氷の貴公子は、今日も打たれ弱い。
「今日も麗しいわ…、エルネスト様」
「宰相補佐官なんて、若いのに有望よねぇ」
「一度でいいから、氷の貴公子様に微笑まれてみたいわぁ」
「あら、あの方は無表情だから素敵なのよ」
「そうよ、どうせならあの鋭い目つきで睨んで欲しいものだわ」
「やだ、もう。願望が過ぎますよ」
夜会でそんな声を耳にしながら、顔には出さずに「あーあ」と同情してしまった。
エルネストにそんな意図ないだろうに。
今日も誤解が誤解を招いていく。
まあ、エルネストはそっちの方がまだ生きやすいかしらね。
知らないけどさ。
幼馴染兼婚約者の私は、テキトーに壁の花を済ませて、殿方たちの話が終わったエルネストに連れられて会場を出たのだった。
まだ帰るには少し早いが、許容範囲だろう。
だって、ほら、エルネストの目が死んでいるもの。
他の方には、冷たくて無感情の冷静な『氷の貴公子』に見えるんだろうけど…。
馬車の扉が閉まるなり、エルネストが私の膝へと飛び込んできた。
「…エルネストさ〜ん、レディーの膝を借りるなら一言くださいな〜」
冗談っぽく声をかけたが、返事なし。
ダメだ、相当お疲れのようだ。
仕方ないから、その柔らかい髪を撫でると、ピクリと動いた。
動いただけで、やっぱり返事はない。
「頑張ったねえ、エルネスト。よしよし」
エルネストの銀色の髪を梳いていくと、「ううぅっ」と呻きだけ返ってきた。
「今日の夜会でも、うまくできていたじゃない。大丈夫だって」
そう言うと、ようやくもじもじと顔を上げた。
「マリアぁ…」
か弱い乙女の如く、エルネストはその目に涙を溜めていた。
あーあ、また泣いている…。
「よしよし、ほら、もうマリアちゃんと2人っきりなんだから、安心しなさいよ」
宥めるようにそう言って、その涙を指で拭うと、ぐしゃあと顔を歪めてボロボロの大粒涙が溢れた。
「もう、マリアとだけがいい…」
「あなた、それ楽したいだけでしょ」
「マリアといるしか、安らげない…」
「はいはい、よく頑張りました」
2人きりだからといって、甘い空気など流れないのが私たちなのである。
よくて、姉と弟…、さながら母と息子といったところだ。
エルネストの方が年上だけどさ。
いつからこうだったか、もはや覚えていない。
8か9歳の時に、エルネストの母君に「マリアちゃんと一緒だと、この子も泣き止んで助かるわぁ」と言われたことは覚えている。
「こんな息子だけど、いい男に育ててみせるから、将来もぜひお願いしたいわ」と言われたのは、11歳の時だったか。
そんなわけで、本当に婚約の話が来た時には、もう腹を括った。
実際、思っていたよりもいい男には育ったし。
そんなエルネストときたら、しっかりと私の腰に腕を回して、甘えるモード全開である。
氷の貴公子に色めく令嬢たちは、こんな姿見たらどう思うのかしらね。
無駄なほど美人だから、泣き顔が傾国の美女そのものだわ。
むしろ、素の方がうっかり惚れられそうで危ないかもしれない。
本来のエルネストが、人一倍泣き虫だと知られたら卒倒者が続出しそうな…。
「今日も過激令嬢たちに囲まれた…」
ぽそりと呟く声が、子どもみたいでどうしようかと思う。
過激って、あれぐらい普通でしょうよ。
「そうねぇ、きゃあきゃあ言われていたわね」
「あれ、キライ…」
「顔に出さなかったのは、偉いわ」
「あと、年配男性たちの会話の輪、怖い…」
「あれは仕事みたいなもんでしょう?」
「腹の探り合い、疲れた…」
「若くて出世している人間に、一応顔を通しておくのは普通よ」
「僕がすごいわけじゃない…」
エルネストは、冷静無表情無感情だと思われているが、とんでもない。
誰よりも泣き虫で、誰よりも人見知りで、誰よりも気にしいなのだ。
それは貴族子息としては致命的であり、ご両親がずっと心配していたことだ。
そんな素顔を表に出さないために身につけた処世術が、今の状態なのだ。
誰に対しても距離を取り、誰にも愛想がなく、媚びず、何も顔に出さない。
全員に一定の距離がある、懐を見せない、隙のない人の擬態。
まさかそれが『氷の貴公子』と言われて、持て囃されるとは思わなかったけど。
カモフラージュにはもってこいの名前と評判だから、利用できるものはしましょうなんだけど。
「マリアぁ、もっと頭を撫でて」
本人はこれである。
私に対しては甘ったれが、とどまるところを知らない。
氷の貴公子は、今日もぺしょぺしょだ。
