第10話 Cinderella Search
DISPELLERS(仮)
10.第10話 Cinderella Search
期末試験の結果は、惨憺たるものだった。
にも関わらず、明月の心持ちは、この真夏の青空の如く晴れやかだ。
その理由は、言うまでもなく、学校の廊下で会った時の曄の笑顔だった。
あの日から、彼女は変わった・・・、明らかに。
恐らく、自分の中にあったものを全て晒け出した事で、苦悩から解放され、吹っ切れたんだろう。
慣れてないせいか、どこか不自然で、なんかぎこちない、ちょっと恥ずかしそうなその笑みは、抜けるような満面の、
とはとても言い難い、ささやかで大人しめなもので、どこか儚げで、淋しそうでもあった。
あんな、大泣きに泣きじゃくった姿を、家族以外に見せた事なんてないんだろうから、きっと照れくさいんだな。
そんな感情を、分かり易く見せてくれるくらい、彼女は変わったのだ。
以前の彼女からは想像も出来ない程の、素直な微笑みだった。
自分は何もしてないが、ほんの僅かでもその役に立てたのなら、こんなに嬉しい事はない。
おかげで、全てが救われた。
3科目の追試も、2科目の補習も、彼女のその笑顔を見る為の代償だったと思えば、大して苦にはならなかった。
なぜか、自分は生きてるんだ、と実感した。
ただ、テスト期間に入ったという事もあって、あの日以来、曄とは廊下で会うだけで、会話も何も一度もない。
まあ、それまでのツンデレ女王的な頃と何も変わっていないと思えば、傍目にはそうなのだろう。
いきなり面と向かって話をしろと言われても、それはそれで困りものだ。
何て言っていいのか分からない。
でも、このまま夏休みに入ってしまうと、暫く彼女と会う事はなくなってしまう。
ついこの前までは、一日中一人でのんびりのほほんと出来る夏休みを待ち望んでいたはずだったのに、今は違う。
知ってしまった以上は、これまでよりもずっと、彼女の事が気になって仕方がない。
学校での彼女の表情を見る限り、今すぐに死ぬとか、そういう危険はないとは思うのだが、俺に話したからといって、
彼女を取り巻く状況が改善された事にはならない。
現実は、何も変わっていないのだ。
今後、彼女がどうするのかが気掛かりだ。
あの日の、あの時の彼女の話しっぷりからして、俺とはもう会ってくれない、話をしてくれないのか。
妖怪退治はもうやらないのか。
あの時は、そこまで考えが及ぶような心理状態ではなかった。
そんな余裕はなかったし、例えそういう思いが頭に浮かんだとしても、とても聞く気にはならなかっただろう。
彼女は、もう、俺を必要としないのか。
そこだけは、はっきりさせたい。
今でも、学校で声をかけたら怒るんだろうか。
電話でもしてみようかな、と思って携帯を開いた事も一度や二度ではないが、今更になって電話するのも気が引ける。
正直、ちょっとビビッてる。
返事次第では、凹むんだろうな・・・。
結局、何も言えないまま、夏休みに突入してしまった。
そして、数日が経ったその日。
その日も、明月は、日中自分の部屋で何をするでもなく、ただもどかしさの中で、思い耽ってゴロゴロしていた。
畳の上に寝っ転がったまま、開け放たれた窓から、外の木々の葉や空の雲を眺めていると、何事もなく平和に流れて
行く時間とセミの鳴き声が、なんだか恨めしい。
(あ〜、暑っち〜・・・)
どこからか、一羽のカラスが飛んで来て、窓枠の上に留まった。 バサバサッ
(うわっ、なんだこのカラス!)
「なんじゃお主、今日も出掛けぬのか」
「うわっ!、しゃべったあ!(汗)」
だが、その声には聞き覚えが。
「てか、てめーもしかして、黒坊主か?」
「うむ、裏の山で此奴が息絶えとったのでな、依代に使うてみた」
「死んでんのかよ。 気持ち悪りい事してねーで、さっさと元に戻れ!」
「案ずるな、直にこの体は腐る。
一時の戯れじゃ」
「益々気持ち悪りいわ!」
「それにしても、お主、夏休みとか言うものになって以来、一度も学校とか言う所へは行かなんだな」
「アホ、学校行かなくていいから休みって言うんだ」
「人とは不思議な生き物だ」
「お前に言われたかねーよ。
てゆーか、てめぇ、そんな真似出来んなら、どっかにある等身大ガンダムん中入って、動かしてみろよ」
(あれが勝手に動き出したら、世間中大騒ぎだぞ そしたら面白ぇ事になるぞ)
「入るのは構わんが、其奴は動く物なのか?」
「そりゃ動く・・・、あ、関節は固定か・・・」
(中身はただの鉄骨だもんな・・・
そうか、黒坊主は、始めっから動くように出来てる物しか動かせないんだ
なんでもかんでも、入りゃ動くって訳じゃねーんだな)
突然、携帯が鳴った。♪♪
澪菜からだった。
彼女からお呼びがかかったのだ。
「なんじゃ、あの娘か!」
「なんだ、てめぇまだいたのか、とっとと消えろゾンビガラス」
「あの娘の所へ行くのだな、ワシも連れてけ」
「娘っつっても、陰陽師の方だぜ。 頼んで封印してもらうか?」
「や、止めろ、縁起でも無い」 バサバサ・・・
カラスは、飛び立って逃げて行った。
やはり、陰陽師は苦手なようだ。
そして、電話から20分後、なんとその澪菜が直々に、わざわざ明月の家まで迎えに来た。
なんでわざわざ・・・。
玄関で久々に対面した澪菜は、満面の笑みを湛えていた。
「はい、明月、久しぶりですわ!」
そう言うなり、いきなり抱き付いてきた。 ガバッ
あの、豊満でやんちゃな2発の核弾頭を、惜しげもなく突き付けてくる。 グニュウ〜
「あ、あ・・・(汗)」
(な、なんだなんだ!?)
慌てふためく明月。
だが澪菜は、言葉を返す暇も与えぬまま、彼の頬っぺにチュッとキスをする。
「ごきげんよう、お変わりありません?」
「な、なにすんだよ、いきなり・・(赤)」
「ご挨拶ですわ(笑)」
「が、外国人かよ」
「妻夫ですもの、これくらい当然ですわ」
「違うって・・・」
顔を合わせた瞬間に、自分のペースに引きずり込んでしまうその強引な手腕は、いよいよ磨きがかかってきたな。
「で、用ってなんなんだ」
「ちょっと、予断を許さない事態ですの」
出し抜けにそう言う澪菜。
その割には、その笑顔は爽やかで落ち着いていて、どこにも慌てた様子はない。
「なにがだよ」
「今は早く、出掛けなければいけませんわ。
お話は追々致しますので、お急ぎになって」
「・・・仕事なのか」
「もちろん、それに関わる重大な事ですわ」
一体、何が予断を許さないのか、さっぱり見当がつかない。
しかし、その時の明月には、はっきり言ってそんなのはどうでもいい事だった。
やっと、堂々と曄に会う口実を見つけたのだ。
また曄に会える、その事だけで頭が一杯になった。
ただ、彼女が澪菜の要請に素直に応じるかどうか、それは誰にも分からない。
完全にこの世界から足を洗って、自分の悲惨な過去とも決別する事だって有り得る。
それを引きずっている限り、新しい人生を歩み始められないとかって考えているのならば。
澪菜の呼び出しで、曄がこれからどうするつもりなのかが分かると思うと、一気に期待と不安が高まる。
そんな気持ちを抱きつつ、彼は、言われた通りに数日分の着替えを用意し、外出している父親に電話でその旨を告げ、
澪菜が待つ車に乗った。
そして、開口一番に尋ねた。
「曄ちゃんは?」
澪菜の返事は、彼を喜ばせるには十分過ぎた。
「曄には既に連絡済みですの。
もう準備を整えて、わたくしの自宅で待機してますわ」
曄はまだ、妖怪退治を止めない!
澪菜の言葉を聞き、急に動悸が激しくなった。
体中の血液が流れ始めたのを感じた。
「そ、そうなのか?」
嬉しさの余り、ちょっと声が上擦ってしまった。
「ええ、きっと、驚きますわよ(笑)」
そんな明月を見て、澪菜が何を思ったか。
その時見せた、彼女の含み笑いが気になる。
☆
澪菜の館に着いた時、エントランス前で出迎えたのは、あの寿というメイドが一人だけだった。
いや、その後ろに、彼女の背中に隠れるようにコソコソしているメイドがもう一人・・・、誰?
明月が車から降りると、寿がニコニコ笑顔で、後ろで後込みするその子の腕を取って、彼女を前に押し出した。
あ、明月ビックリ!
で、出た!
萌え萌えメイド服の曄が、そこにいるじゃないかっ!
「な、なんで!?」
(なんで曄ちゃんが、ここに・・・?
あ、そうか、もう待機してるって澪菜さんが言ってたっけ)
曄は、真っ赤な顔をして下を向き、恥ずかしそうにもじもじしていた。
「ていうか、なんでメイド服?」
「い、いいじゃないの!、あぁなたに関係ないわ(汗)」
この声、この言い方、以前のぶっきらぼうな彼女と何も変わってない。
ちょっと呂律が変だが、なんだか・・・、嬉しい。
すっげぇ嬉しい。
服装のせいで恥じらってはいるが、あのツンデレ女王が復活している!
それは、明月にとって、最も待ち望んでいた彼女の姿だった。
それにしても、曄のツインテールは、やっぱり破壊的に可愛い。
前に澪菜が言った、仕事の時はいつもその格好でってのを、杓子定規に守っているのか?
そんな、従順な性格ではないはずだったのに、そこまで彼女は変わってしまったのか。
実は、案外本人も気に入ってたりして・・・。
曄は、見るからに動揺している。
「だいたい、なんであなたがこんなとこ来んのよ!、あなたなんか呼んでない!」
「あのな・・・」
(俺も、あんたに呼ばれた覚えはねぇ・・・)
そんな彼女を、明月の横に来た澪菜が、からかうように面白がる。
「あら、本当になにも話してないんですのね。
明月には内緒だなんて、意地が悪くてよ、曄(笑)」
「フン、だって関係ないもん(汗)」
ちょっと拗ねて、プイッと横を向く曄。
その表情や仕草が、明月には、以前より倍加して可愛く見えた。
曄に代わって、澪菜が彼に説明した。
「フフフ、いかがです?、驚きますわよって言ったでしょ?
曄はわたくしの家で、住み込みでアルバイト中ですのよ」
「アルバイト?」
「バイトな訳ないでしょ!、修行よ!」
「修行?」
(バイト?、修行?、どっちなんだよ)
「確かに修行はしてますけれど、それは余暇の時間の話ですわ。
曄は夏休みの間、ここでアルバイトする事になりましたのよ、メイドとして」
そ、そういう事か・・・、って、どういう事?
