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第8話 戦神の嘆き



 DISPELLERS(仮)


 08.第8話 戦神の嘆き



 それは、この険しい山さえ越えてしまえば、特に何かをするという予定もないが、兎にも角にも煩わしい授業から解放

 される、何を置いても待ちに待った夏休みがやって来る、苦行という名の期末試験の始まる数日前の事だった。


 6時限目の授業が終わり、帰り支度を始めた明月に、衣枝が話かけてきた。

 「八百神、お前は夏休み、なんか予定あんのか?」

 「あー・・・、別に」

 (なんかあるとは思うが、こいつに話してもな・・・)

 「海行こうぜ、海。 みんなしてさ、楽しいぜ」

 「あー、海ねぇ・・・」

 (海には行きてぇが、てめぇとは行きたくねぇ)

 「あの子も誘えよ、絶対」

 (それが狙いか、このスケベ野郎)

 「で、夜は花火とかやんの。 そうだ、肝試しやろうぜ、肝試し。 面白えぞ」

 (お前とはしたくねぇ)

 「なに考えてんのか知らねえが・・・。

  言っとくけど、あの子は幽霊とか全然怖がらねぇぞ」

 「え?、そうなの?」

 「そりゃそうだろ、普通に見えてんだから」

 (曄をそんじょそこらの女子と同じに考えてたら、痛い目見るぞ)

 「いや、見えてたって、怖いもんは怖いだろ。 幽霊怖くねぇなんてあるか?」

 「そんなタマじゃねぇよ。

  きっと、棒っ切れブン回して追っかけてくさ」

 「え〜?、そうなのか・・・。 あんまり、つか全然可愛げがねえな・・・」

 (お前に言われたかねぇ)

 「ま、まあ、考えとけよ(汗)。 じゃあ、また明日な」

 「ああ」


 衣枝が帰った後、明月も帰ろうと鞄をゴソゴソしていると、後ろから声をかける別の者がいた。

 「明月」

 「ヒッ!」 ドキッ!

 突然、背中から名を呼ばれて驚いた彼は、今まさに鞄に入れようと手に持っていた紙包みを、思わず床に落とした。

 バサ・・・

 (あ、やべ・・・)

 それを拾い上げたのは曄だった。

 「なにやってんの、落としたわよ」

 思いっきり焦った。

 「あ、あ、いや・・・、そ、それは・・・(汗)」

 (ヤバい! その中身はヤバいぞ・・・、もし見られたら・・・)

 曄が拾って手にしているその包みの中には、衣枝に借りたエロ本とDVDが入ってるのだ!

 先程の、何げない会話の最中に、ちゃっかり受け渡しが行われていたのだった。

 まったく、男というのは、テスト前だろうが何だろうが、エロの誘惑を目前にすると、いともあっさりと屈服しちゃう

 とんでもなく意志の弱い生き物だ。

 もし、彼女がその紙袋を開けて、中を覗いてしまったら、俺のパラフィン紙の如く薄い信頼は儚く破れ散る。

 背中に貼られたスケベのレッテルが、今度は変態の大看板を背負って歩く事になってしまう・・・。

 頼むから、中だけは見ないでくれ。

 そう思いながら曄を見ると、彼女はその紙包みを、両手で胸に抱き抱えるように持った。

 そ、それは・・・、エロ本を胸に抱き、おっぱいに押し付ける曄・・・、い、いかん、変な妄想が・・・。


 彼女の表情は、ちょっと険しかった。

 (マズい・・・、もうバレてる?)

 「あなた、最近誰かにあたしの事話したでしょ。 霊が見えるとかなんとかって」

 (そんな事、あったっけ・・・?)

 「あ、そういえば、衣枝にそんな事言ったっけなぁ・・・」

 「やっぱり、それだわ」

 ちょっと眉を顰めた。

 「なんか、あったのか?」

 「今日、3年生の女子があたしの所に来て言ったのよ。  ミス研入らないかって」

 「ミスコン? 出るのか?」

 「ばか、ミス研よ、ミステリー研究会。 勧誘に来たのよ」

 「ああ・・、サークルか、入んのか?」

 「入る訳ないでしょ。

  そしたら、夏休みに合宿するから来ないかって言われたのよ。

  なんでって聞いたら、あなたみたいに霊の見える人に、是非参加して欲しいんだって言ってきてね」

 「行くのか?」

 「行く訳ないでしょ、そんな暇ないわ」

 「あ、そう」

 (だったら、いちいち報告に来なくてもいいのに・・・)

 「あんまりベラベラ人に言わないでよね、そんなにおしゃべりだとは思わないけど」

 「ああ、悪い。

  あん時は、ああでも言わなきゃ、衣枝が納得しなかったもんで・・・」

 「そう、まあいいわ。

  それより、これからちょっとつき合って」

 (なぬ?)


 つき合って、とはどういう事か。

 買い物か?

 いや、違うな。

 俺を買い物につき合わせたところで、何も得する事はないだろう。

 家の近所のスーパーの、一人限定1パックのタマゴのセールにでも並ばせるつもりなのか。

 そんな節約意識の高い、生活感覚のある女にはとても見えない。

 なにしろ、料理もろくすっぽ出来ない女である。

 じゃあ、なんだ?

 他になんかあるか、時間かかるのか?

 「えー、今からかよ・・・」

 「なによ、用事でもあるの?」

 「いやぁ、もうすぐテストだし・・・」

 「フン、どうせ勉強なんかしないくせに」

 「勝手に決めんな」

 「じゃあ、これ返してあげない」

 曄は、エロ本をギュッと強く抱き締めた・・・、ムギュっと。

 (あひぃ・・、それ以上は・・・(汗))

 「わ、分かった!、分かったから、それ返してくれ」

 この子は、時々こんな子供じみた意地悪をして困らせる事がある。

 「大体なによ、これ。 なにが入ってんの?」

 「あ、あーっ!、そ、それは・・・。

  それは、き、衣枝に借りた・・・、B4MVのライヴだよ・・・、DVD」

 「Bフォー?、なにそれ?」

 「だろ、あんたの興味のないもんだよ、だから返してくれ」

 「あ、そう・・・」

 包みを返しながら、明月を見る彼女の目は醒めていた。

 完全に怪しんでいる。

 そんな、メガネをかけた蝶ネクタイの、生意気な少年探偵みたいな眼差しで見ないでくれ(汗)。


 「で、つき合えって、どこ行くんだ?」

 「あたしん家」

 (な、な、なにぃーっ!?)

 テスト直前のこの大事な時に、男を1人暮らしの自分の部屋へ連れ込むなんて・・、なんちゅう大胆な事をするんだ、

 この人は・・・。

 一緒に勉強・・・、なんて訳ない。

 どう見ても、曄の方が頭が良さそうだし・・・。

 ちなみに、明月の中間テストの成績は、クラスで下から数えて4番目だった。

 彼女がそれより下とは考え難い。

 例え、どこかで彼のその成績を知ったとしても、勉強を見てやろうなどという親切心が芽生る程、良心的で面倒見の

 いい女でもないだろう。

 て事は・・・、やる事は一つしかないじゃあないか!!

 そうだ!、アレだ!、アレしかないっ!

 明月の頭の中は、それこそB4MVの疾走チューンの如きドライブ感と猛スピードで、一気に暴走し始めた。

 あの、曄の世界遺産的所有物を、再びこの手に・・・。

 それだけじゃない!

 それだけで終わるはずがない!

 揉んで、揺すって、抓って、挟んで、そして、あんな事やこんな事やそんな事をして、組んず解れずのたうち回って、

 愛しの可愛いお姉さんが、俺を、男にしてくれる・・・。

 うきゃー! 遂に、遂に、夢にまで見たこの時が、やって来たのだぁーっ!(喜)

 もはや暴走は止まらない。

 ブレンボのキャリパーも、グッドリッジのブレーキホースも無意味だ。

 疾走チューンを通り越して、怒濤の爆裂直情ブラストビートが駆け巡る。

 ウルトラ・ビートダウンだっ!

 夏休みに入ったら、どうにかして彼女と一緒に海に行って、あのプルルンな立派な持ち物を、心行くまで脳内HDDの

 記憶容量一杯に詰め込んで、あわよくばその先の先までと考えていたのに、それが夏休み前に、一気にお宝ゲットまで

 達成しちゃうとは!

 グラビアアイドル真っ青の、超絶ナイスバディの持ち主だ、死ぬ気でやりまくっちゃる!

 リヴァーブの掛かった曄の喘ぎ声が、空っぽの頭の中でエンドレスに反響し、その度に頭がクラクラする。

 もう、そっち方面の事にしか、思考が向かなくなっていた。

 脳内に、アドレナリンでもドーパミンでもなく、カウパー氏腺液が分泌された。(んな訳ない!)



 ☆



 曄のマンションに着いた。

 汗はダクダク、心臓はバクバク、膝はガクガク、でも頭の中はギンギン。

 道中、一体どれだけ電柱や自動販売機、店の立て看板等にぶつかりかけたり蹴躓きそうになった事か。

 妄想だけが止め処なく突っ走る。

 記憶の中にあるエロ本や、ネットで収集したエロ画像の巨乳子ちゃん達の顔が、全て曄の顔に勝手に差し換え人工合成

 され、脳内コラージュを作り出して、次から次へと目の前に現れては消えて行く。

 CERO基準「Z」越えちゃったよ。

 それが全部、全部、曄なのだ。

 もうすぐ、それが現実になるのだぁっっ!(奮奮)


 「入って」

 「お、おう・・・(汗)」

 来た!、ついにここまで来たっ!  もう後へは退けんぞ、覚悟を決めろ!

