↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/16

第2話 五月猫



 DISPELLERS(仮)


 02.第2話 五月猫



 「ホントに・・・、入れるの?」

 「大丈夫、俺に任せといて、じゃ、入れるよ」

 「う、うん・・・」

 「ほら、入った」

 「あ・・・」

 

 「あ、で、出るよ」

 「え? も、もう?」

 「あー、だめだ、出る、出る」

 「ち、ちょっと、ダメよ、そこで出しちゃだめ」

 「そ、そう言われても・・あ、出る」

 「ダメ、そこはダメーッ」

 「あ・・・出ちゃった」


 「んもー、だから言ったじゃない。 コーラにメントス入れると泡がいっぱい出るからって。

  おかげでカーペットがベチョベチョになっちゃったじゃないの、どうすんのよ!」


 なぁんて、夢から目覚めて、時計を見ると午前10時。

 (あ、メール来てる)

 曄からだった。

 −−駅前通 喫茶店「彩雲」 午後2時−−

 またしても、必要最低限の文字数である。

 この味気なさが、彼女らしいと言えばそうなのかも知れない。

 ゴールデンウィークの連休初日に、彼女から呼び出しを受けるとは、これは吉兆か凶兆かどっちだ?

 そういえば最近、よく夢の中に彼女が出てくるような気がする。

 しかもエロい夢の時だけ限定。

 (ほんとに泡がいっぱい出るのかな? 今度試してみよう)


 待ち合わせの時間に間に合うように家を出た明月は、道すがらあれこれと考えていた。

 曄からのメールはこれが二度目。

 あれからも、学校では相変わらず完全無視され続けている。

 すなわち、あの一件以来、彼女とは一度も話をしていない。

 だから、今朝の夢のような歪んで下卑た妄想だけが、身勝手に増幅されて頭の中をグルグルする事になる訳だが。

 彼女については、分からない事だらけだし、聞いてみたい事は山ほどある。

 スリーサイズとか、好みの下着とか、寝る時の格好とか・・・、いや違う違う、何故、妖怪退治をやっているのか、

 そもそも聖護院家とはどんな家なのか、殄魔師とは何なのか、どうしてあの歳で一人暮らししているのか、妖気を

 吸うとエロくなるのは何故なのか、そしてなにより、瞳の色がオレンジ色に変わったのはどういう訳なのか、他にも

 まだまだ色々あるのだが、あの曄のことだから、どうせ聞いてもまともに答えてはくれないんだろう。

 自分が、そこまで彼女に信頼されているとは思えないし・・・。


 容姿は全くもって申し分ないのに、あの、人を寄せ付けない取っ付き難さはなんなんだろう。

 明月自身、自分はあまり社交的な人間ではないと自覚しているが、曄はそれ以上に非社交的に見える。

 内気な訳でもなさそうだし、厭人家とでも言えば言い過ぎになるのだろうか。

 実際、明月のクラスの男子生徒の間で、「隣りのクラスのかわいい子」と言えば彼女の事だし、入学してまだ一ヶ月

 しか経っていないのに、上級生も含めて既に数人の男子が彼女に告白したという噂も聞いた。

 あの、無愛想でぶっきらぼうな彼女に、告白なんかする男がいたのか!

 案の定、その全てが告ったその場で撃沈、瞬殺だったという。

 そのせいなのか、或いは普段の態度のせいなのか、彼女はどうも男嫌いらしい、というのが男子生徒の間では通説に

 なってしまっている。

 確かにそういう節はあるものの、果たして単純にそう決めつけてしまうのもいかがなものだろう。

 彼女は、学校でもそれほど目立つ存在とは言えない、むしろ控えめな感じさえする。

 常に1人で、誰とも話さず、ベチャクチャ喧しい他の女子生徒とは一線を引いている印象がある。

 そして、その攻撃的とでも言うべき眼差しは、近付くな、話しかけるな、というオーラをあからさまに周囲に向かって

 発散している。

 それでも、あの顔と乳は魅力的だ。

 目敏い男子生徒の目に留まったとしても、なんの不思議もないな。

 そう思いながらも、明月は、それだけではない何か、他の誰も知らない何か、曄という少女が本来持っている、心の

 中に閉ざしている何かを、あの日感じていたような気がしていた。



 ☆



 時間より早く、待ち合わせの喫茶店に着いた。

 中に入って店内を見渡すと、一番奥の窓際のボックスでテーブルに肘をつき、手に顎を乗せて、あの仏頂面で所在

 なさげに外の風景を眺めている曄がいた。

 「遅いわね」

 第一声がこれだ。

 しかも、思いっきり人を蔑むような目つきで睨んでくる。

 「まだ2時じゃねーよ」

 「バカね、あなたより先に依頼人が来たらどうすんのよ」

 だったら、依頼人の待ち合わせより早い時間に呼び出せばいい、と言おうと思ったが、なんか機嫌が悪そうだ。

 ある意味、いつもと変わらないのだが。

 でも、これだけは聞きたい。

 「あのさ、なんで制服着てんの? 学校行てったのか?」

 「休みなのに学校行って何するのよ、行く訳ないでしょ」

 と言い放った後、こう説明した。

 「私服で、こんなの持ち歩いてたら怪しまれるでしょ」

 そう言う彼女の座席の横には、あの唐草模様の袋に包まれた竹光があった。

 (あ、なるほどね、そういうことか)

 確かに、制服を着ていれば、街で竹刀袋を持ち歩いていても、私服の時ほど不審がられる事はない。

 出来れば曄の私服姿も見てみたかったが、制服のミニスカートでの生足ドッカーンはやっぱり破壊力が違うなぁ。

 (そういえばウチの学校、スカートの長さって校則にあったっけ?

  曄ちゃんのはヒザ上何センチだ? っつかこの子の場合、股下何センチで測れ!)


 話が途切れた。

 お互い、目を合わせることもなく、無言の時間が続く。

 曄は相変わらず、テーブルに肘を乗せたまま、窓の外を見ている。

 明月は、こうして面と向かって彼女と話すのはあの日以来の事なので、少し緊張していたせいもあり、何を話そうか

 悩んでいた。

 せっかく彼女と一緒にいるんだから、聞きたい事を聞いてみようか。

 しかし、いきなりスリーサイズなんか聞いたら、ぶっ飛ばされるのは目に見えている。

 何か、適当な話題はないものか・・・。

 「そうそう、今日はどんな依頼なんだ?」

 「依頼人が来れば分かるわ」

 「あ、そう・・・」


 また、話が途切れた。

 曄は時々、メールのチェックでもしているのか、携帯電話を開いて、画面を眺めてはまた閉じるのを繰り返している。

 (この子にメールする友達なんかいるのか?)

 なにか話をしなければ、でも何を話せばいいんだろう。

 (曄ちゃん、なんかしゃべってくんないかなぁ・・・

  聞きたいことがいっぱいあったはずなのに、スリーサイズしか浮かんで来ねぇ

  初めて会った時は、なんにも考えなくてもベラベラしゃべれたのに・・・)

 そのうち、面倒臭くなってきた。

 (まぁ、いいか  どうせ俺は無口だし、今さら取り繕っても始まらない)