「ちょうど、今は手が足りてませんの。
菊花はお姉様のお仕事の方へ出向いてますし、皞子は精進料理の修業に出てしまいましたし。
あと一人、雀という名の子がいますけれど、あの子はまだ高校生ですから、夏休みの間は実家へ帰らせてますわ。
その分、曄に働いてもらいますの。
まあ、スズメの涙程の役にも立つかどうか、怪しいものですけれど。
あら、今のはナイスジョークですわね(笑)」
「そ、そうなのか?」
「・・・修行だってば(汗)」
曄は、もう、いちいち澪菜の言葉を否定して回るのにうんざりした顔で、口を尖らせる。
澪菜は逆に、一頻りからかって満足げに笑った。
「では、わたくしも、外出の支度をしてきますので、暫くお待ちになって。
行きますわよ、寿」
「ハイ、お嬢様」
澪菜が寿を伴って館の中へ入って行くと、明月と曄だけが残された。
なんか・・・、気まずい。
お互い、緊張していた。
嬉しいのに、照れくさいし、何を話せばいいのか、どんな顔をすればいいのか、分からない。
戸惑う明月。
今までにない感覚を味わっていた。
(こういう雰囲気、苦手なんだよ・・・)
今までは、ごく自然に、決して打ち解けた訳でもないのに、ごくごく自然に、そこにいるのが当たり前的な、あたかも
それが普通であるかのように、何の違和感もなく側にいられたのに、それが今は、物凄い距離感を感じる。
転校生が初めて新しい学校の教室に一歩踏み込んだ時の感覚とは、こういうものだろうか。
ただし、その距離感は、ふとしたきっかけさえあれば、すぐにでも消滅する程度の幻でしかないと、彼は知っていた。
知っていた、というより確信していた。
なぜなら、そこに曄が存在しているから。
2人の距離がどんなに離れていようとも、その間に壁などは一切なく、クリアに、はっきりと存在が見えるのだから。
後は、取っ掛かりさえあれば・・・。
最初に声を出したのは、曄の方だった。
こういう時、最初に肝を据えるのは、女性の方が早い。
「なにジロジロ見てんのよ(赤)」
口調はいつも通りの突っ慳貪な彼女だったが、視線を合わせず、チラチラと様子を窺う、余所余所しい態度だった。
「あ、いや・・・、に、似合ってると思ってね・・・(汗)」
「なにが?」
「その、カッコと・・・、髪がね」
「・・・、フン、なによ今更。 この前はそんな事、一言も言ってくれなかったくせに」
「そ、そうだっけな?(汗)」
「またシラを切る。
あなたはいっつもそう・・・。
はっきりしないんだから」
「そうだな・・・、俺は、変わらんな。
多分、これからも変わんねーぞ」
これからも変わらない。
これは、明月の嘘偽りのない本音だった。
その言葉に込めた彼の気持ちを、曄は理解出来ただろうか。
彼女は無言のまま、下を向いて小さく、小さく微笑んだ後、確かめるように聞いた。
「変わらない?・・・、これからも?」
「別に、変わりゃしねぇよ」
「こんな・・、あたしでも・・・?」
「こんなってどんなだよ。
俺は、目の前にいるあんたがいいって言ったんだ、他に意味はねぇ(汗)」
これが、明月が曄に直接語った、唯一の、彼女に対する答えだった。
彼は照れていた。
顔にこそ出さなかったが、かなり緊張してドキドキしていた。
いつもの事ながら、いや、いつも以上に、彼女を直視出来ない。
広大な桐屋敷家の玄関前の庭の木々や花壇の方へ、目を泳がせていた。
成り行きで、つい言ってしまった・・・。
こんな、ある意味直球的な台詞は、自分の中では、決して口に出すようにはプログラミングされてない。
が、他に表現方法が思いつかなかった。
経験値が足りなさ過ぎるし、引き出しもないので、他にどう表現していいのか分からないものを、何かに託けて言った
ところで矛盾が出る。
であるからして、例え曄がどんな汚辱に塗れていようとも、例え処女ではないとしても、そんな事は自分にとっては
どうでもいい事であって、自分が好きなのは、過去ではない、今そこにいる君なのだという、率直な気持ちをそのまま
言葉にするのも無理ならば、オブラートに包むような婉曲表現する事も出来ないでいた。
そのニュアンスが、ほんのちょっとでも伝われば、それだけで満足だったのだ。
で、それが曄には理解出来てしまうから、こういう時の男女は不思議だ。
恐らく、回りくどい表現は、この際は逆効果だったろう。
彼女は、彼の言葉を、素直にそのままの意味で受け取った。
メイド服にスケベ心が動かされた、という、非常に合理的かつ説得力のある推測も無視した。
それは、彼が発した言葉こそが、彼女が最も欲していた言葉だったから。
同情でもない、慰めでもない、今、ここに存在している自分そのものを受け入れてもらえた事が、ただ嬉しかった。
言葉を返せなかった。
ありきたりな感謝の言葉では、自分のその時の気持ちの熱量は伝え切れないと思った。
自分が、生き続けてみようと思うようになった、そのきっかけをくれた人だから。
ただ、それは同時に、それまでは感じなかった、いや、感じまいと無意識に避けていた、孤独をより一層強く感じる
事にも繋がり、複雑な思いが胸中を過ぎった。
汚れた自分が、彼の気持ちを受け止めていいのだろうか。
そんな資格が自分にはあるのか・・・。
その時の沈黙は、明月にとって、これまでにないくらい気まずいものになった。
これ以上続けば耐えられない。
緊張で頭がおかしくなる。
思い浮かんだ事を、まっすぐ質問したのはそのせいだった。
「しかし、なんでまた、澪菜さん所でバイトなんてする気になったんだ?
金ならあるんだろ」
曄は、努めていつも通りを装った。
「バイトじゃない、修行よ。
しょうがないでしょ、澪菜がタダじゃ修行させないって言うんだから。
仕方ないから言う通りにしてるだけよ」
「じゃあ、あんたの方から言い出したのか」
「そうよ」
「いつ」
「期末試験の終わった日」
「なんでまた」
「あたしは、強くなりたいのよ」
前にも聞いた台詞だが、今の彼女が言うのを聞くと、全然違う意味にも受け取れる。
「その為には修行しなきゃ。
ここなら、修行する相手には困らないでしょ」
確かに、澪菜の周辺には、妖力を操る者達が日常的にゴロゴロしてる。
こういう事は、普通に生活していたんではなかなか巡り会えない。
茨屋の人間以外にそうした人を知らなかった曄は、それをまたとない好機と捉えたのだ。
やはり、あの日以来、彼女は変わった。
明月は、彼女が自分の意志で心機一転、新しい事を始めようとしているのは確かだし、いい事だと思った。
死ぬ事を前提にしていた、これまでとは違うのだ。
なんだか、スーッと胸の支えが取れていくような気がした。
初めに感じていた距離感も、いつの間にか消えていた。
「そういう事か・・・。
妖怪退治は、止めないんだな」
「うん、まあね・・・。
他に取り柄もないし」
「じゃあ、修行相手は菊花さんとかか?」
「専ら澪菜よ。
て言うより、枇杷と通草だけどね。
けど、あの菊花って人、強いわよ。
澪菜なんか、足元にも及ばないくらいね。
一度しか手合わせ出来なかったけど、いっつもヘラヘラしてるくせに、あんなに強いとは思わなかったわ。
全然妖力を変えないのに、いきなり離れた所から衝撃波が襲って来るんだもん。
あんな技、見た事ないわ」
それもそのはず、曄と手合わせした時に菊花が見せたという技は、陰陽師の技ではなく、気功術のようなものだった。
曄は知る由もないが、菊花は、気功を巧みに操る、過激な武闘派の陰陽師だったのだ。
そういう意味では、より殄魔師に近い攻撃的なタイプの陰陽師とも言える。
曄が生きる事に前向きになったのは、当然の事ながら、明月にとっても朗報だった。
もちろん、事情を知らなかったら、ただの気まぐれかわがままとしか思わなかったに違いないだろうが。
彼は安堵し、空を見上げた。
一羽のカラスが飛んでいるのが目に入った。
何げなく見ていると、そのカラスの飛び方が、普通と違って何か変だ。
何かに追い立てられるように、不自然に羽根をバタつかせて右往左往しているように見えた。
巣立ったばかりの若輩トリでも、あそこまで下手クソな飛び方はしないぞ。
(なんだあのカラス、一羽だけで・・・
もしかして、あれ、黒坊主か?
あんのヤロー、付いて来やがったな・・・)
少しずつ冷静さを取り戻して行くにつれ、もう一つ思い出した事があった。
「あ、そういや、鎌鼬はどうしたんだよ。 もうどっか逃げてったか」
あの日、曄の口から悲劇的な事実を聞かされた彼は、衝撃のあまり動転し、自分が捕獲した鎌鼬の事すら綺麗さっぱり
頭の中から消えていて、自宅へ帰る時は鞄だけを手に持っていた。
その中のエロ本の事さえ、開けるまで忘れてたような始末なのだから、鎌鼬の事も、思い出したのは翌日になってから
だったし、その時は、もうとっくにどこかへ逃げてしまったものと思っていた。
曄があれをどうにか出来るなどとは、考えてもみなかった。
ところが、彼女から返って来た言葉は意外なものだった。
「ああ、オッタン?、そこら辺にいるんじゃない?」
「オッタン?、なんだそれ」
「なにって、名前よ」
「名前って・・・、もしかして、鎌鼬の?」
「そうよ」
「ま、まさか・・・。 飼ってんの?、逃げてねーの?」
「そうよ」
これまた衝撃。
曄が、鎌鼬を飼い馴らした?
彼女がケロッとした顔で当たり前のように返事したのが、余計にびっくりさせられる。
「へ、へへ・・、ジョーダンにしちゃあ、笑えねぇな(汗)」
「なによ、あたしがウソついてるとでも!」
「わ、分かった、信じるよ。 にしても、名前が・・・」
「オッタン」
「へ、変な名前・・・」
「だって、あたしの刀折ったもん」
「折ったから、オッタン・・・?」
「なんか文句ある?」
「・・・なんか・・・、ハハ、すっげーセンス悪(笑)」
「いいじゃないのよ!、本人も気に入ってんだから!(汗)」
「ホントかよ〜」
「いいわよ、見せてあげるわよ!」
プンプン頬っぺを膨らませた曄は、エントランスの屋根の下から開けた場所へ出ると、右手の拳を高く突き上げ、空へ
向かって大きく声を張り上げた。
「オッタン!」
その途端、急に突風が吹き抜けたかと思いきや、高く掲げられた彼女の拳の上に、あのフェレットみたいな奴がフッと
現れて、ちょこんと乗っかっているではないか!
一瞬の早業。
これぞ瞬間芸。
何も知らない人には、マジックに見えるだろう。
ラッキーちゃんも真っ青だ。
「す、すげー・・・(汗)」
本当にやっちゃった・・・。
明月は、ただボーっと彼女を眺めていた。
「どう?、分かった?、て、なに見てんのよ」
「あん?」
「どうせまた、風でスカートめくれるの期待してんでしょ、いやらしい」
(ご明察!)
