第11話 炎の導火線
DISPELLERS(仮)
11.第11話 炎の導火線
翌朝、寒さでブルッて目を覚ました明月。
山間部の朝は、放射冷却のせいで、真夏とは思えない程に気温が下がる。
季節を一っ飛びして晩秋になってしまったような、もはや涼しいを通り越して寒いのだ。
熱帯夜に馴染んでしまった体には、毛布一枚羽織ったところで、震えあがって眠るどころではない。
今朝のような晴天なら尚の事である。
7時前に起きるなんて、小学生の時以来かも知れない。
(ああ、そっか、この前不機嫌な誰かさんに、竹光でブッ叩かれて起こされたっけ・・・)
同室だった定芳は、既に起きていて、部屋にはいなかった。
別室の女性陣はまだ寝てるかな、などと思いつつ、もう赤トンボでも飛んでるんじゃないかと窓を開け、外の爽やかな
空気を吸い、長閑な朝の情景を眺めると、別の生き物が飛んでいた。
(朝から縁起悪・・・)
ベランダの手摺りにそのカラスが降り立った。 バサバサ
「早い目覚めだな、八百神。 家にいる時とは大違いだ」
「なんだてめぇ、まだいたのか。 とっとと帰れ。
ったく、勝手について来やがって」
「あの娘、忌々しいな。
訳の分からん護衛なんぞ付けおってからに。 邪魔ばかりされて、近付く事も出来ん」
「鎌鼬だよ。
てめぇ如きじゃ、触れもしねぇよ」
「腹減った、なんか食わせろ」
「食わせろって、てめぇは飯なんか食わねんじゃなかったっけ?」
「愚か者め、死んだとはいえ此奴は生物だ。
生物は食わねば動かん」
「死んだやつが飯食うかよ」
生物とは、細胞の寄せ集めで出来ている。
そのうちで、生命維持の根幹を成す部分がその役割を終えたとしても、全ての細胞が瞬時に機能停止する訳ではない。
このカラスは死んでいる。
だが、心臓が止まっただけで、その身体を構成する細胞全てが死滅してはいない。
黒坊主が取り憑く事で、脳と心臓の肩代わりをしていると解釈すれば、死んだカラスが動き回る事にも説明がつくし、
細胞を維持する為にエネルギーを必要とするのも理解出来る。
とか考えて一人で納得していると、カラスが勝手に部屋に入り込んでいて、昨日、旅館の人が持ってきて座卓の上に
置いて行った饅頭の残りを啄んでいた。
「こらっ!、てめー勝手になに食ってんだ!」
「そう言えば、あの娘、下で陰陽師娘と何かしておったぞ」
「なに?」
ベランダに出て下を見ると、なんと、曄と澪菜が階下の庭園で何やら言い合いをしている光景が目に飛び込んできた。
(なにやってんだ、あの2人)
「大体、あんたエアコン効かせ過ぎなのよ。
寒くてちっともまともに寝らんなかったわ」
「あら、よく言うわ。
熱い熱いって言ってたのは貴女でしょ」
「熱いって、意味違うでしょ! 誤解を招くような事言わないで!」
「フフフ、まだ火照ってるの?」
「だから!、変な事言うな! マジでブッ殺すわよ!」
「鎌鼬を使役したからって、いい気にならない事ね。 わたくしなら、あんなのいつでも封印出来ますのよ」
「やれるもんなら、やってみなさいよ! 変態エロ娘!」
「そのエロエロプレイを、心行くまで楽しんだ張本人がよく言うわ」
「やったのはあんたでしょ!」
なにやら、非常に意味深な言葉の数々・・・。
なぜか2人は、庭園にある鯉の泳ぐ池を挟んで、その両側に立って罵り合っていた。
その光景が、様子を見る為1階へ下りて外へ出た明月に、ある事を連想させた。
「なにやってんだ、あんたら、朝っぱらから・・・。
川中島じゃねんだぞ」
「ハイ、おはようダーリン、昨日はよく眠れまして?」
(眠れねーよ 昨日あんたが、曄がMだとか言うから、気になって気になって・・・)
愛想良くニッコリ笑って挨拶する澪菜に対して、曄はちょっと斜めな機嫌をそのまま顔に出していた。
「明月・・、なに言ってんのあなた、なにが川中島よ」
「なんだ知らねーのか」
「知ってるわよ、バカにしないで! 上杉けんち・・」(舌噛んだ)
「プッ、けんちんですって、誰ですの?、それ(笑)。
差し詰め、敵方の武将は武田ちんげんとでも言うのかしら?」
「う、うるさいわね!、バカ乳!」
「きっと、好物はチンゲン菜ね」
「もういいっ!」
もしかして、この2人、実は仲良しなんじゃないかと思えてきた。
「では、明月も起きた事ですし、朝食が済んだら早速出かけますわよ。 今日は、忙しい一日になりそうですわ」
澪菜が先立って旅館に戻ろうと歩き出すのに続いて、曄と明月も歩き出す。
その時、池の縁の石の上に立っていた曄は、湿った苔に足を滑らせてバランスを崩し、転びそうになる。
「キャッ!」
池に落ちるのを避けようと、強引に体勢を捻った彼女は、その声に振り向いた明月の胸にダイブする。
「わっ!」
明月は、咄嗟の事に身構える事も出来ず、彼女を抱えたまま2人で転ぶ。 ドスン
(あ、なんか違う・・・)
曄を抱擁するのはあの日以来。
心理状態が異なるせいなのか、感触まで違って感じた。
簡単に言えば、あの時は、シャボン玉のように脆く壊れてしまいそうな、儚く大切なものを抱く感じで、今のは弾力の
あるプニプニした、柔らかくエロいものを抱く感じ。
無論、今の方がいい。
気付いて振り返った澪菜はジェラシー一杯。
「まあ!、朝っぱらからなんていやらしい! まったく、最近の若い者は、節操がないにも程がありますわ!」
(若い者って、あんたは何歳だ!)
「違う!、誤解よ!、ただ滑っただけじゃない!」
「パンツ丸出しで言う台詞ではありませんわよ、エロ尻娘」
「エ、エロ尻って言うな!」
慌ててスカートで隠す曄。
真っ白か・・・、新鮮だなぁ・・・。
朝からいいものを見せてもらった。 パコンッ!
曄の鉄拳が飛んで来た。
「い、痛ってぇーっ!、なにすんだいきなり!」
「だって見たもん!」
八つ当たりかよ・・・。
「だいたいデザインが悪いのよ、この服!、スカート短過ぎ!」
やっぱ八つ当たりだ。
(俺は、そのメイド服は最強だと思うぞ)
☆
時間は午前8時過ぎ。
柿根神社へ行くと、既に参拝客がちらほら訪れ始めていた。
巫や巫女によるお祓いは、基本的に予約制で、9時から順次行われる事になっているので、昨日の突然の澪菜の申し出
に、時間の変更を余儀なくされる依頼者も出てくるかも知れない。
篠清水家の母屋を再訪した澪菜は、挨拶も早々に更なる注文をつけた。
「では、一般の方の立ち入りを制限する措置をお願い致しますわ。
今から、薺のお祓いを致します。
ただし、その前に、この周囲に張り巡らせた結界を、全て解いていただきますわ」
「な、なんじゃと!?」
これには、冬舟始め、登山も驚いた。
「そんな話は聞いとらん!、一体どういうつもりじゃ!」
「そ、そうですよ。
そんな事したら、ここは完全に無防備になってしまう・・・(汗)」
「ご心配には及びませんわ。
この付近にそれ程危険な妖怪はいませんので」
(おいおい、確認もしねーで、口から出任せもいいとこだぞ・・・)
「た、例え、そうだとしても・・・」
「白蛇が大人しく薺から離れて消え去れば良し。
ですが、状況次第では封印する事になるやも知れませんので、その時はわたくしの式を使います。
結界があっては、式が自由に動けませんわ」
「式・・・、式神の事か」
「そ、そう言われても・・・。
他に方法はないのですか?」
「聞き入れていただけないのであれば、わたくしは何も出来ませんわ」
わがままお嬢様の勝手放題に、冬舟は呆れると同時に怒りが込み上げてきた。
「バカモンが!
そういう事はもっと早くに言うておくもんじゃ!
すぐにどうこう出来るものとは違うんじゃぞ!」
「あら、そうですの?
呪符を剥がせば済む事ではありませんの?」
「簡単に言うでないわ!、この世間知らずの乳娘が!
ワンタッチで簡単ポンの白髪染めとは訳が違うのじゃ!」
「わたくしも、伊達や酔狂で申しているのではありませんわ。
必要だからお願いしているんですのよ。
自身の身を守る事だけに執着するような弱腰では、なにも解決致しませんわ」
澪菜は、澄ました何食わぬ顔で、飄々と辛辣な言葉を浴びせる。
思った事をそのまま言葉にするのは、彼女の悪い癖だ。
素直と言えば素直だが、これでは、彼女に対する悪い印象が払拭される訳がない。
朝の一発目から口論とは・・・。
それでも、登山は、薺の為に我を押し留めて、冬舟を説き伏せようとする。
「父さん、任せてみると決めた以上は、言う通りにしてみようじゃないか。
薺の命が懸かってるんですよ」
登山の言葉を聞いて何を思ったか、澪菜は、冬舟に向かってニッコリ微笑んで軽く腰を屈めた。
彼女にしては珍しい、殊勝な態度だった。
「お願い致しますわ(ニコッ)」
ホルターネックのワンピースの胸元から、深い谷間が顔を覗かせる・・・、いわゆるだっちゅーのポーズ。
冬舟は、目の遣り場に困った表情で、慌てて他所へ目線を泳がせた。
「・・・う、うむ、よ、よかろう(汗)」
あえなく陥落。
男に対して、澪菜のチラ見せ攻撃は恐るべき効果を発揮する。
正直、あの事象の地平面からシュヴァルツシルト半径内に取り込まれたら、脱出出来る男は皆無と断ぜざるを得ない、
まさしくブラックホール級の究極の絶対兵器だ。
年上をからかう趣味はないって言ったのは、一体どこのどいつだ。
運良く、その日の予約は1件だけだったので、別の日に変更する事が出来た上に、一般の参拝は終日取り止める措置を
取るよう計らった。
お祓いにどれだけ時間がかかるか、見通しが立たないからだ。
その間に、冬舟が神社の周辺に張り巡らせた結界を解いて回った。
澪菜は、薺を拝殿に運ぶよう登山に命じた後、薺の部屋へ行って、スピーカー付きのミニコンポを持ち出して来た。
(ミニコンポ? なにすんだ、そんなもん)
ちょうどそこへ、下の駐車場で結界が解けるのを待っていた枇杷と通草が、参道を通ってやって来た。
「澪菜さまぁ〜」
通草が、愛想のいいニコニコ顔で手を振る。
「来ましたわね。
では、枇杷、通草、その、拝殿の前に封印の陣を張ります。
手伝って」
「はい、澪菜様」
結界の解除を終え、母屋で一息ついた冬舟が、境内に出て来た。
彼の目には、境内を普通に歩いている人化した妖怪が、どのように映っているのだろう。
結界で守られている通常では、まず有り得ないその様子を横目で見ながら、澪菜に近付いた。
「危険はないのかね」
「わたくしの式が、肉食の獣や毒虫に見えまして?」
「そうではない。 お祓いの事を言っとるんじゃ」
「危険は承知の上ですわ。
皆さんは、どこか安全な場所へ退避していただきます」
「わし等まで追い出す気か」
「見学なさりたいと言うなら構いませんけれど、くれぐれも白蛇に取り憑かれないよう、各々注意して下さらないと、
そこまで面倒は見きれませんわよ」
拝殿の畳の上に寝かされた薺。
その前に立つ曄。
ミニスカメイド服で竹光を持っても、あんまり勇ましくない。
澪菜がコンポにCDをセットした。
恐らく、何も考えずに適当に選んだと思われるそのCDを、ボリュームMAXで再生すると、いきなり怒濤のように
鳴り響くザクザクのリフの嵐と疾走する重低音!
