一話 春は何色か
春は幸福の季節。
千の鳥が歌い、万の蕾が花開き、心持ち爽やかに新生活へ胸躍らせる季節。
春は何色か。
街頭インタビューでもしてみれば、色彩鮮やかな暖色を多くの人が口にすることだろう。実際、他のクラスメイトのほとんどがそう答えていた。
では、僕の回答は。
「どどめ色です」
桑の実のような青紫色、ではない。正確な定義付けができずにいるのだ。
春は素晴らしく美しい季節。そんなこと知っている。
だが、それだけではなくなってしまった。
中学に上がったばかりの頃、僕の春に寒色が差した。
それだけのことなのだ。
「あの、名前は……?」
担任の声に首を傾げる。
ああ、そうだ。自己紹介なんだった。
「頸木 八雲。帰宅部。先に言ってしまいましたが、僕にとって春の色はどどめ色です。一年間、よろしく」
クラスメイトのささやかな拍手と困惑を受けて着席する。
それもそうだ。どどめ色なんて言われても反応に困るだろう。
これで僕の高校生活の今後は決まった。
クラスの名物キャラか、イタい奴として距離を置かれるかの二択。
正直なところ、後者の方が都合がいい。
それに、僕は中学の時に友人すべてを失ったのだ。更に三年間を孤独で過ごすことに、なんの不安もない。
友人と放課後に意味もなく教室で駄弁ったり、カラオケ行ったり、ゲーセン行ったり、飯行ったり、そんな普通の青春に憧れがないとは言わないが、諦めはとっくについている。
僕が普通じゃないのだから、普通を求めるなんて分不相応なのだ。
そうしてこれからの孤独に決意を固めたところで、全員分の自己紹介が終わったようだった。
その後は細々とした日程などの確認が続き、HRは早々にお開きとなった。
軽く視線を彷徨わせると、既にいくつかのグループらしきものができている。
ああいうのってどこで知り合うのだろう。
湧いた疑問を置き去るように、カバンと学帽を引っ掴んで教室を後にしようとする。
と。
「あ、あの」
「はい?」
席を立ち上がった姿勢の僕に話しかけてきたのは、マスクを着けた見知らぬ女生徒だった。
背後では彼女の友人らしきグループが、そわそわした様子でこちらを伺っている。
そちらへ視線を向けると、さっと顔を逸らされる。
……なんなんだろうか、一体。
「頸木くん、だったよね?クラスのグループラインあるんだけど、もう入った?」
「いや。もうあるんだ。知らなかった」
「じゃ、じゃあさ!もしよければ、私が招待するから!」
妙に緊張した様子の彼女に違和感を覚えつつも、僕は唯々諾々とアプリを開き、彼女と友達になる。
無論、システム上の話であって、彼女が僕を友人認定したわけではないだろうし、僕にしても彼女を友人だなんて思い上がってはいない。
間もなく彼女からグループへの招待が届き、それをタップして無事入会に成功した。
「ありがとう。友達いないし、助かったよ」
「いいのいいの!これからよろしくね!頸木くん!」
「こちらこそよろしく。……布瀬さん」
先にラインを交換していて助かった。直前に自己紹介を終えていながら、名前を覚えていないなんてことがバレたら心証が悪い。
笑顔の布瀬さんに見送られ教室を後にする。
後ろからは何やら、きゃあきゃあと女生徒の姦しい会話が聞こえてくる。
歩きながら思う。
布瀬さんは良い人だ。僕みたいな奴を気にかけて、のけ者にならないよう気を回してくれた。
彼女のような人がクラスにいるなら、僕は孤独にならずに済むかもしれない。
「……いや」
僕みたいな奴と関わったせいで、彼女の人生に影を落とすことになるかもしれない。それは嫌だ。
僕はおかしいから。普通の人と関わってはいけない。それは単純な区別の話であって、好き嫌いの話じゃない。
犯罪者が監獄でシャバと隔てられるように、学力によって通う学校が違うように、精神病者が病棟に隔離されるように。
いわば僕は犯罪者で、低成績で、精神病者の側なのだ。