 無言のまま、時間だけが過ぎていく。

 以外なことに、不思議と居心地の悪さとか、手持ちぶさたとか、気まずい雰囲気は感じなかった。

 明月はただ、目の前にいる曄を見つめていた。


 依頼人が来たのは、午後2時を少し過ぎた時だった。



 ☆



 依頼人は中佳なかよし とも

 隣町の女子校に通う高校1年生。

 その依頼内容は、彼女自身の身に起こった事だった。


 智は中学3年生の時、誕生日のプレゼントとして、両親から1匹の猫を買ってもらった。

 大いに喜び、コタローと名付けて大切に飼っていたのに、今年の4月、高校に入学した直後に突然死んでしまった。

 死因は不明。

 そして、その猫の死と前後して、彼女の身に不思議な出来事が起こり始めた。

 例えば、夜、自分の部屋で1人で机に向かって勉強していると、背中に視線を感じる。

 だが、振り返ってみても誰もいない。

 或いは、窓の外に何かの気配を感じたり、物音が聞こえたような気がして怖くて堪らなくなる。

 もちろん、それは一度や二度の話ではない。

 ひどい時には何日も連続で、とか、一晩に何度も起こる事さえある。

 そんな時は、父親を呼んで調べてもらうのだが、何も変わったところはない。

 ストーカーや変質者の可能性を考えた父親は、真剣に警察への相談を検討した。


 不思議な現象はそれだけに止まらない。

 ある日の朝、通学途中にスニーカーの紐が解けて、結び直したせいでバスを1本乗り過ごしてしまったら、そのバスが

 交通事故に遭い、多数の負傷者を出した事があった。

 別の日には、街を歩いている時、突然誰かに背中を突き飛ばされて、よろけたところへ車が突っ込んで来て、間一髪

 で難を逃れた、という経験もある。

 ただし、その時難を逃れたといっても、それは彼女自身が自発的に回避したという訳ではなく、この時も誰かに振り

 回された感じがしたと言う。

 しかし、彼女の周囲には、突き飛ばす人も振り回す人も存在しなかった。


 偶然だ、偶然の積み重ねに過ぎない、これを偶然と呼ばずして何と呼ぶ。

 明月や曄をはじめ、この話を聞いた誰もがそう思うはずである。

 次の話を聞くまでは・・・。


 その日の学校の帰り道、彼女は道端にいる1匹の子猫を見つけた。

 毛色も体格も、死んだはずのコタローにそっくりな子猫を見て、嬉しくなった彼女は思わず近づいてみる。

 すると、その子猫はスタスタと小走りで細い脇道へ入って行った。

 後を追って行って、気付いたら、見覚えのない宅地裏の雑木林の中に入り込んでしまっていた。

 そこでいきなり、背後から黒い影のようなものに、上から覆い被さるように襲われて、気を失った。

 目が覚めた時には、辺りはすっかり薄暗くなっていて、子猫の姿もなくなっていた。

 その時のことで憶えているのは、倒れていた側に、小さな祠があった事と、黒い影に襲われた時に何処からか聞こえて

 きた言葉、「お前は俺のものだ」。

 これがそもそもの発端で、この一件以降、上記のような現象が頻発するようになったと言うのだ。


 これを聞いた明月は、神妙な面持ちで考え込んだ。

 これは、やばい事になるかも知れない。

 ただの変質者の犯行であるならば、警察に任せれば済むのだから、それに越した事はないのだが、明らかに変質者の

 仕業だと断言出来るに足る確証がない以上、警察は動かないだろう。

 彼女もその親も、それらしき人影を一切見ていないし、今のところは実害もない。

 その一方で、霊障、妖怪の関与を疑わせる要素もある。

 もしそうだとすると、これは一筋縄では行かないな、という予感がする。

 明月は、真面目に自分の父親への相談も考えたが、誰かが妖怪に取り憑かれた訳ではない。

 妖怪のせいだと断定する根拠もない。

 まずは、何のせいなのかを突き止める事から始めなければならない。



 ☆



 明月と曄は、智と共に彼女の自宅へ向かった。

 智は何故、ゴールデンウィークのこのタイミングで依頼をしてきたのか。

 それは、同じ職場で働く彼女の両親が、この連休を利用した社員旅行に出掛けてしまうからだった。

 つまり、今日から数日の間、兄弟のいない彼女は、家に1人きりになってしまうのである。

 学校の友達を呼んで泊まってもらう事も考えたが、もし、その友達にも危害が及ぶような事態になったら、それこそ

 取り返しがつかない。

 当初、両親はこの件に鑑みて、旅行への参加を取り止めようとしたけれども、彼女はそれを望まなかった。

 せっかくの旅行なんだから、あたしの事は気にしないで行ってきて、と。

 そこで、父親は警察に相談して夜間のパトロールをしてくれるように頼み、母親も隣近所に警戒を呼び掛けて、一応は

 安心して旅行に出掛けて行った。

 だが智は、変質者の仕業ではないと考えていたので、ここは専門家に頼るしかないと思い、友達の薦めもあって、曄の

 携帯ブログに書き込みしてきたという訳だ。

 (へぇ〜、曄ちゃん、携帯ブログ持ってたんだ 

  前から、どうやって依頼を受けるのか気になってたけど、どうりで

  でも、どんな内容なんだろ)


 智の家に着いた明月と曄は、1人で留守番をする彼女とそのまま夜まで過ごし、翌朝まで監視する事にした。

 「あたしは智さんと1階の客間で寝るから、あなたは彼女の部屋で朝まで見張ってて。

  いいわね、部屋の中のものには絶っ対、なんにも触っちゃダメよ! 何一つ!」

 「なに?」

 (なんだそれ、どーいう意味だ? この俺が何するってんだ、人の部屋で

  この俺が下着漁りなんかするとでも思ってんのか! この俺が!

  って言うかちょっと待ておい、俺が見張りでお前等は寝る? なんだよそれ!

  なんか腹立ってきた・・・ やっちゃお、下着漁りやっちゃお、絶対やっちゃお!)

 これは、この家で不思議な現象が起こるのは智の部屋だけに限られているため、彼女を別の部屋で寝かせたらどう

 なるのかを確認するために曄が考えた措置だった訳だが、結局その夜は何事もなく明けた。

 明月がその夜、智の部屋で何かをしたかは、ここでは触れないことにしよう。


 翌日、夜に再び訪問することを智に告げ、明月と曄は家を出た。

 「ちょっと、ついて来て」

 「あん? どこへ?」

 「昨日の話にあった、雑木林を探すのよ」

 智は、その雑木林は見覚えがないと言っていた。

 帰宅途中に紛れ込んだとなると、そんなに遠くではないはず・・・・、異次元じゃなければ。

 妖怪の中には、人に幻覚を見せるやつもいるにはいる。

 だが、仮に幻覚を見せられたとして、命も取られず、身包みも剥がされずに五体満足でいられるのは解せない。

 その種の妖怪は、ほぼ例外なく邪悪なものか、人に害を為すものだからだ。

 もし今回の件がその手の妖怪の仕業だとしたら、どうやって対処すればいい?

 皆目見当がつかない。

 はっきり言って専門外だ。

 いよいよもって、やばくなってきた。


 幸いにも、雑木林は実在した。

 智が普段通学で使う道から、7、8分程度逸れた住宅地の外れに、ひっそりと、荒れ果てた雑木林があった。

 手入れもされておらず、道もなく、枯れ草と枯れ枝と枯れ葉で覆われた地面は、人の出入りがまるで無い事を如実に

 示している。

 すぐ近くに住宅地があるのに、ここだけが、古い時代にタイムスリップしたかのように周囲から隔絶されていた。

 こんな所に、智は小さな祠があったと言っていた。

 2人は、雑木林の中をうろうろしてみるが、祠など何処にも見当たらない。

 恐らく、智はそこら辺に転がっている苔生した石を、祠と見間違っただけなのではないだろうか。

 曄が真面目にあちこち探している一方で、明月はその辺の石に腰掛けて、その曄を目で追い、短いスカートの端から

 チラチラ見えるパンツの観賞に余念がない。

 始めからそのつもりではなかったはずなのに、チラチラされるとつい目を奪われる。

 チラリズム恐るべし。

 「ちょっとあなた! ちゃんと探してんの?」

 「無駄だよ、探してもなんにもねぇよ」

 「でもあの子は、確かに祠があったって言ったのよ。 ねぇ、何か感じるとか見えるとかない?」

 「なんも・・・、俺に見えるのは白と水色の横縞だけだな」

 「あんた・・・!、見たわね!(赤面)」

 慌ててスカートを押さえて、曄は明月を睨みつけた。

 (やべ! 口が滑った!)

