第7話 月に萌える(後編)
DISPELLERS(仮)
07.第7話 月に萌える(後編)
数日後、学校で澪菜からの連絡を受けた明月は、放課後、曄と共にまたあの公園で待っていた。
と、そこへ現れたのはいつもと違う黒のベンツ、しかもSクラス。
更に、運転していたのは、なんと、1人のメイド。
「はぁーい、お待たせー。 さ、乗ってー」
また変なのが現れた。
金髪に近い洗い曝しのショートカットで、キリッとした濃いめの眉が印象的な、気の強そうな人。
どっちかって言うと行動派、多分、数分とじっとしていられないタイプに見える。
確か、この前桐屋敷家へ行った時は、この人はいなかったような・・・。
妙に馴れ馴れしいと言うか、ざっくばらんな感じのメイドさんだ。
きっと、シド・ヴィシャスを神と崇めているに違いない。
「あの、澪菜さんは?」
「嬢様なら、学校終わってそのままヘアサロン行ってるよ。
だから、あたしが迎えに来たの。
あ、あたしは鰀 菊花、20歳。 これでも嬢様付きのメイドだよ、普段はね」
「あ、あのー、↑の字はなんて読むんすか?」
「ああ(笑)、“あめのうお”ってんだ、面倒臭いでしょ。 あたしも嫌い、画数多くてさぁ。
苗字なんて一とか二とかでいいんだよ、もっと分かり易いので」
「普段は、って・・・」
「時々、朝絵ちゃんの仕事手伝ってんの。
知ってる?、朝絵ちゃん。
嬢様のお姉ちゃんね。
すっごいよ、あの子。
年下のくせに、めっちゃカッコいいんだって、もう、やんなるくらい。
ああいうの天才って言うんだろうね」
「はあ・・・(汗)」
(なんて言うか・・・、変わったメイドさんだな・・・)
「ねえ、あんたが嬢様の彼氏? カッコいいねー(笑)」
「ち、違いますよ(汗)」
「あれぇ? だって許婚だって、嬢様言ってたよ」
「勝手に言ってるだけっすよ」
「へえー、そうなんだ。 で、その子が愛人ちゃん?」
「・・・・・(怒)」
声を掛けられた曄は、無視するように無言でプイッとそっぽを向き、視線を窓の外へ遣った。
あからさまに、嫌悪感と拒絶反応を示している。
相当な膨れっ面だ。
もう、いちいち否定するのも嫌になったと見える。
それに、こういうがさつっぽい人は、嫌いなタイプなのだと思う。
「あ、怒っちゃった? ゴメンねー、あたしよく知らないからさー(笑)」
(知らないんなら、余計な事言わなきゃいいのに・・・)
「どうでもいいっすから、ちゃんと前見て運転して下さいよ」
「ああ、気にしない気にしない。 この車なら、みんな避けてくれるから」
(そうじゃねーだろ! なんか違うぞ!)
「ホントはね、アストンのヴァンキッシュとかDBSとか、ケーニグセグとかSSCとかでも良かったんだけどねー、
さすがに2シーターは買って貰えなかったわ。
でも、いいねー、この歳でこんな車運転出来んだから。
メイドもバカに出来んっしょ、メイド万歳だよ、ハッハッハ。
こりゃ、いつかはレヴェントンか599XXも夢じゃないってかぁ」
(いや無理だから、それ絶対無理だから、世界で20台とか、サーキット専用だから
っつうか、この人、車フェチ・・・、いやスピードフェチだ)
「もしかしてこの車、メイドさん専用っすか・・・」
「ううん、専用って訳じゃないけど、他に運転する人いないから、専らあたしが乗ってる。
まあ、買え買えって買わせたのはあたしだし、専用って言えなくもないのかもね。
でもあたしが運転すると、みんな乗りたがらないんだよね〜。
なんでか分かる?」
「い、いえ・・・」
「運転荒いから、だって。
ブッキーなんか、ジェットコースターって言うんだよ、失礼しちゃうよね。
こう見えても国内A級持ってんだよ、バカにすんなって。
あ、ブッキーてのは、寿っていうメイドの事ね。
おっちょこちょいのくせに、ビビリなんだよなー、ブッキーは。
お頭は静かに乗ってると思ってたら、口から泡吹いて気絶してるしさぁ。
喜んで乗ってたの雀くらいのもんだよ」
(知らん人の事言われても、反応出来んってば・・・
ただ、確かにこの人の運転、アクセルワークやブレーキング、ハンドル捌きはまるで無駄がない
ただし・・・、慣れないと酔っちまう・・・)
一般のドライバーであれば、普通、カーブの手前では多少なりとも減速するものだが、これがライセンス所有者クラス
ともなると、公道の法定速度程度のスピードなら、そのまま減速なしでスッと通過してしまう。
その加速、減速、ハンドリングは、慣れていないと、常に体を大きく前後左右に振られてしまうので酔い易い。
ジェットコースターと例えられるのはよく分かるし、ベンツのSクラスでこの運転をされてたら、他のドライバー達は
皆、避けて道を譲るというのも納得だ。
菊花は口笛を吹きながら、楽しそうにハンドルを握っていた。
☆
車は、前回よりもずっと早く桐屋敷家の館に滑り込み、玄関前には澪菜が直々に迎えに出ていた。
ヘアサロンへ行ったという割りには、どこが変わったのかまるで分からない。
長い髪を数センチばかりカットした程度では、無神経な男はまず気付く事はないのだ。
車から降りた明月の膝が笑っていた。
車内で踏ん張っていたため、余計な力が入って疲れてしまったせいだ。
一方、曄は普段と変わる事なく、平然と立っている。
慣れているのか? んな訳ゃねぇ。
彼女の揺れに対応するバランス感覚、身体能力、適応力の高さが窺える。
「菊花の運転は堪能致しました?
