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第12話 盛夏の菊


 DISPELLERS(仮)


 12.第12話 盛夏の菊



 その日も、美沙子は普通に仕事を終え、普通に自宅マンションへ帰宅した。

 オートロック付きの12階建て3LDKは、一人で住むには些か豪華過ぎるきらいもあるが、ワインを片手に窓の外の

 大都会の煌びやかな夜景を楽しむ恋愛ドラマのヒロイン気分を味わうには、十分にその要求を満たしている。

 婚約も間近。

 美沙子の目の前には、その夜景よりも美しい、輝ける未来が広がっていた。


 深夜、ベッドで眠りに就いた美沙子。

 彼女はそこで、未だ嘗て経験した事のない恐怖を、その脳に刻み込む事になる。

 何時くらいだろう、寝苦しさで目覚めた美沙子は、すぐに異変を感じた。

 エアコンの温度設定を変えようと、枕元の近くに置いていたリモコンに手を伸ばそうとしたら、体が動かない。

 “なに?、なんで?”

 必死になって力を入れても、指先ひとつピクリとも動かせないなんて、こんな経験は生まれて初めてだった。

 “これって・・・、金縛り?”

 どんどん気だけが焦っていく。

 シーンと静まり返った部屋の中で、空気の漂う音さえも聞こえてくるくらい、神経が過敏になる。

 鼓動が高まり、呼吸も忘れる程に取り乱していた。


 何がどうなっているのか・・・、理解出来ずに混乱していると、足元の方に人の気配がする。

 自分以外は、誰もいないはずの部屋の中に。

 唯一、辛うじて動く目だけを動かしてその方を見ると、黒く長い髪を垂れ下げた女性らしき人の姿が、ぼんやりと暗い

 中から浮かび上がって見えた。

 そして、次第に、ゼエゼエと低く荒い呼吸音が聞こえるようになり始める。

 “だ・・、誰?、誰なの?”

 尋ねたいが、声が出ない。

 すると、その女がゆっくり、美沙子の足元からベッドに手をついて、這うようにして近付いてくる。

 何かブツブツ言葉を発しながら。

 呻くような呼吸音と混ざって始めは聞き取れなかったが、近付くにつれて段々はっきりしてきた。

 「・っと・・つけた・・・、やっと、見つけた・・・」

 そしてとうとう、美沙子の顔の前まで来ると、無表情のままゆっくりと彼女の首を両手で絞め始めた。

 「・・・せ・・・、返せ・・・、清人を返せ・・、清人を返せ・・・」

 く、苦しい・・・。

 い、息が出来ない・・・。

 “た・・・、助け・・て・・・”

 恐怖と苦しさで、頭の中は半狂乱になり、喚き暴れたいのに、体は全く動かず声も出ない。

 このまま、何も出来ないまま、自分は死ぬのだろうか・・・。



 気付いた時は、カーテンの外が白み、スズメがチュンチュン鳴いていた。

 生きてる・・・。

 あれは・・・、夢?

 夢じゃない!

 確かに、首に、誰かに絞められた感触が残ってる・・・(汗)。

 あれは一体・・・、何だったの?

 思い出し、身の毛もよだつ強烈な恐怖に襲われた美沙子は、すぐに婚約者の清人に電話した。

 あの女は、間違いなく清人の名を口にした。

 清人なら何か知っているはずだ。

 しかし、彼はそんな霊には心当たりがないと言う。

 “なんで?、なぜ?”

 混乱する美沙子。

 とにもかくにも、怖くて仕方ない美沙子は、その日清人に泊まってもらう事にした。


 それでも、霊は現れた。

 またしても金縛りに遭って身動きが取れなくなると、女が姿を見せ、首を絞められたりはしなかったが、清人を返せと

 繰り返し繰り返し呻くように訴え続けて美沙子を苦しめた。

 時間が止まったような、気が遠くなるような錯覚の中で気を失った。

 ところが、そのすぐ横で眠っていた清人本人は、全く気付かずに熟睡していたのだった。

 美沙子は、彼の神経を疑った。


 以降、霊は昼夜を違わず現れて、執拗に美沙子を苦しめ続けた。

 このマンションに越してきて1年あまり。

 それまで、一度もそんな事はなかった。

 美沙子は、もうこの部屋には住めない、住みたくないと思った。

 が、すぐに新居が見つかる訳もなく、仕事の通勤事情を考えれば実家へ帰る訳にも行かず、当面の間はそこに住まざる

 を得なかった。

 一人で寝るのが怖かったが、家族も、清人も他の友人達も、そうそう毎日つき合ってくれる程暇ではない。

 教えられた通り、家中の至る所に塩を盛り、ドアというドア、窓という窓に、清人や家族に貰った護符を貼りつけて、

 霊の侵入を回避する措置を取ってみたが、全く効果がなかった。

 友人宅に泊めて貰ったら、そこへも現れた。

 “なぜ?、どうして?、なんで私が、霊に取り憑かれなきゃならないの?”

 忍耐の限界を感じた美沙子は、清人を問い詰めた。

 霊は清人を知っている。

 ならば、彼がその霊について何も知らないという事は有り得ない。

 以前、彼自身が祓ってもらった霊と同一ではないのか。

 だが、彼は知らぬ存ぜぬを繰り返すばかり。

 彼に取り憑いていたのは、女の霊ではなかったと主張し続けた。

 その素振りから、何かを隠しているのは間違いない。

 私がこんなに苦しみ悩んでいるのに、なぜ真実を話してくれないの?

 お互い隠し事はしないって、約束したのに・・・。

 彼は彼なりに心配しているとは言うが、次第にその言葉の信憑性に疑いを持ち始めた。

 だから、彼がお祓いをして貰うように薦め、神社を紹介すると言った時も、素直に喜ぶ事が出来なくなっていた。

 不安と恐怖から来る体調不良、倦怠感、食欲不振、不眠、偏頭痛に悩まされ続けた美沙子は、情緒不安定に陥り、この

 ままではノイローゼになってしまうと感じていた。

 その原因となった霊は、清人と何某か関係があるのは分かっているのに、彼は何も教えてくれない。

 不信感は募るばかり。

 不審は猜疑心を呼び、疑心暗鬼を生じ、落胆と失望へと繋がる。

 詰問する彼女に、清人が答えた言葉が全てだった。

 “ただの偶然じゃないのか”


 結局、彼の薦めを受け入れて、柿根神社を紹介された時、美沙子の心はほぼ決していた。

 彼を、心の底から信頼する事が出来なくなっていた。



 ☆



 「いやあ、愉快愉快。

  こんなにも痛快なのは久方振りだわい」


 上機嫌で明るく満足げな声と共に、黒坊主が諒示寺に帰ってきた。

 ほぼ一週間振りだった。

 「手筈通り、許婚の奴がお主の言う神社へお祓いに行くと言い出したのでな、帰って来た」

 「てめえ、余計な事してねーだろーな。

  ていうか、カラスじゃねーのか、なにやってんだ」

 明月の部屋の窓からひょっこり現れたその時の黒坊主は、以前のカラスではなく、ネコの姿になっていた。

 「案ずるな。

  お主の言う通りにしただけだ。 他は何もしとらん。

  ちっとばかり気は吸わせてもらったがな。

  それに、このネコは寺の軒下に迷い込んでいた奴だ、死んではおらんぞ。

  ちと取り憑いて体を借りておる。

  視界が甚だ低いのが気に入らんが、それ以外は快適だ」

 「そうなのか」

 「これで一つ貸しだからな、約束通りあの娘に会わせろよ」

 (まあ、そっちの方がカラスなんかより、曄ちゃんや澪菜さんに説明し易くていいか)


 明月が自ら買って出た役、雨戸清人の婚約者・美沙子に呪いをかけ、2人を仲違いさせ、婚約を破談に持ち込むという

 役は、彼の指示を受けた黒坊主によって実行され、その結果、意外な程早期に決着を見た。

 結局のところ、彼自身は直接何もしていないのだが、では何の為にそんな役どころを志願したのかと言うと、ただ単に

 自分の家に居候している黒坊主を使ってみようと思っただけだった。

 その特異な能力を、上手く利用出来ないものかと考えたのだ。

 ただ、黒坊主が素直に指示に従うかどうか不透明だった為、澪菜達に対してはっきりと自分の考えを話せなかった。

 黒坊主という妖怪の存在を、話すタイミングを見計り兼ねていたというのもある。

 そしてなにより、彼は、未だ自分の能力に確固とした自信が持てないでいたという事も、その要因の一つであった。

 「ちょっと早過ぎやしねーか。 ちゃんと目的は果たしたんだろうな」

 「だから帰って来たのだ。

  気が狂いそうになる程教えてやった故、あの女はもうあの男を信ずる事は出来んだろう。

  許婚に取り憑いた昔の女の怨霊を、偶然の一言で片付けようとした男など、あの女で無くとも愛想が尽きるわ。

  しかしまあ、実に愉快だったが、たったの数日で音を上げるとは、あの女の腰骨の弱さには呆れるな。

  今時の人とはそんなものか」

 「まあ、そう言うなよ。

  おかげで早く片が付いた。

  てか、てめぇ、なんでまたそのネコなんだ?