(おお!、こ、これはっ!、“ファイヤー・イン・ザ・ホール”! 朝っぱらからこれはキクぜぇ!)
「な、なんですの!?、これは!」
澪菜は、思わず手で耳を塞ぎ、顔をゆがませてスピーカーを横目で睨んでいる。
「自分でかけといて、そりゃねぇだろ」
「こんなのとは知りませんでしたわ・・・。 明月はご存知ですの?」
「ラーズ・ロキットの“アナイアレイション・プリンシプル”だろ、知ってるよ。
ファイヤー・イン・ザ・ホールは名曲だぞ」
「名曲・・・、ですの・・・?、これが・・・」
明月は何を思ってその言葉を使うのだろう。
澪菜は、首を傾げる自分の常識の方が間違っているのではないかと、自問自答してしまった。
曄の感想も似たようなものだった。
「これのどこが名曲なのよ、ちっともメロディーがないじゃない。
耳を疑うわ、こんな騒音、って言うより雑音」
「この曲は歌よりギターを聴くもんだ。 分からんかなぁ、このカッコよさ」
「ちっとも分かんないわよ、音楽センスの欠片も・・・」
言いかけて、薺の方を見た曄は、思わず言葉を止めた。
薺が反応している。
眠ったままだが、口元というか、頬のあたりがピクッと動いて、見ていると、次第にその頬が赤味を帯びてきた。
やはり生粋のスラッシャー、このノリのいいメタルナンバーに無意識に血が騒ぐと見た。
そして、ウ〜、ア〜という低く這うような呻き声がし始め、少しずつ、微弱な妖気が滲み出してくる。
澪菜がフフンと笑った。
「わたくし達はともかく、薺はこういう音楽が好き。
そして、山奥の社で独り静かに暮らしていた白蛇は、喧しいのを好まないはず。
思った通りですわ」
薺は音楽に好意的な反応を見せ、白蛇は逆に拒絶反応を示したという事か。
彼女の好きな音楽を聴かせて力を与え、それが白蛇にとって嫌悪すべき耳障りなものであれば、その効果は一石二鳥だ
と、澪菜は考えていたのだった。
自分の構想が図に当たって気を良くした彼女は、軽い足取りで拝殿を降りると、参道の石畳の上に描いた円陣の中心に
手の平サイズの小さい壺を置いた。
これで、準備が整った。
かけ声を合図に、お祓いが開始される。
「では、手筈通り、始めますわよ。
レッツ、パーリーですわ!」
☆
曄は、開け放たれた拝殿の扉の下枠木の縁に仁王立ち、静かに竹光を下段に構え、目を閉じ、気を集中し始めた。
明月が、薺の側にしゃがんで、手から気を送る。
この場合、口づけで直接気を送った方が、より効果的ではないかと思うのだが、澪菜がそれを認めなかった。
白蛇が明月に乗り移る可能性がある、というのが彼女の意見だった。
ところが、いざ気を送ろうと手を近付けてみると、触れてもいない薺の体から、その手を押し返すような強い圧力を
感じた。
なんだ?、白蛇の抵抗か・・・?
いや、違う。
薺の結界が、外部からの干渉を阻んでいるのだ。
何度か試したが、全く歯が立たない。
実に屈強で堅牢な結界だ。
これでは、文字通り手が出せない。
外からどんなに気を送っても、内部に届かなければ意味がない。
やはり、ここは・・・。
明月は、薺の頬に手を当て、口を少し開くと、人工呼吸でもするように口伝てに気を送ってやった。
すぐに、薺の体がピクッと反応した。
自分の唇に触れる異物を感じて、無意識のうちにも動揺しているみたいだった。
結界が、微妙に変化の兆しを見せた。
精神的安定が乱され、結界を維持するのが困難になってきた証拠だ。
それまで、頑強に外界からの接触を全て排除してきた結界に、綻びが生じ、風穴が開いた。
徐々に気を強めて送ってやると、程なくして彼女の手足が少しずつ痙攣し始め、次第にバタつかせ出した。
白蛇が、彼女の体内で苦しみ、のたうち回っている。
このまま続ければ、澪菜の言う通り、白蛇が明月の方へ攻撃をしかけてくるかも知れない。
乗り移って反撃を試みる可能性は否定出来ないが、そうなったらなったで、自分の体内を浄化する術なら、なんとなく
分かっている。
まあ、どうにか対応出来るだろう、と考えていると、曄の声が聞こえてきた。
「アキ!、どきなさいっ!」
殺気めいたものを感じた明月が顔を上げると、曄が竹光を振り翳して突進してくるではないか。
「うわっ!(汗)」
と、慌てて退くや否や、曄が、薺のお腹の辺りを思いっきり竹光でぶっ叩いた。 バシンッ!
(いくら人は斬れないからって・・・、遠慮ってもんを知らんのか、この子は)
「ウッ・・」
奇妙な呻きと共に、薺の体が大きく脈打ち、口から少し妖気が押し出されるように体外へ出たのが分かった。
それに気付いた曄は、再び激しく薺を打ち付けた。
白蛇は、薺の中で曄の竹光に斬りつけられて、悶え苦しみ、意図せず明月が開けた結界の穴から飛び出したのだ。
今だ!、とばかりに、明月がその妖気を腕に抱え込み、強引に引っぱると、白蛇の実体が目に見える形で姿を現した。
でろん・・・
全長は3mくらいだろうか。
妖怪と言うと、5mを超えるような大蛇を連想するが、これはそこまで大きくはない。
昨日、薺の体に巻き付いて見えた姿は、白蛇が見せたイメージ、ある種の幻覚だった。
とはいえ、結界から解放されて一気に放たれるその妖気はかなり強い。
が、曄は怯まなかった。
「明月!、離れてっ!」
明月が手を離すと、曄が畳みかけるように竹光を打ち放つ。
行動の自由を得た白蛇は、俊敏にそれを躱す。
更に竹光を振り回して追いかける曄。
この前の彼女とは見違えるように活き活きしている。
やっぱり、曄はこうでなくちゃいかん。
彼女は、白蛇を拝殿の外へ追い出して、澪菜の描いた円陣まで追い込むのが役目だった。
少しずつ、ジリジリと、その方向へ行くように誘導した。
澪菜の計画では、白蛇を薺の体外へ追い出すのは明月の役目で、曄が動くのはその後のはずだった。
少し先走った感のある曄の行動だったが、それ以外は思い通りに推移していた。
その隙に、明月は薺の体を浄化して、再び白蛇が取り憑くのを阻止しようと試みる。
すぐに、拝殿内全体が、白蛇の妖気で満たされた。
最も影響を受け易いのは曄だ。
彼女は、白蛇の妖気に負けないよう、自分の気を加減しながら解放し、徐々に高めていく。
瞳の色が僅かずつ褪せていくが、以前のような、急激に弱々しくなるような気配は欠片もない。
無理してるのか、修行の成果なのか。
拝殿の外、円陣の前に立ってその様子を窺っていた澪菜は、側にいる式神に命令した。
「枇杷、通草、曄を手伝って」
「はい、澪菜様」
「チェッ、しょうがないなあ」
2人は、サッと二手に分かれると、拝殿の両端から白蛇を挟み、逃げ道を塞いだ。
そして、中央から曄が一気に猛追、白蛇に斬り込む。 シュパッ
瞬時に身を躱してそれを退けた白蛇が反撃、大口を開け、牙を剥き出して曄に食らい付こうと迫って来る。
竹光を構え直す間がない。
曄は、一度振り抜いた竹光を、右手でそのまま背中まで持って行き、上に放り出した。
その体勢のまま、今度はそれを左手で掴むと、肩から一気に振り下ろす。
奇声と共に、白蛇の体から鮮血が迸った。
凄い早業。
時代劇の殺陣でも見た事がない。
「カ・・、カッコいい・・・」
薺が、か細い声で呟いた。
(な、なに!?)
驚いた明月が自分の手元に目を遣ると、畳の上で眠っていたはずの彼女が目を覚ましていた。
明月の浄化能力の即効性は以前から認識していたが、彼女自身にも妖気に対する強い耐性があったせいで、思っていた
より早く回復の兆しを見せたのだ。
その目は、じっと曄を見つめていた。
何を思って見入っているのだろう。
ミニスカを翻して、壮快かつ暴力的に妖怪に斬り掛かる彼女を見てると、とてもMとは思えないんだが・・・。
しかも、拝殿内をあれだけ所狭しと動き回りつつ、竹光をブンブン振り回して大立ち回りを演じているにも関わらず、
柱や天井、畳など、建物や建具には傷一つ付けていない。
彼女の剣裁きは、やはりずば抜けている。
まさしく水を得た魚の如く、躍動しまくっている・・・、いろんなとこが・・・。
その集中力は、竹光を振り回す度に目映い純白のパンツがまる見えになるのさえ、気付かない程だった。
見とれていた薺が、やおら体を起こした。
「お、おい、大丈夫か? まだ寝てた方がいいぞ」
心配になった明月が思わず声をかけると、薺は、その時初めて自分のすぐ側に人がいる事に気が付いた。
ハッとして彼の顔を見る。
そのクリクリした大きな目は、彼女の童顔をより一層強調し、本当に同い年なのかと疑ってしまいそうになる。
ただ、彼女はすぐに、その愛らしい顔を曇らせた。
眉を顰めて、明月を怪しむような目つきで見た。
「あなた・・・、誰?」
「あ、お、俺? 俺は・・・、お祓い屋さん(汗)」
(自分で言ってて、なんだか恥ずかしい・・・)
「お祓い屋・・・」
そう聞いて考え込んだ薺は、はたと何かを思い出した。
「じゃあ、あなたは桐屋敷家の陰陽師・・・」
「ま、まあ・・、その関係者だな。 陰陽師は外にいる、見えるだろ」
薺は、明月の視線を追って、外の石畳の上で呪符を手に構える澪菜のいる方を見た。
「じゃあ・・・、じゃあ、あの人も?」
しかし、彼女が指差したのは、澪菜でなく曄の方だった。
その目はキラキラと輝いている。
「あん?、あ、曄ちゃんか・・・、ああ、一応な・・」
それを聞くと、彼女はみるみる血色を戻し、小さな笑みを浮かべて、再び曄に見入った。
「ひかる、ちゃん・・・」
(な、なんだ?、この子・・・、曄の方ばっかり見て・・・)
一瞬の隙を突いて、通草が白蛇の尻尾辺りに噛み付いた。 カプッ
通草はどんどん白蛇の妖気を吸収し、次第に、白蛇の動きに生彩が失われていく。
その機に乗じて、一気に妖力を上げて鋭い一撃を加える曄。 スパンッ!