「バカにするな、俺は純粋に驚いてんだ(汗)」
鎌鼬・・、いやオッタンは、曄の手から腕をチョコチョコ伝って、肩まで下りて来た。
それは、本当に妖怪なのかと疑ってしまう程馴れていて、ただのペットのフェレットにしか見えない。
妖気は感じるが、それは、以前対決した時とは比べ物にならないくらいに低いもので、曄の体調に影響を与えるレベル
には達していない。
普段の鎌鼬とは、こんなに大人しいものだったのか。
例えそうであれ、彼女が鎌鼬を懐柔するなんて、冗談か何かと思っていた。
とても俄には信じ難いが、現実に目の前にいる。
明月がそれを確認でもしたいのか、オッタンの頭でも撫でてみようかと無造作に手を伸ばしたのを、曄が制した。
「むやみに手を出すと、腕ごと切り落とされちゃうかもよ。
オッタンはあたしの言う事しか聞かないから」
ドキッとして、思わず手を引いた。
そうだった、これは妖怪だった。
「人の言葉が分かるのか」
「分かってるみたいよ、話は出来ないけど」
「そ、そうなのか・・・。
しかし、どーやって手懐けたんだ?、なにやったんだ?、普通懐かねぇぞ」
「苦労したわよ、最初はね。
テスト勉強なんかそっちのけだったし。
でも、こっちに敵意がないって分かったら、思ったより早く懐いたわよ」
「そんだけで・・・、そんな簡単な訳ねぇよな、普通・・・」
明月は、独り言のように思いを巡らせながら曄の顔をチラッと見ると、彼女は、一瞬悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「秘密(笑)。
後は、ハムとソーセージとフルーツかな」
「食い物かよ・・・」
曄が橙眼の力を使ったのは容易に想像出来た。
と言うより、その方法以外に、彼女が鎌鼬を大人しくさせる術があるはずがない。
彼女は、自身の身に宿る禁忌の力を使った。
絶対に使いたくないはずの力を。
そして、本当に懐かせてしまったのだ。
驚くべき事だ。
具体的にどうやったかは不明だが、祖父も、そして父親も成し得なかった事を、やり遂げられなかった事を、しかも、
決して低級などではない、強力で危険極まりない妖怪を自由に操る事に成功したのだ。
例え、橙眼という、呪われた忌まわしき力を逆手に使っての事だとしても、それはやっぱり驚いて然るべきだ。
(て事は、曄とイタチ野郎の間にギブ&テイク?
なにをギブしたんだ?)
そうまでして、鎌鼬を飼い馴らす必要があった、という事なのだろう。
彼女が、殄魔師としての呪縛から解き放たれる為に・・・。
「大丈夫なんか?、放し飼いにして」
「首に縄付けたって、無駄なのは分かってるでしょ。 だったら、無理して縛り付けておくよりましよ」
「また人を襲うぞ」
「この子が人を襲ったのは、ただの悪戯なのよ。
よっぽど怒らせなかったら、本気で攻撃したりなんかしないわ」
「なんでそんなん分かんだよ」
「なんとなく。
見てたら、そんな悪い子に思えなくって・・・」
まるで、普通のペットの小動物ように、慈愛に満ちた穏やかな表情でじゃれつくオッタンの頭を撫でている彼女を見て
いると、これがあの殄魔師と同一人物かと疑いたくなる程の変貌ぶりだ。
いつの間にか、彼女は他の一般のペット愛好家と同様に、動物に癒やしを求めるようになったとでもいうのだろうか。
しかし、あんたが撫で撫でしているのは、妖怪なんですよ。
ユーノ君でもコジョピーでもない、ましてやとっとこハ○太郎でもない。 ヘケ
「悪ふざけにしちゃ、危ねえな」
「一応、そういう事はしないように言い聞かせてるけどね」
「ちゃんと聞いてんのか?」
「言ったでしょ、あたしの言う事は聞くのよ。
あれ以来、一度も悪さだってしてないし」
「慣れてんだな、扱いに」
「小さい頃、イヌ飼ってたからね。 妖怪に食い殺されちゃったけど」
聞いていて気が付いた。
彼女の妖怪に対する認識が、明らかに変化している。
飼いイヌが食われてしまったのを、事故にでも遭ったかのように、不可抗力の如くサラッと話すなんて、以前では有り
得なかった。
だとしても、それはそれでいい事なんではないか。
彼女の表情が、より普通の人間らしいものになっているんだから。
ある意味、ちょっと大人になったのかな。
明月は、それが自分がもたらした影響の結果なのだという事に気付いていなかった。
彼は、曄が本来怨むべきは、妖怪ではなく、円松坊とか言うクソ野郎であるべきなのだと考えていた。
「わたくしも、初めはびっくりしましたわ。
まさか、曄が鎌鼬を連れて家に来るなんて、想像もしてませんでしたもの」
旅支度を終えて館から出て来た澪菜が、涼しげな笑顔で明月の側へ寄って来た。
ウェッジソールのグラディエーターサンダルに、どっかの高級ブランドか、ノースリーブのちょっとタイト目な白い
ミニ丈ワンピースを着て、頭にでっかいリボンをつけた、いかにもリゾート風お嬢様的出で立ち。
こうして見ると、やはり彼女は、自分の魅せ方というのをよく心得ていると分かる。
特にそのダイナマイトなバディを際だたせて強調している訳でもないのに、世のオヤジ達に巨乳というものの底知れぬ
魅力と破壊力をインプリンティングした峰不二子の如く、どこまでも美しく妖しく、否が応にも目を釘付けにするその
女の象徴は、年端のいかない少年を悩殺するには、それ以上の演出は不必要だと言わんばかりに自己主張している。
いや、これも寿の見立てなのだとしたら、澪菜の魅力を最大限に引き出している寿のセンスが見事という事か。
「聞きましたわ。
貴方が捕まえたそうですのね、あれ。
そして、それを曄が、一人で調伏した。
あの、ダメダメな曄からは想像も出来ない、これぞ真夏の珍事ですわ」
「調伏なんかしてないわ。
あたしは、友達になったのよ。
それだけよ」
曄は、オッタンを手の上に乗せると、それを高々と空へ放り上げる。
すると、またしても突風が吹き、同時にオッタンの姿が消えた。
息ピッタリ。
完全に馴染んでいる、て言うか、自在に操ってる。
そして再び突風、今度は足元を吹き抜け、メイド服の短いスカートが思いっきりめくれてパンツまる見えに。
「キャッ!」
オッタン、グッジョブ!
「見たでしょ!」
「・・はい、縞々でした」
「スケベ!、大っ嫌い!」
意外と気の利く妖怪だ。
オッタンが悪戯好きなのは本当らしい。
鎌鼬は、再び空を周回していたカラスを追い立て始めた。
カラスは明月を追いかけてここまで付いて来て、お気に入りの曄を見つけて近付こうとして、鎌鼬に敵機と識別されて
しまったようだ。
空中戦で鎌鼬に敵う訳がない。
早く逃げた方が身の為だぞ。
2人の遣り取りを、少し間をおいて見ていた澪菜は、その関係の微妙な変化に気付いていた。
と言うより知っていた。
初めに、曄が修行させてくれと言って来た時から、彼女の目の輝きが違うと分かった。
決意と覚悟、自分を変えようとする強い意志がそこにあった。
その理由を聞き出すのには多少苦労したが、彼女の心境の変化に明月が深く関与しているのは疑うべくもない。
それは、澪菜にとっては歓迎すべからざる事であり、もっと違う、断固とした強い対応も考えられたはずだったのに、
彼女は敢えて何もしない方を選んだ。
曄が本当に自分の意志を貫き通せるのか、見てみたくなった。
だから、自分に何の断りもなく、勝手に明月と2人だけで鎌鼬の退治に出掛けた事にも目を瞑った。
一方の明月は、戸惑っているのが手に取るように分かる。
彼は一体、どこまで曄の本心に気付いているのか。
鎌鼬を素手で捕まえるという、驚異的な力を発揮するまでに開花しつつある彼の天才的潜在能力は未だ未知数だ。
それは、組の長となる澪菜にとって、片や予想外、片や予定通りの進化を見せる事となった。
いろんな意味で、喜ばしい事だった。
「では曄、これを持ちなさい」
それは、寿が重そうに引きずってきた、大型の旅行トランクだった。
それも3つ。
(な、なに入ってんだ、海外にでも行くつもりか)
「な、なんであたしが!、そんな物自分で持ちなさいよ」
「わたくしに無断で明月とデートした罰ですわ」
「その罰ならもう受けたじゃない。 もう関係ないわ!」
「なにを言ってるの、わたくしのメイドでしょ。 口答えは許しませんわよ。
それとも、もっともっと可愛がって欲しいのかしら?」
「う〜・・・(汗)」
ただ、澪菜が曄をいじって遊んでいるのは、相変わらずのようだ。
そこへ、車が横付けされた。
げっ!、ハ、ハマー・・・。
(ホントに、ここのガレージはどーなってんだ)
「でも、どうせならH1の方が良かったのに・・」
明月がボソッと独り言を呟くのを、目敏く聞きつけたのが、車を運転してきた定芳だった。
「さすがにお詳しいですね、明月様は。
実は、H1も2台程あるのですが、あれは朝絵お嬢様の専用でして、現在はお仕事の為に使用中です。
それに、澪菜お嬢様はあまりお好きではないようですので、あの乗り心地は」
「は、はあ・・・」
(あ、そうですか・・・、俺、乗った事ねぇ
てか、澪菜さんの姉ちゃんは、迷彩服でも着て陰陽師の仕事すんのか?)