ついでに私のドレスも、エルネストの涙でぐしょぐしょだ。
まあいいか、エルネストの母君が「いつもごめんね」とくださったドレスだし。
「はいはい。私は大型犬と婚約したんだったわね」
その髪と、ついでに頬も撫でてやると、エルネストは満足そうに深く息を吐くのだった。
「エルネスト様に、あなたは相応しくないと思います!」
花みたいに可愛いご令嬢が、意を決したようにそう告げてきた。
えっと、誰だったっけ、…ああ、最近留学先から帰ってきたという高位貴族のご令嬢だったかな。
そういえば、まだ婚約者がいないからと若い男性陣が意気込んでいたっけね。
まあまあ失礼なこと言いながら顔を真っ赤にしているのだから、はたから見たら、私の方が悪者に見えそうだ。
こんな劇みたいなこと、本当に起こるのね。
感動で拍手しそうになって、慌てて笑みを貼っつけた。
私もエルネストのこと、言えないのよね…。
地味で目立たないだけで、中身は令嬢らしからぬというか。
だからこそ、エルネストといられるんだろうけど。
最近、仕事で忙しいエルネストから『顔が見たい』と手紙が届いて、つまりは『慰めてほしい(意訳)』というSOSだと受け取り、職場まで昼食を持ってきたはいいけど、はてさてどうしたらいいものか。
このご令嬢も、こんな人の往来で言わなくてもいいのに、若いわねぇ。
「では、具体的にどこが彼に相応しくないか、挙げていただいてもよろしいですか?」
ニコニコしながらそう言うと、相手の方がきょとんとした。
そんな返事が返ってくるとは思わなかったらしい。
いや、ダメなところがあるなら聞きたいし。
「え、だっていつも夜会では誰とも話さないじゃないですか」
「あら、親しい方となら会話くらいしますよ」
「すぐにエルネスト様から離れていくし」
「エルネストと話したい人がたくさんいらっしゃるから、席を外しているだけですよ」
「そもそも身分が釣り合っていませんし」
「それは、この婚約を決めたエルネストのご両親に文句を言ってくださいませ」
「なんですか、その言い方っ…。ひどい…」
ひどいと言われても事実だし。
我が家の方が身分が低いのに、どうしろと言うんだ。
「あなたはいつも壁の花で、エルネスト様のサポートもなさらないじゃないですかっ!」
それは、ライオンが子どもを崖から落とす的なことだしねぇ。
私がそばにいたら、たぶんお喋りするのは全部私になる。
普段泣くのは何も問題ないが、そこまで甘やかすわけにはいかないのだ。
宰相補佐官になるぐらいには、あれで有能なのよ。
私がいなくても大丈夫に決まっている。
「エルネスト様は、あなたの前ですら笑わない…。そんなの、エルネスト様が休まらないじゃないですか…!」
あー、そう見えるのか。
そう言われると、外ではそう見えてもおかしくない。
なるほどねぇ、夜会くらい私に笑わせた方がいいかしら。
…いや、ダメね。
エルネストの感情が溢れて、表情筋が戻らなくなるわ。
ご令嬢にはそう見えるのかもしれませんがね、残念ながら私の前では泣くんですよ。
大泣きなんです、大泣き。
弱音ばっかりだし、へこたれてばっかりだし、甘えたなんですよ。
あなた、それ見て耐えられます?
たぶん無理ですよ、氷の貴公子であるエルネストに惚れているみたいだし、幻滅するのがオチですよ。
今なら傷はまだ浅いですよぉ〜、…伝わらないんだろうなぁ、これ。
もういいか、面倒くさいし、私が悪者で。
「彼の笑顔を引き出せるように努めますわ。ご指摘ありがとうございます」
「…そうじゃなくてっ」
ご令嬢が何か言い募ろうとした時、凛とした声が割り入ってきた。
「マリア、探したよ」
振り返ると、氷の貴公子の名に相応しい美丈夫のエルネストが立っていた。
声までいつもより硬くて低いから、冷たさ百倍増しである。
これは、たしかに氷かもしれないわね。
外から見るエルネストって、なんか人形みたい。
それにしても、割り込んでくるなんて珍しい。
必要な状況に迫られない限り、自分から積極的に人に関わるタイプでもないのに。
ご令嬢を見ると、うっとりしたいような、気まずいような、なんとも言えない顔をしていて気の毒だった。
「ごめんなさい。道に迷っていたから、この方に教えてもらっていたの」
そう言うと、令嬢の方に怪訝な顔をされた。
いや、身分の高い方へのフォローは大事でしょうよ。
誰が見ているかわからないんだから。
社交界って怖いのよ?
