女、八百神君の事が好きなのでしょ?」
「え、ええ、そうですわ(照)」
「だったら謝罪なさい。 理由はこの際考えなくて結構です。
納得する必要もありません。
とにかく謝って許しを請うてらっしゃい。
全てはそれからです。
八百神君に許してもらえなければ、貴女の想いも遂げられなくってよ」
「明月はわたくしを本気で怒ったりしませんわ。
あれは、彼の大好きな恥辱プレイなんですの(照)」
「違うでしょ、私はそんな事を言っているのではなくてよ。
外部の人を巻き込んでおきながら、自分の果たすべき職務を放棄して、その人達を危険な目に遭わせた過失を認め、
非礼をお詫びして責任を全うしなさいと言っているの。
分かった?」
澪菜は、明月にならともかく、曄に謝罪するのだけは断じて承服する事が出来なかった。
あの淫乱女に頭を下げるなんて、まるで勝ち試合を途中棄権して、負けを認めてしまうのと同じようなもの。
ロイヤル・ストレート・フラッシュを持ちながら、レイズもコールもせずにドロップしてしまうようなもの。
500Kgオーバーのクロマグロの懸かった竿を、海へ放り投げるようなもの。
脱げたガラスの靴を、わざわざ拾って持ち帰るシンデレラの如き愚行であり、まさしくデュ・バリー夫人と対立した
マリー・アントワネットの心境である。
「分かりませんわ! わたくしは何も悪い事はしておりませんもの!
それに、曄は自縄自縛ですわ。 なんであんな色情魔に、このわたくしがお詫びだなんて信じられませんわ!
そんな事をするくらいなら、舌を噛んだ方がましですわ!」
「おバカ、自業自得でしょ。
それとも桐屋敷の名に泥を塗るつもり? 貴女がそのつもりなら、二度とこの家の敷居を跨ぐ事は許しませんよ」
「結構ですわ! お父様にお願いすれば済む事ですもの!
お姉様は、わたくしが明月と仲良くなるのが面白くないんですわ!
わたくしに嫉妬するなんて、お姉様らしくありませんわよ」
「蒙昧な・・・、お父様が甘やかすから、こんな我が儘になるんだわ・・・」
聞き分けのない妹に業を煮やした朝絵は、険しい顔で立ち上がった。
「いいでしょう、貴女がそこまで嫌だと言うなら、私にも考えがあります。
ついてらっしゃい」
その表情に、なにやら穏やかならざるものを感じた澪菜は、ちょっとビビった。
「お、お姉様・・、どちらへ・・・(汗)」
「貴女には、お仕置きが必要です」
お仕置き・・・・、とうとう、朝絵を怒らせてしまった!
「お、お姉様! わ、わたくし、用事を思い出しましたので・・(汗)」
「お待ちなさい!」
朝絵は、おろおろしながらそそくさと部屋を出ようとする澪菜の手首をガシッと捕まえ握り締めた。
澪菜は、その手の力の強さに朝絵の怒りを覚って、恐れ戦いた。
「わ、わたくし・・、実家に帰らせて頂きますわ・・・(汗汗)」
「貴女の実家はここよ。 私に背いて明日の陽が拝めるとでも思って?、澪菜」
「そ、そんなご無体な・・(泣)」
朝絵の顔は笑っていた・・・・、冷ややかな、女王様の笑み。
さすがは桐屋敷家の次期当主と言われるだけあって、朝絵は道理道徳、一般常識を弁えた実に立派な見識の持ち主だ。
自分の妹だからといって、その軽率で身勝手な行為は絶対に看過しない。
いや、妹だからこそ、自分の失態のように感じてしまい、その強い正義感が黙っていられないのだろう。