わたくしは、あまり好みではないのですけれど。
とても優雅とは呼べませんもの」
「嬢様、一言多いよ」
「菊花、貴女も鰀家の陰陽師ならば、もっと大全磁石としていなくてはいけませんわよ。
本当に落ち着きがないんだから」
「それを言うなら泰然自若だよ、おバカ嬢様(笑)」
「き、菊花! 主に向かっておバカとはなんですっ! 言葉を慎みなさい!」
「ハイハイ、ごめんねー。 ついでに国語の勉強もしてねー」
「一言多いのはそっちですわ! 早く車をガレージへ戻しなさい」
「あれぇ、出掛けるんじゃないの? だから玄関で待ってたんでしょ」
「貴女の車では参りませんわ、定芳がおりますもの」
「あっそ、じゃーねー」
「なんですの、その言葉使いは!」
「ハイハイ、かしこまりぃー」
菊花が車を移動させると、替わって定芳がダイムラーを横付けした。
この館のガレージの中を覗いてみたい。
定芳の運転する車に乗って館を後にした一行。
「まったく、しょうのないメイドですわ。
いつもああやって、わたくしを子供扱いするんですのよ」
「嫌いなのか?」
「そんな事はありませんわ、わたくしの護衛役兼修行相手ですもの」
「へえー、意外とすげぇんだな」
「あれでも、陰陽師としてはそこそこですのよ。
お姉様の組の補佐役も務めておりますの。
本来なら組に入っていてもおかしくないのですけれど、自由時間がなくなるからと言って拒否しているんですのよ。
白泰山会鰀家の陰陽師としての自覚がまるでないのですから、困ったものですわ。
まるで、アルバイト感覚なんですもの」
(確かに、あの人は陰陽師と呼ぶには、イメージからかけ離れ過ぎてる気もする・・・)
「それで、澪菜さんも自分の組には入れないのか」
「そうではありませんわ。
組のメンバーは、基本的に同世代の者で構成するのが理想ですの。
生涯続ける事を考え、つまり一生苦楽を共にする事を前提にすれば、必然的にそうなるのですわ。
菊花はわたくしよりお姉様の世代ですもの、わたくしの組には入れませんわ」
(て事は、俺も一生つき合わされんのか・・・)
曄は、黙ったまま明月と澪菜を観察していたが、彼は一向に澪菜の髪について話そうとしない。
折角、菊花が気を利かせて事前に教えてやったというのに、もうその事を忘れてしまっているらしい。
澪菜は全く気にする素振りも見せず、普段通りにしているが、内心は気付いて欲しいと思っているに違いないのだ。
もし、彼が一言でもその事に触れたなら、彼女はどんなにか喜んだ事だろう。
でも、そんな女性心理が分かる程、気の回るような男じゃないんだよ、この明月という男は。
なにせ、自分の寝癖にさえ気付かないような、ばかなんだから。
そう澪菜に言ってやりたいと思った。
「で、どこ行くんだよ」
「枇杷から報告がありましたの。
あのエロアイドルは、間違いなく妖怪と接触していますわ」
「妖怪・・・」
(てか、エロアイドルって、その呼び方ってどうよ・・・)
「ええ、そうですわ。
報告では、自宅の2階の彼女自身の部屋にいる時、窓の外に現れたそうですわ。
サラサラヘアーの超イケメン妖怪が」
「・・・サラサラヘアーって(汗)」
「わたくしは、枇杷の言葉をそのまま言ったまでですわ。
なにもせずに、そのまま消えたそうですけれど。
枇杷の話では、恐らく枇杷の妖気に気付いて、それで何もせずに失せたのではないかとの事ですわ」
「で、どうするんだ」
「妖怪と関わっていると分かった以上、放ってはおけませんわ。
こうなったら直接そのエロアイドルに会って、確認する必要があります」
「なにを?」
「その妖怪との関係を、ですわ」
「関係?」
「枇杷によると、あのエロアイドルは妖怪を見ても、全く怯えたり怖がったりもせず、返って嬉しそうな、喜んでいる
ような風にも感じられたそうですの。
要するに、ただの呪詛や憑依現象ではないのですわ。
ですから、その関係と妖怪の正体を突き止めた上で、対処法を検討するんですのよ」
本物の冰瀧りぼんに会える。
普通の生活では、グラビアアイドルに会う機会など、サイン会や撮影会等々のイベントにでも参加しない限り無理だ。
ましてや、例え事務所を通しても、仕事以外で個人的に直接接触しようとするのは、知人であっても難しい。
明月は、興奮してドキドキしてきた。
(どっかで色紙買えないかな・・・、サイン貰わなきゃ
もしかして、お友達になれっかな・・・、山の上でおにぎり食ったら・・って、これは歌か)
とはいえ、こっちも仕事である以上は、浮ついてばかりもいられない。
りぼんは、妖怪に会って喜んでいた・・・、彼はそれが気になった。
妖怪の姿が見えるという事は、りぼんはそれなりに妖力を持っていると考えていいのか。
一概にそうとは決めつけられないが、恐怖心を抱かない、敵対心がないとなれば、お互いに何かコミュニケーションを
取り合っているというのは十分に考えられる。
妖怪が友達・・・、て訳でもないだろ・・・。
彼女と妖怪との間に、それ程不穏でも緊急性のある危険な兆候もない以上、いきなり訪れて尋ねても、彼女は困惑する
だけだろうし、期待するような答えは返って来ないのではないか。
今まで以上に、頑なに隠そうとする事だって考えられないか。
会えなくなってしまうのは残念だが、こればっかりは仕方がない。
彼は仕事を優先させた。
「もうちょっと、様子を見てからでもいいんじゃねぇか」
「なにをですの? 今は会わない方がいいとでも?」
「俺はそう思う」
「何故ですの?」
「なんて言うか・・、すぐに危険はなさそうだし」
「様子を見ると言っても、もう枇杷は剥がれてますのよ。
もう一度憑かせるのは可能ですけれど、何度やっても結果は変わらないはずですわ」
「他に方法は・・・」
「尾行、張り込み・・・、わたくし達のお仕事ではありませんわね」
りぼんがその妖怪を、どう思っているのかが知りたい。
しかし、枇杷のような妖怪を彼女に取り憑かせたのでは前と同じだ。
妖気に鋭敏に反応出来る人が、彼女の側にいれば・・・。
「そうですわ、一つ方法がありますわ」
澪菜は曄の顔を見て、意味有り気にニタ〜っと笑った。
ゾゾッと悪寒が走る曄。
「な、なによ、なに笑ってんのよ(汗)」
澪菜は、ニコニコしながら携帯を取り出して、どこかへかけ始めた。
そして、曄にとって聞き捨てならない言葉が。
「わたくし、桐屋敷澪菜ですわ。
今からそちらに、グラビアアイドル志望の子を1人連れて行きますので、面倒見て下さいますかしら・・・。
ええ・・・、では、詳しい事は後程」 プチ・・・
「な、何言ってんの、澪菜!