 「ち、ちょっと待て、ここには何にもねーよ。 妖気も何にも感じねーし・・・(汗)」

 「本当でしょうね!」

 「ホントだって(汗)」


 2人は、何の手懸かりも掴めぬまま雑木林を後にした。

 曄のパンツを覗くために明月が腰掛けていた石が、祠の成れの果てだとも気付かずに。



 ☆



 そして2日目の夜。

 この日は、智は普通に自室で眠り、明月と曄はその部屋の外の廊下で様子を窺うことにした。

 智の部屋から持ち出した、小さなテーブルライトの淡く、やわらかいオレンジ色の光の中で2人きりでいると、廊下

 とはいえ雰囲気だけは十分にある。

 だが、その時の明月に、それを楽しむ心の余裕はなかった。

 明月は無言のまま、考え耽っていた。

 「なに考えてんの? またいやらしいこと?」

 「違うよ、なんでだよ」

 「だって、いっつもそんな真面目な顔して、Hな事ばっかり考えてるから」

 「あのね・・。 これがもし、猫の妖怪の仕業だとしたら、やばいと思ってね」

 「なんで?」

 「知ってるだろ、動物が妖怪化したヤツは妖力が強いって。

  プロでも難儀するって言うじゃないか。 俺達の手に負えるかどうか」

 「なぁんだ、そんなこと」

 「は?」

 「あたしにとっては、その方が都合がいいわ」

 「はぁ?」

 「だって、実体化してる方が斬り易いじゃない? ボワーンとした影みたいなのより、ずっとましだわ」

 (すげー自信家だな、それとも過去に退治した実績でもあるのか、単に知らないのか

  でも、この子の言葉にも一理ある。 ここは開き直って信じてみるか)

 そう思うと、少し気分が晴れた。

 確かに、曄の殄魔師としての実力は未知数だ。

 それでも、自信に満ちた彼女の顔を見ていると、どこか安心する。


 その後、無言の時間が続いていた。

 物音一つしない、シーンと静まり返った廊下。

 突然、曄がクスクスッと吹き出した。

 「フフフフ・・・」

 (な、なんだいきなり!)

 びっくりする明月をチラッと見た曄。

 「変な人だね、明月は」

 「はん?」

 気のない返事をしながら、明月は内心ドキッとしていた。

 それは、曄が初めて明月のことを名前で、しかも呼び捨てで呼んだからだった。

 厳密には二度目なのだが、そんな事はこの際どうでも良かった。

 ちよっと照れくさくて、むず痒いような、それでいて嬉しいような、一言では言い表せない不思議な感覚に囚われた。

 そんな中でも、2人の仲が一気に急接近したような親近感だけは、確実に感じていた。

 曄は、そんな明月の心理などお構いなしに話しかける。

 「ねぇ、この前朝帰りして、家の人に何か言われた?」

 (いきなり笑ったかと思えば、藪から棒に何言い出すんだこの人は  これだから女の子は分からん)

 「あ? あぁ・・、いいや、ウチは放任だから、親父は特になんにも言わなかったな」

 「お母さんは?」

 「母ちゃんはいないよ」

 「いない?」

 「俺が、小学校の・・・2年だったかな、家を出て行った。 それっきりだよ」

 「離婚したの?」

 「親父は自分のせいだと言ってた。 自分があんまり稼がないからだって。

  そして、その商売のせいだとも言ったな、親父の持ってる力が不気味なんだとかなんとか。

  だから俺も置いて行かれた」

 「そう・・・」

 「でも、今にして思えば、ただ単に余所に男が出来ただけだって分かったよ。

  その証拠に、出てってから一度も顔を見せに来た例しがないんだからな」

 (あれれ? 何しゃべってんだろ、俺  こんなの今まで誰にも話したことねーのに

  曄ちゃんだと何でも話せちまう なんでだろ)


 「・・・ごめん、変なこと聞いちゃったかな」

 「別に、なんとも思ってないよ」

 「あっさりしてんのね」

 「そうかい?」

 「だって、そんな特別な力がなかったら、あなただってお母さんと一緒に暮らせたかも知れないのに」

 「そうかもね。 そう思った時期もあったのは確かだけど、今はそうでもない」

 「どうして? 出来れば力は使いたくないって言ってたでしょ?」

 「言ったよ、でも母ちゃんにその気があったら、力があろうがなかろうが、始めっから連れてってくれたさ。

  それがないってことは、ただの言い訳かこじつけだよ」

 「嫌いなの? お母さんのこと」

 「そりゃあね、おかげで掃除当番とか洗濯当番ばっかりだし」

 「ふーん、苦労してんのね。

  じゃあ、あなたの力は小さい頃から使ってたの?」

 「意識して使えるようになったのは、10歳過ぎてからかな。

  ガキん時は、時々親父に言われて、寺に来る爺さん婆さんの肩や背中を摩るだけで、気が晴れたとか軽くなったとか

  言われるんで、肩凝りを治す力なんだと思ってたよ」

 「でも今は使いたくないんでしょ、あたしには理解出来ないけど」

 「理解してくれなんて言わないさ、ただ使いたくないんだ」

 「せっかくキス出来るのに?」

 「それとこれとは別の話だよ、誰にでもするんじゃないって言ったろ」

 「じゃあ、なんであたしにはキスしたのよ」

 「言わなかったっけ? 河童の邪気は根が深いって言うか、しつこいって。 なかなか取れないんだよ。

  だから、一番効果の強い方法で祓わなきゃならなかったんだ。

  それでも、俺の力じゃ完璧じゃないから、まだ残ってるかもよ」

 「そんなこと言って、またあたしにキスする気でしょ」

 「へへ、曄ちゃんがいいって言うならいつでも」

 「言いません! って言うか、今度やったらぶん殴るわよ」

 「おっかねー」


 明月は、自分でも驚く程よくしゃべった。

 他の人ならば、適当に言葉をはぐらかしたりして、面倒臭い説明なんかする気にもならないのに。

 曄が妖怪に対して自分と同じような感受性を持っているから、同類視しているのかも知れない。

 ただし、明月が言った、曄に口づけした理由は明らかな詭弁である。

 河童の邪気は強力で、完全に祓除するにはそれなりの段階を経て祓うのが通例であるのは事実だが、あの時明月は、

 彼女が苦しんでいたのは河童の邪気のせいだという事に気付く前に口づけをしていた。

 それは、明月が曄のような可愛い女の子に口づけしたいという、単純な欲望から来たものであり、言うなれば役得、

 この時とばかりに煩悩に走った、完全にどさくさ紛れの行為だった。

 結果として功を奏した訳だが、明月の能力は、本人が自覚しているより遙かに強力なものである事も事実だ。


 「やっぱり変な人ね、あなた」

 (なに言ってんだ、あんただって同類だろ)

 明月は、変な人と呼ばれることには慣れている。

 と言うか、褒め言葉として受け取るよう心がけている。

 子供の頃から、自分には見えたり感じたりする妖怪の姿や気配が、他の人には分からないことが多々あったからだ。

 そういう人達から見れば、明月はやはり変な人だし、変わり者扱いされたり、敬遠されるのも致し方ない。

 しかし、同じ感性を持っている曄にそう言われるのは、ちょっと心外というか、残念な気もする。

 「あなた、友達いないでしょ」

 (女って、なんでこう、不躾なんだ)