 こういう時は、どうすればいいんだ?

 いきなり抱き付いちゃっていいのかな?

 いやいや、待て待て、それは幾らなんでも節操がなさ過ぎるな・・・。

 こんな時は急がず慌てずが肝心だ、ってどっかで読んだっけ。

 最初が肝心だしな。

 力づくで“男”ってところを見せてやらんと、あの強気な世界遺産は征服出来んぞ、きっと。

 でも、そんな事したらぶん殴られるかなぁ・・・。

 いや、誘っておいてそれはない。

 まあ、どっちにしろ、折角衣枝に借りたのに、このエロ本とDVDはもう用済みだな・・・ヘへへ(ニヤニヤ)

 もう、夏休みはエロエロ三昧で決まりだス!(喜)



 曄の部屋へ入るのは、初めて彼女と妖怪退治した時に来て以来だった。

 あの時は特に何も考えておらず、観察してもいなかったが、改めて見渡してみれば、女の子の部屋にしては小ざっぱり

 している。

 考えてみれば、女の子の部屋に入るなんて、小学生の時に一度あったかどうかというぐらい、記憶の中にはない。

 そんな明月の想像する、ピンクのカーテンとか、ベッドの上には白黒のネズミや、白くて口のないネコのキャラクター

 みたいなぬいぐるみがいっぱいとか、そういった典型的な女の子の部屋像とは違っていた。

 白い無地の壁、花か葉っぱの模様の入ったごく淡い緑の単色のカーテン、木肌の机、ベッド、白い箪笥、フローリング

 の上には薄い水色っぽいラグが敷いてあり、その上にシンプルな木のローテーブルと和柄の四角いクッション。

 特に統一感はなく、色もバラバラ。

 ただ、その箪笥の引き出しの中には、あの見事な桃を包み込んでいた、縞々のとか水玉のとかが入ってる・・・はず。

 服とかは備え付けのクローゼットの中か。

 テレビはあるが、DVDのレコーダーやゲーム機はないし、コンポはあるのにCDはない。

 ファッション誌のような雑誌類も一つもない、本もない。

 ぬいぐるみやマスコットのようなグッズもなければ、家族や友人等の写真も一枚も見えない。

 そして何より驚くのは、女の子の部屋なら必ずあるべき鏡がない。

 ドレッサーと呼ばれる物がないのだ。

 当然、化粧品の類もない。

 勉強机の上に、ノートパソコンの横に、辛うじてリップクリームが置いてあるのが見つけられただけだった。

 元から全く化粧っ気のない子だったが、ここまで徹底しているものなのか。

 部屋はその住人の人となりを映すと言うが、あまりにシンプル、質素で片付いている。

 引っ越してまだ半年も経っていないせいなのだろうか、どことなく生活感が薄い印象を受けた。

 彼女の、ぶっきらぼうでさっぱりした、あまり物事に執着しないタイプの性格そのままと言えるのかも知れない。

 にも関わらず、この、仄かに甘い香りが漂うのは何故だ?、気のせいなのか。

 それにしても、この子、趣味とかねぇのかな?


 明月は、普段の彼女らしくない部分、より女の子らしい部分を探し出してやろうと、部屋の中をあちこち眺め回した。

 「なにキョロキョロしてんのよ。

  そんなに女の子の部屋をジロジロ見るもんじゃないわよ、いやらしい」

 彼女はいつもの口調で、横目で見ながら言った。

 これでも、彼女は彼女なりの言い方で、やんわりと拒絶しているつもりなのだ。

 「あ、ああ、悪りい・・・(汗)」

 「って言うかあなた、汗ビッショリじゃないの!

  そんなに汗っかきだったっけ?

  着替えとか持ってないの?、背中までビショビショだよ」

 「持ってる訳ねーだろ」

 「どうしよう・・・、脱いで乾かす?」

 「いいよ、別に」

 (どうせこの後、2人して汗塗れの汁塗れになるんだろ・・・、へへへ(喜))

 ところが、これで拭きなさいと言わんばかりにタオルを手渡しながら、彼女が言った次の一言が、彼の熱烈なる希望を

 いともあっさりと、木っ端微塵に打ち砕いた。


 「そう、じゃあ長居は無用ね。

  今から、鎌鼬を退治しに行くわよ」


 「な、なにぃ!!!?(汗)」

 不意を突かれた。

 目が点になった。

 仰天した。

 耳を疑った。

 愕然とした。

 同時に体の力が一気に抜け、ヘナヘナと脱力して腰からその場に崩れ落ちた。 ドタン

 「なに?、どうしたの?」

 突然、部屋の入り口で座り込んでしまったのを見て、曄はキョトンとした顔をして驚いた。

 「マ、マジで?・・・、出掛けんの?(汗)」

 「そうよ、どうしてよ」

 「な、なあんだぁ〜、アレすんじゃねぇのかよぉ〜・・・」

 「アレってなに?」

 「あ、いや、あの〜・・・、べ、勉強?(汗)」

 「そんなに勉強したいの?」

 「ま、まあ・・・、アハハ・・・(汗)」

 (そりゃもちろん、あっちの方の勉強を手取り足取り、なんちって)

 「そうは見えないんだけど」

 曄は醒めた目で訝しんだ。

 (そんな目で見るな、この、小悪魔

  いや、悪魔だ、この子は

  人にさんざん期待させといて、いざ、これからって時になって、いきなり千尋の谷に突き落とすなんて・・・)

 お前が勝手に勘違いしただけだろ!


 しかし、なんでまた、いきなり鎌鼬なんて言い出すんだ・・・、この小悪魔ちゃんは。

 「ところで、鎌鼬って、この前澪菜さんがちょろっと言ってたあれか?」

 「そうよ、澪菜が家の事情で出来ないって言うんなら、あたし達がやってやるのよ」

 「ち、ちょっと待って曄さん。

  いいのか、勝手にそんな事やっちゃって」

 「なにが曄さんよ。

  別に構いやしないわよ。 あたし達は澪菜の組に入った訳じゃないんだし。

  あれはただの手伝いでしょ」

 「でも、あんたにも依頼があったとかじゃねぇんだろ」

 「ないわよ。

  でもあたしは、別にお金目当てで妖怪退治してる訳じゃないのよ。

  それとも、あなたはお金が欲しいの?

  だったらあたしが出してあげてもいいわよ」

 「い、いや、いいよそんな・・・」

 金目当てじゃないって、じゃあ慈善事業でもやってるつもりなんだろうか。

 ボランティアの妖怪退治屋なんて聞いた事もねー。

 「あらそう・・・。

  そういえばあなた、お金にはあんまり頓着しないわね」

 「そうかな・・・。

  ああ、そういや昔、親父が言ってたっけな・・・、金に拘ったら人生つまらんぞってね。

  あんまりまともな事言わねぇ親父だけど、それは俺も正しいと思う。

  まあ、ウチは貧乏なんで、拘る程の金もねぇし」

 「へえ〜、そうなの・・」

 どっちかって言えば、金に頓着していないのは曄の方だろう。

 ただでさえ他の高校生とは違って、マンションで1人暮らしして、生活費が余計に掛かっている割りには、すぐ明月に

 奢ったり、妖怪退治に同行したギャラまで支払ったりしていたのだ。

 聖護院家とはやはり金持ちの家なのか、彼女の金銭感覚も怪しいものだ。



 鎌鼬と言えば、江戸時代の文献にもその名が見られる程、昔からポピュラーな妖怪で、イタチの腕に大きな鋭い鉤爪を

 左右に一対持った姿で描かれた絵も残されているが、旋風に乗って現れ、一瞬で人の体に傷を付けては消え失せる為、

 その姿をしかと見た者はいないはずだ。

 その行動様式から見ても、生物の形態をした妖怪だと断言するには根拠が薄い。

 恐らく、その絵も、鎌鼬と言う名前から想像で描かれたものではないかと思われる。

 ただ、被害に遭ったという昔話や言い伝えは、地域によってその内容に差異はあるものの、全国の至る場所に残されて

 おり、それだけに、古くから獰猛で危険な妖怪として知られている。


 「鎌鼬って相当やばいぞ、知ってんのか」

 「知ってるわよ。

  だから、最悪あなたも武器が必要になるかもって思って、連れて来たのよ」

 そう言った曄が徐にクローゼットを開けると、中にはいつも彼女が持っている竹光のような物やら、手甲や鎖鎌のよう

 な物やら、あたかも忍者が使うような物騒な武器が幾つも置いてあった。

 このクローゼットは、武器倉庫だったのか!

 「な、なんじゃこりゃ!」

 (なに隠してんだよこの人は! なんちゅう恐ろしい女だ)

 「どれでも、好きな物取っていいわよ。

  殄魔師の使う武器だから、あなたに扱えるかどうか分かんないけど、ないよりましでしょ」

 「む、無茶言うなよ、武器なんて」

 「だから気安めだって言ってるでしょ、別にこれで戦えなんて言ってないわ」

 こんなんで、どうやって鎌鼬なんか退治するって言うんだ?

