織物工場の鶴
私は致命的な方向音痴だ。
此処はいったい何処なのだろう。
今日は小学校の社会科見学で織物工場に来ていたのだが。
「織機は、縦糸の『開口』横糸の『横入れ』『筬打ち』の三つの動きで布を織ります。我が社の織機は最新型のエアジェット織機で……」
工場長の話を担任の先生やクラスの皆と一緒に聞きながらメモを取っていた。一分間に千回以上の超高速で空気を噴射して、よこ糸を飛ばし、目にも止まらない速さで布がドンドン織られていく。その様子が面白くて、見入ってしまった。気が付いたら、自分の周りに誰もいない。声を掛けられたかもしれないが、織機の稼働音が大きくて聞こえなかった。呼んでも聞こえず、フルオートメーション化された広い工場内に人影は見えない。
私は仕方なく大きな音を立てて並ぶ織機の間を歩き始めた。途中でトイレに行きたくなって、クラスの皆ではなく、トイレを探し始めた辺りから、方向音痴スキルを発揮し始めた。
トイレはきっと奥まった所だと、勝手に考え、ずんずん奥の方に進んでいくと、小さな出入り口が見えた。多分、社員用の通用口じゃないのかな。私はそのドアを開け、更に進む。通路は段々細くなり、暗くなっていく。表の工場は、あんなに広く明るかったのに。この先は倉庫なのかな。
通路の壁も、何だか変わった。壁材ではなく、岩肌だ。私は立ち止まり振り返る。まるで、以前テレビで見た炭鉱の坑道のようだ。随分奥に来たなと思った時、突然広い場所に出た。
図鑑で見た鍾乳洞の大空間に似ている。上を見上げると、首が痛くなるくらい高い。
一対の石灯籠の灯に照らされているのは、四隅に立てられた斎竹と、それに張られた紙垂の付いた注連縄。結界の中には古い木造のお堂のような建物。絶対、トイレじゃない。道を間違えたと、踵を返そうとしたとき、微かな女性の声が聴こえた。
「……助けて」
「ここから、出して……」
私は息が止まるくらい驚いた。
これって……やばいんじゃ? とんでもない所に来ちゃった。心臓がバクバクして息が荒くなる。
「……誰か、いるの?」
女性の声が問いかけた。
「……あ、はい」
と言ってから、何で返事をしたのかと自分を責める。知らん顔して、来た道を戻れば良かった。私のバカ。
「助けて欲しいの」
「わ、私、小学生で、何もできないです」
「いいえ、大丈夫。ちょっと、そこの注連縄を切ってくれればいいの」
「切るって言ったって、私、鋏を持っていない」と言いかけて思い出す。工場に着いた時に、工場長がクラス全員に記念品をくれたのだ。
私は、手提げバッグの中を探り、織物メーカー『YOHYO』の名入りソーイングセットを取り出した。ソーイングセットなら、鋏が入っているはず。あった。小さな鋏だが、無いよりまし。
「ここを切ればいいのですね?」
「ええ、お願い」
切ろうとして手が止まる。もしかして、私に話し掛けているのは、悪いもので、私が結界を解くことで、とんでもない事が起きるのではないか。この間、そんな漫画を読んだ。
「あの、ちょっと訊いていいですか? あなたは、誰で、どうして、そこに閉じ込められているのですか」
女性は、ぽつりぽつりと語り始めた。
「もう、百年位前のことよ。創始者の男は会社が立ち行かなくなって、橋の欄干から飛び降りようとしていた。たまたま通りかかった私が助けたの。特殊な布を織り、それを売ったお金で会社を再興するように言った。会社は持ち直したけれど、その後が最悪ね。欲を出した男は、私を閉じ込め、特殊な布を織らせた。量産する為に、工場中の織機に念を送れと言ったの。それからずっと、此処に……」
「……何てひどい! 分かった。切ります!」
注連縄を切ると、古いお堂の扉が開いた。中から眩い白い光が溢れ、光の中から、白い着物を着た美しい女性が現れた。
「ありがとう。長い間、無理に織らされていたの」
彼女は小さく微笑むと、工場の見取り図のようなものを指で空中に描いて見せてくれた。
「トイレはそっち。表に出る道も教えてあげるわ」
女性にトイレの位置を教えてもらった私は、無事トイレを済ませ、工場の入り口で待機していた担任やクラスの皆と合流した。
「川上、一体どこへ行っていたんだ。急にいなくなるから、皆心配したんだ。工場の人達にも迷惑をかけたんだぞ!」
「ツルさんを助けていました」
先生をはじめ皆が、何言ってんだコイツというような顔をしたが、私は善いことをしたのだから胸を張る。
数日後、朝のニュースが、織物メーカー『YOHYO』の工場が稼働不能になったことを伝えた。
「ここ、社会科見学に行った所じゃない!」と驚くお母さんの横で、私はテレビの画面をじっと見つめていた。
ツルさんを閉じ込めて、無理に機織りをさせ、他では作れない特殊な布を「売り」にしていた。あのツルさんは織物の神様だったんだよ。
だから、布が織れなくなったのは、当然のことだよね。 了