竹光が、白蛇を真っ二つに切断した。
びっくりしたのは、白蛇に噛み付いていた通草。
「こ、こらっ!、バカちん!、あたしまで殺す気? もうちょっとで当たるとこだったじゃないよ!」
曄が斬ったのは、通草が食らい付いていたすぐ近くだった。
「ざーんねん、あんたを狙ったのに(笑)」
もちろん、始めから狙っていた訳ではなく、成り行きでそうなってしまっただけなのだが、曄は敢えて釈明しようとも
せず、わざとおちゃらけてみせた。
これを、驚いて目を点にして見ていたのは、薺だけではなかった。
拝殿の横から母屋へ続く回廊の片隅で、物陰に隠れて密やかに澪菜達の様子を窺っていた篠清水家の家族もまた、その
光景に言葉を忘れた。
神聖であるべき拝殿を、式神とはいえ妖怪が闊歩しているのを見るのは、未だ嘗てない奇妙で複雑な心境にさせられる
映像であったし、それよりも、木製の竹光で白蛇の尻尾を斬り落としてしまうという、通常では考えられない異能の技
を目の前で披露されては、もはや疑うべくもない。
その竹光こそ、妖怪を殺す事を可能ならしめる、殄魔師が使うとされる退魔武器そのものであり、それを、さも蠅叩き
の如く、当たり前のように平然と振り回す曄こそ、正真正銘の殄魔師だったのだ。
「グフェーッ!」
奇声を上げて苦しみ、のたうち回る白蛇。
間髪入れず、枇杷がその白蛇の上半分に抱き付き、首をスリーパーホールドのように羽交い締めると、そのまま拝殿を
飛び出し、円陣の真ん中へ向かって大きくジャンプした。
澪菜は、待ってましたとばかり、呪符を構えて呪文を唱え始める。
身の危険を察知した白蛇は、咄嗟に枇杷に取り憑こうと逆襲を試みて、彼女の腕に噛み付いた。 カプッ
しかし、通草に吸い取られて妖力が落ちている為に思うに任せず、逆に押さえ込まれてしまう。
円陣が澪菜の気で満たされ、次第に結界を形成していく。
枇杷はタイミングを見計らって円陣の外へ退避し、白蛇は結界の中に閉じ込められた。
「お、おのれ、陰陽師・・・、私を封印するか・・・」
「貴方が大人しく、静かに消え失せれば良いものを、無駄に抵抗なんてするからですわ。
生かしておくチャンスをあげようかとも思いましたけれど、わたくしは、仲間に手を出したものを黙って見過ごす程
お人好しではありませんのよ。
相応の報いは受けていただきますわ」
澪菜の言葉は、一見無慈悲とも思えたが、グループを統率する者としての自覚と覚悟が込められたものだった。
それは、その時の彼女の、恐ろしい程の真剣な目つきに表れていた。
こんな表情は、未だ一度も見せた事がない。
彼女の綺麗な金髪の長い髪が、上昇する気に靡いてキラキラと輝く。
掛け値なしに、周囲を圧倒する美しさ。
寿が惚れるのも理解出来る程、格好いいものだった。
ついでに、ピンと張り詰めた空気の中で、彼女が着ている目にも色鮮やかでトロピカルな花柄のワンピースがひらめく
度に、チラチラお目見えする総レースの白パンツが異様にエロい。
横ヒモだし・・・。
陰陽師の仕事をするとなれば、それなりに畏まった服装や格好をして、斎戒のような禊ぎとか気を引き締めるとかする
ものではないのか、と思うのが普通だが、彼女はそんな事などまるで気にしていないように見える。
意図しているのかどうか、実にサービス精神旺盛な、素敵な陰陽師さんだ。
円陣の中に置かれた時点で妖力を封じられた白蛇は、もはや抗する術を持たない。
「・・・口惜しや・・・」
澪菜は、無念さを口にした白蛇に対しても、畏敬と配慮は欠かさなかった。
「ご安心なさい。
貴方の望み、このわたくしが、桐屋敷の名に懸けて、果たして差し上げますわ」
そして、呪符を持った右手で大きく十字に手刀を切って、渇を入れる。
「はっ!」
円陣に満ちていた澪菜の気が急激に中央へ集束され、白蛇を巻き込んで、そこに置かれた壺に吸い込まれた。
☆
白蛇は封印された。
澪菜が初めて明月達に見せた、高級品の勝負パンツ・・・、いやいや、陰陽師としての真の姿だった。
式神との息の合った連携、妖怪に向き合う姿勢、どれを取っても、殄魔師である曄が見せる対応とは異なるものだ。
これが、陰陽師なのだ。
明月は、ただ祓い、封印するだけではない陰陽師の在り方に、なんとも言えず感動し、興味をそそられた。
その彼の側へ、篠清水家の家族が速歩で駆け寄って来た。
「薺!」
「お母さん!」
しっかと抱擁する母と娘、そこへ寄り添う父と祖父。
明月は、ここはもう安心だし、親子水入らずの方がいいと思い、薺の側を離れ、曄達のいる方へ拝殿の正面扉を出た。
澪菜が、玉砂利を踏みしめながら、その彼に詰め寄る。
そのジャリジャリとした音に、彼女の穏やかでない感情が込められているかに感じる。
「明月!、わたくしは、薺に口づけして良いなどと言った覚えはなくてよ」
あらら、ちょっとお怒りのご様子。
「し、しょうがねーだろ、手から送っても結界のせいで受け付けねーんだから」
「では、罰として・・」 ブチューッ
いきなり抱き付いてキスをする。
「わ!、ん!・・・、な、なにすんだよ!、あんたは要らねーだろ!」
「だって、妻のたしなみですもの」
「たしなむな!、てか照れるな!、こっちが恥ずかしーわ!」
明月は、慌てて澪菜の肩を押し戻しつつ、曄の方を気にした。
少し離れて立っていた曄は、全く気にする素振りも見せずに無表情で竹光を袋にしまっていたが、チラッと横目で彼を
見た時の半開きのその目は、氷のように冷たかった。
(あ〜、おっかね〜・・・、いつかぶっ飛ばされるな、こりゃ・・・)
ほとぼりが冷めるまではむやみに近付かない方がいいと思っていると、今度は薺が勢い良く拝殿から飛び出して来て、
その曄に飛び付いた。
「カッコいい!、カッコいい!、カッコいい!」
飛び付かれた曄は、あまりの突然の事に面食らった。
「な、なにあんた!(汗)」
「曄ちゃんって言うんですよね!、カッコいいです!、素敵です! 助けてくれてありがとう!」
薺は、曄の手を取って無邪気に笑いながら、ネズミの支配するアトラクション王国で、着ぐるみを見つけて大燥ぎする
子供みたいに、ピョンピョン跳ねて喜んでいる。
さっきまで、死人のように蒼褪めて、病人面していたのが嘘みたいに元気だ。
一方、曄は戸惑っていた。
お礼を言われる覚えなんかない。
自分はただ、修行の延長くらいの感覚でやってただけだし、殺しもしてないし、第一、一人でやった訳でもない。
なのに、なんでこの子は自分にお礼を言うんだ?
「お、お礼なら澪菜に言って。
あたしは、別に・・、澪菜の言う通りやっただけだから」
手を振り解いて、視線を逸らせて突き放すように言った。
まあ、いつもの曄らしい姿なのだが、このぶっきらぼうな態度が、完全に薺のハートに火を着けた。
みるみる頬を紅潮させ、目はうっとり。
「んもうっ、カッコいいっ!」
ギュッと曄に抱き付いた。
「な、なんなのよ!、離れてよ!」
曄はこういう扱われ方をした事がない為、困惑し、対応にかなり苦慮しているのが、見ている方としては面白い。
それに、薺がこんなに表情豊かな人懐っこい性格だとは、ちょっとと言うより、こっちの方がかなり意外だった。
曄は困り果て、どうにかしてくれと言いたげな顔つきで、明月と澪菜の方を見た。
澪菜はニヤッとほくそ笑む。
何やら、良からぬ悪巧みを思いついた、そんな顔だ。
そして、わざと薺に聞こえるくらいの声で、明月に語りかけた。
「助けて差し上げたら?、明月。
貴方の愛人が奪われてしまいますわよ」
「よ、余計な事言うな!(汗)」
(ここでその言い方は誤解を生むぞ・・・)
案の定、薺は一転卑しむような鋭い目線で、ジロリと明月を睨んだ。
「あんた誰?、愛人てなに!?」
(ほら、やっぱ誤解した)
撒き餌にさっそく食い付いた薺。
澪菜はそれが面白くて仕方ない。
更にからかう。
「明月は、曄のご主人様ですのよ」
「ご、ご主人様ぁ!?」
薺の表情に、怒りの感情がプラスされた。
(だから、余計な事言うなって)
薺が曄を一目見て憧れてしまったのは、彼女を観察していればすぐに分かる事だが、その曄が明月の愛人だと聞いて、
ムッとして逆上しかけている。
しかも、召使いをさせられているなんて、メイド服姿の曄を見たら安易に信じてしまうじゃないか。
澪菜は面白半分でふざけているだけにしても、事情を知らない薺が真に受けてしまうのを分かってやっているのだから
厄介極まりない。
澪菜の戯れ言は終わらない。
「で、わたくしが明月の妻、澪菜ですわ」
「妻?、結婚してんの?」
「してねーよ!」
「3年後には、華燭の典にご招待しますわ」
「しねーよ!」
(てか、かしょくってなんだ?)
明月は必死で否定したが、薺は聞く耳を持たず、曄の方に確認した。
「そうなの?」
曄は、フンとそっぽを向き、知らんぷりを決め込む。
「さあ」
(なんでガツンと否定しない!?)
薺は完全に彼を敵対視した。
婚約者がいながら、愛人をメイドとして囲っている・・・、最低の男、女の敵、下衆の極み!、鬼畜の所業!!