 「そうだな・・・、いないな」

 「淋しくないの? 1人で」

 「なんか、人付き合いが苦手でね・・・、しゃべるのめんどくせーし」

 「変なの」

 「そうか?」

 「昨日ね、智さんに聞かれたのよ、色々と」

 「へー、色々って何?」

 「だから、色々よ。 でも、なにも答えられなかったわ、知らないから。

  考えたらあたし達、お互いの事なんにも知らないんだなって思って」


 曄は、前日の夜、客間で智と一緒にいた時、智から様々な質問を受けていた。

 非日常的な不可思議現象や妖怪の事、曄が行う妖怪退治の事などと共に、もちろん明月の事も聞かれた。

 その時曄は、明月に関しては、例の能力とスケベな男という事以外、何も知らないのだと初めて気が付いた。

 彼女にとって、明月は仕事上の助っ人、アシスタントのような存在としか思っておらず、相棒とも思っていない。

 それ故に、あの特殊な能力以外の事には全く関心がなかった。

 であるからして、友達になりたいと思った事もなければ、ましてや恋愛の対象になどなろうはずもなく、完全に対象外

 だった。

 だが、質問されて、改めて考えてみれば不思議な男でもある。

 明月が自分に好意を抱いているのは、なんとなく気が付いている。

 なのに、何も聞こうとしない。

 今まで、彼女に言い寄ってきた男は例外なく皆、どうでもいいような下らない質問ばかりしてきた。

 好きな食べ物、嫌いな食べ物に始まり、趣味、音楽、映画、スポーツ、テレビ、芸能人、ゲーム、初恋や恋愛経験、

 果ては生年月日や血液型、動物まで、いちいち答えるのもばからしくなるようなものばかり。

 彼女は、その手の話題に積極的に食い付く程の知識もないし、第一、あまり興味がない。

 明月はそんな話題は一言も口にしない。

 それどころか、放っておけばいつまでも、何も話さないのだ。

 携帯の番号もメアドも教えているのに、彼の方からは一度たりとも連絡をしてきた事がない。

 常に人と距離を置きたがる自分に対して、怖じ気づいて話せない人もいるだろうが、そんなに小心者とも思えないし、

 それほど緊張している風でもない。

 人見知りなのはお互い様としても、むしろ落ち着いていてマイペースというか、のほほんとしている。

 こっちから聞けばそれなりに話すのに、彼の方から質問したり、話しかけたりする事は驚く程少ない。

 にも関わらず、不快でもなければ違和感もない。

 曄は、こんな男を見た事がない。

 分かっているのは、気が付けばいつも、自分のお尻や太股辺りをジロジロ見ている、とにかくスケベな男だという事。

 本来であれば、彼女が最も嫌うタイプの男であるはずだし、他の女子から見ても、こんな無口で何を考えているのか

 分からない不気味な男は、出来れば近寄りたくないと思うはずだ。

 彼女が、明月を変な人と言ったのはそんな理由からだが、それは、彼の持つ能力以外の部分に興味が湧いてきた証拠

 でもある。

 ただ、名前で呼んだのは、親近感の表れなのか、或いは主従関係をはっきりさせたいだけなのか・・・、

 それは本人のみぞ知る。


 そうこうしていると、やっとと言うか遂に、智の部屋で変化があった。

 微かな妖気を感じた明月の目つきが変わる。

 声を殺して静かに言う。

 「来たな」

 「妖怪なの?」

 「たぶんね・・・」

 狭い廊下が、一気に緊迫した空気に包まれた。



 ☆



 曄は、静かに部屋のドアを少し開け、そっと覗き込む。

 するとまたしても、曄のお尻を包み込んでいる、まぁるい曲線に沿ってしなやかに波打つ縞々のラインが、無防備にも

 ドーンと明月の目に大写しで飛び込んでくる。

 (き、今日はピンクのしましま・・・・、は、は、鼻血出そー・・・)

 曄が部屋の中の様子を窺うと、智が眠っているベッドの布団の上、ちょうど智のお腹の上あたりのところに、一匹の

 猫がちょこんと座っているのが見えた。

 猫は、じっとして動かず、ただ眠っている智の顔を見つめている。

 部屋の窓は閉まっているし、ドアの側には明月と曄がいた。

 猫が出入りする所など何処にもない。

 間違いない、妖怪だ!

 やっぱり猫の妖怪の仕業だったのか!

 曄は、ドアをバンッと開けると、竹光を構えて一気に突入する。

 しかし、明月はその直前に、普通とは違う、なにか異様な妖気を感じ、直感した。

 慌てた彼は、彼女を止めようと半身の姿勢のまま乗り出すように一心に手を伸ばす。

 「待って曄ちゃん! 待つんだ!」

 ところが、明月の伸ばした手は、あろうことか曄の短いスカートがひらめくその下の縞々パンツを掴んでしまい、

 そのままズルッと引っぱり下げてしまった!

 「キャーーーーーッ!!」

 一瞬にして膝までずり落ちるパンツ! 剥き出しになる下半身!

 力の抜けた竹光は虚しく空を切り、猫はスッと蒸発するように姿を消した。

 すぐに振り返った曄は、死に物狂いでスカートを押さえつつ、今度は自分に最大級の恥辱を与えた明月にその鉾先を

 向けて、力いっぱい竹光を打ちつけた。

 「なにすんのよ! ばかっ! スケベッ! ド変態! おたんこなすっ! 死ねー!(赤面)」 バシバシバジハシ

 「いてっ! いてっ! ま、待って、曄ちゃん、話を・・・って言うか、まずパンツ穿け」

 「んもーっ、やだぁーーーっ!」 バシバシバシ

 「ちょっと、落ち着けって!」

 明月は、やっとのことでパニクる曄の竹光を手で受け止めた。

 「最っ低ーっ!!」

 耳まで真っ赤にして、明月を罵倒する曄。

 その目は涙で潤んでいた。 まあ、当然と言えば当然。

 「ご、ごめん!、わ、悪かった・・・、今のは俺が悪かった、誤るよ。

  でも聞いてくれ、曄ちゃん。

  これは、あの猫のせいじゃないんだ」

 「何がよ!」

 「あの猫は、何も悪さはしてないよ。 って言うか、守ってたんだ、智さんを」

 「守ってた!? なに言ってんのあんた、意味分かんない!」

 明月は、曄が冷静になるように、敢えてゆっくり、落ち着いた口調で話した。

 「部屋に入る直前に気付いたんだ。

  あの時、ここには二つの妖気があった。

  一つはあの猫のものだけど、もう一つ、窓の外から漂って来てたんだ」

 「え? どういうこと?」

 曄がようやく冷静さを取り戻しかけたその時、明月の鼻からツーっと一筋の血が・・・ガンッ(曄の鉄拳)。

 「絶ーっ対、許さないっ!(怒)」

 「ち、違う! 誤解だ、これはあんたがブッ叩くから(汗)」


 曄の悲鳴にびっくりして目を覚ました智は、ポカンと口を開け、唖然とした表情で目の前の2人を眺めていた。

 智は、何が何だかさっぱり分からず、彼女の目には痴話喧嘩と映ったことだろう。

 もちろん、当の本人達にそんな意識はこれっぽっちもあるはずがない。

 そうは言うものの、曄は、明月の言葉が気になって仕方がない。

 二つの妖気、部屋には猫の妖怪しかおらず、自分には全く気がつかなかった。

 「で、その二つの妖気がどうしたって?」

 「多分、あの猫は、智さんに邪気の害が及ぶのを阻止しようとしてたんじゃないかと思う」

 「なんでそんなことが分かるのよ」

 「あの猫からは邪気は感じなかったよ。 邪悪なのは部屋の外からのものだ。

  猫の妖気は智さんを包み込むような感じで・・・、結界みたいなもんかな、その邪気から守ってるみたいだった」

 それを聞いた曄の態度が一変した。

 「ありえない!」

 急激に語気を荒げる。

 「妖怪なんて、みんな悪いものに決まってるじゃない!

  妖怪は、人に害を為す邪悪な生き物なのよ、人を助けるなんて絶対にない!」

 その口ぶりからして、頭に血が上って未だ興奮冷めやらず、という訳ではなさそうだ。

 「そうかなぁ、俺はそうは思わないけど。

  妖怪だって人間と同じだよ、悪いヤツもいればいいヤツもいる。

  騒がしいのがいれば、大人しいのもいるし。

  確かに、人を殺すような恐ろしいのはいっぱいいるけど、ただ驚かすだけの無害なものだっているんだぜ」

 「あなた・・、なんにも知らないのね・・・・」

 その顔は強張り、目は血走ってはいないまでも、強い感情を滲ませている。

 「なにも知らないくせに、偉そうに言わないでよ!

  あたしはそんな妖怪見たことないわ!

  あたしが知ってるのは、不気味で、気持ち悪くて、怖くて、邪悪で、力が強くて、執念深いケダモノよ!