 網でも持ってった方がよっぽど役に立つんじゃねぇのか、鉄の網かなんか。

 とかなんとか思いながら眺めていると、曄がその中から一口の刀のような物を掴み取った。

 「あたしはこれ」

 ザンッ!

 「に、日本刀!、ほ、本物か・・・?(汗)」

 彼女が鞘から抜いたそれは、刃渡り80Cm超はあろうかという、恐ろしくも見事な打刀だった。

 「そうよ。

  聖護院家の宝刀、“各務・悉剿しっそう”よ」

 「疾走?、変な名前だな」

 「それ多分、字が違ってる。

  引っ越しの時、どさくさに紛れて持ってきちゃったの。

  研いでないからナマクラだけど、人一人くらいなら普通に斬れるわよ」

 「ま、まじか・・・、銃刀法違反だぞ(汗)」

 (しかも平気な顔して、サラッと恐ろしげな事をぬかしたぞ)

 「日本刀持ってる人なんて、珍しくもないでしょ」

 「滅多にいねーよ!、どんな時代だよ!」

 宝刀と言うからには、それなりに持つ人を選ぶのだろうか。

 見た目には、写真なんかで見かける普通の刀と全く同じようにしか見えないのだが、その鈍い光沢を放つ冷たい刀身を

 見ていると、それだけでなんだか吸い込まれそうな、恐ろしくも怪しい魅力を感じずにはいられない。

 頭がぼーっとして来て、危ないと分かっているのに、つい手を出してしまいそうになる。

 この刀、マジでやばい・・・。

 血肉に飢えたホオジロザメかナイルワニみたいだ。

 側へ寄るだけで、骨ごと食い千切られてしまいそうで、寒気がする。


 曄は、その刀を手に持ち、その他小刀や幾つかの道具をスポーツバッグに詰め込むと、スッと立ち上がった。

 その時、スカートの下からチラッと薄いピンクのパンツが目に飛び込んで来た。

 ああ、神様・・・、あんたはなんでそんなに酷い事をするんだよぉ。

 そのパンツを脱がせる役目を俺から奪い去っておきながら、これ見よがしに見せつけるなんて・・・。

 「行くわよ、明月」

 その言葉・・・、別のシチュエーションで聞きたかった・・・。



 ☆



 夏の太陽が西に傾き、ようやく少し凌ぎ易くなったとはいえ、まだ空は明るいし蒸し暑い。

 肩に担いだバッグの重さも加わって、余計に暑苦しくて怠い。

 曄は、例の刀の入った唐草模様を手に、スタスタといつものように早足ぎみに、明月の前を歩いて行く。


 商店街を歩く道すがら、一軒のペットショップを見つけた。

 「あ、曄ちゃん、俺ちょっとここ寄ってくわ」

 「え?、なに?」

 立ち止まった曄が振り向くと、明月は1人でさっさと店内に入って行った後だった。

 「なに買ったの?」

 「マタタビ」

 「マタタビ?」

 「ウチの近所、野良ネコがいっぱいいてさぁ、うるさくって」

 「ふ〜ん・・・、でも、マタタビって、ネコが寄って来るんじゃないの?」

 「あ・・・、そうか・・・」

 「ばか」

 「ま、静かになるからいいや」

 「ホントにそう?」

 「たぶん・・・」

 春先の発情期ならまだしも、夏のこの時期になってもネコが騒がしいというのは、彼の家の寺の境内が、野良ネコ達の

 集会所になっている為と考えられる。

 そのネコ達が騒ぐ最大の理由が、彼の部屋に居候している黒い影の妖怪、“黒坊主”の仕業なのだ。

 黒坊主は、夜な夜な現れるネコ達を狙って、死なない程度にその精気を吸っていた。

 明月はそれを知っており、マタタビを使ってネコが寺に寄り付かないようにしようと考えていたのだが、それが逆効果

 だと知らされると、今度はそのマタタビが妖怪の方に効果があるかも知れないと考えた。

 普段、モモンガのぬいぐるみを依代にしているから、そう思ってしまっただけなので、実際効果があるかは疑問だ。

 ちなみに、黒坊主とは、明月が勝手に名付けてそう呼んでいるだけの名前で、実在する妖怪の黒坊主と同一かどうかは

 分かっていない。



 「丁度いいわ、この辺で夕飯にしようか。 なにか食べたい物ある?」

 「俺、金使っちったよ」

 「いいわよ、出すわよそれくらい」

 「いいのか?、ホントに。 この前も奢ってもらったし・・」

 「構わないわ、なに遠慮してんのよ」

 (なんて太っ腹なんだ、お姉さん)

 「じゃあ、そうだなぁ、今はカツ丼の気分だな」

 「カツ丼?、どんな気分よ」

 「さあ」

 「て言うか、あなたプライドってないの?

  毎度毎度、女の子に奢らせるなんて、常識外れもいいとこよ。

  あたしは気にしないけど、他の子ならその場でアウトだよ」

 (自分から奢るって言ってんだ、それに従ってなにが悪い)

 「生きるのに邪魔なプライドなら、幾らでもかなぐり捨てるさ。

  って言ったらカッコいいかな(照)」

 「ばか」


 商店街の片隅に、小さい、寂れた店があった。

 その、年季の入った見窄らしい外観と、単純に“食堂”とだけ書かれた慎ましやかな暖簾を見た時、明月は直感した。

 (ここは只者じゃねぇ、ぜってー美味いぞ!)

 その視線に気付いた曄は、ちょっと戸惑った。

 はっきり言って、こんな小汚そうな店には入った事がない。

 一体、どんな料理を出されるか、分かったものではない。

 茹で過ぎて腑抜けたコシのない蕎麦、黒こげの卵焼き、生焼けの焼き魚、苦い味噌汁、想像するやに不味そうだ。

 それでも、子供のように爛々と目を輝かせて、興味深そうにその店構えを凝視する明月の顔を眺めていると、とても

 他の店に行こうなどと言い出す気にはなれなかった。

 意を決して彼を誘った。

 「ここで食べたいの?、いいわよ、行きましょ」


 4人掛けのテーブルが1脚と2人掛けが2脚、小ぢんまりした店内に、経営者の老夫婦が2人だけで客はいない。

 昔行ったおしるこ屋を思い出したが、和風の甘味処の方がもっとずっとましだ。

 嫌な予感。

 しかし、味は予想に反して、彼女の固定概念を根底から覆した。

 店が古臭いからといって、味が不味いとは限らないのだ。

 明月の勘の方が勝った。

 曄の注文したうな重は、専門店にも引けを取らない美味さだったし、お吸い物と漬け物はオーソドックスだが上品な、

 それでいてどこか懐かしさも感じさせる、家庭的な味わいのあるものだった。

 その味も手伝ってか、いつもファミレス等で一人で食事をしていた彼女にとっては、久しぶりに味わう、暖かみのある

 時間となった。

 目の前には明月がいるし。

 「なに見てんだよ」

 「美味しそうね」

 「ウチじゃ滅多に食えんからね・・、食うか?」

 「い、いらないわよ、ばか」

 とは言いつつも、なんか、ちょっと嬉しかったりする。

 「あたしのウナギも、食べてみる?」

 「いいのか?」

 「一口ね」

 「じゃ、遠慮なく」 ぱく

 「おお!、んめーっ!」

 「美味しい?」

 「ウナギなんていつ以来だろ・・・、小学生の時以来かな・・・、うめぇ(涙)」

 「そんな、泣かなくっても」

 「うるせー、貧乏人の気持ちが分かってたまるか」

 「変なの(笑)」

 そう笑って、美味そうにがっつく明月を見つめる曄の目は、どこか穏やかで微笑ましい、自然体な目をしていた。

 滅多に笑わない彼女が見せた、恐らく、今までで最も普通の女の子らしい笑顔だった。

 その顔を見た明月は、ふとある事を思い出した。

 あまり思い出したくない事だった。

 頭に浮かんだのは、母親の顔だった。

 あの日、家を出て行く日の前の晩、食卓で夕飯を食べる彼の前で座って見せた、記憶に残る最後の母親の顔だった。

 (あん時の母ちゃんも、おんなじ顔してたっけ・・・

  ちぇっ、やな事思い出しちまったな・・・)



 ☆



 2人が到着したのは、車道の下を半地下の歩道が横切る、立体交差のような道だった。

 車道を潜った歩道の横には、雑草と雑木の生えた緩く短い斜面があり、その上は市民会館の敷地になっている。

 この歩道こそが、曄の目的地だった。

 なるほど、つむじを巻いた突風が吹くには、お誂え向きのロケーションだ。

 「ここ?

  ホントに鎌鼬なんか出んのか?、こんな所に」

 「調べたわ。

  切り裂き魔事件は広範囲に及んでて、どこに出没するか特定するのは難しいけど、この道だけで過去に6人が被害に

  遭ってるわ。

  一ヶ所で、これだけの被害者が出てるのはここだけよ。

  つまり、ここが一番現れる可能性が高い所なのよ」

 「自然現象なんじゃねぇの?

