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俺の右目を見た人間は、呪われて亡くなるんじゃないだろうか。
集落の住人たちは皆それを知っており、俺のことをていのいい暗殺兵器として利用することで、要人相手に秘密の金儲けをしていたんじゃないだろうか。
ここまで静かに組み立てていたパズルのピースが、全て一気パチリと嵌ってしまったような感覚だった。
乳母の葬儀にさえ出席することは許されず、けど家に一人でいるにはあまりも心が不安定で、自然と足が向かったのは、いつもの図書室だった。けれど過去の訃報欄を見返しているうちにみるみる気分が悪くなり、覚束ない足取りのまま、誰もいない図書室をあとにする。けれどそんなときに限って運悪く、俺とまったく反りの合わない、粗野な体育教師と鉢合わせてしまった。
「なんだ望月、そんな青い顔して」
「気分が優れなくて」
「足がふらふらしてるなぁ。やっぱり片目だと、平衡感覚おかしくなるんじゃないか?」
「これは生まれつきなので、そういうことは無いです」
「本当かぁ? 大体、その眼帯なんなんだよ。入学から一度も外さないで、漫画にでも影響されてカッコつけてるつもりか?」
「まったく違います。体調が悪いので失礼します」
「なんだ、その態度は」
カッとなった教師が勢いにまかせて手を振り上げ、乱暴に俺の眼帯をむしり取る。
「あっ!」と思ったときには、もう遅かった。驚いて見上げる俺の目と、怒りに血走る教師の目がピタリと合う。自然界に属しているとは思えないほどの鮮やかな紫を目にした教師は口を開けたまま立ち尽くしていたものの、すぐにその目から光が消えたかと思ったら俺の真横のサッシをガラリと開けると、明るい日差しの差す窓の外へ向かって、躊躇いもなくその身を投げ出した。
もちろん驚いた。けどそれと同時に、どこかで「やっぱり」と思う自分がいた。どちらかと言えば、そちらの方が強かった。
俺の右目を見た者は必ず死ぬ。
目の前で起きた答え合わせに体が震えそうになった、その時。
「春人…」
消えそうな弱々しい声。考えるより先に手が右目を覆い、息を止めて振り返る。するとそこには、着崩した制服姿のまま泣きそうな顔で佇む、ユキの姿があった。
「今のって、体育の安井……?」
不安そうに眉を下げたユキが、ズボンのポケットに手を入れたまま、窓の外へと視線を投げる。
どうしよう。なんて言ったらいいんだろう。もし本当のことを話したとして、信じてもらえるわけが無い。そもそも、何から説明するって言うんだ。教師が因縁をつけて来たところ?訃報欄の政治家たち?不自然な山奥の御殿?それとも、亡くなった母と産婆の話から?
跳ねっぱなしの俺の心臓とは対照的に、ユキはむしろ、少しずつ落ち着き始めたようだ。
「春人が落としたわけじゃないのは分かってるよ。俺、見てたもん。お前にいちゃもんつけ始めたアイツが何故か突然自分で窓を開けて、自分から落ちて行った。でも俺からしたら、そっちのが意味わかんねぇよ」
思わず、下を向いて口籠もる。今ここでの主導権は、間違いなく俺では無かった。
「春人は、なんでこうなったのか分かってるんだろ。心当たりあるって、顔に書いてあるし」
「……。」
キョロキョロと周りを見回したユキが、さっと俺の腕を取る。
「俺以外、多分、誰も見てない。とにかく、急いでここ離れっぞ。話は、あとでゆっくり聞くわ」
引っ張られるようにして校舎を出ると、夕陽を背に走って走って、とにかく学校から遠ざかる。
思えば誰かと手を繋ぐのなんて、何年ぶりのことだろう。
痩せ細ったユキの熱い手のひらの感触に、「全部話してみようかな」なんて気が緩んだのは、俺がそれだけ孤独だったんだって、今なら、わかる気もするんだけれど。
誰もいない街外れの路地裏ですべてを聞いたユキは「とにかくその村からは離れろ」と、俺の闇色の左目をまっすぐに見つめてそう言った。
「春人も、俺んとこ来たらいいよ。あんま環境がいいとは言えないけど、行くところの無い人間の集まりっていう意味じゃ、悪かないだろ。ヤクザ相手じゃ、村の人間も下手に手出しできねぇだろうし。けどその右目のこと、絶対に組の人間には言うなよ。逃げた先で、また人殺しは御免だろ」