  仇なすもの、忌むべきもの、滅すべきもの、鏖すべきものなのよ!」

 曄は相当に妖怪を毛嫌いしている、と言うか憎悪しているのがよく分かった。

 ただ、どうしてそこまで嫌悪するのかが分からない。

 「その妖怪のせいで、あたしがどんな目に遭ったか、どんな思いをしてきたか、知りもしないくせに・・・」

 ふと、思い詰めたような、悲しそうな顔を見せた曄。

 明月は、こんな曄の表情を見るのは初めてだった。

 余程、辛い思いをしてきたのだろう。

 しかしながら、明月自身にも思い当たる節はある。


 幼い頃から、妖怪の姿が見えたり、声が聞こえたりしていれば、そういう能力を持たない普通の人々にとっては奇異

 であり、不気味である。

 結果、気味悪がられたり怖がられたりして、いつしか周りから遠避けられたり、いじめの対象になったりもする。

 また、妖怪の方からも、なにかとちょっかいを出されたりして、煩わしい思いや怖い思い、危険な目に遭う事も

 しばしば起こった。

 だからといって、それが曄のように妖怪を憎むようにはならなかった。

 それは、そんな事が起こる度、父親に妖怪をよく見る、観察する事を教えられたからだった。

 言われた通りにして、妖怪を観察してみるようになると、それほど恐れる必要のない妖怪もいる事が分かってくる。

 人を驚かせたり怖がらせたりして、それを楽しんでいるだけの無害で無邪気なやつもいるのだ。

 もちろん、人を死に至らしめる凶悪なものも沢山いるので、注意しなければならず、軽はずみな行動は控えなければ

 ならないが、その見分けが確実に出来るようになれば、特段気に病む必要もないのだ。


 曄がどんな経験をしてきたのか、具体的には知る由もないし、知りたくないと言えば嘘になる。

 しかし、今はそんな身の上話を聞いている時ではない。

 智に、某か邪悪な影が接近していたのは間違いないのだ。

 それが何なのかを突き止めるのが、最優先されなければならない。



 ☆



 部屋の中が落ち着きを取り戻してきた。

 「ところで智さん、最近なんか変わった事はなかったかな?」

 「え? 変わった事ですか?」

 明月に質問された智は戸惑った。

 深夜に突如まき起こった痴話喧嘩を見せられて、彼女はまだ頭の整理が出来てない上に、依頼の時に話した事をもう

 一度聞かれたところで、答える事は同じはずなのに。

 「不思議な事は前に聞いたけど、不思議じゃない事って言うか、まあ、ありがちな事でいいから、猫を飼い始めた頃

  から今までで、身の回りで起こった事とか、自分自身の変化とか、なんでもいいんだ」

 「そう・・言われても・・・」

 困った顔をする智。

 「例えば・・・、疲れやすくなったとか、病気したとか、寝付きが悪くなったとか、怖い夢を見たとか」

 「いえ・・・、別に」

 「食べ物の好き嫌いが変わったとか、色の好みが変わったとか、生活のリズムが変わったとか・・・」

 「いえ、特になにも・・・」

 「うーん・・・、じゃあ、新しい友達が出来たとか、誰かと喧嘩したとか」

 「ともだち・・・ですか・・・」

 智は、はたと何かを思い出したが、話していいものかどうか躊躇している様子だった。

 中学卒業から高校入学と、ちょうど友人関係に変化が生じる時節と重なる時だけに、精神的に不安定になる人もいる。

 智本人やその友人達に、そんな人がいないとも限らない事を考えれば、これは的を射た質問だった。


 「新しい友達ではないんですが・・・」

 そう言って智は話し始めた。

 智には、中学生の時、仲良くしていた1人の男子がいた。

 友達よりは親密に、だがつき合うという程の仲でもなく、少なくとも智にはそういった認識はなかった。

 中3の春頃は、2人で同じ高校に行けたらいいね、などと語り合っていたのだが、将来調理師になりたいと思っている

 智は、結局、進路を決定する時、普通科しかない共学ではなく、家政科のある女子校を選んだ。

 それが元で2人は喧嘩して、次第に気まずくなって行った。

 両親からコタローをプレゼントされたのはちょうどその頃で、以降、その男子とは疎遠になったまま、卒業した今と

 なっては、全く会う事もなく連絡も取り合っていないため、どうしているのか分からないと言う。


 「それが邪気と何の関係があるのよ!」

 曄がまたへそを曲げている。

 その理由は、自分の事は何も聞かないのに、智の事は色々と尋ね、真剣にその話を聞く明月の態度が面白くなかった

 からに他ならない。

 もちろん、明月は邪気の正体を知るために、そのヒントを探して聞いた訳で、決して智に個人的興味があった訳では

 ないし、曄もそれは承知しているはずにも関わらず。

 世間ではそれを嫉妬と言うが、曄自身にその自覚はなく、理由も分からずにただムシャクシャする感じを覚えていた。

 明月は、そんな曄の乙女心に気が付けるほど繊細ではなかった。

 「関係あるかどうかは分からない、でもなんか引っ掛かるものはあるね。 調べてみる価値はあると思うよ」



 ☆



 翌日、中学の卒業名簿から住所を調べて、明月と曄はその男子生徒の家を訪れてみた。

 家にいたのは祖母が1人。

 少年は、現在病気で入院中なのだそうで、両親は飲食店の経営をしているため、祝祭日でも家にはいない。

 中学時代の知り合いだと言うと、祖母は快く迎え入れてくれ、終日1人で留守番をしていて余程退屈だったのだろう、

 次から次へとお茶菓子を出してきては、色々な話を聞かせてくれた。

 少年の病気は原因不明で、中学を卒業する頃から徐々に疲れやすくなり、体力が衰えていったと言う。

 そのため現在は、検査入院の形を取って原因を探りつつ治療を試みている、といった非常に興味深いものから、両親

 の経営する中華料理店で使っているラー油は自家製という、はっきり言ってどうでもいいものまで、それこそ色々と。

 2人は、あれこれと理由をつけて、その少年の部屋を見せてくれるよう頼んで、案内してもらった。


 部屋に入るなり、2人はその中に立ち籠める異様な気配を感じた。

 閉め切った部屋の中は、むせ返るように湿気を帯びており、その澱んだ空気は微かな妖気を含んでいる。

 部屋中を見渡してその出所を探ると、それはすぐに2人の目に留まった。

 それは、机の横の本棚の上にある、古い、くたびれた円鏡だった。

 古鏡は、直径12〜3センチで、裏面にはなにかの模様が刻まれており、鏡面はくすんでいる上にヒビ割れている。

 ゲーム雑誌にマンガ、壁にはサッカー選手やグラビアアイドルのポスター、雑然として統一感のないインテリアだが、

 そんな中でもその古鏡だけが明らかに浮いている。

 骨董品の趣味があるようには見えない。

 曄が尋ねると、祖母はそんな鏡は見たことがない、ある事すら知らなかったと言う。


 人の気配を感じたからなのか、その鏡から滲み出る妖気が、少しずつではあるがその強さを増してきた。

 それを察した明月は、すぐに曄と祖母を部屋のドアまで下がらせた。

 曄の体質を考えれば、この程度の妖気といえども、吸い続ければまたエロくなってしまうに違いない。

 それはそれで構わないのだが、その後が面倒臭いので、ここは引き下がってもらった方がいい。

 明月は、手に気を集中させながら近付き、そっとその鏡を手に取ってみる。

 すると、明月の気に負けた鏡の妖気が急に衰えて、鏡の中へ集束していくのが分かった。

 こうなれば、もう安心だ。

 明月がその能力で押さえ込んでいる間は、もうこの鏡は何も出来ない。

 そして、明月が何気なく鏡を眺めてみると、その鏡面に朧気な映像が浮かんできた。

 「ん?」

 「なに? どうかしたの?」

 「なにか見える」

 「え? ちょっと見せて」

 それは、明月のような、妖気に対して鋭敏な感覚を持つ者のみが見る事が可能な像であり、いわゆる思念である。

 「ぼんやりし過ぎてて・・・、なんだか分かんないわ」