冷たい目つきだ。
「死ね、変態!」
どうやって誤解を解けばいいのか・・・、澪菜はほとほと、こういう事が好きなんだな。
(やれやれ、困ったな・・・(汗) あー、めんどくせ)
☆
そこへ水を差したのが冬舟。
彼は、拝殿の板張りの回廊へ出てくると、その上から参道を見下ろし、そこにいる薺に向かって言った。
「薺、お前は部屋へ戻って休みなさい」
「お、おじいちゃん・・・」
「まだ本調子ではないのじゃ、安静にしとれ」
「でも・・・(汗)」
「いいから、下がっておれ!」
冬舟の厳しい口調に、薺はシュンとして、曄から離れて数歩下がった。
その冬舟の元へ、澪菜が歩み寄った。
2人の間の空間に、微妙な緊張感が漂う。
「もう、薺は心配要りませんわ」
「見事な手並みじゃったな」
「と言うより、あの白蛇は、こうなる事を窺知ていた、或いは望んでいたのかも知れませんわね。
使えるはずの幻術を見せなかったんですもの」
「ふむ・・・」
「敵ながら、天晴れですわ」
「退治してしもうたのか?」
「わたくしは、ただ封印しただけですわ。
殺してはおりません。
ただし、曄が切り刻んでしまいましたので、生き続けられるかどうかは分かり兼ねますけれど」
「どうするつもりじゃね、その壺」
「元々いたという、社に奉納するつもりですわ。
きっと、白蛇もそれを望んでいる事でしょうし」
「そうかね・・・、それは良い事じゃ・・・。
礼を言わねばならんじゃろが、今後の事は変わらんぞ」
澪菜の顔が真面目になった。
「なにが不満ですの?」
「言うたじゃろ、薺はウチの大事な跡取りじゃ。
どんな事があっても、他へやる訳にはいかんのじゃ」
「それは、薺本人の意志ですの?」
「もちろんじゃとも」
「わたくしは、薺自身の口から聞くまでは、納得致しませんわ。
薺とお話させていただけるかしら」
「勝手にせい」
澪菜は、薺の方へ向き直ると、遠慮も躊躇もなく単刀直入に質問する。
「では薺、貴女はここを出て、わたくしの組に入る気はありませんの?」
薺は、家族の手前、少し狼狽え、言い辛そうにしながらも、言葉を選びながら自分の本音を語った。
「わたしは・・・、神社の仕事が好き。
お母さんもお父さんも、おじいちゃんも大好き。
だから、神社の仕事を続けたい。
でも・・・、外の世界も見てみたい。
もっと修行したいし、強くなりたいし、いっぱい、いろんなとこ行ってみたい」
薺にとっては、それなりに勇気のいる事だったに違いない。
きっと、今の今まで、言いたくても言い出せなかったのかも知れない。
その、真剣で複雑な表情が、悩める彼女の心理状態を分かり易く見せてくれている。
彼女が澪菜の誘いに乗り気なのは確かなようだ。
しかし、神社の跡取りというのがネックになっている。
そこがクリアされない限り、冬舟も両親も、そして薺自身も、諸手を挙げて受け入れ、山を下りる事が出来ないのだ。
他人事ながら、一度神社を離れて、社会勉強してから戻ってもいいのではと思うのだが、冬舟がそれをすら認めないと
いうのは、一旦白泰山会の組に入ってしまうと、生涯そこから抜け出せない事を、話に聞いて知っているからだった。
もちろん、それは基本であって、当然例外も存在するし、仮に薺が組に入ったとしても、いずれ神社に帰って来る事を
許される可能性だってある。
ただ、その低い確率に期待せねばならないような、不確実な未来に神社の命運を委ねるのは、あまりにも無謀な冒険と
言わざるを得ないのは容易に理解出来る。
これが白泰山会、澪菜の誘いでなかったら、冬舟もそこまで片意地を張って薺を引き留めようとはしなかっただろう。
「お前はもう、修行の必要などない。
今のままで十分にやって行けるんじゃ」
「で、でも・・・(汗)」
薺は、何か他の理由を付け加えようと必死に考えたが、冬舟はその暇を与えなかった。
「よいか薺、この柿根神社の命運は、お前に懸かっとるんじゃ。
お前がおらなんだら、未来はないんじゃ。
山を下りて都会へ行ってしまったら、毎日天然水でシャワーなんか出来なくなるんじゃぞ」
(いや、俺達の住んでる所も、それ程都会でもないんだが・・・)
気後れして反駁出来ない薺を見かねて、澪菜が口を挟んだ。
「薺に足枷を着けて、なんの未来があると仰いますの?
一方的に、自分の都合を押し付けてるだけじゃありませんの。
それとも、それ以外に薺が幸せになる方法はないとでも仰りたいんですの?」
「そう言っとるつもりなんじゃがね」
さも正論是有るのみであるかのようなその言い方に、ちょっとムッとした澪菜は、即座に真っ向からそれを否定した。
「それは有り得ませんわ。
人が、自分の意志に拠らずして、他人の選択のみで幸せを掴み取るなど、絵空事に過ぎませんわ。
例え、それで何不自由なく生活出来たとしても、精神的に充足感が得られねば、幸せとは言えませんもの。
それを、“絵に描いた餅”と言いますのよ」
「言わんわ!
絵に描いた餅とは、役に立たぬ物の事を言うのじゃ。
“絵”繋がりで、思いつきで言うでないわ」
「あら、そうでしたかしら」
(また・・・、肝心なとこでボケをかます・・・ この人、ホントに利口なんだかおバカなんだか・・・)
「まったく、お前等若いもんは、すぐに目先の事に囚われて、後先考えずに行動したがる。
若気の至りと言えば聞こえはいいが、所詮は、生活が担保されているが故の我が儘でしかないのじゃ。
帰る家も、食う物にも寝る所にも困らん。
自力では何も出来んくせに、そんな者の言う言葉など、これっぽっちの説得力も感じぬわ。
じゃがな、大人はそうはいかんのじゃ。
一時の我欲にのみ走って、生活の糧を失えばどうなってしまうのか、常に考えていなくてはならん。
なにをするにしても、まずは生活の基盤の確保があっての事なのじゃ。
いずれは、お前達にも分かる時がくる」
「それは、薺がここを離れたら、必ず生活苦に陥って路頭に迷うという意味ですの?」
「そうは言っとらん」
「当然ですわ。
わたくしが、この身に代えてそんな事にはさせませんもの」
「じゃが、お前さんとて、この先自分の身に何が起こるか、全て見通している訳でもなかろう。
足元を固める事から始めねば、簡単に掬われて転んでしまうぞ。
どんな大金持ちでもな」
「他の人ではいけませんの?
跡取りが必要なのは分かりますけれど、そもそも、宮司職が世襲で在らねばならない理由はないはずですわ。
世間では、それを問題視する人もいると聞きますし。
能力のある人がいるとするなら、血縁に拘るのはむしろ弊害じゃありませんの?」
「何事も、事を為すには資格と資質が必要じゃ。
資格は求めれば手に入るが、資質というのは望んだからとて手に入るようなものではない。
天性のものじゃからな。
ペルシュロンに生まれたウマは、ばんえい競馬に出る事は可能かも知れんが、どう転んでもサラブレッドにはなれん
のじゃ。
ダービーや有馬記念には出られんのじゃ。
同じ事じゃよ。
薺は資格と資質の両方を持っとる。
他に同等の者などおらんわ」
(また競馬に例えやがって・・・、そっちの方が説得力ねーって)
すると、薺が、ポソッと思いがけない事を口にした。
「でも、お姉ちゃんが・・」
(お姉ちゃん?)
冬舟の反応は速かった。
語勢を強めて彼女の言葉を封じ込めようとする。
「その話はするな!」
「わたしに資格と資質があるなら、お姉ちゃんにだってあるはずでしょ。
わたしは、お姉ちゃんが帰って来てくれるって、信じてる」
「一緒にするでないわ!
お前と桂季は違う。
あんな分からず屋と同じな訳がなかろう」
(ケーキ?)
「お姉ちゃんを悪く言わないで!」
「どういう事ですの?
姉がいるなんて初耳ですわ」
澪菜は、驚きキョトンとしてそう言った後、後方に控えていた寿を顧みた。
寿は、慌てふためきながら、自分の至らなさを恥じ、頻りに頭をペコペコ下げて謝罪した。
「す、すいません!、調査不足でしたっ! すいません、すいません!」
「やれやれ、減点1ですわ。 反省文では済みませんわよ」
腕組みをして不満を露わにする澪菜の元へ、登山が渋い面持ちで頭を掻きながら近付いて来て、言葉少なに説明した。
「実は・・・、薺には、桂季という4つ上の姉がいるんですよ・・・」
機嫌を損ねた澪菜は、その彼に嫌味の一つも返さずにはいられなかった。
「美味しそうな名前もあったものですわね。
なぜ、その事を話して下さらなかったんですの?」
「すみません・・・、別に隠し立てするつもりはなかったんですが・・・」
まるで、跡取り問題にその姉は無関係だ、とでも言いたそうな口ぶりだ。
その疚しそうな顔を見て、澪菜は不審を抱いた。
この家族は信用出来ない。
が、まあ、家庭内の問題に首を突っ込んでしまったのは自分達の方だし、明るく爽やかに開けっ広げにする内容でも
ないのだろうから、それを責めるのは酷というものだ。
しかしながら、薺に姉がいるとなると、跡取り問題は全く別の様相を呈してくる。
薺は生まれながらにして、その運命を背負っている訳ではない事が、これではっきりしたのだ。
これは、澪菜にとって、これ以上ない強力な論拠を得る事になる。
「その姉は、今どちらに?」
「高校を卒業してから、今は1人暮らしをしながら大学へ通ってます」
「でしたら、その姉に継いでもらえばいい事じゃありませんの。
長女なら、むしろその方が世間体も立ちますわ。
これで、薺は晴れて自由の身ですわね」
冬舟が声を張り上げた。
「そうはいかんのじゃ!
桂季なぞに、この神社は継がせん!」
冬舟は、薺の姉の存在に対して、過剰とも言えるくらいの反応を見せた。
「元亀元年、闇山津見神様を祀って創建され、以来400と有余年。
営々と受け継がれて来たこの由緒ある名誉職を、あんなチャラチャラした薄弱な無能者に務まるはずがなかろう。
断じて認めんぞ!」
「お姉ちゃんは、無能なんかじゃないよ・・・」
「だとしても、お前の足元にも及ばぬではないか。
お前こそが相応しいのじゃ!