  どうせなら黒いネコにしろよ」

 普通にそこら辺にいる茶色のブチネコだった。

 「気にするでない。

  毛の色に興味はない」

 「そうじゃねーよ。

  白と茶色のネコを黒坊主って呼ぶのをどうかってんだよ」

 「フン、知った事か」



 その日の昼を待たずして、澪菜から電話がかかってきた。

 「つい今さっき、白泰山会の方からわたくしに連絡がありましたの。

  あの男が柿根神社の方へ、お祓いの依頼をしてきたと」

 澪菜は、婚約者が呪われていると知ったら、雨戸清人は必ず以前に自分がお祓いしてもらった柿根神社に助けを求めて

 来るだろうと予測して、依頼があった場合はすぐに白泰山会に連絡し、依頼を回すよう手配しておいたのだ。

 実に手回しがいい。

 ただし、それがこんなにも早く訪れようとは、予想出来なかった。

 彼女が雨戸清人の身辺を調査し、婚約者の詳細を明月に伝えてから、まだ一週間しか経過していなかった。

 「一体なにをしたんですの?

  どうやって、こんなに速く事態を動かしたんですの?

  つい昨日までは、何も進展はないって話でしたのに」

 「それが、急にこうなった」

 「なぜですの?」

 「いやぁ・・・、ネコがね」

 「ネコ?」

 「ああ。

  暫く前からウチに妖怪が棲み着いててね、そいつを使えたら面白えかなって思ってた訳よ。

  で、実際使ってみたらこうなった」

 「それが猫の妖怪ですの?」

 「まあ・・・」

 「と言う事は・・・」

 「俺はなんにもしてねぇのよ。

  だから、向こうでなにが起こってたのか、俺にもよく分からん」

 それまで、ちょっと訝しげだった澪菜の声のトーンが明るくなった。

 「使役したんですの?

  素晴らしいですわ、明月! 貴方も妖怪を調伏出来たのですわね!」

 「いやいや、そうじゃないよ。

  て言うより、遊ばせてやったみたいなもんだって」

 「いずれにしろ見事ですわ、こんなに早く解決してしまうなんて。

  なんて素敵なんでしょう!」

 澪菜のいかにも嬉しそうな声に、明月は照れくさくなった。

 自分は何もしていない。

 とても褒められるようなものではないのだ。

 もちろん、役に立ちたいという思いはあったが、ただ単に面白そうだからやってみただけなのに、それが人を喜ばせる

 事になろうとは、意外に思うと同時に、これはこれで気分の悪いものではないんだなと感じた。


 「あ、でも早く葵さんに連絡しないと、その猫妖怪が祓われてしまいますわ」

 「は?、澪菜さんがお祓いやるんじゃねーのか?」

 「そのつもりでしたけれど、別にその程度のお祓いなら会には幾らでもいますので、特にわたくしでなければならない

  理由はありませんわ。

  殆どの人は事情を知りませんので、葵さんにお願いして取りなしていただかないと祓われてしまいますわ」

 「それなら問題ない。

  もう剥がれてウチに帰ってきてるから」

 「そ、そうなんですの?」

 「ああ、婚約者の男が祈祷師を呼んだりお祓いに行くと言い出したら、戻ってきていいぞって言っておいたんでね」

 「つまり、もう美沙子は・・・」

 「間違いなく普通に戻ってるはずだよ。

  本人や周りの人がそれに気付いてるかどうかは疑問だけどね」

 「そうですの。

  では、誰が祓っても結果は同じですわね、安心しましたわ」


 澪菜は喜んでいるが、この時点ではまだ、清人と美沙子の婚約が白紙に戻されたという確証はない。

 黒坊主の言葉を信じれば、それはもはや時間の問題という事になるのだろうが、確実にそうなると分かっているのは、

 恐らく当の美沙子本人だけだ。

 「でも、美沙子は霊の正体に気付いてますの?」

 「帰ってきたネコはそう言ってる。

  これでもかってくらい教えてやったって」

 「では婚約は・・・」

 「破談になるだろうって・・・、保証は出来ないけどね」

 「そうですの。

  ただ、あの男には、自分の起こした事の顛末を知らせてやらねばいけませんわね。

  その事は葵さんに連絡して、上手く取り計らっていただきましょう」


 澪菜は次にこう切り出した。

 「ではこうしましょう。

  柿根神社で待ち合わせましょう」

 「待ち合わせ?」

 (なんだ?、どういう意味だ?)

 なんで、わざわざそんな遠く離れた場所まで行って、待ち合わせなければならないんだ?

 「ええ、そうですわ。

  わたくし達は今、八ツ木山へ白蛇を返しに行く傍ら、桂季の説得に出向いてますの。

  だって、そっちがどのくらい時間がかかるか分からなかったんですもの。

  ちょうど、菊花がお姉様の任務を終えて、邸で休暇中ですので、今からそちらに向かわせますわ」

 (で、出た・・・、あの人か)



 ☆



 そして約1時間後、あの暴走マニア女が、再び漆黒のベンツを駆って、寺の前に現れた。

 「ハイ、アッキー久しぶりー」

 「どうも」

 菊花は、以前と同じ、元気そうな明るい笑顔で挨拶をした。

 その、オレンジ色のTシャツと不思議な迷彩のカーゴパンツに黒のコンバットブーツという、とても名家のメイドとは

 思えない出で立ちには驚かされる。

 いかにもアクティブな性格の彼女らしい格好ではあるが、それでベンツSクラスに乗ってる姿はどうにも不似合いだ。

 (サバゲーの帰りかよ!)

 さらに、彼女の左上腕は包帯でぐるぐる巻きにされており、なんだか見るからに痛々しい。

 「なんか・・、変な柄っすね、その迷彩」

 「ああ、これ?

  SSのエンドウ豆パターンなんて、普通のショップじゃ売ってないからね」

 (SS?、エンドウ豆?、普通じゃねーならどこで売ってんだ?)

 「どうかしたんすか、その腕」

 「ホント、嬢様は人使いが荒くってヤダねー。

  こっちは怪我人だっつーの。

  12針縫ったの3日前だよ」

 「怪我してるんすか?」

 「朝絵ちゃんとこの仕事はいっつもハードでさあ・・。

  なんせ、人殺したりかっ攫ったりして、食っちゃうようなのばっかりが相手だからね。

  そんなのを立て続けに3件もこなしてきちゃったよ。

  あっちへ行っては退治して、こっちへ来ては退治して、世直し行脚みたいに。

  黄門様じゃないっての」

 あっけらかんと笑いながら話す菊花。

 確か、曄は以前、彼女の事を相当強いと評していたし、澪菜もその実力には一目置いているような発言をしていた。

 腕っ節の強さは折り紙付きだ。

 その菊花に深傷を負わせる程の凶悪な妖怪ってどんなだろう。

 「そんなに凶暴なんすか・・・」

 「まあね。

  嬢様の仕事なんて、初めてのお使いと同じだよ。 あれに比べたらね」


 菊花の言葉はけっこうな嫌味にも聞こえるが、的確に事実を掴んでいる。

 明月達がこれまで関わってきた妖怪は、その殆どが低級であり、それを生業としている者にしてみれば、然して強力と

 呼べるような存在ではなかったのだった。

 言わば、初級者向けの軟弱な存在だったと言っても過言とは言えない。

 その中にあって、貂はそれなりに強力な妖怪であった訳だが、彼等は手も足も出せなかった。

 彼等の実力など、その程度のものでしかなかったのだ。

 世の中には、途轍もなく強力な、狡猾で獰猛、残忍、人智の及ばぬ能力を持った妖怪が、まだまだ無数にいるのだ。

 やっぱり、この世界に深く足を踏み入れるには、相応の覚悟が必要なんだな。

 明月は、改めて身が引き締まるというか、気が滅入るような感じを覚えた。

 そんな彼に、菊花がニヤ気ながら質問してきた。

 「ねぇねぇ、それよっかさあ・・、もう嬢様とはやったの?」

 「や、やったって・・、な、なにをっすか(汗)」

 「もう突っ込んだのって聞いてんの。 一緒に外泊したんでしょ」

 (ス、ストレート過ぎるぞあんた、それでも女か!)

