プロローグ
初めての投稿となります。どうぞよろしくお願い致します。
「私ね、もし神様がいるのなら、〝一度でいいから春人くんの本当の顔が見たいです″って、
そうお願いするって、決めてるんだ」
小さな雨粒が肌に付き纏うように重苦しく、日中でも薄暗い日だった。
町まで十キロは離れている小さな山間の集落で、一人の妊婦が産気付いた。ここで赤ん坊が生まれるなんて、一体何十年ぶりのことだろう。成人して村を出た男が都会で就職して妻を娶り、老いた両親の世話のために戻って来た矢先のことだった。しかし、村人全員がそれはそれは楽しみにしていた慶事は赤子の誕生と同時に、その場を一瞬で惨劇の舞台へと変貌させた。
ふぎゃっ、ふぎゃっ…という弱々しい泣き声の傍らに倒れ込む二人の女性は、今しがた出産を終えたばかりの母親と、赤ん坊を取り上げた産婆である。出産間近になったら市立病院に入院する手筈だったのだが、予定日の一ヶ月以上も前に陣痛が来てしまったため、とっくに現役を退いたはずの隣町の産婆に無理を言って来てもらった。
こんな満足に医療器具も無いような田舎での出産に危険が伴うのはもちろんのことだが、母体に何かあったのなら、なぜ産婆まで倒れているのかがわからない。
泣き声が聞こえた瞬間、緊張した面持ちで縁側に腰掛けていた赤ん坊の父親とその親族は歓声を上げたものの、しばらく経っても声のひとつもかけられず、赤ん坊の弱々しい泣き声だけが続いている状況をおかしく思い、躊躇いながらも固く閉ざされていた障子を開いた。
そこに広がっていたのが、件の景色であった。
赤ん坊の父親が妻の名を呼びながら駆け寄るものの応じる様子は無く、ぐったりと目を閉じたまま、呼吸も脈も確認できない。隣でうつ伏せに倒れ込む産婆も、同じ様子であった。状況を理解できないままハッと我に返り、投げ出された赤ん坊を慌ててタオルに包んで抱き上げる。泣いているということは、少なくともこの子には息があるということだ。しかし心配は尽きず、腕の中の生温かい生き物を恐る恐る観察してみる。五体満足の男の子。皺くちゃの手の先には、信じられないほど小さな爪が生えている。
「赤ん坊は無事みたいだ。でも一体何が……」
そこで、はたと気付いた。部屋の中の異変に右往左往しているのが、自分しかいない。家族親戚はみな廊下を挟んだ先の縁側から動かず、どこか呆けたような表情のまま、こちらを眺めているだけなのだ。
「なんでぼーっとしてるんだよ! 救急車! 誰でもいいから、早く呼んでくれよ!」
しかし切羽詰まった男の声に誰も動くことはなく、その代わり、一族の中で一番の年嵩である祖父が、ゆっくりと口を開いた。
「目は?」
「目?」
「赤ん坊の目に、何か違和感は無いか」
腕の中の赤ん坊を覗き込むものの、まだくしゃくしゃの目は閉じられたままで、眼球の様子を伺うことはできない。
「閉じてるから、わからないな……」
「それなら、お前の命は助かった。どれ。暫くの間は、老い先短い儂が面倒を見よう。もしその〝目″を見てしまっても、どうせもう何年も寿命は残っていない。皆の衆は、なるべく早く〝巫女″の用意を。市内からでも、もっと先の都会からでもいい。身寄りがなく、なるべく頭の弱い若い娘だ」
祖父が何を言っているのか、まったく理解できない。けれど唖然としているうちに腕の中の赤ん坊は驚くほどの勢いで奪い取られてしまい、そのあとは誰に何を言っても、父親である男の元へ戻って来ることは無かった。
俄かに強くなった雨はまるでその白く烟る靄をもって外界を隔てるように、何日も何日も飽きることなく、しとしとと音を立てて降り続けた。