あたしがいつ志願するって言ったのよ! 勝手に決めないでよ!」
慌てて拒否する曄、もちろん、それを素直に聞き入れる澪菜ではない。
「無論ですわ、貴女のような無愛想な人がやっていける仕事ではないはずですもの。
貴女は、あのエロアイドルに密着して、妖怪の事を探るのよ。
そのためには、貴女自身がグラビアアイドルになるのが、最も手軽で有効な手段なのよ」
「イヤよ!、誰がそんな事するもんですか!、あんたがやんなさいよ」
「わたくしが出て行ったら、あのエロアイドルが気落ちして挫折してしまいますわ。
それではあまりに可哀相でしょ」
「自惚れ屋、ナル子」
「やっぱり貴女が最適なのよ、曄。
護衛役も連絡係も兼ねられるし、体もエロエロですものね(笑)。
それとも、他にアイデアでもあるのかしら?」
対案を求められて、曄は小さく唸ってしまった。
何も思いつかなかった。
その表情や仕草が、妙に可愛い。
「う〜・・(汗)。
けど、そんな事やったって、家とか学校までは付いて行けないわよ。
それでいいの?」
「それは致し方ありませんわ。
まずは彼女に接近し、うち解ける事から始めねばならないでしょ。
貴女にそれが出来ますかしら、見ものですわね」
「・・・、出来ない、かも・・・(汗)」
「いずれにしろ、貴女の素性は決して明かしてはいけませんわよ。
せいぜい、アイドルらしく、愛想よくする事ですわ(笑)」
ひ、曄が、グラビアアイドルに・・・。
あの、超絶悶絶級ナイスバディが、再び拝める。
こ、これは、期待せずにはいられない!
その途端、明月の妄想端末が瞬時に起動し、グラフィック・アクセラレーターに通電すると、一挙に脳内ディスプレイ
にドドンと世界遺産の映像が、お宝写真の数々が、曄の愛らしい笑顔共々映し出された。
もうすぐ、それがリアルに・・・。
グラビアアイドルといえば、やっぱりビキニだ!
曄には、超エロエロの極小ブラジルビキニを希望しよう。
サンバカーニバルだ。
それからコスプレだ。
セーラー服も良かった、メイド服は完璧だった。
あとは、ナース、バニーガール・・・、アニキャラってのはアリか・・・。
格ゲー物だけは、是が非でもやってもらわねば、寝覚めが悪くなる。
ここだけの話、曄は、死ぬか生きるか分からないところの誰かさんに、どっか似てるような気がしてたんだよ・・。
裸エプロンは・・・、それは・・・、いつの日か、2人きりの時にでも・・・。
膨らむ妄想と股間、実に判り易い男だ。
芸能事務所へ着いた一行は、岬木に事情を話し、曄をグラビアアイドルの志願者として、スカウトされて来た仮採用者
という事にして、勉強の為と称してりぼんの仕事に随伴させる事にした。
元から曄を超一級の逸材と見ていた岬木は、澪菜の提案に喜んで飛び付いた。
あわよくば、そのまま曄をグラビアの世界へ、などと目論んだのかも知れない。
☆
数日後、
岬木に連れられて、曄はとある撮影スタジオへ行き、そこで実物の冰瀧りぼんと初めて顔を合わせた。
「はじめまして、冰瀧りぼんです。
事情は岬木さんから聞いてます。 よろしくね」
愛想のいい笑顔で右手を差し出すりぼんは、曄より幾らか背が高く、澪菜と同じくらいだろうか。
同じ17歳でも、好感度はあの自惚れ屋ナル子なんかの比ではないな、と思った。
プロが施したメイクのせいだろうか、驚く程可愛い。
普通の女の子なら、こんな時、そのメイクの方法とかに興味をそそられるのだろうが、曄は全く関心を示さない。
自分を飾り立てるとは言い過ぎでも、より女の子らしく見せたいとか、より綺麗になりたいという、思春期の女の子の
極々自然な欲求でさえも眼中にないかに見える。
曄は無表情のまま、りぼんの手を軽く握り返した。
「こ、こちらこそ・・・」
「なにか分からない事があったら、なんでも聞いて下さいね。
私の知ってる事なら教えてあげられるから」
曄は、別に知りたい事は何もなかったが、ここは社会通念上お礼を言うべきだと思った。
「あ、ありがとうございます・・」
そして考えた。
どうして、こんなに屈託のない、素直で愛らしい笑顔が出来るんだろう。
周りは殆ど男ばかり、しかもちゃんと服を着ている中で、彼女は1人だけ、裸同然の小さい水着姿でいるというのに。
恥ずかしいとか思わないのか。
羞恥心はないのか。
例え作り笑いだとしても、ここまで演技出来るものなのか。
グラビアアイドルというのがそういう職業だとは知っていたが、実際目にすると驚かずにはいられない。
まるっきり別の種類の生き物みたいだ。
或いは、こういう事がよっぽど好きなのか、色々な意味で・・・。
撮影が始まると、曄はスタジオを出て控え室へ戻った。
グラビアの仕事には全く興味もないし、スタジオ内のあの独特な雰囲気にも馴染めそうにない。
何よりも、男性のスタッフに取り囲まれて、カメラマンにああだこうだと注文をつけられたり、美辞麗句を並べ立てて
褒められたり、あからさまに煽てられていると分かっていながら、あんな格好で、しかも笑顔で、恥ずかしいポーズを
作り続けるりぼんが見るに忍びなかった。
まるで、彼女が人身御供にされているように映った。
あんな恥ずかしい格好で見せ物にされるなんて、自分にはまず耐えられそうにない。
そうまでして、人から注目されたいと思った事もないし・・・。
控え室で1人、退屈になった曄は、りぼんに纏わり付く妖怪の正体を探ろうと試みるが、彼女のバッグを物色したり、
携帯を覗いてみるような無粋な真似は出来なかった。
曄の、同じ年代の女としての矜恃がそれを許さなかった。
そうしなければ、何の情報も得られないと分かっていても。
この時点で分かった事といえば、りぼんは何の変哲もない、ただの女の子だという事ぐらいか。
妖力等は、彼女からは微塵も感じられなかった。
「お疲れ様でーす」