「そうか、マリアに早く会いたくて探しに来てしまったよ」
エルネストはそう言って、私の腰を抱いた。
私の方が怪訝な顔になりそうだった。
なんか変なものでも食べたんだろうか。
エルネストから甘さのある言葉が吐かれて、こいつ誰だと思ってしまった。
「それは、仕事中にごめんなさいね」
「いや、もう休憩中だから大丈夫」
エルネストはグイグイと力を込めて、私をこの場から引き剥がそうとしてきた。
人前では甘えないでよ、と内心思っていたのに、エルネストの反応は違っていた。
「では、行こうかマリア」
何度も私の名前を呼んで変だなとは思ったのだけれど、連れ立つ前に令嬢の方を振り返った。
まさに氷のような冷ややかな目で、かのご令嬢を見るエルネストがいた。
そして、全く温度のない声で言い放った。
「僕の希望で彼女と婚約したのだ。部外者が耳障りなことを言わないでくれ」
それだけ言うと、私を連れてその場を離れたのだった。
無言で力強いエルネストに連れて行かれるままに歩いて、何か言いたくても、人がいるから難しい。
どこに行くのかと尋ねようとした時、逃げるように一室へと入っていった。
そこには倉庫のような場所で、人は誰もいなかった。
そのままぎゅっと抱き締められて、昼食の入っているバスケットを落としそうになった。
「マリア」
耳元で泣きそうな声が聞こえて、反射的に抱き締め返していた。
「ごめん、僕のせいで…」
「何が?」
「僕のせいで、マリアが悪く言われた…」
「なに、聞いていたの?」
私の声に、さらにぎゅうぎゅうされる。
鼻を啜る音がして、こりゃ泣くなぁと思った。
「僕、もっと早く出ていくべきだったのに…、怖くて」
「え、そういうこと?なあんだ、頑張ってくれたの?」
「…あんなの、頑張ったうちに入らない」
「いつもならしないのに、割り込んできてくれたんでしょ。ありがとね」
手を伸ばして柔らかな髪を撫でると、とうとうエルネストからぐずっという音がした。
ポタポタとドレスの肩口が濡れていく。
あーあ、誰もいないからって、職場で泣いちゃったよこの男。
氷の貴公子の名が泣くわよ。
「ほら、顔あげて。エルネスト」
そう言って、エルネストの頬を両手で押さえて上げさせると、口を引き結んで泣いていた。
「もう、泣き虫」
「僕、不甲斐なくて…」
「あら、言うことは言ってくれたのだし、いいじゃない」
「よくない…」
おや、頑固なのも珍しい。
「僕はマリアじゃなきゃだめなのに。他の人にあんなこと言わせるなんて…っ」
「それ、エルネストがわかっていればいいんじゃないの?」
「マリアはすごいんだ。僕と一緒にいてもガッカリしないし、泣いても怒らないし、どれだけ残念でも僕の手を取ってくれる…」
「まあ、幼馴染だしねぇ」
昔からそうだというのに、今更変わるわけもない。
どれだけエルネストが成長して、かっこよくなって、みんなの憧れの的になろうと、私にとってエルネストはエルネストなのだ。
「僕はマリアの前でしか泣けない。それって僕にとっては、何よりも代え難いことなんだ」
その告白、大丈夫そ…?
「僕は、マリアがそばにいてくれたら頑張れる…。マリアがいないとだめなんだ」
大粒の涙を零しながら、いつになく真面目に言うものだから笑ってしまった。
「そうね、エルネストには私がいた方がいいかもね」
「かもじゃないの、絶対そうなの…!」
「はいはい、わかったよ」
「マリアさえいれば、僕はそれでいいんだ」
涙で濡れた頬で、頬擦りされて、余計に笑っちゃった。
「うん、ずっと一緒にいてあげるから。ほら、今は泣き止んで?」
「次はもっとちゃんと言い負かすから」
「そんなことしなくても、エルネストがそばにいてくれれば十分よ」
「僕が納得できない!マリアはすごいんだから、大好きなんだから…!」
「はいはい、私も大好きだよ〜」
大型犬を撫でるように髪をくしゃくしゃにすると、ムスッと口を尖らせた。
「もっとマリアに釣り合うように頑張るから、僕のこと捨てないで」
私は子犬でも拾ったんだろうか。
まったく、しょうがないなぁ。
「そんなことあるわけないでしょ。あなたには私しかいないんだから」
そう言ってもう一度抱き締めると、ようやく嬉しそうな「うん!」が返ってきたのだった。
あーあ、泣き止ませるのはいいとして、目が赤いまんま職場に帰せないなぁ。
どうしましょ。
そんなことを思いながら、エルネストの頭をいつも通りに撫でていった。
今日も私の可愛い幼馴染兼婚約者は、ぺしょぺしょで、私はいつもと同じで満更でもないのだった。
了
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