 「し、してないっすよ、なんも(汗)」

 「なんだ、まだなの?、情けないなー。

  さっさとやっちゃえばいいのに、嬢様だってその気満々なんでしょ。

  ビビッてんの?」

 (よ、余計なお世話だ!)

 「なんなら、あたしが教えたげようか」

 「か、勘弁して下さいよ!(汗)」

 「アハハハ!、ジョーダンに決まってんでしょ。

  そんな事したら嬢様に恨まれちゃうじゃん。

  本気にしちゃってんの、可愛いねー」

 (か、からかわれた・・・・ やり辛ぇ人・・・)


 確かに澪菜なら、彼がその気になれば、いつでも喜んでその撓わな果実を供するに吝かではないだろうが、どうしても

 それだけは躊躇してしまう。

 理由は簡単、それやっちゃったら道が一本しか残らなくなってしまうからだ。

 後戻り出来なくなる・・・。


 「あ、分かったぁ!

  曄に気兼ねしてんでしょ、アッキー」

 「い、いや・・・(汗)」

 (そう切り込まれると、返事出来ん)

 「ははぁ〜ん、図星だね〜(笑)」

 (はっきり言わんでくれ・・・)

 「でも曄って面白いねー。

  ちょっとからかっただけでマジギレしちゃうんだよ、知ってる?

  おまけに、いつの間にか鎌鼬なんかペットにしゃってるしねー。

  あたし殺されそうになっちゃったよ」

 「そ、そうなんすか・・」

 「で、結局アッキーは、嬢様と曄のどっちが好きなの?」

 「い、いやぁ・・、どっちって言われても・・・(汗)」

 (い、今答えなきゃ駄目か・・?)

 「二股はないよねー、さすがに。

  それやったら殺されるよ、どっちかに」

 「ですよねー(汗)」

 「まあ、どっちを振っても殺されるんだけどね、ハッハー」

 「ですよねー(汗汗)」

 「まあ、今はいいんじゃない?、両手に花で。

  焦って決めるような事じゃないしね。

  それまでは、たっぷり三角関係を満喫してたらいいよ」

 (完全に他人事だ・・・)

 「それって、泥沼っすよね・・・」

 「泥沼だねー」

 「底無しっすかね・・・」

 「かもねー」

 「もしかして、面白がってます?」

 「もちろん!」

 やれやれ、この人は助けてくれそうにない・・・。



 ☆



 柿根神社に着いたのは、明月達の方が早かった。

 菊花のドライブならば当然か。

 安全運転を旨とする定芳とは違って当たり前。

 駐車場に車を停めて、菊花が澪菜に電話で状況を確認した。

 「嬢様はあと1時間くらいかかるってさ。 先に神社行って待ってろって」

 「じゃあここで待っててもいい訳だ」

 「なに言ってんの、行こうよ。

  あたしも、曄がぶっ壊したっていう鳥居とか見てみたい。

  見るも無惨に木っ端微塵なんでしょ」

 「もう直ってますよ、たぶん」

 (誰だ、そんなに大袈裟に教えたの)

 「いいじゃん、行こうよー」

 「一人で行ったらどうっすか」

 「いやー、さすがにこの格好で行ったって、母屋に上げてもらえんでしょー。

  あたし面識ないしさぁ。

  行きたくないの?、アッキー」

 「まあ・・・」

 (あのじいさんには会いたくねーし、薺には嫌われてるし・・・)

 結局、菊花に半ば強引に引きずられるようにして、神社へ行く羽目になってしまった。



 「どうぞ」 コトン

 客間に通された明月達に麦茶を出したのは、巫女装束姿の薺だった。

 彼女は、まるで初対面のように余所余所しく、視線すら合わせる事もなく、挨拶もなしで早々に立ち去ろうとする。

 (そこまで嫌うかよ・・・)

 それを止めたのは菊花。

 「ねえ、あんたが薺ちゃん?

  可愛いねー、お人形さんみたいだ、日本人形。

  なんてったっけ、えーっと・・・、あ、そうだ、市松人形!

  髪が伸びるヤツ!」

 薺は、肩越しにジロッと菊花を一瞥して、小さな声で不平を表明した。

 「違います」

 (それって、勝手に髪が伸びるっていう不気味な人形の事じゃねーの・・・

  それ言っちゃったら、いくらなんでも怒るって)

 確認だが、薺の髪はショートのストレートボブであって、おかっぱではない。

 菊花は、相変わらず平気で人の感情を逆撫でしておきながら、全然気にする素振りも見せない。

 もしかしたら、本人はこれでも褒めたつもりだったのかも知れない。

 「曄の事が好きなんだって?、嬢様から聞いたよ」

 薺は黙って無視しようとする。

 「まあ、そこ座りなよ。

  いい事教えたげるよ。

  曄のヒ・ミ・ツ(笑)」

 秘密、という甘い誘惑にピクッと反応する薺。

 たちまちサッと座卓の端の畳に座った。

 曄の話題になると途端に食い付く薺の姿は、誰の目にも滑稽に映る。

 「あはは、やっぱ気になるんだ」

 ちょっと頬を赤らめムスッとするが、それでも薺は曄の事が気になる。

 「話ってなんですか」

 「ちっちゃいねー、身長いくつ?」

 「!(怒)」

 「アハハハ、ごめんごめん、アッキーと同い年っていうからさー」

 明月の身長176Cmに対して、薺は恐らく150Cmにも満たないだろうと思われ、おまけに童顔とくれば、菊花が

 つい聞いてみたくなったのも頷けるとはいえ、唐突にそんな事を聞かれて薺が喜ぶ訳がない。

 コンプレックスをつつかれた薺は、完全にへそを曲げた。

 「帰ります」

 「あー分かった分かった、教えるから。

  あのね、曄の縞々パンツは、アッキーが好きだから穿いてんだよ」

 (ちょっと待ていー! そんなん一言も言った覚えねーぞ!)

 いきなりの衝撃発言に、薺は驚き、怒りを忘れて目を円くした。

 「そうなん・・・ですか?(汗)」

 が、すぐに眉を顰め気味に怪訝そうな顔をする。

 明月が無理矢理穿かせているのか、曄が進んで彼に従っているのか、判断しかねた。

 返答次第では、本気で明月に対して殺意を抱くかも知れない。

 「そりゃそうさ。

  でなきゃ穿かないよ、あんなお子ちゃまパンツ。

  ねぇアッキー」

 「いやいやいやいや、とんでもない! そんなん俺のせいにされちゃかなわんっすよ(汗)」

 「アッハハハ!

  また本気にしてんの、おっかしーっ!」

 (ま、またこの人は・・・)

 腹を抱えて畳の上を転げ回る菊花を見て、明月は、この人はつき合う人を選ぶなぁと思った。

 決して悪い人ではないのだが、とにかく悪戯とか冗談が大好きで、相手に歩調を合わせるとか、そういう事には皆目

 無縁の人だから、そこを理解した上でつき合わないと余計に疲れてしまう。

 恐らく、曄も同じように感じているはずだ。

 薺は、その菊花の素性を知らないとはいえ、素直に信じて翻弄されてしまった自分が恥ずかしかった。


 菊花は全くもってマイペース。

 「痛ててて、傷口が開いちゃうよ・・・。

  アッキーも、もうちょっとつき合ってボケてくれたら面白いのになー。

  でも分かんないよ、曄は根が真面目だからねー。

  あ、そうそう、あの子の好物知ってる?」

 「・・・」

 薺は当然知らないし、明月も知らない。

 「焼きソバだって」

 (そ、そうだったのか・・・)

 「ウチにバイトに来た初日にさー、夕飯なに食べたいって聞いたら焼きソバって答えてね。

  好きなのって聞いたら、うんって頷いて。

  さすがに外国料理のフルコースもないけど、ウチじゃそんなもん、食卓に出る事なんてまずないっしょ。

  みんなビックリしちゃったよ。

  ウチには皞子っていう嬢様付きのメイドがいてね、調理師と栄養士の資格持ってるから、食事は献立から調理まで

  全部その子が仕切ってる訳よ。

  なんたって別名、厨房番長だからね。

  そのココが怒っちゃってさー、今更メニューの変更は受け付けない!、ってね。

  もう既に一日分の食材買っちゃってるんだって言う訳よ。

  そんなマジに怒んなくてもいいのにさ、食べ物に関してはココが絶対権力者だからうるさいんだよ。

  おやつとかも内緒で勝手に食べると、その日の晩ご飯の量減らされちゃうしね。

  一日のカロリーバランスは3:5:2だとかなんとか、蘊蓄が多くって・・・、おまけに酒癖悪いし。

  でも、その何日か後に、昼ご飯に焼きソバ作ってくれたんだよ、曄の為にね。

  美味かったなー、あれは」

 (へぇー、そこそこ溶け込んでんのかな、あの邸では)

 学校では、曄は完全に孤立しているが、同じ特質、同じような境遇の人達の中に入っていれば、頑ななまでに意図的に

 周りと距離を置く必要はないのだと理解出来るはずだ。

 それを学ぶだけでも、彼女が桐屋敷家に居候する価値はあると思う。

 「あ、それからねー・・・、やっぱこれはやめとこう。

  あの子の尊厳に関わるからね」

 「な、なんですか、言い出しておいて言わないなんて、卑怯です」

 「ゴメンねー(笑)。

  でも、あんたもそのうち判るよ、一緒にお風呂入ればね」

 (な、なんだその意味ありげな言葉は・・・)

 なんだ・・・、風呂に入れば分かるってなんだ?