ドアを開ける音で気が付いた曄は、どうやら椅子に腰掛けたまま、いつの間にかウトウトしてしまっていたらしい。
部屋に入って来たのは、バスローブ姿のりぼんだった。
撮影が終わったようだ。
「どう?、少しは勉強になったかな」
「はあ・・・、ま、まあ・・・」
「今日はもう終わりだから、着替えたら一緒に帰ろ」
「は、はい・・・」
だが、りぼんはすぐには着替えなかった。
彼女は、曄の前のテーブルにあったペットボトルを手に取ると、そのままの姿で椅子に座った。
「この仕事で大事なのはね・・・、自分の立ち位置って言うのかな、しなきゃいけない事、してはいけない事、それに
自分に期待されているのは何なのかをしっかり把握しておく事なのよ。
最初は恥ずかしいかも知れないけど、今言った事が分かっていれば我慢出来るし、段々楽しくなるものなのよ。
だから、そんなに怖がらなくていいのよ。
最初はみんなそうなんだから。
私もね、最初の頃はすんごく恥ずかしくて、緊張してガチガチになったけど、そのうち段々慣れてっていうのかな、
テンションが上がっていくと気持ち良くなって行ってね、楽しくなっちゃった。
注目されてるんだって思うと、段々熱くなるっていうのと、期待に応えなくちゃっていう、責任感も出てくるのよ。
それに、初めてで緊張するのは分かるけど、笑顔は大切よ。
第一印象ってすっごく大事だし、カメラマンやスタッフの人にもいい印象持ってもらわないといけないしね。
だから、そんな顔は絶対に仕事現場では見せない事。
何があっても、ね。
みんな一生懸命頑張ってるんだから、自分がそれを台無しにしちゃいけないのよ。
なんて、新人の私が偉そうに言える立場じゃないんだけどね(笑)。
でもそれって、どんな仕事でも同じようなものだと思うわよ」
りぼんは、曄のつまらなそうな表情が気になっていた。
この世界でやって行く為には、例えプライベートで何があろうと、現場では決してそれを顔に出してはいけない。
初日からこれでは、いや初日だからこそ、それだけはビシッと肝に銘じておいて欲しい、そう考えていた。
本来なら、マネージャーや事務所の人が事前に徹底的に教え込むところだが、仮採用という中途半端な立場にいる彼女
は、まだそれを教えられていないのだ。
もっとも、それすら分かっていないようでは、その時点で既に落第は決定しているようなものだろう。
現場で我を出せるのは、確かな人気と実力を得た人にのみ許される事であって、ポッと出の新人がいきなりそんな事を
したら一発で干されてしまう。
自分はそう教えられたし、事実、実際の社会はそんなに寛容ではない。
それが理由で、この世界を去った先輩がいた事を知っている。
折角、この仕事に興味を持って、やりたいと思ったのならば、少しでも早くそれに気付けないと、彼女もまた、冷たい
現実を突きつけられるという憂き目に遭う事になる。
ただ、この曄という女の子の可愛さにはびっくりする。
すっぴんでこれだけ可愛いのだから、スカウトの目に留まるのも当然か。
デビュー前からお姫様キャラって、ありなの?
「それから、遅刻とドタキャンは絶対厳禁よ、当然だけど。
学校とは違うんだから・・・、なんて言うのかな、大人の世界?、甘えやわがままは通用しないのよ」
他方、曄の心境は大いに悩ましかった。
なんでこの子は、初対面の自分に対して、こんなに丁寧に、優しく、色々気を遣って親切にしてくれるんだろう。
あたしに何を期待しているんだ。
何か、得する事でもあるんだろうか。
それとも、これがこの世界の流儀なの?
あたしは、こんな仕事する気なんかこれっぽっちもないのに・・・。
それに、この顔は生まれつきだ。
愛想笑いなんか、頼まれてもしたくない。
なのに・・・・。
殆ど他人から親切にされた経験のない彼女は、次第に、りぼんを欺いている事が居た堪れなくなってきた。
彼女の性格からして、嘘をつき通すなど到底許し難い、正義に悖る行為だった。
それとも、りぼんの無償の親切心を、自分を利用しようとしていると当て推量してしまったのを悔いているのか。
そしてとうとう、澪菜の戒めを忘れて本音を口にしてしまう。
「あたしは、回りくどい事とか、まどろっこしい事すんの嫌いだから、はっきり言うわ。
あなた、妖怪に取り憑かれてるでしょ」
「ええ!?、よ、妖怪?(汗)」
りぼんの顔色が一変した。
「そうよ、覚えがあるはずだわ。 知ってるのよ、あたし。
夜な夜な、あなたの部屋を訪れる妖怪がいる事」
「あ、あなた一体・・・(汗)」
「あたしは殄魔師、その妖怪を殺しに来たのよ」
「殄魔師・・・って何?
殺す・・って、ちょっと待って、あなた何言ってるの?(汗)」
「妖怪を殺すの、それがあたしの仕事、殄魔師の仕事なのよ。
ここへ来たのは、あなたに取り憑いてる妖怪を殺す為。
あなたの仕事に興味なんかないわ」
「そ、そんな・・・、じゃあ、仮採用とか、現場見学とかって・・・」
「全部ウソよ。
見りゃ分かるでしょ。
あたしみたいのが、あなたと同じように出来る訳ないじゃない」
「・・・、騙してたの?」
「そうよ。
でも、あなたの為よ。
教えなさい、あなたに近付く妖怪の事。
知ってんでしょ」
「岬木さんは、知ってるの?」
「さあ、あたしはなにも言ってないわよ」
りぼんはかなり強い衝撃を受け、混乱し、落胆しているのがその表情からはっきりと見て取れた。
騙されていた。
折角、可愛い後輩が出来たと思って喜んでいたのに・・・。
視線を落とし、少しばかり声を震わせながら、小さく言った。
「い、嫌です・・・、教えません・・・。
教えられない、あなたのような人には・・・」
「なんで?、どうしてよ。
このまま放っといたら、あなただって殺されるかも知れないのよ」
「そんな事有り得ない!、絶対に!