お前以外には有り得んのじゃ!」
冬舟は、その桂季というもう1人の孫に、神社を継がせる事に猛烈に反対している。
その理由は何なのか。
チャラチャラした薄弱な無能者、という言葉がそのヒントになりそうではあるが、そこには客観的な判断によるもの
ではない、主観的な動機が働いている空気が感じられる。
単に桂季が嫌いだから排除したいのか、それとも、どうしても薺に継がせたい訳があるのか。
薺は、言葉を返せず、唇を噛んで下を向いてしまった。
その表情は、悔しい、というか悲しい、或いは諦めにも似たような、複雑なものだった。
言いたい事はたくさんあるのに、何を言っても自分の意見は通らない・・・、そんな表情だった。
☆
「ふざけんじゃないわよ!」
それまで、少し距離を取って黙って事の成り行きを見ていた曄が、急に怒りを露わにした。
冬舟の独善的な話し方が癇に触った。
或いは、話そのものが腹に据えかねた。
「黙って聞いてようと思ってたけど、なにがそんなに大事なのよ!
結局、自分達の事だけじゃない!
もっとその子の気持ちも考えなさいよ!」
彼女は、薺の思いに耳を貸そうともせず、自分の意見を押し通そうとする冬舟が気に入らなかったのだ。
それが薺にとってどれ程辛い事なのか、曄はその苦痛を身を以て体験している。
それだけに、例え家族であれ、外圧によって束縛され、自由な意思決定が塵芥の如く排除されるのが見るに堪えない。
いや、家族であればこそ、尚更黙止出来なかった。
「やかましい!、黙っとれ!」
冬舟の威圧にも屈しなかった。
「その子が大事なの!?、それとも神社が大事なの!?」
「黙れ小娘!
なにも知らん余所者が横から口を出すでないわ!」
曄の目が座った。
「この神社があるから自由になれないんなら、こんな物ぶっ壊せばいいのよ!」
彼女は、右手を高々と上げ、空に向かって一声。
「オッタン!」
(お、おい・・、まさか)
そして、その手を振り下ろすように手刀を切りながら叫んだ。
「斬っちゃえ!」
次の瞬間、激しい突風が境内から鳥居の下を吹き抜けたかと思いきや、石造りの鳥居の笠木が島木、貫、諸共中央で
スパッと切れ、その切れ目からピシッと亀裂が生じ、一部が砕けると均衡を失って、見る見るうちにガラガラと轟音と
共に崩れ落ち、それを支えていた石の柱が、相次いで伐採された巨木のようにドスンと倒れた。
周囲に伝わる地響き、モウモウと立ち上る土煙。
(う、うわー、やっちまったぁー・・・)
唖然とする冬舟。
一体、何が起こったのか・・・。
御影石の鳥居が、一瞬にして瓦礫の山と化してしまった。
その余韻も冷めやらぬうち、曄は、更に手刀を大きく横に1回、袈裟懸けに1回振った。
その度に風が舞い、狛犬の首が落ち、石灯籠が砕け、次いで手水舎の屋根が落ち、拝殿の柱が一本、切断される。
彼女がただ手を動かすだけで、神社内の施設が次から次へと壊れていく。
それも、物凄いスピードと殺人的破壊力で。
まさに手品、奇術、魔法・・・、人の為せる技か?
鎌鼬の姿が目に見えない為、篠清水家の家族は、何がどうなったのかまるで分からず、ただ愕然とするだけだった。
言葉が出ない。
「・・・・・(汗)」
な、なんなんだ、この小娘は・・・。
これが・・、殄魔師の実力なのか・・・。
冬舟は、我が目を疑った。
話に聞く殄魔師とは、妖怪に対しては情け容赦なく、完膚無きまでに滅殺する強力無比な存在だと言われるが、それが
妖怪以外にも力を及ぼす事が可能な技を持つとは、全く以て知らなかった。
殄魔師の底知れぬ異能の技に震え上がった。
げに恐ろしき人が、この世にいたものか・・・。
彼は、まさかその殄魔師が、妖怪をペットにしているなどとは露程も思っていなかったし、それが当たり前だろう。
ポカンと口を開け、必死に目の前で起こった出来事の合理的解釈を探す冬舟を横に、澪菜が軽く脅しをかけた。
「あらら、曄を怒らせてしまいましたわね。 もう、手が着けられませんわよ」
「・・・・・(汗)」
曄が冬舟を睨んだ。
「次はどこ?、本殿を潰そうか?」
「お、脅すと言うか、このワシを」
「違うよ。
あたしは諭してやってんのよ・・・、親が、家族が、子を守る為になにをすべきかって事をね」
「なんじゃと!?」
「子供の幸せを願わない親なんていない。
子供の為なら命だって捨てる。
親って・・・、家族ってそういうもんでしょ。
だったら、こんな腐れ神社、燃やして灰にするくらいの覚悟を持ちなさいよ!
家の為に子供を犠牲にするんじゃない!
その覚悟もないヤツが、人の親を名乗るな!」
激しく感情を剥き出しにし、叫びにも似た大声で怒鳴った曄。
彼女の頬を、一筋の涙が伝った。
境内は、シーンと静まり返った。
その時の、曄の涙の真意を理解出来たのは、明月と澪菜だけだった。
いや、より正しく、はっきりと感じ取っていたのは、明月ただ一人だったと言ってもいい。
曄は、薺の置かれた立場を、自分と重ね合わせていた。
彼女の両親は、命を賭して、そして地位も、名誉も、生活も、財産の全てを投げ捨ててまで、彼女を救ってくれた。
結果として、彼女は受け継ぐべき家を失ったが、そんな事は、親の愛情の前には何の価値もないに等しい。
それは、決して、他のどんな物にも替える事の出来ない、この世で最も崇高で価値あるものなのだ。
なのに、薺の家族は、それと真逆の事をしようとしている。
なぜ、それが理解出来ないのか。
それが、どうしても許せなかった。
再び、曄が無言でスッと右手を宙に翳した。
それを見てドキッとした冬舟が、血相を変えて彼女に向かって大きく両手を振った。
「わ、分かったぁ! 分かったから止めてくれ!
は、話し合おう!」
顔は蒼褪め、額からは脂汗が滴り落ちる。
これ以上、神社を破壊されては元も子もない。
冬舟は、側にいる澪菜に縋った。
「た、頼む!、あんたの方からも止めるよう言うてくれ!。
もう、これ以上壊さんでくれ!」
彼は必死だった。
本当に、このまま神社を全て破壊されてしまうのではないか、という恐怖を感じていた。
そのくらい、曄は狂気じみていた・・・、彼にはそう見えた。
澪菜は小さく微笑んだ後、曄に対して軽く手を挙げた。
「曄、もう結構ですわ。 貴女の勝ちよ」
曄は、勝ち負けの問題じゃないとは思ったが、何も言わぬまま、上に挙げた手をゆっくりと下ろした。
やっと、冬舟はホッと胸を撫で下ろす。
さぞや寿命の縮む思いだったに違いない。
緊張感が少し解れると、登山が場を取り繕うように言った。
「で、では・・、皆さんもお疲れでしょうから、母屋の方で一息ついて下さい」
「そうですわね。
今後のお話もありますし」
澪菜がそう言って冬舟を見ると、彼は、無念そうな顔で、変わり果てた境内を見渡していた。
どこか、寂しそうでもあった。
恐らく、こんな光景を見るのは、初めてだったのだろう。
こんな、山奥のちっぽけな神社が、戦禍を被ったりした事もないだろうから。
その冬舟に言った。
「ご心配なく。
壊した物はこちらで修復致しますわ」
そして寿を呼ぶ。
「寿、定芳に連絡して、すぐに業者を手配するよう伝えてちょうだい」
「かしこまりました、お嬢様」
それを聞いた曄が自分の意見を言うが、澪菜は澄まし顔であっさりと拒否した。
「あ、あたしが弁償するわよ」
「いいえ、貴女はなにもしなくて結構よ。
これはわたくしの責任ですもの。
わたくしの責任に於いて弁償するのが筋ですわ」
「だ、だって、壊したのあたしだし・・・」
「今さら反省しても手遅れよ」
「・・・」
反省、という言葉は、曄を戸惑わせた。
自分は反省なんかしていない。
反省するという事は、自身の行為を否定する事であり、自分の意見を取り下げる事である。
やり過ぎたかも知れないという思いはあるが、決して後悔はしていない。
あたしの意見は間違ってないんだ、絶対に。
でも、壊した物は償わなければならない。
そんな気持ちを察したのか、澪菜は、黙り込んだ曄の側へ行き、軽く肩を抱いて耳元で囁いた。
「いいのよ。
貴女は、わたくしのしたいと思った事を、代わりにしてくれたんですもの。
正直、胸がスッとしましたわ(笑)」
そう言ってニコッと笑うと、枇杷と通草に駐車場へ戻って待つように指示しながら、先に立ってスッスと母屋の方へ
向かって歩き出した。
澪菜は嘘を言った。
彼女が神社を壊してしまおうなどと考えるはずがない。
神社が無くなってしまえば、薺は何の憂いもなく自分達の仲間に加わってくれる可能性は高くなるだろうが、そこまで
強硬で過激な手法を取らずとも、説得する方法は他にもあったはずだし、実際、彼女は幾つかの案を持っていた。
曄がこんな破壊行動に出るというのは予想もしていなかったが、それでも、それら全てを引っくるめて対処するのも、
組を預かる者としての当然の責務であると考えた。
後で、葵を通して白泰山会の方から、こっ酷く叱られるのを覚悟しての事だった。
澪菜が動き出すと、それを合図に他も歩き出す。
ただ、曄だけは動かず、じっとその場に佇んで俯いていた。
なんだか、母屋へ行く気はない、話し合いに加わるつもりはないような素振りだ。
神社を壊すという暴挙に打って出ておきながら、どの面下げて話し合いなど出来ようか。
彼女もそこまで厚顔無恥ではない。
立場を弁えれば、それが最も潔いと考えた。
すると、そこへ薺が怖ず怖ずと近付いて行き、そっと曄のメイド服のスカートの端を摘むように掴んだ。
「な、なによ」
曄が煙たそうな顔で薺を見ると、彼女は、怯えたようにもじもじしながら、小さな声で話しかけた。
「いっしょに・・・、行こ」
さっきまで、元気で明るく燥いでいたのとは一変して、気弱そうな姿を見せている。
やはり、あんな恐ろしい破壊力をまざまざと見せつけられては、憧れを通り越して怖くなってしまっても仕方ない。
なのに、なんでわざわざ、その曄にくっつこうとするのか。
「い、いいわよ。 あたしは行かないから、あんた行きなさいよ」
「・・・嫌」
曄が振り解こうとするが、薺はぎゅっと掴んで決して放そうとしない。
「あたしは行かないの。 行ったってなんにもならないでしょ」
「嫌、一緒に行く」
これから、母屋で話し合いが行われるというのに、その当事者が出席せず、このまま参道に残る訳にはいかない。
にも関わらず、薺は曄の側を離れない。
それは、薺にとって、曄はまさしく、天から舞い降りた光り輝く天使の如き存在に映っていたからだった。
突然、颯爽と目の前に現れては、自分を呪い殺そうとしていた白蛇と真正面から対決し、見るも鮮やかに斬って捨て、
その封印の原動力となった上、更に、自分の意見を聞こうともしない冬舟を、まさに神懸かりとも言うべき超人的な技
で圧倒し、これ以上ない程の強力な鉄槌を食らわせてダメージを与え、力で強引に屈服させて見せたのだ。
薺がどんなに熱望しても、頑張っても、決して真似の出来ない、それこそ彼女の心の中に蓄積した鬱憤をものの見事に
吹き飛ばした、神風を司る神々しき天使の御業そのものだったのだ。
その出会いは、ズバリ天孫降臨、神の奇跡、セイクリッド・ワンダー!