 なんだ?、曄の体になんかあるのか?

 まさか・・・、あの世界遺産は模造品・・・、なんて事ある訳ない!

 俺の手が確認してる、あれは本物だ!

 じゃあ何だ?・・・、激しく知りたい・・・。


 そんなこんなで、嘘か本当か分からない話を並べて時間を繋いだ菊花の携帯に、澪菜から電話が入った。

 「もうじき着くってさ。

  じゃああたし、嬢様迎えに行ってくるよ。

  着いた時出迎えがないと、それだけで機嫌悪くするからね、あのわがままっ娘は」



 ☆



 菊花が席を外すと、部屋の中には明月と薺しかいなくなった。

 明月は、どうせ薺もすぐに出て行くんだろうと思って、やっとこれで落ち着けると大きく息を吐き、足を伸ばして

 リラックスしようとする。

 ところが、薺は立ち上がりもせず、同じ場所に座ったまま、ジロリと彼を睨んだ。

 「なんなんですかあれ、誰?、友達?」

 「友達なんか連れて来っかよ。

  あれは澪菜さんとこのメイドさんだよ、ああ見えても。

  今日は休みだったみたいだけどな」

 「ふーん・・・。

  いっぱいいるの?」

 「澪菜さんの専属だけで、確か4、5人だったかな」

 「曄ちゃんもそうなの?」

 「あれは違う。

  曄ちゃんは夏休みの間だけ、修行してもらう代わりにバイトしてんだとよ」

 「修行か・・・、いいなー、わたしも一緒に修行したい(ポワン)」

 (なんの修行だよ)

 「あんた、曄ちゃんに悪さしてないでしょうね」

 「してねーよ」

 「ホントにぃ?」

 「してたら生きてねーよ。

  大体、この前ここから帰ってから、一度も会ってねーし話もしてねー」

 「あ、そ。 死ねば良かったのに」

 薺の態度や言葉には、以前と変わらぬトゲがあるものの、それでも話しかけてくれただけで前よりはましになった。

 話し易くなったと感じた明月は、少し安心して、薺と2人きりで一つ部屋の中にいる居心地の悪さも薄れた。

 精神的に余裕があると、思考や判断にも余裕が出てくる。

 そしてここから、日常会話とは思えないオタクな単語の応酬が始まる。


 「そういえば、あんたギター弾けるのか?」

 「なんで?」

 「なんでって、部屋にあっただろ、マット・タックモデル」

 「バカ。

  あれはマットなんとかモデルじゃない。

  ていうか、人の部屋勝手に覗いた、スケベ!、変態!」

 「澪菜さんにくっついてったら入っちゃっただけだ。

  悪りいとは思ったけど、あん時はしょうがなかった」

 「あれはダン・スピッツモデルよ。

  ネックとピックアップ替えたけど」

 「ダンス・ビッツ?」

 「まさか、ダン・スピッツ知らない?」

 「・・・知らねぇ」

 「元アンスラックスのギタリスト。 知らないなんて信じらんない」

 「そういやEMGじゃなかったな。

  フロイド・ローズも付いてたし」

 「元々はEMGだったけど、今はセイモア・ダンカンのパーリー・ゲイツ」

 「パーリー?」

 「それも知らない・・・。

  ジョージ・リンチが使ってたヤツ。

  EMGは別のに付けた」

 「別のって、他にもあんのか?

  ジョージ・リンチって言やあ、カミカゼかタイガーか、まさかスカル&ボーンズか」

 「押し入れにフランケンシュタインのコピーが入ってるよ」

 「フ、フランケン・・って、ヴァン・ヘイレンか!

  すげーな、あんた」

 (どこにそんな金があんだ? 普通、小遣いじゃ買えんぞ どんだけ貰ってんだ

  巫女のバイト代ってそんなに儲かるのか)

 「別に。

  ホントはレスポール欲しかったんだけど」

 「レスポールか、あれは重たいぞ」

 「だから諦めた。 ネックの具合とかいいんだけど。

  どうせ、ブラックフィニッシュのケーラー付きフィル・コリンモデルなんて売ってる訳ないし」

 「フィル・コリンってったら、デフ・レパードか。

  あのデストロイヤーはカッコいいな、トリプルハムバッカーで」

 「DT−555、ディマジオのスーパーディストーションの付いたやつ。

  あの人が持ってるレスポールがカッコいい」

 「SGなら軽いぞ」

 「SG・・・。

  サンタナ、トニー・アイオミ、アンガス・ヤング・・・、あんまりパッとしないなぁ」

 (そりゃ失礼だぞ)

 「バンドとかやってんのか」

 「やりたいけど・・・、メンバー揃わないし・・・。

  ドラムやれる女の子って、あんまりいないし」

 「別に女の子バンドじゃなくってもいいだろ」

 「ヤダ。

  男子に混ざってやるなんてまっぴら」

 (やっぱ男は嫌いか・・・)

 「もしかして、動画サイトに投稿したりとかしてねーか。

  顔なしで、襖かなんかの前に立って、体だけ映ってギター弾いてるヤツ」

 「してないわよ、バカ」

 「なんか弾いてくれよ」

 「やだ」

 「なんで」

 「なんでも」

 「なんだよ、ケチくせー」

 「曄ちゃんならいいけど、あんたには聴かせたくない」

 「あの子はファイヤー・イン・ザ・ホールを雑音って言ったんだぞ。 聴きたがる訳ねーだろ」

 「そ、そうなの?

  ・・・どうしよう、わたし大好きなのに・・・。

  どうやって説明しよう・・・」

 「説明なんかしたって無駄だろ。

  好みなんて人それぞれだし、頑固だからな、あの子は」


 お互い距離は置きながらも、共通の趣味のおかげで会話はそこそこはずんだ。

 明月はこれまでになく饒舌だったし、薺は小さい声ながらも徐々に口数を増やしていった。

 「しかし、あんたのシュミって古くさいのばっかりだな。

  メタリカ、メガデス、スレイヤー、テスタメント、オーヴァーキル、メタル・チャーチ・・・。

  スラッシュって、いわゆるオールドスクールってヤツばっかりだ。

  殆ど名前くらいしか知らねーぞ」

 「そんな事ない。

  最近のだってある。

  ギロチンとか、ハヴォックとかランカーとかヘイトリッドとか」

 「そこまで行くと、名前も知らん」

 「じゃあ、あんたはなにが好きなのよ」

 「そうだな、今のお気に入りはクリスタリオンかな」

 「知らない」

 「ソナタ系って言やいいのかな」

 「わたし、キーボード出しゃばってシャカシャカすんの嫌い」

 「それは俺も同感だ」

 「じゃなんで聴くのよ」

 「俺は、どっちかっていうとメロディー志向派だからな」

 「だったらメタルなんか聴かなきゃいいのに」

 「いやいや、あのドコドコのリズムとガリガリのギターの音がいいんじゃねーか。

  なんつっても、ドラムとベースがただのリズム楽器じゃねーところがいい。

  もちろん、ザクザクのギターの切れ味もな。

  その上にキャッチーなメロディーが乗っかってたら言う事ねー。

  どっちか片方だけじゃつまんねーよ。

  スラッシュばりの切れ味鋭いクランチの効いた演奏に、ラスト・オータムズ・ドリームかフリー・スビリットとか

  プードルズくらいの歌メロがあったら、間違いなく最高だぞ。

  俺的に、今一番それに近いのはB4MVあたりだろうな。

  スクリーム・エイム・ファイアはいいアルパムだ」

 「ああ、あれ。

  所詮メタリカの弟分みたいなもんよ。

  メタリカがいなかったら存在してない。

  A7Xもスリップノットも」

 「チルボドとかアーチ・エネミーは聴かねーのか?」

 「デスでしょ、あれは邪道。

  スラッシュこそ、リアルメタル」

 「あーあ、言い切っちゃったよ」

 「あんた好き?、デスメタル」

 「たまーに、いい曲もあるけどな。

  イン・フレイムスのスタンド・アブレイズは超がつく名曲だぞ」

 「じゃあ質問。 メタルの名曲を3曲挙げよ」

 「3曲?、3曲は少ねーなー・・・。

  えーっと・・・、フリーホイール・バーニング・・、Mr.クロウリー・・、ファイナル・カウントダウンかな?」

 「ブ、ブーッ!