定芳が荷物を車に積み込む一方で、リアシートに座る曄、明月、澪菜。
「オッタンも連れてくのか?」
「まあね、留守番なんかさせらんないし、目を離したらなにしでかすか分かんないもん」
「くれぐれも、暴れさせてはいけませんわよ。
貴女にしか懐いてないんですもの」
「分かってるわよ」
すると、助手席に寿が乗り込んで来た。
「準備OKでぇす、定芳さん」
(あ、この人も一緒に行くんだ)
館の中から一人の女性が出て来て、定芳と二言三言話をしていた。
澪菜が車のウィンドウを開け、その女性に挨拶した。
「では、行って参ります、葵さん。
留守中、頼みますわよ」
「行ってらっしゃいませ、お嬢様。
中将、くれぐれも、お嬢様に無理させぬようにね」
「了解です、お頭」
「お頭言うな」
玄関先で見送りに出て、澪菜に葵と呼ばれ、寿にお頭と呼ばれたその女性は、すまし顔の、絵に描いたような真面目で
実直そうな、映画やドラマに出てくるキャリアOLか社長秘書風な美人だった。
受付嬢タイプには見えないな。
「あれ、誰?」
車が動き出すとすぐ、明月が聞いて、寿が答えた。
「お頭は、澪菜班のメイド長です。
お嬢様の生活全般のスケジュールとお財布、それと私達の仕事を管理しています。
言うなれば、秘書みたいな人ですね」
葵は定芳と同様、白泰山会から派遣された澪菜のお目付役で、澪菜に関わるほぼ全ての管理を任されている女性だが、
定芳と違い、仕事に同行する事はなく、完全に事務方に徹している。
☆
「ここからは長時間のドライブになりますので、今のうちに事の成り行きを説明しておきますわ」
ようやく、澪菜が今回の仕事について話し始めた。
「今から向かうのは、柿根神社という所ですの。
そこに、わたくし達の目的の人、結界術師がいるんですわ」
「結界術師って・・・、ああ、前に言ってたあれか」
「ええ、そうですわ。
わたくし達の組に入る、新たな仲間ですわ。
ただ、少々問題が発生しておりますの」
「問題?」
「それは寿に説明してもらいますわ。
この度の交渉は、全て寿に任せてましたので」
「はい、お嬢様」
ハマーは、ガタイもデカいが車内も広い。
それ程窮屈な思いをせずとも、助手席に座る寿が無理なく体を横に向けて後ろに振り向く事が出来る。
「お嬢様のお言い付けで、定芳さんが探し出したのが、今から会いに行く、篠清水 薺さんという人です。
年齢は15歳、アッキー君と曄ちゃんと同じ1年生です」
(やっぱアッキーかよ、俺・・・
ていうか、また女なのかよ
いつまで経っても、男は俺一人なんかな・・・)
どうやら、今回は、新しく仲間になる女の子に会いに行くだけで、仕事という訳ではないんだな。
問題というのがどんなのか些か気になるが、どうせ澪菜の事だから、強引に解決してしまう気なんだろう。
ていうか、メイド達の間では、菊花が名付けたアッキーという呼び方が浸透してしまったらしい。
まあ、親しみを持ってそう呼んでくれるのだから悪い気はしないが、慣れるまではちょっと照れくさい。
ちなみに、寿が曄を愛称で呼ばないのは、修行の為に曄が桐屋敷家を訪れた時、菊花がヒッキーと呼んで逆鱗に触れて
しまい、鎌鼬に殺されかけたという経緯があったからで、以来、ヒッキーという言葉は、メイド達の間では絶対の禁句
になっているのだった。
どういう訳か、曄はそういう呼ばれ方をするのを極度に嫌い、病的なまでに過剰に拒否反応を示す。
もし、一番最初の段階で、明月が彼女をそんな愛称で呼んでいたら、この物語はその時点で終わっていたはずだった。
無論、明月の知るところではない。
「お嬢様からもありました通り、薺さんは柿根神社の宮司・篠清水冬舟さんのお孫さんで、巫女です。
初め、私が直接コンタクトした時は、彼女はそれなりに前向きな印象だったんです。
で、ご両親にその許可をいただこうと伺ったところ、丁重に断られてしまいました。
理由は、薺さんは大事な神社の跡取りだから、他所様の所へは出せん、と言う事のようです。
そこで、どうやって説得しようかと考えていたら、一昨日、薺さん本人から直接電話があったんです。
助けて欲しいって。
すぐに切れてしまったので、詳しくは分からないんですが、どうやら彼女の身に、なにかあったらしいんです。
急いで親御さんに確認の電話をしたのですが、関係ないと一蹴されてしまいました」
「なにかあったって、それだけじゃあなぁ・・・」
「未確認ですので迂闊な事は言えませんが、薺さんは、お祓いに失敗した事を仄めかすような事を言いました」
今度は、曄が聞いた。
「お祓い、って、どんな?」
「分かりませんが、まあ、柿根神社は、地元では悪霊祓いでそこそこ有名みたいですし、彼女にお祓いが出来ても別に
不思議はないです」
「その子が、結界の術師なの?」
「定芳さんの調べでは、お嬢様や曄ちゃんの世代の中では、恐らく日本で5本の指に入る才能の持ち主だそうです。
中でも薺さんは、その特殊能力に於いては他に類を見ないとの評判です」
「特殊能力ってなに?」
(なにを発動しちゃうんだ?、墓地からなんか呼び戻すんか?、攻撃を無効化してターン強制終了すんのか?)
「さぁ、それは実際に行って、直接聞いてみないと分かりません。
でも、独自の結界術を使うのは確かなようです」
「つまり、それこそが、我々が探し求めていたガラスの靴の所有者、シンデレラなのですわ」
(へぇー、シンデレラねぇ・・・)
澪菜が自分以外を、物語のヒロイン呼ばわりするのを初めて聞いた。
それだけ待ち望んでいたという事なのだろう。
(3人目のプリキュアの間違いじゃねーの?)
「でも、今の話だと、親は反対してるみたいじゃない。
そんな子を組に入れるなんて出来んの?」
「そうですわね。
それを確認する意味でも、直接会う必要があるのよ。
ただ、今は、その子の危機を救うのが先決ですわ。
わざわざ寿に助けを求めたって事は、それ相応の危機に直面していると考えて間違いないはずですもの」
そんな話をしている時でも、寿は皆にお菓子を配ったり飲み物を配ったり、忙しなく体を動かしていた。
落ち着きがない、というより、やけに楽しそうだ。
浮かれているのか、どことなく燥いでいるようにも見える。
大好きな澪菜と、共に外出出来るのが嬉しいらしい・・・、外泊になりそうだし。
ポロリもあるよ。
(ねーよ!)
保護者同伴の遠足みたいだと思っていたが、この燥ぎっぷりでは、どっちが保護者なんだか分からない。
「はい、リュミネールで買ってきたエクレアですよ。
ここのチーズケーキは絶品だけど、シュークリームがまた美味しいんですよ。
カスタードがもう最っ高で、すぐ売り切れちゃうんですよ。
曄ちゃん知ってる?」
「知らない」
「知らないの?、曄ちゃんの学校の近くだよ」
「こういうの、あんまり食べないから」
「甘い物嫌い?」
「そういう訳じゃないけど、あたしはスーパーで売ってるので十分なのよ」
(意外と庶民的だな)
「そうなの・・・、でも美味しいでしょ?、やっぱり専門店の味には敵わないわよ」
「うん・・・」 ぱく
「アッキー君も、はい、どうぞ」
「あ、どうも」
明月は、車に乗った時から、ずっと気になっていた事があった。
これまでであれば、特に気にも留めずに流してしまうところなのだが、曄と再び一緒にいられる事が余程嬉しかった
せいで、気分が高まっていて、ついつい思った事を口にしてしまった。
しかも、これからその曄と外泊。
内なる興奮は、徐々に高まりつつある。
「ところで・・・、この音楽なに?」
「トニー・シュートですわ。 明月はお嫌い?」
「いや、嫌いもなにも、初めて聴いたし・・・」
「トニー・シュートっていうのは、1980年に“アイランド・ナイト”というアルバムでデビューした歌手・・」
「他にねぇの?」
寿が事情通よろしく解説を始めたのに、明月はバッサリ切って捨てた。
それでも、彼女は嫌な顔一つせず、カーオーディオのディスプレイを操作する。
「ありますよ、クリストファー・クロス、エアサプライ、マンハッタン・トランスファー、レヴェル42・・・・・、
あと、ヴァンゲリスとかシャカタクとか。
お嬢様の音楽趣味は、朝絵様の影響なんですよ」
「お姉様は、レッド・ツェッペリンとか言うのにぞっこんなんですの。
ヴァンゲリスは定芳の趣味ですわ」
(ツェッペリンしか知らねえ・・・(汗))
「明月は、どんなのがお好みですの?」
「俺か?、俺は・・・、ピエール・ポルトかな」
これを聞いた曄が、会話に加わった。
彼女がこの手の話に食い付くのも、これまでにはない珍しい事だ。
「あれ?、B4なんとかじゃないの?、この前DVDがどうのって言ってたじゃない」
「あ、ああ、もちろん、ブレット・フォー・マイ・ヴァレンタインは好きだね」
「他にはありませんの?」
「あとは、シレニア、エリシオン・・・」
澪菜の反応は速かった。
「寿、チェックして」
「ハイ、お嬢様、バッチリメモしました」
「曄は?」
「あたしは・・・、アコースティックが好き」
「アコースティックって言うと、葉加瀬太郎ですの?、或いは吉田兄弟とか、リチャード・クレイダーマンとか」
(なんで吉田・・・(汗))
「普通、アコースティックって言ったら、押尾コータローとかジェイク島袋とかでしょ。
あたしはゴンチチが好きなの。
千住明とか、チェン・ミンとか・・・」
「マニアックですわね」
「どっちがよ」
☆
車は、幾つもの町を過ぎ、田園を抜け、山を越え、橋を渡り、途中で昼食を摂ったり休憩したりしながら、延々と走り
続けた。
そしていつしか、全く人気のない、深い森の中を走っていた。
車線のない一本道で、山の中をうねりながら上へ上へと伸びている。
周囲には、樹齢何年かも分からないような、苔の生えた幹の直径が1m近くもありそうな杉の巨木が無数に立ち並び、
青々と茂る枝葉が陽の光を遮り、昼尚薄暗く、エアコンの効いた車内にいても、外の気温の低さと森林独特の湿気が、
それまでとは違うんだと肌で感じられるくらいの自然の中にいる。
いかにも、霊験灼かな神々の山に踏み込んで来た、という雰囲気だ。
暫く行くと、少し空が開けた場所に出た。
参拝客用の駐車場だった。
普通乗用車なら、20台くらいは停められそうな広さだ。
