三話 ほうれんそう
オカ研入部から数日、妹や叔母さんには友人ができたことを散々深掘りされ弄り倒され、先生からは無言の警告を受け取った。
色々と考えることも多く、正直、学校にいる時はあまり集中できていなかった。
放課後はバイトもあり、あの日以降、部室に顔を出せずにいた。布瀬からの誘いを断っていたのだ。
そんな彼女もいよいよ我慢が効かなくなったのか、登校してすぐに、
「今日は絶対部室に集合!」
と一方的に宣言してきた。
幸い、今日は先生の所でのバイトもなく暇になるため、初めから顔を出すつもりだった。
帰りのHR後の掃除が終わるや否や、僕は腕を掴まれ布瀬に部室へ連行されていった。
「もうっ!部員としての自覚が足りてないんじゃないかな八雲くんは!」
そんなこと言われても僕は初めから、入るだけなら、と断っていたはずだ。
……覚えていないのだろう。あの時は部員が増える喜びで興奮していたようだったから。
今からそれを指摘したところで、彼女の不満は解消できまい。
こういう時は素直に謝るべし。
いつか聞いたコツの一つだ。
「それは、ごめん。バイトとか、家の事とか、色々忙しくてさ。毎回は参加できないけど、できるだけ顔を出すようにはするよ」
「あ……そ、そうだったんだ……。わたしの方こそ、ゴメンね。八雲くんの事情も聞かないで……一人で……」
「じゃ、今回は痛み分けということで一つ」
「う、うんっ!でも、いいの?忙しいんなら、無理しなくても……」
「最初に言ったろ。恩返しなんだよ。好きでやってんだから、そこは心配しなくていい。むしろ、いさせてもらえることに感謝したいくらいだ」
「いやいやいや、感謝すべきなのはわたしの方!八雲くんのおかげで、廃部の危機を免れたんだから!だから不満とか、言いたいこととかあったら我慢しないでいいからね!何でも言ってね!」
「そういうことなら、僕にも遠慮はしなくていい。布瀬のためなら、できるだけ力になるからさ」
……本当に、僕なんかには勿体ない友人だと思う。
彼女のおかげで、入学以来遠巻きに見ているだけだったクラスメイトとも、挨拶を交わせるくらいの仲にはなれた。
ふと考えることがある。
あの時どうして、僕に声をかけてくれたのか。
きっと、細かなことに気がつく人なのだろう。加えて、僕みたいな異分子にも振り撒けるほど、優しさに溢れている。
意識していなければ、いつまでもズルズルと甘えてしまいそうだ。早めに覚悟を決めておかなければ、離れ難くなってしまう。
「……ね、知ってる?」
気まずくなりかけた沈黙を破って、布瀬は唐突に、そう切り出した。
「1組の美術部の男子が、行方不明だった話」
「初耳」
ここ数日、学校に集中できていなかったのだから、僕が知っているはずがない。
オカ研らしい話題ではあるが、それにしても物騒だ。
それに、行方不明《《だった》》?