  正解は、サンダースティール、ライド・ザ・ライトニング、ハマーヘッドでした」

 「ちょっと待てーっ!

  そりゃいくらなんでも偏り過ぎだろ。

  ライド・ザ・ライトニングなんて挙げる人いるか?」

 「そうね、個人的にはフォー・フーム・ベル・トールズの方が好きだけど」

 「結局メタリカかよ・・・」

 「初期のメタリカは最高」

 「じゃあ、アモット兄弟とかアレキシ・ライホとかはコピーしねーの?」

 「マイケル・アモットは好き。

  ゲイリー・ムーアとかジョン・サイクスっぽいところが。

  ジョン・ノーラムに影響受けたって公言してるくらいだから当たり前だけど。

  でも、もっと好きなのがいる」

 「誰だ?、ガス・Gか? あ、メタリカだからカーク・ハメットか」

 「リー・アルタス、ヒーゼンのギタリスト。

  どうせ知らないんでしょ」

 「確かに、知らんな」

 「あんたは弾けないの?」

 「コードくらいしか知らねーよ。

  ソロなんてとんでもねー。

  6連符とか8連符の行列見ただけで目が眩む」

 「9連符、10連符、12連符なんてのもあるよ」

 「そこまでいったらもう人間業じゃねーみたいだ」

 「そんな事ないわ。

  練習すれば弾けるようになるよ」

 「インギーとか弾くのか?」

 「ちょっとかじったけど、つまんないからやめた」

 「じゃあ、後は誰かコピーしたか?」

 「アレックス・スコルニックとか、ジェフ・ウォーターズとか」

 「やっぱすげーな、あんた」

 (誰だか知らんけど・・・)

 「でも、わたし手小さいし指も短いから、大股開きフレーズが弾けなくって・・・」

 「ああそっか、そん時はどーすんだ?」

 「ポジション変えるけど、タイミングが遅れたりオルタネイトで弾けない時はタッピングでごまかす」

 「なるほどね、でもそれはそれですげーと思うぞ」

 「そ、そうかな・・・(照)」

 話しているうちに、薺の明月に対する警戒心や緊張が、徐々に緩んでいくのが分かった。

 「あ、そうだ、一ついいの教えたげるよ。

  スキャナーのファーストアルバム」

 「スキャナー? パソコンのスキャナーか?」

 「違う。 ハイパートレース、典型的なジャーマン。

  イントロのリフが目茶苦茶カッコいい。

  あれに比べたら、ハロウィンやブラインド・ガーディアンなんか話にもならない。

  テリオンは名曲よ」

 「マジで?、すげーの?」

 「今度聴かしてあげる」

 「今じゃねーのかよ」

 「ダメ、あんたは絶対部屋に入れてやんない」



 ☆



 「ずいぶんと話がはずんでるようですわね。 いつからそんなに仲良くなりましたの?」

 澪菜が客間に現れた。

 案内するはずの登山を後ろに従えて、廊下を先頭に立って歩いてきたその堂々とした立ち居振る舞いは、自然体で落ち

 着いており、他人の家だという事を把握していないかのようにも見える。

 それを見た時、明月は、まるで野良ネコみたいだなと思った。

 野良ネコというのは、大概にして初めは警戒して懐きもせず、体を触わらせてもくれないが、一度でも家の中へ連れて

 入ってそこに危険がないと認識させると、以降は手の平を返したように我が物顔で勝手に家中を歩き回るようになる。

 澪菜の態度は、そんなネコの習性にも似たものに思えたのだ。


 そしてもちろん、その彼女の後ろには、メイド服姿の曄がいた。

 薺は、そこに曄の姿を見つけると、脱兎の如く飛び出し彼女に抱き付く。

 「曄ちゃん!」 ギュウ

 またか、という顔をしながらも、曄は前回とは違い、あからさまに嫌がったりはしなかった。

 もう、薺がどんな行動をするのか織り込み済みだったのだろう。

 穏やかな声で、それでもどこか突き放すような、いつもらしい口調で薺を窘めた。

 「あたし、馴れ馴れしいの嫌いだよ」

 「ご、ごめんなさい・・・(汗)」

 慌てて手を放し、一歩下がって照れくさそうに微笑む薺を見て、澪菜がそれを真似て明月に駆け寄り抱き付いた。

 「んもう、明月のいぢわるぅ。

  どうしてわたくしにもお話してくれないんですの?

  照れてますの?(ニコ)」

 「ちげーよ。 あんたも離れろよ」

 (あんたじゃ、メタルの話なんかついて来れんだろ)

 後に続いて部屋に入ってきた菊花の格好のおもちゃになった。

 「お、けっこう楽しくやってんじゃん。

  アッキー、そのまま押し倒して挿れてまえ(笑)」

 「な、なにをっすかぁ!(汗)」

 「菊花、記念写真ですわ、ピース」

 「おっしゃ、任せて」

 (や、やめれ・・撮るな)

 「寿、床の用意を」

 「お嬢様!、それは早過ぎます!(汗)」

 「なんだよブッキー、折角嬢様が言ってんのに。 夜まで待てってかぁ」

 「菊花ちゃん意味が違う!」

 「いいじゃん、一部屋くらい貸してもらえば。

  こんだけ広いお屋敷なら、プライバシーも守られるし」

 「ダメです!、認めません! なに言ってるの、あなたまで!」

 「なに?、自分もまだなのに悔しいって?(笑)」

 「菊花ちゃん!!

  なんであなたは話を拗らすの!」

 「そう心配しなさんなって、そのうちいい男見つかるからさ。

  ブッキーは気立てはいいんだから、選り好みさえしなきゃいいんだよ」

 「私の話じゃないの!

  お頭に言われてるでしょ、お嬢様の暴走を許すなって」

 「寿、失礼ですわよ。

  わたくしは暴走なんてしてませんわ」

 「そうだよ、自然な欲求だよ。

  お頭に怒られて泣いてたブッキーが偉そうに言うな」

 「泣いてたんですの?」

 「そうだよ、なんだか急にイヌが飼いたいってお頭に言ったんよ。

  そしたら怒られて、“シルバニアファミリーでも飼ってろ”って言い返されて泣いてんの。

  大笑いだよ」

 「き、菊花ちゃん!、やめて!」

 「好きだなー、お頭のセンス」

 「あなた、また私の事ベラベラと、アッキー君や薺ちゃんにしゃべってないでしょうね!」

 「だーいじょうぶ、別になんも、ココの話しかしてないよ。

  まあ、ブッキーはネタの宝庫だからね、その気になりゃ幾らでも話せるけど」

 「やめてよね、お願いだから」

 「まったく、寿はおっちょこちょいだから、菊花にからかわれるんですのよ」

 「お、お嬢様まで・・(汗)」

 「菊花も、そんな人の揚げ足ばかり取ってないで、もっと女の子らしくしてないと、嫁の貰い手がなくなりますわよ」

 「余計なお世話だよ。

  そういう台詞は膜が取れてから言ってよね」

 「菊花!、殿方の前ではしたない!」

 「あ、そう?、ハハハハ」

 「わたくしには明月がいますのよ」

 「だから、さっさとやっちゃえって」

 「ダ・メ・で・すって、何度言わせるの、菊花ちゃん」


 なんとまあ騒々しい。

 女3人寄ればなんとかっていうのは聞いた事があるが、菊花が一人加わっただけで、こうまでうるさくなるもんか。

 結局、全て菊花一人で引っ掻き回している。

 学校の教室以外で、複数の女子と空間を一にした事などない明月は、このキャピキャピ感にはとてもついて行けない。

 これじゃまるで修学旅行の旅館の夜だ。

 そのうち枕投げでも始めるんじゃないか。

 桐屋敷家では、毎日こんな調子なんだろうか。

 この場にいる事に、とんでもなく違和感を感じる。

 (あーあ、ウチ帰ってクッキンアイドル観てぇ・・・)