憧れなどという下世話な域をとうに超えた、信仰に近い感動を抱く程の衝撃だった。
畏れ多く近寄り難い、でも、側にいられれば、これに勝る幸せはない。
完全に心酔してしまったのだ。
メイド服を纏った天使か・・・、そんなんいるか?
そうとは知らぬ曄は、半ばうんざりして、溜息混じりで頭を掻いた。
「分かった、分かったわよ」
根負けして歩き始めると、薺は彼女の左手をぎゅっと握って一緒に歩き出した。
そして、掠れそうな、呟くような声で言った。
「ありがとう・・・」
曄は、薺の顔を見もせず、ぶっきらぼうに言い返した。
「別に、あんたの為にやったんじゃないわ。 ただ腹が立っただけよ」
この素っ気ない態度が、薺にはこの上なく堪らないのだ。
心の中で、こっそり身悶えした。
母屋へ続く回廊で、先回りして澪菜を待っていた冬舟は、彼女が来ると声を低くして小さく言った。
「とんでもないバケモノを飼ってたもんじゃな、お前さん(汗)」
澪菜は、薄笑いを浮かべて、その皮肉に応じる。
「あんなに、血の通った、人の思いの判るバケモノなんていませんわ」
☆
客間の座敷で、冷たい麦茶で一息つける一行。
寿は壊れた鳥居等の修繕の話をする為、後から合流する定芳との待ち合わせで現場に残り、冬舟は神社の周囲の結界の
復旧の為に、職員を連れて席を外していた。
薺は、やっぱりというか、しっかり曄の腕にしがみついて、靴底のガムみたいにベッタリくっついて離れない。
相変わらずムスッとして無愛想な曄に対して、薺ははにかんだような、でも嬉しそうな顔で微笑んでいた。
ちょっと見ると、なんだかとってもいかがわしい関係のように見えなくもない。
やっぱり、薺は百合属性なのだろうか。
一方、澪菜は澪菜でそれに刺激されたのか、科を作って明月の横にピッタリ寄り添い、やんちゃ娘の象徴とムチムチの
太腿を彼の体に押し付けてくる。
戸惑う明月。
決して悪い気分ではないが、衆人環視の手前、呑気に鼻の下を伸ばす訳にもいかない。
「そ、そんなにくっつくな。 場所ならいっぱいあるだろ」
「あぁん、だって疲れたんですもの。 もう動けませんわ(ニコ)」
「ウソつけ、ピンピンしてんじゃねーか」
「んもう、いぢわるぅ」
わざと、仲睦まじいところを演出して見せようとする澪菜。
こういうところが曄との決定的な違いで、人目を憚らずに甘え上手な一面を見せびらかす。
これだけのナイスなバディの美少女にこんな事されたら、大抵の男は、どんなにそれが演技と分かっていてもコロッと
墜ちてしまうだろう。
キャバ嬢にはうってつけだが、仕事の為でも、好きでもない一般衆に無差別に媚びる程、彼女のプライドは安くない。
澪菜は、心底明月に惚れているのだ。
やっと、少し落ち着いたかなと思ったのも束の間、登山が部屋に現れると、早速澪菜が質問をぶつけた。
「この度は、皆さんお疲れ様でした。 本当に、ありがとうございました」
「桂季は、神社を継ぐ気はないんですの?」
「はい、そのようです。
もう二度と帰らないと、捨て台詞を残して出て行きましたからね」
「余程嫌われましたわね。
問題は、あの宮司さんかしら?」
「親父ですか・・・、まあ、桂季と親父は、事ある毎にぶつかってましたからね。
つまらない、些細な事で、いつも言い合いをしてました」
「無理もありませんわ。
あの頑固一徹石頭ぶりでは、例え間違った事を言っていなくても、一言言い返してやりたくなりますもの」
「桂季も、前はもっと素直で、いい子だったんですがね・・・」
登山の話は、桂季の幼少時代に及んだ。
「桂季は、幼い頃は、この神社が大好きだったんですよ。
毎日のように、母親の作った巫女装束を着て、拝殿の中を駆けずり回って遊んでたものでした。
そのうち、自然と神社の仕事も覚えていき、境内を箒で掃いたり、参拝客を案内したり、社務所で御神籤やお守りを
売る手伝いをしたりと、いつも楽しそうにしていました。
そして、大きくなったら巫女になる、神社の仕事をするんだと、言っていました。
もちろん親父も喜んでいて、それはもう、目に入れても痛くないくらい可愛がってたんです。
いずれ、神社を継ぐ日が来るのが楽しみだと、私に言った事もありました。
ただ、まだ幼かった事もあり、お祓いの訓練とか、修行はまださせてませんでしたけど。
あの子にも、その才はありましたから、時が来たら少しずつ教えて行こうと思ってました。
薺がよちよち歩き出す頃になると、毎日その妹を従えて、境内を闊歩して一緒に遊んでました。
妹想いの、優しい、いい姉だったんですよ。
そんな桂季が、少しずつ変わり始めたのは、今にして思えば、あの一件があってからの事のような気がします。
それは、桂季が8歳か9歳くらいの時だったと思います。
その頃には、親父に付いてお祓いの術を身に付ける為の初歩的な修練を始めていました。
あれは、私達が拝殿で、依頼人のお祓いをしている時でした。
突然、拝殿の扉の外で、薺が大声で泣き出したんです。
お祓いの仕事の時は、決して拝殿には近付かないように言い聞かせていたものですから、そこに薺がいた事にも驚き
ましたが、それよりなにより、その薺のすぐ側で桂季が意識を失って倒れていたのを見た時は、肝を潰しました。
すぐに、今し方祓ったばかりの悪霊が取り憑いたのだと分かりましたので、急いで祓って事無きを得ましたが、それ
以来、桂季は拝殿に行くのを怖がるようになってしまいました。
当然、お祓いの修練にも支障をきたすようになり、疎かにするようになりました。
と言うのも、親父が薺の方の修練を始めてしまったからなのです。
当時、まだ5歳にも満たない薺に修練させるのは早過ぎると私は言ったのですが、親父は聞きませんでした。
それは、あの一件の時、なぜ悪霊は薺でなく桂季に取り憑いたのか、という事に大きく関係しています。
あの時、薺はただ泣きじゃくるだけで、なにも聞ける状況ではありませんでしたが、冷静になった後で聞いてみたら
こう言ったんです。
お姉ちゃんとお祓いを覗きに行ったら、突然なにかが戸の隙間から出てきて襲い掛かってきたと。
その時、薺は咄嗟に目を瞑って、手を翳して防ごうとした。
その直後、桂季が倒れた。
これを聞いた親父はなにかを直感して、試してみたところ、薺には類い希な才能があると分かったのです。
薺は、無意識に自分の身の回りに結界のようなものを張って、身を守っていたのです。
誰かに教わった訳でもなく、見様見真似でもない。
そんな事が出来るのは、ここにはいませんから。
その結果として、悪霊は桂季に取り憑かざるを得なかったという訳です。
それを知ってからの親父は、その才能を開花させる事に傾倒していきました。
初めのうちは、桂季と薺の2人で一緒に修練していたのですが、桂季は次第に興味を失っていき、修練の時間に顔を
出すのも気分次第というような、どちらかと言えば消極的な態度に変わって行きました。
そうなると、修練の内容は次第に薺中心、結界術中心へと変わっていき、桂季は益々ついて行けなくなったのです。
自分が蔑ろにされていると感じたのかも知れません。
一方、薺の方は、めきめき上達していきました。
親父の言葉を借りれば、それはまるで、乾いたスポンジか砂漠の砂のように、一滴残さず吸収してしまう。
それも、驚くべきスピードで。
いつの事でしたか、薺の方が桂季にお祓いの手解きをしている、なんて光景を垣間見た時もありました。
ただ、子供というのは、とかく注意力が散漫になりがちで、集中力が続かないのが常でして、薺も御多分に漏れず、
肝心なところですぐ別の事を考えてしまったり、外野の音に惑わされたり。
そういうところは、他の同世代の子達と大差ないものでした。
そこさえなんとかすれば、確実にもっと伸びる。
そこで、薺が小学5年の時、夏休みに2週間程、修行に出す事にしました。
とある寺に結界術の権威がいると聞きつけまして、その人に薺を預けてみたのです。
そして2週間後、薺は見違えるように成長して帰って来ました。
たった2週間で、結界術に関しては、この神社で誰一人敵う者がいなくなりました。
更に翌年、6年生の薺をもう一度、夏休みに同じ寺に修行に出しました。
結果、薺は他の誰も真似出来ない術を身に付けて帰って来ました。
その術は、薺が自身で編み出したもので、寺の者でも使える人はいないと聞きました。
その頃の桂季は、反抗期のせいもあって、修行もせず、我々の言う事も聞かず、勝手気ままに生活するようになって
いて、親父からはいつも怒られていました。
怒られて、反発して、口喧嘩、それが日常でした。
生活態度そのものが、随分とルーズになっていましたからね、親父が腹を立てるのもよく分かりました。
寝坊や忘れ物は当たり前、時には朝帰りの日もありましたから、学校の成績なんて言うに及ばずです。
あれでよく大学に合格出来たものだと、我が娘ながら驚いてしまいますよ。
ここから出たいが為に、必死で勉強したのかも知れませんね・・・」
「なるほど、それであの一徹宮司さんは、薺の方が後を継ぐには相応しいと考えた訳ですのね。
けれど、桂季にも継ぐ意志はあったのでしょ?」
「それは幼い頃の話です。
高校生の頃には絶対嫌だと言い張ってましたよ」
「他に、なにか目標でも見つけたのかしら?」
「さあ、それはどうでしょう・・・」
(単純に、ジジイが嫌になっただけじゃねーの?)