道はそこから更に上へと続いているが、その前には大きな赤い鳥居がデンと構えており、ここから先は別世界なのだと
教えてくれている。
駐車場に車を停め、曄がドアを開けると、一目散にオッタンが外へ飛び出した。
狭い空間に押し込められて、余程息苦しい思いをしていたのだろう。
そのストレスを発散させるかのように、周囲に強風が吹き荒れて、木々の葉を激しく揺らした。
またカラスを追っかけてる。
(あのカラス・・・、まさか、付いて来たのか、ここまで・・・)
車を降りた澪菜は、鳥居を見上げながら枇杷の名を呼んだ。
すると、それまで姿を隠していたスイカズラがひょっこり現れ、人の姿に変化した。
「枇杷、ちょっと様子を見てくれる?」
枇杷は、相変わらず無表情で、主人の言葉にも率直に意見する。
「申し訳ありません、澪菜様。
私は、ここから先へは入れません」
「結界、ですの?」
「はい。
恐らくですが、この先、幾重もの結界が張り巡らせてあるものかと」
鳥居の、人の目の高さくらいの所に、結界の為と思われる呪符が貼り付けてあった。
「やっぱり・・・、そうですの。
ありがとう枇杷、もう結構ですわ。
貴女は通草と車で待ってなさい」
そして、空を見上げてオッタンを目で追いかけている曄に言った。
「ここから先は、わたくしの式も貴女のペットも、連れては入れなさそうですわね、曄」
「どうやら、そうらしいわね」
そう言われれば、オッタンはビュンビュン飛び回っているが、決して鳥居の辺りから山の上の方向へは行っていない
ように見える。
カラスもまた然り。
行きたくとも行けないのだ。
曄は、右手を高く差し出し、そこへ戻って来たオッタンに向かって言った。
「オッタン、ここで大人しく待ってて。
悪さしたら、おやつあげないわよ」
そこからは、歩いて山道を登る。
道は舗装されているが、次第に狭くなり、すぐに車が通れる程の道幅はなくなった。
周囲は鬱蒼と茂る原生林が広がり、一歩踏み込んだら戻れなくなってしまいそうな程に暗く、奧が見えない。
鎮守の森と表現するには奧深過ぎる。
ジブリ映画の世界にでも迷い込んでしまったか。
麓ではあんなにけたたましかったセミの大合唱も、ここまで来ると、蝶の羽音の方が耳に響く。
それに、真夏とは思えない涼しさ。
清涼感漂う神聖で神々しい空間を歩いていると、天狗でも現れそうな雰囲気一杯なのだが、さすがに天狗は出て来ない
だろう。
その代わりと言っては何だが、蚊だけはやたらと多い。
腕や脚など、過度ではないがそこそこ露出度の高い服装の女性陣は、虫除けスプレーの噴霧に余念がなく、寿なんかは
辺り構わずシュッシュしまくっていた。
彼女達には、この一面マイナスイオンだらけの浮世離れした環境を満喫するよりも、虫に刺されて肌が赤く腫れ上がる
事の方が、よっぽどの大問題なのだ。
今から会いに行く少女が、蚊の侵入を防ぐ結界なんてのでも操れたら、さぞや重宝されるに違いないな。
歩く事、5、6分くらい
石の鳥居と灯籠が見えた。
その先に50段くらいの石段が続き、それを登るとまた鳥居が現れ、両側に狛犬が鎮座する石畳の参道を更に100m
くらい進んだ所に平入型の拝殿があり、その奧に本殿の屋根が見える。
深い山の中にポツンとある為か、それ程大規模ではないが、造りは本格的だ。
拝殿の手前にある社務所にいた一人の巫女に寿が話をすると、拝殿の横を通って回廊の先の別棟へ案内された。
そこへ現れたのが、紫色の袴姿で、濃い白髪眉毛が特徴的なハゲ頭の小柄な老人。
彼が、柿根神社の宮司、篠清水冬舟だった。
「誰じゃね、客など呼んだ覚えはないぞ」
「初めまして、わたくし、桐屋敷澪菜と申します」
鬼瓦のような、ギロッとした威嚇的な目で、挨拶した澪菜を睨む。
かなり気難しい、頑固そうな人だ。
フンっと息を吐く。
「やれやれ、今度は桐屋敷家のお嬢さんが直々かね。
何度来ても同じじゃよ。 例の件なら、お断りしたはずじゃが」
完全に彼女を敵視しているのが、その顔に判り易く書いてある。
彼は、桐屋敷と聞いてすぐ、白泰山会の陰陽師であると理解し、薺をスカウトしに来たのだと覚った。
澪菜は、いつも通り平然として、どんな相手でも、例え自分が招かれざる客だと分かっていても、物怖じ一つしない。
その図々しさは、今更ながら特筆に値する。
「わたくしとて、わざわざ御神籤を引く為に、こんな山奥にまで参ったのではありませんわ。
避暑には良い所ですけれど、リラックス出来そうにはありませんもの」
挑戦的な薄ら笑いを浮かべた澪菜の嫌味混じりの言葉に、忌々しそうに口元を歪ませた冬舟。
こうも正面切って堂々と言われたのでは、さすがに門前払いは出来ぬと感じたか。
前回、寿が1人で訪れた時とは、相手の格が違う。
「ふん、毛並みも肌艶も申し分ないわ。
いかにもサラブレッドじゃな。
よかろう、折角いらしたのじゃ、茶ぐらいは出さんと、後々何を言われるか分かったものではなさそうじゃな」
澪菜は更に切り込む。
「そんな暇があればよろしいんですけれど、そちらの娘さんが大変なのではなくて?」
「ぐっ!(汗)」
冬舟の顔が一段と険しくなった。
「わたくし達には、その子を救う用意があります」
「・・・(汗)」
「お顔を拝見させていただけますかしら」
「さ、差し出がましいぞ、青二才が・・・(汗)。
お前等のような者がどれ程足掻いたところで、孫は渡さんと言うのがまだ分からんか!
そんな格好で、わしを誑かそうとしても無駄じゃ!(汗)」
「生憎と、年長をからかう趣味は持ち合わせておりませんの。
聞き届けられるまでは帰りませんわよ」
「やかましい!、出て行け!(怒)」
なんだかんだ言っておいて、このジジイ、しっかりと澪菜の健康的な色香に惑わされていやがる。
しかし、この分では、薺に会うのはかなり難しそうだ。
澪菜達の事を、大事な孫娘を連れ去りに来た略奪者か何かと思って、必要以上に警戒しているのに加え、上から目線で
不遜な態度を崩さない彼女を見て、余計に気分を損ねてしまっている。
寿が用意した菓子折も、受け取ってもらえそうにない。
冬舟の許可がない限り、薺に会う事は疎か、家に上がる事すら叶わないというのに、どうやってこのジジイを説き伏せ
ればいいのか。
妖怪のように力づくって訳にも行かない。
こういう場合、社会力学が作用する分、人間の方が妖怪より始末に負えない。
と、その時、浅黄色の袴姿の、中年の男女が現れた。
「父さん、もうその辺にしてくれ」
「こ、こりゃ登山!、この格好の時は宮司と呼べと、何度も言うとるじゃろ!」
登山(?)と呼ばれた男は、冬舟の言葉を無視して、澪菜に深々とお辞儀をした。
「大変失礼しました、私は薺の父、篠清水登山と言います。
それと、妻の京です」
(登山って、名前だったのか・・・)
小柄で短髪、メガネをかけた、袴姿でなければ普通のサラリーマンに見えてしまうような、特徴のない人だ。
登山はかなり焦っていて、澪菜が改めて自己紹介しても、気も漫ろといった様子。
「今、娘を救う用意があると、仰いましたか(汗)」
「ええ、もちろん、そのつもりで参ったのですわ。
わたくしと・・、それから、この子はこんな格好してますけれど、これでも殄魔師ですのよ」
澪菜は、後ろにいた曄の腕を引いて自分の横に置いた。
「て、殄魔師じゃと!(汗)」
驚く冬舟。
眉を上下させながら、曄を上から下までジロジロと眺め回した。
やっぱり、メイド服、サイハイ、ツインテールの殄魔師なんて、それがどんな存在なのかを知っている人から見れば、
あまりに不釣り合いだし、驚いて、疑いの目で見られて当然だ。
こんなにメイド服の似合う可愛らしい殄魔師なんて、いるはずがないと考えるのが、ごく普通の反応なのだ。
と同時に、澪菜の言葉は、彼女が曄の実力を認めた事をも意味していた。
鎌鼬を使役する・・・、恐らく、澪菜は疎か、並みの陰陽師でさえも不可能と思われる事を実現して見せた曄の力は、
予想を超える強いものだと認めざるを得なかったのだろう。
陰陽師と殄魔師が、娘を救いに来た。
この業界を知る者には、ちょっと考え辛い取り合わせであり、簡単に納得するのも難しい事なのだが、その時の篠清水
夫妻は、冬舟とは別の感想を抱いていた。
本来、敵対し反目し合うべき両者が、揃って娘の為に馳せ参じた事に、ある種の感動を覚えたのだ。
この人達ならば、娘が陥っている窮地を救ってくれるかも知れない。
「ど、どうぞ、お上がり下さい。
娘は今は寝てますが、顔だけでも見てやって下さい」
「フ、フン、勝手にせい・・・」
冬舟は、客人をその場に残し、一人で家の奧に消えて行った。
☆
松や楓などの木々が植えられた、風通しがいいんだか悪いんだか分からない広い庭園風の苔庭を横に見る、長い板敷き
の廊下に沿って障子戸が並ぶ伝統の日本建築。
それが篠清水家の母屋・・・、て言うか、旅館みたいだ。
それとも、体のいい宿坊か。
登山に先導されて、開けられた襖からその中を覗いて見ると、家具も何もないガランとした八畳間の座敷の真ん中で、
眠っている一人の少女の姿があった。
「娘の、薺です」
白い襦袢を着て、薄手の毛布を掛けて布団に寝るその少女は、黒髪でショートストレートボブの、どこか和風な薫りの
する美少女だった。
寝顔は愛らしいが、顔色は優れず、病人のように蒼褪めている。
本当に、この幼顔の女の子が、特殊な結界を操る希有な術師なのだろうか。
ただの病人にしか見えんぞ。
それに、なぜこの子は、自分の部屋とは思えない客間のような座敷で寝ているのか。
部屋の四隅の柱に、呪符が貼り付けてあるのが見えた。
この部屋自体が結界になっているという事だ。
一体、彼女に何があったのか。
「こりゃ、シンデレラって言うより、眠れる森の美女だな」
明月が呟いた。
すると、横にいた曄が、それを聞きつけて反応した。
「また、いやらしい事考えてんでしょ」
「はぁ?、なに言ってんだ」
「だって、眠れる森の美女は、王子様のキスで目覚めるのよ」
「ああ、そういう事か」
(なんも考えてなかった・・・)
2人の会話を受けて、澪菜が登山に質問した。
「で、どうして、この眠り姫は毒リンゴをかじる事になったんですの?」
(あれ?、毒リンゴって・・・、白雪姫じゃなかったっけ?)
「それが・・・(汗)」
登山が、事の経緯を話し始めた。
(スルーした!、毒リンゴスルーした!)