或いは・・・、単に妹を虐めるのが趣味なのかも・・・。
だから、澪菜は朝絵に逆らえない。
この巨大な邸宅に、折檻部屋なるものが存在するのかどうかは不明だが、たとえ在ったとしても、そこでこの姉妹が
どんな事をしたのかは、とても恥ずかしくて書けません・・・。
☆
翌日には、既に学校中に噂が広まっていた。
あのダイコンに、つき合っている男子がいる。
「くぉら、八百屋! やっぱお前あの子とつき合ってんじゃねーか!」
「八百屋はやめろ」
「この前のセーラー服の子はどうしたんだよ、二股かけてんのか、え? このやろー」
「あの人はそんなんじゃねーよ」
「じゃ、やっぱりダイコンとつき合ってんだな」
「違うって」
「じゃなんで、あんなに仲よさげだったんだお前等」
「・・・あの子も霊感があるんだよ。 それで話が合っただけだ」
「あ、そういえば、お前もお化けが見えるって言ってたもんな。 そんだけ?」
「そんだけ」
「なんだつまんねー。
だよな、大体お前がモテる訳がねー。
目つき悪いし口も悪いし、何考えてんのか分かんねーし」
(このヤロー、言いたい事はそれだけか)
「でもお前、学校であの子と仲良くなった第1号だぜ、絶対。
あれでも学校の可愛い子ランキング1年生部門第5位、総合でも11位なんだぜ、すげーよお前」
「誰が調べてんだよ、それ」
「なんか、そういうの調べる非公認組織があるらしいぜ、ウチの学校。
いいなー、俺もダイコンちゃんと仲良くなりてーよ、今度紹介しろよ、な」
「まあ、そのうちな・・・」
その子の裸見て乳揉んだなんて言ったら、衣枝はどんな顔するんだろう。
などと考えると、可笑しくなって笑い出しそうになる。
背中がこそばゆい。
衣枝に羨ましがられ、それが他の男子一般の率直な感想なのかと思うと、ちょっと面白くなると同時に、今までにない
優越感を覚えずにはいられない。
こんな事は生まれて初めての経験だ。
なにせ、その相手は可愛い子ランキング5位なんだと。
これが笑わずにいられるか。
この高揚感、充実感、満足感は、今まで味わった事がないぞ。
草野球の試合で勝った時も、走り幅跳びで5m跳んだ時も、川で半日粘ってナマズを釣った時も、ゲームをクリアした
時も、プラモデルを完成させた時も、それなりの感動や充足感は得られたが、こんな浮遊する感覚には覚えがない。
こんな気分になれる日が自分の人生の中で起こり得るのか、果たして現実なのか。
大学の入試に合格したら、宝くじで一等を当てたら、同じ気分になれるだろうか。
例え、雲の上で神に会っても、こんな風にはなりっこないだろう。
これを、幸せと呼ぶんだな、きっと。
ただ、これで澪菜でも出てきた日にゃ、どうなるんだ。
これ以上面倒な事にはならんでくれ。
その澪菜が、放課後、今度は堂々と学校の正門の前に現れてしまったから本当に面倒だ。
(あーあ、来ちゃったよ・・・)
校門前に横付けされた黒塗りのダイムラーを見た時、明月は努めて他人のふりを決め込もうと思っていた。
ところが、ほぼ同時に生徒玄関に来た曄が、明月の目の前を素通りし、車に向かってズカズカ大股で歩み寄って行って
しまったから大変だ。
その歩調からして、かなりの剣幕で怒っているのがありありと窺える。
この2人が顔を合わせるとロクな事にならない。
(校門でケンカはやばいって!)