  よく言うじゃん、気圧がどうの乾燥がどうのって」

 「この蒸し暑いのに、どこが乾燥してんのよ。

  それに、ここでの被害者6人のうち、5人は女性で1人が男性。

  女性は服を切られたり、手足を掠める程度の軽傷で済んでるけど、男の方は首を切断されて即死してんのよ。

  自然現象で有り得る?」

 「そ、即死・・・(汗)。 なんで男だけ」

 「あたしも、そう思って詳しく調べてみたら、どうやら男だからって訳じゃなさそうね」

 「性別は関係ねぇのか」

 「性別じゃないわ、問題は職業よ」

 「職業?」

 「女性の方は普通の学生やOLや主婦だけど、男は僧侶だったのよ」

 「僧侶・・・」

 「詳しい事は新聞にもネットにも出てないから、これはあたしの勘だけど、多分、その僧侶は鎌鼬を退治するために

  ここへ来たんだわ。

  そして失敗した・・・」

 「なんで退治って分かんだよ」

 「じゃあなんで、その人だけが死んだのよ。

  他の場所の事件も全部調べたけど、死んだのはその僧侶だけなのよ」

 「きっと、坊主が嫌いなんだな」

 「違うわ、その僧侶は鎌鼬を攻撃したのよ。

  物理攻撃なのか、術を使ったのか、どうやったのかは知らないけど・・・、だから敵と見なされて反撃されたのよ」

 「なるほど、手を出したから噛み付かれたって言いたい訳ね・・・」

 「きっとそうに違いないわ」


 そのせいなのだろう、歩道は市民会館前の道へ合流しているが、その分岐点に元々あった自動車進入防止用のアーチ型

 バリカーに加えて、警察の措置と思われるA型バリケードが設置されていて、人の通行を一時的に禁止している。

 警察にとっては、無差別通り魔事件の現場であり、殺人事件の現場なのだ。

 それでも、そこを通る勇気ある(?)歩行者や自転車に乗った人は皆無ではないようだ。

 まあ、幾ら何でも、昼間っから犯行に及ぶ通り魔もいないだろう、という判断によるものと見える。

 と思っていると、別の道から自転車に乗った警察官が2人、近付いて来るのが見えた。

 パトロールの最中のようだ。

 未だ犯人の逮捕されていない通り魔殺人の現場となれば、パトロールが強化されていて当然だし、そこで少しでも変な

 行動を取る者や見慣れない人がいれば、即、職務質問の対象になってしまう。

 そんな現場付近でうろついて、不審に思われて呼び止められるのを嫌った曄が、明月の手を引っぱった。

 「あっち行きましょ」

 彼女は、彼の手を引いたまま市民会館へ入って行った。

 会館自体は既に閉館しているが、その敷地は開放されていて、建物の横は煉瓦のようなブロックを敷き詰めた幅の広い

 歩道のようになっており、ミモザ、サザンカ、プラタナス等の木が植えられ、マリーゴールドやダリア、ペチュニアの

 咲いた花壇もあるし、ベンチや外燈もある。

 近所の住人には散歩コースにもなっているようで、イヌを連れて歩いている人の姿も見える。

 2人は、そこのベンチに腰を下ろして、時が来るのを待った。

 いつ、その時が訪れるのか分からない。

 それ以前に、本当にここに現れるのかすらも分からない。

 時間の無駄なんじゃないか、と明月は思った。

 (あ、いっけね・・・、エロ本、曄の部屋に置いて来ちゃった・・・、後で取りに戻んなきゃ)


 そもそも、鎌鼬が何の為に人間を襲うのか、その理由は、実のところ現代に至っても定かではない。

 地方によっては、人の血を吸う為だと語られている所もあると聞くが、鎌鼬が吸血する類の妖怪だとは断定出来ない。

 どちらかというと肉食なんじゃないか、そう考える方がむしろその名に似付かわしい気もする。

 或いは、地方によって食性が違うのか。

 などと考えていると、曄が話しかけて来た。

 「なにか、話してよ」

 彼女が、こうやって何の話題も提供せずに、会話を持ち掛けて来るのは珍しい。

 明月があまり人と話すのを好まない事を知っているからなのだが、その顔は、いつもより若干つまらなそうに見えた。

 「あん?、なにを?」

 「だから、なにか」

 「う〜ん・・・、じゃあ、一つ聞いていいかな?」

 「スリーサイズ以外ならね」

 (なにっ!)

 「教えてくれんの?」

 「ばか!、絶対ダメ!」

 「なんだよ。 大体、なんで鎌鼬退治なんてやる気になったんだよ」

 「放っとけないでしょ、もうこの近辺だけで19人も被害者が出てんのよ」

 「放っとけよ、わざわざ首突っ込む事もねぇって。

  返り討ちに遭うぞ」

 この、いかにも他人事という明月の言葉は、曄の感情を刺激するには十分だった。

 「そんなの無責任だわ!」

 「なんで?」

 「だって、みんながみんな、妖怪が見えたり感じたりする訳じゃないのよ。

  見えない人にとっては、なんにも気付かない間に襲われたり殺されたりするなんて、理不尽に思って当然だわ」

 「そんなもんか?」

 「放っといたら、いつどこで、人にどんな害を及ぼすか分かんない危険なものなのに、それを見て見ぬふりするなんて

  あたしには出来ないわ」

 (へえへえ、実に立派な心構えですねぇ)

 「じゃあ、今までにどんだけ妖怪退治してきたんだよ」

 「分かんないわ、数えた事ないし・・・、それに殆ど逃げられたし・・・」


 明月は、彼女を苛立たせる事を承知した上で、思った事を素直にそのまま口にした。

 元々からして、上手に会話を続けようなどという発想の出来ない男だし、率直に感想を言うのが最も良いと思っている

 単純な男なのだ。

 それによって相手を傷つける事を恐れるが故、彼はあまり人と話すのを望まない。

 ただ、どういう訳か、彼の中では曄はその対象から外れている。

 「なんか、窮屈だな・・・」

 「なにがよ」

 「あんたは、妖怪は必ず人に害を為すもんだって、決めつけてかかってる」

 「そ、それは・・・(汗)」

 「この前だって、あったばっかりだろ」

 「そうだけど・・・。

  けど、鎌鼬は確実に人に害をもたらすわ」

 「他人ん家の事に口出しする気はねぇけど、それってやっぱ窮屈だ。 息苦しいって言うか・・・」

 それを言ってしまっては、聖護院家、いや、茨屋そのものの存在意義がなくなってしまう。

 茨屋とは、初めから妖怪を絶滅させる為に組織された集団なのであり、曄はその集団の一翼を担う家の娘なのだ。

 妖怪を見つけたら抹殺しなければならない、それは自分達に与えられた使命なのだ、と教えられて育ったのだろうし、

 そんな強迫観念にも似た意識を植え付けられていても、何も不思議な事ではない。

 「そんなのあなたに関係ない!」

 やはり、彼女の機嫌を損ねてしまったらしい。

 その横顔はムスッとしていた。

 そして黙りこくる。

 今までも度々あった事なのだが、彼女はまだ言い足りない、もっと言いたい事があるという表情を見せながら、ほんの

 一言二言ですぐに口を噤んでしまう時がある。

 あなたなんかに話してもどうにもならない、とでも言いたげに、冷たい視線を投げ掛けた後、淋しそうに遠くを見る。

 達観するような歳でもないくせに、或いは始めから諦めてしまっているのか。


 暫く黙っていた彼女、言葉を選んでいたかのように再び口を開いた。

 「じゃあ、あなたにとって妖怪ってなんなのよ」

 (ありゃ、また突っ込んだ事聞いて来るなぁ)

 「なにって、そうだなぁ・・・、多分、その辺にいるトリやイヌとかの動物とおんなじ感じかな。

  害がなけりゃ放っとけばいい」

 「それって、やっぱり凄く無責任な事だわ」

 「気持ちは分からんでもないが、人助け出来るような力もないんでね。 柄じゃねぇし」

 「だったら、強くなればいいじゃない」

 「簡単に言うなよ」

 「前に、澪菜が言ってたわ。 明月は自分の力の使い方が分からないだけなんだって」

 「へぇ〜、澪菜さんがね〜。 でもそりゃ、買い被り過ぎだって」

 そして、澪菜はこうも言った。

 明月がその力に目覚めれば、必ず曄を必要としなくなる、と。

 それを思い出すと、曄は、一抹の不安を覚えずにはいられなかった。

 俯き加減で呟くように、小さな声で本音を口にした。

 「あたしは・・・、強くなりたいのよ」

 強くなりたい。

 なるほど、負けず嫌いの彼女としては、澪菜にあれ程ダメダメだって言われてしまえば、癪に障るのも当然か。

 いつまでも黙っていられないのだろう。

 どうにかして澪菜を見返してやろう、という腹積もりなんだな。

 それにしては何だろう。

 前向きな言葉のはずなのに、そこには言葉通りの力がないような気がした。

 「にしたって、いきなり鎌鼬ってのは、ちょっとハードル高すぎんじゃね?」

 「いいのよ、それくらいの方が。

  雑魚モンスター相手にちまちまレベル上げするような、ゲームみたいには行かないのよ、現実は。

  Bボタン連打したって無駄なのよ」

 「まあ、そうそうちょくちょく出会す訳でもねぇしな・・・」

 (つっても、いきなりボスキャラ相手もどうかと思うぞ

  つか、Bボタン連打したら進化しちゃうのもいるぞ)