それに・・・、あの人は妖怪なんかじゃないわ」
「じゃあ、なんなのよ」
「よ・・・、よ、妖精さん、かな?(汗)」
「んな訳あるかっ!」
「だって・・・、あの人は、私を助けてくれた・・・、勇気をくれた人だもの。
悪い事したり、殺したりなんか絶対にしないわ」
「なにを根拠に言ってんのよ、さっぱり分かんないわ」
りぼんは、意を決してその妖精さん(?)との馴れ初めを話し始めた。
「私は、自分が嫌いだった。
地味で、臆病で、引っ込み思案で、人見知りで、あがり症で、マイナス思考で消極的な自分が。
だから、いつも1人だった、孤独だったの。
学校でも、クラスメイトの子と話すのは日常会話程度、それもほんの少し。
初恋も、一言も話せないまま終わったわ。
バレンタインのチョコも渡せないまま。
すごく悲しかった。
無性に悔しくて、自分が嫌で嫌で堪らなくなった。
誰のせいでもない、自分に勇気がなかっただけだもの。
中には、そんな私を気遣って、声を掛けてくれた人もいたかも知れない。
でも私は、その人達でさえも拒絶してしまっていた。
人から責められるみたいで怖かったの。
その人は親切で言ってくれたのかも知れないけど、私には攻撃されてるようにしか聞こえなくて・・・。
家族でさえも・・・。
変えたかった。
こんな自分の性格を変えたいと思ったの。
でも、どうしたらいいのか分からなかった・・・。
その時はもう、私に話しかれてくれる人なんて、誰もいなくなっていたから。
私は、そんな時、悩み事や嫌な事や辛い事があった時、いつも家の近くの河川敷を散歩したの、夜中に。
誰もいない河川敷を、月や星を見ながら1人で歩くの。
なんにもしないで、ただ歩く。
ブラブラと・・・、30分とか、1時間とか。
そして、月にお願いしたの・・・、自分を変えたいって。
そしたらある日、どこからともなく、あの人が現れたのよ。
最初はすごく怖かった。
初めて会った時は逃げて帰ったわ、幽霊だと思ったんだもの。
それから何度か出会うようになって、そのうち話しかけてくれるようにもなった。
それでも私は、何も言えなかった。
悪い人じゃないなって分かったけど、何を話せばいいのか分からないから、私はただ草の上に黙って座っているだけ
だった。
そしたら彼も私の横に座って、ただ黙って星を見ていた。
私は、オロオロするだけだった。
男の人と2人だけで並んで座っているという、緊張感に耐えられなくなる。
気持ちばっかり焦って、ドキドキして、何か話さなければと思っても何も言葉が出て来ない。
その時、彼はこう言ったの、「無理に話なんかしなくていいよ」って。
「話す事がないなら話さなくていいんだよ。 話したいと思った時だけ話せばいい」って。
その言葉を聞いたら、なんだかすごく気が楽になって・・・。
それから少しずつ話せるようになって、世間話とか、学校の話とか。
そしていつの間にか、悩み事とかも相談するようになっていた・・・、誰にも言えないような事まで。
彼は、いつもニコニコ笑って、なんでも答えてくれた。
どんな些細な、つまらない事でも。
そしていつも、私を勇気づけてくれた。
元気をくれた。
私が今、こうしていられるのも、スカウトされたのも、人前で笑っていられるのも、全部あの人のおかげなのよ。
人を傷つけるなんて、そんな事絶対にしないわ」
「なんで、そんな事が言い切れるの?
分かんないじゃない、本当に考えてる事なんか」
「分かるの・・・、私には分かるの」
この言い方、この表情・・・、まさか・・・、この子、妖怪に恋してる?
有り得ない。
妖怪に恋するなんて、そんな事考えられない。
それに気付いた時、曄は、軽く鈍器で頭を殴られたくらいのショックを受けた。
「あんたバカ?
この世で、一体どれだけの人が妖怪に呪われ、祟られ、苦しめられ、殺されたと思ってんの。
人の常識が通用する相手じゃないのよ。
妖怪の言う事を信じるなんて、バカでなければ命知らずか自殺志願者のする事よ。
どんなイケメンに化けたか知らないけど、見た目で騙されるなんて大バカよ。
お人好しにも程があるわ。
動物の方がよっぽどマシよ、本能で危険を感じるもの」
りぼんの表情は複雑だった。
動物以下だと貶されたのが気に障ったか。
怒っているようで、戸惑っているようで、悔しそうで、悲しそうで、泣き出しそうだった。
彼女もまた、ショックを受けていた。
「着替えるから、出てって」
彼女は、視線を下へ向けたまま吐き捨てるように言った。
曄は無言で、静かに部屋を出た。
以降、2人は言葉を交わさなくなった。
妖怪に心を開く人間がいるとは、曄には到底信じられない事だったし、受け容れられない事だった。
彼女にとって妖怪とは、仇なすもの、忌むべきもの、滅すべきもの、鏖すべきものなのだ。
これは、聖護院家の家訓のようなものだが、幼い頃からそう教えられ、当たり前のようにそう考え、当たり前のように
そう対処して来た。
嫌い、憎み、恨みこそすれ、親しみの感情を抱くなど決してあってはならない事だった。
虫嫌いの人が、その虫を平気な顔して素手で扱う昆虫学者に対して抱く感情に似ていると言えば、一般の人にも理解し
易いのかも知れないが、それに準えるならば、彼女はその虫を絶滅させるべく活動し、心血を注いでいる。
事務所へ帰る車の中でも、曄とりぼんは視線を合わせる事もなく、一言も話をしなかった。
お互いに、それぞれ反対側の窓の外を眺めている。
運転していた岬木は、今後のりぼんのスケジュールを話したり、曄に感想を聞いてみたりして場を和ませようとするが
梨の礫、何の反応も返って来ない。
2人の間に何があったか知らない彼は、心配そうな顔つきで、ただ2人の様子を窺うだけだった。
事務所で岬木達と別れた曄は、そこで待っていた澪菜と共に帰宅した。
その車中、曄がりぼんと対立した事を知って、澪菜は憤慨した。
「貴女、話してしまったんですの?、自分の事。
あれ程口止めしたじゃないの、それをいきなり初日でバラしちゃうなんて、呆れて物も言えないわ!
ホント、ダメダメ。
アホですわ」
「だからゴメンって言ってるじゃない。 何度も言わせないで(汗)。
ムチャ振りしたあんたが悪いのよ」
「これでは全てが水の泡ですわ、また最初からやり直しね。
でも、同じ手は二度と使えない、八方塞がりですわ。
まったく・・・、役立たずにも程があるというものだわ。
帰ったらお仕置きですわよ、覚悟なさいね」
「ウ〜・・・(汗)」
曄が本当に澪菜にお仕置きされたかどうか・・・・、以下自粛。
☆
その2日後、事態が動く。
夜、家の自室にいた明月の携帯が鳴った。
(あ、澪菜さんだ なんだ今時分・・・) ピッ
「もしもし、明月ですの?
大変ですわ!、あのエロアイドルが失踪しましたわ!」
「な、なに!?、失踪?」
「すぐに捜索のお手伝いをして頂きたいんですの。
車を向かわせましたので、お願い出来ますかしら」
「わ、分かった、すぐ支度する」
「なんだ、出掛けるのか」
パンツ一丁だった明月がTシャツを着始めると、モモンガのぬいぐるみが声を掛けて来た。
前回、拾ったぬいぐるみに取り憑いた黒い影の妖怪は、うやむやの内に、ちゃっかり彼の部屋に居候を決め込んでいた
のだった。
初めは鬱陶しがっていた明月も、妖怪は特に悪さをするでもないし、気を吸って生きる為、食べ物を与える必要もない
ので、自然とほったらかしにしてそのまま住まわせていた。
「あの娘の所に夜這いに行くのだな、ワシも連れてけ」
「アホ!、んな事すっか! てめぇは大人しく寝てろ、勝手に動き回るんじゃねーぞ」
「ちっ、つまらん奴め」
妖怪も、余程居心地がいいのか、殊の外素直に従っていた。
明月が着替え終わる頃、寺の門前に一台の車が停まる音がした。 キキッ
(は、早っ)
外へ出た彼が見たものは、黒のベンツ・Sクラスと・・・、菊花(汗)。
「ハイ、お待たせ、王子様。
ごめんねー、こんな時間に。 嬢様のわがままにつき合ってね」
「どうでもいいすけど、その変な呼び方止めて下さいよ・・・、カエルじゃないんすから(汗)」
「え〜?、だめ?