だが、曄が側へ寄っても、澪菜は車から出ようともせず、ウィンドウを開けもしないで完全に無視を決め込んでいる。
明月より先に曄が出て来たのが癪に障るらしい。
これに曄が黙っているはずがない。
怒りにまかせて車体に傷でも付けようものなら・・・、あの子は修理代が幾らかかるとかさえ考えてないだろう。
騒動に発展する前になんとかしなければ、と思った明月は慌てて車の所へ行った。
すると、ようやく澪菜が窓を開けた。 ウィーン(パワーウィンドウの音)
「ハイ、明月、ご機嫌よう」
曄が目を三角にして割って入った。
「あたしは無視かい! いい度胸してんわね!」
「ま、待って、ここじゃマズい。 すぐそこに公園があるから・・・」
公園といっても、そこは川沿いのジョギングコースの一角にある、数点の遊具を設置した広場の周囲をカラー舗装した
遊歩道と緑の木々がぐるっと囲んでいる程度の小さいものだが、校門の真ん前で問題を起こすよりはずっと人目を避け
られる。
車から降りた澪菜を待ち受ける曄は、既に勝ち誇ったように腕組みをして仁王立ちしている。
「今日はなんの用かしら陰陽師さん、もうあんたに用はないんだけど。
まあ、謝りたいってんなら、聞いてあげてもいいわよ」
何時にも増して不遜で居丈高な曄。
こうも上から目線で挑発されたのでは、ただでさえプライドが服を着て歩いているような澪菜がまともに受け答えする
訳がない、と思っていたら・・・。
「そ・・・、その通りですわ・・・(汗)」
と、素直に返答した。
ただし、その表情は、忌々しそうに眉を顰めた不愉快極まりない膨れっ面で、彼女の不機嫌さが色濃く滲み出ている。
「ほ、本日は・・、お2人にお詫びに参りましたの」
「へえー、結構可愛いとこもあんのね」
「クッ・・・、だって、そうしないと、お姉様が次のお仕事を下さらないんですもの・・・」
「ぷっ、お姉様だって。 あなたシスコン?、陰陽師が聞いて呆れるわ。
桐屋敷って言うからどんなに凄い人なのかと思っちゃったわよ。
さっさと辞めちゃえば?、どうせろくに退治も出来ないんでしょ」
ここぞと言わんばかりに図に乗って増長する曄。
ちょっと大人げない気もするが、曄もまだ15歳だし、よっぽど鬱積していたものがあるのだろう。
完全に喧嘩を売っている。
澪菜もそろそろ我慢の限界か。
とうとう、罵り合いが始まってしまった。
「お姉様を侮辱すると許さないわよ!」
「あたしは、あんたを侮辱してんのよ、澪菜」
「わ、わたくしを呼び捨てなんて! 年下のくせに、生意気にも程がありますわ!
わたくしを呼び捨てていいのは、家族と明月だけなのよ! このダイコン女!」
「だ、誰がダイコンなのよ!」
「あら、聖護院と言えば大根でしょ!」
「あんたの方こそなによ! 澪菜ってなに! 瑞々しい菜っ葉? ただの新鮮野菜じゃないの!」
「わたくしの菜は菜の花の事ですわ。 暗く湿った土の中でブクブク太るダイコンとは違いますのよ(笑)」
「うるさい! 金髪桐ダンス!」
「あーあ、貧困だこと。 もっとましな発想は出来ないものかしら。
これだから、ダメダメなおバカとは話したくないのよ、ねぇ二号ちゃん(笑)」
「二号って言うな! おたんこなす!」
「おたんこナスって何ですの? わたくし、そのような食べ物寡聞にして知りませんわ」
「バカじゃないの? 頭より胸に栄養が行ってんでしょ、ウシ乳!」
「貴女もまんざらではなくてよ、桃乳尻軽女!」
「あんたなんか、どっちがお尻なんだか分かんない胸してるくせに!」
「わたくしのはメロンですわ。 女の嫉妬は見苦しいわよ、二号」
「!!!(怒)」
口喧嘩では、澪菜の方に一日の長があるようだ。
地団駄を踏んだ曄は、早くも伝家の宝刀を抜いちゃった。
「嫉妬してんのはあんたでしょ! なにが将来の妻よ、明月とキスした事もないくせに!」
「なっ・・!(汗)」
「あたしなんか、胸だって揉まれたんだから!」
「な! なんて事を・・・(汗)」
「へへんだ、なんとか言ってみなさいよ、ネコババ女!」
「・・貴女、やっぱり最低の女だわ。 この淫売! 盗人猛々しいとはこの事よ!」
「それはこっちの台詞だわ! 後からしゃしゃり出てきて勝手な事言ってんじゃないわよ! エロ乳女!」
「どの口が言うのかしら、橙眼淫乱情婦の分際で!」
「あたしは淫乱なんかじゃないっ!」
「あばずれ発情ドロボウ猫!」
「あんたなんか一生結婚出来ないわ、その腐った根性を叩き直さない限りね!」
「わたくしの何が腐ってますの!」
「なんでも思い通りになると思ってる、その性分よ! 幼稚園からやり直せ!、お子ちゃま!」
「腐れ大根に言われたくないわ! 品性を疑いますわ!」
よくもまあ、こう次から次へと相手を誹謗する言葉が出てくるもんだと、明月は半ば呆れながら眺めていた。
前にもあったが、今回の方が一段と過激だ。
しかし、このままでは実力行使に発展するのは時間の問題だ。
(頼むから、俺をネタに使うのはやめてくれ、曄ちゃん・・・)
「明月、こんな好色莫連女に魅入られてはいけませんわ、目を覚まして!」
(いきなり俺に振るな!)