「もう、見つかったのか?」
「そ。先週の金曜に家には帰ってたらしいんだけどね。いつの間にかいなくなってて、週末は一度も家に帰ってこなかったみたい。
ほら、ウチって進学校じゃん?無断外泊とか家出とかするような不真面目な生徒ってあんまりいないし、心配した親御さんが捜索届を出したのが土曜の夜。
それで週明けに、あっさり学校で見つかったの」
「詳しいんだな、布瀬」
「まあね。けっこう顔は広いんだ、わたし」
自慢げに胸を張る布瀬。
彼女ほどの人格者なら、友人も多いことだろう。納得のいく話だ。
「それで、なんで学校なんかで」
「本人もわかってないんだってさ。気がついたら学校に行ってて、その間の記憶がないって。見つかった時は貧血に近い状態で倒れてたんだって」
「ふうん……」
おかしな話だ。
夢遊病の一言で強引に片付けることもできるだろうが、週末二日間も学校に滞在していたのが引っかかる。
金土日と、三日も寝続けるなど考えられない。どこかで必ず目を覚ますはずだ。その時点で帰宅してもいいはずだが、尚も当該生徒は学校に居続けた。
貧血というのも、謎だ。
「それにね、ここからが面白いんだけど」
布瀬の目が輝き出す。更にオカルティックになっていくのか、この話は。
「その男子生徒が見つかった場所はね、あの美術部の部室だったんだよ」
「嘘だ」
「ホント。友達に美術部の子がいてね、行方不明だった男子生徒を見つけたのがその子なんだ。美術室の倉庫で見つけたらしいよ。
ね、その倉庫、何が保管されてると思う?」
画材、イーゼル、石膏etc。美術部の倉庫と聞いて思いつくのはこの辺りだが、どれも布瀬の期待している答えとは違うのだろう。
悪戯めいて笑う彼女に、僕は予定調和とも言うべき解答を口にした。
「絵画の乙女?」
「せーかい。それにね。倉庫の奥、布を被せて保管されてたはずのその絵の布が、床に落ちてたって。
不謹慎かもしれないけどさ、これってすごいと思わない?」
凄い、というより怖い。
だって、あまりに出来すぎている。
これじゃまるで、例の噂が本当みたいじゃないか。
「噂は本当かもしれないって、思っちゃった」
「でも、あの噂は絵が動くってだけだろ?危害を及ぼすようなモノじゃなかったはずだ」
「そこが気になるんだよねぇ。もしかしたら、伝わってる噂以上の不思議が、その絵にはあるのかも。
気にならない?オカ研に籍を置く同志として、確かめたいとは思わない?」
「…………」
正直言うと、気にはなる。
だが、全部が全部、真実だとも思えない。
布瀬の言葉は疑っていないが、彼女の聞いた話が本当だという証明はできない。
彼女の友人が話を盛ったとも考えられるし、その男子生徒が錯乱してあることないことを滅茶苦茶に言っていた可能性もある。
すべて推測にすぎない。何が本当で何が嘘なのか。今の僕らに、それを確かめる術はない。
ただ一つ確かなのは、被害者が存在しているという事実だけだ。
「見るだけ、見てみようか」
とにかく、実物を見てみないと話が進まない。
「さっすがあ!それでこそオカ研の次期副会長!じゃ、さっそく行こっか!」
「え、え」
来た時と同じように、僕の腕を強引に引っ張って連行しようとする布瀬。
副会長発言も気になったが、それ以上に気になることが彼女の発言にあった。
「おい、どうやって部室に入れてもらうんだ!すげなく断わられる未来しか見えないぞ僕は!」
引きずられながら喚いていると、布瀬は何やら意地の悪い笑みを浮かべて、次のように返した。
「交渉するんだよ」
◇
やって来た美術室。普段立ち寄らないこともあって、妙に緊張する。
だが布瀬は物怖じした様子もなく、堂々とドアを開け放った。
「失礼します!オカ研の布瀬です!」
「……なんの用?前と同じ用件だったら、そのまま帰ってもらうけど」
不機嫌です、と顔に貼り付けて応対したのは女性の……部長だろうか。
それになんだ。前?同じ用件?
「なあ、布瀬」
「……ごめんなさいどうしても気になって一人の時に突撃しました反省してますもうしませんすいませんでした」
こ、こいつ……!
廃部がどうとか、僕を誘った意味がどうとか言ってたクセにこいつ……!
「あの、ウチの布瀬がご迷惑をおかけしたようで本当に」
「……ああ、いいよ別に。その時の謝罪は本人から受け取ってるし。二回目はないって条件で手打ちにしたから。だからこそ、その二回目にイラついてんだけど」
交渉なんて通じそうにないぞ布瀬。どうするつもりだ布瀬。
「きょ、今日はですね。手土産を持って参りました」
「手土産……?」
そんなもの、布瀬が手にしている様子はない。取り出す様子もない。
出たとこ勝負なのか布瀬。ハッタリなのか布瀬。
「あの絵を一目、見せていただければ!ウチの八雲くんをモデルに使っていいです!」
「へえ……」
「は?」
は?