 曄にはそれほどはっきりとは見えなかったが、明月には見えていた。

 そこには、少年の智に対する恋心、智の飼っていた猫に対する嫉妬心が、憎悪、そして怨みへと変わっていく様が

 映し出され、次いで、あの雑木林で、智が毀れかけた石の祠に躓いて転倒したところへ、祠から湧き出る煙のような

 黒い影が襲いかかり、それを猫が食い止めようと必死に戦う姿が現れてきた。

 全てはこの妖鏡の仕業だったのだ。

 少年がどうして、どこでこの鏡を手に入れたのかは、本人に聞いてみないと分からないが、この妖鏡が彼の弱い心に

 つけ込み、彼の望みを叶える代わりに、彼の精気を吸い取って力をつけていた。

 妖鏡は、少年の希望通りに猫を呪い殺し、智に猫の幻覚を見せて雑木林に誘い込み、祠を壊させ、そこに封印されて

 いた別の妖怪を解放して操り、智の命を狙ってその妖怪を嗾け続けていたという次第だった。

 これがこのまま続いていれば、いずれは智か少年のどちらか、或いはその両方の生命が奪われていただろう。


 曄は祖母に、この鏡は呪われていて、少年の病気も鏡のせいだと告げ、お祓いして処分すれば必ず病気は治るから、

 是非ともこの鏡を渡してくれないかと頼んだ。

 曄が呪われていると説明したのは、祖母にとってはその方が理解し易いと判断したからで、それは明月も同意見。

 祖母は、孫の病気が治るならと二つ返事で同意して、2人はその古鏡を持ち帰ることにした。



 ☆



 帰り道、明月から鏡を受け取って、あちこち眺める曄。

 「割っちゃうわよ、こんなの」

 「でも、もうヒビが入ってんだよ、割ったぐらいで妖力消えるかな」

 「じゃあどうすんのよ」

 「とりあえず、俺が持って帰るわ。 俺の力じゃダメかも知んないから、そん時は親父に頼んでみる」

 「じゃあ、猫の方はどうするの?」

 「あの猫なら心配いらないよ。 智さんを守ってんだから。

  鏡の呪いで殺されて、それでも尚、霊になってまで守り続けたんだ。

  よっぽど大切に飼われてたんだろうな。 猫がそんなに恩義に厚い生き物だとは知らなかった」

 「霊? 妖怪じゃないの?」

 「違うね。 よく守護霊って言うじゃないか、それだよ」

 「守護霊か・・・・」

 曄は、俯き加減で独り言のように小さい声で呟いた。

 「そんなのが、あたしにもいたら良かったのに・・・」

 この言葉を聞いた明月は、どう答えていいものか迷った。

 独り言にいちいち反応する必要はないとは思うのだが、どうも昨日の夜から彼女の様子が少し、いつもと違う。

 意味もなく怒ったかと思えば、すぐ感傷的というか、物憂げな表情を見せたりするようになった。

 こんな事は以前はなかった。

 前は、いつもキリッとした目つきで、相手を見下すような自信に満ちた態度で、ぶっきらぼうに話していたのに。

 どんな心境の変化がそうさせているのか、明月にはまるで理解出来ない。

 (女は分からんなぁ・・・

  おケツ見られたからかな?

  い、いかん・・・、思い出しただけで、また鼻血が出そう・・・)


 暫く歩いて、曄は、明月に鏡を手渡しながら横柄に言った。

 少しは以前の彼女に戻ったみたいだ。

 「でも、やっぱりバカよね、男って」

 「なにが」

 「だって、猫に嫉妬するなんてある? 考えらんないわ」

 「ちょうど、時期が重なっちゃったんだろ」

 「だからって、猫が死んだって、智さんと縒りが戻せる訳ないじゃない。

  そんな事も分からないなんて、やっぱりバカよ」

 「あー、確かにね・・・」

 (でも、人ってみんな、多かれ少なかれ同じように、思い通りにならない事があった時、それを他の人や物のせいに

  したりして八つ当たりしたり、恨んでみたりするもんだよな

  それで何が解決する訳でもないって、分かっていたとしても

  この子が妖怪を憎んでいるのも、八つ当たりなんだろうか・・・)

 また一つ、彼女に対する疑問が増えた。

 だが、事件はまだ解決していない。

 「問題は、あの黒い影だな」

 「影、ねぇ・・・」

 「曄ちゃんの竹光は、あんな影みたいな妖怪も斬れるのか?」

 「もちろんよ。 ただ・・、どこを斬ったらいいのか分かんないのよね。

  急所っていうか・・・、どこを斬っても死ぬ訳じゃないから」

 (死ぬ? 死ぬって事は、殺すって事か? 曄ちゃんの竹光は、妖怪を殺すための道具だったのか?)

 明月は、妖怪の邪気を祓う事は出来ても、妖怪を殺す事は出来ない。

 いや、殺す事など一度たりとも考えた事がない。

 それをサラッと言い切ってしまう曄は一体・・・・。

 この時、明月は初めて、殄魔師とは何なのかが垣間見えたような気がした。


 「また、智さんを狙ってくるのかな?」

 「そうだなぁ・・・」

 「だって、その黒い影は鏡に操られてたんでしょ」

 黒い影の妖怪は、あの妖鏡に封印を解いてもらった事で、妖鏡の支配を受けていた。

 その妖鏡が機能停止した今となっては、もはや誰にも従属せず、誰の命令にも従う必要はない。

 それでもまた、智を狙って襲ってくるのだろうか。

 「分かんねーけど、俺はまた来ると思う」

 「どうして?」

 「ただ・・・、なんとなくね」

 智が雑木林で黒い影に襲われた時に聞いた声、「お前は俺のものだ」の俺とは一体誰の事なのか。

 事の発端になった少年の気持ちが、妖怪を媒介にして聞こえてきたのかも知れないし、妖怪がそれを代弁したのかも

 知れないが、明月は、黒い影の妖怪そのものの声だという気がしてならなかった。

 だから再び現れる。

 理由は特にない、ただそんな気がする。


 「ところで、どうやって説明しよう」

 「なにが?」

 「智さんにだよ。 犯人が中学時代の友達だと知ったら、ショックは大きいよ」

 「そうね、でもしょうがないわよ、ありのまま言うしかないでしょ」

 「あれ、案外ドライだな、曄ちゃん」

 「なに言ってんの、嘘言ったって始まらないわ。

  智さんは、あたし達を信用して依頼してきたの。 その信用は裏切れないわ、例えどんな結果だとしても。

  一番辛いのは、嘘をつかれる事なのよ」

 そう言った曄は毅然としていた。

 元々、サバサバした性格っぽい曄ではあると思っていたが、ここまできっぱり言い切るとは意外だった。

 明月は、釈然としない気持ちを抱きつつも、黙ってそれに従った。

 とかく男は、物事を丸く収めるためにつく、ある程度の些細な嘘は致し方ない、許されると思っている。

 そしていつも、それが原因で女と喧嘩になる。

 女は往々にしてそれを許さない。

 明月はまだ、それが理解出来るほど大人ではない。


 2人は、各自一旦自宅に帰り、夜再び智の家に行く事にした。



 ☆



 智に事情を説明すると、やはりそれ相応の衝撃を受けていた。

 顔を手で覆い、泣きながらその場に座り込む姿が痛々しい。

 それでも、少なからず予期していたのか、比較的冷静に受け入れたようだったのが、せめてもの救いか。


 そして深夜がやって来る。

 この夜は、不安がる智のために、曄が付き添って部屋の中で見張り、明月が外の廊下で待機する形を取った。

 明月は1人廊下で、あの黒い影の妖怪にどう対処すれば良いものか考えていた。

 一番簡単な解決法はプロに任せてしまう事だ。

 術師を呼んで禊ぎをし、結界を張ってしまえば、妖怪は入って来られなくなる。

 しかし、それはあの猫の守護霊までをも排斥してしまう事にはならないか。

 それではあまりに無慈悲だ。

 そんな理由から、明月は、父親にもあまり詳しくは話さずに家を後にしていた。


 「やっと眠ったわ」

 曄がそっと部屋から出てきた。

 「あれ? いいのか? 付いてなくて」

 曄は、明月の横にペタンと腰を下ろすと、大きくため息をついた。

 「・・・疲れたわ・・・」

 「はん?」

 「大体、柄じゃないのよね・・・、人を慰めるなんて」

 「なるほど」

 (確かに、曄ちゃんの柄じゃないわな)

