ほんとうのこと
「おはよう」
目を開く。私は覚えている。昨日のことだけ、確かに覚えている。
空に舞う楽譜。夕焼け。ピアノ。クラゲちゃん。
「…クラゲちゃん」
すごく驚いた顔をして、クラゲちゃんがこちらをみた。
大きな目も口も全部開いている。
「私、覚えてるよ。昨日しか覚えてないけど、覚えてる」
その日は上の空だった。
相変わらず授業はわからないし、ノートも読めない。
言いようのない不安だけが漠然と募る。
「思い出さなくていい。思い出すなよ」
クラゲちゃんが怒っている。
私は机の上に視線を落とすことしかできなかった。
「ねえ、___さん」
あ、派手な子。なんか苦手。
___さんは私?私に話しかけてる?
「___さん、おかしくなったの?1年生のときはそんなんじゃなかったじゃん」
「あ、私あの記憶が…」
「別クラの子から2年生にはいっておかしくなったって聞いたよ」
「え?去年から私こんななの?」
「見てらんないんだけど。カウンセリング受けたら?」
「…」
「…黙って」
クラゲちゃんのその一言でハァ…とため息をついて友達のもとへ戻っていった。
「ありがとう。ああいう子、雰囲気がなんか苦手で」
「うん。そうだね」
なぜか胸が重い。鈍痛がする。
楽譜を整理していたら懐かしいものをみつけた。
練習曲作品10第3番 フレデリック・ショパン作 別れの曲
久しぶりに弾いてみようかな。久しぶりじゃないかもしれないけど。
鍵盤の上を指がすべっていく。津波が押し寄せるように感情があふれ出す。
この感情はなに?どうして涙が止まらないんだろう。
「自殺未遂をしたのはお嬢だよ」
音楽室の片隅にクラゲちゃんがいた。
「七不思議の主人公は、お嬢。全てを思い出したらスゥーって消えて…ICUで目が覚める」
「からかってる?」
クラゲちゃんは真剣な顔をしてる。
「全てを思い出したら、もう1度1年生の冬に戻るんだ」
「私が飛び降りたのは1年生の冬なのね?」
「そうしたら、この時間はきっと消える」
「この時間は、この瞬間は夢なの?」
「きっと別の時間枠なだけだよ。こっちの時間枠ではあたしたちはずっと一緒」
「じゃあ、1年生の冬に戻ったらクラゲちゃんとのこの時間を忘れちゃうの?」
返事はなかった。何も言わなくてもクラゲちゃんの表情でわかる。
「大丈夫だよ。忘れないよ」
こんな映画みたいなオチある?だってこんなにも生々しさを感じるのに?
でもそれなら腑に落ちる。私は地縛霊なんだ。学校から抜け出せない地縛霊なんだ。
ノートの文字が読めないのも、授業が頭に入らないのも、
私だけ出席確認されないのも、クラゲちゃん以外が話しかけてくれないのも、
私が存在していないから。___さんはきっとクラゲちゃんのことだ。
だってあの子に私は見えない。
「クラゲちゃんはどうして私が見えるの?」
「会いたいと思ったから」
「私たち、友達だった?」
「友達になりたかった」
また、瞼が重くなる。もうすぐ眠ってしまう。
起きたらICUにいるんだろうか。それとも普通の病室で
「先生!__さんが!___さんが目を覚ましました!」って
看護師さんがバタバタと先生を呼びに行き、家族がかけつけて私を抱きしめる。
もう少しクラゲちゃんの歌が聴きたい。
忘れちゃうかもしれない。忘れたくない。