 「少しでも強いヤツを殺さないと、いつまで経っても上へは行けないわ」

 「女の子の言う台詞か、それが」

 (スポーツやなんかじゃねんだぞ・・・)

 「そうね・・・、男に生まれてたら、どんなにか楽だったでしょうね・・・」

 本気でそう言ってるのだろうか、その時の彼女は、やけに悲しそうな表情で、星がちらつき始めた空を見上げていた。

 (またそんな顔をする・・・

  今日のこの子はなんか変だぞ・・・)


 「澪菜さんにダメダメだって言われるのが、そんなに嫌なのか」

 「嫌よ」

 即答、しかも態度が一変した。

 「嫌に決まってるじゃない。

  大体、なんであんな女にああまで言われなくちゃならないのよ。

  あーもう、思い出したら、なんか無性に腹が立ってきた。

  あなたはどうなのよ」

 「は?」

 「どう思ってるの?、澪菜の事」

 「あんたは嫌いか?」

 「聞いてんのはあたしよ」

 「ん〜・・・、綺麗なお姉さん」

 「ははーん、それであんなに素直に言う事聞くんだ。 下心見え見えね」

 「べ、別に、そんなんじゃねぇよ。

  断る理由がねぇだけだよ。

  お嬢様って言うから、もっと強烈にわがままなのかと思ったらそうでもねぇし・・・、ちょっと強引だけど」

 「そんな事ないわ、あんな陰険な女、最低よ。

  あんな事する人だとは思わなかったわ」

 「なんかされたのか?」

 「あ、あなたには関係ないわよ・・・」

 急に頬を赤らめ、視線を逸らした。

 「俺は、別に嫌う理由もないしなぁ・・・、結婚は御免だけどな」

 「胸も大きいしね」

 「そう、あの乳は捨て置けん・・、じゃねぇよ、関係ねぇって(汗)」

 「じゃあ・・・、好きなの?」

 「悪い人じゃあない、とは思うよ。

  意外と物分かりがいいって言うか、なんて言うか・・・」

 「どこがよ!、ナル子じゃない、あんなの。 あんなじゃじゃ馬見た事ないわ」

 「あんたに言われたらおしまいだ(笑)」


 この日の曄は、強い口調になったり弱々しくなったり、睨みつけたかと思えば遠く空の星を追ったり、複雑な心の内を

 そのまま態度に表していた。

 明月の前でだけ見せる、素直な彼女の姿。

 その、手に取るように分かる不安定な様子の彼女を見て、明月は面倒臭いと思った。

 どう対処してよいか、分からないからだ。

 悩み事があるなら、聞いてやる分には構わないが、解決してやれる程の甲斐性はないし、どうせ自分如きに解決出来る

 レベルの話でもないのだろう。

 そのような、解決出来る見込みもない人に相談する程、曄も愚かではないはずだ。

 しかし、今の彼女には、この男しか話をする相手がいないのもまた事実。

 だから、もどかしく思って、こんな態度を見せるのだ。

 そんな気がした。


 「じゃあ、あなたは、なんのために生きてるのよ」

 (おいおい、いきなりなんてめんどくせー事を聞くんだよ)

 「知らね」

 「知らない訳ないでしょ、自分の事なのよ」

 「考えた事ねーもん、知らねーよ」

 「ちゃんと人の目を見て話しなさい。 あなたはいっつもそうなんだから」

 「うっせーな、母ちゃんみたいな事言うな」

 (そう言や、おんなじ事母ちゃんにも言われたっけな・・・

  また嫌な事を思い出させてくれる)

 彼は口を閉ざし、会話を断ち切った。

 妙に真面目な顔をして、人生哲学的な事を質問する彼女に、変な違和感を感じつつも、実際、彼は一度もそんな難しい

 事を考えた事がないし、更に、上から目線で母親めいた説教をされて面白くなかった。

 曄は俯きながら、溜息混じりで小さく呟いた。

 「・・・・・、いいわね、平和で・・・」

 (なに言ってんだ、この子は・・・

  こっちは、あんたと澪菜さんに振り回されて、ちっとも平和なんかじゃねーっての)


 「俺は・・・、なんの為に生きるのかはまだ知らねぇけど、人の迷惑にならなきゃいいと思ってる」

 (なに言ってんだろ、俺

  こんな事言いたくもねぇし、言う必要もねぇと思ってたのに・・・)

 「人に有益な男より、人に無害な男であれ。

  役には立たなくても、邪魔にならなければいいってね・・・、親父の言葉だけど」

 明月の父・詳真は、人の役に立つ大人になって欲しいと、彼に望んでいた。

 ところが、息子は、いつ聞いたのかも覚えていない、父親自身の座右の銘の方に心惹かれていたのだ。

 明月は、その父親の言葉を借りる形で、自分の本心を吐露した。

 生まれて初めての事だった。

 なぜ、そんな事をする気になったのか。

 それは、曄の横顔が、あまりに淋しそうに映ったからだった。

 話したからどうなるという訳でもないし、案の定、彼女は全く無反応のままだったが、何とかしなければ、何とかして

 やりたいという気持ちがそうさせた。

 恐らく、相手が曄でなかったら、こんな話はしていないだろう。

 いや、間違いなく口にしてない。

 今日の彼女は、確実に今までとはどこか違っていた。



 ☆



 風が、吹き始めた。

 緩い、そよ風。

 とても鎌鼬が現れる時のような強風ではない。

 が、微かに妖気が漂う。

 そう思った途端、一気に強烈な突風が歩道の上を吹き抜けて行った。

 現れた!

 風と共に、小さめの妖気の塊のようなものが、凄い速度で通り抜けて行くのが分かった。

 分かったが、それ以上何が出来るというんだ?

 そのスピードは、この前の貂よりも更に数段上を行っている、なんて呑気な話どころではない。

 気が付いた時には、もう既に目の前を通り過ぎているのだ。

 そして、通り過ぎた後に、ビュンッと音と共に強風が追いかける。

 音速の貴公子が時速300キロ超なら、こっちは時速1,225キロを超えちゃってる。

 目にも留まらぬとは、まさにこの事だ。

 そんな生物いるか!?

 スカイフィッシュも真っ青だ。

 まさか、本当に鎌鼬が現れるとは・・・。


 曄は、例の刀を鞘から抜くと、歩道の真ん中に走り出て身構えた。

 「どうすんだよ、曄ちゃん!」

 「もちろん、斬るのよ!」

 その真剣な眼差しと、全く無駄と隙のない構え。

 さっきまでとは見違えるようなその身振り、実に見栄えがして様になっている。

 女だてらにカッコいい。

 そして、吹いて来た風に向かってスバッと一振り。

 刀は空を斬るだけだったが、その見事なまでの一直線の太刀筋は、彼女が如何に修行を積んでいたかがよく分かる。

 竹光と違って重量感のある刀を、それこそ木刀以上に軽々しく捌いている。

 それでもやはり、常軌を逸した勢いで吹き抜ける鎌鼬の風には、どうしても振り遅れてしまう。

 剣術の技だけで事足りる程、鎌鼬は生易しい相手ではない。

 この一撃で、彼女は敵と見なされてしまったようだ。

 スーッと吹いて来た風が、今度は曄の足元まで来た所で渦を巻き始めたかに見えた次の瞬間、いきなり彼女を包み込む

 ようにブワッと立ち上り、彼女の長い髪が激しく乱れ、ただでさえ短いスカートがめくれ上がって、ピンクのパンツが

 丸見えになったかと思いきや、瞬く間にスカートを、ブラウスを切り裂き、腕や脚に複数の細い傷を作って過ぎ去って

 行った。

 「きゃっ!」

 よろめく曄。

 やばい!

 たった1回で、彼女は傷だらけになってしまった。

 腕や脚の傷から、うっすらと血が滲んでくる。

 それでも、彼女は再び、風の吹いて来る方向へ刀を構えて臨戦態勢を取る。

 怯むどころか、怖じ気付く気配すら見せない。

 ほんと、気の強い女・・・。


 だが、これはほんの序の口に過ぎなかった。

 再び、一陣の突風が歩道の上を吹き荒び、彼女に襲い掛かって、またしても彼女の衣服や手足が傷ついて行く。

 どんなに鋭い剣戟であっても、相手を捉えられなければ、それはただの素振りでしかない。

 どうやら鎌鼬は、あれ程の高速で飛びながら、風の中で巧みに身を翻して障害物を回避しているようだ。

 戦闘力の差は一目瞭然。

 よろめく、構える、切り刻まれる・・・、この繰り返し。

 彼女がどんどん、傷つき弱って行く。

 い、いかん!

 このままでは、あのスベスベした柔肌のフトモモちゃんが傷モノになってしまう。

 一生消えない傷なんか作られてたまるか。

 それだけは、なんとしても避けねば!

