第2話◇新婚約者は噂でしか知らない殿方
嫁ぎ先は国の最北、国境近くにあるゾクラフ公爵家。
王家の親戚筋ということもあり強大な魔力をその血に宿す一族で、魔法剣を使う武家の名門でもある。
先々代が先の隣国との戦で大きな武勲を立てたということで、国境沿いの広大な土地を守り治めている大権力者だ。
国王も魔法軍事方面では大きな信を置いており、現当主はベルナルド・フォン・ゾクラフ。
国軍指揮官の任を授かっている。
アメリア自身は数度の夜会で遠くから姿を見ただけで話したことさえもないが、軍人特有の鋭い視線や体格の良さ・無駄のない指揮ぶりやその口調にどうにも気圧されてしまい、並みの人間ではろくに近づけない。
父ほどの年齢の男性陣さえ一度深呼吸してから恐々と話しかける。
そういう印象の人だった。
その家の長男令息、ウィリアム・フォン・ゾクラフに、アメリアは嫁ぐ予定だ。
そして父親と同じかそれ以上に、ウィリアムという人は恐ろしくて、とても冷徹な男だと聞いた。
アメリアはこの息子の方はまだ直接見たことはないため、噂でしか知らない。
銀の髪に青みがかったグレーの瞳をしている、という見た目の情報くらいしかない。
ただ、近づくと「確実にその人だと分かる」らしい。
よくマクファーソン家の薔薇を買ってくれる令嬢の話によると、何でも魔力が強すぎるあまり、それが冷気となって彼のその身にまとわりついているそうだ。
近づいただけで当てられて失神してしまう者さえいるとか。
人嫌いで幼い頃に魔力暴走を起こして乳母を殺しかけたとか。
近衛騎士団に属しており普段は王太子殿下の側にいるそうだが、意外とフレンドリーな王太子殿下なのにその斜め後方からとんでもない殺気を飛ばして威圧してくるとか。
最低限の社交はするが、女性への当たりだけはすこぶる厳しく、ある日気位が高い令嬢に「それ以上近づくな」と言い放って魔法で作った氷柱で威嚇し、場が荒れに荒れたそうだ。
口元を扇で隠しながら声をひそめ、「その女性に対しての絶対零度まで冷えきった視線の、恐ろしいこと恐ろしいこと……。王家の方と慣れた近衛の者以外は誰も話しかけられませんのよ」などとその令嬢は語っていた。
わたくしはこの土地で、そんな方相手にやっていけるのかしら……。
そのように不安になるが、やはりアメリア個人に逆らえるはずもなかった。
震えているのは、道の悪さによる馬車の振動のせいか、北の土地特有の寒さか、それともまだ見ぬ高位貴族・ゾクラフ公爵家への恐怖か。
アメリアはその身を縮めるようにして耐える。
しばらくすると、目指す領地に馬車は入った。
大きな街に入ったと悟ったのは、馬車の振動がぐっと小さくなったからだ。
荒れ地ではなく、大量の軍馬や馬車を走らせることに向いた、整備された道。
やがて信頼が置ける侍女や護衛と共に、アメリアはゾクラフ家の屋敷がある街に到着した、らしかった。
そろり、と再びカーテンの隙間から外を見る。
「ひえっ、すごいわね、なんて大きな門……!」
「兵士もあんなに。国防の要となると、ここまで頑強なのですね……」
思わず侍女と手を取り合って叫んでしまうほどに、かつて見たこともない大きな石造りの城門がアメリアのその目に飛び込んできた。
国境の守りを固めるための門はひどく物々しくそびえていて、威圧感で押し潰されそうになる。
幾人もの甲冑を身に纏った兵士が規則正しく整列して立ち、アメリアが乗る馬車を待ち構えていた。
城下町に入る前に厳しく検問が敷かれているらしい。
こ、これはちょっと、無理かもしれませんわ……。
とても花がどうとか言っていられる状況ではなさそうな街で、再度アメリアは目を伏せた。
ふと思い出されるのは、あの日ひとりぼっちで佇んでいた少年のこと。
それはアメリアがまだ七歳の頃に開催された王家主催の貴族の子供たちの集まりで、未来のために年若い王太子殿下との交流を深めさせることを目的としたパーティだった。
みんながそれぞれ楽しそうにおしゃべりに興じている中、ひとり遠巻きにされて寂しさに涙ぐんでいる少年がいた。
アメリアは彼に話しかけて少しの時間だけ交流したのだが、その時にお近づきの印として、ちょうど手に持っていたブーケから一輪の薔薇を渡した。
唐突に目の前に差し出された花に少年はびっくりしていた。
彼がその目を見開いた瞬間、ぽろりと涙の粒が両目の端からこぼれ落ちるさまを見て、「我が家の薔薇を目にした人には幸せになって欲しいのに」とアメリアは強く思ったのだ。アメリアはその気持ちを素直に少年に言い切った。
わたくし、我が家の薔薇を受け取って下さった方には笑って欲しいですわ!だって、そのために苦労して育てているのですもの!と。
ああ、わたくし、あんなにあの少年の前で誓ったのに。
素晴らしい薔薇を生み出してこの国、いえ世界の国の人々に笑顔を届けたい。
それがわたくしの一生の夢だったのに。
単に目の前の少年の涙を止めるためだけに口走ったのではなく、わたくし自身の心から生まれた、キラキラした夢。
今後は全て潰えてしまうかもしれないのだわ……。
ゾクラフ家の一存次第で閉ざされてしまうかもしれない自らの未来を思うと、アメリアはつくづく元婚約者が恨めしかった。
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