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鬼眼  作者: 真夜中
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まったく意味のわからない彼の謝罪のあと、私はとにかく急いでバス停へ向かい、ギリギリ間に合ったバスに乗り込んだあとはまっすぐ帰って、次の日もアルバイトのあと普通に学校へ行った。相変わらず望月くんが学校で話しかけてくることは無かったものの、なぜかあの日以来、ふとした瞬間に彼の視線を感じることが増えた。

退屈な授業の最中。

ボールを追いかける体育館。

十七時頃に出てくる、夕飯代わりの給食の時間。

私が不意に顔を上げるたび、どこか困ったように眉を下げた望月くんの、涼しげな黒い左目とぶつかった。けれど彼は目が合うとすぐ、ふいっと顔を逸らしてしまう。だから私も、決して深入りはしない。あの日見たものも聞いたことも、すべてを無かったことにした方がいいことは、よく分かっていた。


「右目には視力が無いのでは?」

「生まれつき眼球が無いとか」

「もしかして、片目だけ整形失敗?」


本人は寡黙でも、なんやかんやで目立つ望月くん。学校の中では彼に関する様々な噂が交錯していたものの、あの眼帯の中の秘密を知るのは、私以外誰もいないようだった。中には直接本人に聞いた猛者もいたそうだが、「ものもらいだよ」と軽く流されて終わったらしい。

成績のみで委員長と副委員長が選出された一学期が終わり、二学期三学期はクラスの中心的なメンバーが、推薦により順当に役員を引き継いだ。そしてその間も望月くんのものもらいは治ることなく、彼は終ぞその美しい顔の全容を披露することの無いまま、あっさりと卒業を迎えてしまったのだった。

その彼が今、三年越しに私の前に立っている。

向かい合う私たちはお互い、二十一歳になっていた。








「成績良いのに進学しないって聞いて不思議に思ってたんだけど、まさか安藤さんが施設育ちとは知らなくて」


仕方なく部屋に上げた望月くんは座布団の上で長い足を折り畳み、こんなボロアパートでは滑稽に見えるほどきっちりと正座をしながら、どこか戸惑うようにこちらを見つめている。


「卒業したあとの足取りが全然掴めなくて、困ってたんだ」


お世話になった児童養護施設は、高校卒業と同時に去らねばならない。何もわからないままとにかく東京に出てきて、私でもできそうな派遣やアルバイトを転々とした。最初は寮付きの仕事ばかりを探していたけど、辞めるたびに引っ越さなければならないのが負担で、今はこの築四十八年のボロアパートに定住している。それはともかく、なぜ特に仲がよかったわけでもない望月くんは、私のことを探していたのだろうか。しかも口ぶりから察するに、卒業以来三年間も。

暖房もつけていない十月のボロ部屋に、砂壁の亀裂から吹き込んでくる隙間風。安物ながら温かいお茶を淹れて目の前のちゃぶ台に置くと、望月くんがペコリと頭を下げる。その動きでまた彼の毛先から雫が垂れたので、慌ててタオルを持って来て手渡した。


「コート掛けておくから、貸して?」

「お構いなく」

「いいから! 畳が濡れるでしょ!」


ちょっと厳しめの口調で怖い顔をしてみたら、望月くんは小さなため息のあと大人しく立ち上がり、ゆっくりと漆黒のトレンチコートを脱ぎ始めた。均整の取れた体躯が舞のように優雅に動く様子に見惚れてしまったけれど、すぐに我に返ってコートを受け取り、ミシミシと音を立てて軋むカーテンレールへと引っ掛ける。そして再び向き合って座り、やっと本題へと入る準備が整った。


「望月くん、私に何か用事があったの?」

「本当に、まだ生きてるのかなって」

「え?」

「あのあとの三ヶ月間、あなたは死ななかった。ごく普通に学校に通い、みんなと一緒に、何事も無かったかのように卒業を迎えちゃった。それだけでもありえないことなんだけど、もしかして卒業後に亡くなってる可能性があるかもしれないと思って、本当は、定期的に経過を観察したかったんだ。けどこっちも大学始まったりなんだりでバタバタしてて、気がついたときには、もう行方知れずになっちゃってたから」

「……ごめん、何の話? 私、特に持病とか無いけど」


いかにも怪訝そうに眉根を寄せる私から、望月くんが苦虫を噛み潰したような表情で目を逸らす。

普通に考えたら、卒業後に変な宗教やマルチにでもハマった同級生が、名簿を元にお仲間の勧誘にでも来たんじゃないかと思うところかもしれない。けれど目の前の望月くんからはそういった胡散臭さは感じられず、とにかく何かとても言いづらいことを言い出そうとして、慎重に慎重に言葉を選ぼうとしているように見えた。


「そういえば、あのときも言ってたよね」

「え?」

「〝殺すつもりなんてなかった″って、生きてる私を前にして、望月くんは確かにそう言った」

「……。」

「あれ、どういう意味だったの? 多分、三年越しで望月くんが今日ここに来たことと繋がっているんでしょう?」

「さすが副委員長。勘がいいね」


ははっ、と口元を綻ばせた望月くんに、やっと高校の頃の面影が見出せたような気がした。彼はクールで人嫌いなように見えたけど、クラス委員として放課後に私と二人で面倒な集計や事務作業に追われているときには時折冗談めいたことを口にしたり、軽い口調で話に茶々を入れたりすることがあった。はにかむとキュと上がる口角が綺麗で、その隙間から覗く小さな八重歯が可愛くて、「クラスでも笑えばいいのに」なんて思ったり、でも同時に「みんなには見せないでいいかも」なんて我儘なことを考えてみたり、とにかく色んな胸の内があったことは、未だによく覚えている。


「それをちゃんと説明したいんだけど、付き合ってもらえる?多分、長くなると思う」

「大丈夫だよ。登録してた短期のアルバイトが、ちょうど任期満了したところだし」

「ぶっちゃけ無職ってこと?」

「そう」

「じゃあ、家族も仕事も無いんだ。これ以上無いほど都合いいじゃん」

「え?」


それどういう意味?と聞こうとした瞬間、目にも止まらぬスピードで、口にハンカチを当てられた。ツンと鼻の奥に染みる刺激臭のあと、どんどん意識が遠のいて行く。


ああ、そうだ。

肝心なことを忘れていた。


あのときの望月くんの言葉は確かに意味がわからなかったけど、その前に、確かに意味のわかる会話を耳にしていたじゃないか。


〝卒業したからって、いまさら盃交わして組に入ることもなくね?″


〝リスト入りすると、警察からのマーク鬱陶しいし″


この人、関わっちゃいけない人だった。

思い出したときには時すでに遅く、私は自分の体がヒョイっと持ち上げられる感覚を最後に、微かな意識を手放したのだった。


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