 「曄ちゃん!、もうやべえって!、逃げろ!」

 「嫌よ!、あたしは逃げない!」

 チラッとこっちを見た彼女の瞳が、やや色褪せている。

 鮮やか、とまでは行かないが、オレンジ色に変わりかけている。

 鎌鼬の妖気に影響されているのだとしたら、彼女の妖力では、そう長くはもたないぞ。

 それにしては、少し変だな。

 明月は、曄の様子が、これまでの彼女とはどこか、何か違うと感じていた。

 確かに、鎌鼬はそれなりの妖力を放ってはいるが、あれだけ高速で移動するものが、そんなに彼女に影響するものか。

 いくら影響を受け易い体質だからといっても、あんな短時間の接触で、そこまで過敏に反応するものなのだろうか。

 何らかの、他の要因が関与している可能性はないのか。

 そもそも、彼女の橙眼は、邪気に反応して発動するものだと解釈していたのに。

 鎌鼬の妖力はそこそこ強いが、そんなに邪悪なものは感じない。

 強いて言うなら奴の場合、邪悪と言うより、むしろ悪戯か悪ふざけのような感情を滲ませているような気がする。

 奴にとっては、これは攻撃ではなく、ただ遊んでいるだけに過ぎないのかも知れない・・・。

 そこで、はたと気が付いた。

 もしかして、彼女は橙眼の発動を恐れるあまり、自分の妖力の解放を躊躇っている、とは考えられないか。

 彼女の橙眼は、彼女自身の妖力にまで反応してしまう・・・、その可能性は否定出来ない。

 だとすれば、レベルに合わない事ばかりしようとする彼女の行動にも納得する。

 その気になれば高い能力を発揮出来るのに、それを自ら抑制しているのだとしたら・・・。


 明月は、鎌鼬に集中している曄の背後から近付き、彼女の手から刀を抜き取った。

 「あ!、なにすんのよ!」

 「選手交代だよ。

  あんたはそこで休んでな」

 「な、なに言ってんの!、あなたになにが出来んのよ!」

 「俺にもちっとは遊ばせろって」

 「ふざけないで!、遊びじゃないのよ、返して!」

 曄は、刀を取り返そうとしてピョンピョン跳ねるが、身長差のある明月が上に伸ばした手元には届かない。

 「別にふざけてやしねぇよ。

  命懸けの遊びなんて、誰が好き好んでやるかよ」

 「だったら引っ込んでて!」

 「いいからいいから。

  俺が時間稼ぐから、その間に逃げる算段でも考えとけよ」

 「あたしは逃げない!」

 この、わがまま娘が・・・。

 「じゃあ、どうやってやっつけるか考えてろ」

 (無理だと思うけど)

 「言っとくが、力を出し惜しみしてちゃ、勝てるもんも勝てねぇぞ」

 「・・・・・(汗)」

 曄は、返す言葉を失った。

 明月に見抜かれてしまったのだ。

 大人しく引き下がった。

 彼女が心の内に秘めていた悩ましい葛藤の一つが、知られてしまった。

 悔しさ、憤り、戸惑い、その表情は見るからに複雑だった。


 明月は、曄を道端に追い遣っておいて、歩道の真ん中で刀を構えてみる。

 そこで初めて分かった。

 この刀は、さすがに殄魔師の武器だけあって、妖刀のような性質を持っている。

 持ち手がその手から妖力を送り込んでやれば、刀が軽くなるような気がする事に気が付いた。

 より多く妖力を使えば、その分だけ軽く扱い易くなる。

 ただし、この悉剿という刀の食欲は、どれだけ妖力を食えば満腹になるのか分からない底無しの胃袋のようでもあり、

 恐ろしい程に貪欲だ。

 妖力を与え過ぎると、今度は使い手の体力が続かない。

 そのバランスが難しい。

 素人が簡単に扱える代物なんかではないし、少しでも気を抜くと、妖力を全て食い尽くされてしまいそうになる。

 (やっぱ、一筋縄じゃいかねぇな、この刀は・・・)


 それ以前に、剣術の心得の全くない明月には、普通に扱うだけでも並々ならぬ集中力を要した。

 ナマクラとはいえ、本物の日本刀である。

 一つ扱いを間違えれば、自分自身が傷付く恐れすらある。

 しかも、そんな物騒な武器を用いて、恐ろしい程の高速で襲い掛かって来る鎌鼬に立ち向かわなければならないのだ。

 緊張するなと言う方が無理だ。

 そんな彼の心中は、少し離れた草むらで様子を窺う曄には、はっきりと感じ取られていた。

 明月の構えが、腰が引けている。

 その振りは、まるでバットやゴルフクラブのスイングか、釣り竿を振っているようにしか見えない。

 全く以て隙だらけ。

 あれで、どうやって鎌鼬を斬るつもりなのか。

 あれじゃあ、どんな名刀を使っても、布切れ一枚斬れやしない。

 それでも、明月は持って生まれた能力のおかげで、より早く鎌鼬の接近を感知する事が可能な為、辛うじて攻撃を躱す

 事だけはどうにか出来ている。

 とはいえ、躱すのが精一杯で、それ以上の事は何も出来ない。

 予想以上の苛酷な仕事になった。

 その強烈な突風は、正面から浴びると、息も出来なくなるくらいの風圧で襲って来る。

 ただ躱すだけなのに、鎌鼬は自由自在に速度を変え、前から来ると思えば後ろから、通り過ぎたかと思えば間髪入れず

 すぐ切り返すなど、全く予測出来ない動きを見せ、対応に苦慮させられる。

 そしてやっぱり傷付けられる。

 人並み外れた運動神経の持ち主の曄でさえ傷だらけの有り様なのだから、多少のアドバンテージがあるとはいえ、明月

 にも攻撃を躱し続ける事は不可能だった。

 腕や脚に、何ヶ所も刺すような痛みを感じ、汗が染みると痒みを伴って余計に厄介だ。

 その上、鎌鼬の狙いが、手足から確実に体の方に、徐々にその照準を移して来ているのが分かった。

 このままでは、どこかの僧侶の二の舞だ。

 いよいよヤバくなって来た。


 明月が窮地に陥って行くのを、黙って見過ごす曄ではなかった。

 再び立ち上がって、隙を見て彼から刀を奪い返した。

 「あ、おい、隠れてろって・・・」

 「そこで黙って見てて。

  どうせ、あなたは、こうやって人に振り回されるのが嫌いなんでしょ」

 (確かにそうだが、さんざん振り回しといて、今更それはねーだろ

  そういうのは、もっと早く言ってくれっての)

 「絶対、やっつけてやる。

  後の事はお願い」

 その強気な態度は相変わらず。

 後の事って・・・、彼女が橙眼を発動してしまったら、回復処置を頼むって事か。

 「いい考えでも思いついたのか?」

 「力技よ!」

 力強くそう言い切って、吹き付ける風に勇んで立ち向かう彼女から、今までとは比べものにならない程の強力な妖気が

 一気に放たれた。

 す、すげー・・(汗)。

 あの小さい体のどこに、こんな強い妖力を隠してたんだ?、おっぱいか?

 超神水でも飲んだか。

 それは、一時的にではあっても、澪菜の持つ妖力を超えていると思われる程だった。

 未だ、澪菜の本気の姿を見た事はないが、他に比較対象が思いつかないから仕方ない。

 いや、以前対峙した貂と同等か、或いはそれに匹敵する妖力だ。

 これは驚くべき事だった。

 つまり、彼女は元々、自分の妖力をコントロール出来るレベルの術師だったという事なのだ。

 並みの精神力や集中力では、到底不可能な高等技術だ。

 ただし、橙眼という爆弾を抱えている為、長時間の妖力解放は彼女自身の身を危険に曝す事になる。

 短期決戦に持ち込む覚悟が出来た訳だ。

 どうやら、迷いを吹っ切ったらしい。


 その彼女が思いっきり振り抜いた、これまでとは見違えるような、信じられないくらいの物凄く鋭い一撃が、遂に風の

 中の鎌鼬を捉えた。

 ガキンッ!

 やった!

 一瞬、火花が散って、直後に後方のアスファルトの上で、甲高い金属音が跳ね、転がり、滑った。


 刀が、折れた。


 刀身の先から20Cmくらいの所で、ポッキリ折れていた。

 それを見た曄は、見る見る顔面蒼白になり、急にガタガタと震え出した。

 恐怖のせいではない。

 余程のショックを受けたと見える。

 折角、心の迷いを断ち切って、自分の持てる最大の妖力を注ぎ込んだ渾身の一撃ですらも、相手にダメージを与える

 どころか、伝家の宝刀まで失わせる結果になろうとは・・・。

 鎌鼬の強さが予想を上回っていた、それとも・・・、自分が未熟過ぎた・・・。

 無理だ・・・、勝てない・・・。

 あたしじゃ、勝てない。

 やっぱり、あたしは・・・。

 手から折れた刀が滑り落ち、そのまま肩を落として、アスファルトにガックリ両膝をついて項垂れた。

 急激に気力が衰え、窶れて行く。

 完全に戦闘意欲を失ってしまった。

 もはや放心状態。

 刀と一緒に、心も折れたのか。

 目から輝きが消え失せ、虚ろになっていた。

 鮮やかさの増したオレンジ色の瞳だけが、薄暗がりの中で儚く浮き立って見えた。

 やばい!

 あのまま攻撃されたら、一溜まりもないぞ。

 明月は叫んだ。

 「逃げろ! このままじゃ、あんた死ぬぞ」

 曄は、茫然と、力なく呟いた。

 「死んだっていいのよ・・・、あたしなんて・・・」

 なに?