それは、5日前。
終業式の翌日、夏休みの初日だった。
薺は、予てから依頼のあったお祓いの出張仕事に出向いた。
お祓い自体はいつもと変わらず、30分程度で終わったという。
同行した神社の職員の話では、この時、薺が取った手法は、依頼者に取り憑いた悪霊を、自分の体内に取り込んだ後、
帰ってから浄化しようというものだった。
常套手段ではないが、簡単に祓うのが難しい強力な邪気や悪霊を、依頼者から剥がすには手っ取り早い方法だ。
明月は、彼の父・詳真に、そういうお祓いの方法もあると聞いた事があったのを思い出した。
ただし、この方法は、高度に危険を伴うもので、術者がそれ相応の修行と経験を積み、耐性と適応力を持っていないと
藪蛇に成りかねない。
今回は、その藪蛇が現れたという事なのだ。
薺は、悪霊を自分の体内に取り込む事には成功したものの、浄化する事が出来なかったのだ。
神社に戻った彼女を、冬舟や登山がお祓いしたが効果がなく、退散させる事も、封印も浄化も受け付けなかった。
柿根神社には、篠清水一家以外にもお祓い能力を持つ神官や巫女がいるが、誰がやっても事態は変わらず。
薺は自分の体を結界化する法を体得しているので、それが仇になった。
彼女が自らの体を結界とし、閉じ込めてしまわなければならない程、その悪霊は強力なものだったのだ。
ここまで厄介で手に負えない悪霊は、お祓いの専門家である柿根神社の者達でさえ見た例しがない。
以来、薺は殆ど眠ったまま、その悪霊と戦い続けている。
今は眠っているが、一日中寝ている訳ではない。
日に何度かは目を覚ます。
と言っても、自分の意思で行動出来る時間には限りがあるようで、それも日に日に短くなり、自我を保っていられたの
は初めのうちだけで、次第に別人のようになって行った。
殆ど部屋から出ず、いきなり喚き出したり、トイレに出ても、そのまま夢遊病患者のように家の中をフラフラ徘徊して
みたり、そうかと思うと、何の前触れもなく突然気を失って倒れたりする。
食事にも手を付けず、どんどん窶れて行く。
家族は、悪化し衰弱していく彼女を、ただ手を拱いて見ているしかない状態。
客間のような座敷に寝かされているのは、薺が暴れた時でも、家具などにぶつかって怪我をしないようにという家族の
配慮によるものだし、部屋自体を結界としているのは、万一薺が死んでも悪霊が外へ逃げ出す事のないようにとの措置
だった。
こんな事になるんなら、自分の仕事を押してでも一緒に行くべきだったと嘆く登山だったが、起きてしまった事を悲観
し後悔してももう遅い。
「7人の小人状態って訳ね。
悪霊とは、どんなものですの?」
(変わっちゃったよ、話変わったよ、誰か突っ込めよ)
「よくは分からんのです。
こんなに強力で執拗なのは、余程執念深い怨念を持っている霊なのでしょう」
「妖怪ではないんですの?」
「だとしても、かなりの強者でしょう。
お嬢さん達が陰陽師と殄魔師だと言えど、手に負えるかどうか・・・(汗)」
澪菜の後方にいた寿が、小声で聞いた。
「どうします?、お嬢様。
会の方に連絡して、どなたかのお力をお借りしますか」
澪菜は即答した。
「いいえ。
これは、わたくし達が解決します。
しなければならないのですわ」
「ですが、どうやって・・・。 霊なんて専門外ですよ」
「まずは、相手を知る事ですわ」
そう言うと、澪菜は、座ったまま薺の眠る布団の側まで躙り寄って、手を翳して気を探ってみる。
結局、毒リンゴは誰にも突っ込まれる事なく、そのまま流されてしまった。
すぐに、眠っていた薺の顔が、ピクッと動いた。
ザワッ、と周囲にいた人達に緊張が走り、注目して見てみると、いきなり薺が、まるで紐のついた操り人形のように、
ムクッと上体を起こした。
ホラー映画のワンシーンのようだった。
同時に、薺の体からジワジワと邪気が漂い始めた。
「何者じゃ」
低い、囁くような声がした。
「これまでの、ただの祓い人とは違うな」
薺は目を閉じたまま、眠ったままのようだ。
悪霊が彼女の体を支配し、しゃべらせている。
澪菜が返答してみる。
「ジャッジメントですの」
「・・・」
「レベル4ですのよ、ユー・コピー?」
「・・・」
さすがにギャグは通じなかった。
て言うか、この緊迫した場面でそのギャグはねーだろ。
「失礼・・、わたくしは陰陽師ですわ」
「ほお、陰陽師か・・・」
何人も寄せ付けぬと言わんばかりに、邪気が強まり、部屋中に広がって行く。
この、陰湿で禍々しい強力な邪気に、明月は、横に座っている曄を気遣った。
曄は、頭をゆっくり揺らして、額からは玉のような汗を浮かべているものの、その目はしっかりと前を見据えていた。
邪気に負けぬよう、必死に耐えているようにも見えた。
彼女の意識の変化がここでも見て取れた気がしたが、あまり長くはここにいない方がいい。
「悪霊じゃねぇな、蛇だ」
「蛇?」
明月の言葉にざわめく一同。
彼には見えていた。
薺の背中の後ろ辺りから立ち上る不穏な気、そのせいで、その部分の背景にある部屋の壁が歪んで見える。
彼女の頭の横辺りに見えた白い蛇の頭部が、像を歪ませる程の強い気の正体だった。
蛇と聞いて妖怪と覚った澪菜は、手元のポシェットからスッと呪符を取り出すと、ブツブツ呪文を言い始めた。
そして、それを薺の胸に押し当てようと手を伸ばす。
かと思いきや、その呪符が、端からジリジリと黒く焦げ始めるではないか。
澪菜の、普段仕事の時は塗らないマニキュアの光沢を見て、呪符さんも逆上せ上がったか。
危険を感じた澪菜は、咄嗟に呪符から手を離す。
フワッと音もなく毛布の上に落ちた呪符は、炎こそ上げなかったが、焦げて灰のようになってしまった。
「な、なんて強力な・・・(汗)」
澪菜はたじろいだ。
その呪符が功を奏したのか、次第に他の人達にも見えるくらいまで、蛇の姿がうっすらと浮かび上がってきた。
蛇は、薺の体に絡み付くように蜷局を巻いていた。
「白蛇!?」
驚く澪菜。
寿は動揺を隠し切れない。
「ヤ、ヤバいですよお嬢様(汗)。
白蛇ですよ、神様の使いですよ、罰が当たりますよぉ〜」
一般に、白蛇は妖怪と言うよりも、神の使いと言われるくらいに神聖な存在とされている。
お祓い程度で祓えないのも道理。
薺は、何か、神罰を受けるような罪でも犯したのか。
白蛇の、怨念にも似た妖気が更に強くなった。
「陰陽師と言えども、お主等が何をやろうと無駄な事。
この娘を呪い殺すまで、私はこの者から離れんぞ」
「出て行っていただく訳には参りませんの?」
相手の邪気をひしひしと感じつつも、退こうとしない澪菜。
本当に気の強い、負けず嫌いな女だ。
「この娘は、自らの体を強力な結界と化しておる。
意識を失い、私の支配を受けて尚、解ける事はないのだ。
このままでは、お主等とて手出し出来まい」
「つまり、その子が死なない限り、自力では結界から出られないと」
「忌々しい娘だ。
私を閉じ込めおって」
「その子がなにをしたと言うの?
貴方にとっては、いい迷惑なのかも知れないけれど、ただ、自分のお仕事をしただけじゃありませんの。
それを呪い殺すだなんて、神の使いの名折れもいいとこですわ」
「そうは言うが、このままでは、私の命も長くはない。
それでは、あの女も浮かばれまい」
「あの女?・・・、どういう意味ですの?、それは」
「・・・、よろしい、聞かせて進ぜよう」
「私は、八ツ木山という山にある、名も無き社に棲んでいた。
ある夜、一人の女が、私の棲む社へ来た。
女は、社の裏にある御神木に、願を掛けて刃物で傷を付けた。
翌日も、また翌日も来て、祈願した。
毎夜訪れては、男を殺せと御神木に呪いを刻んだ。
御神木は、私の命も同様。
私自身も身を切られる。
強い痛みが常に私を襲い、安寧としていられんのだ。
傷口を通じて、女の満たされぬ激しい怒りと怨念を感じた。
男に騙され、裏切られ、捨てられ、全てを失った女の、深い絶望と、憎しみと怨みの情が。
このまま傷を付け続けられては、私とて身がもたん。
私は、女の願いを聞き届け、男を祟る事にした。
ただし、対価は支払わせる。
三月と三日続けて、女は息絶えた。
亡骸は、十日間、誰にも見つけられずに御神木の根元に放置された。
私は、哀れな女の望みを叶えてやるべく、男に取り憑き、生気を奪い続けてやった。
それが、今少しで成就されようかという時になって、この娘が現れ、男から私を引き剥がした。
この娘のせいで、女の復讐は果たせず、私も痛みから解放される道を絶たれたのだ。
分かるかね、この苦しみが」
「分かりませんわ」
きっぱりと否定する澪菜。
「どんな理由があるにせよ、それが道理を外れていいという事にはなりませんもの」
「道理だと?
道理とは何だ」
「人の道ですわ。
物事がそうあるべきすじみち、ことわり、人の行うべき正しい道。 大辞林(三省堂)より。
貴方が為すべきは、その女の人の怨みを晴らす事であって、この子を呪う事ではないはずですわ。
それを、単なる八つ当たりと言いますのよ。
貴方の言葉は、自分の感情を正当化する為の、単なる方便に過ぎませんわ」
おまけに説教までするとは。
神をも恐れぬ所業とはこの事か。
「生憎と、私は人では無いのでな。
人の道理とかいうものに縛られる理由もない」
「神の代弁者と崇められるものの言う言葉とは思えませんわ。
そっちがその気なら、こちらもそれ相応に、力づくで撤退していただく他ありませんわね」
「お主等に何が出来よう」
「さて、それはいかがなものかしら」
「・・・よかろう。
いかなる厄災が降り懸かろうと、それはお主等自身が招いた事の末路と、肝に銘ぜよ」
その言葉を後に、邪気が急速に減衰し、白蛇の姿もスーッと消え失せた。
同時に、薺の体が、再び床にゴロンと横になった。
澪菜は、ちょっと口を尖らせ気味に、フーと息を吐いた。
張り詰めた空気が、急速に緩んで行く。
ようやく、周りの緊張が解れた。
外でヒグラシが鳴き始めているのが、この時やっと分かった。
登山は、額の汗を拭いながら、自分に言い聞かせるように呟いた。
「い、いやあ、驚きました。
まさか、白蛇だったとは・・・。
薺は知ってたんでしょうが、私は今初めて知りました」
「意外でしたわね。
妖怪かも知れないとは、考えなかったんですの?」
「はい。
実は、妖怪を祓う場合、普通は自分に取り憑かせるという方法は取りません。
そこまでせずとも、案外と簡単に退散するものです」
「悪霊の方が質が悪いと?」
「妖怪にも種々様々あるのでしょうが、人の怨念や邪念の方が、余程執念深いと感じる事の方が多いですね。
しかし、白蛇となると・・・。
もう、我々には、お怒りを鎮めていただくよう祈願するしか、やりようがありません」
澪菜は、いかにも神社の神官らしい台詞だなと思った。
彼等は妖怪専門の祓い人ではないのだ。
付け焼き刃は言い過ぎでも、妖怪は退散してくれればOKぐらいの感覚なのだろうし、第一、それくらいしか対処法を
知らないのだから致し方ない部分もある。
「けれど、今の話ですと、渇を癒やすのは薺が永遠の眠りについた時、という事になりますわ」
「そのようですね・・・。
本当に、お嬢さんはあの白蛇を祓えるのですか?」
「そのつもりですわ」
「・・・(汗)」
登山は逡巡した。
一見、娘と同じ世代の普通の女の子に見えるが、澪菜と曄は確かに普通とは違う気を漂わせている。
17歳と言えど、歴とした桐屋敷家の娘ならばそれも至当か。
高飛車な態度や物言いも、自信の表れなのか。
もう一人も、殄魔師と豪語する割には大人しめの気配ではあるが、そもそも殄魔師というものの存在は知っていても、
実際にはこれまで一度も会った事がないのだから、このメイド服の女の子を疑っても埒が開かない。
そして、もし、この子達が本当に娘を救ってくれたとしても、その後は、娘を連れて出て行ってしまうかも知れない。
彼女達は、それが目的で来ているのだ。
救って欲しい、だが、跡取りがいなくなるのは困る。
どうしたものか・・・。
決断を倦ねていると、後ろに控えていた妻の京が、小さい声で背中から彼に囁いた。
「あなた、今は悩んでいる時じゃないわよ。
薺の為に、今何をすべきか、分かってるはずじゃないの」
さすがに妻は、夫の苦悩をよく理解している。
しかし、今最優先すべきは娘の命を救う事であって、それ以外は後回しで構わない。
何の手出しも出来ない母親にとっては、藁をも掴む思いなのだ。
妻に背中を押されて、登山は意を決し、澪菜に向かって頭を下げた。
「どうか、娘を救ってやって下さい」
ここでやっと、澪菜を始め、明月にも曄にも寿にも、歯車が回り出した音が聞こえた。
一歩前進した。
そこへ、再び冬舟が現れた。
「もうよさんか、登山。
この者達には関わるな。
此奴等は、薺を連れて行こうとしとるんだぞ」
「しかし父さん、もう我々では手の打ちようがないじゃないか。
このまま、薺がただ弱って行くのを見ているだけなんて・・・」
「心配するでない。
わしとて、ただ手を拱いておった訳ではない。
伝を頼って、強い祓い人を手配したからな。
直に来るから待っておれ」
冬舟が出てくると、澪菜は素っ気ない態度を見せつつ、言葉で対決姿勢を露わにする。
「その必要はありませんわ。
そんな恥の上塗りをせずとも、この件は、わたくし共で解決いたしますわ」
「まだ言うか!