「アキ、こんな減らず口の言う事なんか聞くだけ無駄よ」
「まあ! アキだなんて、わたくしの夫に馴れ馴れし過ぎるわ!」
「誰があんたの夫なのよ! 1人で勝手に思い込んでるだけでしょ!」
「夢を見てるのは貴女の方だわ。 もう二度と明月を誘惑させたりなんかしませんわよ、わたくしの目の黒いうちは」
「フン! 黒でも白でも勝手にすればいいわ! どうせあたし達にはもう関係ないんだから」
「関係なくありませんわ! 重大な事ですのよ」
これでは埒が開かない。
2人を止めるのは自分しかいないと思いつつ、面倒臭いし、余計な事を口走って火に油を注ぐような事にでもなったら
それこそ目も当てられない。
が、いい加減うんざりしてきた明月は、あまり気乗りはしなかったが、仕方なく口を開いた。
なるべくなら2人を刺激したくないとは思えども、元々ぶっきらぼうな明月がそこまで言葉使いに気を遣うのはどだい
無理な話だ。
「あんたには重大な事でも、俺達はもう係わり合いたくないんで、分かったら帰ってくれ」
「じゃあ、わたくしの謝罪を受け容れてくれるんですのね」
(謝罪? これが? 口ゲンカしてただけだろ、つか、聞いてんのか、ちゃんと)
「謝罪って言うんなら、土下座くらいしなさいよ」
「な、なんですって!!」
土下座、と言われた澪菜はその場に立ち竦んだ。
何故、こんな横柄で生意気な小娘に膝を屈しねばならないのか、何故、ここまで貶められねばならないのか。
この小娘は、一体何の権利があってそんな要求をするのか。
明月をその色香で誘惑して籠絡した、破廉恥な淫婦のくせに。
理不尽だ、不条理だ、理解出来ない。
桐屋敷家の娘である自分に対するこの乱行の数々は、偏に万死に値する。
澪菜の怒りは爆発寸前だった。
明月も、さすがに土下座はまずいと思った。
自尊心の塊の澪菜が素直に従う訳はないし、その反動の方が想像するやに恐ろしい。
「そりゃ言い過ぎだって、曄ちゃん」
「なに言ってんの、それくらいやらせなきゃ分かんないのよ、この大バカ下種女は」
「まあ、別にいいんじゃねーの? 澪菜さんだって悪気があってやった訳じゃねーんだし」
明月がわたくしを庇っている・・・。 ポワン
明月はただ、曄の暴走を止めようとしているだけなのに、澪菜はまたしても誤解して、目をハート型にしている。
「あんたどっちの味方なの!」
「ケンカすんなら、俺はどっちにも付く気はねーよ」
「アキ・・・・(汗)」
明月の言葉を聞いた曄は、もしここで拳に打って出たら俺は愛想を尽かすぞ、という意味だと受け取った。
もう自分と澪菜のどちらとも組む気はない、妖怪退治には手を貸さない、最後通告なのだと。
それまでやる気満々で、澪菜を一発でもぶん殴ってスッキリしたいと思っていた曄は、一気に意気消沈した。
明月に手を引かれるというのは考えてもいなかったし、それでは元も子もない。
全てが水の泡になってしまう・・・。
「わ、分かったわ・・・・、許してあげるわよ」
そして、澪菜に向かって言った。
「あたし達は、もうあなたの組には入らない。
でも、あなたがどうしてもって頭を下げるなら、手伝いくらいはしてやってもいいわよ。
帰ってお姉様とやらにそう伝えるのね、澪菜」
これが曄の許容し得る最大限の譲歩だった。