 「どうせ生きてたって、意味なんかないんだから」


 何言ってんだこの子は。

 まるで、何もかも失ってしまったかのような顔して・・・。

 サンタクロースが実在しないと知った時の、現実の無情さを初めて痛感した子供みたいな顔して。

 ふざけるな!、こんな所で死なれてたまるか!

 まだなんにもエロい事してねーんだぞ!

 いくら家宝だからって、刀が折れたぐらいで、生きる事まで諦めてしまうのか。

 どんなに大切な物かは知らないが、人の命を以て贖う程の物など、この世のどこにも存在しないんだぞ。

 そう思うと、俄然腹が立ってきた。

 明月は、刀などと共に持って来ていた木刀を手に取って道に出て、半ば自暴自棄になっていると思われる彼女の襟首を

 むんずと掴むと、力づくで彼女を道端へ引きずり返した。

 キャッと、軽く小さな悲鳴を上げる曄。

 「なにすんのよ!」

 涙目になっていた。

 「たかが刀の一本や二本でガタガタ言うな。

  ライトセーバーじゃねぇんだ、折れたって不思議じゃねーよ」

 「死んだ方がいいのよ、あたしなんか・・・」

 「だから・・・」

 「あたしは・・・、死にたいのよ・・・」

 すぐに視線を逸らせたその表情は、憔悴し切っていた。

 死にたいだと?

 益々腹が立った。

 「だったら一人で死ね。  人を巻き込むんじゃねぇ」

 「だから、放っといてって・・・」

 「俺はもう、巻き込まれてんだよ。 もう遅えんだよ」

 「・・・・(汗)」


 この時の明月には、こういう言い方しか出来なかった。

 巻き込まれた事に不服を言うつもりはなかった。

 初めから、都合のいいように利用されていると分かってながら、面白半分で彼女につき合っていたのは自分自身だし、

 その気になればいつでも手を引く事は出来た。

 それでも、敢えてそうしなかったのは、彼女に興味があった事と、好意を持ってしまった事を置いて他に理由はない。

 従って、こういう事態に陥った責任を、彼女に負わせようなどとは端っから考えていない。

 とはいうものの、この期に及んでも、死んで欲しくない、と自分の意思を明言するには照れがある。

 それにしても、刀が折れたぐらいの些細な事で、死にたいとまで言い出す曄の気持ちが分からない。

 家宝を勝手に持ち出して、壊してしまった事に責任を感じるのは分からないでもないが、だからと言って、それが死ぬ

 事とはどうしても繋がらない。

 なぜ、そこまでしなければならないのか。

 家の人が怖い?

 聖護院家とは、そんなに品格と伝統と格式を重んじる、厳格で融通の利かない家柄なのか。

 そういう家柄の家は、名声や体裁を守る事に傾注するあまり、時として人の命を軽んじるイメージがある。

 あたかも、それが崇高であるかのように。

 公家や貴族でもあるまいに・・・。

 明月は、そういうのが嫌いだった。

 個人の自尊心ならいざ知らず、それを家の名誉とかに置き換えて、隷従を強要するのは愚の骨頂だと思っていた。

 例え、世界に二つとない、唯一無二の物の価値すら分からない愚か者だと言われようが、枉げる気はない。

 ただ、彼女の言葉は、なんか、意味合いが違うような気がする。

 妖怪の姿はよく見えるのに、すぐ目の前にいる人の気持ちも見えないなんて・・・、なんか情けない。

 「親父が言ってたのを思い出した。

  生きる価値ってのは、自分で決めるもんじゃねぇってな。

  自分がどう思ってようと、一人でも生きて欲しいと思う誰かがいれば、その人には生きる価値があるんだってよ」

 その言葉にどれだけの意味があるのか、どこまで曄の心に訴えかける事が出来るのか、さっぱり分からなかった。

 彼女がそれを素直に受け入れるとも思えなかったが、言ってやりたかった。

 曄は、俯いたまま何も言わなかった。



 ☆



 木刀を手に歩道に立った明月は、風が吹くのを待ちながら一人で考えた。

 (小学校の時だっけなぁ、体育の先生に言われた事があったっけ

  もっと闘争心を出せって

  そういうの、一番嫌いなんだけどねぇ・・・)

 スポーツも喧嘩も大嫌い。

 体力を使うような事は、疲れるからやりたくない。

 人の為にも、自分の為にも。

 人助けなんて、興味もない。

 自分は、お人好しではないし、お調子者でもない。

 他人の為に骨を折ろうとも思わなければ、誰かの為に犠牲になろうとも思わない。

 そんな自分でも、係わり合いになってしまった人が、目の前で苦しむのや悲しむのは見ていられない。

 そういうのを、自分勝手って言うんだろうな。

 あんまりいい性格とは言えないが、直すのも面倒臭いし・・・。


 そこへ突風が襲い、彼は無造作に木刀を振り回す。

 スパン!

 見事、木刀が真っ二つ。

 「やっぱ無理か・・・」

 強靱を以て鳴る玉鋼の刀ですら敵わない鎌鼬の攻撃を、ただの木刀で防げるはずがない。

 そんな事は初めから分かっている。

 明月は、何かを確かめようとしていた。

 鎌鼬の攻撃パターンを。

 それが分かれば、対処は不可能ではなくなると思っていた。

 一見、複雑そうに思えるが、要は風の吹き方にさえ注意を払っていれば、パターンは自ずと見えてくるはずだ。

 彼は何度も攻撃を受け、よろめき、バランスを崩して倒れ、それでも最小限の被害に止めつつ、パターンを突き止め

 ようと試みていた。

 それが命懸けである事を忘れて。

 見かねた曄が、泣きそうな顔で止める。

 「もう無理よ、やめて!(汗)」

 「い、いや・・・、もうちょっと・・・」

 もうちょっとってなによ。

 なんでそんな必死なのよ・・・。

 「もう分かったから・・・、死にたいなんて言わないから・・・(汗)」

 「気にすんな。

  俺はやりたいからやってんだ、あんたの為じゃねぇ」

 「もういいわ! あなたは逃げて!

  お願いだから!」

 それは、彼女の偽らざる本心から出た願いだった。

 曄は、明月を連れて来た事を激しく後悔した。

 鎌鼬には勝てないかも知れない、自分は死ぬ事になるかも知れないという思いはあったし、その覚悟もあった。

 でも、一人のまま死ぬ訳じゃない・・・。

 誰かに看取られて死ぬ事が出来るなら、それだけで彼女は満足だった。

 明月に期待していたのは、その役目だった。

 だが、その彼まで死の危険に直面するようになる事は、想定していなかった。

 浅はかだった。

 自分の事しか考えていなかった。

 自分が死にかけたら、彼がどういう行動を取るか、少し考えればすぐに分かったはずなのに。

 あたしは死んでも構わない、でも、明月は・・・。

 こんな気持ちになるんなら、こんな人誘うんじゃなかった。

 一度は止まった震えが、再び彼女を襲った。

 胸が潰れそうだった。



 何かを掴みかけていた。

 彼は立ち上がった。

 なぜ、立ち上がったか。

 少なくとも、その時の彼は、誰かの為に、曄の為に立ち上がったのではなかった。

 彼は、自分の中にじわじわと湧き上がる力を感じていた。

 それが何かは、自分でも分からない。

 が、確かに、自分の中で何かが蠢いている。

 得体の知れない、謎めいた力が、体の芯からこみ上げて来る。

 パワーが漲る。

 別に、カツ丼を食べたからではない。

 まさか、自分の腹の中に、九尾が封印されている訳でもなかろうに。

 実のところ、彼は以前から、折に触れてそんな感覚は認識していた。

 けれども、それを意識して使おうとは考えなかった。

 意識的にどうにかなるものとは思っていなかったし、使い方も分からない。

 激しい怒りにも似た感情、衝動と共に発動する力とでも言えば理解し易く、本人もそう考えていた。

 分かり易く言えば火事場のバカ力、分かり難く言えば北斗神拳極意みたいなもの。

 鎌鼬の攻撃に直面して、防衛本能が活性化したか。

 澪菜が言っていたという明月の力とは、この事なのだろうか。

 ただ、明月自身は、その力を恐れていた。

 使いこなす自信がない。

 その力を使ってしまう事によって、自分が自分でなくなる、自我が崩壊してしまうのではないか、という大して根拠の

 ない恐怖に囚われてしまう。

 出来る事なら使いたくない、というのが率直な気持ちだった。


 その力を使うべき時が来た。

 というか、使わざるを得ない時が来た。

 ここまで来たらもう自棄だ。

 出し惜しみしてては勝てない、なんて言ってしまった手前、自分も他人面してられなくなった。

 と言うより、使わなければ死ぬ。

 (考えるな、感じるんだ、ってどっかの昔の映画であったっけな)

 明月は、吹いて来る風に向かって精神を研ぎ澄まし、手を差し出すと、高速で迫り来る妖気だけを頼りにガバッと風を掴んだ。

 その、あまりのスピードに体を吹き飛ばされながらも、彼は、手を地面に叩き付けるようにして上から押さえ込んだ。

 手の中に、何かの感触があった。

 「うおーーっ!!

  と、取ったぁーっ!!」

 と、捕った?

 な、何考えてんだこの人は・・・!