身の程を知れ!、勝手な手出しは無用じゃ!」
澪菜は身内のトラブルの尻拭いを、外部の第三者に委ねる事を恥の上塗りと表したのだが、冬舟にとっては、年端の
いかない不羈な小娘に皮肉られ、思いのままに振る舞われる事の方が恥だった。
そんな冬舟の尖り声に畏縮する程、澪菜の精神は華奢ではない。
「では、貴方の言う強い祓い人とは、いついらっしゃるんですの?
それまで、この子に耐え忍べとでも?」
「クッ・・・(汗)」
「わたくし達でしたら、明日にでも彼女を解放して差し上げられますわ」
「ほ、本当ですか!」
登山が、喜びの声を上げた。
「出来れば早いに越した事はないのですけれど、こちらにもそれなりの準備がありますので、一日だけ猶予をいただき
ますわ」
一日の猶予如きで何が出来るものか、冬舟は澪菜の言葉を信じようとしなかった。
「自信だけはあるようじゃが・・・。
あんた等のような、いいとこのお嬢さんには分からんじゃろが、何でもかんでも思い通りになるものと思っとったら
大間違いじゃぞ。
第4コーナーを回って、最後の直線でトップに踊り出たガチガチの本命馬が、ゴール直前で外から穴馬に差される事
とてあるのじゃ。
番狂わせあってこそ、人生というものじゃ」
「なんの事やら、わたくしには分かり兼ねるのですけれど、それ程思い上がってるつもりはありませんわ。
ただ、出来るものを出来ると言っているだけですもの」
冬舟は、この高慢な自儘娘の鼻っ柱をへし折るには、一度痛い目を見せてやらんと分からんのだ、と思った。
この娘に白蛇を祓わせ、成功すれば薺が助かり、失敗したらそれ見た事かと笑ってやればいい。
薺の命を天秤に掛けるのは気が引けるが、今は已む無し。
「是非に及ばずか・・・。
よ、ようし!、そこまで言うならお手並み拝見じゃ!
わしはダメな方に1000点じゃ!!」
「と、父さん!、点棒出さないで!(汗)」
慌てる登山を捨て置き、冬舟は、澪菜に向かって言い放った。
「じゃが、これだけは覚えておけ。
お主等がどんなに手を尽くそうと、薺は絶対に連れて行かせんぞ!」
よく聞く、捨て台詞というやつだ。
冬舟は、神官らしからぬ作法で、廊下をドタドタと足音を響かせながら出て行った。
人の人生を競馬に準えるのも、神職らしいとは言えないかもな。
本当のところ、冬舟は、澪菜達ならば、薺に取り憑いた白蛇を祓う可能性はゼロではないと思っていた。
問題はその後である。
薺を連れて行かれるのだけは、是が非でも阻止しなければならない、と考えていたのだ。
登山は、極まり悪そうに頭を掻きながら、澪菜に陳謝した。
「すいません、ああは言ってますが、親父も薺の事が心配でならないんです。
どうか、気持ちを察してやって下さい」
「家族ですもの、当然ですわ」
澪菜は、冬舟の怒りの鉾先が自分に向いていると知っているはずなのに、まるで他人事のように平然としている。
その態度からして、内心穏やかでない、という訳でもないようだ。
彼女は、常に自分の感情を包み隠さず、ストレートに顔や言葉にする。
この程度の事で一喜一憂しているようでは、とても人を導く立場には立てない、と言いたいかのように。
こういう扱われ方に慣れてしまうのも、どうかと思うぞ。
「では、今日はこれでお暇致しますわ」
「そうなんですか?
では、部屋の用意をさせますので、今夜は是非ウチの方で泊まって下さい」
「それには及びませんわ。
麓の町に宿を取ってありますので。
明日、改めて参ります」
(そうなのか? 俺はまた、ここで泊まるのかと思ってた)
「ただ、帰る前に一つ、白蛇が取り憑いていた依頼人については、教えていただけませんの?」
「は、はあ・・、申し訳ありません。 守秘義務がありますので・・・」
「そうですわね。
では、薺の部屋を見せていただけるかしら」
登山に案内されたのは、和室の6畳間。
ベッドに机、ぬいぐるみ、特に変わったところはなく、曄の部屋なんかよりずっとよっぽど普通の女の子らしい・・、
片隅にジャクソンの黒いRR−Vが鎮座している以外は。
おまけにリバースヘッドに交換してるし・・・。
(な、なんでギター!?・・・、マシュー・タックモデルか・・・)
澪菜は、最も目立つギターは一瞥しただけで、オーディオコンポの横にあるCDラックに目を留めた。
「これは・・・、なんですの?」
その中の一枚を手に取って、ジャケットを見た澪菜は、眉をひそめて首を捻りながら、それを明月に手渡した。
「おお、これは!
スレイヤーのレイン・イン・ブラッドじゃねーか!」
「知ってますの?、明月」
「ま、まあ、名前くらいはな・・・」
(1回しか聴いた事ねぇけど)
「ホラー映画のサントラですの?」
「メタルだよ、スラッシュ」
明月がそのラックを覗いてみると、他にもメタリカやメガデス、エクソダス等、およそスラッシュの名盤と呼ばれる
アルバムが、悉く網羅されてるではないか。
それだけではない。
88年発売当時、歌詞が過激過ぎるという理由からアメリカで発禁になったといわれる曰く付きのメライア・レイジの
“キル・トゥ・サヴァイヴ”を始めとして、イントルーダー、リビング・デス、アポカリプス、パワー・マッド等々、
非常にレア度の高い超貴重盤の数々がズラリと並んで、所狭しと犇めいていた。
その数、ざっと100枚くらい。
(す、すげー・・・(汗)
名前は知ってるが、聴いた事ねぇのがゴロゴロしてる・・・
あの子、あんな大人しそうな顔して寝てたくせに、筋金入りのヘッドバンガーだな)
目を爛々と輝かせて、一枚ずつ取ってはまじまじと眺める明月。
それはもう、おもちゃ売り場に来た子供のように無邪気に、人目も憚らずに好奇心を剥き出していた。
「しかし、すげーコレクションだな・・・。
宝の山だぞ、こりゃ。
お、すげー、フロッサム・アンド・ジェットサムの1stまである」
「そう・・・、それは結構ですわ。
これで、益々明日が楽しみになりましたわね」
「なに?、どういう意味だ?」
「フフ・・、ですから、明日になれば分かりますわ(笑)」
ニヤッとほくそ笑んだ澪菜。
彼女が何を考えているのか、現時点では不明だが、何がしかプランを持っているのは確かなようだ。
帰り際に登山に向かって言った彼女の一言が、大がかりになりそうな気配を予感させた。
「こちらでは、明日もお祓いの依頼者は参りますの?」
「ええ、もちろん。
この時節はほぼ毎日あります」
「では、明日の予定は、一部キャンセルしていただくかも知れませんので、今のうちにお断りしておきますわ。
無関係な、一般の参拝客にまで迷惑をかけるのは、こちらとしても本意ではありませんもの。
それだけは、くれぐれもご承知置き願いますわ」
一行は、神社を後にして、定芳の待つ駐車場へ道を下って行った。
明月は、澪菜が一体どんな方法を考えているのか知りたかった。
その気持ちは、曄も寿も同様。
「ホントに、白蛇なんか退治出来んのか?」
「ええ、もちろん。
そうしなければ、薺が死んでしまいますもの」
「会に連絡して、対策を考えますか?」
「その必要はありませんわ、寿」
「ですがお嬢様、お嬢様が危険な目に遭うのはダメです。
そんなのは認められませんよ、絶対に。
お頭に怒られちゃいます」
「貴女の気持ちは嬉しいけれど、それでは物事は一歩も動きませんわ。
それに、わたくしは、それ程難しい事とは考えてませんのよ」
「そうなんですか?」
「要は、あの白蛇は薺の体から出たがっているのだから、そのお手伝いをしてやればいいだけの事。 でしょ?」
その言葉に疑問を感じた曄。
彼女は、澪菜とは違う認識だった。
「でも、あの子を殺すまでは離れないって言ってたじゃない。
白蛇の目的は、あの子を殺す事なんでしょ?」
「あれはただの言い訳よ。
自分が結界に閉じ込められているのが悔しいのよ」
「そんな簡単に行くかしら」
「大丈夫よ。
だって、貴女がいるんですもの、曄」
「あたし?」
「いざとなったら、貴女が力づくで追い出せば済む事だわ。
問題はその後よ。
封印するか、そのまま逃がすか・・・。
まあ、後は明日、あの白蛇がどう動くか次第ですわね」
☆
けっこう広い、立派な日本庭園のある、そこそこ立派な旅館だった。
観光地や温泉地でもない田舎の小さい町には、そぐわない気がした。
後になって知ったのだが、この旅館の利用者は、殆どが柿根神社にお祓いをしてもらう為に来た人なのだそうだ。
駐車場へ車を停めると、寿はチェックインの為にエントランスに向かい、早速、澪菜が曄に命令した。
「曄、早く部屋へ運びなさい」
「嫌よ、こんな重いもん、車に置きっぱなしでいいじゃない。
着替えだけ持ってけばいいでしょ、どうせ一晩だけだし」
「だって、そのトランク、全部着替えですのよ」
「何着持って来てんのよ、バカ!」
「あら、反抗するなら、明日はTバックの刑よ。 それとも、ノーパンの方がいいかしら?(笑)」
「・・・つくづく嫌な女。
人の弱みにつけ込んで」
忌々しそうに澪菜を睨む曄。
本来であれば、それは定芳の役目なのだが、彼は彼で寿のバッグを持たされている。
結局、3つのトランクのうち、1つを定芳が持ち、残り2つを曄が持つ羽目になった。
手を貸そうと、明月が言い寄る。
「俺が持つよ」
「イヤ、あたしがやるわ。
あなたに手伝わせたら、また澪菜になんて言われるか分かったもんじゃない」
なんでこの子は、こんなに強情なんだ。
本当に意地っ張りというか、負けず嫌いというか・・・、人の厚意は素直に受けろってんだ。
澪菜に扱き使われて、重そうにトランクを両手で引きずって行く曄を見ているうち、段々不憫に思えてきた。
腕組みをして、曄を監視する澪菜の側へ行った。
「キャスター付きのはなかったのかよ」
「ありませんわ。
わたくし、あの乳幼児の遊具みたいな、品のないゴロゴロいう音が嫌いなの」
「曄ちゃんをイジメるのが、そんなに楽しいか」
「イジメだなんて、人聞きの悪い。
わたくしはただ、可愛がっているだけですわ」
(可愛がる?、どこが?)