「では、もしわたくし達が桂季に跡取りの件を了承させたら、その時は薺の自由をお約束していただけますの?」
その瞬間、薺は顔色を変えた。
曄は、自分の腕に抱き付いている薺の手に、ギュッと力が入ったのが分かった。
殆ど諦めかけていたのに、希望の光が差して来たのだ。
登山もまた、大きくもない目を見開いて驚きを露わにしながら、確認するように澪菜に聞いた。
「まさか、桂季を説得しようとお考えなのですか?」
「そのまさかですわ」
彼は、すぐには返事を返せなかった。
澪菜が本気で言っているのか、疑っていた。
「・・・、私個人としては、それでも全く構わない、むしろ、その方があなたも言ったように望ましいとも考えている
のですが、一存で答えを出す事は出来ません。
決めるのは、この神社の最高位である宮司ですから」
「やはり、そこですの」
「でも・・・、そう簡単に上手く行くとは思えませんよ。
桂季も、親父に負けず劣らず頑固ですからね・・・」
「居場所はご存知ですの?」
「ええ、もちろんです。
別に親子断絶した訳じゃありませんから、仕送りもしてますし、こまめではありませんが、連絡も取り合ってます。
母親の方が主にですけどね」
「教えていただけます?」
「構いませんが、本気で言っているのですか?
本当に桂季を説得なんて・・・」
「不服ですの?」
「い、いえ、決してそんな訳では・・・」
「ご心配なく、理由はきっちり説明致しますわ。
でなければ、どうせ誰かの差し金だとか履き違えて、余計意固地になるのが落ちですもの」
「ご賢察、痛み入ります」
冬舟が外から帰って来た。
彼は、座敷へ来るなり仁王立ちで登山に苦言を呈した。
「見下げ果てたぞ、登山。 他人様に身内の恥を曝すとは」
「と、父さん・・・、聞いてたのか・・・」
「そんな話はせんでいいんじゃ!
桂季はこの話とは関係ないんじゃ!」
澪菜が問う。
「ちょうどいいですわ。
貴方は、桂季がここを継ぐ事自体に反対なんですの?」
「当然じゃ。
あれもその気はないじゃろう」
「わたくしが、それを説得したら?」
冬舟は鼻で笑った。
「フン、お前さんに桂季の説得など出来る訳がなかろう。
雨夜の月じゃよ。
雨の夜に、月を見んと欲するが如し」
「なにもしないうちから諦めてしまうのは、わたくしの本意ではありませんわ。
可能性がゼロでないのなら、試してみる価値はあるという事ですもの」
「ふふん、子供じゃの。
じゃが、あれは強敵じゃぞ」
「大丈夫ですわ。
全銀河を巻き込んで親子ゲンカを続けたなんとかスカイウォーカーも、6話目で和解に至りますのよ。
暗黒面に落ちたからとて、人の心が失われていなければ、解決は不可能ではないのですわ」
(それは映画だろ、一緒にすんな)
「そして、薺がわたくしの組に入れば、わたくし達は身内ですわ。
ね、おじじ様 (ニコッ)」
「ふ、ふざけるでないわ!」
澪菜の無垢な笑顔に照れる冬舟。
まんざらでもないようだ。
「・・よかろう。
もし、桂季が心を入れ替えて、真面目に取り組むと言うのなら、考えてやらん事もない。
無駄じゃと思うが、やりたいと言うなら止めはせん」
「では、薺がわたくしの組に入る許可もいただけると?」
「まあ・・・、そういう事になるかの」
「あら、意外と言っては失礼ですけれど、随分と物分かりがよろしいんですのね。
それとも、おじじ様もそれを望んでいらっしゃるのでは?」
「要らぬ詮索はするな!(汗)」
「フフフ・・」
澪菜は、満足そうにニッコリ笑った。
一連の会話の中で、彼女は何かを感じ取っていた。
それは、冬舟も登山と同様に、心の内では桂季の方に継いで欲しいと思っている、という事だった。
恐らく間違いない。
その証拠に、澪菜の桂季を説得するという申し出に対して、取り立てて強硬に反対する姿勢を見せない。
あそこまで極端に薺に拘っていたのは、なんとしてでも世襲を継続させたいとの思惑からで、本来は長子である桂季が
適任なのだという考えは、以前から心の奥底にはあったと考えるのが妥当だろう。
古い家族制度に囚われた人であれば、それがごく自然な発想の中から出てくるものだろうし、理想であるはずだ。
とどのつまり、世襲が叶うなら跡継ぎは姉妹のどちらでもいいという、実に安直で身勝手な考えなのだ。
とはいえ、それでこの競馬好きのジジイを、横暴なエゴイストと断じて軽蔑する事は出来ない。
えてして、伝統を守るとはそういう事であり、時として当人の意思を無視してでも強制させられる悪習とも言える。
故に、そういう家柄に生まれた子供は、伝統を守る事の重要さを幼い頃から擦り込まれ、自然と何の疑いも持たずに
家を継ぐ以外に選択肢がないように教育される。
良いか悪いかは別にして、伝統とは、歴史とはそうして連綿と受け継がれ、作られる側面も持っている。
桂季が反旗を翻したのは、そういった古臭い慣習に縛られるのが嫌だったからなのかも知れない。
冬舟の真意がはっきりすると、澪菜の前にもはや敵はいない。
桂季を説得出来れば、全てが丸く収まるのだ。
彼女は、再度薺に意思を確認した。
「薺、貴女は異存はありませんわよね」
「う、うん・・・」
「では、その方向で話を進めます。
必ず貴女を、わたくしの組に入れて差し上げますわ。
わたくしを信じて、引っ越しの準備でもして、今暫く我慢なさい」
「うん」
そう頷いた後、はにかんだように下を向いた時の、彼女の笑顔が印象深かった。
☆
旅館に戻った一行は、明月も交えて花畑の間に集った。
問題解決の目処が立った事で、澪菜の表情は終始明るかった。
曄のオッタンに影響されたか、急に自分もペットが欲しいなどと言い出したり、子供っぽく燥いだりしていた。
念願だった組の発足がもうすぐ叶うのだと思えば、気分も高揚するのだろう。
という事は、明月と曄も確実にそこに組み込まれている・・・んだろうなぁ、やっぱり。
「ペットなら、ネコよりイヌがいいですよ、お嬢様。
私はトイプードルがお薦めです。
あ、でも、シェルティも捨て難いなあ・・」
「勝手に決めないで、寿。
誰もイヌがいいなんて言ってませんわ」
「でも、昔からイヌは、妖気に敏感に反応するって言われてるんですよ。
人に化けた妖怪を見破ったり、妖怪退治に一役買ったりなんて昔話はいっぱいあります。
護衛にもなりますし、なにかと便利ですよ」
「護衛にするなら、大型犬の方がいいじゃないの」
「え〜、でもちっちゃいの可愛いんですよぉ〜」
「要するに、貴女が欲しいんでしょ。
だったら、貴女が飼えばいいのではなくて?」
「え?、いいんですか?、お屋敷で飼っても」
「葵さんに相談してみる事ですわね」
「お頭かぁ・・・。
お頭はうるさいからなぁ、そういう事は。
お嬢様の方からも言って下さいよ、イヌはいいぞって」
「わたくしを盾にするのは卑怯ですわよ。
明月は、ペットを飼うならなにがお望みですの?」
「なんで俺に聞く」
「だって、一緒に飼うんですもの」
「飼わねーよ」
てな具合。
薺の件については、姉の桂季を説得出来さえすれば、問題は解決する目処が立った。
だが、澪菜には解決しなければならない問題がもう一つあった。
それは、白蛇との約束だった。
男に裏切られ、その怨みを晴らすよう呪いをかけた女の最期の望み。
今回、澪菜達が直接行動するそもそものきっかけになった、薺を苦しめた白蛇が果たそうとしていた、その女の怨念を
成就させる事を引き継いだのだ。
陰陽師という職業故の慣習なのか、それとも澪菜が独自に機転を利かせたのか、よくは分からないが、いずれにしろ、
なんとも難しい課題を背負ってしまったものだ。
神社側は守秘義務を理由に、何も教えてくれそうにない。
殆ど情報らしい情報もない中で、どうやってそれを成し遂げようとしているのか。
まるで見当がつかない、と考えていると、唐突に、澪菜は枇杷を呼び出した。
「枇杷、なにか分かりまして?」
「はい、澪菜様」
代わり映えのしない無表情で答えた枇杷。
彼女は、徐に白蛇に呪詛を祈願した女の事を話し始めた。
「白蛇に願掛けした女は20代後半。
内容は、言わずと知れた、自分を捨てた男を呪い殺す事です。
その相手の名は、雨戸 清人。
32歳の男で、4年間交際を続けました。
男は、会社社長の息子です。
そしてその男に、婚約の話が持ち上がりました。
相手は、男の会社と契約関係にある会社社長の娘です。
政略婚です。
女と結婚の約束をしていたのに、男は女を捨てました。
女は、全てを男に捧げ、尽くしてきました。
男を愛していました。
家族や周囲の人にも、もうすぐ結婚すると言いふれていました。
その希望が現実になるのは近いと思っていました。
それが、ある日突然、絶望の淵へと突き落とされたのです。
女が結婚に前向きに動き始めると、男は次第に女と距離を取るようになりました。
仕事を理由に、会う機会を減らしていきました。
始めのうちは気を揉みましたが、男の健康を気遣って言われる通りにしていました。
すぐにでも会いに行きたいのを我慢して、耐え忍びました。
そして1年後、別れ話を持ちかけられたのです。
理由も告げず、男は女の前から姿を消しました。
必死で調べた結果、婚約の話を知りました。
もう、男は連絡も取れなくなっていました。
女は、男を怨みました。
怨んで、呪いをかけ、そして死にました」
一同は、黙って枇杷の語りを聞いていた。
それは、意外な程に具体的だった。
なぜ、枇杷はこうまで詳しく事情を知っているのだろう。
ありがちな話だから、小説か何かかも知れないが、ここで枇杷が読書感想文を朗読して何になる。
誰も褒めてはくれないぞ。
曄ならずとも疑問に思ってしまうのは、何も不思議な事ではない。
「ちょっと待って。
なんで枇杷がそんな事知ってんのよ」
それに対して、澪菜があっけらかんとした顔でサラッと言った。
「あら、言ってなかったかしら。
枇杷は、自分と直接接触した相手の妖気から、その者の思念を感じ取る事が出来るのよ」
枇杷にそんな便利な能力があったとは。
そういえば、枇杷は白蛇の封印に際して、円陣の中に連れ込んだ時、もみ合って腕を噛み付かれたりしていた。
その時、白蛇の思念を感じたという事なのか。
「非道い男ですわね」
澪菜はそう言うが、白蛇の思念とは女の思念の写しであり、あくまで元交際相手の一方的な感情である。
男の方の思考や感情は含まれていない。
男がそういう行動を取らねばならない、やむを得ない理由があったのかも知れない。
政略結婚である以上、本人の意志ではない可能性も考えるべきだ。
それに、恋愛事の場合、片方が過度に入れ込み過ぎると、もう片方は引いて冷めてしまう事はよくある。