 鎌鼬を素手で捕まえるなんて・・・(汗)。

 信じられない。

 目の前で起こったこの一発芸を見て、曄が唖然とするのも当然なのだが、それを実行した当の本人も、実は結構驚き

 焦っていた。

 首根っこを掴まえたまま路面に押し付けてその姿を見ると、本当にイタチのような小動物みたいだし、足には小さいが

 鋭い爪が4本あり、必死にガリガリとアスファルトを掻きむしっている。

 (ど、どうしよう・・・、そ、そうだ、マタタビ食わせちまえ)

 ポケットからマタタビを取り出すと、何度か暴れる鎌鼬の鋭い牙に噛み付かれそうになりながらも、それを口の中へと

 無理矢理押し込んだ。

 そして、手から気を送ってやると、次第に動きに力が無くなって行った。

 ようやく、少し落ち着いて来た。

 マタタビが効いたのか?

 それはちょっと怪しい。

 彼は、そのまま周囲をキョロキョロしながら、座り込む曄に向かって言った。

 「ひ、曄ちゃん、なんかないか・・・、動けなくするもの・・・」

 「あ、ち、ちょっと待って」

 ポカンと眺めていた曄は、慌てて立ち上がると、スポーツバッグの中からロープの束を取り出して側へ持って来た。

 「ロープ?、こんなもん、噛み千切られるぞ」

 「大丈夫よ、これはただの縄じゃないわ。 妖力を封じる力があるのよ」

 「そんな便利なもんがあったのか」

 「神社の注連縄みたいなものよ」

 曄から受け取ったその縄で、鎌鼬の体を手足ごとぐるぐる巻きに縛り上げた。


 鎌鼬を捕まえる時、明月が発揮した力は、まさしく人智を超えたものだった。

 普通、音速で飛ぶ物体を手に出来る人間などいない。

 それが出来たら、どんな手品もお手の物、トランプや麻雀のイカサマもしたい放題、ギターの速弾きでスローハンドの

 異名を取る事も夢ではない。

 その超絶的スピードは、どんな手先の器用さをも凌駕する・・・かな?

 それでも、明月は、その力を使ったという実感がなかった。

 体調や心境に、何も変化がないのがその理由だった。

 取り越し苦労だったのかも知れない。

 とりあえず、問題はなさそうだ。

 そうして、やっと一息つけたと思ったら、今度は曄が怒り出した。

 「なんで・・・、なんであんな無茶すんのよ!」

 彼女は、鎌鼬の脅威が去った事で安心すると、同時に別の感情が沸々と湧き上がって来るのを感じていた。

 「上手くいったからいいようなものの、もし失敗してたら死んでたのよ!」

 彼女には、明月がどうやって、速過ぎて全然姿の見えない鎌鼬を捕まえる事が出来たのか分からなかった。

 どんなに彼の妖力感知能力が高いとはいえ、そんな事が本当に可能だとは思えなかったのだ。

 明月の発揮した妖力は、傍目には大して普段と変わらなかった。

 だから、ただの偶然か、それに近いものだと思った。


 昂ぶる彼女を受け流すように、明月は、路上に胡座をかいたまま、息を整えながらボソボソっと言った。

 「自分の命も守れない奴が、人様の命なんか守れる訳がねぇ」

 ハッと息を飲む曄。

 彼は、自分が以前、曄を守ると約束した事を下敷きにして、自分に対する戒めのつもりでそう発言したのだが、曄の方

 からしてみれば、逆に、彼女に対する当て擦りと聞こえた。

 なぜなら、彼は約束通り、彼女の危機を救って、命を護ってくれたのだから。

 それに引き替え自分は・・・。

 そう思うと居たたまれない。

 言葉が見つからない。

 イライラする。

 悔しい。


 鬱々とした気分から逃れようとして、曄はわざと嫌味な質問を彼にぶつけた。

 「それも・・・、お父さんの言葉なの?」

 「はん?」

 「よっぽど、お父さんの事が好きなのね・・・」

 「そうなんかな?」

 「反抗期とかないの?、イライラしたりしないの?、腹が立ったりしないの?」

 「グレたところで、親父には勝てんのさ・・・。

  普段はグダグダでも、いざって時の親父は強ぇからな」

 明月は、幼い頃から何度も妖怪に襲われ、その度に父親に救われていた。

 その幼児体験が、彼の父親に対する絶対的信頼と尊敬、そして劣等感の源になっている。

 コンプレックス、父親には勝てないというのは明月の本心だ。

 ただ、自分の中にある力を使えば、その父親を超える事が出来る、超えてしまうとも感じていた。

 それは、希望であり、不安でもある。

 明月を困らせてやろうと思って聞いたのに、その返答に共感するところを感じた曄は、いつしか気分が解れていた。



 ☆



 気が付くと、町の日常の音が戻って来ていた。

 とっぷりと日の落ちた周辺に人影はないが、上の車道には、仕事を終え家路を急ぐ車が絶え間なく往来している。

 明月は、手元に転がる、簀巻き状態でぐったりする妖怪を見ながら言った。

 「さて、どうしたもんかな、これ・・・」

 すると、側に座っていた曄が、思いも寄らない事を言い出した。

 「飼って・・・みようかな?」

 (な、なにぃ?)

 「ちょ・・、待って待って曄ちゃん。 鎌鼬飼うなんて聞いた事ねーぞ!

  大体飼えんのか、懐くのか?、こんなもん」

 「知らないわよ。  飼ってみたいのよ」

 「なに考えてんだよ一体・・・」

 「だって・・・、カワイイし・・・」

 ちょっと恥ずかしそうに、尻すぼみに小声で呟いた。

 確かに、こうして大人しくなった鎌鼬の姿を見てみると、フェレットのようにも見える。

 それよりも、初めて彼女が妖怪に対して、殺意以外の、親しみの感情を見せたのが驚きだった。

 妖怪をゴキブリや何かと同列視していた、あの曄がである。

 どんな心境の変化だ。

 以前、澪菜の式神・スイカズラを見た時も可愛いと思った曄だが、その時の気持ちは明月は知らないし、澪菜の式神、

 つまり、人に害を与える危険性のない妖怪だと知った上での反応だった事を思えば、この鎌鼬に対して抱いた感情は、

 これまでの彼女からは想像も出来ないくらいに柔軟、というか、意識を180度変えたに等しい態度だった。

 しかし、これはあくまで妖怪であって、愛玩動物ではない。

 彼女が最も嫌っていたはずの、人に害を為す凶悪な存在なのだ。

 ペット感覚で、飼うだの何だのを論じる対象なんかではない。

 野生動物でさえ、飼い馴らすのに相応の時間と忍耐と根気とテクニックを要するものなのに、妖怪を調伏するのに必要

 とされる技能やノウハウは、普通の能力者であっても不可能な程特殊なものだ。

 明月や曄では望むべくもない。

 一体、何が彼女を変えたんだ・・・。

 「なにが可愛いだ、人殺してんだぞ、コイツは」


 曄は、自分の感情を素直に言葉にした。

 そしてそれは、明月には喜んで受け入れてもらえるものと思っていた。

 ずっと、妖怪に対して憎悪しか抱かなかった自分が、その態度を変えたのだ。

 その事を窘め続けていた彼なら、当然好意的に歓迎してくれるはずだと思っていたのに・・・。

 予想を覆す彼の言葉に、腹を立ててへそを曲げる曄。

 「どうせ、あたしじゃ扱えっこないって思ってんでしょ!」

 「当たりめぇだ、てか誰でも無理なんじゃねーの」

 「なによ!、殺すなって、いっつも言ってるくせに!」

 「飼えなんて言った覚えもねーぞ」

 「だったらどうしろって言うのよ!」

 「知らねえよ、だから考えてんだろ」

 「だから、あたしが飼うって言ってんでしょ!」

 「飼える訳ねーだろ!、真面目に考えろ」

 「あたしは真面目よ!

  なんであなたは、あたしと反対の事ばっかり言うのよ」

 「あのな・・・(汗)」

 うんざりしてきた。

 「本気で飼えると思ってんのか?」

 「分かんないわよ!

  でも、飼ってみたいんだもん」

 明月は溜息をついた。

 彼女を説得する言葉も見つからないし、思い留まらせる自信もない。

 「・・・分かった。

  そこまで言うんなら、俺がウチ持って帰って、暫く預かるよ」

 「イヤ、あたしが連れて帰る」

 (また、わがままが出やがった)

 本当に、この日の曄は言う事とやる事がデタラメで、首尾一貫していない。

 さすがに呆れた。

 「なんなんだ、あんた、なに考えてんだ。

  強くなりたいって言ったかと思えば死にたいって言ってみたり、無理だって言ってんのに飼うって言ってみたり。

  泣いたり怒ったり、さっぱり分かんねー。

  なにがしたいんだよ、一体。

  澪菜さんよりわがままじゃねーか」

 明月の言い方は、いつも以上にぶっきらぼうで、曄にとっては耳の痛い言葉だった。

 ムスッとして頬っぺを膨らませた彼女が、横目で言った。

 「あなたに、なにが分かるのよ・・・」

 「知らねーよ。 だから言ってんだ」



 「・・・いいわ・・・、教えてあげるわよ。  ウチに来て」


 曄は、遂に決意を固めた。



                                       第8話 了


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