なにか。
つまり手土産とは、僕か。
交渉というのは、これのことか。
「乗った」
「ありがとうございます!」
「ちょっと待てや」
布瀬の肩を掴んで引き寄せる。
布瀬への好感度とか信頼とか色々な評価が音を立てて崩れていくのを感じるが、それは後だ。
「なにか、初めからこれで行こうってか。そう思ってたか」
「や、ゔ、あ」
「答えてくれ」
「はっ!あ、や、その。ほら、八雲くんってさ、あの、美形じゃん?絵になりそうっていうかもう立ってるだけで絵じゃん?美術部の皆様には垂涎の題材になるかなーってヘヘヘ……」
確かに、僕は先程、布瀬のためなら力になると言った。
けど、それにも筋とか順序ってのがあるはずだ。
僕だって心構えくらいしておきたいのだから。
「謝らなきゃいけないことが二つあるな?」
「勝手に美術部突撃してすいません!!!八雲くんをダシに使ってすいません!!!」
「まあ、もうこのさい突撃はいいよ。本人同士で解決してたっぼいし。けど、なんの相談もなく僕を使ったのは、なんでだ?」
「断わられると、思いまして……」
友人というのは、宣言した瞬間からなれるものじゃない。
時間をかけて友情を育み、気がつけば、友人と呼べる間柄になっているものだと僕は思う。
お互い、気が逸っていたのかもしれない。
時間をかけた関係なら、こうはならなかったろう。
僕は布瀬に期待しすぎて聖人君子とすら思っていたフシがある。
対して布瀬は、僕を信頼できていなかったのだ。
結果、僕の中の聖人・布瀬夜須美という実像とかけ離れた偶像は脆くも崩れ去り、彼女は相談の一つもせずに僕を交渉の材料にした。
これは、信頼を結ぶ前に言葉の上だけの友人となった僕達に起きた悲しいすれ違いだ。
「布瀬」
「ひゃい……」
「相談してくれれば、僕は断らなかった。確かに放課後は忙しいけど、毎日ってわけじゃない。恩人の役に立つなら、時間くらいいくらでも作るさ」
「八雲くん……」
「だから、これからは何をするにしても、まず相談してくれ。一人で決めないでくれ。じゃないと、何かあったとき助けられないだろ」
「ご、ごめんねえ八雲くぅん……もうしないからあ……なんでも相談するからあ……」
「会の活動に関することだけでいいよ。僕の方こそ、お前を信用しすぎて、言葉が足りなかった。布瀬本人じゃなくて、僕の中に作り上げた偶像を見ていた。お互い様だ」
布瀬の顔が凄いことになっている。
よほど堪えたのか、涙で顔がグシャグシャだ。
そこまで深刻な話でもないんだけどな。今回は、浮かれて舞い上がっていたところも大きいのだろう。
やはり心根は善人なのだ。
「早めに気づけて良かったよ。友達ってのはゆっくり時間をかけてなるものだった。だからさ、これからじっくり付き合ってこう。いいか?」
「うん……うん……」
布瀬にハンカチを差し出して、顔を拭かせる。
化粧は多少落ちるだろうが、涙に濡れたままよりマシだろう。
男物で申し訳無いが。
「お美しい青春中のトコ悪いんだけど、私のこと忘れてない?」
「とんでもございません」
嘘だ。完全に頭から抜けていた。
「で、どうなったワケ?モデルの件は」
「謹んで引き受けます」
「なら、よし。着いてきなさい。案内するから」
言うが早いか、スタスタと部室へ戻っていく推定部長。
汚したハンカチを手にオロオロしている布瀬を連れて、僕らは美術室へ足を踏み入れた。
なんか寄り道したような気もするが、ここからが本番なのだ。気を引き締めねば。