 「ホントにもう、喧しいったらありゃしない。 他人ん家でなに騒いでんのよ」

 明月が思っているのと同じ事を言ったのは曄だった。

 彼女の目は醒めていた。

 やはり、曄は桐屋敷家に間借りしていても、この女性陣とは一線を引いている。

 馴染めと言われても、集団行動が苦手そうなあのツンデレ女王の曄では、すぐには無理なんだろう。

 曄の言葉に菊花が反応した。

 「あん?、今なんか言った?」

 「子供じゃないのにバカみたいって言ったのよ」

 「相変わらず生意気だね、ピカルのくせに」

 「ピカルって言うな!」

 「いやだ。 じゃあピカチウにしてやる、ピカチウピカチウ!」

 「こ、この・・・、人をなんだと思ってんの!」

 「電気ネズミ(笑)」

 「あんたの黄色い頭の方がよっぽどピカチュウでしょ!」

 「では本日のピカチューパンツチェーック!」 ガバッ

 「きゃっ!」

 「おっ、今日はピーンク!、しかも横ヒモー! なんだ縞々じゃないのか」

 「人の下着に文句つけるな!」

 「あの縞々よく似合ってんのに、お子ちゃまみたいで」

 「お、表に出なさい! その減らず口を利けないようにしてやる!」

 「まーそう慌てなさんなって。

  怪我が治ったら、いつでも相手してやっから」

 「あたしが怖いの?」

 「うんにゃ。

  片手で捻ってやってもいいけど、あんた飛び道具使うからねー」

 「おやめなさい菊花、大人げないですわよ。

  それに曄も。

  今の貴女では、まともに菊花とやり合ったら、例え片手といえども勃起不能ですわよ」

 「それを言うなら再起不能だ!、妄想エロ娘!」

 前言撤回・・・、馴染んでるかも・・・。


 やめさせるつもりで発言したはずの曄まで巻き込んで更に喧しくなって、益々収拾がつかなくなってしまった。

 誰かこの状況を鎮めてくれ、と思っていると、明月の一番側にいた澪菜が、と言うよりずっとべったり抱き付いていた

 澪菜が彼に向かって質問してきた。

 「そういえば、猫の妖怪は連れてきてませんの? わたくしも会いたいわ」

 「あん?、ああ、あれか、あんなヤツ連れてくっかよ、めんどくせー」

 (連れてきてたって、結界で守られたこの神社の中には入れんだろ)

 「え?、なになに?、アッキーネコ飼ってんの?、アメショーかなんか?」

 「え?、アッキー君アメショー飼ってるの?、いいなぁ」

 「飼ってませんて、勝手に棲み着いてるだけっすよ」

 「明月は猫の妖怪を使役してるんですのよ」

 「へえー、すごいねアッキー」

 「それって、猫股って奴ですよね、尻尾が2本に別れてる」

 「違いますって・・・」

 (もう説明すんのもめんどくせー)

 今度はこっちに飛び火してきた。

 でも、そのおかげで、話をまともな方向へ持って行けそうだ。

 「で、姉ちゃんには会ったのか」

 「姉ちゃん?」

 「説得しに行ったんじゃねぇのかよ」

 「いいえ、まだ会ってませんわ。

  そこへ向かう途中で葵さんから連絡があって、明月に電話して、すぐに引き返してきましたの。

  白蛇を奉納しただけですわ」

 「八ツ木山、とか言う所か」

 曄が愚痴をこぼす。

 「そうよ、こんな格好で山登りさせられるなんて最悪よ」

 そりゃそうだ。

 どの程度の険しい山なのかは知らないが、メイド服が登山に適しているとは言い難い。

 「おかげで脚が棒になっちゃったわよ」

 「わたくしもですわ。

  ですから、今日はこちらに一泊させていただきたいのですけれど、薺、ご家族に伺ってきてくれる?

  桂季の説得には明日向かいますって」

 「うん、分かった」

 またしても菊花が口を出した。

 「へぇー、そうなんだ、あたしも見たかったなぁ、ピカチューのパンチラ登山(笑)」

 「こらっ! なんであたしはいっつもパンチラなのよ! てか、ピカチュウって呼ぶな!」

 「あれ、あんた気付いてないの?

  そんな短いスカートじゃ、普通にちょっと動くだけでパンツ見放題なんだよ。

  あたしゃサービスなのかと思ってたよ」

 「み・・、見放題・・・」

 澪菜の命令で着ているものの、曄もそれは以前から感じている事だった。

 ちょっと動くだけで、というのはいくら何でも言い過ぎとしても、深めにお辞儀すれば、後ろからだとしっかり拝めて

 しまうのは確かだ。

 改めてスカートの裾を気にすると、側にくっついている薺がちゃっかりスカートをめくってパンツを観賞していた。

 「な、なにやってんのあんた! さっさと聞いてこい!」

 「曄ちゃん・・・、可愛い(ポ)」

 うん、意表を突かれてあたふたする時の曄は可愛い・・・。



 ☆



 冬舟は二つ返事で快諾し、彼等は篠清水家で一夜を過ごす事となった。


 明日はいよいよ桂季の説得に出向く事になる。

 客間で寛ぎながら、菊花が聞く。

 「ねえ、あたひもふいてっていいんでひょ」モグモグ

 (茶菓子の水羊羹食いながらしゃべるな)

 「お怪我の具合はいいんですの?」

 「ここまで来させといて、今更そりゃないっしょ」プハーッ

 (麦茶飲み干しながらしゃべるな)

 「構いませんけれど、余計な口出しは無用ですわよ」

 「分かってるって、お手並み拝見だね」シーハー

 (羊羹の楊枝をつまようじ代わりにするな)


 家族は、桂季を冬舟に負けず劣らずの頑固者と表現していた。

 それを、若輩者の澪菜お嬢様が説得など出来るものだろうか。

 対策のようなものとか考えているのだろうか。

 菊花でなくても興味がある。

 「で、どこにいるか分かってんの?」

 夏休みともなれば、桂季の場合帰省はしないにしても、旅行に出かけたりして居場所を特定するのが難しくなるのでは

 ないかと考えるのは、至って素朴な疑問だ。

 「桂季は夏休みになってもどこへも行かず、1人暮らししてるマンションで生活し続けている事が、母親の電話で確認

  されていますわ」

 「なにやってんだろ、バイトかな?」

 「そのようですわ」

 「どうやって説得すんの?」

 「それはまだ、やはり直接会ってみないと分かりませんわ」

 「大丈夫なん?、そんなんで」

 菊花の指摘を受けて、寿も思っていた不安を口にする。

 「やっぱり、なにか考えておいた方がいいんじゃないんでしょうか、お嬢様。

  折角家族もいる事ですし・・・、彼を知り己を知れば百戦殆うからずとも言います」

 「そうですわね・・・」

 「桂季対策かぁ、洒落た事言うねブッキー」

 「言ってません」

 (景気対策って聞こえるぞ)

 同席している薺に向かって、菊花が尋ねた。

 「ねえナズナズ、そのお姉ちゃんって、一言で言ってどんな人なん?」

 (ナズナズって・・・、この人すぐにあだ名付けるなー)

 「・・・普通」

 「それじゃなんの参考にもならん」

 「だって、ギター弾けないし、絵下手だし、プリクラいっぱいだし・・・」

 「なんかないの?、他に」

 「・・・・・・鍋奉行」

 「なんだあるんじゃん。 仕切り屋って事だね」

 「ちょっと違う」

 「違うの?」

 「ガミガミ言わない、けど勝手に装ってくれる」

 「へぇー、ココとは違うんだね」


 「じゃあ、好きな物ってなんですの?」

 「ミスチルとアジカン、キティちゃん、ドラクエ・・・、ハイキングウォーキング」

 (俺はサバ缶が好きだ)

 「コンサートのチケットで釣る気? それじゃ見え見えだよ、上手くいく訳ないっしょ」

 「そんなつもりはありませんわ、聞いてみただけです」

 今度は寿が聞く。

 「好きな食べ物とかあるのかな?」

 「そりゃケーキでしょ、なんたって桂季って名前なんだから」

 「菊花ちゃん、おやじギャグはやめて」

 薺は、菊花のジョークにも淡々と小さな声で答えた。

 「特別好きって訳じゃない・・・、嫌いじゃないけど」

 「じゃあ何が好きなの?」

 「りんご・・・、ピザ、ブイヤベース」

 (ジャズベースよりプレシジョンベースの方がカッコいいな)