本来なら、完全に澪菜と絶縁するのが理想だったはずが、手伝ってもいいと言った背景には、たとえ澪菜と共に仕事を
しても自分は絶対に負けないという、揺るぎない自信の表れでもあった。
明月はあたしの事が好きなんだ。
「け、結構ですわ・・・、でも、わたくしは絶対に諦めないわよ」
澪菜は、苦々しい表情で屈辱感に必死に耐えながら、やっとの思いで言葉を捻り出した。
17年間の人生の中で、ここまで愚弄され、辛酸を舐めさせられた記憶がない。
名門・桐屋敷家の娘として躾けられ、教育され、令嬢として、陰陽師として、有るべき姿、為すべき事を身に付けた
自分に対して、ここまで悪辣で汚い言葉と態度を投げつけて謗り罵る人には会った事がない。
それも、年下の小生意気な、たった1人の女に。
曄は一度も、澪菜を見下す態度を崩さなかったのだから。
頭の中の激しい怒りと、心臓辺りの強烈な痛みを感じた。
帰りの車の中で、澪菜が悔し涙でシートに泣き崩れた事を知っているのは、運転手の定芳だけであった。
☆
数日後・・・・・・・・・・・・・・・・・・、澪菜の逆襲が始まる。
昼休み、明月の携帯が鳴る。
「ご機嫌よう、明月。
先日はお見苦しいところをお見せてしまって、恥ずかしい限りですわ。 何卒ご容赦を」
「なんの用だよ」
「本日は、次のお仕事の打ち合わせについてですわ」
「仕事?」
「お手伝いして頂けるんでしょ?」
「あ、ああ・・・、けど」
「もちろん、曄も一緒ですわ。 曄にも伝えて頂けますかしら。
では、放課後、あの公園でお待ち致しておりますわ」
まさか、あの澪菜が、曄の言った挑発とも取れる嘲りに、素直に応じるとは思わなかった。
放課後、曄と連れだって公園に向かった明月。
「あの女、どの面下げて会いに来るのかしら」
曄は、余裕綽々としながら早足で明月の前を歩いていたが、公園が近くなると自然と1人で走り出した。
最初の時とは完全に立場が逆転した今、澪菜がどんな表情をしているのか、誰よりも早く見てやりたかった。
「あたし達に手伝って欲しいんですって? 澪菜」
「そうですわ」
そう言った澪菜は、意外にも、曄の予想とは正反対に笑っていた。
最初に会った時と同じ、高飛車で高圧的で尊大な、自分が世界で唯一の絶対的存在なのだと言わんばかりに腕組みを
して、曄を蔑み、貶め、嘲るように見下ろして睨みつける、あの澪菜がいた。
その態度が曄の神経を逆撫でする。
「とても人にお願いするような態度に見えないんだけど!」
「それもそうね(笑)」
「なに笑ってんのよ!」
意表を突く澪菜の高慢な態度に、曄はどこか言い知れぬ恐怖のような感覚を覚えた。
澪菜の笑みは、初めて曄が聖護院家の娘だと知った時の、あの悪戯小僧のような残酷で無慈悲な冷笑と同じだった。
それが現実になる。
「そうですわね、笑っていてはお仕事の話は出来ませんわね。
でもその前に、曄・・・、貴女、婚約者がいるんじゃなくって?」
「なっ!(汗)」 ドキッ!
その瞬間、背中を思いっきり突き飛ばされるような衝撃が走った。
どうして、澪菜がその事を知っているのか・・・。
一瞬にして、曄の顔から血の気が失せた。
「確か、名前は・・・、円松坊・・」
「やめて! やめてっ!(汗)」
曄は耳を塞いで首を振った。
「円松坊家は、現在の茨屋の本家でしたわよね・・・、どうしてかしら?