対して彼女は無実で、高成績で、健常者の側なのだ。
関わるべきではない。どれだけ望もうとも、僕のような人間と彼女のような人間を隔てる物理的な壁がこの世に存在しない限り、僕から自発的に壁を作らなければならない。
中学ではそうした。
高校でも、そうするべきだ。
大学、社会人、それから先も。
僕は必要以上に普通の人と関係を持ってはならない。
今からでもグループを抜けるか。彼女をブロックするか。
取り出したスマホを前にして、僕は迷った。
「………………」
結局、なにもせずにスマホをポケットにしまった。
今からグループを抜けるのは不自然だし、ブロックなんかしてしまえば彼女を悲しませるかもしれない。
クラスで浮いてしまえば、それは僕の異常性が浮き彫りになるわけで。興味本位で、その異常性に触れようとする輩が出てくるかもしれない。
グループを抜けた理由、彼女をブロックした理由を聞かれても、僕の事情を包み隠さず話すわけにはいかないし、嘘をついたところで納得もすまい。
だから、最善手は現状維持。
これ以上親しくなることも、不仲になることもしない。
それでいい。高校では、それでいい。
自分を納得させて、僕は帰路に着いた。
◇
入学から一週間が経った。
入学当初は若干緩かった繋がりもすっかり強固になったようで、グループは完全に固まったらしい。
当然、僕は基本的に一人だ。
孤独は納得して受け入れたつもりだったが、それでも堪えるものはある。
「頸木くん!おはよ!」
「おはよう。朝から元気だね、布瀬さん」
僕に唯一、声をかけてくれるクラスメイト。いつ見てもマスク姿の布瀬 夜須美さん。
彼女の存在は僕の想像以上に有り難く、彼女と言葉を交わすだけで、この集団に所属していることを許されているような気がしていた。
クラスメイトたちの声を潜めた噂話が、すべて僕の話をしている。そんな傲慢な被害妄想を抱かずにいられるのも、彼女との関わりに依るところが大きい。
疲れたあ、と僕の隣の席に腰を下ろす布瀬さん。
あの時は気が付かなかったが、幸運にも布瀬さんとはお隣だった。
「ね、ね。頸木くん」
「なに?」
僕は読んでいた本から視線を上げて、隣へ顔を向けた。
見ると、布瀬さんは言う言葉を選んでいるような、そもそも口にするか否か迷っているような、複雑な顔をしていた。
数秒して、意を決した表情で彼女は言った。
「頸木くんてさ、まだ部活決めてなかったよね?」
「決めてないっていうか、入るつもりなくて」
「そ、そう、なんだ……へえ……」
それはマスク越しにわかるほど、思わず罪悪感を抱いてしまうほど、落胆した表情だった。
彼女の口にしようとしたことがなんだったのか。
それが予想できていながら、聞くべきではないと思いながら、気がつけば口は勝手に開いていた。
「どうして、部活のことなんか?」
布瀬さんはモゴモゴと口を動かしてから、申し訳無さそうに答えた。
「わたしの入ってる部活、ていうか同好会なんだけど、部員がわたしと三年の先輩一人しかいなくて。先輩から聞いたんだけど、最低二人は部員がいないと同好会ですら廃止されちゃうの。それで……」
ほら、聞くべきじゃなかった。
理性がそう訴える。
けど、僕はこの一週間で彼女にずいぶん助けられた。そして、これからもきっと助けられる。
簡単な話、恩は返すべきだと、自分をそう納得させた。
「わかった。入るよ。なんて名前?」
「ゔえっ、いいのっ!?」
「いいよ。グループ入れてもらった恩もあるし、多分、これからも迷惑かけるだろうし。入るだけでいいなら」
喜色満面、そんな言葉が相応しい満面の笑みで彼女はガッツポーズなんてしている。
それだけで、この選択は間違いじゃないと錯覚してしまう。
名前を貸すだけなら、そう親しくなることもないだろう。だから、これはセーフだ。
「それで、なんて同好会?」
「うん!オカルト研究同好会!」
そして、輝く笑顔のまま、時代錯誤な同好会の名前を口にするのだった。