無軌道な愛情の押し付けは、突き詰めれば自己満足でしかなく、相手にとっては、重荷になりこそすれ幸福感はない。
女の気付かない感情の縺れや、行き違いがあったとの推測も成り立つ。
その場にいる唯一の男である明月は、自然とその男の肩を持つような発言になる。
もちろん、彼にそんな実体験がある訳ではないが、なるべく冷静に、客観的視点で見るべきだと考えた。
「でも、その男にだって言い分はあるんだろうよ」
曄が聞き返した。
「言い分ってなによ」
「知らねーけど・・・」
「フン、役に立たないわね、この子は」
こんな場面で、そんな可愛い顔して優しそうな目で俯瞰発言しないでくれ。
どうせ、男女間の問題なんて何も知らないんだから、余計な事は言わなくていいのよって示唆しているみたいに。
澪菜もまた、彼の意見には否定的だった。
「明月、今ここで重要なのは、呪いをかけた方の気持ちですわ。
呪われた男の心情など、考慮する必要は微塵もないんですのよ」
なんて非情な言い方。
でも今の場合、彼女の意見は正しい。
動機も背景も必要ない。
呪われた男に対する同情は、この場合全く無意味なのだ。
女の怨念を晴らす事だけが目的なのだから。
「ただ・・・、女の望みが男を殺す事だというのは、実現出来そうにありませんわね」
もっともだ。
それではただの殺人者だ。
「我が白泰山会の陰陽師の中には、呪殺の術を研究している専門家もおりますけれど、それに頼るのは興がなさ過ぎる
というものですし、気分のいいものではありませんわ。
殺さずに済ませる他の方法を考えましょう」
「どーすんだよ」
「男に女の情念、怨みの深さを思い知らせる。
その結果、男が女の墓前で謝罪し、償いをすれば、少しは気が晴れるかしら」
まあ、穏便に済ませるとなれば、そこら辺が落とし所だろう。
具体的に何か方策でも考えてあるのか。
「思い知らせるねぇ・・・」
「相手は会社の社長の御曹司。
であるならば、経済的側面から思い知らせる事も可能ですわ。
その会社が株を公開しているのであれば、M&Aや株価操作などで、屋台骨から切り崩す事も可能でしょうし、内部
情報さえ掴めれば、不正取引、脱税、背任、有印私文書偽造、ありとあらゆる方法で社会的信用を失墜させる事は、
それ程手を焼かずに出来る事ですわ。
経営が立ち行かなくなれば、その後は言わずもがな。
そもそも、今回の事態の発端がその御曹司の政略結婚にあるのですから、会社自体が存続しなくなれば、その結婚も
意味を成さない・・・、とも考えたのですが、わたくし的には、あまり気が進みませんわね。
その為には、白泰山会の人材と資金を使う事にもなりますし、第一、それではあの白蛇に呪詛を託した女の怨みを、
その御曹司に分からせてやる事にはなりませんもの。
それら全てがたった1人の女の呪いのせいだなんて、発想が飛躍していると捉えるのが普通ですわ」
「じゃあ、どうすんのよ」
「そうですわね・・・。
搦め手から責める、というのもありですわ」
「絡めて?」
「違うわ、曄(笑)。
裏門、別の入り口という意味よ。
要するに、男に直接思い知らせるのではなく、男の周囲の人を通して思い知らせる。
その男に関わると不幸になる、と思わせるのよ。
つまり、婚約相手の令嬢の方にこそ、思い知らせてやる必要があるのですわ。
その方が、より効果的ではないかと思うのですけれど」
「婚約相手に呪いをかけるって事?」
「それも、その男に関わったせいでそうなったのだと、はっきりと分からせる形でね」
「もしかして、婚約を破談に持ち込む気?」
「ええ。
そうすれば、どんなに霊感のない男でも、自分の捨てた女の怨みの深さを認識するでしょ。
でも、それには多少時間がかかりそうですわね。
ここは、一旦家に帰って仕切り直した方がよさそうですわ」
「今から帰るの?」
「いいえ、今夜はここに泊まって、明日の朝チェックアウトする事にしましょう。
寿、フロントに連絡を」
「かしこまりました、お嬢様」
☆
一夜明けて、一行は、別れの挨拶の為に三度柿根神社を訪問した。
母屋の玄関で篠清水一家と対面して、澪菜は、一旦帰宅した後、後日、改めて桂季に会いに行く事を告げた。
「ですので、次に会う時は、貴女はわたくしの組の一員ですわよ、薺」
「うん」
薺は小さく微笑んで、期待を表した。
他の家族は、言葉こそ発しなかったが、その表情は穏やかで、どこか安堵しているようにも見受けられた。
「この度は、なんとお礼を申して良いものやら・・・、ありがとうございます。
何卒、よろしく、お願いします」
丁寧にお辞儀をした登山の言葉が、その時の一家の思いを全て代弁していた。
その後、曄が、徐に冬舟に向かって深々と頭を下げて、昨日の事を詫びた。
「あ、あの・・・、ごめんなさい(汗)」 ペコリ
苦笑いを浮かべてそれに答えた冬舟の顔には、怒りのような感情はなく、どちらかというと優しい老人の顔だった。
「まったく、お前さんには生き肝を抜かれたわい。
じゃが、孫の為にあそこまで本気になって意見した者は、わしは他に知らん。
そういう意味では、礼を言おう」
特に言葉を返すでもなく、曄はちょっと気恥ずかしそうな面持ちで、黙って下を向いた。
その時の彼女の気持ちが、明月には何となく分かった。
お互い、礼を言われ慣れていないから、返事の仕方が分からないのだ。
帰り際、一礼して玄関を出た澪菜。
曄は、薺に向かって無表情で一言だけ言って、澪菜の後に続く。
「じゃあね」
薺の潤んだ目を見るのが辛かったのだろうか。
「曄ちゃん!」
薺の声が呼び止めた。
「また、会えるよね・・・」
振り返った曄は、穏やかな、うっすらと笑みを浮かべた表情を見せる。
「たぶんね」
その、あたかも迷える子羊に救いの手を差し伸べるマリア様か弥勒菩薩の如き、憂いに満ちた慈悲深く美しく優しい顔
(あくまで薺目線)に、一瞬にして不安を払拭された薺は、満面の笑顔でそれに返した。
「うん!」
(あーあ、恋する乙女の顔ってやつだよ・・・)
曄の後に次いで、最後に玄関を出ようとした明月に、その薺が近寄ってきた。
(ん、なんだ?)
あっという間に攻撃的に激変した目で睨みつけ、小声で言った。
「曄ちゃんになにかしたら、わたしが殺すからね、変態!」
(変態って言うな!、それが巫女の台詞か!)
「し、心配すんな(汗)。
そん時は、あんたより先に当の本人に殺される」
曄の時は、あんなに可愛い笑顔を見せていたのに、この落差は何だ。
人を悪魔か何かと勘違いしてんじゃねーのか。
車で帰路についた黄門様一行、じゃなかった澪菜達一行。
会話の内容は、自然と薺の事になる。
「あの薺って子、よっぽど曄の事が気に入ったみたいね。
面白いわ」
「ちっとも面白くないわよ。 あんな面倒臭い子」
「そんな言い方ないでしょ、可愛いじゃないの」
「そうかなぁ」
「嫌いなの?」
「別に、そういう訳じゃないけど・・・」
「可愛がって差し上げなさいよ、新しい仲間なのよ。
折角ひねくれ者の貴女に好意を持ってくれるんですもの、ぞんざいに扱ったら罰が当たりますわよ」
「一言多いのよ、あんたいっつも」
明月は、一人で外の景色を眺めながら考え耽っていた。
この時、彼は珍しく後部座席の端に座っていて、いつも喧しい2人の少女に挟まれて感じていた、肩身の狭い思いから
解放されていた。
気付いた曄が話を向けると、彼は気の抜けた声で答えた。
「なに一人で黄昏れてんのよ」
「いや・・・、白蛇の事をね・・・」
「その事なら、帰った後で考えましょう。
まだ、すぐに動ける程の情報がないんですもの。
婚約相手の名前を調べるところから始めねばなりませんわ。
それが分かれば、後は枇杷を取り憑かせて脅しをかけてやればいいだけですわ」
そう言った後、明月が返した言葉に、澪菜は驚かされた。
「その役、俺がやっちゃ駄目かな」
彼がこれまで、自発的に何かを申し出た事は一度もない。
どんな心境の変化だ。
しかも、そう言う割りには、全然やる気のない顔をしている。
「役とは、もしかして令嬢を呪う事ですの?」
「ああ」
「なにか、アイデアでもありますの?」
「ん〜、まあな・・・」
「なにをするつもりですの?」
「まあ・・、それは後のお楽しみだな」
「教えていただけませんの?」
「今話したら、面白くねーもん」
「危険はありませんの?」
「別にねぇと思うよ」
曄がつっこむ。
「やめなさいよ。
どうせなんにも出来っこないんだから」
つれない言い方の中にも、彼の身を案じる彼女の心理がうっすらと見え隠れする。
「大丈夫だ。
ちょっと試したい事があるだけだから、ダメならさっさと手を引くさ」
彼は一体何を考えて、急にこんな事を言い出したのか。
薺という少女の出現、その薺が曄にえらく惚れ込んでしまった事で、言い知れぬ不安に掻き立てられ、自分もここらで
何か存在感をアピールしておかないといけないとでも考えたのだろうか。
実は、薺の救出に大いに働いた2人の少女の活躍、とりわけ澪菜に刺激を受けたというのが真相だった。
今まで、ただの色気のある変わり者のお嬢様としか見ていなかった澪菜の、陰陽師としての姿に動かされたのだ。
これまでの自分は、いわば単なる金魚のフンみたいなものだった。
言われるがまま、ただ後ろにくっついて行って、傍観者面しているだけで事足りていた。
これまではそれでいいと思っていた。
それが、澪菜の華麗にして勇壮な仕事ぶりに、ある種の憧れのような感情を抱いた。
よっぽど、あの総レースが気に入ったのか。
そうではない。
自分も何か役に立つ事が出来ないかと思ったのだ。
がしかし、彼には曄のような戦闘能力もなければ、澪菜のような封印術も使えない。
彼が持っているのは、妖気に対する異常とも言える程の鋭敏な感覚と、その浄化能力だけである。
その力はそこそこ発揮してきたし、澪菜も別に不満を口にしたりした事はない。
彼は、自分の果たすべき役割はそれだけなのかと考え始めた。
自分に何が出来るだろう。
もっと他に、出来る事はないだろうか、と。
「分かりましたわ。
明月にお任せしましょう」
「いいの?、こんなのに任せて」
「ただし、無理はいけませんわよ。
なにかあった時はすぐに報告する事と、一日1回定時連絡する事、いいですわね」
「ああ、分かってる」
(どうせ、そっちの方からかけてくるんだろ)
澪菜は嬉しかった。
明月が彼女の組の一員としての自覚を持ち始めたと解釈したからだ。
それは、イコール、彼女の夫になる事に前向きになった証しでもある。
こんなにも心躍り、ワクワクしてドキドキするのは、久しぶりだった。
第11話 了