けっこういいと思ったんだけどなぁ・・・(笑)。
じゃあ、アッキーにしよう」
「・・・(汗)」
(まあ・・、王子様よりかはマシか・・・)
明月を乗せて車を出すやいなや、菊花が話しかけてきた。
「ホント、ごめんねー。 人使い荒くって、あのオッパイ嬢様」
「別にいいっすよ、仕事なんすから」
「でも、まだ正式じゃないんでしょ?」
「はぁ、まぁ・・、そりゃそうなんすけど」
(ていうか、入るとも言ってねーし)
「ねぇ、アッキーは嬢様好き?」
「な、なんすか、いきなり・・(汗)」
「フフン、そうだよねー、自分勝手だもんねー」
(なんも言ってねって(汗))
「でも、あたしは好きだよ。
てか、澪菜班のメイドはみんな好きなんだよ。
わがままで気分屋で負けず嫌いだけど、どっか憎めないんだよねー・・・、あのおバカ加減とか(笑)。
時々、間の抜けたっていうか、子供じみた事やって、放っとけないんだよね。
ブッキーなんかモロお嬢萌えでさぁ、本当は総本山で仕事するはずだったのに、わざわざ嬢様付きに変えてって志願
したくらいなんだよ。
一緒に風呂入んの楽しみにしちゃってたりね。
嬢様のパンツ見た事ある?、あれ全部ブッキー見立てなんだよ。
意外と可愛いとこあるっしょ。
ああ見えて結構、人に気を遣ったりとかもするしね。
なんせ、お姉ちゃんがしっかり者だから。
普段はあんなでも、朝絵ちゃんの前だと豹変するんだよ。
まるで、借りてきたネコみたいでさー、オドオドしちゃって、かと思ったら急に甘えてみたり。
そのギャップが面白くてね、いっぺん見せてあげたいわ」
(れ、澪菜さんのイメージが・・・、でも、なんか、見てみたい・・・)
菊花が唐突に澪菜の事を話し始めたのは、きっと、自分に澪菜を嫌わないで欲しいと思ったからに違いない、と明月は
解釈した。
いかにも彼女っぽい茶化した言い方の端々に、澪菜を慕うニュアンスが感じ取られた。
この菊花という人は、一見あっけらかんとした不作法者に見えるが、しっかりと澪菜の事をフォローしたりして、案外
細やかな神経の持ち主なのかも知れない。
それにしても、澪菜はあれで、館の中では思いの外人気者なんだな。
明月の目には、強引で気の強いわがままお姉さんに見える彼女も、年上のメイド達にしてみれば、ちょっと手の焼ける
妹ぐらいに思われて、可愛がられているのだ。
菊花のおかげで、澪菜の別な一面を見たような気がして、以前よりも親しみを感じたのはいいとしても、今すべきは、
あの時あのまま流れに任せて彼女と一線を越えていれば・・・、などと後悔する事ではない。
失踪したりぼんを探さねばならないのだ。
「しかし、なんでまた、いきなり失踪なんか・・・」
「あぁ、なんでも、事務所が海外ロケの日程を決めたのがどうたらこうたらって、嬢様言ってたよ」
つまりは、海外行きに消極的なりぼんの意向を無視して、ロケの強行を決定したという事か。
夏休み中のロケとなれば、様々な準備やロケ地の確保、ホテルのブッキング等、もうギリギリのタイミングだろうし、
致し方ないのは分からないでもないが。
それで、りぼんは失踪という強硬手段に出たという訳か。
でも一体どこへ行ったんだ。
「そうだ、曄ちゃんは?」
「あ、彼女ちゃん?
あたしはなんにも聞いてないよ、嬢様からはアッキーを迎えに行けって言われただけだから」
(澪菜さんは曄の番号を知らないはずだ・・・、曄ならりぼんがどこへ行ったか見当が付けられるかも)
「じゃあ曄ちゃん家へ行って下さい、場所教えます」
「へえ〜、彼女ってのは否定しないんだ(笑)」
「あ・・・(汗)」
(気付かなかった・・・)
マンションへ着くと、曄がいつもの竹光を携えて車に乗り込んで来た。
(なして竹光?)
どうやら彼女は、りぼんが妖怪と行動を共にしていると想定し、見つけ次第その妖怪に引導を渡してやろうと考えての
事らしい。
それよりなにより、この時、明月は初めて曄の私服姿を目にした。
明るいグレーの半袖パーカーワンピースに、白いハイカットスニーカーで、やっぱ生脚。
シンプルと言えばシンプルだが、ちょっとタイトめのデザインのせいか、妙にそそる・・・、スカート穿いてねぇし。
そのパーカーのジッパー開けたら中はどうなってんだ!
猛烈に見たいぞっ!