 「じゃあ、自分を慰めるのは得意なんだな(笑)」

 「なに言ってんの?、・・・・?、!!、バ、バカ! いやらしい!」

 「なに想像してんだ、俺は一言もそんな事言ってねーぞ」

 「う、うるさい、スケベ!(汗)」



 その後、2人の身に予期せぬ出来事が起こった。

 2人共、いつの間にか眠ってしまったのだ。

 何故、こんな事態に陥ってしまったのか。

 この2日間、夜通し不寝番をしてきたからではない。

 その分、昼間に十分に必要な睡眠と休養は取っていたので、疲労が原因とも考えられない。


 どの位の時間眠っていたのか、明月が気が付いた時は、既に廊下の狭い空間が夥しい邪気で充満してしまっていた。

 体が重い・・・、動かない、指一本動かす事すら出来ない・・・、金縛りか。

 瞼は少し動きそうだ。

 ゆっくりと目を開けると・・・、黒い影の妖怪が、横になって気を失っている曄の上に覆い被さっているのが見えた。

 どうやら、2人は気付かぬうちに妖怪の術中に嵌り、眠らされて邪気を吸わされてしまったようだ。

 妖怪は、周囲の暗闇に溶け込んでいてその全体像が掴めないが、人とも動物ともつかぬ顔をしていて、ちゃんと手の

 ようなものもある。

 その手が、ゆっくりと曄の着ている服に爪を引っかけて、むしり取る。

 曄の、あの立派な、乳房が露わになった! ボヨン

 それは、明月が想像していた通り、いやそれ以上の衝撃的光景だった。

 (うわ、すげぇおっぱい・・)

 衝撃はそこかっ!

 (まずい・・・、まずいぞこれは! その乳は俺が最初に・・・、って思ってたのに

  なんとかしなきゃ・・・

  って・・・、か、体が動かねぇ・・・、声も出ねぇ)

 明月は焦った。

 妖怪は智を狙っているのだから、てっきり部屋の窓から侵入して来るものとばかり思い込んでいた。

 廊下の方へ来るとは、考えもしていなかった。

 しかも、その妖怪が今まさに、長い舌で曄の顔を嘗め回しながら、あの立派な、乳房を貪り弄んでいるのだ!

 いまや曄はほぼ全裸状態、これが焦らずにいられるか!

 (おいっ! ちょっと待て! もっとよく見せろ! 手をどけろ、見えん! じゃねーな・・・

  落ち着け・・・、落ち着け、落ち着いて、深呼吸するんだ)

 明月は、自分の胸辺りに気を集中させつつ、ゆっくりと深く息を吸い、静かに吐いた。

 すると、体の中に吸い込んだ邪気が浄化されて、楽になっていくのが分かる。

 (いいぞ、指が動く)

 何度か繰り返して、自分の浄化能力をフル稼働させると、みるみるうちに体の自由が戻ってきた。


 「やめろ」

 その声を聞き、妖気で眠らせたはずの男が起き出した事を覚り、妖怪は驚いた。

 「な、なに!?」

 「いい加減にしろよ、こら」

 明月は、上体を起こしながら妖怪に睨みを利かせる。

 「な、何故お主は起きている、何故動けるのだ!?」

 「悪いね、俺には邪気も妖気も効かねぇよ。 その子から離れろ」

 「クフフフ、そうは行かぬな。 いつもの娘の所へ来てみれば、だがこっちの娘の方が妖力が強くて美味そうだ」

 「てめーの好きにさせっかよ、その子は俺が護る事になってんだ」

 そうは言うが、どうやってこの妖怪を退治すればいいのか、明月に秘策がある訳ではない。


 妖鏡の中に見えた思念の中で、あの雑木林の中の祠に、この黒い影の妖怪が封印されていた事は分かっていた。

 とすれば、必ず退治封印する方法はあるはずなのだ。

 実は、明月は曄と別れた後、智の家に来る前にもう一度例の雑木林を訪れ、壊れた祠を見つけていた。

 その祠の石に刻まれていたのは、曹洞宗の首楞厳陀羅尼の一節と思われたが、僧侶の息子とはいえ殆ど無知な明月が、

 それを知ったところでどうなるものでもない。

 ちなみに、明月の父・詳真は元真言系。


 あられもない姿で横たわる曄の側には、竹光が置いてある。

 (あれを使うしかねーか・・・、他の物理攻撃が効くとは思えん・・・っつか攻撃するもん持ってねーし)

 「何故、あの子を狙うんだ。 もう関係ねぇだろ」

 「ふふ、知れた事を。

  長きに渡る封印から解かれて久方ぶりの獲物だ、たかが猫の霊ごときでそう易々と断念してなるものか。

  この娘の後で、あの娘もゆっくりと味わってくれるわ」

 「鏡は俺が封印した。 もう誰の命令にも従う必要がないのは、お前も分かってるはずだ」

 (いい加減その乳から手を離せ!)

 「お前が封印した? ならば、このワシも封印すると言うのか?」

 「それはお前次第だ。 このまま帰れば、そして二度とここに来なければ、俺は何もしない。

  だが、その子に手ぇ出したら、許さんぞ」

 (ん? 手を出す・・・?  そうか、その手があった)

 「俺が、お前の体に触れたらどうなるか、分かるよな」

 これは、明月のただの思いつきだった。

 この妖怪は、言ってみれば妖気の塊だ。

 自分の能力ならば、その体に触れさえすれば、存在そのものを浄化、つまり消し去る事が出来るのではないか。

 それなら、急所を探す必要も、竹光を使う必要もない。

 七面倒臭い呪文も手順も、一切必要ないのだ。

 そしてそれは、妖怪自身もまた感付いていた。

 「お主、只者ではないな。 何者だ」

 「いいから、その子から離れろ。 妖怪にも物分かりのいい奴がいるってところを見せてみろ」

 「名を、聞いておこうか」

 「名前を教えたからって、なんにもならんと思うが、俺は八百神明月だ」

 妖怪から発せられる邪気が、急速に減退して行くのが分かる。

 「ふむ・・・。

  八百神よ、ワシはお主に借りを持っているのだな。 ならばその借り、返さずばなるまい。

  よろしい、ではお主の意見に従うとしよう」

 妖怪が、曄の体から離れ、音もなくスーっと後退して背後の闇に紛れていく。

 「どこへ行く、またあの祠に戻るのか」

 「いや、あそこへは戻らぬ。

  ワシが封印される前は、あの辺りは一面の深い森だった。 それが、解放されて外へ出てみればあの有様だ。

  もはやワシの住める所ではない。

  何処か、山へでも行くさ」

 そして、最後に一言残して、その姿を消した。

 「さらばだ八百神、また何れ」


 妖気が消えた。

 こう、あっさりと速やかに解決するとは意外だったが、ともかく危険は去った。

 明月は、すかさず曄の元へ駆け寄り、容体をみる。

 邪気の影響でずいぶん苦しそうにしてはいるものの、その他は特に害はなさそうだ・・・・裸でいる以外は。

 (すげー、まっぱだよまっぱ・・・・ハァハァ・・・(汗))

 明月は、そっと智の部屋のドアを開け、様子を窺った。

 智は何事もなかったかのように、深い眠りについている。

 そしてその枕元には、あの猫の霊が鎮座して、智の寝顔を見守っていた。

 それを見て安心した明月は、ドアを閉めて、再び曄の元へ。

 (す、据え膳食わぬはなんとかって言うよな・・・(涎))

 改めて、いや初めて目の当たりにする曄の生身の肢体は、明月の煩悩と欲望を直撃し全開にさせてしまう。

 まさに奇跡の造形美、究極の未踏峰とも言うべきものがそこにあった!(註:あくまで明月主観)

 (愛だ・・・、これは愛だ! 神様ありがとー! もう辛抱たまらん!)