 「じゃあ嫌いなものは?」

 「毛虫、ピクルス、らっきょう」

 (お、らっきょうは俺も嫌いだ)

 「休みの日とかは何してたの?」

 「家にいないから分かんない」

 「得意な料理とかあるかな?」

 「たこ焼き」

 「好きな学科は?」

 「たぶん世界史」


 寿の質問に全て一言で答えた薺。

 彼女は本来、人見知りなのだというのがよく分かった。

 曄以外に対しては、殆ど笑顔すら見せない。

 その答えも、当たり障りのない一般的なものばかりで、桂季という女性の人となりを知る手懸かりになりそうな確たる

 ものはなく、多少なりとも期待していた澪菜を落胆させた。

 「あまり参考にはなりませんわね」

 「まあ、どうせ、いきなり訪ねて行って説得なんかしたって、素直に聞くような人でもないんだろうし、気負っても

  しょうがないよ。

  特に、嬢様みたいな上から目線でばっかり物言う人の言う事なんかね」

 「菊花、なんですのその言い方。

  それじゃまるで、わたくしが説得に失敗するみたいじゃありませんの」

 「言いたかないけど、その線の方が強いっしょ。

  何するにしたって、焦っちゃダメなんだよ。

  せいぜい、跡取りっていう選択肢もあるんだよ、くらいに留めておいた方が無難だよ」

 「それでは意味がありませんわ。

  確約を得た事になりませんもの」

 「確約なんか無理だって。

  そんな即断即決出来る人なんて、そうそういないもんだよ。

  それに、嬢様にだって、人の人生を決める権限なんてないしね。

  台本通りには進まない、これ世間の常識」

 「いいえ、違いますわ、菊花。

  台本通りに進まないのではありませんわ。

  それぞれ違う台本を手にしているだけなのよ。

  立っている舞台が違うんですもの、台本に沿って話を進めようとすると噛み合わないのは当然。

  わたくしが為すべきは、桂季にわたくし達と同じ舞台の台本を手渡す事なのですわ」

 「だから、それが大変なんでしょ。

  桂季はここを継ぐのが嫌だから舞台を降りたんだよ。

  もう一度引っ張り上げるのは骨が折れるよって事」

 「そうですわね・・・・、でも、大丈夫ですわ」

 「なんか自信ありげだね。

  まさか、自分の式神を取り憑かせて言う事聞かそうなんて考えてないよね」

 (ああ、その手があったか)

 「まさか。

  わたくしがそんな無粋で卑劣な真似をするとでも思ってますの?、心外ですわ」

 「だよね、確認しただけだよ。

  あたしの嬢様がそんな汚い手使う訳ないよね」

 「当然ですわ。

  平身誠意、誠心低頭がモットーですのよ」

 (ウソつけ、てか、なんか間違ってんぞ)

 「必ず桂季を舞台に上げて見せますわ、今度は彼女が主役なのですから」

 「でも気をつけないと、好事魔多しだよ」

 「こうじ?、工事が多いのは年度末ですわ」

 「プッキャハハハッ!、いいねーこのボケっぷり。 だから嬢様好きよ」

 (たぶん、マジボケだぞ・・・)


 澪菜は常に自信に満ちている。

 この時もそうだった。

 話を聞く限り、とても妙案があるようには見えないのだが、一体、何の根拠があって、そんな態度を取り続けられるの

 だろう。

 明月にはとんと分からないが、なぜか彼女を見ていると、この人ならなんとかしてくれる、という気分にさせられるの

 だった。

 さすがお姉さん、相変わらず四文字熟語は意味不明なれど、貫禄だけはある。


 「そういや、俺も行かなきゃならんのかな」

 明月は、やっとその事に気が付き、側に座っていた曄に小声で聞いた。

 それに対する彼女の答え。

 「知らない。 澪菜に聞けば」

 あっさりばっさり。

 この件に関して、曄には何の決定権もないのは確かだが、それにしても素っ気ない無関心な言葉。

 まあ、これが彼女なんだ。

 いつになったら、人前で素直になれるんだか。

 (やれやれ、聞いた俺が間違ってた)

 澪菜が気付いた。

 「明月、どうかしましたの?」

 「いやー、俺も行くんかなぁと思ってね」

 「もちろんですわ。 その為にここまで来ていただいたのよ」

 「俺なんかが付いてっても、なんの役にも立たねーぞ」

 「そんな事はありませんわ。

  だって、側にいて欲しいんですもの」

 (おのろけかよ)

 すると、それを聞いていた薺が意見を述べた。

 「わ、わたしも一緒に行きたい」

 曄と離れたくない・・・、そして、自分がお姉ちゃんを説得出来れば・・・。

 薺の考えは、いちいち確認するまでもなく明瞭だった。

 澪菜は考えを巡らせた。

 この場合、家族、妹による説得が有効かどうか。

 「そうね・・・・、いえ、やっぱり貴女はここで待ってなさい」

 「でも・・、お姉ちゃんは、知らない人の言う事なんか聞かないよ」

 「貴女なら、説得出来るとでも?」

 「そ、それは・・・、分かんないけど・・・」

 「でしょうね。

  やはり貴女は連れて行けないわ。

  赤の他人の方が話し易い事もあるでしょ。

  貴女がいると、桂季の方が身構えてしまうかも知れませんわ」

 「でも・・・」

 澪菜の言葉は、薺には冷淡にも聞こえたが、それでも食い下がろうと試みる。

 また曄と別れるのが嫌なのだ。

 澪菜はちょっと考えた後、一計を案じて、曄に目配せした。

 その視線に気付いて、何かを感付いた曄。

 面倒臭そうに頭をかきながらも、澪菜の意向に従った。

 「あんたは待ってて」

 「・・・うん、分かった」

 従順・・・。

 本当に、薺は曄の言う事だけは素直に聞く。

 これぞ天の一声。



 ☆



 一夜明けて、いよいよ桂季の元へ説得に出掛ける朝がきた。

 「おはようございますー。 朝ご飯の用意が出来ましたー。 開けますよー」

 廊下から聞こえてきた薺の声に目を覚ました明月が襖を開けて顔を出してみると、薺が女性陣の寝ている部屋を開けて

 入るところだった。

 (あのヤロー、俺の部屋は素通りかよ)

 彼が廊下へ出てその女性陣の部屋をチラッと覗いて見れば、毛布や枕が散らかり放題。

 なんとも乱雑とした印象を受けた。

 まさか、本当に枕投げやったのか・・・。

 みんなまだ寝ぼけ眼をこすっていて、薺が一人で毛布をたたんで片付けていた。

 菊花に至っては、布団からはみ出して畳の上で大いびきをかいてる始末。

 (これは・・・、見なかった事にしよう・・・)

 曄や寿もそうだろうが、特にプライドの高い澪菜は、洗顔すらしていない顔を人に見られるのは心苦しかろうと、その

 場を静かに立ち去った。



 その後、朝食を終え、出発の支度を始めた一行の元へ、冬舟が歩み寄ってきた。

 「もう出掛けるかね」

 「ええ、突然の来訪にも歓待いただき、感謝致しますわ」

 「なに、礼には及ばんよ。

  では、お前さんにこれを渡しておこう」

 そう言った冬舟は、曄の方を向いて、彼女が座る畳の上に細長〜い風呂敷包みを置き、スッと差し出した。

 「これは、なに?」

 首を傾げる曄。

 冬舟がその結び目を解くと、中には年季の入った桐箱があった。

 その形状から、中身が刀か何か、1mくらいの棒状の物が入っているのはすぐに分かった。

 まさか、掛け軸をプレゼントする訳でもないだろう。

 その桐箱の蓋に書かれた文字に、曄は目を奪われた。

 「こ、これは!」

 「ほお、やはりお前さんには分かるようじゃな」

 「か・・、神納座・・・(汗)」

 (かんのうざ?、なんだそれ)