どうして、貴女の家は、本家の称号を剥奪されたのかしらねえ(笑)」
「お願い! もうやめてっ!」
激しく動揺し、狼狽する。
いくら虚を突かれたとはいえ、まさか澪菜の口からその名を聞く事になろうとは・・・。
曄にとってその名前は、まさしくトラウマのスイッチだったのだ。
そして、勝敗を決定付ける一言が。
「貴女のご両親は、今どうしているのかしら、ねえ曄?」
「!!・・・・」
「家庭崩壊・・・、でもしたのかしら?」
「・・・・(汗)」
あまりのショックに言葉を失い、目の前が真っ暗になる。
頭がクラクラし、気が遠くなって立っていられなくなり、その場に膝から崩れ落ちた。
体はガタガタと震え出し、項垂れたその目からは涙がこぼれ落ちていた。
必死に忘れようとしていた恐怖と、屈辱と、悲しみと、絶望に塗れた日々が、昨日の事のように蘇ってくる。
「あらあら、どうしたの? 子猫みたいに震えちゃって・・・、このメスネコ!」
しゃがんで曄の顔を覗き込む澪菜の表情は、冷酷に笑っていた。
「お願い・・・、もう・・・・(泣)」
曄は既に、反抗する気力さえも失われている。
澪菜にとっては、まさにしてやったり、快心の一撃だ。
心の中でガッツポーズを決める。
「調べさせて頂いたわ、貴女の事、全部」
「ひ、卑怯者!(汗)」
曄が顔を上げて言った、精一杯の、そして最後の抵抗。
「あら、聞き捨てならないわね、その言葉。 誰に向かって言ってるのかしら。
言い忘れてましたけど、わたくし、おしゃべりが大好きですのよ」
「もう・・・、許して・・・」
「フフフフ、やっぱり、明月には知られたくないのね」
「・・・・・(汗)」
「貴女がいけないんですのよ、わたくしの明月に手を出したりするから。
わたくしを敵に回すとどうなるか、その身を以て思い知りなさい!」
「なにが・・・、望みなの」
それを聞いて澪菜は確信した。
勝った!
「わたくしの前に跪きなさい。
そして誓いなさい。 今後一切、二度とわたくしに逆らいませんと」
「くっ・・・・(汗)」
「なんなら、もう一度、貴女が味わった地獄を再現して見せてあげてもいいのよ。
わたくしが陰陽師である事を忘れない事ね。
妖怪を使役出来ない殄魔師とは違うのだという事を」
その言葉の意味するものは、曄にとってはあまりにも残酷なものだった。
曄は打ち拉がれた。
最も恐れていた事が現実になってしまったのだ。
澪菜に、あのおぞましく忌まわしい過去の全てを知られてしまった。
まるで、奈落の底に突き落とされたような心境だった。
時計が逆回転する・・・。
地獄の再来。
また再び、あの悪夢のような日々が繰り返されるのかと思うと、恐怖のあまりすぐにその場から逃げ出したい気持ちで
いっぱいになったが、手足が震え体が竦んで力が入らない。
もはや、半狂乱になって叫び、喚き散らしたい程に自制心を失いかけていた。
何故、こうも曄の態度が急変してしまったのか、事情を知らない人には皆目理解出来ないだろうが、澪菜は違った。
澪菜はこの前日、以前執事の定芳に命じておいた、聖護院家の内情に関する調査の結果報告を受けていた。
その内容は、あれ程屈辱的な思いをさせられ、恨みにも似た感情を抱いていた澪菜を以てして同情を禁じ得ない程に、
悲惨で絶望的なものだった。
「そんなに悲しまなくてもいいのよ、曄。
わたくしだって、それ程薄情ではなくてよ、悪魔じゃないんだから。
貴女が大人しくわたくしの言う事を聞いている限り、決して誰にも話したりしないわ。
約束してもよくてよ」
「・・・・(泣)」
曄には、言葉を返す気力すらも残されてはいない。
「さあ、立ちなさい曄。
明月にそんな顔見られたくないでしょ」
明月が着いた時には、全ては終わっていた。
曄の完全なる敗北だった・・・。
第5話 続