「……そんなの、ユキにメリット無いじゃない」
「はぁ? んなもん計算してる場合かよ。俺の友達は兵器じゃねぇ。それだけだろ」
生まれて初めてかけてもらえた〝友達″という言葉は、なんだか耳慣れない異国の単語のように聞こえた。けれどそれは長い間不協和音に支配されていた心の内に信じられないほど心地よく響き、不意に溢れて止まらなくなりそうな感情を抑えるのに必死だった。
それからすぐ、ユキは組から盗聴器をくすねて来た。俺の代わりに学校をサボって、住人たちが畑へ出払っている昼間に、この集落で中心的な立場となる大家の居間に仕掛けてくれた小さな機械。根気強く傍受を続けていたある日、ついに新たな依頼を受けたのであろう老人たちの会合を捉え、俺は、俺がどんな存在で、今までどんなことをさせられて来たのかを、生まれて初めて詳細に理解した。
そして、それを聞いた俺は兵器から人間になるため、生まれ育った村を出る決断をした。
決行は、中学の卒業式の前日。
一緒に暮らしていた乳母もいなくなった今、老人だらけの村から身の回りのものを持って飛び出すのは簡単だった。百年前とは違う。年端もいかない子どもにだって、辺境から抜け出す手立てはある。
「逃げ出せない」と思い込ませる心理的な檻は、もはや幻想の産物だったんだ。
明日の朝には大騒ぎになっているんだろうけど、奴らは警察に捜索願を出すことも、事情を話して探偵に依頼することもできない。
俺という存在を明らかにできない以上、自力で探すしか無い。呪われた能力で稼いだ金の上に胡座をかき、この山奥の田舎から出たことも無い老人の集団に、一体何ができると言うのか。
金に物を言わせて追ってくるかもしれないが、その先には無法者のヤクザの一家が待ち受けている。「身柄を寄越せ」と言われて「はいそうですか」と渡すはずが無い。ユキは「いい環境とは言えない」と苦い顔をしていたけれど、俺にとっては心強いことこの上無い。
しかしユキの父親の組はチンピラ上がりが集まったような小規模組織で、「居場所の無い人間が自然と固まっただけ」という、ユキの言葉通りの集団に見えた。なので実際はそう大きな社会的影響力があるわけではなさそうだったし、正直そう羽振りがいいとも思えない。
目の力を使えない以上、多少なりともヤクザ側に俺という存在の価値を認めてもらうため、俺自身も何か動かなければならない。良くも悪くも、ヤクザは金で動く。何の利益ももたらさないただの家出人のガキなんて、「欲しけりゃ持ってけ」と言われてもおかしくは無い。なんせ村人側は、金だけはたんまり持っているのだから。
そんな心配事に頭を悩ませてはいたものの、ユキと違って成績も素行も良い俺は上層部の人間に気に入られ、将来の幹部候補として丁重に扱われることに成功した。今の時代はこの業界も人手不足で、ペーパーテストができる有能な若手なんて、まず近寄らないのだろう。単純に「貴重な人材」だと受け取られたことは、俺にとっては幸いだった。
適当な身元引受人の元へ監護権を移された俺はユキと共に近くで一番大きい市へ引っ越し、三月下旬にも関わらずまだ追加募集をしていた定時制高校に滑り込んだ。最低限の武力の確保のために格闘技を仕込まれ、あろうことか大学進学まで勧められる始末。
今までのことを考えると、信じられないような高待遇。そもそもここに集まっている人間は皆必ずどこか壊れている部分があって、これまで「人並み」とは言えない暮らしをしてきた俺の日常における小さな違和感も、あらゆる凸凹の中に紛れて目立ちにくくなる。
そういう意味では居心地が良かったし、有り難いとさえ思っていた。
中学卒業後から下っ端組員としてぬるく生きていくことを決めていたユキと、東京にある有名私立の経済学部へ進学した俺。表向きは何食わぬ顔で大学に通い、裏ではユキと共に任されたフロント企業の幹部として、息のかかったキャバクラやスナックのケツ持ちとして立ち回りながら、時にはツケの払えなくなった客たちから有り金を巻き上げて回った。
俺は今、世間的にはヤクザに飼われることでなんとか生き存えていている半端者の大学生。
けれど実際は浮世の隙間で彷徨う、絶対に法では裁けない、大量殺人鬼だ。