 見ると、毛筆で書かれた黒墨の草書で、確かに神、納、座の3文字が読めた。

 そして、その下には少し小さめの文字で、“塚 岩三 作”と作者らしき人の名もある。


 「お前さんが殄魔師と聞いて、思い出したんじゃ。

  確か、ウチにも殄魔師に纏わる物があったとな。

  で、お前さん等が帰った後、蔵の中を探して見つけたのがこれじゃ」

 「どうして、こんな物がここにあるんですの?」

 「奉納されたんじゃよ。

  過去帳を調べたら載っとった。

  寛延2年に奉納されたとある」

 「寛延といえば、9代将軍・徳川家重、桃園天皇の時代ですね。

  250・・・260年くらい前です」

 へー、そう、というか、半ば無視同然に寿の言葉を聞き流した澪菜達。

 正直、そんな年代よりも、刀そのものの方に興味が集中していた。


 ちなみに、寿の生家は寺ではあるが、妖怪や悪霊退治のような事はしていない。

 ただ、そこは古くから妖怪研究の為に古文書や蔵書を多く収集、保管しており、その関係で白泰山会との縁も深く、

 中将家は会の発足以来、その中核を成す重要な役職を担っている。

 その影響か、彼女は妖怪に関わる知識が豊富で、日本史にも造詣が深い。


 曄が、その桐箱を見ながら徐に話し出した。

 「話には聞いてる・・・。

  神納座とは、元々殄魔師用の退魔武器職人だった神納塚家が作って所有していた刀の事・・・。

  神納塚家は幾つも武器を作ったらしいけど、その家の名を銘に持つ武器はただ一つだって、聞いた事がある」

 「そんなに珍しい物じゃったのか・・・」

 「それだけじゃないわ。

  これは、正真正銘の妖刀よ」

 「妖刀?」

 「そう・・・。

  これは、一滴でも血を浴びれば、同じ味の血を全て吸い尽くすまで追い続けるって言われてる・・・。

  つまり、ほんのかすり傷でも付けたが最後、傷つけられた者はその瞬間に死を宣告されたも同じ。

  どこへ逃げようと追い続け、全てを切り刻み、最後の一滴まで搾り尽くす・・・、っておじいちゃんに聞いたっけ」

 「まさか・・・、勝手に動くのか?」

 「ていうか、持ち主に居場所を知らせるみたいな感じだって。

  で、相手を見つけると、体が勝手に反応するっていうか、刀に操られるように自然と動いて相手を斬りつける・・」

 「つまり、刀の持つ妖力に支配されるという事ですの?」

 「たぶん・・・。

  あたしも話に聞いただけだから分かんないわ」

 「なんか、生き物みてえだな」

 「と言うより、それが本当なら、まさしく吸血鬼ですわ」

 「だから、相当に強い妖力の持ち主じゃないと、扱うのは無理なんだって。

  力のない人が持つと、その瞬間に精神が壊れ、発狂するって」

 「こ、怖えぇ・・・」

 「そんな恐ろしい物じゃったのか・・・。 開けんで良かったわい」

 「まさか、昔話だと思ってた。 本当に実在するなんて・・・」


 この時、曄は詳細を話していないが、神納塚家は室町時代から江戸中期にかけて活動していた刀鍛冶職人で、ほんの

 一時期、自らも殄魔師として妖怪退治をしていたという。

 茨屋等の組織には属しておらず、殆ど単独で行動していたと見られ、どの組織の古文書にも彼等の妖怪退治に関する

 詳細な記録は残されていないが、彼等が製作、使用した武器は非常に高性能かつ強力で、殆どの殄魔師が憧れ、欲して

 やまなかったという記述は随所に散見される。

 もちろん、それらは一般の武士が平易に扱えるような代物ではなく、それ相応の妖力を持つ者のみが使用するに堪える

 特殊な物であるのは言及に当たらない。

 いつしか、必然的に神納塚家は殄魔師専用の退魔武器を製作する刀鍛冶となり、数々の武器を提供するに至った。

 しかし、彼等の姓を冠した宝刀“神納座”だけは門外不出とされ、決して他者の手に渡る事のない、まさに幻の名刀と

 呼ばれ続けた傑作中の傑作であると伝えられる。

 したがって、曄の話は全て人伝に語り継がれてきたものであり、真偽を確認した者もいない。

 それでも、殄魔師の間では誠の伝説として、現在に至るまで言い伝えられてきた。

 曄がこの話を聞いたのは幼少期で、詳しく覚えていないのも致し方のない事。


 「一体、誰が奉納したんですの?」

 「詳しい事は知らん。

  奉納した人物の名も残っとらんし、その経緯も何も書かれておらんのじゃ。

  過去帳には退魔刀と記録されとるので、そんな物を使うのは殄魔師しかおらんと聞いとったのでな、すぐにそれと

  分かったんじゃが、何故にウチの神社に奉納されたかは、全く以て見当もつかん」

 「本物なのかな、開けてみよっか」

 「やめなさい菊花!、危険ですわよ」

 「わしも箱を開けて中を見た事はない。

  外箱を見ただけで、中に何があるかは一目瞭然じゃからの。

  それに、なんとも言えん不気味な感じがするじゃろ、箱の上からもな」

 確かに、妖気でもない、邪気でもない、今まで感じた事のない不思議な気配を感じる。

 箱を開け、中の刀を手にする事が可能なのは、ここにいる中では唯一、曄を置いて他にはいないのだ。

 その曄が、緊張しつつゆっくりと手を伸ばして、箱の蓋を開けてみる。

 中には、何の変哲もない普通の黒鞘の日本刀があるだけだった。

 「なんだ、ただの普通の刀じゃん・・・、な訳ないか」

 さすがの菊花も、おいそれと手を出す気にはなれなかった。

 見た目は普通だが、それが明らかに一種異様な気配を漂わせているのは、その場に居合わせた人々には明白だった。

 迂闊に触れようものなら、その身に何が起こるか分からない。


 曄は、ごっくんとツバを呑み、意を決して箱の中の刀を掴んで取り出すと、気を集中させながら鞘から抜いてみた。

 「・・・大丈夫?、ピカチュー」

 「うん、なんともない」

 (あ、ピカチュー認めた・・・)

 細く、長い、見事な刀ではある。

 が、前に曄が持ち出した聖護院家の宝刀・悉剿のような、見ているだけで吸い込まれそうな、支配されてしまいそうな

 おぞましい寒気のする感覚はない。

 説明出来ない認知不能の気配はするものの、それが一瞬にして人を狂気せしめる程の力を持つものとは思えない。

 本当に、これが持つ者を発狂させるという幻の妖刀なのだろうか。

 恐らく、この刀は、血の臭いを嗅ぎ、味を知る事でその恐るべき能力を発動させるのだと推される。

 事実、曄は至って普通にその刀を扱っている。

 いや、曄だからこそ、手にして尚普通でいられるのだ。

 「それに、ずっと研いでないから、このままじゃたいして役に立ちそうにないわ」

 「違うよ。

  その刀は斬って使うんじゃない、ぶっ刺して使うんだよ・・・」

 そう言った時の菊花は、いつになく真剣だった。

 こんな目つきの彼女を見るのは初めてだ。

 曄は、修行で対戦した時でも、彼女のこのような真面目な顔は見た事がなかった。

 「あんた、さっき、この刀は相手の血を最後の一滴まで吸い尽くすって言ったでしょ。

  なんかの比喩かと思ったけど、どうやら本当みたいね。

  刺して使うんなら、研いでなくっても、刃が欠けてたって構わない。

  この刀には、常識なんて通用しないよ」

 さすがに、この中で一番経験豊富な実力者である菊花は、その刀の持つ異常とも言うべき特性を見抜いたらしい。

 いつもとまるで違う説得力を持ったその言葉が、その場の人達に与えた影響はかなり大きかった。

 生半可な気持ちで接すると、本当に命取りになりかねないのだと思わされた。

 曄でさえ、使いこなすには相当の修練と妖力が必要で、今のままでは到底適わないと理解した。

 周囲にどんよりした緊張感が漂う中、その雰囲気に呑まれて次第に不安になった冬舟が、曄に問い掛けた。

 「やはり、渡すのはやめといた方が良いかのう。

  お前さんが望むならば、今まで通りこっちで預かっておいても構わんが」

 曄は躊躇わなかった。

 「いいわ、あたしが預かる。

  大丈夫、絶対使いこなせるようになってみせるから」

 やっぱり、じじいの言葉は今更遅過ぎた。

 こういう、強い意志と覚悟を秘めた表情を見せる時の彼女には、何を言っても無駄なのは明月には分かっていた。

 (わがままだからなー、人の言う事なんか聞きゃしねー)

 新しいおもちゃを与えられてときめく子供みたいな目をしている、とでも言ったら怒るだろうか。

 どう感じたかは分からないが、それは菊花を始め、その場にいた皆にも伝わっていた。

 「心して使いなよ。

  あんたが呑まれちゃうとは思わないけど、気を抜くとその場で食われるよ」

 「うん、分かってる」



 かくして、曄は新しい武器を手に入れ、一行は、冬舟と薺に見送られて柿根神社を出立する。

 「では行って参ります。

  必ずや、期待に添うてご覧に入れますわ」

 「武運を」


 そしてここから、寿の試練が始まる。

 菊花の運転する車に乗るという試練が・・・。



                                       第12話 了


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