そんな妄想パワー全開の明月に、菊花が声をかける。
「で、ここからどこ行けばいいの?、アッキー」
「曄ちゃん、どっか心当たりとかないか、あの子がどこ行ったか」
「なんであたしがそんな事・・・・、あ、一つあるかも」
「どこ?」
「実家の近くの河川敷」
「実家って言ったら、真っ先に連絡行ってるはずだし、もうみんな探してんじゃねぇの?」
「だって、そこしか知らないもん」
「とにかく、手懸かりがあるんなら行ってみましょ。 アッキーは嬢様に電話して実家の住所聞いて、飛ばすわよ」
菊花の運転は、この前よりも激しかった。
夜のドライブはスピード感が鈍ると言うが、彼女の運転は確実に、昼間の時よりアクセルを踏み込んでいる。
曲がり角やカーブの度に後輪が悲鳴を上げ、明月と曄の体は、シートに横倒しになるまで強く押し付けられた。
窓の外の夜景を見る暇もない。
酔う前に気を失いそうだ。
こんな過激な運転すんなら、サベルトでもシュロスでもタカタでもアレクソンズでも、4点式か5点式のシートベルト
くらい付けとけ。
菊花は、舌なめずりをしながらもその目は真剣で、絶妙なハンドル捌きで、見事に暴れる車を駆って行く。
☆
問題の河川敷に到着したのは、日付の変わる少し前だった。
川は、水量は然程多くはないが、こちら側の護岸堤防から対岸の堤防までは優に200m以上はある。
河川敷は、一部に整備された公園や散策道、球技場等があるものの、多くは雑木や雑草で埋め尽くされていた。
その堤防の上の舗装路を、川の方へ目を凝らしながら、上流へ向かってゆっくり進むベンツ。
「真っ暗だよ、なんも見えやしない」
ハンドルの上から身を乗り出すように外を見る菊花の呟きが、無言で静かな車内ではっきり聞こえた。
見えているのは、満天の星空と、月明かりにキラキラ輝く川の水面だけだった。
どのくらい進んだだろう、すれ違った車はたった2台。
目を転じれば、町は遠く過ぎて家も疎らになり、逆に遠くに見えていた山々が大きく川に迫り出してきていた。
人の姿など何処にもない。
聞こえてくるのは、虫とカエルの鳴き声だけ。
「いた・・・」
「どこ?」
「いや、姿は見えない」
明月が感じたのは微かな妖気だった。
菊花は車を停め、外に出て気配を探る。
「あー、そう言われればそんな気がする。
あたしでも言われなきゃ分かんないよ、すごいねーアッキー」
曄にはまだ感じられない。
「どっちなの?」
「もっと上流の方だな」
3人は、妖気を追って暗い夜道を歩いて、りぼんの姿を探した。
頼りはその微かな妖気と、夜空に光る半月だけだった。
暫く行くと、緩い斜面の暗い草むらの中に、2つの人影らしきものが見えた。
やっと見つけた。
恐らく、りぼんと妖怪に間違いない。
爽やかな夜風に吹かれて、草の上に並んで腰を下ろし、肩を寄せ合う2人。
見様によっては、仲睦まじい恋人同士に見えなくもない光景。
すると、そんな事はお構いなしに、曄が竹光を手にズカズカと、無造作に雑草を掻き分け近付いて行く。
まったく、節操がないというか、気が利かないというか、もうちょっと違う接近の仕方とか出来ないものか。
こっそり忍び寄って、出歯亀と誤解されてしまうのも本意ではないが、殊、妖怪の事となると、他人の感情や情緒など
全く意に介さなくなるのが、彼女の短所というか欠点だろう。
案の定、すぐにりぼんに気付かれた。
りぼんは、人の接近を察し、それが曄だと気が付くと、妖怪の男にしがみついて声を張り上げた。
「来ないで!(汗)」
「離れなさい! そいつは妖怪よ、妖精なんかじゃないのよ!」
「いや! 離れない!
もう私の事は放っといて!」
こうもしっかりと抱き付かれてしまっては、さすがに問答無用で妖怪に斬り掛かる訳には行かない。
確かに、ビジュアル系のサラサラヘアーだわ・・・。
「まだ分かんないの! 殺されるわよ!」
「帰って!、もう来ないで!」
曄は、竹光を構え、妖怪の動向に警戒しながら、ジリジリと間を詰めて行った。
ここで、妖怪がその凶暴な本性を剥き出してりぼんを襲ったら、その時は迷う事なく、一気に竹光を打ち込む心構えは
出来ている。
「そうはいかないわ、仕事だもの、あたしのね。
そしてあなたは仕事を失う。
男がいたら別れさせるって、マネージャーが言ってたわ。
契約の時には男なんかいないって言ったんでしょ、どうやって説明すんの」
「違う。
この人はそんなんじゃない、私の心の支えなの。
恋愛とか、そういうのとは違うのよ」
「それで誰が納得すると思ってんの」
「仕事なんか辞めても構わない。
誰にも理解されなかった私を、この人だけが理解してくれた。
心配してくれた・・・。
今の仕事も、初めから興味があった訳じゃないけど、この人が勇気をくれて、背中を押してくれたからやってみよう
と思ったの。
そして、やっと自分の居場所を見つけられた、ような気がした。
落ち込んだ時も、挫けそうな時も、いつも励ましてくれた。
だから私は、この人と離れたくない。
ずっと近くに居て欲しい・・・、ずっと・・・」
りぼんの目からは、涙が溢れて出していた。
曄はハッとさせられた。
人から理解されない事の苦しみ、悲しみ、そこから来る孤独感、やるせない孤立感、疎外感は、彼女自身も嫌という程
味わって来た。
妖怪の姿が見え、感じ、それを相手に退治、抹殺する為に技を磨く、そんな特殊な力を持って生まれ、特殊な環境下で
育った彼女を、普通の感性しか持ち得ない一般の人達が理解出来ようはずもなく、彼女は家の外では常に1人であり、
孤独であった。
自分はここにいるのに、他の人には自分の存在すら見えていないのではないか、と思ってしまう事さえあった。
横断歩道を歩いている時、自分の姿が周りから見えないから、車がそのまま突っ込んで来るかも知れない、などという
不安に陥った経験のある人は、あまりいないだろう。
人というのは、皆、誰かしら他人と接しながら生きている。
家族だったり、学校や会社だったり、ありとあらゆる場所で、他人と接触を持ちながら生活している。
その中で、周りの人から自分の事が理解されない、誰にも助けてもらえないという辛さは、経験者にしか分からない。
曄は、それを身を以て経験していた。
そのため、りぼんの言葉が余計に深く、身に染みて感じられた。
彼女の気持ちが痛い程分かった。
りぼんにとって唯一の理解者が妖怪だったというのは、何かの皮肉か、誰かさんへの当て付けのようにも見える。
曄はその場に佇んだまま、返す言葉を失ってしまった。
感情が激しく揺らいでいた。
曄の少し後ろで話を聞いていた明月と菊花。
「なに言ってんの?、あの子。 けっこう甘ちゃんな事言ってるわね。
理解ってのは、されるもんじゃなくて、させるもんなのにね」
菊花という人の性格を、端的に表現した言葉だと思った。
「それに・・・、あの子の病気は医者でも治せないよ、きっと」
(病気?、りぼんは病気なのか?)
彼女はそう呟くと、それ以降は口を出そうとはしなかった。
りぼんに対して、言ってやりたい事は幾つもありそうな感じだったが、自分が横からしゃしゃり出て行って、話を一層
ややこしくするべきではない事くらいは承知している。
陰陽師としてそこそこの腕前だと聞くが、その手腕を発揮する気もなさげだ。
明月は、静かに曄に近付いた。
「もういいんじゃね?
放っといてやろう、別に害はねぇだろ」
「で、でも・・、あれは妖怪・・・」
「だから言ったろ、妖怪にだっていい奴はいるんだって。
無理して殺す事もねぇって」
「・・・・」
明月は、曄が戸惑っている、躊躇っている事に気付いていた。
彼もまた、周りから理解されない経験者の1人だったが、曄やりぼんとは些か違っていた。
「他人の事を完全に理解出来る人なんて、そうそういるもんじゃねぇよ。
そんな奴は放っとけばいい。
そうすれば、寂しい思いもしないで済む」
明月が以前、人付き合いが苦手だと言っていたのには、そんな理由もあったのか。
来る者は拒まずとも歓迎せず、されど、去る者は追わず。
心の扉は閉まっている、が、決して鍵が掛かっている訳ではない。
開けたい者は開ければいい、ただし、入室を許可するかどうかは俺次第。
マイペースが彼のスタンスだった。
物凄く希薄で、無味乾燥としたドライな対人関係だが、それが彼の処世術なのだろう。
全てを拒絶して、門戸を鎖してしまう自分とは少し違う・・・、そう曄は思った。
ただし、彼の生き方は、集団の中で孤立しても取り込まれても、自分を見失わない強靱な意志と精神力を必要とする。
その源はなに?