 ぶちゅー・・・。 

 「う、うん・・・」

 曄が目を覚ました。

 「え?」

 (あ、やべぇ、真っ先にチューしちゃった・・・)

 「あ・・・、ああ!!」

 曄には何が何だか分からない。

 が、自分が裸にされ、明月に乳を揉まれているのを知った瞬間、頭が真っ白になった。

 「い・・・・、いーーーやーーーーーっっ!!」 バコン!(曄の右フック)

 「いてっ!」

 明月が仰け反ると、曄は必死に自分の服を掻き集め、一目散に廊下の端までズリズリ後退りした。

 「な、な、何すんのよ!! 変態!」

 そして明月を見ると、明月は床に手をついたまま、無言で下を向いて項垂れている。

 曄の拳骨が余程痛かったのか・・・、にしても、なんだかちょっと様子が違う。

 「な、何か言いなさいよ!、卑怯者!」

 「・・・」

 「なんで何も言わないのよ!  言い訳ぐらいしなさいよ、聞いてあげるから!」

 「・・・・・・・」

 言わないのではない、言えないのだ。

 この時明月は、曄にいかがわしい事をする前に、口づけしてしまった自分の浅はかさを悔いていたのだった。

 心の底から。

 (なんてことだ・・・、俺としたことが・・・  一世一代の不覚だ)

 それに、この状況下では、どんなに懇切丁寧に説明しても、これが妖怪のもたらした事だと信じてはもらえまい。

 事が事だけに、ただでさえ低い信頼が一度でも失墜して地に落ちてしまえば、もはや二度と回復する事はない。

 明月は卑劣な性犯罪者に成り下がってしまった。

 嫌われた・・・、これで完全にコンビ解消だ。

 元々好きで始めた事ではないが、こんな形で、曄に嫌われて終わるのは甚だ不本意だ。


 曄の叫び声に飛び起きて部屋から出てきた智は、その光景を見てびっくりした。

 「な、何? 何があったの? 大丈夫ですか、曄さん!」

 「だ、大丈夫よ・・・。

  妖怪が出たけど・・・、明月が退治してくれたわ」

 「なに!?」

 曄の言葉に一番驚いたのは明月の方だった。

 一方の智は、当然の事ながら裸の曄を気遣い、服を着せてやりながら横目で明月をチラ見する。

 その目は、明らかに明月を性倒錯者扱いしていた。

 狭い廊下に、裸で怯える女とその横にいる男の姿を見れば、智がそういう見方をするのも無理からぬ事。

 「でも、なんでこんな格好に・・・」

 「妖怪に襲われたのよ。 でももう大丈夫、明月がやっつけたから。 もう、心配しなくていいのよ」

 曄が明月を庇った?

 「そうでしょ、明月」

 「あ? あ、ああ・・・(汗)」

 「そ、そうだったんですか? 良かったぁ」

 どうやら、曄の言葉で、智の明月への疑念は払拭されたようだ。

 ただ、何故曄は、自分を辱めようとした明月を庇うような事を言ったのか。

 それでも、明月を睨む彼女の目は、親の敵でも見るかのように、身の毛がよだつ程に恐ろしく、冷たいものだった。

 本当に、いやらしい男は心から大嫌いらしい。



 ☆



 曄と智が2人で部屋の中で寝る一方、廊下で1人、忸怩たる思いで眠れぬ一夜を過ごした明月。

 翌日、智に別れを告げ家を出た時の曄は、思いの外普段と変わらなかった。

 一夜明けて冷静になったのか。

 その横で、元気なく落ち込む明月。

 「明月、ちゃんと眠れたの? いつにも増して陰気な顔して」

 「なあ、なんで、俺じゃないって・・・」

 「ああ、あれ?

  最初は夢かと思ってたのよ、でも服着ようとしたら、ブラウスのボタンが千切れちゃってて。

  それで分かったの、あなたじゃないってね。

  あなたがそんな事するはずないもの。

  度胸もないしね」

 (図星だなー、よく分かってらっしゃる)

 それを聞いて、明月は胸の支えが取れ、安心してホッと胸を撫で下ろした。

 曄には分かっていたのだ。

 「でも絶対許さないわよ、あたし」

 「なにを?」

 「見たもん、ハダカ。 胸触ったし」

 「あ、いや、あれは・・・(汗)」

 曄自身、自分を裸にして弄ぼうとしのは妖怪だという事はすぐに分かった。

 しかし、明月がそれに便乗したのもまた事実。

 到底許し難い、卑劣な、厳罰ものの犯罪行為である。

 が、その割りには、大して怒っている様子もない。

 或いは、決別を決めて清々しているのか。

 (これも成り行きだな・・・)

 「じゃあ・・・、終わりか・・・」

 「そう! これからはギャラなし!」

 「えー? タダ働きかよ・・・って、コンビ解消はなしか?」

 「は? なに言ってんの?」

 「い、いや・・・、てっきり嫌われたかと・・・(汗)」

 「なぁんで?」

 「なぁんで・・・ってそりゃ・・・」

 「だって、護ってくれるんでしょ、あたしの事」

 (何? もしかして聞いてた? 眠らされてたんじゃねぇのか!?)


 真偽は不明だが、曄の言葉を聞く限り、あの時、明月が妖怪に対して言った事が彼女に聞こえていた可能性は高い。

 意識があったとは思えないが、眠っている時でも外部の言葉が脳裏に記憶される事は十分有り得るし、もしかしたら

 混濁していただけで意識があったのかも知れない。

 だとすれば、その後の明月とのやり取りは、全てを知った上でやっていた事になる。

 そのせいなのかどうか、曄にしてはなんとも甘い、寛容な判決である。

 計られた、明月はそう思った。

 ただ、ここでその事をつっ込んでも、彼女の神経を逆撫でするのが関の山、今は触らずにおくのが上策だ。

 (女って怖い・・・)

 「なんだタダ働きじゃあ、次からはヒモのTバックでやってくれよ(笑)」

 「なにを?」

 「目の保養に」

 「ばか! 絶対イヤ!」


 「で? 妖怪はどうしたの?」

 「あれ? 憶えてんじゃねぇの?」

 「知らない。 なんか記憶が曖昧で・・・。 どうやってやっつけたの?」

 「どっか行った」

 「はあ!? どっかって何処!?」

 「知らね。 山」

 「山? なんでそのまま行かせたのよ! なんで殺さないのよ!」

 「なんでって、殺し方知らねーし。

  それに、結構物分かりのいいやつでね、俺の言う事を素直に聞いてくれた」

 「なに言ってんの!

  あの妖怪は・・・、あいつは、あたしを裸にひん剥いて、犯そうとしたのよ!

  なんでそんなやつ野放しにすんのよ! なんで生かしておくのよ! 意味分かんない!」

 曄のお怒りはごもっとも。

 (確かに、野郎があれ以上やってたら、俺もブチ切れたろうな)

 「そうだな・・・、でも、殺せば全部解決って訳でもねぇだろ」

 「甘いわ・・・、甘いわよ明月。

  どうなるか分かんないわよ。 また必ず、人が襲われるわ。 絶対後悔するわよ」

 「そん時は、また追っ払うさ」

 「追っ払うんじゃない! 殺すのよ!」

 「おっかねぇなぁ・・・。 よくこんな女に告白する男がいたもんだ」

 「そりゃ、あたしが可愛いからでしょ」

 「自分で言うか、自分で」

 (見た目は可愛いが、性格は恐ろしいぞ、お前)

 「フフ、明月だって、あたしの事かわいいって思ってるんでしょ?」

 「あ、いや・・・(汗)」

 「認めなさいよ、あたしが可愛いって」

 (脅迫されてんのか、俺。 からかわれてんのか、遊ばれてんのか?)

 「なによ、認めなさいよ、それで許すって言ってんのよ。 何か言いたい事ある?」

 「・・・、スリーサイズ教えて」

 「教えるか! ボケ!」



  今回の事件で、俺が知った事・・・

  女というのは恐ろしい


  そして・・・、曄ちゃんのおっぱいを、世界遺産に認定する


                                       第2話 了

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。