第4話◇わたくし、この方を知っているわ
「到着したようです、お嬢様」
侍女に呼ばれ、アメリアは目を開ける。
軽く身支度を整え終わると、やがてゆっくりと馬車の扉が開いた。
外から差し出された手に、アメリアは自らの手を乗せる。
え――違う。
いつもの従者の方とは。
家の人間ではない、男の人の手だわ。
きっと、騎士の方ね。
感触の違いに、アメリアは息を飲む。
指先に当たる相手の手のひらは、少し固い。
長く剣を持ち続けた人特有の、それ。
それに――わずかな冷気。
気付いて一瞬ためらったアメリアの手を、相手がしっかりと握ってくる。
腕の動きに誘われるままに馬車を降りた瞬間、陽に透けた銀の髪が眩しく視界に入った。
「ゾクラフ公爵家令息、ウィリアム様……?」
思わず呟くと、確かに自分はそうだ、と応えるように青みのグレーの両眼がわずかに細められる。
冷気がふわりとアメリアの頬を掠めた。
ウィリアムの髪も揺れて、またキラキラと光を反射する。
「心よりお待ちしておりました。マクファーソン伯爵家令嬢、アメリア様」
返答があるとは思わず、アメリアは相手の顔を凝視する。
もうすっかり大人の声だわ、それに、絶対に泣きはしないわね、などと考えながら。
ああ……わたくし、この方を知っているわ。
十一年前のあの日、王城のガーデンパーティーでひとりぼっちだった、泣き虫の男の子。
あの子の色、そのままだもの。
なぜ。
どうして。
あの誓いが破れたこのタイミングで、会ってしまうのだろう……。
あの日のことをすっかり忘れていれば、今こんなに苦しくはなかったかもしれないわ。
あんなに絶対泣かないと誓ったはずなのに……。
うつむくとドレスの薄水色と銀の刺繍がにじみかけた視界に映る。
それは目の前の男の色だ。
彼の横に立つためのドレスだ。
薄い水色の、と認識していたが、よく見るとグレーのチュール生地が幾重にも重なっている。
青みのグレーと銀。
泣いたり悔しがったりするより先に、まずこのドレスの色で気づくべきだったのだ。
ウィリアム・フォン・ゾクラフの見た目の特徴を聞いたその瞬間に、脳内で過去の記憶としっかり結びつけるべきだった。
これはあの少年の色と同じだと。
「こちらへ」
言われるがままにエスコートされ、アメリアは歩を進める。
夢を失った身で隣に存在することには耐えきれず、顔を上げられない。
しかしウィリアムの誘導は巧みだったようで、アメリア自身は決してつまずくこともなく、無事に目的地にたどり着けたようだった。
ピタリとウィリアムが歩みを止めたので、アメリアも同じく立ち止まる。
どうしたのだろう、案内されたのは本邸屋敷の応接室などではないようだ。
違和感にアメリアが顔を上げかけたその時、ウィリアムは目の前のガラス扉を開けた。
ガラスの表面に射した日光に目が眩みそうになり、一瞬目線を背ける。
アメリアにはそれが何か分かってしまったから、余計に直視することをためらった。
ここは温室だ。
魔法で割れないようにと強化されたガラス製の。
マクファーソン家が使っているものとほぼ同じ仕様のものだ。
「たとえ人を害するほどの有り余る魔力を持とうとも、未だ貴女が失ったものを完全に取り戻すことはできず、無力さを感じています。ですが、せめてこちらを全て、貴女に」
ウィリアムのその声は、思いの外アメリアの耳と心に優しかった。
この北の地の澄んだ空気に似合う、少し低いけれど、よく通る声色だった。
外気とは違い、温室の中は暖かい。
適温。
アメリアにとって、ではない。
「その薔薇にとっての適温、そして適した湿度」。
品種は、七歳のあの時に自身の髪に差し、ブーケにもして持っていたもの。
そして彼に手渡したものと同じだ。
真っ白だけど、光の加減でほんの少し青みがかっているようにも見えるそれは、未だ生み出すことが難しい「青の薔薇」への希望が込められている。
作り出したアメリアの父、マクファーソン伯爵が「希望のかけら」と名付けた品種だ。
あの日、お父様が「今日の集まりにはこの品種がふさわしいだろう」と手ずから選んでブーケにして、お母様が髪にも挿して下さった。
「この日の出会いが、この場に集められた王子と貴族の子供たち、それぞれにとって希望あるものとなるように」と。
ああ……薔薇だ。
この温室丸ごと「希望のかけら」が咲き誇っている。
一番の特徴であるその白の向こうに透けるような青み、特有の芳香の甘さ。
あの騒動以来、アメリアは久しぶりに見た。
薔薇を……「希望のかけら」を。
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