考え込む彼女に、彼はこう付け加えた。
「自分が他人と違うと感じるなら、むしろそれを誇りに思え。
自分で自分を否定するな。
自己否定は開かれるべき道を滅失せしむ・・・、とかなんとか」
「なにそれ?」
「親父の台詞。 ガキん時聞かされた」
「・・・あたしに説教してんの?」
「い、いや、なんとなく思い出しただけ(汗)」
「余計なお世話だわ。
そいいう事は、あの子に言ってやりなさいよ」
彼女に、いつもの口調と落ち着きが戻った。
それでも、心の迷いが払拭された訳ではなかった。
あの妖怪がいい奴なのかどうか、曄には判断出来ない。
良いと悪いを区別する判断基準そのものが、彼女の中には存在しないのだ。
ただ、明月の言葉のおかげで、彼女が上げかけた拳を収めるきっかけは出来た。
すぐに納得は出来そうにないが、ここで妖怪を殺して、りぼんを悲しませるような事もしたくはなかった。
今まで沢山、辛い苦しみを味わってきたりぼんの経験に、自分の手で新たな1ページを加えるのだけは御免被りたい。
彼女は、静かにゆっくりと、竹光を下ろした。
りぼんは、イケメン妖怪の腕に抱かれ、その胸にしがみついて泣いていた。
初め、どういう事なのか訳も分からずに、ただ驚いて曄の威嚇にオドオドしていたその妖怪は、曄が攻撃態勢を解いた
のを見て胸を撫で下ろし、りぼんに仔細を聞いてようやく事の成り行きを理解した。
そして、優しい声で穏やかに、諭すようにりぼんに囁いた。
「そうか、僕の存在が、そんなに君を苦しませていたなんて・・・。
僕はただ、君の力になりたかっただけなのに。
淋しそうな君を・・・、君が本来持っている自分自身の魅力に気付いて欲しかっただけなんだ」
「違う、あなたは悪くない・・・、あなたは・・・(泣)」
「どうして話してくれなかったの、僕はどこへも行きはしないよ。
いつでも、どこでも、君を見守っているよ。
僕は、月に住んでいるのだから」
(なに言ってんだこの妖怪、宇宙人か)
「僕に会いたくなったらここへおいで。
僕は、いつでもここで、君が来てくれるのを待っているさ」
明月は、もうこの件はここで終わりにしようと思った。
素性の知れない妖怪ではあるが、悪さをするようなところも見えないし、りぼんに何らかの被害がある訳でもない。
このままでも特に問題はなさそうだし、何よりりぼんにとってはその方が望ましいはずだ。
彼は、自分の横で2人の様子を見ている曄に声をかけた。
「帰ろ」
「で、でも・・、いいのかな、やっぱり・・・」
未だ葛藤しているのがよく分かった。
揺蕩う彼女の頭に、軽くポンと手を乗せた。
これは、ある意味チャレンジだった。
これまでの彼女であれば、そんな事しようものなら、即座に思いっきりその手を払い除けられて、反抗的な強い目つき
で睨み返されていただろう。
どんな悪態をつかれるか、分かったものではない。
それでも、少しは自分の意見に耳を傾けて欲しい、との思いだった。
ところが、この時の明月を見る彼女の目は、それまでとは違っていた。
彼女は一瞬ビクッとして、驚いたような、でも嬉しそうな、今まで見た事もない複雑な、どことなく子供っぽい表情を
見せた。
「そっとしといてやろう。 今はそれが一番だと思うよ」
「う、うん・・・。 分かった」
(す、素直だ・・・、嬉しい)
いつもこんなだったら、さぞや可愛らしいのに・・・。
振り返って道の方へ戻ろうとすると、その道の上に澪菜が、運転手の定芳とメイドの寿を伴って立っていた。
菊花もそこにいた。
「どういう事ですの、明月。 菊花に聞きましたけれど、さっぱり分かりませんわ」
「いいんだ。 今のところは放っといても問題ないよ。
どうやら、あの子の病気は、あのサラサラヘアーにしか治せないらしい」
「病気、ですの?」
「そういう事だよ、嬢様。 草津どころか、有馬行っても別府行っても、湯布院行っても無駄なんだよ(笑)」
「はぁ?」
帰りの車の中で、明月に事情を聞いた澪菜の反応は冷ややかだった。
「要するに、あの子が海外に行きたくない理由とは、あの妖怪と離れたくないと、そういう事だったんですのね」
「そうらしい」
「バカバカしい、呆れて物も言えませんわ。
やっぱり、他人の色恋沙汰を聞く事程、つまらないものはありませんわね。
そんなのを聞くぐらいなら、歴史の教科書を読んでいる方がよっぽどましですわ。
貴重な時間を、無駄に費やしてしまいましたわ」
(あんたは歴史より国語の教科書を読め)
それにしても、結局、あの妖怪がなぜりぼんに接触したのか、何が目的だったのか、分からず終いになってしまった。
もしかすると、あいつもりぼんに好意を持っていた、恋してしまったのかも知れない。
人間と妖怪の恋愛。
昔話には時々出てくるが、実際起こり得るもんなんだな・・・。
その後、澪菜の元へ入った連絡によると、冰瀧りぼんは会社や両親と話し合った結果、高校卒業を以て事務所を辞め、
グラビアの世界から引退する事を決断したそうだ。
事務所としても、妖怪と懇意にするタレントなんて、知ってしまった以上は扱いに困るだけだろうし、その才能と素質
を以てしても、続けていく事に無理が生じる可能性が高く、手放してしまわざるを得なかったという事なのだろう。
それで良かったのだろうか。
明月達が、りぼんの人生を変えてしまった。
そう思うと、幾らか後ろめたい気持ちにもなる。
しかし、決めたのはりぼん自身だし、今更元へ戻す事も不可能なのは分かっている。
後は、彼女が幸せに、後悔などしないように生きてくれる事を、願うしかない。
今はそれより、間近に迫った期末試験の事の方が、ずっと重要だった。
他人にかまけている余裕はないというのが、明月の偽らざる正直な気持ちだった。
(くっそー、サインもらい損ねたぁ・・・)
勉強しろ!
第7話 了