「わたくしの愛情表現が多少屈折してるのは甘んじて認めますけれど、それは決して曄が憎いからではありませんわ。
あんなに可愛くって、いじり甲斐のある子は、そうそういませんもの(笑)」
(結局イジメてんじゃん)
「それに、あの子はあの子なりに、結構楽しんでますのよ」
「そ、そうなのか?」
(どう見ても、そうは見えんのだが)
「ええ、もちろん。
なにせ、曄はMなんですもの」
「M?」
(そ、それは本当か!!
曄がM・・・、あの曄がMっていうのは、ちょっと想像し辛いな・・・
どっちかっていうとSなんじゃねぇの?、すぐ引っ叩くし、ぶん殴るし・・・)
「あら、信じてませんの?、その顔。
あの子が我が家へ住み込みになってから、わたくしの腕の中で、何度絶頂を迎えたことか・・・」
(な、なんと!
2人が、いつの間にか、そんな事をする関係になってたのか!!
聞き捨てならん!、聞き捨てならんぞ!、それだけは!!
これは、衝撃発言だっ!
て事は・・・、澪菜さんがタチで、曄がネコ・・・
あの、巨乳同士がムニュムニュのポニョポニョで・・・(想)
い、いかん!、そ、想像するだけで、鼻血、出る・・・(奮))
暴走を始める明月の妄想本能。
その顔を見て、澪菜は咄嗟に釘を刺した。
「あら、今のはオフレコですわよ。 曄から固く口止めされてるの」
「わ、分かった・・・(汗)」
(是非とも、一度でいいから見せて欲しいもんだ)
どうやら、澪菜は、明月が思っている程曄の事を嫌ってはいないのだと言いたくて、つい口が滑ってしまったらしい。
ちょっと間が悪そうに、舌を出してはにかんで見せた彼女の表情が可愛い。
澪菜にとって、曄は恋のライバルであり、目の上のたんこぶであり、暖炉の前で惰眠を貪るトムの安息を妨害しまくる
ジェリーの如き邪魔な存在であるのは間違いないのだが、とはいっても、最初に出会った頃のような、忌々しくも小憎
たらしい、目の前から徹底排除すべき憎悪の対象ではなくなっていた。
物心ついた時から、白泰山会関係者、姉やメイド達など、常に年上の人達に囲まれながら生活してきた彼女は、いつも
どこでも最年少な存在だったせいで、学校で同年の生徒達と遊ぶより、年長者といる方が自然で楽だった。
陰陽師としての修行の関係もあるのだが、そういう生活に馴染んでいた。
それだから、余計に、曄のような気の強い年下の子を上から捻伏せ、手玉に取ってからかう事に、えも言われぬ快感を
覚えてしまったのだった。
Sに目覚めたか。
曄にとっては傍迷惑な話なのかも知れないが、例え修行の為とはいえ、以前あれ程最低の女だと言って毛嫌いしていた
澪菜の元で、住み込みでメイドのバイトをする決心をしたのは、Mだというのも強ち嘘ではないのかも知れない。
もっとも、澪菜は澪菜で、彼女は姉からお仕置きされる立場にもあるのだが。
曄は、どうにかこうにか、やっとの思いでホテルのエントランス前までトランクを引きずってきた所で、そこにあった
段差に蹴躓いて思いっきり転んだ。
ズテン!
縞々パンツまる見え・・・。
しかし・・・、人並み外れた運動神経の持ち主のくせに、転ぶ時は見事にすっ転んでくれる。
慌てたホテルの従業員が駆け寄って来て、曄を抱き起こそうとするが、彼女はその手を払い除けた。
そんな様子を見ながら、澪菜は、呟くように、穏やかな口調で、横にいる明月に言った。
「あんなに辛い経験をして来たんですもの、これからは楽しい経験を沢山してもらわないと、割が合いませんでしょ」
「澪菜さん・・・、知ってたのか」
「もちろんですわ」
澪菜が曄の過去を知っていたとは、明月には驚きだった。
ただし、2人がその全てに於いて情報を共有している訳ではない。
澪菜の知る曄の過去は、あくまで定芳が茨屋の関係者から得た情報であり、聖護院家の内部情報については、噂という
確度の低い程度のものでしかなかった。
この時点で澪菜が知っていたのは、曄には婚約者がいた事、母親が死亡した事、父親が行方不明になって、聖護院家は
家としての機能を失っている事、そして、それら全ての事象に、曄の橙眼が深く関係している事ぐらいのものだった。
後は、茨屋内部で囁かれている噂として、曄が妖怪と性交渉を持ったとか、父親とは近親相姦の間柄だったとか・・。
決して間違いではないが、明月が知る事実程詳細でもない。
聖護院家崩壊の原因となった、妖怪の使役に関する事とか、茨屋本家の円松坊岳については、噂にさえなっていない。
茨屋に於ける円松坊家の力の大きさが窺える。
ただ、茨屋内部では、曄自身も消息不明として扱われていて、その事だけは澪菜側の独占情報だった。
今年の春に、円松坊家に宛てて聖護院家から絶縁状が内容証明郵便で送付されている為、誰もその消息を追跡したりは
していないようだ。
「知っててあんな事させたりしてんのか」
「構いませんわ、だって曄ですもの。
わたくしとて、同情はしますけれど、だからと言って遠慮はしませんわ。
手心を加えられて、それを喜ぶような子ではありませんもの。
そんなに柔な子ではありませんわよ、あの子は」
なんとも、お姉さん的発言だなぁ、と明月は思った。
澪菜の方が明月よりも、より正確に曄の本質を見極めているようだ。
「でも、驚きましたわ。
曄が貴方に打ち明けてしまうなんて、思いもしませんでしたもの」
それは、澪菜にとっても意外な事だった。
それだけは、何があろうと決してしないだろうと思っていたからだった。
「あの子が、自ら自分の悲惨な過去を話すなんて、やはり、あの子にとって貴方は特別な人なのね。
でなければ、そんな事は絶対に出来ませんわ、普通は・・・。
そして、貴方はその気持ちに、真摯に報いなければなりませんわ。
今、あの子を幸せにしてあげられるのは、貴方を置いて他にはいないのですから。
貴方だけが、曄の生きていく唯一の希望なのですわ」
「そ、そうかな・・・」
そんな言われ方をすると、妙に照れてしまう。
正直、自分が曄の希望だなんて、言われるまで思ってもいなかった。
そういう見方も出来るのか・・・。
気恥ずかしそうに頭を掻く明月を見ているうち、澪菜は、自分が曄の代弁者になってしまった事に気が付いて、少し
悔しくなった。
「せいぜい、可愛がって差し上げるのですわね、愛人として」
「あ、愛人かよ(汗)」
「もちろんですわ、妻はわたくしなんですもの」
「ハァ・・・、そこだけは譲れないんだな」
「フフフ、恋はいつでもハリケーンですのよ」
「どっかで聞いたぞ、その台詞」
「それから、貴方も今後一切、わたくしの許可無くして、勝手に行動する事は決して許しませんわよ。
幸い、大事には至らなかったから良かったようなものですけれど、万が一なにかがあった時には、どうやって責任を
取るつもりでしたの?
もしそうなったら、真っ先に糾弾されるのは、男の方だというのが世の常なのよ。
曄はあの通り、一度言い出したら聞かない子だから仕方ないにしても、貴方は、一言わたくしに連絡をくれなければ
いけませんわ。
なにも分からなければ、わたくし、対処のしようがありませんもの。
助けたくとも、助けられなくなりますのよ」
「・・・・」
「もちろん、学校以外で曄と2人きりになる事など論外ですわ。
分かりますわよね、わたくしの気持ち」
「ま、まあな・・・(汗)」
「いいですわね、くれぐれも留意して自重していただかないと、でないとわたくし、泣いちゃいますわよ」
(そ、そんな円らな瞳の上目遣いで、いけしゃあしゃあと嘘をつくな
あんたがそんな事で泣く訳ねー)
まさか、澪菜からお小言を頂戴しようとは思わなかった。
本気で心配しているのか、それとも単なる嫉妬なのか・・・。
判別するのは難しいが、彼女の言葉は、曄以上に母親っぽい、情感のこもったものだった事は間違いない。
こういう説教めいた事を言われると、なぜか無性にやり返したくなるのは、明月の子供じみた側面の表れだ。
大人げないというか、素直に従う姿勢を見せるのが照れくさいのだ。
「じゃあ、俺からも一つ」
「あら、なんですの?」
「化粧とかしなくていいよ、あんた。
俺は、香水の匂いってのが、どうにも馴染めなくてね」
澪菜は、ちょっとハッとした。
「・・・・、は、はい・・。
以後、慎みますわ・・・(赤)」
なぜか、彼女は、しおらしく頬を真っ赤に染めた。
女性に対して、化粧をするなと言うのは非常に残酷な注文で、中には下着を着けるなと言われているのと同等の意味に
受け止める人もいるくらいの、拷問にも等しい仕打ちなのだが、明月にはそこまで考えが及ばない。
それでも、彼自身それなりに気を遣って、言葉を選んで、結果この台詞なのだ。
阿呆者扱いしても誰も文句は言わないはずなのに、なのになぜ、澪菜は完熟トマトみたいに紅葉を散らすのか。
彼女には、彼の言葉がこう聞こえた。
“ベッドの上ではなにも隠すな、全て晒け出せ・・、子猫ちゃん”
(んな事言ってねーっ!! てか、余計なもん付け加えんな!)
淫らな妄想に耽る澪菜の元へ、寿がやってきた。
「お嬢様ーっ!
お部屋が決まりました。
アッキー君と定芳さんが2階の“竹林の間”で、私達が3階の“花畑の間”です」
(なんだそのネーミング)
あっけらかんとしたその言葉は、途端に澪菜を現実に引き戻した。
「ちょっと寿!、なんでわたくしと明月が別室ですの!
他はともかく、夫婦が別々なんて到底承服出来ませんわ!」
「当然です。
お頭命令ですから、婚姻が正式に成るまでは、お嬢様の純潔を守るのも私の大事な使命なんですよ(笑)」
「う、恨みますわよ・・・、寿(汗)」
「どうぞご自由に。
お嬢様恨まれて死ねるなら本望です」
ああ・・、わたくしのシンデレラ・ストーリーが・・・。
見事に当てが外れた澪菜であった。
第10話 了